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2025-09-15 25:43

第356回 思い出よ写真とともに

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とある別れ / 別れの数だけ成長がある / いい思い出がいっぱい/ 思い出の記憶装置 / 写真は現像しておくと良いかも / デジタルは劣化しない / 蘇る記憶でいつでも会えるあの人に / 写真や記録は家族の財産 / この番組を子孫が聞いたら


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■ クレジット

Opening Theme : Composed by WATA

Cover Artwork : Designed by WATA

CG Character : Modeling & Designed by WATA

Ending Theme : Composed by TAZAWA

©終わりかけのRadio


番組エンディングテーマ『life』

https://bit.ly/4aHZ1wU


#お別れ #写真 #思い出

サマリー

今回のエピソードでは、別れがもたらす思い出の重要性について語られ、特に写真が記憶を呼び覚ます役割が強調されています。WATAは、自身の思い出に関する経験を通じて、良い思い出が忘れられがちであることを再認識しています。写真は思い出を残す重要な手段であり、特に親族や友人との記憶を後世に伝える役割を果たしています。また、写真の質や風化は、当時の感情や懐かしさを呼び起こすことに寄与しています。エピソードでは、思い出を写真に残す重要性について言及されており、特に笑顔の写真が幸せな記憶を呼び起こし、声の記録が未来に生き続けることの意義についても触れられています。

別れとその影響
スピーカー 1
どうも、WATAです。短めで行きます。
えっと、ちょっと 個人的な、なんかいろいろドタバタしている
なんかいろいろ今週はありまして、なんかこう いろいろ
あったので、あまり考えが整理できてない感じがあるんですけど ちょっととある別れがありまして、あの人との別れがありまして
まあ、安心してほしいのは、離婚とかしてないんで、そこ安心していただきたいんですけど なんかそういうお別れっていうものがあると
なかなか日々生きてて、あんま人とお別れすることってそんなないんですよ、実は。 普通に生きてると、別れ、出会いは結構あるんですけど、別れって実はそんななくて
まあ、地続きでこうね、出会いが続いてから、あんまりこう認識というかね 気づいていないかったなと思ったんですけど、なんか別れがあると
やっぱりこう昔を思い出したりとか、その別れがあった人との思い出みたいなのを 振り返るではないですけど、自然にこうなんかいろいろ蘇ってくるじゃないですか、それはまあ
恋人との別れとか、まあその親との私別とか、友達となんか喧嘩して、喧嘩別れしてとか何でもいいんですけど、なんかこう
いろいろこう思い返したりすると思うんですけど、思い返した時にやっぱり結構こう
いい思い出が多かったなっていうことに気づかされるというか、なんかこう通り過ぎてて
割とやっぱ人って、なんか悪い思い出って忘れないんですけど、いい思い出ってね、忘れてるんですよね
いや、もちろん記憶の奥底には留まってるんだけど、パッと思い出すことはできないし、なんか悪いこととかトラウマだと一瞬でもなんか常に頭の片隅にあるんですけど、そういうこう嫌な記憶
っていうのはこびりついてる感じなんだけど、いい記憶ってなかなかこう、その留まってくれないんで通り過ぎちゃってるんですけど、なんかそのお別れみたいなのがあると
なんかそのいろいろ思い出す機会っていうのが強制的にできて、いい思い出がすごいフラッシュバックするってことに気づいたんですよ
ね、でやっぱりその、いろんな別れはあるけど、やっぱりこう思い返した時に過去の写真だったりとか、あとまあいろんなこう何でもいいです、お手紙とか何でもいいんですけど、なんかやっぱりそういう記憶を呼び覚ます装置みたいなのがあって
で、僕の場合今回のは写真だったんですけど、写真を見た途端いろいろこうすごいフラッシュバックして、ああこんないい思い出いっぱいあったなみたいな感じで、なんかいろいろ多分
忘れてたけど、なんかすごいこう優しい思い出がいっぱいこう蘇ってきてですね、まあなんかその逆に言うとその別れがあったわけだから寂しい
逆に言うと寂しいんですけど、その優しい記憶が蘇っちゃうから、寂しいんですけど、ただなんかこうその優しい記憶が蘇ったことによって、なんかこう気づかされるというか何て言うんですかね、こう
なんかこう日々嫌なことばっか考えて生きて、嫌な思い出だけを蓄えがちですけど、ちゃんとこういい思い出がありますし、それを振り返ると
なんかこう良かったなとか、いい出会いだったよねっていうのを再認識できるというか、なんかこう
別に悪い思い出がね、その人と会ったわけではないんですけど、なんかこう改めてなんかいい人と出会ったんだなっていうのを、なんかやっぱ別れがあると再認識しますね、なんかこう
だからね、別れはそんな頻繁に来てほしくないから、もう当然ながらね誰ともお別れはしたくないんですけど、でもやっぱあることで
成長できる部分があるなと、すごい思いましたね、なんかこう
写真の持つ力
スピーカー 2
確かに区切りがあると、だからほとんどの場合ってフェードじゃないですか
テオくん フェードですね だから気づいたら忘れてるって感じですけど、明確な別れがあると
自分の中で整理しなきゃいけないって働くんですかね、やっぱ
テオくん あ、いい思いますね 思い出を引っ張り出しとって
スピーカー 1
テオくん そうそうそう、あとなんか必然的になんかその、やっぱりそれなりのこう何か
その一緒にの何か親子関係でも友達でも恋人でも、やっぱりそのすごい感情がこういろいろ芽生えてるわけじゃない
いろんな感情が、だからそういう感情とともにその感情に紐づいた思い出、もちろん悪い思い出もあるかもしれないけど
多分それが多分、あの別れの時に 強制的にやっぱそのやっぱ心の整理っていう感じで
棚下ろしじゃないんですけど、そういう機能があるんでしょう、人間には、それで自分の中で整理をつけるみたいな
だからまあそれはまあ、なんていうかこう誰しも経験することですし、まあ経験したいかどうかでいいとしたくはないけども
でもあった方が人間としては成長するような気がして、だからこう別れ自体がこう
ただただ悲しいものというよりは、その別れの時に気づかされるこう、なんていうんですかね、自分とその周りの人たちとの関係みたいなのが
なんかそこがこう一つ、なんかこう自分のこれからの人生のヒントになるじゃないですけど、なんか結構そういう感じがして
貴重な時間かもな、みたいなのを再認識したんですよ
で、なんかそれですごい思ったのが
なんかまあ僕あんま写真って実はそんな好きじゃなくて、自分の写真めちゃくちゃ嫌いなんですよ、自分が撮られてる写真も嫌いだし
あのー、まあなんて言うんですかね、別にまあその人の写真も別にそんな好きかどうかというと別に好きじゃない
てかそんな写真がそもそも好きじゃないんですよ、じゃないんだけど、なんかやっぱ写真ってこう
なんかやっぱその時の映像とか画像が残ってるわけじゃない、その映像とか画像だけじゃなくて、ちゃんと記憶もそこにこう閉じこもってる感じがあって
その画像を見た瞬間にその時の気持ちを思い出すみたいなのがあるんですよ、だから
記憶をこう留めておく装置としては、すごいこう実はめちゃくちゃすごい機能を持っているというか、その写真を見ない限り思い出せないことがあるんですね
なんかこの頃俺痩せてたなとか、この頃着てた服どこで買ったかなとか、いろいろこういろいろこうフラッシュバック
スピーカー 2
ワダさんに特化した思い出、種類の種類です
スピーカー 1
僕の体型のさ、体型の話だから個人にフォーカスしちゃったんですけど、もちろん周りの人もいろいろね、いろんな人が写ってたりするんで
この時ね、この人髪の毛まだあったなとかね、なんかこういろんなこうさ、思い出されて
その時の写真撮った時のどういう気持ちで撮られてたかっていうのも、だから僕は写真撮られるの嫌いだから
気持ちない顔なわけですよ、だから写真撮られてる顔もね、それはそれでその時のことを思い出せるのが、なんかこういいなあというか
さらにこう思ったんですけど、写真って
やっぱ印刷されてる方がいいですね、って思った、なんかこうデジタルの写真でもいいんですけど
なんか印刷されてる写真のやっぱ色褪せてる感じとか、やっぱなんか加工されてない感じ
ケータイのさ、確かカメラって若干そのレンズの補正とかで若干こう歪んでたりとか
本来の人の肉眼で見るその二次元画像とは、二次元画像じゃないね、その平面画像とはちょっと違うらしいんですよ
だから正しくこう、その時の記憶というか、記憶に紐づいた映像を呼び戻すんだとしたら
カメラで写真撮るのがね、一番いいんだろうなっていうのはなんか聞いたことあって、なおかつやっぱりこう現像して印刷するみたいなのが
日常の切り取り
スピーカー 1
ものとしてあると、やっぱなんか全然こう感じ方が違うなあというふうに思ったんですよね、なんでなのかわからないけど
スピーカー 2
デジタル写真はなんだかんだで無意識にデータだと思ってるところがあると思うんですよ
スピーカー 1
そうなんですよね、そうそうそう、でやっぱりそのデータ上、まあいろいろ多分皆さんのスマホの中にもいろんな写真があると思うんですけど
見返さないじゃないですか、なんかこう溜まってるだけなんで、でおそらくなんですけど何かよほどきっかけがないと見返すことはないんですよ
子供の写真とかね、見返す人はいるかもしれないですけど、なかなか親との写真とかさ、友達との写真とか見返さないじゃないですか、でもあのね印刷してる状態、プリントしてる状態だと意外と手元にあったりとか飾ったりとかすると意外と見たりするというか
タダさんがさ、前ちょっとご両親と旅行行かれたりして、写真を撮られるそのシチュエーションが
もうあの僕と両親が写ってる写真、タダさん見て大爆笑ですからね
みんな同じポーズしてる、すごいね、いい写真なんですよ
スピーカー 2
ちょっと大人しいから、一人も立ち上げてない
スピーカー 1
全然主張してない、誰もピースしてないみたいなね、みんなちょっとはにかんだ顔でこう写ってるって感じで、すごいいい写真なんですけど
ああいうのとかもさ、やっぱ撮ってくれないと、やっぱりあの時の記憶ってやっぱ自分たちでなかなか自撮りとかしないでしょうし、タダさん特に
だから記録としては残んないわけですよ、残念ながら、記憶としては残るけど、だからそういうこう意外と強制的に撮られちゃったあの写真みたいな
そのテーマパークに行って、もう撮らざるを得なくてみんなで撮ったあの写真みたいなのって
意外と思い出としてすごいこう、財産になるというか、っていうのはその時の記憶がその写真に込められてるから、感情とか
だからそういう意味で言うと、なんかこう写真を形にして残していく、別になんか気取った写真を別に僕は撮りたいわけじゃなくて、オシャレな写真を
ただ人が写ってる、家族とか、何の気ない写真
スピーカー 2
映えてなくても
スピーカー 1
映えてない、逆に映えてない方がいいむしろ、日常の切り取りみたいな、日常の切り取りの写真が一番心に来るね、後々見た時に
特に別れとかあると、特にグッときます、なんかもう、やっぱ何の気取ったあれもない、本当に全然カメラ目線でもなくて、横顔とかたまたま写っちゃったみたいな写真でも
写真の重要性
スピーカー 1
やっぱああいう写真が一番いいなって思ったんですよね、なんかその決め顔で、携帯だって加工しちゃうじゃないですか、最近だと
作品ですから 作品なんですよ、もう、ただのアートワークになっちゃってるんですよ、自分が綺麗に見えるためのアートワークみたいになっちゃってるもんで
それとは違う機能が本来の写真にはあったはずで、あれをめんどくさいですよ、正直、現像とかしに行くのだるいし、そんな手間かけて定期的にやるのかっていうと自信はないですけど
せめてね、残してって、誰が喜ぶって、例えば自分が死んだ時とかに、これよく言いますけど、自分の写真って別に自分はいらないじゃないですか、でも自分の家族とかめちゃくちゃ欲しがるんですよ
そう、だから自分の親の写真とか、やっぱり昔の若かった頃の写真とか見ると、あの頃親父若かったなみたいな感じで、思いを馳せられるわけで、だから自分以外の誰かっていうのが、やっぱりその写真を見て思いを馳せることができるって考えると、
自分が写っておくことも大事だし、それが形として残ってる状態、データだともしかしたらスマホ変えたら消えちゃったりとか、iCloudがデータいっぱいだったら残ってないとかあるかもしれないから、だから形として残しておくと、多分あなた以外の、あなたの周りにいる人が喜ぶよというのを、別れをきっかけに思いましてね。
スピーカー 2
だから残していこうかなって。 TAZAWAさんとの写真も残していこうかなって、カメラに撮って。
スピーカー 1
意外と撮ってもらった写真で、TAZAWAさんと一緒に写ってる写真ちょこちょこあるんですよ。 TAZAWAさん ちょこちょこあるんですよね。まあよく一緒にいるってことなんですけど。だから割とだから僕ら、なんか分かんないですけど、周りの人に撮られがちだったりするじゃないですか。だいたいその時にTAZAWAさんと一緒にいて、だから二人とも変なはにかんだ笑顔で、中途半端なピースで写ってる。
TAZAWAさん 前二人でミニ宮堂、宮堂しに行った時のね。 そうそうそう。宮堂のなんかありましたよね、府中かどこかね。 TAZAWAさん 宮堂の道具かなんか持って。 そう、二人でね。神社かお寺か行って、なんかそういう抜粋な記録に残ってますね。
TAZAWAさん 二人で宮堂を、二人のそこそこいい年齢のおじさんたちが宮堂をしてる写真がね。 でもほぼ最年少でしたけどね。 TAZAWAさん 確かに。宮堂のね、やっぱりイベントだから、それなりの高齢の方がね、主催してますんで。だからまあいい写真、ああいうのとかまさにそうですよね。なんかもうその時のあのいった記憶はその写真にしか閉じこもってないですから多分もう。
スピーカー 2
TAZAWAさん あれだから現像して飾っておいたほうがいいですよ。だから。 飾りましょうか。
TAZAWAさん で、子供がね、あのお父さん、なんか弓持ってる写真があるけどみたいな。 TAZAWAさん 弓合いやってたんですか?みたいな。 でも確かに形としての写真、あの物体としての写真に残ってると、その物体としての写真の劣化もあるじゃないですか。
スピーカー 1
TAZAWAさん そうなんですよ。それもあったらいいんですよね。 思い出っぽくなるんでしょうね。 TAZAWAさん そうそうそう。で、やっぱり2、30年経つと、その写真の、そのまあ物としての質もそうだし、あとはやっぱり当時のあの感じ。まあ例えば40年前だとしたら昭和のあの感じとかって、やっぱこう今見るとグッときますよね。なんか、今に、まあそれ、まあその何て言うの、時代時代で変わるから、
それは今見たらそうだろうって思うかもしれないですけど、やっぱあの時代にしかない、あの雰囲気とか、あの時代の人たちの笑顔。なんか今の時代とは違う、なんかあの笑顔みたいなのが残ってて、だからそれがやっぱりその写真の色あせ具合と合ってるんですよ。なんか、やっぱデジタル写真だと、やっぱその汗、逆に言うと汗ないんで、なんかこう、
うーん、まあ記憶としては、記録としては正しいんですけど、思い出としては正しいのかというと、なんかわかんなくて、その新鮮さとかさ、そのまるで今撮られたかのような写真っていうのが思い出として正しいのかどうかがちょっと、
感情と記憶の関係
スピーカー 1
だからそこはやっぱその、ね、ものとやっぱり記録媒体、デジタルのものとの大きな違いっていうのは、まあそこは言うまでもない話かもしれないですけど、なんかものとしてこう色あせて、思い出としてもその色あせ具合が同期してみたいな、っていう、なんかそこにこう感情とか情緒が入って、まあだからそういうこうイベントごととか、
例えばまあ、あのね、結婚式とかあったらその、自分の子供の頃の結婚、自分の子供の頃の写真とかを結婚式でなんかこう、スライドにしてなんか流すとかそういうイベントよくあると思うんですけど、ああいうのとかもやっぱりこうものとしての写真を、まあデジタルとして投影してるんですけど、なんかあれがこうね、こうすごい古めかしいそういう写真が、だからこそ記憶が蘇ってくるみたいな、でなんかすごいこう、
なんか何とも言えるような懐かしい気持ちになるとね、あとはなんかまあ、なんかこういう写真を大切に残しておかないといけないなとか、まあ例えばその自分の子供とか、まああるいはその親、自分がね、親だったら子供の写真はやっぱり形として残しておいて、なんか大人になった時にこういうふうに、いっぱい写真撮ったんだよっていうふうにね、渡してあげられると、やっぱりこう一つのね財産というか思い出としてのこう、
なんかもう形とかものっていう意味以外の以上のこう、意味が生まれるんじゃないかなっていうのをね。
スピーカー 2
確かに、こないだなんかお坊さんが言ってたのを聞いて、なるほどっていうか、お坊さんの観点でも人がこう亡くなったりしたとしても、その人が生きてたら、この人だったらどういうかなとかっていうふうに考えるじゃないですか、その時点で別に生きていても亡くなったとしても、実はそんな状況としては変わってないんじゃないかって話を、お坊さん観点でも言ってても、
スピーカー 1
そう思うと、それプラス写真でね、そういうふうに残ってたとしたら、よりなんかもう、なんかそのまま亡くなってても生きてるとほぼ変わらない、変わらないですよね 変わらないぐらいもそう、なんかね、そんな感じがしたんですよ、なんか、そう、だから、なんか
写真をこう見ながら、なんていうかなーって考えたら、生きてますよね、だから 生きてる生きてる、全然生きてますね、だから
なんか写真ってね、だからその面白いものですよね、そういうこう人間の生機というかさ、なんか魂みたいなのが入ってる感じがあるんですよ、だからその
あくまでこう、静止画なんですけど、動いてるようにも見えるんですよ、だからなんか、これさ、今、ちょっとすごいこう、あの、物理なこと言っちゃうんですけど、AIがさ、AIでさ、坂本龍馬の写真をこう動かしたりさ
最近ありますよね それなんかあるんですよ こんな顔してたか、みたいな こんな顔してたか、なんか変な顔になっちゃうんですよ、大体ね、でもあれはあれでまぁ、そのエモいというか、なんか今ちょっとね、グッとくる部分はあるんだけど、でもなんかそれあるんですよ、死んじゃったあの人を
2次元で動かしましたシリーズみたいなのがあって、AIでね、だから、でもあんなことしなくても、2次元の、2次元じゃない、そのなんか静止画の写真を見てるだけでも十分蘇りますよ、その時の、だってすごいこう、あの生き生きしてるから、そのね、写ってる写真というか
だからなんか閉じ込む、なんかそこがこうまるで、なんか違う世界への窓なんじゃないかっていうぐらいの感じ、閉じ込まってる感じが それはもしかしたらiPhoneライブで撮ったとかじゃなくてですか ちょっと動くやつね、ちょっと微妙に動くやつね、2秒ぐらいのモーションが入るやつね、そんな感じはある、その雰囲気としては、あれ目動いてないみたいな、ちょっと
だからでもそれぐらい、だからその、そうなんですよ、だからその時の写真、だから若かった頃の母親の写真とかさ、なんかやっぱりこう、その時の表情があって、その時の生き生きしてる感じというか、まるであの時の、あの時の状態でこう、ね、まあ僕の母親死んでないですけど、なんかあの時の状態で蘇ったみたいな感じの、なんかそういうこう、まあ記憶、なんか脳内で変換してるのかわからないけど、そういうふうに見える
ですよ、でやっぱりそのイベント、なんかそういうこう、でまあ特になんかそういうお別れとかあったりとか、まあ何がしかのそのなんかね、わかんないけど、まあ死んじゃったりとか、まあそういうことがあるかもしれないし、そういう時に見るとまるで生きてるかのように、なんか逆にちょっと切ないんだけどね、生きてる感覚もあるから、なんか死んでないような感じがあるというか、なんかでも十分あれ見るだけで、なんか寂しくないというか、なんかまるでまあ
スピーカー 2
あのまま生きてるような感じみたいなね、なんかこう感じるからね 確かに、そう思うとね、心の中に生きてるってのは本当にその通りだなと
スピーカー 1
その通りですよ、うん、だって自分のこうね、だって刻まれてますもんなって、その記憶と感情と、でさっき言った通り思い出せるんで、きっかけがあれば、写真とか、だからそのスイッチを入れるための装置として、写真をね残しておくと、その時の
あの、その、まあ例えばですけど、亡くなっちゃった方とかね、その時のを読み戻して、なんかまるでその時のその人、会ってるような感覚になったりとかっていうのが、まあやっぱ寂しいことは間違いないんだけど、ただ全然こう
逆に言うとでもそういうのがあると思い出せるんで、寂しくなくなる感じもあるんで、というか、うん、だってさ
言っちゃうとさ、もう、まあ恋人とかね、その身近にいる家族はまた別の話かもしれないですけどさ、まあ自分の親とか
親戚とか、まあ友達とかでもさ、別に毎日一緒にいるわけじゃないんですよ、ほとんどこの人生で、あともう
思い出と笑顔の写真
スピーカー 1
あれですよ、自分の親なんて多分数時間、わかんないですけど、数十時間、まあ何百、一定何百時間ぐらいしか、まあ入れないわけですよ
でも記憶と心の中にいるわけじゃないですか、だからその一緒にいないんだけどいるわけで、なんかその
ね、まあ死んじゃうともう会えないから、それはすごい寂しいんですけど、ただ、でもね、状態としては
心の中にはずっといるっていうのは変わらないわけですよね、その会ってない状態で、そのね、遠いとこに住んでる状態、そんな実は変わらない感覚もあるというか
スピーカー 2
例えばね、その人のことを思い出すと、なぜかこうみんな笑ってるんですよね、その顔、思い出した顔、だからそれだけ笑顔って印象的だから
スピーカー 1
そうなんですよ やっぱね、残された時間を笑顔で過ごしていきたいですね そうなんです、そういうことなんですよ、そう
いいこと言ってくれた、いいまとめをしてくれたところで、もう終わる、今日は終わるんですけど
だから、なんかそのね、寂しくないし、まあね、その、だからそのおっしゃるとおりです、そのなんか
できるだけ笑顔で写真残してた方がいいです、だから、あの悲しい顔で写真残してるとね、やっぱりこう
スピーカー 2
悲しい記憶が蘇っちゃうかもしれないんで ムスッとした写真の人も、その人らしいなって思ったりしますね
スピーカー 1
まあでもそうね、それはもちろんそうですよ、まあ無理して笑うことはないんです、無理して笑うことはないんだけど、ただまあ
でもたまにそういう人も笑ってる写真あったりするよね、ああいうの見るとね、ちょっとだから、この時笑ってたなとかっていう感じで
まあ結局ね、自分以外の人が自分のその写真を見て、幸せな気持ちになる
スピーカー 2
だからあれですね、不意に撮った写真がいいってことはそういうことですよね
スピーカー 1
そういうことです、そうそうそうそう、だからやっぱ誰しもがアクセスできるものとしての写真っていうのが
ちょっとね、大事なんじゃないかっていうことで、もうちょっとね記録に残しておきたいなという話でございました
声の記録の意義
スピーカー 1
でもこの番組を、この声が残ってるっていうのはいいですよね、もう我々が死んでも、この声は
何らかの形で、わかんない、そのスポティファイとかがなくなったら消えちゃうかもしれないですけど、声が残ってるってもうエモいですよね、なんかね
この声の中では我々は生きてるわけですから、何百年後も、記録として残ってるわけですからね
なかなか、だって自分たちの子孫が聞くかもしれないですよ、これ、なにすごい下ネタ話してんなっていう
スピーカー 2
WATAさんなんて見事に、ついちょっと先にはもうお子さんが聞く可能性がありますよね
スピーカー 1
全然ありますよね、この親父は本当に毎回話が長いなと、政治の話ばっかしてるなと、偏ってるなと
っていうのを確かに聞き返して、いろいろね、たまには笑えない話もしてますけども
そういう意味で言うと、そういう装置ではありますよね、こういう記録に残す、だからまあいい行為ですよね
スピーカー 2
350何回やってるから、もうたぶん全部まとめてAIにかましたら人間ちゃんとできませんか
スピーカー 1
できるよね、だってなんせそうだよね、もう、だって僕らのそのAIでさ、要約とかするとめちゃくちゃ的確なタイトルとかつけてくれたりするじゃないですか
僕らの話してる内容を、僕ら以上に知ってるんで、AIはむしろも、だからそういう感じでね、こういう記録を残しておくとまた
こうせいんで、いろいろ、まあいい影響だけじゃないかもしれないですけど、なんか残せるんじゃないかというとこで
ちょっとね、これからもやってまいりたいと思っております、はいさよなら
25:43

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