萩本欽一と坂上二郎の出会いは浅草「フランス座」、コント55号を結成した。有楽町「日劇」への進出を機に躍進する。幅37メートルの舞台を目いっぱいに使い、アドリブと、プロレスばりの大きな動きで評判となる。その後TV出演を果たすも、現場に赴くと、マイク一本と、幅2メートルの空間しかなく・・・

※産経Podcast「競う―ライバル物語」として公開していたものを、再収録しました。

番組のフォローと高評価をお願いします!
Apple Podcastでは皆様のレビューも募集しています。

産経新聞社のアンケートフォームもご利用いただけます。
産経Podcastの番組改善アンケート


■産経Podcast オススメの歴史番組

・『歴史の真相~本当はこうだった』:学校の教科書には決して載っていない、歴史の暗部。歴史上の転換点や人物について、史実を掘り起こしていきます。
・『神田蘭さんの5分で恋する日本史列伝』:人気「講談師」神田蘭が語る、日本史に名を残す偉人列伝。偉人たちのあんな話やあっちの話も、情感豊かにユーモラスに語ります。

 
■番組SNSでは最新情報をお届け
Twitter 
 
■産経Podcast 公式ウェブサイト
https://sankeipodcast.com/

■産経iD 公式ウェブサイト
https://id.sankei.jp/
※会員登録(無料)することで、会員限定のPodcastコンテンツを聴くことができます。

■産経Podcastとは
新聞紙面では伝えきれない情報を、産経新聞社の精鋭記者陣が厳選。
インタビュー、ドキュメンタリー、歴史、エンタメなど、15タイトル以上のオリジナル音声コンテンツをお楽しみください。 

See omnystudio.com/listener for privacy information.

00:01
ライバル物語
ドリフト対コント55号
ナビゲーターは私、内田健介でお届けします。
アイドル並みに増える追っかけ
コント55号の躍進のきっかけは、昭和42年。
当時、若手コメディアンの東流門といわれた東京・有楽町の日劇への進出に端を発する。
萩本錦一と坂上二郎の出会いは
昭和30年代後半の浅草フランス座で
共演して芸をぶつけ合った時期もあった。
2人は41年、コンビを結成。
東流門は東京・有楽町の日劇への進出に端を発する。
東京・浅草の浅草省地区園芸場で経験を積んだ。
日劇ではヒット作となった防止矢をひっさげて
幅が約37メートルもある舞台を
目いっぱい使って暴れ回った。
防止矢はツッコミ役の萩本を司令塔にしたアドリブ主体の
何が起こるかわからないハプニング性に加えて
プロレス張りの大きな動きで爆笑を誘い評判を上げていった。
同年にはテレビに進出。
しかしせっかく掴んだチャンスで2人は試練を迎える。
番組の収録会場の舞台にはマイク1本で
左右の幅2メートルにテープが貼られ
その枠を超えて出てはいけないと指示を受けた2人は
試練でコントを演じた。
だが持ち味を消されて盛り上がらないままに終わった。
挫折感を味わった2人に出演以来は再度やってきた。
テレビに出られなくなってもいい!
舞台のお客さんを笑わせよう!
そう考えた2人は今度はテープを無視して動き回った。
テープが逆に走行する!
番組ディレクターから悪かったのは僕の方。
マイクをたくさん用意して動きやすくするから
もう1回出てほしいと声をかけられたのだ。
時代が2人に近づいた瞬間だった。
日劇に出演中のコント55号の舞台で帽子屋を見て
富士テレビに勤めていた時田久彦。
03:04
この人たちならいける!
コント55号の躍動感あふれる芸に引きつけられ
お昼のゴールデンショーに2人の起用を提案する。
番組開始当時2人はまだ一部のファンにしか知られていなかったが
回を重ねるごとにOLや学生、生徒の追っかけが増え
アイドルタレントのようだった。
こうした事態を各テレビ局が黙って見ているわけはなかった。
同年7月からは他に4本のレギュラー番組がスタート。
その中にはコンビの人気を決定的にしたカラー放送の公開収録番組。
コント55号の世界は笑うも含まれていた。
ザ・ドリフターズも43年1月にはレギュラーで初のゴールデンタイムに進出。
突撃ドリフターズがスタートする。
しかしコント55号の勢いは誰にも止められず
TBSのこの時間枠を独占していくことになる。
お相手は内田健介がお送りしました。
3K新聞社がお届けする戦後紙開封。
最後までお聞きいただきありがとうございます。
番組をフォローすると最新エピソードが自動でダウンロードされるので
外出の際にはデータ容量を気にせず楽しめます。
番組右上のフォローボタンから是非フォローをお願いします。
またアップルポッドキャストでは高評価とレビューをお待ちしております。
是非皆様のご感想をお聞かせください。
松平から徳川への解明を決断した理由とは。
家康の生涯はピンチの連続。究極の選択と決断を順次公開。
3Kニュース 徳川家康100の決断。概要欄のリンクからどうぞ。
05:16

コメント

スクロール