2022-09-15 10:28

エノケン【浅草物語~人と歴史が息づく街】

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浅草の街に近い宗円寺(東京都台東区寿)に、「喜劇王エノケンと仲間たちの慰霊の碑」と彫られた石碑がある。建立は昭和60年10月。
「毎年1回、エノケンさんの誕生日付近にみんなで集まり、お経をあげて線香を供えているんですよ」。
そう話す元お笑い芸人の南出昭夫(79)は、エノケンこと榎本健一が晩年に開いた映画演劇研究所で学んだ人だ。
榎本は45年に65歳で亡くなった。
冷たい石碑の中に、エノケンで沸いた戦前の浅草がある。

 

【原作】 産経新聞連載「浅草物語」(令和4年、鵜野光博執筆)
【語り手】木村匡也

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産経Podcast
浅草物語
万人魅了した江ノ県
今も影響
笑いと音楽
ダンスを融合
東京の大衆芸能を代表する町として栄えてきた浅草
喜劇王と呼ばれた江ノ県こと江ノ本県一を通して
かつての浅草を振り返ります
案内役は私、木村共也です。
産経新聞に連載された浅草物語江ノ県を再構成してお届けします。
浅草の町に近い創園寺に
喜劇王江ノ県と仲間たちの慰霊の碑と彫られた石碑がある。
建立は昭和60年10月
毎年1回江ノ県さんの誕生日付近にみんなで集まり
お経を挙げて千古を備えているんですよ。
そう話す元お笑い芸人の南出明夫は
江ノ県こと江ノ本県一が晩年に開いた映画演劇研究所で学んだ人だ。
江ノ本は昭和45年に65歳で亡くなった。
南出が声を掛けて集まる仲間たちの人数も近年は減って10人余りになったという。
石碑の裏には摂取として佐藤文夫の名前が刻まれている。
佐藤は江ノ本が浅草で名を挙げた当初から文芸部で支えた同志で
この名前をペンネームにして活躍した雑木作家菊谷栄のことも想起させる。
冷たい石碑の中に江ノ県で湧いた戦前の浅草がある。
未曾有の大震災の後、お客の心理は近代的にスピーディーになったことは確かである。
僕は見物をあっと言わせるような芝居をやってみたくなった。
スピードがあって洒落ていて音楽がついていて踊りもあってお客は笑わずにいられないといった喜劇。
それは今まで我が国では誰もやったことのない新境地である。
江ノ元の辞伝喜劇砲弾江ノ県の青春にはそう書いてある。
浅草水族館の余興場に敬演劇集団カジノフォーリーが生まれたのは昭和4年。
川端康成が新聞小説浅草紅壇でこれを紹介して客足が増え
03:04
中心にいた江ノ県の魅力が広く知られた。
現れてわずか3年浅草において観音様の次は江ノ県だという人気者になったと
全室の菊谷は西北新報の連載で書いている。観音様とは戦争時のことだ。
小説が客を呼んだ理由には川端が同じ章で引用した演歌詞添枝あぜんぼうの言葉もあった。
浅草は万人の浅草である。浅草にはあらゆるものが生のまま放り出されている。
人間のいろんな欲望が裸のまま踊っている。
付け加えるとこの時期に流れたカジノフォーリーでは金曜日に踊り子がズロースを落とすというデマも人々を引き寄せたという。
ズロースとは下着のことだ。いろんな欲望の助けもあって一人のスターが誕生する。
昭和13年に雄楽町へ進出すると観客が日劇を50に取り巻くほどの大入りとなった。
出演映画はえのけんのちゃっきりきんたなど180本以上に上る。
昭和の喜劇王は伝説にことかかないがその前世紀を令和の私たちは手軽に映像で見る機会に恵まれていない。
えのけんの何が面白かったのか。
小林信彦は最大の特徴を体の技大技だという。小林は世の中には滑ったり転んだり舞台から転げ落ちて見せることそれ自体を喜びとする人がいると本の中で紹介している。
榎本はそれを芸にまで磨き完成させた天才だった。
小林は産経新聞の取材に右足を脱素のため切断していた62歳当時の榎本について
テレビの打ち合わせに自宅へ行ったらとにかく自分を大事にしないでくれって言うんですよ。
カゴに乗って急停止したら自分がカゴから転げ出てそこからやるとぎょっとしますよね。
晩年まで大義を諦めなかった大御所をそう振り返った。
06:08
榎本原案で菊野が書いた喜劇に最後の伝令がある。
アメリカ南北戦争が舞台だが稽古不足で役者がセリフを忘れて監督が教えたり
俳優の動きなどを説明すると書きを読んでしまったり出る順番を間違ったり
小道具の水が電気ブランに変わっていて役者が酔っ払ったりと昏迷を極める。
悲劇のはずがドタバタになりあちゃらか喜劇と呼ばれたジャンルの傑作とされている。
ただ小林が小学生だった昭和15年に日劇で見たえのけんの南進日本は面白くなかったという。
菊野は昭和12年34歳の若さで中国で戦死し榎本は菊野を失ったことを修正惜しんだ。
榎本は関東大震災前に流星を誇った浅草オペラの舞台を踏んでいた。小林は
番組では坂本急と上を向いて歩こうを歌ったが声は変なんだけどキーはすごく正確だった。
映画でも音楽がわかる監督でなければ一緒に仕事をしたがらなかったと音楽的素養の高さを指摘する。
大衆演劇研究家の原健太郎はえのけんほど音楽性に富んでアクロバティックな動きを当たり前にこなし
かつ喜劇を演じている人は現在では思い浮かばないと話す。
ただ影響は様々な形で残っているという。
今の劇団式や東宝が帝国劇場でやっているミュージカルの厳選がえのけんたちの音楽劇だったことは間違いない。
テレビでもえのけんに限らず敬遠劇で活躍したスタッフが早々期にいっぱい入り込んでいたので
例えば日本テレビで昭和36年に放送開始されたシャボン玉ホリデーは笑いありコントあり音楽ありダンスありでえのけんたちの舞台の楽しさを受け継いでいた。
江戸元だけではない。戦前の浅草にはライバルとされた古川六波も喜劇界に君臨し、戦後に君の名はなどを手掛けた菊田和夫も二人の下で作家として働いた。
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詩人の佐藤八郎もえのけん一座の仲間だ。
戦後の厚見清、萩本錦一と浅草の才能の系譜は続いていく。
ただ浅草を出てから伸びた人の方が多い。浅草っていうのは通り道なんですよ。
多くの才能が浅草から育ったことを小林はそう語った。
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