「夢の超特急」といわれた東海道新幹線が昭和39年10月1日に東京―新大阪間で開業してから、今年、令和4年で58年を迎えます。

 東京五輪直前に開業した新幹線が高度経済成長に果たした役割は計りしれませんが、アイボリーホワイトとブルーの車体には、政治的課題を諦めずに解決しようとした経営陣や、最先端技術の開発に挑んだ鉄道マンたちの夢が満載されていました。ただ開業式典には、国鉄総裁として開業に尽力した十河(そごう)信二の姿はありませんでした。

 案内役は落語家の三遊亭楽八さんです。

 

■この番組は
政治、経済、事件、スポーツ、文化、そして風俗・・・。
戦後の歴史の中から、印象深い出来事を再取材して、知られざるエピソード、報道されていなかった面に新たな光を当て、戦後を振り返ります。

 

【原作】「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊)
【番組制作】産経新聞社

 

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00:00
戦後史開封 新幹線開業秘話
第3話 予算超過との戦い
東海道新幹線の建設にあたって、線路の幅や技術的課題などは解決のめどがついたが、建設費用については先延ばしで、その場しのぎが続いていた。建設には最終的に3800億円かかったが、当時の事業計画では1972億円の見積もりだった。物価上昇があったとはいえ、予定の約2倍もかかったことになる。
しかし、開発を主導した第4代国鉄総裁の蘇豪慎二、工事全般を指揮した新幹線総局長の大石重成らは、始めからそんな金ではできないことを知っていた。
第4話 運輸省の記者クラブと課長との懇談会で、記者が課長に聞いた。
新幹線の予算出ましたね。でも国鉄は3000億円はかかるとはじいていたと聞いてますが?そうなの?まあ運輸省でも2000億円以上はかかると見ていたんだけど。
国鉄幹線調査会が新幹線の建設費を発表したのは昭和33年7月のことだった。
東京大阪間を結び、後期は5年。予算は1972億円とされた。しかし国鉄ではこの時すでに3000億円を超えるという試算をまとめていた。
ところが報告を受けた総合は、これじゃ高すぎる、半分にしろと明示だという。これでは国会は通らないと恐れていたためだ。着工してしまえば金はなんとかなる。自分が責任を取れば進む。総合はすでに腹を決めていたのだろうか。
昭和34年4月に新幹線建設工事が始まり、翌年4月には総裁直続の新幹線総局が誕生した。新幹線総局は総合から強大な権限を与えられ、優秀な人材を選抜した。計画から用地買収、施工まで一貫して行う独立部隊となり、新幹線建設を最優先に動いた。
03:00
総合は、権限を諸君らに委任する。いちいち相談せず、どんどん進めてくれと言っており、国鉄内部では関東軍とあだなされていた。しかし、資金不足の問題は常について回った。
国鉄の総裁室で秘書が総合に報告した。
総裁、世界銀行からの融資を取り付けたと連絡がありました。
総合は、できたなと呟いた。
昭和36年、国鉄は世界銀行から290億円の借り家に成功した。
世界銀行の規定では、新技術を使った試験的な事業には融資できないという決まりになっていたが、国鉄側は新幹線はすでに完成された技術の総合と説明し、規定をうまく乗り越えたのだ。
世界銀行からの融資を助言したのは、国鉄OBで終わった大倉大臣の佐藤英作だった。
世界銀行から借りられれば国際的に保証された事業ということになり、政府に予算を求めやすい、との理由からだった。
外圧の利用だ。その意味で世界銀行からの融資は政治的には大きな意味を持った。
しかし、新幹線の資金不足にはやけ石に水で、新幹線総局の現場では綱渡り状態が続いていた。
昭和37年の初め、逼迫する予算問題を話し合うため、新幹線総局の課長補佐5人が東京本郷の旅館に密かに集まった。
おい主局長は2900億円まではと言っていたが、どうだ。
12両編成を6両編成にしてホームを短くしてみたけど、節約してもせいぜい数十億円ぐらいだな。
車両等編成書については一旦メーカーで作ってもらって納品してもらい、予算がつき次第買い戻すという交渉をしている。
幼稚買いしいものがおってる。正確にいくらと言われるとわからないんだが、直感的には節約しても3500億円ぐらいは必要なんじゃないかと考えている。
この日の話し合いを受けて、新幹線総局長の大石に予算引上げを申し入れた。
ある課長補佐が節約方法なども多角的に検討いたしまして、例えばと話し始めると大石は、
ダメ、2900億円でやれと遮った。
昭和38年3月、新幹線工事に対して国会で2926億円への補正が認められた。
新幹線総局の面々が一息つけると安堵したのもつかの間、国会承認から1ヶ月後、さらに800億円以上足りないことが報じられた。
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蘇豪らの強引な思考に反発を強めていた政治家や国鉄幹部が後世に出た。
昭和38年5月19日、新幹線建設予算が大幅に膨らんだ責任を取る形で、蘇豪は総裁を任期満了で退任した。
岸町の島、新幹線総局長の大石らも退任となり、関東軍と呼ばれた新幹線総局は新幹線局に縮小された。
しかし佐藤英作の後任として大倉大臣に就任した田中角栄が建設資金問題を解決した。
第5代総裁に就任した石田玲介の下で東海道新幹線は最後の仕上げに入った。
昭和39年10月1日、東京駅で光一号を見送った国鉄幹部は約60人だった。
着工からわずか5年しか経っていなかったにも関わらず、当初から工事に関わっていたメンバーで出発式に参加したのはテスト路線の最高速度テストに立ち会った加藤一郎一人だけだった。
加藤は祈った。
無事についてくれ。
4時間後、同じ時刻に新大阪駅を出発した光二号が帝国通り東京駅のホームに入ってくるのを見て、加藤は目頭を押さえていた。
お届けしたのは音声ドキュメント戦後史開封新幹線開業秘話の最終話でした。
この作品は平成6年に産経新聞に連載された戦後史開封を再構成したものです。
案内役は落語家の山友邸落八でした。
産経新聞社がお届けする戦後史開封。
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