2024-07-08 07:32

人間・田中角栄(1)おやじが倒れた

元総理大臣の田中角栄が亡くなってから30年近くがたちます。裸一貫から権力のトップに登り詰めた「今太閤(いまたいこう)」。行動力と知識がある「コンピューター付きブルドーザー」。そして総理辞任後にロッキード事件で逮捕されても政界を牛耳った「目白の闇将軍」…さまざまなあだ名がありました。その人間性の端々から、一つの戦後が浮かび上がってきます。

産経新聞に過去に連載された「戦後史開封」などを再構成してお届けします。案内役は、落語家の三遊亭楽八さんです。
(令和4年に配信したエピソードの再配信です)

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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戦後史開封(人間・田中角栄(1)
おやじが倒れた、です。
案内役は私、落語家の三友邸落八です。
元総理大臣の田中角栄が亡くなってから30年近くが経ちます。
裸一貫から権力のトップに上り詰めた今太鼓。
行動力と知識があるコンピューター付きブルドーザー。
そして総理辞任後にロッキード事件で逮捕されてからも正解を牛耳った目白の闇将軍。
様々なあだ名がありました。
その人間性の橋橋から一つの戦後が浮かび上がってきます。
産経新聞に平成7年に連載された戦後史開封などを再構成してお届けします。
案内役は私、落語家の三友邸落八です。
昭和60年2月27日、田中角栄の秘書早坂茂雄は風邪気味のため早めに東京都目黒区の自宅に帰っていた。
暑い風呂に入りベッドに潜り込んで間もなく電話が鳴った。
午後5時15分、目白の田中邸に住み込んでいる学生からだった。
先生が倒れられました。
え、畳の上か、廊下か、砂利の上か。
救急車を呼ぶな。東京定身病院の鹿島正明先生に病院の車ですぐ来てもらい。
ナンバープレートは粘着テープで隠して、来客には普段通りに横帯しろ。バタバタ騒ぐな。
早坂は八次場へに出入りすると、アタッシュケースを抱えてタクシーで田中邸に向かっていく。
早坂は、俺が着く前に親父が死んでいたらどうしよう。
俺ばかり考えていました。と振り返る。
学園は渾水状態だった。鹿島や看護船と東京飯田橋の東京定身病院に運んだ。
脇の出入口から集中治療室に入った。
早速脳の写真を撮りましたが、左側は真っ黒。脳梗塞を起こしていました。
右手はダラン、左手はピクピク。言語中枢がやられているなと、安全たる気持ちになりました。
早坂は、手術できるか聞いた。しかし、東京定身病院に脳外科はなかった。
医師の一人が、あの先生に頼めばできるかもしれないと、ある東大教授の名を挙げた。
別の医師が、しかしあの先生は共産党審査ですから、としぶった。
03:03
早坂は、共産党でも何でもいい。まさか宮本健治も反対はしないでしょう。すぐ呼んでください、と叫んだ。
やってきた東大教授に早坂は、手術したら回復しますか、と尋ねた。答えは、ゴブゴブ。
じゃあ、やってください。しかし、手術には家族の承諾書が必要だという。
私のサインではダメですか、と聞く早坂に、教授はダメです、ときっぱり言った。
結局、家族の承諾が得られず、手術は見送られた。
あの時、手術をしていれば、と早坂は後々まで悔やんだ。
その時の様子を早坂はこう語る。
閣営を9階の特別室に入れることになったが、特別室には、前の建設大臣の渡辺英一が入っていた。
渡辺も、田中派の一員だった。早坂は特別室に飛び込んだ。
渡辺は風呂に入っていた。バスタオルを腰に巻いただけの姿で飛び出してきた。
先生、早坂です。申し訳ありませんが、部屋を変わってください。事情は聞かないでください、と頼み込んだ。
渡辺は2つ返事で承知。閣営は特別室に入った。
早坂が、お爺さん、お爺さん、と繰り返しても反応はなく、閣営の目は天井を見つめるだけだった。
早坂は中曽根内閣の総務長官だった後藤田政晴、田中派会長の2階堂を進む。
それに、田中派事務局長の小澤達夫に電話をして病院に来てもらった。
いずれも閣営の腹心、懐がたななどと言われていた人たちである。
早坂は、親父が倒れたことは政局に大きな影響を与えます。ここは嘘800を並べて切り抜けるしかありません。
私が泥をかぶりますから、と説得し、軽い脳卒中として発表することになった。
3人は、それで結構です、と頷いた。
時計の針は午前4時を回っていた。早坂は着替えを取り自宅に戻るため病院を出ると、赤い三角の旗をつけたNHKの車が停まっていた。
知られてしまった。田中閣営の政治生命はこれで終わるかもしれない、と早坂はあんたんたる気持ちになった。
その場で、早坂は閣営の地元、新潟の後援会、越三会の青年部長、星野勲に電話を入れた。
星野、驚くなよ。親父さんが倒れた。詳しくは朝6時のNHKニュースを見てくれ。
星野は妻を起こし、そのまま寝ずに6時まで待ち、ニュースを見た。
06:04
星野は、信じられませんでした。私は前の日、そう、2月26日に目次郎で先生にお目にかかっていたんですから、と振り返る。
星野は26日朝から目次郎の田中邸にいた。珍情のためである。出てきた閣営はすでに赤い顔をしていた。
朝から酒が入っていたんですよ。オールドパーをものすごく濃くして飲んでいました。
秘書が酒を取り上げようとするんですが、聞かないんですね。
これは俺のだ。秘書のを取るなって。子供みたいでしょ。ジャブジャブという感じで飲んでいました。
閣営は、この濃厚促で一命は取りとめたものの、政治家としては致命傷である言語障害に襲われて、影響力を急速に失った。
3年半後の平成元年10月、政界引退を表明した。
星野は、あの時酒を取り上げておけばよかったと悔やんでいる。
第2話の次回は、田中閣営が酒に溺れた訳をお送りします。
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