なんか私たち親って、やっぱり子供の豊かな感性とか自主性を育てたいって思ってるし、
口でも私とかそんなこと言ってるし、
で、自分の頭で考えて行動できる子になってほしいって、
クリエイティブであってほしいみたいなことを考える人は結構多いと思うんですよね。
だけど、どうしても日常のやりとりの中で、
知らず知らずのうちに子供を大人が用意した正解のレールに乗せようとしちゃってるんじゃないかっていうことに気づいたんですよね。
で、多分今回の歌の例もそうなんですけど、
働く車の歌を歌えば、本人も好きな歌だし大好きな歌なんですね。
歌詞も決まってて正解があって、親としてもコントロールしやすいというか、
多分スムーズにその時間が流れる。
これだときっとうまくいくみたいなことも勝手に脳が考えてるんですよね。
でもポンちゃんが求めてたのは、そんな決まりきったレールの上を歩くことじゃなくて、
今この瞬間に自分が思いついたぐちゃぐちゃだけど、
歌詞もなんかよくわかんないけど新しくて正解のない世界を求めてたんだなって思って、
実はその真っ白な創作意欲とか自主性の目を、
大人の都合のいい子を正解で上書きして壊しちゃってる。
まあこれ言い過ぎかもしれないけど、そうなんじゃないかなっていうふうに思って、
ああ申し訳ないなっていう気持ちと、
なんでこうなっちゃうんだろうなっていう気持ちが出てきました。
で、なんで私たちがそうやって、
私たちというかね、私がそういうふうになってしまうのかっていうことをちょっと考えてみたときに、
やっぱ無意識に子供に正解を教えたいし、レールに乗せたがってしまう生き物。
親というのはそういう生き物なんだと思うんですよね。
それはコントロールしたいとかそういうものっていうよりかは、
やっぱり親にとっての不安とか子供を思う愛情がそうさせてるんじゃないかなって。
この子がこの世界を生きやすくするためには、この正解を知ってた方がうまくいくよねって。
そうすれば傷つくことも減るし、うまくこの世の中を渡っていけるよねっていうふうにやっぱり思ってて、
どうしても社会に出たらルールを守らなきゃいけないし、誰かを傷つけてはいけないし、
失敗したりして傷つくことがあるかもしれないけど、それは最低限でいてほしいし。
だから最短ルートで安全に効率よく正解にたどり着けるように、
どうしても先回りしてレールをきれいに敷いてあげたくなる。
それがもう親の愛そのものなんだと思うんですよね。
だからその社会のルールとか生きるためのスキルっていうある種正解だと言われているものを教えるっていうことも、
親としてはめちゃくちゃ大事だと思うんですよね。
だけど本人が自分を表現するための正解のない世界っていうのも同じぐらい大事。
どっちも大事だからこそ、このバランスをどうとっていったらいいんだろうっていうのを最近すごく考えているんですよね。
じゃあどうしたらいいからっていうのに、これもまた正解はない話なんだろうけど、
自分が敷いてしまうレールっていうのを完全にゼロにすることは無理だし、
しようとしなくてもいいと思うんですよね。
だって生活のルールっていうのは最低限やっぱ教えてあげないと本人が困るっていうのは事実なので、
ただ大事なのは、今私また先回りして正解のレールしようとしちゃってたなとか、
自分で気づける余白を心の中に持っていくことが大事なのかなと思いました。
気づくことさえできれば、そこでおっとと言って立ち止まって、
ごめんごめんそうだよねって、正解がない方が面白いよねって、
じゃあ今からママがもうすごい楽しい曲歌うからさ、ポンちゃん続き作ってよとか、
そういう風に切り替えていくとか、
今はもうクリエイティブな時間にしちゃえみたいな時間を作ってみるとかね、
結構私がやってたのは、ちょうどコロナの時にお家から出れないみたいな時期があった時に、
上のお兄ちゃんと真ん中の子をお家で見なきゃいけない時があったんですけど、
その時に新聞紙をとにかく好きなようにしようぜみたいな、
もう破ってもいいし、丸めて投げてもいいし、何かくっつけてもいいし、
折ってみてもいいし、なんか服みたいな作ってもいいしみたいな、
そんなクリエイティブな時間を作った時があるんですけど、
それはそれはもう楽しくて、どんなに散らかっても起こらないし、
一緒になって楽しむみたいな、
そんな時間を作った時にやっぱめちゃくちゃ心地よいし、
本当に何をしようが評価されない時間なんですよね。
あなたの作品がこんなにいいけどこっちは良くないとか、
これを作らなければならないとか、
ここにたどり着かなければいけないとか、
そんなものが全くない世界っていうのを、
作る時間を作るみたいなこと。
そこにね、子どものクリエイティブな世界に大人も一緒にダイブしていくみたいな、
そんな時間を作っていくことみたいなことが大事なのかなと思って、
でも日々の生活は生活として最低限で頑張らなきゃいけないところとか、
生活のスキルを身につけるみたいなことは頑張るし、
でも今はとにかくクリエイティブに行こうぜみたいな時間を大事にして、
その子どもの中にある正解がない世界に思いっきり浸る時間っていうのを、
大事にしていく必要があるんだなっていうふうに思いました。
やっぱりその親の敷いたレールからはみ出したところにこそ、
本当の子どもの輝きとかその子らしさっていうのがあると思うんですよね。
だからこれができるからあなたは素晴らしいとか、
ここまで頑張ったからあなたはいいとか、そういうことじゃなくて、
もうそこにいるだけであなたが素晴らしくて自由に思い描いていることこそが、
あなたの素敵なところなんだよっていうふうに伝えることもそうだし、
そんな時間を作る、子どもがそう思える時間を作ってあげるっていうのが、
やっぱ大事なんだなっていうふうに思いました。