日本が生んだ革新的食品、インスタントラーメンの進化について、産経新聞に過去に連載された「戦後史開封 即席ラーメン」など過去の記事を基に、最近の情報を加えて全5話の音声コンテンツでお届けします(登場人物の肩書などは取材当時のものです)。
登場人物のセリフをLUNA SEAのドラマー真矢さんが担当します。
【原作】 「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊) 
【語り手】 内田健介
【登場人物の声】真矢
【番組制作】産経新聞社

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

昭和47年2月、武装した過激派グループが、連合石群のメンバー5人を人質として取り、長野県軽井沢町の別荘に立てこもりました。警察と連合石群との攻防は10日間続きましたが、警察官3人が犠牲となるという悲しい事件でした。しかし、この事件はインスタントラーメン業界に予想外の利益をもたらしました。

目次

00:07
戦後史開封 インスタントラーメンの進化
第3話 あさま山荘事件とカップヌードル
案内役は私、俳優の内田健介
セリフは私、ルナシーの深夜です
あさま山荘事件
昭和47年2月、武装した過激派グループ
連合石群のメンバー5人が、長野県軽井沢町の別荘に
人質を取って立てこもった。
世に言う、あさま山荘事件だ。
警察と連合石群の攻防は10日間にも及び
警察官ら3人が死亡するという痛ましい事件となったが
インスタントラーメン業界に思わぬ恩恵をもたらした。
全てのテレビ局が現場から中継を続けたが
事件の動きが少ないときは、
つなぎに玄関の山の中で機動隊員らが食事する光景が映し出された。
機動隊員たちが手にしていた湯気が出る大きめのコップのような容器の正体は
半年ほど前に日清職員が発売したばかりのカップヌードルだった。
知名度が低かったカップ型ラーメンを世に知らしめる絶好の機械となった。
この酸素事件で陣頭指揮を取ったのは
後に初代内閣安全保障室長を務めた警察官僚、サッサ・アツ雪。
彼が現場にカップヌードルを持ち込んだ。
サッサが言う
現地は氷点下15度の寒さでしたが
長野県警が用意した非常食といったら
カンパンと握り飯。
とてもじゃないが、それでは体は温まらない。
カレーライスも作ってみたが
すぐに凍って食えたもんじゃなかったのです。
そこで警視庁警備一課にキッチンカーを2台用意させて
お湯を沸かしてカップヌードルを食べました。
いや、生き返った心地がしましたよ。
サッサによると正規の警備職ではなく
おやつ用という位置づけだったため
1個50円で販売した。
しかし機動隊員がおいしそうに食べるのを見て
取材中の新聞記者たちも買いに来たという。
カップヌードルもチキンラーメンの生みの親である
カップヌードルの誕生
日清食品の安藤桃福のアイデアだった。
昭和41年6月
インスタントラーメン業界が
スープ別添えタイプの新商品開発でしのぎを削る中
安藤はアメリカに市場調査旅行に出かけた。
安藤は反応を見るため
取引先となりそうなスーパーを訪れ
チキンラーメンを試食してもらった。
スーパーの担当者が喜ぶ姿を見て
安藤はあっと声を上げた。
担当者は安藤らが持ってきたサンプルのチキンラーメンを
小さく割って紙コップに入れ
お湯を注いでフォークで食べていた。
安藤は当たり前のことに気づかされた。
安藤は帰りの機内でカップヌードルについて
一つのヒントを得た。
それはサービスとして配られたマカデミアナッツの容器だった。
直径4.5センチ、深さ2センチほどのアルミ容器は
紙とアルミ箔を貼り合わせたフタで密閉されていた。
安藤はその容器を持って帰りの機内で
カップヌードルについて一つのヒントを得た。
そのヒントはマカデミアナッツの容器だった。
マカデミアナッツの容器は
紙とアルミ箔を貼り合わせたフタで密閉されていた。
安藤はこれだと思った。
熱湯を注ぐカップヌードルの容器を
密閉する方法が閃いた。
その時のアルミ容器は大切に保存していますよ。
ラベルはすでに茶色に変色しかかっていますが
この記念品を見ると
あの時の興奮が蘇ります。
安藤は生前そう話していた。
容器は包装材料になり
調理鍋となり食器にもなる。
さらに外国人にも受け入れられる。
一石二鳥どころか一石三鳥
四鳥のアイデアだった。
即席麺を入れる容器の開発が始まった。
陶磁器、ガラス、紙、プラスチック、金属
考えられる限りの素材を試し
残りの素材を使いながら
考えられる限りの素材を試し
残ったのが発泡スチロールだった。
これを安藤が理想の形と考えた
片手で持てる大きさに整えた。
縦長のスタイルはカップヌードル開発の
大きな鍵の一つだった。
ただ、社内やトン屋からは
売れないのではないかと疑問の声があった。
ところが爆発的に売れた。
昭和46年9月に発売され
その年度の売上高は2億円だったが
浅間産総事件が起きた47年には
67億円になり
48年には180億円と
面白いように増えていった。
次回第4話は
ご当地インスタントラーメンです。
06:10

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