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戦後史開封 ゴジラ
第1話
それは南海の机上で生まれた。
かつて、どこの学校にもゴジラがいた。
ごつくて強い少年のあだ名は、ゴリラでなければ大抵ゴジラだった。
ゴジラは今年もスクリーンで暴れ回っている。
国会議事堂を倒し、大阪城も潰しながらも、長年愛されてきた国民的怪獣はどうやって生まれ、パワーの秘密はどこにあるのか。
産経新聞に連載された戦後史開封をもとに、昭和29年、映画ゴジラ誕生の舞台裏を紹介します。
案内役は私、ナレーターの中川ムックです。
日本とインドネシアの国交自立がもう少し早ければ、日本映画史を飾る英雄はこの世に出現していなかったかもしれない。
ゴジラ映画誕生のいきさつを探ってみると、こんな戦後処理の問題にまで突き当たってしまう。
昭和29年、春
後に東方映画の会長も務める田中智之は、失意のままインドネシアから帰場の人となっていた。
前年の28年秋、田中は栄光の陰に、というインドネシアとの合作映画をくわだてた。
田中が描いたのは、インドネシアの独立戦争を元日本兵が手助けするというストーリー。
29年春には、谷口千吉監督以下スタッフ、出演者も決定し、ロケ地のインドネシアに出かけるだけだった。
ところが、出演者たちへのビザが出ない。
戦争中のインドネシアに侵攻していた日本が、インドネシアと国交を結ぶのは4年も後の昭和33年。
その頃、インドネシアの日本を見る目は厳しかった。
田中が単身乗り込み、政府と交渉したが拉致は明かず、結局、制作は中止になった。
なんとかこれに代わる企画を考えないと、すでに予算の一部を使い始めていた田中は、切羽詰まっていた。
日本に帰る気中のことでした。
核実験で海底に眠っていた恐竜がよみがえる、という話を思いついたのは、
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少年時代から冒険小説、探偵小説を愛読。
プロデューサーになってからも、外国で多色摺りの動物図鑑や恐竜図鑑を大量に買い込んでいた。
恐竜を扱った特撮映画を作りたいとの思いが強かった田中が、眼下の青い海を眺めているうちに思い浮かべたのが、
数日前に、日本中を震わせたある事件だった。
3月1日、南太平洋ビキニ環礁近くを航行していたマグロ漁船、
第5福龍丸がアメリカの水爆実験に遭遇し、船員が被爆した。
この事件で、核汚染マグロの恐怖が募り、日本国内は大騒ぎになっていた。
人間が作り出した核に、人間が復讐される。
その恐怖を映像にできないものか。
田中が早速、森岩を製作本部長に口頭で説明したんです。
海底2万マイルから来た大怪獣、という仮タイトルでしたね。
聞き終わった森さんは、面白そうだから進めてください、とあっさりとしたものでした。
森は、映画評論家からスタートし、昭和39年から東宝の副社長を務めた日本映画史に残る大プロデューサーである。
その森のバックアップもあって、企画は潤沢な資金をもとに急ピッチで進められていった。
原作は、オランペンデクの復讐、などで人気があった探偵小説家の香山茂に依頼した。
監督は本田石郎、つぶらや英二を特技監督に選んだ。
3人とも今は個人となっている。
その頃、東宝社内にグジラというニックネームの社員がいた。
ゴリラとクジラをもじったもので、その後、長年にわたり親しまれることになる怪獣の名前は、この社員がいたおかげであっさり決まった。
G作品。企画はこんな秘密名で進められていった。
だが、その形状が定まるまでには2ヶ月を費やした。
小さなスタジオで70センチくらいの模型を作っていて、私は3日に1回は見に行っていましたね。
最初は全くの恐竜だったけど、あんまり怖くない。
鱗をつけたり、背びれをつけたりと試行錯誤の連続で、ようやく7月上旬に最終の形に決まった。
女監督を務めた元東宝テレビ部映画プロデューサーの梶田浩二はこう振り返る。
主役に抜擢されたのは、前年に東宝ニューフェイスとして映画界入りしたばかりの宝田明だった。
おい宝田、今度はいよいよ主役だってんで、胸が爆発しそうに喜んだものです。
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で、セットに入った時、主役をやらせてもらう宝田明でございますと挨拶したら、スタッフにバカ野郎、お前が主役じゃない、主役はゴジラだと言われギャフンとなりましたよ。
後に2枚目俳優として名を馳せる宝田は苦笑するばかりだ。
文字通り暗中模索の映画作りだった。
田中自身、こんなに続くとは思わなかったと認める。
昭和、平成を経て、令和の世になった現在でも人気を集めていようとは、誰も予想しなかったに違いない。
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