地方でのAIとロボティクス
はい、ということでちょっと前回ですね、いろんな話をたくさんしてしまったので、
少し深掘りをしてトピックごとに詳しく話をしていくみたいな話をしていきたいと思います。
前回ですね、なぜ僕が地方でやっているのかみたいな話を結構いろんな角度から話しさせていただいたんですけど、
一つは、やっぱり地方にAIあるいはロボティクスで代わりにならないという要素がたくさんあるからという話ですね。
もう一つは、今当たり前だと思っていることが当たり前じゃなくなっていくみたいな話ですね。
その一つとして、東京でですね、今首都で一極集中みたいに言われているけども、これって歴史的に見ると必ずしも日本において歴史上東京がずっとね首都だったかというと、実は結構かなり限られた時代ですよという話をしました。
他にもですね、大企業とか組織に属していて、一部のことしかやっていないと結構視点が狭くなってしまうので、
一度自分で起業したりとか、より企業の中枢ポジションで経営とかメタ認知っていうところを俯瞰的に見る努力をした方がいいよっていう経験の話だとか、いろんな話があるんですけれども、
今日はですね、なぜこの地方でAI、ロボティクスに代替されないような魅力というかね、要素がたくさんあるのかみたいな話をしていきたいと思います。
今ですね、長野県の安住野市っていう松本のちょっと上ぐらいのところの大洋わさび農場っていうところにいるんですけれども、ここめちゃくちゃ水が綺麗なんですよね。
わさびって水が綺麗なところでしか育たなくて、それでいて、この北アルプスの雪解け水が流れてくる場所ということで、結構観光スポットにもなっていて、一大わさび生産地というところで、わさびソフトとかね、わさびのおグルメとかいろいろあって外国人もたくさん来る場所で、初めて来てね。
松本は僕一応拠点にしてるんですけれども、松本から一駅で行けるんですけど、ちょっとなかなか行くことができずに、ちょっと時間ができたので来てみたっていうところなんですけどね。
なんかすごい印象的なのは、野良猫なのかな、飼い猫なのかな、なんか一匹いるんですけど、ずっと僕の近くに座ってるんですよ、今。
で、入り口のところで出会ったんですけど、なんか全然逃げる様子もなく、餌欲しいのかなっていうので、餌はあげていないんですけど、もうなんかこうね、この観光地の中で多分こいつはね、人間は餌くれる存在だみたいなふうに思ってるのか、全く逃げようとしないみたいな感じでいるのがちょっと面白いんですけれど。
大王ワサビ農場って結構歴史的にもね、この大王っていうすごい力の強い人がいたらしくて、それの人たちがちょうどカンム天皇って平城京から平安京に遷移したぐらいの頃にですね、この地にいて農民、この地の人たちを守り尽くすために戦ったみたいな、でも死んじゃって、その遺体が埋葬されている場所みたいな。
感じで名前つけられてるらしいですね。そんな中で、要はこの水の綺麗さだとか、この自然っていうところがすごくわかりやすくですね、AIロボティクスで大体できないピュアなところだし、ここって人が手を入れてしまうとすぐに濁ってしまうような、そういう場所なんだろうなと。
これまでこの水の綺麗さだとか、ワサビが育つ環境っていうものを邪魔しないようにというかね、そこの純度を保つためにすごく人が努力をしてきて紡いできた多分歴史があって、それに基づいて、でもやっぱこの資本主義経済の中できちんと経営を成り立たせていかなきゃいけないからこそ、観光地化してうまく人が来るような仕組みっていうのを作っているところなんじゃないかなと。
想像しているんですよね。
ここに観光地として来る人たちって、やっぱり都会では得られないような雰囲気だとか、空気の綺麗さだとか、いろんな要素を求めて、ワサビ好きとか考えてくるし、そこに対してお金を落としてもいいという人たちが観光客として来ると思うんですよ。
その要素ってめちゃくちゃ良いとは思いつつ、資本主義的なんですよね。
やっぱり農地を運営していく上で、当然お金が必要だし、もっともっと雇用を守っていかなきゃいけないというところで、合理的にここに来てもいいよという人たちに対して、来てもらうことに対してお金を落としてもらう。そこで集めて経営していくみたいな、そういう感じなんですけど。
例えば、今、資本家ですね。株取引とか金融のやつとか、ビットコインとか、いろんなところでめちゃくちゃお金を儲けている人がいたとして、その人がめっちゃワサビ好きで、めっちゃワサビ農場がこれから100年、1000年続いてほしいみたいなふうに思っている人がいたら、
そこに自分のこれまで稼いできた資本を投下して、これからの経営を成り立たせてください。そんな観光地化しなくても、ちゃんと回っていくように私が支えますみたいな人がいたら、めちゃくちゃそれで成り立つじゃないですか。
別に観光地化することがいいのか悪いのかっていうのはあるんですけど、やっぱりこの自然を守っていくっていう意味では、そんなに人がたくさん入らない方がやっぱり自然って守りやすいと思うんですよね。それで資本家が入ればいいじゃんっていうふうになっているんですけど、やっぱり今の資本主義のシステムだとそれってできないんですよ。
資本主義の当たり前に疑問を
それなんでかっていうと、やっぱりこの資本を投下したからには、このワサビ農場がこれからその資本を生み続けてくれるような、そういう存在になっていないと、やっぱりその資本主義的にはですね、投資したからにはそれを回収しなきゃっていう、それでさらにもっと大儲けするというかね、資本を増やしていくっていう形にならなきゃいけないよねっていう、そういう原理が働いているからなんですよね。
ただ、もうすでにその資本家単位で見ると、ぶっちゃけそれってもう満たされているじゃないですか。お金稼いでるし、全然生きていけるし、なんかもう趣味レベルで投下してもいいじゃんみたいに思うじゃないですか。
でもやっぱりその投資っていうことになると、それを回収していかなきゃいけないし、投資してさらに大きくしていかなきゃいけないっていうのがもう原理原則としてあるんですよね。
それってもう当たり前じゃんっていうふうに思うかもしれないけど、そこが当たり前じゃない時代もあったみたいなのが歴史的に見るとわかってくるんですよね。
例えば、もっと王がですね、国王が国を支配していた頃とかっていうのは、そういう資本家みたいな人たちはそもそもいなかったし、国が調整して国を成り立たせていく、中央集権的にやっていくみたいなのが当たり前だった。
だからそんなめちゃくちゃお金持ちな人いなかったし、そのお金持ちが投資してさらにお金持ちになっていくみたいな構図ってなかったんですよね。
だからその当たり前もどんどん変わっていっているんだよっていう中で、果たしてこの今の資本主義の当たり前っていうものがこれからも続くのかっていうと、いやそれって結構限界向かいつつあるんじゃないのというふうに言われてきていると。
AIがどんどん浸透してきていて、労働の形とかそもそも変わっていきますよねっていうところだし、結局労働者が解雇されて、もっともっと労働者は貧しくなり、資本家は富を得ていく。
それが起きないようにベーシックインカムとかが議論されていたりするんですけれども、どうなるかっていうのはちょっとわかんないんですけれども、
そもそもこのやっぱり地方とか自然の綺麗な場所っていうものを成り立たせていくために、何かしら今の当たり前に則らない形で策というか施策があるんじゃないかなっていうふうに思ったりするんですよね。
っていうところでいくと、正解は全然ないんですけれども、当たり前変わらないかなみたいな感覚になっていると。
その時に自分の当たり前であった大企業に勤めるとか、ベンチャー企業に就職するとかでもいいんですけど、自分がやりたいこととか自分が成し遂げたいことにあってないけどお金を稼げるからとかお金を稼がなきゃいけないからそこに今行動するみたいなことって必ずしもちょっと違う道というか正しい道にならなくなってくるんじゃないかなっていう気がしているという話でした。
結論がない話で恐縮なんですけど、自分の思っていることを吐き出したくて音声にしてみました。
今日もあなたの住んでいる街が何か一つでも変化がありますように。いってらっしゃい。