2024-12-31 13:04

アーカイブ配信|「国際テロの魔女」、2022年5月に出所した重信房子(後編)

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「国際テロの魔女」などとも呼ばれた日本赤軍の元最高幹部、重信房子元最高幹部が2022年5月に刑期満了を迎え出所した。獄中でがんを患い、体調は思わしくないというが、関係者は出所後の動向に注目している。産経新聞で過去に掲載された関係者のインタビューを中心に日本赤軍事件を振り返る。

・元赤軍派議長、ミク友は600人
・娘が見た日本赤軍リーダー「重信房子」の素顔
・対称的な2人の娘
・反省の言葉も
・世界革命目指し中東へ
・メディア露出のための“軍事作戦”
・28歳まで無国籍

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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注目の記事から、産経Podcast
国際テロの魔女、重信房子受刑者が、28日出所。
動向に注目。
元赤群派議長、塩見孝也さん。
自身が出所した平成元年は、バブル景気の真っ只中だった。
70円だったハイライトは、270円になっていた。
学生運動や左翼運動の熱気が失われていたのもショックだったが、
塩見さんは、飲食チェーンやコンビニエンスストアの乱立など、世の中が豊かになっていたことにも驚いた。
以来20年、赤群派結成以降、
閉の中と外の生活を、ほぼ半分ずつ過ごしたことになる。
極中では、革命について試作を重ねる観念的な日々を過ごした。
出所したときはまるで、浦島太郎。
今なおリハビリ中と思うこともある。
みくともは600人。
塩見さんが働く駐車場は駅近くのショッピングセンターに隣接し、
休日はおよそ1000台が利用する。
時給は1000円だったが、4月から福福班長の役職手当で50円上がった。
役職に就くのは、労働者を管理する側に回ることであり、
刑務所でも班長への就任は断固拒否したが、
ここでは仕方がない、と主張する一方。
働くとは素晴らしいことだ。
社民党や共産党の幹部も、理論だけでなく実践したらいい、
と自身の初めての労働を嬉しそうに語る。
車両の誘導自体は単純作業だけど、発見機の操作などは経験も必要。
一番困るのは駐車券をなくした人の処理だな。
掃除のおばちゃんや出入り業者の運転手たちとのささやかな会話も楽しみの一つだ。
最近では自身のホームページに加え、
若者に人気のインターネットの会員制サイトミクシーにも熱中する。
ハンドルネームは予言者。
宗教ではなく社会科学の力で未来を導くという意味、
ミクトモと言うんでしょうか。
ミクシーを通じた若い友達は600人以上いるね、と言う。
しかし、そうした近況について、かつてこの人の思想に青春をかけた世代はどう思うだろうか。
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あるいは、体制側として赤軍派と体を張って退治した人々はどんな感想を持つだろうか。
しおみさんは、
要するに僕のこれまでの生涯は民衆に奉仕するというより、民衆に既成してきたのです。
奉仕されるばかりで、自前の職業的労働すらしてこなかった。
これは情けないことで、よく生きてこられたな、とも思う。
だからこそ、自己労働を幾泊家でもやり、本物の革命家になりたい、と思うわけです。
ミクシーのしおみさんの自己紹介にはこうある。
本業は革命家。
この四五年、隙物が落ちたように物事がすっきり見えるようになり、
複雑ないろんな人間関係をうまくさばけるようになりました。
気作な人間です。よろしく。
娘が見た日本赤軍リーダー、茂信久子の素顔。
日本赤軍の元最高幹部、茂信久子と、
ドイツ赤軍の指導者、ウルリケ・マインホフという、
二人の女性投資の母としての姿を描いたドキュメンタリー映画、革命の子供たち。
映画は、二人にはそれぞれ娘がいるのだが、
テロリストの娘と呼ばれ、時には窮屈な思いも強いられてきた彼女たちの心情に迫った作品だ。
茂信は娘、茂信明の目にどう映っていたのか。
対照的な二人の娘。
この作品の監督は、イギリス・ロンドンを拠点に活動する、
アイルランド人のドキュメンタリー映画作家、シェーン・オサリバン。
政治史に焦点を当てた長編ドキュメンタリーの制作などを手掛けてきた。
作品は、明とウルリケ・マインホフの娘、ベティーナ・ロールへのインタビューを中心に進むが、
ベティーナが母親について冷ややかな思いを轟するのに対し、
明は母への肯定感が強いのが印象的だ。
どちらもテロリストの娘なのだが、
二人の間の差は一体何なのか。
明はこう解説する。
ベティーナさんは、お母さんと交流できる時間が少なかった。
もし、ベティーナさんに直接会う機会が持てたら、
あなたのお母さんは、あなたのことをきちんと考えていたのよ、と話したい。
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ドイツ赤軍は1970年に結成された組織で、
72年の西ドイツ・フランクフルトの米軍兵舎への爆弾テロなどを引き起こしたグループ。
銀行強盗や政府、経済人ら、傭人の殺害、
排着事件など重大事件を次々と起こした。
マインホフは逮捕され、76年に獄中で首吊り自殺している。
娘のベティーナは、母の死をラジオのニュースで知ったという。
反省の言葉も、
現在は中東拠点にプロデューサー、ジャーナリストとして活動を続けている、
という命に取材を行ったのは、平成27年6月。
まず、尋ねたかったのは、母親に対する評価だ。
母親が、無差別テロを行った集団のリーダーと見られていることには、
一方的な見方しかされていない。
なぜそういうことをしたのか、
当時の時代背景なども合わせてみないとフェアじゃない、と語気を強めた。
潜伏生活を送っていた母親とは、
幼い頃から一緒には暮らせなかったというが、
一定期間ごとに母子が向き合う時間も取れたそうだ。
命によると茂信は、
なぜ自分たちのことをこんなに隠さなくてはならないのか、
と聞く娘の疑問にも丁寧に答えていたという。
また、茂信が一連の事件を振り返り、
他のやり方があったらよかったし、
手段を考える機会を持った方がよかった、
と反省の言葉を口にしたこともあったという。
世界革命目指し中東へ
茂信は1970年代、日本の震災翼グループの中でも
最も過激な集団と言われた赤軍派に所属していた。
赤軍派は当時、世界革命を目指すため、
世界各地に国際拠点地を建設する必要がある、
との方針を掲げていた。
一方、茂信は1971年2月にパレスチナに向けて出航した。
国内では過激派として警察当局から徹底的にマークされていた茂信だったが、
命によると、茂信ら過激派グループが中東に入った当初は、
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現地の日本人コミュニティとも親しくしていたと言い、
日本大使館の外交官たちと一緒に野球大会をしたこともあった。
ただ、茂信たちが海外にあっても潜伏生活を送らざるを得なくなる事件が起きる。
72年5月に起きたイスラエル・テルアビブの空港乱射事件だ。
事件では、奥平津吉、安田康幸、岡本光三の3人のメンバーがロッド国際空港、
現ベングリオン国際空港の旅客ターミナルで銃を乱射するなどし、
民間人ら100人以上が死傷する事態となった。
奥平津吉は自殺、岡本は逮捕されたが、
この事件をきっかけに茂信は潜伏生活に入ることになったという、
メディア露出のための軍事作戦。
空港乱射事件は日本赤軍が無差別テロ組織としてイメージされる原点となった事件でもある。
だが、銘はこの事件についてもきちんと理解されていないと主張する。
例えば、事件が発生したときはまだ日本赤軍が結成されていなかったなどと説明。
日本赤軍が関連したと言われる事件のうち、
この事件以降、人が亡くなった事件はないとも強調した。
日本赤軍が繰り返したハイジャックなどの軍事作戦については、
当時はニュースに取り上げてもらうような事件を起こすことで、
自分たちの訴えをアピールしようとしたという意味合いがあると語る。
銘は今はインターネットやSNSなどがある。
だから私は日本赤軍とは同じことはしない。
ただ当時は大手メディアしかニュースを発信できなかった。
軍事作戦はメディアの注意を引くためのものでもあったのですと話した。
28歳まで無国籍
銘は茂信とパレスチナ人活動家の間に生まれ、幼少期をアラブ社会で過ごした。
父親の素性が知られると暗殺のターゲットにされる可能性があるとして、
16歳まで父親が誰であるかは明かされず、28歳まで無国籍だったという。
2001年3月に日本国籍を取得し日本に入国。
国内で予備高校士やキャスターを務めるなどしていたが、
現在はレバノン、ベイルートに拠点を移し、中東の衛星テレビ局のプロデューサーなどとして活動している。
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幼少期は自分の素性を隠しての生活だった。
学校にも実名ではなく、国からもらった仮身分で通学したり、
危険を感じるたびに転校を繰り返したりするなど、
テロリストの娘としてかなり窮屈な思いもしたという。
それでも思春期にも反抗期はなかったという。
姉は、「今になって思うと、それどころじゃなかったんでしょうね。
そんなことをしていたら、誰かを危険に晒すかもしれないと思っていましたから。」
と振り返った。
以上、お届けしたのは注目の記事。
産経ポッドキャスト、茂信久子日本籍軍元最高幹部に関する特集でした。
木村強也がお伝えしました。
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