それを見て、そうまさにそれって思ったんですよ。
私ね、この番組を始めるきっかけがSpotifyさんのサウンドアッププログラムっていう、
女性ポッドキャスターを育成するっていうプログラムがあって、それに参加したんですけど、
そこでね、前期の講座の最後に番組のコンセプトとか台本なんかを作って提出もしたんですよね。
今ね、それを引っ張り出してきてみますとね、今の私の番組も最初に主婦の目線で世間を見るとか言ってみたり、
最後は皆さん評価とかお願いしますねみたいなことを提携文を前と後ろにつけて言っていますよね。
これが当時作った台本はちょっと違っていて、最後に作った提携文が特に全く違うんですよね。
その幻の提携文を読んでみますと、
主婦の目線を知ることで社会を除く新しい窓を一つ足してもらえたら、
それぞれの生き方の選択をみんなで尊重し合える社会でありますようにとの願いを込めてこれからもお送りします。またぜひ聞いてみてください。
こういう文章を作っていたんですよね。
まさにこれが言いたいことというか、番組として目指すところだったんですよ。
この幻の文章はコテンラジオの樋口さんとか、アジナフ婚姓の平野さんとお話をする機会もあって、
そういう中でこれはあえて言わないという判断になったんですけれども、
でも当初からこの思いっていうのはずっと変わらないわけなんですよね。
当時私が考えた中にね、それぞれの生き方を尊重し合えるダイバーシティ社会を目指すとかね。
主婦の存在、主婦という仕事、生き方ひいては賃金のない少ない仕事をポジティブに受け取るリスナーが増えてくれること。
これね、ケア労働のことですよね。そこをやっぱりずっと考えていきたいなっていうところもあって、発信を始めたんですよね。
これはね、別に主婦っていう仕事こそ正しい生き方とかね、そういうことを言いたいわけでは全然ないんですよ。
むしろ正解なんていうのは本当にないんですよ。
いろんな人がね、それぞれの環境だったり思いだったりで人生を歩んできているわけですよね。
しかもそれってその時々で変わるから、それを今時はこうするべきとか、これが正しいとか、いやそれは違うとか。
これって例えば主婦と我儘との対立みたいな、そういうのが分かりやすいですけど、そうやってカテゴライズして分類するっていうことが分断を生んで、それが対立になってみたいなね。
そういうのがすごい嫌なんです。嫌だなとずっと思っているんですよ。
そんなのね、一番いい形、その家庭、その方、その個人によって一番いい形っていうのは同じになるわけがないんですよ。
女の特性も違うし、人間それぞれで違うわけだし、それが家庭になったらなおさらいろんな人の掛け合わせで、夫だったり子どもだったりいろんな掛け合わせで、それぞれにとって一番いい形なんてそれぞれ違うと思うんですよね。
そんな同じになったらむしろ怖いと思うんですよ。
やっぱり賃金労働を稼ぐ、稼がないみたいなところ、お仕事っていうところがすごくクローズアップはされるわけなんですけど、
この仕事がどうっていうのは、その人一人個人の人間がいて、その人のものすごいそれがウェイト大きいですっていう人ももちろんいれば、生きていく上でそれはそんなに大きくないっていう人もいるだろうし、
いずれにせよ、それがその人のすべてを形作っているわけではないんですよね。
仕事がその人の人格のすべてではないし、人生は仕事がすべてではないと思うんですよね。
この対岸の家事にも出てくる、専業主婦は絶滅危惧種っていうワードね。これね、実際私も言われたことがあるんですよね。
正確には直接私にあなたは絶滅危惧種ですっていうふうに言われたわけではなくて、私がやってる子どものための家事ですね。
具体的にはアイロン掛けだったんですけど、それについて将来の子どもの結婚相手で、今時そんなことをしてくれる人は絶滅危惧種だから、だから今から子どもにそれは全部子どもで、自分自身のことなんだから自分でやらせるべきっていう言い方で言われたんですよね。
だから専業主婦は絶滅危惧種だっていうことをおっしゃっていたわけですよ。
そのご家庭はご夫婦で同じ会社で、大きく言うと同じ立場で働かれている家庭で、そのママさんの方に言われたんですよね。
それを聞いて思ったことは2つあって、1つは子どもがするべき家事の量っていうのはどれだけなんだろうっていうところ、せんびきはどこなんだろうっていうことを考えるきっかけにもなったんですよね。
うちの子は洗濯物干しはほぼ毎日やってるんですね。家族みんなで一緒にやってるんですけど、それとたまにご飯の手伝いとアイロンがけはやってくれているんですよね。たまですけど。
そんな中で、自分のものでしょうっていうことで、このアイロンがけを日課にするべきなんだろうかっていうところ。
でもご飯の用意は親がするよね。アイロンがけ、その境目はどこなんだろうと思ったんですよね。
もう1つ思ったのは、こんなふうに普通にさらっと話題になるほど、この絶滅危惧種っていうワードが社会的に浸透をしていて、言ってもいい言葉として認識されてるんだなっていうところですよね。
私に言った方も当たり前のことっていう感じで発言されていて、全然人を傷つけるなんていうことを疑っている様子は全然なかったんですよ。
でもこの絶滅危惧種っていう言い方って、明らかに悪口とまではいかなくても、マウンティング、人を見下すための言葉ですよね。
これで思い出すのは、自分自身の発言ですよね。昔、母は亡くなったんですけど、昔、将来の話をしてた時だったと思いますね。
高校生だったか、大学生の時だったか、ちょっと覚えてないんですけど、私は結構忙しい職種業界を目指していて、っていう話の流れだったと思うんですけど、全然喧嘩とかではなくて普通に話す中で、
お母さんみたいな専業主婦にはならないって私、母に言ったことがあるんですよね。
その時の母は、それに対して怒るわけでもなくて、落ち込むとかでもなくて、笑い飛ばすでもなく、悟すみたいな感じでもなく、うーん、そうなの、みたいな反応でしたよね。
私ね、その時、専業主婦は暇があってのんびりしてる、みたいなね、そういう意味合いでいたんですよね。
うちの母は、自分でもぼーっとするのが好きって言ってみたりとか、すごくキャリアにこだわって、上昇志向を持つべきみたいな、そういう感じではなくて、いつも穏やかな人だったんですよね。
別に専業主婦になれとか、キャリアを積めとか、仕事に関するそういうことはね、言わなかったですよね。
私、母のことをずっと専業主婦だと思っていたんですよ。母はね、すごい家事全般完璧にする人だったんですよね。
実際はね、我が家って自営業だったんで、母は父を手伝っていて、仕事をね。事務作業だったり、それ以外もしてましたね。
そうやって仕事もやっていて、だから形としても専業主婦ではなかったんですけど、うちの母のことを私は主婦だと思っていたんですよね。
そういう発言をしてしまったと。
私自身はバリバリ働くっていうことに憧れてもいましたし、実際バリバリ働いたと言えると思います。
バリバリって言い方が古いですけど、新卒で入った会社っていうのが、幸せなことにやりたい仕事、挑戦しがいのある仕事っていうのをね、次々やらせてくれたんですよ。
だから本当にすごく忙しかったけど、でも充実していたんですよね。
だから仕事の良さっていうのもわかるし、仕事を大事にする生き方もたくさん見てもきたし、自分でもそういう生活をしていたから、すごく理解もできるし、当然尊重したいと思うんですよ。
これもちろん家庭がある場合っていうのは、家族の中でのバランスっていうのを家族で相談しながらっていうのは必要だとは思うんですけど、当然尊重されるべきだと思うんですよ。
けど結局私自身は、結婚した後の一番の優先順位っていうのは、家族の時間だったんですよね。
そうしてもはや私の人生において専業主婦時代の方が長くなりました。
対岸の家事ではね、家事が大変なものだっていうのを随所で強調されていました。
家事は下に見られてるっていうのもセットで出てきましてね。
また一つ時代が進んだっていう感じを受けましたね。
私自身も主婦になってから、主婦の仕事の大変さっていうのを思い知ったんですよ。
それまでは実感もわかないし、特に学生の頃なんかはね。
でも働き始めてからもですね、全然大変さっていうのはわかっていなくて、母に甘えていただけでしたよね。
私の母はね、特に掃除も常日頃からきっちりやる人だったんですよね。
今のね、うちの我が家とは違って、母のいる家はいつ誰が来てもね、もう大丈夫っていうお客さんはいつでも来られるっていう、そういう家だったんですよ。
それはベースとしてあって、実家に行くと私たちがね、子供を連れて行ったりして、実家に行くと、
私たちの分の布団の用意、カバーをかけるだけで大変ですよね、あれね。
大変力もいるし、大きいしっていうところなんですけど、それもね、全部やってくれていましたし、料理も何品も作ってくれたりして、これはでも本当に普段からそうなんですよね。
私なんてね、せいぜい2品作るくらいなんですけど、ちょっと野菜の付け合わせを一品増やしたりとか、そういうことをしていてね、実家に行ったときは特にそういう姿を見るわけなんですけど、いつもあれやこれやと動いてくれていました。
今ね、私が同じことをやろうとしてもできないですね。だから母は専業主婦でさえなかったんですけど、私よりも断然家事のプロで一生懸命やってましたよね。
私が当時仕事だけに打ち込めたのも、母の家事があったからですし、結婚してからの育児でもね、一時期は母の近くに住んでいたときもあったんですけど、近くって言ってもどうだろう、30分くらいの距離で住んでたときもあったんですけど、
そのときはね、本当に助けてもらいまして、母の家事力がなかったら乗り越えられなかったですよね。もう実際イランにいたときも子供が小さくて、夫はもう他の国に出張に行って全然帰ってこないしね。もう孤独と不安でテンパってみたいなこともありました。
全然楽な仕事ではないですよね。私自身も会社で働いていたとき、当時の仕事っていうのは向いていたと思うんですよね。会社の人間関係も良かったですし、恵まれていたと思います。
何ならお仕事、主婦よりも向いていたかもしれないと思いますし、別に全然私は家事が向いているタイプでもないんですよ。すごい家事が好きというわけでもないんですよね。結婚相手がドタさんじゃなかったら、お仕事を続けていた可能性が高いと思いますね。
だけど、今の家庭の中で家族の時間を大事にするためには、と考えると、やっぱり私は特に育児ですね。しっかりやりたかったし、向き合いたかったし、すごくいい時間を過ごせたかなと思うんですよね。
主婦って確かに人と話すことっていうのは少なくなりますし、企業の論理みたいなのからは遅れを取りますよね。
だけど、私は決して後ろ向きに主婦になったわけではないんですよ。実際、会社を辞めてから今に至るまでの自分の人生っていうのは穏やかで、でも刺激的で、クリエイティブであったと思うし、エネルギッシュで、何より愛情に満ちた時間だったなと思うんですよね。
だいぶ子育てが、これで二人中学生になりますと一段落しまして、ここまでの期間は本当にいい時間だったなと思うんですよ。
いろんな人のいろんな考え方があって、私自身は人生が決まってしまう先が見通せるっていうことの方が怖いんですよ。
どん詰まりって名古屋弁ですかね。意味わかりますかね。そこで終わりが見えるというか、どん詰まりが怖いんですよね。
でも夫とだったら、どこにでも飛び出せるというか、自由に生きられる、そう思ったんですよね。
私にとって家っていうのは安心できる、すごい大好きな場所だったんですよ。
この間、次男が家に帰ってきたときに、やっぱり家は落ち着くなって言ったんですよ。
今の私、全然家事は完璧ではないんですけど、でも子どもが落ち着ける場所を作れているんだったら良かったなって、それを聞いて思ったんですよね。
だから子どもたちにもありがとうって、そう思ってくれてありがとうって思いました。
私、ここ数年、特に料理をおろそかにしてきていまして、もう時短料理ばっかり作っていたんですよね。
本当、手際がいいと言えば聞こえはいいんですけど、すごいチャチャッと作ってチャッと出すみたいな感じで料理をしていたんですけど、
でも最近、わざわざコロッケを手作りしてみたりとか、餃子を久しぶりに包んで焼いたりとか、グラタンを大皿で焼いたりとか、全然大したことはない料理で恐縮なんですけど、
そういうのを最近作ったときに、子どもたちも夫もすごいおいしいおいしいって言って喜んでくれたんですよ。
コロッケなんかね、次の日のお弁当に入れたら、子どもたちが2人とも別々に帰宅したんですけど、一番にね、今日のお弁当のコロッケおいしかったって言ってくれたんですよ、お弁当箱を出すときにね。
自分としては全然自信作っていうことではなかったような料理でも、そうやって言ってもらうと、なんかちょっと頑張った甲斐あるなとかね、また作ろうって思える。
そういうことが幸せだなって思うし、改めてね、カジの温かみみたいなものを、ドラマもきっかけで改めて私自身も思ったりしたんですよね。
そんな私、綺麗好きではないんですよね。ちょっと誤差としちゃったりもしますし。だけど不潔は嫌なんですよ。不潔になってるのは嫌で、気持ちよく生活をしたいんですね。
カジってやっぱり必要で、私自身が、そうは言ってもね、見失いがちなカジの価値っていうものをちゃんと分かっていてあげたいなって、私自身が分かっていたいなっていうことを、
ドラマを見て思ったりもしました。家庭で見ると、やっぱりカジがあってこそのお仕事でもあるだろうし、もっとカジに対する価値観を見直したら、生きやすい優しい社会になるんじゃないかなと思うんですけどね。