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おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。今日は11月21日、月曜日になります。
昨日、久しぶりにお話をして、ちょっと長く配信しましたけど、
昨日の補足的なところでお話をしたいと思います。
昨日は、中国残留法人に関するイベントに出てきたよという話で、
中国に残留せざるを得なかった人たちのこと、それからその家族のこと、
いろいろコメントをいただいたものも含めてお話をしたんですが、
イベントの中で語り部の方からいろいろお話を聞いて、
そして昨日お話をしたんですけど、背景がよくわからないままいろいろ喋っていたところがあるので、
昨日その後、夜ですね、テレビ番組の録画をいろいろ確認しながら、
中国残留婦人たちの告白というタイトルのNHKスペシャルを再度内容を確認しました。
これですね、今年の9月24日に最初の放送がされたという内容で、
その後再放送されてたのかな、どうでしょう、ちょっとわかりませんが、
どうでしょうね、私一回見ましたけど、そんなに大きな反響がなかったような気がしますよね。
内容はすごかったですよ、内容はすごい内容で、改めて一回見た内容を忘れてたなと思って、
もう一度勉強しましたので、そのお話をちょっとしてみようと思います。
昨日の配信の中で、1950年代に第2回目の帰国引き上げラッシュが起きて、
戦後間もなくの引き上げ戦で帰ってくるという引き上げ戦が一旦終わって、
その後日中の国交がないまま帰国の道が閉ざされていたという状況で、
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50年代に入って帰れますよみたいなことを言われて、みんなどうしようという風になっていったという話をしましたが、
なんでなんだろうねってよくわからないで喋ってましたが、
昨日確認しましたNHKの説明では、背景にはやはり朝鮮戦争というのがあるでしょう。
朝鮮戦争、米中の対立というのが背景にあって、
米中の対立の中で日本をどちらかというと中国の側に引き寄せるための外交カードとして使われたのではないかという風に、
そういう説明がなされていました。
現地の中国に残った方々の体感的なものとしては、
当時の中国の人たちはむしろ日本人に対して優しくて、
人には罪がないという風に言って、いろいろ支援してくれる人たちがいたとか、
あるいは政府もいろいろ食糧支援をしてくれたりして、
結局でも敵国の住民の残った人たちですから、
いろいろ辛い目にもあっているはずですけど、
でもその中で政府は良くしてくれたみたいなコメントも聞かれました。
そういう背景もあり、外交的な状況的にも変えられる方は変えそうかということだったんですよね。
ということになっていたんだけど、
これは何で終わるかというと、
日本とアメリカが接近し、さらには日本と台湾が接近しということです。
つまり外交関係が岸政権になって転換するという説明でしたね。
岸政権になってより台中強硬路線に出るというような状況になって、
いわば日本に帰国する引き上げ事業というのはとんざするということだそうです。
ただ戦後処理というのは帰国戦が出る間も続き、
その後も間接的に続いていたみたいなんですけど、
本当に切実な話だなと思ったんですけど、
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結局書面で来てたというか、都道府県の側から帰国の意思があるかどうかというのを何回も尋ねられてきて、
戦時死亡宣告みたいなのをやっても、
余計がわからない人を亡くなった者として処理するというのが広く行われていたわけですが、
その中で生きている人の中にも、要するに戸籍を抜くわけじゃないんだと思うんですけど、
帰国の意思なしみたいなのを調査していくんだそうです。
帰国の意思がありますか、ありませんというのだけを聞かれて非常に辛かったというですね、
残留婦人の方々のコメントを書いています。
つまり帰国の意思がありますか、ありませんか、イエス、ノーみたいな。
そんな単純な話ではなかったというわけですね。
さっきちょっと言い忘れましたけど、帰国ができるようになって、
中国政府との関係が比較的良好だった帰国できる状況の中にあっても、帰国できるのは本人だけと。
つまり中国国籍の家族、夫もそうだし、それから子供ですよね。
子供を連れて帰るということもできないという中で、
結局中国に残らざるを得なかったという人たちがいて、
その複雑な状況というのはずっとその後も続くんだけど、
そうすると当然帰国しませんっていう人の中にも、
帰国したくないっていう人だけじゃなくて、
帰りたいけど帰れないですよね。帰りたいけど帰れない。
帰るとしたら家族や子供と一緒に帰りたいということですよね。
というような条件付き帰国の意思みたいなのを確認するという作業はほとんど行われないまま、
帰りたいですか帰りたくないですか。帰れません。帰る気がないという風な、
強制的な切り離しみたいなのが行われたというようなお説明になってました。
そうかもしれないですよね。
その後の話の中では、これもちょっと気づいてなかったんですけど、
永住帰国の話の中で、
残留小児と残留婦人の間で、
ちょっと違う取扱いっていうのはあったみたいですよね。
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本当に文革の時代を乗り越えて、
生き延びた人たちでようやく日本に帰りたいと思ったんだけど、
残留小児は80年代の半ばになって、
一気に帰国が進むんですよね。
これ背景には、受け入れの家族の同意を求める問題って、
これが結局大きな障害になっていて、
それは残留法人も残留婦人も同じなんだけど、
結局帰ってきた後誰が面倒を見るんだっていう話で、
それもでもうちの家族と子供の頃喋ったような記憶がありますが、
それはもう分かってたんですよね。
結局その時に帰ってきて、
親族が帰国に同意し、
住居の手当とか病気の世話、生活費の援助をするということに、
親族が同意して初めて帰ってこれるという状況になっていて、
親族がまたそれを渋るんですよね。
日本に残っている家族で、直系の家族が残っていればいいですけど、
多くはおじさんおばさんとかいとことか、
そういう親族関係になっていることが多いじゃないですか。
兄弟でもそうかもしれないですね。
直系の家族っていうのはなかなかいないと。
そうするとなかなか同意を得るのが難しいという状況になっていくんですよね。
昨日見てたやつだと、
残留孤児もそういう条件があったんだけど、
途中からそれが外れて、
みんな身元引き受け人がいなくても帰ってこれるようになるんだけど、
残留婦人はその対応が遅れるんだって。
遅れた結果、結局帰りたくても帰れないという状況に陥り、
昨日見てた話の中で出てきていたのは、
結局送婚するうちに子どもが大きくなってしまい、
さらに孫が生まれるみたいな人もいますよね。
そうなってくると、
子どもたちや孫たちが、
中国で生活基盤を築いてしまったので、
ずっと帰りたいなと思っていても、
帰れるタイミングになる。
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身元引き受け人が必要なくなるのが90何年といったかな。
だいぶ後なんですよ。
その頃にはもうすでにみんな大きくなってしまっていて、
帰れる人がいなくなってしまう。
帰るんですけど。
80年代後半に、
残留婦人の帰国のピークが来るんですけど、
残留婦人はもうちょっと後だったと思いますね。
そういう意味で残留婦人だけ、
実は結構残留婦人よりも残留婦人と言われる人たち、
残留婦人と言われる女性たちの立場というのは、
より気の毒なものがあったということも分かりました。
今日は昨日の補足として少しお話をしてみました。
中国残留婦人たちの告白という、
複大2つの国家の狭間で、
これは2022年9月24日にNHKで放送されています。
たぶんNHKのアーカイブとかには残っていると思いますので、
ご覧になれる方はぜひご覧いただければと思います。
今日新潟の話から少し脱線しました。
でもこれが新潟の話の延長線ということでお話をいたしました。
次回200回目ですが、特に何か新しい企画はやっぱりないです。
皆さんコラボ配信とかやってますけどね、
コラボ配信をやるには、
誰かアプリを入れてくれなければいけないんですよね。
これから検討してみたいと思います。
たぶん200回目普通にやると思います。
今日もどうもありがとうございました。