「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはない」(太宰治「人間失格」
「あの『電気ブラン』というやつを私は愛好していたね。あれは安くて、なかなかうまい酒でしたよ」(小林秀雄「新潮」昭和26年2月号、徳川夢声との対談「常識問答」)
東京都台東区の浅草1丁目1番地1号。
浅草の玄関と言わんばかりの所番地で、人々は琥珀色の時間に酔いしれてきた。
創業明治13年の「神谷バー」で、神谷傳兵衛が生んだ「電気ブラン」(現品名・デンキブラン)だ。

【原作】 産経新聞連載「浅草物語」(令和4年、鵜野光博執筆)
【語り手】木村匡也

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産経ポッドキャスト
浅草物語
電気ブラン
東京の大衆芸能を代表する町として栄えてきた浅草
文人も愛した琥珀色の酒
電気ブランはこの町で生まれました。
産経新聞に連載された浅草物語を再構成してお届けします。
案内役は私、木村共也です。
文人も愛した琥珀色の酒
電気ブランに酔う
東京都台東区の浅草一丁目一番地1号
浅草の玄関と言わんばかりの所番地で
人々は琥珀色の時間に酔いしれてきた。
創業明治13年の神谷バーで神谷伝兵衛が産んだ電気ブランだ。
ブランデーをベースにジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされた琥珀色の酒。
ほんのりとした甘みに隠れたアルコール45度という強さ。
太宰治は人間失格の中で
酔いの早く発するのは電気ブランの右に出るものはないと書いている。
小林秀夫は昭和26年2月号の新調に掲載された対談で
あの電気ブランというやつを私は愛好していたね。
あれは安くてなかなかうまい酒でしたよと話している。
雷門から徒歩1分。
神谷バーの5代目神谷直也は近くに観音様があり
人出を期待してこの場所を選んだと聞いていますと語る。
観音様とは戦争時のことだ。
今はアルコールを30度に下げグラス1杯は300円、40度のオールドは400円。
一口、また一口と含むと浅草の歴史がグラスに浮かぶ。
電米は最初酒の計り売りで資金を集め
明治15年に輸入主制を用いた促成ブランデーを作った。
電気ブランはこれを源流としおよそ10年後に誕生している。
電気ブランの名は最先端のものに電気を感した時代を反映している。
評論家の上山圭介は著書
浅草の百年、上山と浅草の人々で
これほど評判になったのはまだ電気というもののまか不思議な作用が
庶民にとって脅威であった時代に
03:00
その商品名を電気ブランデーとした着想にあったと名付けた電米をたたえている。
日本初のエレベーター付きビル両雲閣、浅草オペラ、活動写真
あふれるような当時の最先端が伝統的な風情と溶けあっていた浅草。
電気ブランは浅草以外の土地では
あれほど人々の心に根付くことはなかったと上山は書く。
米国人の日本学者サイデン・ステッカーは浅草を新宿のバーに嫌気がさし
銀座のバーがあまりにパリィ的になりすぎ
そこに来る人々のベレー帽やカタカナまじりの言葉が
膝でたまらなくなった時に行くところと随筆の中で表現した。
サイデン・ステッカー曰く
日本のいわゆる知識回想の生活にくだらなさを覚え
文芸雑誌のすべてがつまらなくなった時
人々は浅草で命の選択をしたのだ。
大正十二年の関東大震災
昭和二十年の東京大空襲で浅草は二度にわたり廃墟と化した。
大正十年改築の神谷バーはこれらを乗り越えて現存している。
震災や戦災に耐えた鉄筋コンクリート作りの近代商業建築として
平成二十三年には国の登録有形文化財にもなった。
外観は大正期の建築らしい明るいタイル張りに
正面性を重視した二階の三連アーチ窓などが特徴だ。
正漢字を使った神谷バーの看板をくぐると
電気ブランが注がれるバーカウンターが明るい店内の奥に見える。
店を訪ねると手前の大テーブルには手尺でビンビールを楽しむ初老の男性がいた。
二つ並べた電気ブランにビールを添える年配男性の姿もあった。
一人にて酒を飲みおれる哀れなる隣の男何を思うらん
神谷のバーにてと呼んだのは萩原作太郎だ。
見渡すと隅のテーブル席には二人で楽しむ若者の姿もある。
神谷によると新型コロナウイルス下で年配客の足が鈍る一方
若者客が増えているという
SNS会員制交流サイトで雰囲気のある店や酒の写真を発信しているようです。
06:03
コロナ後は若者人気につながる流れができればと期待する。
平成16年2月からは店先で電気ブランのボトル売りも始めた。
一丁目一番地1号と銘打ったオリジナル焼酎もある。
電気ブランの宅飲みは伝統と歴史を今の時代に馴染ませる浅草の流儀にもかなっている。
現在神谷の元では電気ブランの製造は行っていない。
かつて電気ブランを作っていた神谷酒造は神谷の祖父三代目伝明の代だった昭和35年に
経営不振から合同主政現在のオエノンホールディングスと合併。
個人経営の形で独立していた神谷バーを神谷が継いだ。
三代目と働いていた職員から神谷が聞いた話では
戦後の物資不足や貧困の中でも三代目は良い酒造りにこだわった。
安い粗悪品を出すことはせずそれが経営不振につながったという。
酒造りをやめ神谷の父は伝明の名を修名しなかった。
神谷も同様で酒造りをしていない自分たちがその名を修名するのはおこがましいという。
それでも100年以上続く電気ブランと神谷バーの歴史。
神谷は後継ぎについても考える。
店には電気ブランを愛し半世紀近く通う常連客も少なくない。
こうやって愛し続けてくれる人がいる限り続けます。
神谷の歴史で五番目のたすきをつなぐのは私の使命です。
明治から令和へ歴史を背負う浅草の店と町。
そして人の重みは琥珀色のグラスに映っている。
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