さあ始まりました。ピカピカFMの志郎です。
佐々木です。ピカピカFMは、アニメ、漫画、ゲーム、映画など意味のあるエンタメトピックについて、時間を忘れて朝まで語るようなテンションでおしゃべりする番組です。
さあ、というわけで今回のトークテーマは、初めて観た黒澤明監督用心棒です。
よっ!やるよ!
うん。
いやー、この企画なんですけども、黒澤作品まだ観たことないんですよ。
ねー、実はないんだよねー。
言うてもさ、七人の侍とか羅生門とかさ、タイトルは聞いたことあったりさ、その資料映像とかでさ、ちょっと観たことあったりとかはするじゃん。
そう。
たぶん誰しもね。
うん。でも観てない。
だからさ、いつか観ないといけないなーとは思ってはいたいんよ。
なんか義務的なね、強要としてというか、それこそキューブリック作品を観なきゃみたいな感覚と同じような感覚で、黒澤明監督も世界に名高い監督だから観なきゃなーとは思いつつ、まだ観れてない。今続いてた話かな。
うん。っていうことを話してみたら相方もまだ観てないって。
じゃあピカピカでちょっとやりたいなーっていうのは。
見ずにやってたんかって話だよね。
逆にここまで来れたよ。
っていうのがありつつ、もう一つ、ちょっと風の頼りで、妖神坊はどうやら面白いらしいっていうのを聞いて、じゃあだったらピカピカで黒澤明一発目、妖神坊ちょっとやろうじゃないかと思いまして、今回に至りました。
はい。見てきました。
率直な感想。
すーごい。これに尽きた。
率直だな。
というわけで、何がそんなに良かったのか、すごかったのかっていうのを話していこうと思うんだけど、まあ一応その前にね、妖神坊の概要からちょっと話していきたいなと思います。
妖神坊、1961年の作品で黒澤明監督作品で、モノクロ映画になります。主役は三船俊郎さん。もうレジェンドですね、俳優さん。
物語としてはですね、ヤクザと元締めが対立する錆びれた宿場町。そこに一人の老人がやってくる。
早くこの町を出て行った方がいいと立ち寄った居酒屋の主に言われた彼は、自分を妖神坊として売り込みを始める。
やがて男を巡って二つの勢力が対立を深めていく。
桑畑三重郎が町で対立するヤクザ同士を衝突させて壊滅させようとする物語です。
まあ感想としてはなんだけど50年以上の前の作品をさ、今でもいい映画だったと思えたことがすげーなと思ったよね。
50年60年間も普通に見れちゃったんだよね。
俺の感想も言っていい?面白かったのよ。面白かったっていうのは興味深かったっていう意味じゃなくて、エンタフ作品として楽しんだんだよね。
最初はさ、これ映画見ましょうってなった時にようやく思い越しを上げてみるかっていう意気込みだったんだけど、
いざ見てみるとさ、普通に面白いというか全然今でも見れる。
全然今でも見れるっていうのは60年前っていうのを差し引きしたら面白いって意味じゃなくて、あの面白いのよ。
普通に見れちゃうんだよね。
だからこれを一作品しかまだ見てないけど黒沢明監督作品が、そりゃ世界の黒沢って言われるんだなってもうなんか納得したよね。
うん納得。そりゃ誰もがすごいよって世界の日本外からそりゃもう人たちも言うわそりゃって。
じゃあ俺の方から感想言うと、映画全編通してなんだけど、最初の方っていうのはちょっと身構えてたんだよね。
黒沢明監督作品ってすごいっていう話は当然聞いてたからさ、それの同じ感覚、さっきキューブリック監督のようにっていう話をしたけどさ、
キューブリック作品を見るような心構えでちょっと見始めたのよ。
激烈なグロテスク描写だったり、あるいはちょっと頑張って内容を理解、噛み砕かないと映画についてけなくなっちゃうみたいな。
っていうのももしかしたらあるかもしれないな。何てその60年以上前の映画だったか。
っていうような心構え、心づもりで見始めて、そしたら映画始まって、まず音楽がちょっとモダンだったことにびっくりしたね。
グラスバンドっていうか、オーケストラが混じったような、ズンチャーズンチャーみたいな。
時代劇で描かれるような感じともまた違う感じの、でも時代感を表すような曲がまず使われてて、めちゃくちゃモダンじゃんって思ったよね。
でかつ、最初は主人公の桑原さんじゅうろうのアップのシーンから始まるんだけど、ずーっと顔が映されないのよ。後ろ姿みたいな。
それがずーっと続いて、ようやく2分か3分か、映画冒頭のスタッフロールっていうの、スタッフ紹介、キャスト紹介のシーンが終わって、ようやくポツッと後ろの方で顔が見れるみたいな状態だったからさ、演出としてね。
だからなんかもう最初から引き込まれちゃったんだよね、その映画の世界に。
うん、わかるわ。最初からはおしゃれだなって。よくこんなのずっとロングショットで、ずっと長回ししてるなと思ったな。
内容自体も、お話が始まってからっていうのを、普通にセリフが若干昔の映画だからというのは聞きづらいのはあったかもしれないんだけど、でも全然そのストーリーが頭に入ってくるし、なんといったらそのストーリーがすごく面白いっていうか、どういう展開にこの後なるんだろうってワクワクさせるような。
かつちょっとコミカルっていうかさ、当人たちからすると必死な問題なんだけど、ちょっと漫画チックな感じでもあったんだよね。それはそのストーリーもそうだし、絵面っていうのかな、ワンシーンワンシーンの印象が、漫画の小回りっぽいという言い方がちょっと妥当なのかわかんないんだけれど、かっこいいんだよね。
気に取ったらかっこいいって思えるようなシーンが多くて、だから絵的にもすごい魅力的。ストーリーも絵も面白かったら、まあ見るよねっていう。その流れでもう最後まで一気に見ちゃったっていう感じかな。
共有のためにとかはもうどっか行って、普通に映画のこの展開どうなるんだろうみたいなのを楽しんでたっていう感じかな。っていうのが、まあすごいざっくりだけど、ヨウジンボーの感想とか。だから、もっと黒沢監督作品を普通に映画として見たくなったという思いが強い。
このシロはどうだったんですか?
言えてることがもうかぶっちゃうとは思うんだけど、単純に2つポイントが俺の中であって、ストーリーが面白いっていうところがあるんだけど、ちょっとここからはネタバレしていくんで、気になる方ぜひとも一回見てほしいんだけど。
普通に映画として面白いからネタバレをされる前に見た方がいいかもしれない。
冒頭から始まっていくと、サンジューロっていうのが主人公になるんだけど、サンジューロが立ち寄った居酒屋で、この街はやばいっていうのを聞くのよね。
そこの宿場町の元姉妹とヤクザが対立してて、それが今現状泥沼状態だって。宿場町の元姉妹のセイベーっていうのが、後継ぎをどうするのかっていう問題があって、後継ぎを息子に決めるんだよ。
ただ、死に主翼に走ってて、もう頼りない息子なんよ。そいつが。そいつを選ぶなんてどうかしてるというのを、セイベーの一番弟子の牛トラが怒るんよ。それで怒っちゃう。
そこで欠別してしまったがゆえに、セイベーと牛トラが両方とも成らず者を雇って、それで後継状態が続いているっていうような感じだよね。
居酒屋からしたら、商売上がったりなんだよね。こんな状態じゃ。だから、お前さんもここ離れた方がいいよとサンジューローに言うんだけど、サンジューローは飯を送ってもらった代わりにこの問題を解決してやるということで、
サンジューローはセイベーのところへ行ったり、牛トラの方へ行ったりとして、養人房として俺を雇いと言って、って言いながら、その二人ともを伴われさせようとサンジューローは動くんよね。
だから、サンジューローの剣の腕がすごい立つから、どっちの派閥もサンジューローを自分の方に引き入れたいと。で、サンジューローはそのことが分かっているから、両方に肩入れしているように見せかけて潰し合いさせようというコンタなんだよね。
この設定だけでおもろくない?と思って。
びっくりした。スパイモノじゃんって思ってさ。
本当そう。これさ、普通にさ、現代バージョンにアップデートしてもさ、この設定でストーリー作れちゃうんだよね。
スパイアクション映画よ、これは。
うん。もうこんな設定がさ、もう50年以上前の作品とはもう到底思えなくてさ、それがすげえなって思ったのと同時にさ、こういう誰しもが楽しめる。それが時代を越えてもっていうところも含めて、その大衆的であるっていう意味でのそのポップさを作れるクローサー監督ってやべえじゃんと思って。
そりゃさ、もう時代を越えてもさ、世界に名前を轟かせる人だわってちょっと感心しちゃったんだよね。
エンタメとしてピカイチっていうので流し入れてるんだっていうのをこの映画を見て初めて心が入ったというか、そうかって思った。
うん。だからもう、やっぱ先入観としてちょっと硬い映像なのかなって。
分かる分かる。
思ってたんだけど、全然もうめっちゃポップじゃんっていう。
ねえ。
もう見方によっちゃパフュームだぞこれと思ってさ。
どういうことよ。
ちょっと突っ込まざるを得な。
いやでもすごく分かりやすいじゃんって思って。
それ。
で、だしそれがもういつの時代でも今60年以上前の作品でも今でも十分見れるって。
やべえことしてんなあと思っちゃったよね。
ね。
多分50年後でも見れると思うもんね。
多分見れる。
それはすごいわとは思った。
で、もう一つがすげえなと思ったのが、その絵作りも絵作りもその現代でも、なんだったら現代にも匹敵するぐらいの技術だなと思ってて。
なんかおかしいなって思ったカットが一つもなかったよね。
なんかさ、時々現代人が昔の映像を見ててなんか変な映像だなって思うことちょっとあったりした。
なんかシーンの繋がりがパッと切り替わって、今どうなってるんだって違和感持ったりとか、
同じその場所は同じはずなのにカメラのカットが切り替わると、あれこれ人物どっちが話してんだみたいになったり。
っていうのがありがちなんだけど、一回もそういうのはなかったなって。
そうそうそう、それがないって異常じゃない?
俺ね、映画見ながら思ったんだけどさ、その異常率っていうの、それがすごいことですっていうのをどうしたら伝わるのかなって。
つまりさ、現代だったらよ、この2020年代だったらカメラをたくさん用意しといて、
同時に回してさ、使えるカットを使えそうなカットを使うみたいな手法もお金があればやるだろうし、やってると思うのよ。
デジタル映像だしね。だったら。
けど当時さ、これフィルムでしょ?フィルムでそれやるって、分かんないどれくらいカメラ回してたのか知らないけどさ、相当できないよって思うわけ。
失敗もできないし。だから使えるものを使うにしてもその使う材料自体が少なくなるはずだから、
めちゃくちゃこう事前にプランニングするっていうのをやってないと撮れないと思うんだよね。映像自体。
お芝居のタイミング合わせっていうか、その役者さん含めてなんだけどさ、決め、もうカッチリ決めてやってるのかなーっていう気もしている。
まあ、よっぽど本当に時間も金も超使ってやってるんだろうなっていうのは感じるし、
いかんせんこの映画の場合は縦シーンが多いから、相当入念なリハーサルを積んでやってるんだろうなっていうのは感じてるよね。
見てたら分かるんだけど、ロングショットがすごく多いんだよね。ロングショットっていうのは、
石カットも長いっていうのもだし、引きが多いんだよねっていう。
元締めと役者が対立するときに横並びになんだよね。それを手前と向こう側で横並びにずらーっと並んでる。
それを映すにはもう普通の画角では撮れなくて、望遠レンズとかで撮らないとちゃんとくっきり映らないかったりするんだけど、
っていうぐらいフィールド全体を映せるってことは、それ相応の望遠レンズと入念なリハーサルがないとカメラでも追えないっていう感じなんだよ。
だから今だとそれが分かりやすく、これが伝わりやすくなるのか分かんないけど、野球とかの観戦とかでピッチャーとバッターがいたとしてさ、
カメラの位置ってどこなんていうところをみんな想像してほしいんだけど、グランドがあるよねと。
グランドの外のところからカメラ回してるよね。めっちゃ遠いよねっていう。
バッターからの距離めっちゃ遠いよねっていう。その辺ぐらいから撮ってるんよっていう。
それを肉眼でまず見れないじゃんっていう。
それを望遠レンズで覗かないとやっと分からないっていう。
だとしたらちょっとみんなリハーサルいるよね。
ちゃんと何を追いかけない。どの主人公を追いかけないといけないから。
だとしたら主人公を追いかけるためにめちゃくちゃリハーサルしないと分からない。
だとしたら相当金もかかるよねっていう。金も時間もかかるよねっていう。
えぐいよね。
そういった感じできっちりと決めて多分やってるっていうのがあるから、
おかしなカットはなかったなっていう。ちゃんと決まって映像ばっかりだったなと思って。
こういう絵を撮りたいっていうのが先にあって、それをどうにかして実現するみたいな方向で撮ってるんだろうね。
あとそれだけじゃなくて、さっきも話したんだけど、絵作りもすごいなと思って。
結構冒頭なんだけど、三重郎が宿場町にやって来るし、やって来たら観参としてるんだよね。
観参とはしてるんだけど、その宿には多くの人たちが窓越しに三重郎を見ているみたいな。
窓を開けてパッと見てる。誰だ誰だみたいな感じで見てる。
なんかやってきたぞって。
でも観参として三重郎は大通りを一人だけスタスタ歩いてる。
これだけだと不気味な雰囲気だけは伝わる。
でもこれだけじゃ物足りない。
ということで何したかっていうと、さらにそこから犬が人間の手を加えて通りを歩いているっていうワンカットを挟む。
このワンカットを入れるだけで、この町なんかやべえぞっていう風になる。
その演出をワンカット入れるだけで演出が入っているっていう。
50年以上前だぜと思って。
そんな演出浮かぶんだと思ってさ。
別にいつの時代にあってもいいとは思うんだけど、そんなの昔から浮かんでるなと思って。
とか、さっきも話したように横並びになってにらみを聞かせ合ってるじゃん。
そんな静かだけど緊張状態の中、激しい突風で土ぼこりが舞ったりするじゃん。
なんか西部劇っぽい感じじゃん。
しかも横並びになってるあの絵めっちゃかっこいいってなるじゃん。
もう俺プリントTシャツであれないかなと思ってさ。
なんかありそうじゃないと思って。
それぐらい魅力的な絵なんだよね。
あれめっちゃにいいなと思って。
だからもう完全にこの絵を撮りたいっていうのはまあわかるよね。
あとクライマックスで居酒屋のおっちゃんが牛トラに捕まったって聞いて
それで三重牢を助けに行くよね。
するとそのおっちゃんが縄に縛られててつらされてんのよ。
で、そのおっちゃんの奥から三重牢が起こりながら歩いてくるっていう
この一枚絵、絵作りがめっちゃいいなと思って。
これ50年前だぜって。
やっぱり映画全編でさ、絵作りに関して言うと
奥行きの使い方がすごい上手いなって思うんだよね。
俺はさ、いい映画っていうのは
良い映像作品で奥行きの使い方が上手い作品が多いなって思っていて
要はその横並びで画面構成を考えた時にさ
左と右に人がいてっていうのは普通に思いつくし
よくあるような構成だと思うんだけど
なんかテーブル囲んでおしゃべりしながらご飯食べててみたいなのを
それをそのまま映すみたいな。
だけど画面の手前と奥の方っていうのを意識してる映像作品って
なんて言い方すればいいのかな。
考えてないとできないなって思って。
適当に撮ったらそうなりましたってことってまあまあなくて
手前にはこういうものがあって奥からこういう人物が来て
それを手前の肩腰に舐めるように撮るみたいなことを
考えてないとそういう絵って通常撮ることができないと思う。
その流れを考えてないと。
それが何回も使われるなと思って
この用心本の中では手前から奥に行ったり
奥から手前に来たりっていう映像手法っていうのが
上手く使われててさ。
奥の方から手前に来るっていう映像だったら
誰かがね人物が来るっていう映像だったら
徐々に人物の姿形とか顔つきとかが分かってきて
みたいなところで注目させてるし
あと手前と奥で起こっていることが違う
例えばよくあるシーンだと
飯屋、居酒屋の中にいながら窓越しにっていうのかな
奥の方で起こっていることを見て
状況を把握するみたいなシーンが結構描かれてたと思うんだけど
そういう向こうで起こっていることと
それを見て反応している人たちっていうのが
多分視聴者の代わりみたいなところもあるんだろうけれど
そういう役割分担みたいな使い方も
良かったなーって思った
映像には足んないのかなっていうどうしてもちょっと編集が
当たり前になりすぎているような気がするっていう点ではやっぱこういった
舞台の使い方っていうのはちょっといまいち
考えた方がむしろ面白いんじゃないかなとか感じたね
多分そっちの方がかっこいいってなるんだろうなっていう気もしたんだよね
やっぱり
やっぱ多分終わってしまったりカットを1カメ2カメ3カメ
みたいな感じで終わりよりかは一発でなんか見せた方が
かっこいいんじゃないかなとかやっぱ思っちゃったんだよね
臨場感が出るっていう感じなのかなと思っていて
それこそその具体的演出っていう話をしたと思うんだけど
つまり映画と舞台の違いの部分が
カット割りなのか一連の流れで見せるみたいなやり方にするのかの
差だと思っていて舞台の良さってやっぱり
リアル感っていうかその場での臨場感が良さだなって思うんだよ
つまり演者の呼吸がそのまま伝わってくるような
そういう臨場感が舞台にはあると思うんだけど
それがちゃんと映画でも実現できているというか
そういう演出方法にすることによって
自分自身がその居酒屋の中にいるような感覚になるっていうのかな
まるで自分がその職場町に訪れてしまったような
見方ができるっていう主人公と共に一応歩んでいるような
だからその主人公にもちょっと気持ちが乗っかりやすいんかなって思う
インサートで入れる
インサートで入れるは入れるでまたそれはそれでメリットがあるっていうか
そうは思うんだけどでもその臨場感っていう意味では
一連ので見せる方が響くものがあるんじゃないかなって
俺は思うかな
やっぱりそういったところで言うと大通り沿いを
2つの勢力が睨み聞かせ合っている
あそこはずっとなんかちょっと
今見てもなんかちょっとヒヤヒヤするなっていう絵になってたなと思って
やっぱかっこいいなってちょっと思ってしまうんだよね
プリントTシャツにしたいなって
なるんだよねと思った感じかな
ちょっと最初の方にかずきも言ったんだけど
漫画に近い言ったらカメラ構図奥さんもあるっていう意味では
アニメにしても何の問題ないなと思って
このままトレースするかのようにしても
いいなと思っててだって構図もいいし
ストーリーも全然普通に見れるしできちゃうんじゃねっていう風に
思えるなと思って
そんな吸引力があるってすごくねっていう
逆に言うとアニメを作ってる人もめちゃくちゃ参考になるんだろうね
この作り方が
絵にしてもかっこいいんだもんっていう
それこそ漫画チックにもなれるし
アニメチックにもなれるからそのまんまでもいけるなっていうのはめっちゃ感じちゃったんだよね
ヤクザとモトジメの二大勢力の
睨み合いの様子を上のカネ
のところから文字通り高みの
見物をしてる岡畑三重郎を同時に画面内に
映してっていうのが面白いんだなーって思って
完全に絵になってたもんな
もうだってそのまんまトレースできちゃうもん
その一つ前のカットぐらいで
うーわーってなってる片方が
もう片方はうーうーうー
うーわーうーうーっていう
押し引きっていう
来るのか来るのか来いよ来ないんなら行くぞみたいなのを
互いにずっとやってるっていうね
そうコミカルなんだよなー
見やすいよねそういう意味でね
っていうのが普通に見れちゃうんだよなーっていう
普通に見れちゃうっていうのがやっぱすげーな
ところは一番感じたなーと思って
っていうのを感じたと同時に黒沢明すげーなと同時に
いやーやっぱ他の作品もやっぱ気になるなーと思って
最初に話した通りなんだけど
履修したきゃとかではなくてもっと見たいっていう気持ちになったかな
だってこんな感じで作れるんだったら他にもどんな面白いことしてんだろうっていう感じだよな
っていうのが気になったところかなーだから普通に
面白い
っていうのがいかにすごいことだっていうのが十分伝わった作品でした
これからさーどうしようちょっと
話したいから話すと思うんだけどさ
俺黒沢明監督作品を見るにあたって
せっかくだし見どころを知っておきたいなーって思ったのよ
見方っていうの
ここを楽しむとより楽しめるよみたいな情報だけちょっと
知っておきたいなーって思ったのよ
だから黒沢明監督作品って世界で
世界の映画監督に人気じゃん
なんで人気なのっていうのをちょっと調べたのね
そういう部分
他の世界の監督が
こういう部分楽しいって思ってみてますっていう
知っとけばより楽しめるんじゃないかって思って
ちょっと事前に情報入れてたのよストーリーとかは知らなかったんだけど
で一個なんかいい動画を見つけて
YouTubeの映画紹介チャンネルの海外の動画なんだけど
それが黒沢明監督映画作品って
ここがすごいですっていうのをまさに紹介してるような動画だったのね
でそれを見てると何個かポイントあるんだけど
一言で言うと
映像の動きっていうのかな
画面が常に動いてるって話をしたのよ
それは会話のシーンでさ
許名で回しがちなのね普通は
だけど黒沢監督の映画っていうのは
普通の会話のシーンでも
カメラが止まっていたとしても
なんかどっか画面が動いてるっていうのを撮ってて
例えば風が強くて服がすごいなびいれたりとか
背景の雑木林っていうか
それに合わせて揺れてたりとか
あとは雨がすごい降ってて
映像としては止まってるんだけれど
後ろの方でずーっと雨が降ってるから
画面は動いてるみたいな
っていうシーンがすごい多く入ってるんですよ
みたいな情報が前情報としてあったのよ
あとそのカメラの動かし方自体も
いわゆるハリウッド映画だと
なんとなくこう映えるからというか
そのまま止まってるだけだと
ちょっと寂しいから左から右に
ちょっとずつパン押して
っていうのをやってる
ちょっと動かすみたいなことを
やることがまあまああるんだけれど
別にそれに意味があるわけではないですと
ただ画面が寂しいからちょっと動かしてる
みたいなことをよくやってるんだけれど
黒澤明監督のカメラワークっていうのは
そんなことはしないと
止めるときは止めるし
さっき言ったみたいな手法を使って止めるし
動くときっていうのはスタートのところと
動きの動き方っていうの
その間の経過の部分と
最後のエンドの部分っていうのが
決めてやってるっていう話をしてたのね
一番やっぱり分かりやすいのが
冒頭の主人公の
三重郎の顔のシーンが
ずっとアップになって
振り返るときは引きの絵で
別れ道に行くときに
どっちに行くんだみたいなやり取りとかを
ずっと長回しで映してたと思うんだけど
そういうような
カメラの中の
人物があっちこっち行ったりとか
それを追うように
画面の端のここまで人物が行く
みたいなことを計算してやらなくちゃいけないから
カメラの動き方もそれに合わせてる
っていう解説をあらかじめ見てたのね