東京・浅草の雷門の向こうに、さまざまな物語がある。

「浅草という土地が私を育ててくれた。こんなに長いことテレビでお仕事できたのは、浅草のおかげなんですよ」

そう語るのは、かつて「視聴率100%男」と呼ばれたタレント、萩本欽一(80)だ。コント55号で組んだ坂上二郎とは、浅草の劇場で出会った。「欽ちゃんのドンとやってみよう!」などの番組で見せた自在な「素人いじり」芸も、元は浅草の先輩芸人から受け継いだものだ。ただ…

 

【原作】 産経新聞連載「浅草物語」(令和4年、鵜野光博執筆)
【語り手】木村匡也

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00:01
産経Podcast
東京の大衆芸能を代表する町として栄えてきた浅草。
その昭和の精髄を肌で知る世代の萩本錦一さんに浅草の物語を聞きました。
産経新聞に連載された浅草物語、萩本錦一を再構成してお届けします。
案内役は私、木村共也です。
萩本錦一、女王。育ててもらった笑いの原点。絵の剣に憧れ見習いに。
浅草の雷門の向こうに様々な物語がある。
浅草という土地が私を育ててくれた。こんなに長いことテレビでお仕事できたのは浅草のおかげなんですよ。
そう語るのはかつて視聴率100%男と呼ばれたタレント萩本錦一だ。
コント55号で組んだ坂上二郎とは東京浅草の劇場で出会った。
金ちゃんのドンとやってみようなどの番組で見せた自在な素人いじり芸も元は浅草の先輩芸人から受け継いだものだ。
ただ浅草当時はたった3人の客を相手に舞台に上がったこともあったという。
今浅草を語れるのはこんなに賑やかになって昔の浅草に戻りつつあると思ったから。
最悪の浅草でつらい思いもした。あの時代にインタビューされたら半分ぐらい嘘を言わないといけなかったね。
東京の大衆芸能を代表する街として栄えてきた浅草。
萩本はその昭和の精髄を肌で知る世代だった。
浅草東洋劇場に見習いで入ったのは昭和34年、18歳の時だった。
生まれは浅草に近い旧南稲荷町。
正月は親に担がれて浅草を通ったけれど子供心に何とも言えない正月を迎えた気がしてたまらなかったと原風景を語る。
正月に必ず行く食堂で必ず鍋焼きうどんを食べてね。
おばあちゃんがいてアイキンちゃんいらっしゃい。
おせんべいを出してくれてちょっと時間がかかるからこれ食べて待とうねって。
03:06
その店もなくなったな。
カメラ店を営んでいた父親が事業で失敗し中学高校時代はひどく貧乏だった。
お金持ちになりたかったという萩本はこの仕事を選んだ理由は20代で家が建つのは芸能界しかないと思ったからと明かす。
ただ鏡の中の自分は2枚目スターになれるとは思えなかった。
そこで映画の脇役などで活躍するコメディアンを目指すことにした。
憧れたのは江野健子と榎本健一だ。
入門当時の萩本を東洋工業会長の松倉久幸は覚えているという。
本当に坊やだったよ。
金坊と呼ばれて先輩の使いっ走りのようなことをやらされていたね。
東洋劇場があったのは浅草公園6区。
明治政府は都市公園の一つとして戦争時の境内を浅草公園に整備し、1区から6区のうち6区に歓楽街を集約させた。
随筆の名手でもあった明治41年生まれの女優澤村貞子の私の浅草にはロックの映画館、ロックの活動小屋がしばしば顔を出す。
戦争でやけの腹となった浅草で松倉の父親牛知は昭和22年ストリップ劇場ロック座を開き、26年には浅草フランス座をオープンさせた。
幕愛の敬遠劇から厚見清、東八郎らコメディアンが育ち、映画やテレビへと育っていく。
萩本、ビートたけしもその系譜に連なる。
ただ萩本はたまたま両親が松倉の親戚が営むアパートに住み、さらに知人の演出家の紹介で牛知が開いたばかりの東洋劇場に来たに過ぎなかった。
後で気づいたんだよ。テレビに出るコメディアンはみんなここだって。笑いの灯台に入ったって感じだね、と萩本は笑う。
昭和34年のロックは松倉によると映画館やストリップ劇場が史上最高の36館を数え、まさに最盛期だった。
06:00
初舞台は意外に早くやってきた。
金坊、お前後ろからくっついて出ていけ、と言われてね。
村人役でそれがウケて、用事がないのに後ろに突っ立ってる珍しい奴がいるなって。
大失敗もした。
セリフ3つもらって最初は言えたんだけど、次がね、上がっちゃって飛んじゃった。
先輩は、お前今こう言いたいんだろ、とアドリブでカバーし客も笑った。
俺何も喋ってなくて、なんで笑ってるんだかもうよくわからなかった。
次の日から午前7時に劇場に行き、舞台の上で叫んだ。
萩本金一だ。俺は萩本金一だ。
なんとか度胸をつけなきゃ。
後にテレビを接見する金ちゃんは、まだ台動の時期にあった。
サンケイ新聞社がお届けする戦後紙開封。
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08:08

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