「国際テロの魔女」などとも呼ばれた日本赤軍の元最高幹部、重信房子元最高幹部が5月28日に刑期満了を迎え出所した。獄中でがんを患い、体調は思わしくないというが、関係者は出所後の動向に注目している。産経新聞で過去に掲載された関係者のインタビューを中心に日本赤軍事件を振り返る。

・「重信房子」がいたあの時代 デモ、バリケードの「政治の季節」
・「重信房子は普通の子だった」 亡き赤軍派議長の記憶
・理論的支柱だった元赤軍派議長、かつての日本のレーニン、今は駐車場の管理員

※この音声は、産経Podcast「注目の記事から」にて公開されたエピソードを再掲したものです。

 

【産経ニュースの記事ページへのリンク】

「被害与えたことをおわび」重信元最高幹部出所

「無辜の人たちおわび」重信元最高幹部一問一答

 

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注目の記事から産経Podcast
国際テロの魔女 重信久子受刑者が28日出処
同行に注目
国際テロの魔女などとも呼ばれた
日本籍軍の元最高幹部 重信久子元最高幹部が
5月28日に刑期満了を迎え出処した。 獄中で癌を患い体調はおもわしくないというが
関係者は出処後の同行に注目している。 学生運動に参加し世界革命を掲げる審査役グループ
籍軍派に加わった。 海外拠点を建設するという籍軍派の方針に基づき
昭和46年に出国。 その後日本籍軍を創設した。
日本籍軍はイスラエルテルアビブの空港で 自動焼銃を乱射しおよそ100人を死傷させるなど
各地で事件を繰り返したとされる。 重信元最高幹部はオランダのフランス大使館が武装占拠された
ハーグ事件に関与した疑いで平成12年に大阪府高槻市で逮捕された 裁判ではハーグ事件に関して無罪を主張したが
懲役20年の判決が確定し服役していた 獄中で日本籍軍を解散する声明を発表している
重信久子がいたあの時代でもバリケードの政治の季節 数々の国際テロを起こしたとされる日本籍軍の重信久子元最高幹部が5月28日に
景気満了を迎え出所した 昭和46年に出国しオランダのフランス大使館が武装占拠された
ハーグ事件で国際手配されたが平成12年 大阪で逮捕されて服役していた
学生時代に審査翼グループ赤群派に加わり革命運動に関わったが当時の学生をめぐる 状況は現在とは大きく異なっていた
1960年代後半は学生運動が盛んだった時代 学生が大学にバリケードを築いたり
抗議をストライキしたりする現象が相次いでいた 学生がデモ更新をする風景も日常的にあった
当時の学生は今は70代だが現代の学生にとっては想像することすら難しい状況なのかもしれない
03:01
インターネットもなくパソコンも携帯電話もなかった時代 集会を開いて討論したり自分たちの主張をビラと呼ばれるチラシに印刷して
配ったりする学生も多かった デモ隊が警察と衝突して怪我人が出ることも
学生たちはヘルメットをかぶって角材を持つといった出で立ちでデモに臨んでいた 一方透析火炎瓶と次第にエスカレートする学生たちに顔をしかめる人も少なく
なかった ただ紛争の発端には大学による多額の死と不明金問題などもあり
学生たちの言い分にも一理あると理解を示す人もいた 東大では学生たちが安田行動を選挙
昭和44年1月には警察との激しい攻防戦が繰り広げられ 東大入試が中止になるといった前代未聞の事件も起きた
時代を読み解くポイントの一つはベトナム戦争 米国も深く関与し泥沼化した
第二次世界大戦の敗戦の記憶も鮮明な時期とあって 日本も間接的に戦争に関わっているなどと反戦運動が盛り上がった
もう一つは大学の大衆化だ 現在の大学進学率は50%を超えているが当時は15%程度
それ以前は進学率はもっと低かったが戦後のベビーブーム世代が大学の進学年齢に達し 学生数が急増した
極一部のスーパーエリートだけが行くところと考えられていた大学の位置づけも変化した 当時の学生たちがみな参加していたわけではないが学生運動が巨大なムーブメントになっていたのは事実だ
こうした学生主導の反体制的な動きは世界各地でも頻発 政治の季節とも言われた
茂信久子は普通の子だった 亡き赤群派議長の記憶
5月28日 日本赤群の茂信久子元最高幹部が出所した
茂信元最高幹部は国内では審査翼の中でも最も過激とされる赤群派のメンバーで昭和46年に出国 後に日本赤群を創設する
産経新聞では平成20年から21年にかけ かつて学生運動などに関わった段階の世代らを取材した連載
06:06
さらば革命的世代を掲載したがその際 赤群派トップで議長だったしおみたかやさんにもインタビューしている
しおみさんは平成29年に亡くなったがインタビューした当時 茂信元最高幹部の印象について
最初は普通の子だった ビーダーになるようなタイプに見えなかったと話していた
そして茂信元最高幹部と仲の良かった友人女性の名前を挙げ むしろ彼女の方がリーダータイプだと思っていたと振り返った
その女性は後に昭和47年の連合赤群事件で仲間に殺害されることになる
今は駐車場の管理員 かつて日本の例人と呼ばれた男は東京都清瀬市の市営駐車場で汗を流していた
昭和40年代半ば 世界同時革命を掲げて武装闘争路線を指揮し
覇望法違反罪などで19年9ヶ月の獄中生活を送った元赤群派議長 潮見孝さん
昨年末から市のシルバー人材センターに登録し月9日ほど派遣先の駐車場で働いている
この年になってようやく労働の意義を実感している 一人息子も親父がまともな仕事をするのは初めてだと喜んでいます
それまでの生計は寒波や高円寮に頼ってきたというがあえて働き始めたのは昨週 心臓を患ったのがきっかけだった
もっと自活能力をつけたい 地に足のついた生活をしながら革命を追求したいと思ったという
赤群派は当時最も過激な集団とされ 交番の連続襲撃や首相官邸選挙を狙った軍事訓練
大菩薩峠事件などを起こす 背下にはヨドゴグループのリーダーだった
タミヤ高丸最高幹部や後に日本赤群を創設する 茂信久子元最高幹部ら数百人がおり
連合赤群の浅間山荘事件や日本赤群のダッカハイジャックなど 現代史に残る重大事件の源流には常にこの組織の存在があった
その理論的支柱だったし読みさんは 彼らも全共闘の世代の連中もみんな僕がオルグした
09:05
僕らは若い力で暴力革命を起こそうと本気で思っていた と振り返りながらも当時の手法については未熟だった
軍事史上主義だったと率直に認める
一方で不況だろうとバブルだろうと時代は変わっても資本主義には矛盾があり 労働者階級が解放されるべきだという基本路線は当時と一緒だ
これからは無欠革命という大理念を大事にしたいとも述べるなど その思想は根本的には変わっていない
淀郷事件も間違い 文学青年だったし読みさんは二郎の末昭和37年に京都大学に入学
アルバイト先の政教の先輩の影響で学生運動に入った 3回生の時東京に出向いて中央大など首都圏の学生のオルグを担当
学費値上げ反対闘争を勝ち抜き全教頭の原型を作ったという 赤群派が公然と登場したのは44年9月
東大安田高等の落場から8ヶ月が過ぎており 全教頭はすでに行き詰まっていた
最後はドンパチをやらないと世の中は変わらないと思っていた連中が僕のところ に集まってきた
し読みさんの逮捕後に起きた45年の淀郷事件は北朝鮮のテロ支援国家指定解除に絡み メンバーの引渡しが議論に昇るなど今なお注目される事件でもある
し読みさんはこの事件についても 人民を盾にしたという点で誤った方針だったと総括する一方
彼らは帰ってこないほうが良い 仮に帰ってきたならその時は不屈に最後まで戦うと意地を見せて欲しいとも話す
産経新聞社がお届けする戦後紙開封 最後までお聞きいただきありがとうございます
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徳川家康100の決断問題に 桶狭間で吉本が打ち取られたとの知らせを受けた家康
この時家康が下した決断は問題14 三河統一を成し遂げた家康が松平から徳川への解明を決断した理由とは
家康の生涯はピンチの連続究極の選択と決断を順次公開 産経ニュース徳川家康100の決断概要欄のリンクからどうぞ
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