2022-09-29 09:36

凌雲閣【浅草物語~人と歴史が息づく街】

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「浅草2丁目の建設工事現場から、れんがが出てきている。遺跡らしい」
今から4年前、明治から大正にかけて浅草にそびえた「凌雲閣」(通称・浅草十二階)に関心を持つ人々が、沸き立つ出来事があった。
凌雲閣の土台のれんがと、それを支えたコンクリートが露出していた。
昭和56年にも近くで遺構が見つかっていたが、それ以来となる”出現”・・・



【原作】 産経新聞連載「浅草物語」(令和4年、鵜野光博執筆)
【語り手】木村匡也

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産経Podcast 浅草物語 両雲閣
震災前のシンボル12階 4年前に霊が出土
東京の大衆芸能を代表する町として栄えてきた浅草
関東大震災前のシンボルだった12階建ての塔
両雲閣から見た浅草はどんな町だったのか
本番役は私、木村共也です。
産経新聞に連載された浅草物語 両雲閣を再構成してお届けします。
今から4年前、明治から大正にかけて浅草にそびえた両雲閣
通称浅草12階に関心を持つ人々が湧き立つ出来事があった。
浅草2丁目の建設工事現場からレンガが出てきている。遺跡らしい。
平成30年2月8日、東京都台東区教育委員会に区民から連絡が入り
文化財保護調査員の尾又はすぐ現地に向かった。
地下まで掘られた現場では両雲閣の土台のレンガと
それを支えたコンクリートが露出していた。
昭和56年にも近くで遺構が見つかっていたが、それ以来となる出現。
基礎は思ったより綺麗に残っていました。
明治の作りですが浅草のシンボルとして当時の技術の力を入れて作られたのでしょうね、と尾又。
前回の出土と違ったのはインターネットの存在だ。
数日後、ツイッターなどで知った人々が続々と現地に集まった。
人々は工事現場のレンガを覗き込み、
ここにあった日本一高い塔の面影を求めるように空を見上げた。
集まった中に浅草十二階、塔の眺めと近代の眼差しを出版した早稲田大学教授の細間博道がいた。
当時は滋賀県立大教授で、仕事の合間を縫って新幹線で駆けつけた。
前回は見られず残念だったが、レンガが土に埋まっている状態を初めて見た。
明らかに十二階の基礎のラインが出ていて大きさもだいたいわかった、と当時の興奮を振り返る。
両運格の開業は明治23年11月。
高さは一節に52メートルとされ、日本初の電動式エレベーターも成り物入りだった。
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明治30年発行の新選東京名書図絵には、
一望の下に東京全部を監視し、西は寒冷より北は日光を望むをうべし、本邦第一の江東なりとある。
この西は寒冷の寒冷とは箱根山を指す。
目線を落とせば、戦争時や近くの誘拐、吉原の様子も見えた。
十二階は建ってからずっと同じ様子でいたように思われることが多いが、実はずいぶん変わっている、と細間は言う。
エレベーターは安全性の問題で半年で創業停止になり、
その後は階段に芸者たちの写真を掲示して、人気投票を行う百美人の企画で集客を図った。
景観の良さはやがて飽きられ、入場者が激減してからは見売先を模索。
足元には30年代から四障屈が広がり、十二階下はその代名詞にもなった。
それでも煉瓦塔の立ち姿は美しく、絵はがきなどで浅草、東京、そして時代のシンボルとして欠かせない存在感を持ち続けた。
小説や映画などにも登場し、3年前のNHKタイガドラマ「伊達伝での勇士」と、関東大震災で上部が崩れた無惨な様子は記憶に新しい。
出土現場には評論家で東京スカイツリー論の著作がある中川大地も駆けつけていた。
中川は墨田区の新タワーと両運格塔を墨田区の住民として結びつけようとした人だ。
建設前の平成17年8月、墨田タワー仮構想を考えていく住民の会のメンバーとして、新両運格浅草120階の構想をまとめ、当事者の東武鉄道に提出した。
12階ではなく120階。構想で中川は、関東大震災で失われた両運格を、次の震災に立ち向かう不屈の意志を込めた防災拠点とすることをアピールした。
中学生の頃に荒又博の小説、帝都物語で知ったという両運格。新タワー建設に与えられた計画への賛否ではなく、住民自身が求めるビジョンをクリエイティブに発信したかった、と言い、都市が持つべき歴史的重層性の回復のために両運格の現役復帰を唱えた。
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関東大震災や空襲以降、ずっと下町の風景が失われていく流れの中で育った僕たちの世代が、むしろあり得たはずの風化を取り戻す方向へと、歴史を逆転換してみたかった。提案は採用されなかったが、歴史的重層性は現実の東京スカイツリーにおいても重要なテーマとして扱われている。
浅草では明治19年、戦争時五十の島の改修で設けられた足場が公所見物で人気となり、20年には高さ32メートルの富士山縦覧場も作られた。これは台風被害で解体され、その後に生まれたのが両運格だ。
開業はフランスのエッフェル塔誕生の翌年だが、浅草には浅草の高塔の景譜があった。
ただ、高いといっても52メートル。江戸川乱歩の短編「教えと旅する男」では、塔から見えた女に男が焦がれる。兄が申しますには、一月ばかり前に十二階へ登りまして、この塔眼鏡で観音様の境内を眺めておりました時、人混みの間にちらっと一人の娘の顔を見たのだそうでございます。
333メートルの東京タワーや、634メートルの東京スカイツリーでは、高すぎて焦がれるほどに見えたかどうか。
細間は、上から声を掛ければ振り向いてもらえるぐらいの高さで、こっちは見ているが向こうは見られているなんて思いもしない。そんな一方通行性も面白い、と両運格の適切な低さが物語を生む土壌となってきたと指摘する。
4年前の現場、湿度後に建ったビルの側面には両運格の錦絵が大きく描かれている。脇の通りからは開業10周年を迎えた東京スカイツリーも見える。浅草の高塔は少し離れた場所で引き継がれ、そこから見下ろし、見上げる人がいる限り、塔の物語は紡がれ続ける。
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