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戦後史開封
ビートルズが日本にやってきた
第1話 ペートルって何者だ?
ご案内役は私、ナレーターの小杉和則がお届けします。
マッシュリームカットにハッピー姿
4人の若者がにこやかに手を振りながら羽田空港のタラップを降りた
昭和41年6月29日
20世紀のクラシックになると評されるほど数々の名曲を生み
音楽のみならずファッションなどあらゆる面で世界の若者を接見した
ザ・ビートルズの上陸は日本に競争曲をもたらした
さかのぼること3ヶ月前
41年3月のある日
現在の共同東京
当時の共同企画社長の長嶋達次に何の前触れもなくロンドンから一本の電話が入った
ビートルズが日本へ行きたがっているんですよ
あなたにお願いしたい
やってくれませんか?
ビートルズの興業会社ネムズのビッグルイスという男からだった
4年前長嶋はコネクション作りのためニューヨークロンドンパリなど各地の音楽関係者を訪ね歩いたことがある
その時ビッグルイスと知り合ったのだが
ルイスがビートルズの興業に携わり
そしてや自分に日本公演のプロモートを依頼してくることなど長嶋も予想なにしていなかった
今でこそ戦後最大のプロモーターと評される長嶋だが
当時はまだプロモーターという気の利いた呼び名もなく
興業史といえばヤクザな商売の代名詞だった時代
それまでにアメリカの男性シンガー
ナットキングコールなどのプロモートを手掛けていたものの
ビートルズにはぎの足を踏んだ
どうしようかなと思いましたよ
まずギャラが高いだろうと
実際にコンサートのテレビ放映料などを含め10万ドルかかったわけですが
当時は1万ドルでも大変長くなった
何よりもガイタメ法による外貨規制があった時代ですから
ドル枠が取れなければ闇ドルを買わなければならない
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捕まるリスクは大きいし
あんなのを日本に呼びファンに暴動でも起こされたら大変だという気持ちもあった
当時は1ドル360円の固定相場制
長島は読売新聞やチューブ日本放送などに話を持ちかけ
スポンサーとドル確保に目処をつけるやすぐさまロンドンへ飛んだ
交渉相手はマネージャーのブライアン・エプスタイン
話は意外にもあっさりとまとまる
エプスタインは大きな会場ということと
ファンを大事にするため1人6ドル
日本円で2160円以上の入場料は取らないでほしいと注文をつけただけ
あとは収入と経費を見積もってこれぐらいなら払える
ああいいよという簡単な交渉だった
私も採算はあまり考えていなかった
会場はおよそ1万人を収容できる日本武道館に決まる
武道館は日本武道の精神を世界に示す伝道として
読売新聞社の社首で財団法人日本武道館会長の昭力松太郎の提唱により
昭和39年秋に完成したばかり
長島の右腕で当時共同企画エージェンシー代表取締役の内野次郎はこう語る
あの頃どんな大物のコンサートでもせいぜい2000人規模ですよ
今でこそ武道館はもちろん東京ドームを使うのは当たり前ですが
1万人規模の公演はビートルズが初めてだった
ただ武道館は日本武道の伝道として建てられたわけで
しかもビートルズは教育委員会や主婦連などから諸悪の根源みたいに言われてましたから
当初は本当に武道館がビートルズに開放されるのかという心配もあった
そのうちの懸念は5月に入り現実のものとなる
26日一旦は武道館の使用を認めたはずの昭力が突然
ペートルなんとかというのは一体何者だ
あんな連中に武道館を使わせるわけにはいかん
と横槍を入れたのだ
それには前談がある
評論家の細川龍元らが22日にTBSテレビの対談番組
時事砲弾で絵みたいな芸人に武道館を使わせてたまるか
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貴重な外科を使いくだらん者を呼ぶとは何事かと行きまいた
この番組を見た当時の首相佐藤英作も
武道館で演奏するのはふさわしくないのではないかと発言
この話が昭力の耳に入ったらしい
慌てたのは共同企画や読売新聞など主催者側である
何しろ主催者の社主が会場にクレームをつけたのである
昭力は長島都読売新聞事業本部企画部長の村上則之を呼び
初めから言えばよかったんだが会場を宝楽園球場に変更してほしいと求めた
しかしすでにチケットはすり上がり
警視庁も警備に責任は負えないと首を縦に振らない
困り果てた村上は一策を講じ長島にこっそり耳打ちをした
昭力さんも会場を変更できないことは分かっている
そこで形だけでもロンドンへ行っていただき
向こうでは何もしなくても結構ですから
一生懸命やったがビートルズ側に断られダメだったということにして
昭力さんに話してほしい
ロンドンから帰国した長島は手筈通り昭力に報告した
長島は苦笑しながらこう語る
本当を言うとエプスタインも武道館より客が入る
高楽園球場の方が儲かるからやりたがったんですよ
でもこちら側の都合で無理だから
あなたの方で断ったことにしてほしいと頼んだ
申し訳なかったが昭力さんには大嘘もいいところですよ
一方武道館理事長で自民党政調会長の赤木宗則は
武道館使用に柔軟だったが妙な理屈ではあった
僕らもペートルズなんてのは知らんから
そりゃなんだと聞いたらイギリスから勲章をもらった歌詞だっていう
若い娘が騒いで気絶するのもいるってね
気絶するほど感激するっていうのは芸術として最高じゃないか
次回は第2話
ビートルズ対策会議で警備に臨む警視庁をお届けします
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産経新聞社がお届けする戦後紙開封
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