AIとロボティクスの影響
はい、前回はですね、長野県の安住野市っていうところのね、すごく水が綺麗でわさびが育つ場所からですね、
資本主義の当たり前っていうのが変わりつつあるのかもしれないよという話をちょっとしてみました。
なかなか結論がない話だし、僕も分かんない、今後どうなるかってね、誰も分かんない話だと思うので、ちょっともやっとしたかなと思うんですけど、
今日は個人レベルにこれをちょっと落とし込んで、個人が今ですね、どういう活動をするか、すると良いかみたいな話をしてみたいと思います。
当然その個人も状況によるし、今の経済状況だとか、やりたいことが明確にあるかどうかみたいな話っていうのが全然人によって違うので、何とも言えないところはあるんですけれども、
多分この、昨日もちょっと話をしたように、このお金を稼がなきゃいけないみたいな、そういう時代っていうのが多分一時代のものであったみたいな、
未来から振り返ると、今という時代がお金を稼ぐために必死になってやりたくないことすらやらなきゃいけない時代だったなっていうふうに語られるんじゃないかなっていうふうに思ってて、
これはいろんな人が指摘しているし、AI、ロボティクスが浸透することによって、もう労働者の生きている意味みたいな、労働する意味みたいなのは本当にかなり薄れていくし、
実際に働く人って一部の人になっていくだろうみたいな、そういうふうに言われていたりします。
これが、何でしょうね、そんなありえないでしょって思う人もいるかもしれないんですけど、過去の時代とかってそういうのも当たり前だったんですよね。
例えば奴隷制が当たり前に浸透していた時代っていうのは、例えばアメリカの黒人を奴隷にしていて、白人は資本階級だったみたいな、そういうところを例にとるとわかりやすいんですけど、
日常の家事とか、あるいは誰でもできそうな業務みたいなものは、全部黒人の奴隷の人たちにやってもらってたんですよね。
それが当たり前になっているので、白人の人たちは何してたかというと、すごい暇だったんですよ。
何もしないとか、あるいは自分にしかできないこととか、頭をすごい使うこととか、そういうことをやるっていう話だったんですよね。
もっと古い時代のギリシャのアテネとかもまさにそうで、本当にあまり資本主義みたいなのも全然なかったし、やることがなかったので、
黒人じゃないですけど、奴隷の人に日常の家事とか、そういう簡単な仕事を全部任せて、ひたすら議論とかしてたみたいですね。
そもそも人は何で生きているのかみたいな、国家というものはみたいな、そういう話をずっとしていたみたいな感じだったと。
だから普通にやることをやるために働くみたいになったのって、ある意味奴隷階級が撤廃されたフランス革命以降、人権というものが確立されたっていうことなんですけど、
そういうところがちゃんとしっかり整ってからの話であって、それまでは当たり前じゃなかったみたいな話なんですよね。
それでいくと奴隷ができるわけじゃないけど、ある意味AIとかロボティクスっていうのが奴隷の代わりみたいにどんどんやってくれる。
自己と向き合う時間の重要性
しかも今人間ができること以上のこともやってくれるみたいな、そういう時代になっていくと思ってて、
本当に人間はたぶんめっちゃ暇になるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
その時に何かやりたいことありますかって、今聞かれてどうですか。
正直めっちゃあるって人もいると思うんですけど、結構少数派なんじゃないかなっていうふうに思います。
僕自身も本当に今何の制約もなくなって、どこでも行けます、何でもできますって言った時に、もちろんめっちゃ遊びたいとかめっちゃ旅行したいみたいなのはあるんですけども、
それをやり尽くして飽きるじゃないですか、自分が消費者として消費し尽くすみたいなところって。
だから自分が人に対して影響を及ぼすとか価値を与えるとか、そういう視点で見た時に、自分がやりたいことって何だろうみたいに解いた時に、やっぱなかなか見つからないんですよね。
誰かの笑顔が見たいなとか幸せになっている姿が見たいなとか、なんとなくその抽象的なざっくりとした視点っていうのは思い浮かぶんですけど、
私はこの人はこう変わるためにこういうことをしたいんだみたいなところまで明確に浮かんでくるかというと、なかなかない人がほとんどなんじゃないかなと思います。
だからそういう人たちって本当に何していいか悩んじゃうし迷っちゃうし、ひどい時にはもう生きている価値なんかないみたいなふうに思ってしまう人もいるんじゃないかなって思うんですよ。
だからそれってやっぱり悲しいじゃないですか。せっかくやらなきゃいけないことから解放されて、生きるための労働とか生活するためのお金稼ぎから解放されたのに、残りの人生どうするのみたいなことが自分の中でないとすごく失望してしまう。
それってすごい悲しいですよね。だから今のうちに労働の時間を少なくしていって、その考えていく時間に充てるとか、自分本当に何やりたいんだろうみたいな、自分と向き合うみたいな、そういった時間に充てるっていうのがすごく意味があるんじゃないかなって思うんですよ。
みんな意外と収入を下げてもなんとかなるっていう話が結構あったりして、今ですね、例えば年収500万600万稼いでますみたいな人が、年収200万300万になっちゃいましたみたいになった時に、すごくもう本当にしんどくて生きてられないんじゃないかとか、老後どうするのとかね、いろいろ考えるし、現状から年収を下げるみたいなことに対してすごく抵抗感を持つ人たち多いんだけど、
意外と大丈夫です。これは無責任なことは言えないんだけど、やっぱり日本っていう国って本当に収入が少なくても生きやすい国だし、食べ物もあるし安全だしね、着るものも着れるし、全然大丈夫なんですよね。
っていうところもあって、やっぱり生活水準を下げなきゃいけないとか、すごくまずいんじゃないか、収入を落とすと、みたいな人がいるんですけど、意外と大丈夫だし、多分そんなに長く影響が続くわけじゃないと思うんですよ。
さっき言ったようなタイミングって10年かかんないうちに訪れると思うんで、そうすると老後の心配とか言っていてもですね、老後の頃には本当に世界変わっちゃってるんじゃないかなって思うんで、多分大丈夫だと思うので、どっちかというと10年先の未来のために今からできることをするみたいな方がいいんじゃないかなって個人的には思ってるし、
僕はそういう選択を今取っているという感じなんですよね。ということで、個人で見たときにどうして行ったほうがいいかみたいなことを言うと、やっぱり自分と向き合うとか、あるいは今の社会の状況どう変わっていくか、どうこれから世の中が変化していくかみたいなところをきちんと勉強するみたいなところに時間を費やすっていうのがすごいいいんじゃないかなというふうに思っているという話でした。
ということで、今日もあなたの周りで何か一つでも変化がありますようにいってらっしゃい。