始まりました。パラレルワーカーの本音。この番組は、2人のパラレルワーカーによる異なる仕事を並行する副業に対する疑問・発見・哲学を本音で話し合う番組です。
各週火曜日の朝に配信しております。おはようございます。ユウスケです。
おはようございます。アヤコPです。
今回はですね、珍しく前回からの続きということで、前回はね、対話ということをアヤコ氏がテーマに出してくれて、対話ってなんぞやみたいな話を、
私が過去に読んだ本、ダイアログ対話する組織という本から、雑談と議論と対話ってどう違うのみたいな話の中から、
対話とか雑談で必要とされる自由でリラックスした雰囲気には、信頼関係がベースに必要なんじゃないか。
早いボールは相手気にしなくても投げられるけど、相手が受け取れるボールっていうのは相手のことを知っていたり、理解、信頼し合ってないと放れないんじゃないかみたいな話から、
じゃあ、信頼関係って何なの?っていうところで、今回に続いております。
いや、これめちゃくちゃためになりませんか?このテーマが解き明かせたら。
確かに。間違いないですね。
よくさ、簡単に言うじゃない?信頼関係がうんたらとかさ。
おっしゃる通りですね。
例えばさ、今パッと思ったのが、私がゆうすけ氏を信頼してるっていうのはまあいいとして、これは自分がこの人のこと信頼してる、信じてるし頼りますみたいな。
わかんないけど、そういうのは一方通行ではできると思うんだけど、
じゃあ関係ってなるとさ、向こうもそうなんないといけないわけじゃん。
おっしゃる通り。
とか思った。だから、自分だけじゃダメだよなってまず思ったんだよね。
その方向な感じがありますよね。
あるよね。
ごめん、そもそもさっき信じて頼るとか言ったけどさ、そのまんま。
信頼って何だろうなと。それを相互にやるって何だろうって。
そうですね。まずその信頼と関係という言葉からね、生きてますけど、
信頼し合っている関係とか、信頼が間にある関係とか、
なんかその2つの別のものとのつながり方のことを言ってるような言葉だという風に見えますよね、まずはね。
そうだね。
じゃあその、その両者の間にある信頼っていうのは何なんだろうっていうことですよね。
ですよ。
ねえ。信じて頼ると、確かにあやこ氏さっき言ってくれましたけど。
でも信じるっていうのもさ、すごい結構曖昧だなと。
何を信じるんですかっていうことなんだと思うんだけど。
あ、ねえ、確かにね。
頼るはさ、ちょっとわかりやすい気もしてて。
信じるって何だろうっていう、信じるって何?
やばい、中二病みたいなこと言い始めました、ちょっと。
これをググったら一発だと思うんですけど、あえて。
あえてね。
ちょっと。
AIにお聞かずに。
ねえ。
なんかでも、まず信じると頼るとか、信じられる、頼れるとか、
信じるってでも確かに、神を信じるとか、
割と一方通行でもOKな感じの言葉のような気がしますよね。
ああ。
なんか、信じてますとか、
いやいや、信じられても、みたいな時にだって、
いや、信じてますからって一方的に言い放つこともできると思うんですよね。
でもそれは何をしてる行為なの、その信じるって一方通行で。
なんとなく僕の頭になることを言語化すると、
自分の頭の中にある相手の像を、
そうだと決めつける、決め込む、みたいな。
そんなふうな感じがする。
例えば、
マジで?
あやこしって誠実な人だよねって、僕は思ってるとするじゃないですか。
あやこしを信じますって言ってる時の僕の頭の中は、
僕の頭の中にある誠実なあやこしのイメージを、
こういうものだっていうふうに信じ込む、決めるっていう、
そんなことなのかな。
神を信じますっていう時に、
自分の中にある神様の像を思うっていう、
決めるみたいな、そんな意味合いもあるのかなって思いましたけどね。
それってでも、すごいことだね。
すごいことですよ。
それはでもさ、相手が、私が全然誠実じゃないかもしれないじゃないですか。
そうなんですよ。
ゆうすけ氏が思っている誠実さを持ってないかもしれないじゃないですか。
だから、本当かどうかっていうことに、
あんまり実は関連しない言葉が信じるって言葉、行為なのかなって思うんですよね。
そうか。
信じるっていうだけだとそうかもね、でもね。
信じるって言葉だけだとね。
信じるだけだと。猛信とか言いますしね。
怖いな、それ。
そうだね。
あやこしはどう思います?
でもね、おっしゃった通りかもしれないね。
信じるってすごく、なんか利己的というかさ、
信じてますって確かに何かしらに言うときって、
私が考えるあなたの、私が理想としている、
私が例えばあなたを好きであるとか、
人として好きであるっていう、そのもの、
そのあなたの像を、本当であると信じるっていう感じかな。
本当であると思って、
本当であると信じるっていう感じかな。
本当であると思うってことかな。
そうですね、そうですね。
そうだね。
自分の中でこう、そう思うとか思いたいっていう、
なんか願いみたいなところともちょっと近い。
そうだね。
そっか、そういうことなのかもしれないね、信頼って。
で、まあ、信頼のラインに行くと、
そういう信じるっていう状態があった上で、頼るってことで、
頼るっていうのは、なんか僕の中で結構こう、
かなり実存的なイメージというか、具体的なイメージというか、
なんかこう、体を預けるじゃないですけど、
そうやって思ってるだけじゃなくて、
実際にこう、何かをお願いするとか、
寄りかかるとか、
こう、何かこう、相手にもお願いするっていうか、
相手にも行動を求めるような側面があるような気もするんですよね。
私の場合だと、
頼る、例えば私がどんな人だったら頼ってるかなとか、
どんなシチュエーションだったら頼るっていう行為をしてるかなと思うと、
やっぱなんか、自分のことを認めてくれるとか、
信じてっていうか、違うな。
自分を認めてくれて、
たぶんこの願いを叶えようと、
試みてくれそうだみたいなのと、
叶わなくても何かしらの反応を返してくれるだろうとか、
そういう人に頼りますね。
ああ、なるほどね。
あとは、自分の悪いところとか、弱いところとかを見せても、
この人は離れていかないだろうみたいなのとか、
自分がお願いしたいこととか、
この人は離れていかないだろうみたいなのとか、
自分がお願いしたことを重く受け止めないだろうなとか。
そうね、今の2つ目の、
弱いところを見せても大丈夫みたいなことと、
僕のイメージは近いかもしれなくて、
要するに、頼るってちょっと寄りかかるみたいな、
頼るがどういうことなのかっていうことを考えると、
2人の人がいたら、片方が寄りかかって頼っていったときに、
相手はすって片透かししないか、逃げないかみたいな。
それそれ、それだね。
頼りたい人がどういう人かっていうと、
そういう人っていう定義になるんだけど、
頼るっていう言葉のところだけでいくと、
じゃあ寄りかかるってことなんじゃない?ってなると、
寄りかかる側の人からすると、相手のことを信じていて、
しっかり立っている人だというふうにまず、
その人の認識の中では思っていて、
だから実際に寄りかかる。
で、信頼関係だから、
それが2人ともこうやってできる間柄。
人という字はみたいな。
人って、2人の人が寄りかかってるようだみたいなこと言いますけど、
はいはい。
まさに2人ともが、相手は寄りかかっても大丈夫だ、
信用で信じているからと思えている人同士の関係だということに、
なんか感じましたけどね。
うおー。
それは、そうやってさ、信頼関係を我々なりに分析して定義すると、
いやいや、めっちゃ重たいなって思いませんか?
いや、今何も見ずに話してますけどね。
めっちゃ重くない?信頼関係って。
いや、重い、重い。
重いよね。
すごく脆い。
やっぱり片方が片透かしをしたら倒れてしまうということなんですよね。
そうだね、そう。
それが同じぐらいの強度で倒れ合って、
お互いに同じぐらいの感じだということを認識し合ってるから、
寄りかかり合えるということな気がして。
そうだね。
でもなんかさ、今の説明だけを切り取って聞くとさ、
依存関係にも聞こえない?
聞こえる、聞こえる。
でもそうじゃないじゃん。依存関係とは違うじゃん。
依存っていうのはね、こういうカウンセリングとか勉強してると、
もっとなんか、ただただ寄りかかってる感じというよりは、
もっとなんか入り込んじゃってるの、お互いの中に。
なるほど。
でも、なんか一体化しちゃって、癒着してるみたいな。
癒着して絡み合っちゃってるってことね。
そう、でも信頼はもうちょっとライトで、パタッてなって、
でも起き上がることもできる。起き上がったら離れるっていう。
だから割と自立してる人同士の寄りかかり合いだっていう。
あー、そういうことか。
依存は、自立できてないからぐちゃってなっちゃうみたいな。
もうどこまでも絡み合って。
うん。混ざり合っちゃう。
混ざり合っちゃう、うん。
でも、自立してる人同士だと寄りかかり合っても混ざり合わないから、
うん。
信頼関係でとどめられるみたいな、そんな気が。
へー、そうか。
いや、わかんない。正解では全くないと思いますけど。
いや、でもそうだよね。ってことはさ、また広がって信頼の方に戻ると、
うん。
頼るんだけど、自立してなきゃいけないっていうことでしょ?
そうそう、前提がね。
前提がね。
うん。
自立している上で、頼り合える関係性。
でも、そこが、そうだよね。お互いが自立していて、お互いが頼れる関係性。
それが信頼関係。
素晴らしい関係だね、それ。
素晴らしいですね。
素晴らしいけど、そんなのさ。
なるほどねー。
確かに、仕事関係だとそんな風にできなくもないかな。
共有している文脈が一定だから、一定というか、ある一部分だからっていう感じがする、それは。
本当に、会社と個人みたいなことも結構信頼関係であって、表現、うちの会社とかではされますけど、
まさに、会社は人に寄りかかっているし、人は会社に寄りかかっていると思うんですよね。
うん。
人は会社に対して、時間とか労力とかを結構捧げて寄りかかっているけど、
一方で会社は人がいなくなっちゃうと、その事業というものが回らないから、
事業をという意味で寄りかかっていて、
人からすると生活とかかな、そういう意味でも、依存って言ったらあれですけど、寄りかかり合ってる。
でも、そこが、その会社とその人の関係性が解消されたら、また別の会社との関係性を築き直して、
またそこで寄りかかり合いが発生するような気がして。
そうだね。それは本当にその通りだよね。
人がいないとできないもの、会社は。
でも、人も会社という場がないと、その事業ができなかったりもするから。
そうですね。また、あやこ氏がさっき言ったね、ビジネスパートナーっていうのも、
人対人ですけど、事業対事業を、信頼関係という意味では寄りかかり合ってるような気がしますね。
うん。
いやー。
対等みたいなことと結構、リンクしてくる気がしてきましたね。
さっきの、対話とは何かっていう時に、対等な関係で話すって書いてあるね。
あー、そうそうそうそう。
ゆうすけ氏のブログを見ると。
はい、ノートにね。
私なりの理解で、対話の対と対等の対って結構、ニュアンスが近いんじゃないかっていうことで、
信頼関係も結構、寄りかかり合う人という字っていうのは、高さがあまりにずれてると人っていう字にならないんですかね。
そうだね。
焦点が合わないじゃないですか。
だから、こんな風になったらおかしいわけでね。
うん、そうだね。
だから、信頼関係を築ける人っていうのは、結構珍しいっていうか恵まれてるっていうかね。
いや、そうでしょ、たぶん。
何かしらさ、そもそも会社とかだとさ、対等という風に思ってる人少ないんじゃない?
会社と自分はってことですか。
会社の中の人、人対人はさ、役職とかさ、入社の年次とかさ、経験値の差とかってさ、
やっぱ対等って思ってる人って、どうしてもいないっていうか、対等と思うのが難しいっていうか。
本当の同僚の同僚とかだといいのかもしれないけど、それも稀で。
やっぱり何かしら上下を意識せざるを得ないような風になりません?何か。
いや、でも上下だと信頼関係生まれないのかっていうと、何かそれはそれで生まれそうじゃないですか。
上司と部下の。
でもそれ何でかっていうと、僕の理解では、ポジションには上下があるけど、
ポジションっていうのはあくまで役割であって、その役割を引っ掛かした時に、人と人としては対等っていう認識があれば、
上司として優秀、部下として優秀、それは対等である。
上司としての役割を立派にこなしている人と、部下としての与えられた役割を立派にこなしている人は、
どっちもお互いにリスペクトがあって、だから上司が部下にある意味お前任せたよって言って頼ることもあれば、
部下が上司にこうちょっとフォローしてくださいって寄りかかることもあって、お互いにそこが頼り合えるっていうことなんじゃないかなって思うんですけどね。
それはある意味対等であるっていうことだよね。
だから対等な関係性、本来はそうなんだってことでしょ。いくらポジションが違ってもね。
もっと言うと社長とかもそうだと思いますけどね。
そうだよね。なんかさ、本当会社とかでさ、ちょっと言い方をちょっと茶化して言ってるのかもしれないけどさ、
なんか偉い人来たとかさ、言うじゃん。
とか、上側とかさ。
はいはい、言います言います。
ポジション、部長側とか課長側とか言わないで、上側って言うじゃんやっぱ。
もうその時点でなんかさ、あれだよね、もう自分でそういうふうに作っちゃってるよねと思って。
対等ではないって思ってる人が。
あーそうね。
思ってる人なんて、日本だとあんまりいないんじゃないかなって思うけどね。
対等だと思ってる人は。
そもそも。
そもそもね。
いや、そうすると多分向こうから頼られづらいんじゃないかなと。
例えばね、その社長が来た時に、すごい恐縮して、社長の対話集会とかで、
対等じゃないっていう振る舞いを部下がしたとしたら、
寄りかかれないじゃないですか、社長も。
なんか本音をぶつけられないっていうかね。
そう、だから結構その社長とか孤独だと思うよ、やっぱ。
実は。
そうなんですよ。だけど、部下と信頼関係が築けている社長は多分、
いや社長っていうのは役割だから、本当は人として対等だから、
社長は社長の役割を果たして、メンバーはメンバーの役割を立派に果たしてくれて、
お互い頼り合ってるよねっていう認識を持ってるような気もして、
そうすると信頼関係が、社長と平社員でポジションが離れていても生まれるような気がするんですよね。
生まれづらいですけどね。難しいと思うけど、不可能ではないと思うけどな。
なんかその、会社だと方針に従わせるみたいな、ある意味強制的なトップダウンでとかさ、
もうあるじゃない、守らせるとか。
どうしてもそういう軍隊的な、規律を作って物事を成し遂げるみたいなところがあるから、
そうですね。
どうしてもね、難しいところが出てきちゃうんだよな。
その軍隊的な関係に語弊を恐れず言うと、信頼関係はないと思うんですよね。
権力と力とその規律はあるけど、信頼関係ではないと思う。
なるほど。
当たり前だよね、でもそれって。とか思うんだけど。
そっちの方が効率いいですからね。
そうそう。だしさ、それでさ、利益上げてさ、自分に給料がもらえるっていう、そういう仕組みなわけじゃん、だってね。
そうですよ、そうですよ、そうですよ。
いやー、ほんとそう。
ねえ。
だけど、だからそれだけやっぱり一人一人と会社が信頼関係を結ぶっていうのは手間がかかるし、大変なことだし、
親子関係とかね、その夫婦関係とかも結構労力がかかることだから、
別の関係性、イコール指揮・命令関係とかでこなしちゃったりしてるケースも多々あるんだろうなーと思ってね。
多々あるだろうね。
いや、もうなんか、ちょっともうね、胸がいっぱいだわ。
いやー、僕も子供の顔が浮かんで、胸いっぱいになる。
それぞれ大事な人の顔を思い浮かべて。
いやー。
信頼関係作れてるからっていう。
いやね、でもやっぱり、いや泣きそうだな、ちょっと。
いやでも、親としてやっぱり子供に役割としてすっごいね、助けられてるなとか、親が子に頼ってるなって思う瞬間はむちゃくちゃあるんですよ。
えー、そうなの。
妻も言ってますけど、この子供に助けられてるってね。
ということは、結構うちは信頼関係を作れてるんじゃないかなって思うんですけど、
要するにこう、親のスタンスとして、子供は指揮、命令のもとに言うこと聞かせて動かすもんだって思ってたら、
頼る相手だっていうふうに認識できないと思うんですけど、
でも、お互いそれぞれ一人の人でね、近くにいる大切な人で、
自分も子供にすごい助けられているから頼っているし、でも子供は無条件で親を頼ってくるし、
そこの気持ちがお互いにベクトルを向け合ってる、重力を掛け合ってる感じっていうのがあるから、
あんまり言葉もね、まともに通じなかったとしても、片言だったとしても、
信頼関係みたいなものが感じられるのかなって思いましたね。
いやー、素晴らしい。私も泣きそうです、今それを聞いてて。
そう考えると、やっぱり信頼関係のもっと奥にはリスペクトとか、
そうだね。
そういうことがある気がするな。
そうなんですよ、ほんと。リスペクトなんだよね。
尊重、尊敬。
そうですね。一人の人としてね。
そう。
いや、それだな、もう。それに尽きる。
いやー、なんかね、対話難しいじゃんね、とか言って始めたけど、
結局、そこに戻ってくるよね。奥にある尊重をしてるかっていうね。
自分もされてるかっていうことですよね。
なるほど。
あと、また子供の話になっちゃうんですけどね、
子供ってすごい親のこと見てて、
特に親が仕事してるシーンって、
良くも悪くも無条件に、いいもんだって思い込むらしいんですよ。
仕事してる姿を?
そう、仕事だけじゃなくて、いろんな振る舞いをいいもんだって。
あー、なるほど。親の挙動ってことね。
そうそう、否定せずに、ある意味、オールリスペクトで受け止め続けるわけですよ。
子供は素直だから。
だから、僕が在宅でパソコンの前でカタカタやって人と喋ってると、
隣で紙でパソコン作って、
父ちゃんと一緒の仕事とか言って、やるわけですよ。
でも、そういうのを見ると、すごいなんか、
僕のやってる仕事とか、その姿勢とかをリスペクトしてるなって思うんですよ。
うん、まさに。
で、僕も僕で、やっぱりその子供の純粋さとか、
素直さみたいなことをめっちゃリスペクトしてるわけですよ。
こんなになんか、真っ直ぐな存在はいないなっていうふうに、いつも思わされるんで。
うん。
なんかリスペクトを感じるし、自分もしてるなって思うんですよね。
うん。
リスペクトあるなぁ。
いや、だからもう無条件だよね、それってね。
無条件、無条件。
無条件で、そんなにリスペクト向けられることってないじゃないですか。
ないないない。
大人同士は。
丸々だから尊敬するとかさ。
そうそうそうそう。
この人はこういうところがいいから尊敬する、尊重するとかさ、条件付きになる。
なるなるなる。
初めてね、子供を持ってそういうことを感じたなと思ってですね。
うん。
いやもうほんと子供とか、子供からの親とかはさ、そういうかけがえのない関係性が、
築ける唯一と言っていいのかもしれないよね。
そこで気づけていたらすごくまず幸せなことですよ。
うん。
気づけてない方々も多分たくさんいると思うし、
親子の信頼関係、一回こじれたらめちゃくちゃ難しいと思うから。
そうだね。
うん。
そうなんだよ、だからいろいろあるだろうけど、親子もね。
それが気づけてない方がいたとしたら、
そういう方が別の方とリスペクトするっていう感覚があんまりわからないような気がするんですよ。
リスペクトを向けられたこともなければ、自分がリスペクトもしたことないと、
リスペクトってどういうものなのっていう感覚で人と接することになるから、
こう、信頼関係が生まれない、作れないっていう人も結構いそうだなって、
いろんな人と話してると思いますよね。
そうだね。
いやー。
対話がね、綾子氏の前回の放送で、対話成り立たないみたいなシーンには、
そういうことも絡んでるのかもしれないですね。
そうだね、そういう裏にそういうのがあるのかもしれないよね。
なるほど。
いや、非常に素晴らしい。
神会じゃないですか、これは。
自分たちで言う。
たまに言いますよね、僕ら。
でも本当にできることはね、一方的でもリスペクトするっていうことしかできないですよね。
いやー、まずそこから始める、始まるってこと?結局。
リスペクトポイントを見つけるってことな気がするな。
無条件に全てっていうのがなかなかさ、難しいかったりするじゃん、
もう本当親子とかそういうの以外だったらね。
親子でも難しいと思うな、全部は。
でもそのダメなところも含めて、
それを全部包み隠してしまうぐらいの存在としての尊重とかは持てるじゃない。
需要みたいなね、全てを需要するっていうのも一方でありそうだけど。
ありそうだよね。
リスペクトって考えるとポイントポイントでもいいのかもしれないな。
なぜならその依頼というのは頼り合うってことだとしたら、
この頼れるポイントがこういう点では寄りかかれるけど、
でもこういうとこはちょっとだらしないから寄りかかれないなみたいなのあるじゃないですか。
あるね、あるね。
でも寄りかかり合えるポイントが1個でも2個でもあれば、
リスペクトできる点があって、ここは相手に寄りかかろうって思える点があれば、
まずはなんかいいのかなって。
そうかそうか、そうかもね。