分析と言語化の嫌悪感
はい、地方×AIのペスハムです。
今日はですね、分析・言語化されるのが嫌な人がいるという話ですね、していきたいと思います。
これですね、ちょっと家族との体験を通して気づいたことなんですけど、
僕自身が完全にですね、無意識のうちに多様性を認めていなかったというか、自分の中での当たり前が当たり前になっていたという感覚を抱いたことなんですよね。
普段から僕はコーチングとか、人間分析というかね、人っていろんなタイプに分けられるし、その多様性を重視していくことが大事だというふうに分かっているつもりだし、なるべく自分と違う人の理解をしていくということを務めているつもりなんですけれども、
自分の中で言語化分析傾向が強すぎて、そのある意味真逆というかね、そうじゃないという考え方を持っている人に対して、え?というふうに思っちゃうようなことがあって、そこに気づけたことでも結構成長だなというふうに思ったので、
もしかしたらね、そういうところに対してアンテナが立つ人もいるかもしれないので、ちょっと話してみたいと思います。
エピソードとしては、昨日ですね、子供たちと一緒に1日、板の電話オペでね、下の子が時折4歳なんですけれども、女の子でちょっとグズってしまうみたいなことがあって、改めて僕が言語化したんですよね。
要は、自分がこうしたいというふうに思っていることが何か違ったときに、そこに切り替えができなくて、そこにこだわっちゃうところがあるよねみたいなことを話したら、すごく不満そうな顔をしたというか。
そしたら妻がそこにいたんですけれども、妻がそういうふうに分析されるの嫌だよねみたいな、うんうんみたいな感じで女同士でうなずいていたわけですね。
僕はこうやって自分の苦手なところとか特徴とかね、ここを直した方がいいみたいなことを言語化してもらえるってめちゃくちゃ嬉しいことなんですよね。
そっか、そういうことだったのかみたいなことに気づくことができるので、率先的にそういうことを自分もやっているし、もし人にやってもらえたらもうめちゃくちゃありがとうございますっていう感じなんですよ。
でも、全くその真逆、むしろ嫌だっていうね。なんか嫌悪感っていうね。そこを抱くような人たちもいるのかっていう。
確かに今までの妻との会話を見てると、分析されるようでムカつくだとか、そんなふうに言葉にしないでほしいみたいなこと言われた記憶あるなみたいなことを思い出して、
そっか、世の中にはそういう人がいるのかっていうふうになんかここで初めて気づいたみたいな感じなんですよね。
改めて言葉にしてみると、おせえよっていうふうに思われるかもしれないんですけれども、それだけ僕が分析言語化するっていうのが気持ちいいっていうこの感覚が自分の中で当たり前、無意識っていう感覚になっていたんだなというふうに思います。
で、じゃあそれをですね、分析言語化したくなる僕はですね、チャッピーにいろいろ聞いてみて、そういう人もいるの?みたいな感じで聞いていると、確実にいますよと。
分析は評価されているということで、パターン化されるだとか採点されている、評価されている、診断されているみたいな、そういうような感覚。
あと上から見られているような感覚になるっていうことが嫌だと思う人っていうのは確実にいるよということ。
あとは自分のペースを奪われるような感じがするということで、自分で考えたいとかもやもやしていたいっていうこのはっきりしたい状態を良しとするという感覚なのに、
人に結論を出されてしまっただとか、それを人に言われたくなかったみたいなふうな感覚になるということですね。
それをですね、また僕の好きなですね、EQPIとかですね、MBTIとかですね、ストレングスファインダーとか、そういう診断系のツールで考えるとどういうふうになるの?ということで聞いてみたところ、
感情の多様性を理解する
EQPI的にはですね、分析や言語化が負担になりやすいタイプっていうのは、共感だとか協調性、場の空気を読む力が高い、あとは感情を生でもっていたい欲求があるという、
こういう人は分析されるだとか、ジャッジされるだとか、あとは自分を決めつけられるような言語化ということに対してちょっと反応すると、嫌な反応をする人が多いということみたいです。
ストレングスファインダー的にはですね、こういうタイプというかこういう強み、傾向を持っている人が多いみたいですということで、共感性、調和性、慎重さ、親密性、包含、ポジティブ、この辺を持っている人がね、結構そういう傾向が高いみたいです。
僕は親密性は高いんですけれども、親密性以外は全部低いですね。そういった意味ではなかなかここには入らないんだろうなというところです。
MBTI診断ではですね、いわゆるFUE、Fというのはフィーリング、感情重視ということですね。対してはTですね。TはThinkingかな、思考タイプというね。
3番目の文字ですね。TFがF。そして最後の文字Pですね。PJですね。Pが柔軟性。Jがなんだっけな、ちょっと忘れちゃったんですけど、PJがP。
このFPUEの人、INFP、ISFP、ENFP、ESFPみたいな、この辺の人たちというのは分析されるとしんどくなりやすいタイプということみたいですね。
僕はちなみにINTJかINTPなので、基本的にはThinking側が非常に強いという感じですね。Fみたいな感情ではないということですね。
なので、理論構造、あとは分析、言語化みたいなところが好きなタイプですね。
コテンラジオの深井さんとかがまさにそんな感じで、人類はみんなメタ認知を持つといいというね、そういったところを言っているんですけれども、
そうじゃない、それが嫌だというふうに思う人もいるんだろうというふうに聞いて思いましたね。
僕的にはすごく深井さんの考え方に納得していて、言語化、分析することによって、あと構造理解ですよね。
これによってやっぱり他人の傾向だとか、癖というところがすごく分かること、それによって相手に対して、相手はこういう傾向を持っているから、
こういうふうに接したほうがいいんだろうなというふうに、ある程度フィルターをかけながら接することができるという意味からもですね、
この構造理解だとか、あるいは言語化というところ、そして分析するということはすごく大事なことだなというふうに思って、
その思想でですね、いろいろ人間理解というものを学んでいるつもりなんですけれども、それそのものが嫌だ、感情的にザワザワするとか、
分析されている、評価されている、自分の上を行っているような感じがするというので、嫌だというふうに感情的に思う人というのが、
少なくはない人数で多分いるんだろうなということに気づけたというのが、
すごく今回は娘とのやりとり、そして妻とのやりとりを通して学びになったので、これは課題としてはすごく面白い課題だなというふうに思いました。
ということで今日はですね、自分を言語化されるとか分析される、そういうふうに言葉にするということが嫌な人もいるということ、これについて話をしてみました。
今日もあなたの地域が何か一つでも変化がありますように、いってらっしゃい。