2022-03-23 08:18

新幹線開業秘話(2) 開発を支えた旧陸海軍の技術者たち

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「夢の超特急」といわれた東海道新幹線が昭和39年10月1日に東京―新大阪間で開業してから、今年、令和4年で58年を迎えます。

 東京五輪直前に開業した新幹線が高度経済成長に果たした役割は計りしれませんが、アイボリーホワイトとブルーの車体には、政治的課題を諦めずに解決しようとした経営陣や、最先端技術の開発に挑んだ鉄道マンたちの夢が満載されていました。ただ開業式典には、国鉄総裁として開業に尽力した十河(そごう)信二の姿はありませんでした。

 案内役は落語家の三遊亭楽八さんです。

 

■この番組は
政治、経済、事件、スポーツ、文化、そして風俗・・・。
戦後の歴史の中から、印象深い出来事を再取材して、知られざるエピソード、報道されていなかった面に新たな光を当て、戦後を振り返ります。

 

【原作】「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊)
【番組制作】産経新聞社

 

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戦後史開封 新幹線開業秘話
第2話 開発を支えた旧陸海軍のエンジニアたち
国鉄総裁だった曽郷慎二が着工にこぎつけた東海道新幹線だが、車両や設備の開発には旧陸海軍の兵器技術が貢献した。
国鉄の鉄道技術研究所鉄研には軍の研究所出身のエンジニアがたくさんいた。 鉄研所長が軍のエンジニアたちがチリジリになるのは国家的損失と運賞をくどき、
約1000人を鉄研に入れたためだった。 海軍出身で世界最高速の爆撃機と言われたギンガや特攻ロケットオーカを設計したミキタダナオもその一人だ。
ミキはこう話した。 飛行機の技術を鉄道に応用することが私の仕事。
日本でもヨーロッパと同じ航機ならば時速250キロで走る列車を作る自信はあります。
ミキが考えた車体は空気抵抗を大きくしていた通風機やバッテリーなどを車体の下などに入れた流線型で、
鋼鉄に変えて軽いジュラルミン系の合金を使うなど、飛行機の設計思想が多く取り入れられていた。
後にコップの水もこぼれずと言われた揺れの少ない新幹線車両の開発にひと役買ったのは海軍出身者。
旧陸軍も負けてはいない。 新幹線の命と言われる自動列車制御装置の開発は陸軍出身者によるものだった。
霧の中を進む輸送船段につける無中航行機や磁気機雷探知機などの開発に携わった経験が生きた。
それぞれの研究成果が新幹線建設の流れを作っていった。
彼ら技術陣の取りまとめ枠として蘇豪は、すでに国鉄を辞めていた島秀夫を副総裁と同格の技師長というポストを設けてくどき落とした。
また部下6万人の西部総支配人から鉄拳所長に移動させられたのは篠原武。
篠原はこう振り返った。 「完全にさせん。一時はやめようかと思いました。」
しかし二人ともすぐに新幹線に取り付かれ、新幹線技術陣は島屋篠原の下、旧軍のエンジニアを中心にいよいよ東京・大阪間3時間半の夢に向けて邁進することになる。
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昭和37年9月、神奈川県小田原市と綾瀬市の間に設置された全長37キロのモデル船を使ったスピード試験が始まった。
10月31日には時速200キロの大台に乗せ、空から取材中の刹那機を新幹線が追い越す映像がテレビで流れて話題になった。
昭和38年3月30日、この日は時速250キロを目指すことになっていた。 運転車両主任の大塚茂は運転士の隣で試験の指揮をとっていた。
運転士が叫んだ。「250キロを超えました!」 大塚は思った。
もし脱線したら自分も骨葉未尽だ。 責任を問われることはない。
運転士はさらに叫んだ。 「時速256キロ!」
世界最高スピードを記録したのだ。
技師が大塚に走り寄った。 大塚さん、蛇行道でレールが曲がっていました。危うかったですよ。
蛇行道はある速度を超えると車体と車輪が左右に大きく振動する現象で、 脱線の原因にもなりかねない危険な動きだ。
最高速度が出た付近の線路を調べると、蛇行道のためレールが曲がりくねっていた。
大塚は新幹線総局長の大石茂を訪ねた。 大石総局長、失礼します。
今日はどうした? はい、実は脱線テストをやらせていただきたいんです。
例えばコンクリートなどに列車が当たった場合、気持ちはわかるが、それだけはやめておけ。 やはりダメですか?
やめておけ。 大塚は事故はいつかは起きると思っていた。
エンジニアとしてコンクリートに列車が当たったらどうなるか、 その他にも想定される限りのトラブルを確かめておきたかったのだが、
やはり許可を下りなかった。
鳥が強化ガラスに当たることを想定したバードテストでは、死んだニワトリをぶつけた。 車両の前にあるスカートのような装置のテストは、ジャガイモを並べてどのように飛び散るのかを試した。
トンネルに入った時などに気圧の変化で耳がツンとする有名な耳ツン現象も、この時初めてわかった。
これらの経験を生かし、営業車両はすべて飛行機並みの機密構造で設計されるようになるなど、次々と改良が進んだ。
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車両設計事務所のエンジニアは、日本の工業技術水準が飛躍的に向上したと、次のように指摘する。
新幹線をやるまでは、工業製品の技術水準はそれほど高くなかった。 各社は好きな製品を独自に作って互換性がなかった。
新幹線は車両では5社、整流器や変圧器などではメーカー3社が中心となって共同設計しており、
工業製品では初めて規格統一で均一なものができるようになった。 世界最高速の電車を見ようと、モデル船には多くの見学者が訪れた。
来舎は中日大使やアメリカのグレン宇宙飛行士らもやってきて乗り、新幹線は世界的な注目を集め始めたが、
建設費用という最大の問題が待ち受けていた。
最終話の次回は、建設費用の苦面についてお送りします。
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