00:04
どうも、WATAです。
TAZAWAです。
ちょっと、TAZAWAさんに最近シェアしてもらった動画に、僕、すごいハマっちゃってまして。
三橋孝明さんっていうね、経済の方と、ひろゆきさん。我々ちょっとフィーチャリングしがちなひろゆきさんですけど。
なんか対談してる動画みたいなのを、ちょっと教えてくれて、今週TAZAWAさんが。
僕、今日ね、本来は他のテーマで話そうかなと思うんですけど、ちょっとあまりに心を奪われてしまって、その動画。
今週だけで3回ぐらい、僕、それを見ちゃったんですけど。
そんな短くない動画ですけどね。
40分ぐらい、あれ。
三橋孝明さんのチャンネルにゲストとして、ひろゆきさんが、なんかその、討論って形で来てて。
見ましても、今まで僕らは、言ってもひろゆきさんのことを面白おかしくね、ちょっとフィーチャーして。
いろいろいいねみたいな、ひろゆきブーム来てるねみたいな感じで、後ろ盾をしていたことをちょっと反省するぐらいに、ひどくてないような。
あれでも衝撃的ですよね。あれなんかコメント欄も相当すごかったですけどね。
たださん言葉を失っちゃってますからね。
そうですね。そうなんですよ。
だからまあ、内容としては経済の話で、たぶん三橋さん的にひろゆきさんってこういう意思を持ってると思ってて、
なんかその辺ちょっと深掘って聞かせてくださいみたいな感じでね、討論が始まっていくんですけど。
まあ、その本題にたどり着かないといけないから。
そうですね。
終始あれですよね、ひろゆきさんが議論としては、なんかまあディベートではあるんだけど、なんかちょっとその話を反らして反らして、もう。
そうそうそうそう。
だからね、結構言ったら、これはでもね、今までも僕、何度も動画見てますけど、いろんなね。
でもなんかひろゆきさんのその、いわゆる反論とか反証とかディベートの仕方って結構テクニカルじゃないですか、なんかその。
はいはい。
まあ、なんていうんですかね、いわゆる論破のキャラであるひろゆきさんが手法として使っているその議論の仕方っていうのがわかりやすく出たのが、たぶん三橋孝樹さんとの対談だったのかなっていう感じでしたね。
そうですよね。
僕はどっちかっていうと、たぶん今日も話のテーマの本題になるんだと思うんですけど、あの動画でひろゆきさんの主張がずれてるずれてないって話はまあまあそれはそれで置いといて、
あの議論の仕方の意味みたいなところは考えたいなと思いましたね。
そうなんですよ。結局だからあの形のその、そもそもディベートっていうもの自体がなんかちょっといろいろ向き合わなきゃいけないなと思うんですけど、
あの絶対そのなんかあれを見て何かその、それを見て解決する何かとか何もないわけじゃないですか。前に進まないというか、なんならちょっと後ろに進んじゃうみたいな感じの感じとか、
03:06
なんか最後もね、もうあの三橋さんの顔を引き摺りながらもうあの本当はこんなんじゃなかったんだろうなっていう表情をしながら番組を締めてたんですけど、
三橋さんってやっぱり経済学の中では賛否ある人だから、
まあそうですよね。
MMT派の人でね、MMT派とリフレ派って一見素人から見ると近い思想なんですけど、バチバチに仲悪いんですけど、
本当はそういうところをちゃんと攻めていったりするといい議論なんだと思うんですけど、
もうなんか三橋さんじゃなくても良かったぐらいその何も議論が始まってないまま終わっちゃってた感じがしたのがもったいなかったですよね。
たぶん三橋さんもちょっと悲しそうな。
悲しそうな顔をしたんですよ。いやまさかここで終わるとはみたいな、だからまだおっしゃる通り議論が始まってない状態で終わっちゃったみたいなところはあって、
でなんかそのまあ最終的にその意見の食い違いですねみたいなまとめてたんですけど、全然そんなことなくて。
とってもじゃないけど追いついてなかった。スキルが。っていう感じがしてたから、逆に言うとやっぱり本当プロのそのなんていうんですかね、やっぱりその本質的にその道を極めている人と、
まあある程度弁論とかっていうのをすると、もうすごい差が出ちゃうんだなというか、ここまでだって言ってもひろゆきさんって喋りも上手いし、頭回転めっちゃ早いじゃないですか。
全然なんかやっぱり申し訳ないんですけど、全然勝負になってなくても、ディスカッションとしてもディベートとしても、ここまでレベルの良さが出るものなんだなっていうのはちょっと見て、逆に勉強になりましたからね。
なんていうんですかね、ちゃんといい答えを出そうっていうことでやってる議論であっても、ひろゆきさんが論破をするために参加してるところが最近はちょっとあるから、それでちょっと不幸感が生まれてるところはある気がしてる。
僕ね、これを最近思ってて、僕ね、ちょっとこの番組でいずれちゃんと言おうと思ってたんですけど、結構この番組行ってひろゆきさんの話をしてたじゃないですか。
何なら結構ジジイ砲弾とかに前着してる。
この番組始めてあんまり過去の発言、自分の放送とかで考えが変わってるものってないんですけど、一個だけやっぱり後悔してるというか、ちょっと反省もしてるのは、やっぱりひろゆきさんのいわゆる論破っていうものをこっちも楽しんでしまって、それを面白おかしくね、紹介してしまっていたっていうのはすごく良くないことをしてたかなと思って。
すごい反省してるんですよ、これ。
めちゃめちゃ向き合ってますね。そんな深刻に捉えてたんですか。
っていうのは、もはや言ってることが正しい正しくないというよりは、たまたま三橋さんとのやつはちょっとひろゆきさんが痛々しい感じになってたけど、仮にひろゆきさんが正しかったとしても、よくアベマプライムとかでひろゆきさんよく出てね、
たぶんそこの切り抜きとかが結構youtubeに上がってるから、最近の論破のシーンってたぶんアベマプライムの場面だったりすること多いと思うんですけど、あれとか見ててもう何て言うんですかね、何の意味があるのかなって思うことが最近増えてきて、論破にね。
06:10
要は、最近ちょうど僕は思っていて、ちょうどそれを醍醐さんが解説してたんで、確かにそうだよなと思って、それを太田さんにこの間にシェアしましたけど、ひろゆきさんってね、基本的に議論を勝ち負けとして考えた場合に負けない仕組みなんですよね。
そういう、何ですか、弁論の仕方をするんですね。
自分の意見は言わずにひたすら質問を投げかけて、そうすると答えられないところにたどり着くから。
エビデンスがないところまで行き着いちゃうと、そこを突かれると専門家の人も自分の意見を言わなきゃいけなくなっちゃって、それにデータがあるのかどうかみたいなとこ、縦箱を突いて。
縦箱を突いて勝ちって感じになっちゃうんですけど、それ意味あんのかなと思って、議論にとって。
せっかくね、いい答えを出そうと思って議論の場があったとしても、その可能性を潰してしまっていることにはなるなと思っていて。
ディベートをしてお互いの意見をあえて対立させて、いろんな意見を導き出すって構図自体は僕はそんな否定はしないんですけど、やり方みたいなとこあって、
プロレスでいう、割とヒロイキって狂気使うんですよ。割と尖ったやつでブスブス刺すから、それブスブス刺されたらめっちゃ痛いじゃないですか。
何だこの野郎って反応しちゃうんだけど、それがやっぱヒロイキにとってすごい格好の材料で、僕らもちょっとよく話題にしますけど、
アヴェンマーでヒロイキと弁論してブチギレちゃった先生がいて、帰りますみたいになっちゃって、どこに帰るんですかみたいなこと。
世間から笑い者にされちゃったみたいな人がいるんですけど、その人とかも今思うとすごいかわいそうな、煽られ方してて。
そもそもだから、そういうふうに導いちゃうと、なんか違う形でその学者さんが滑稽な状態になっちゃって、
こいつ学者のくせになんかテンパってんだけどみたいな空気にさせられて、本質の議論と全く違うところで落とし目が始まって、なぜかヒロイキが正しいっていう方向に導いちゃうみたいな。
それは見てる側としてはそれの方が楽しいんですよ。
楽しいんですよ。
要は誰かが誰かをやっつけてたりとか、誰かがいじめられてるシーンって楽しいんですよ。
やっぱりね、アベマープライム、あの構図が僕どうかと思ったりするのは、たぶん番組側がヒロイキさんに論破をしてほしくて、論破をするために、論破してもらうために読んでるから。
エンターテイメントとして。
そうだね、ヒロイキさんもそれをたぶんわかってるから、ヒロイキさんって昔は別に論破なんてしてるつもりないっていうスタンスだったんですよね。
本当にただ聞いてるだけで相手が窮地に追い込まれていくっていうだけだったんですけど、なんか最近さ、論破キャラになってきて、
論破王っていう冠がついてテレビで出たりしてるから、そうするとヒロイキさんもそれを求められてるものをちゃんと結果として残そうとすると、最初から論破するための議論を最近してるように僕見えちゃうんですよね。
そうですよね、もう前提その負けない試合として、負けられない試合として挑んでいて、それに応えまくっちゃってる状態である。
09:06
中にはやっぱり口下手でね、本当は良いことを考えてるけど口では説明できないっていう人も多いと思うんですけど、そういう人の可能性を論破っていうのは潰してしまってるっていうところあると思うんですよね。
そうですね。
で、やっぱいくら正しいことを言っていたとしても、相手が不快に思っていたら意味がないですよね。
その議論を通して良い答えを導き出そうっていう中でね、相手が不快にさせてしまったら話が進まなくなってしまうんだったらね、議論としては下手なんだろうなって思っちゃうしね。
そうそう。そうなんですよね。
で、やっぱりこういう話でさ、僕らは観客としてもそこの議論の良し悪しって、そこまで討論してる本人たちよりも当然詳しくないわけじゃないですか。
もしら詳しい人もいるかもしれないですけど、だから結果的にそこで行われる試合によって、そういう導き方があるんだねみたいな。
だから結構その道筋みたいなのを見せるみたいな。一つ機能としてそういうのを補っているはずだと思うんですけど。
なんかこう、僕らが最近見てるヒロユキさんの動画とか、他のもしかしたら論破系の動画とかもそうなんですけど、なんかその巨人と広島どっちが強いかみたいな話をしてる感覚に見える時があって。
それはその都度違うし、好きな方を応援したくなるんじゃないみたいな。どっちでもいいしみたいな。
だから広島が強くてもどっちでもいいし、巨人が強くてもファンじゃないかどっちでもいいんですけど、そういう議論に見えちゃうというか。
だから別にどっちが強いって言われても、別に何にも得るものがないんですよ。そうなんですよね。
でもなんか本来多分、僕も昔のヒロユキさんって結構アイロニーなイメージがあって、とはいえなんかフワフワヘラヘラしながら交わしつつ、
当然いじりとかはするんだけど、ちょっと面白いところを引っ張り出すみたいなところは感じたんですけど、最近なんかちょっと逆にヒロユキさんの面白いところが。
ちょっとオーディエンスとしても、ちょっとこれさすがにヒロユキ、最近ちょっとあれじゃないかみたいな見え方になってるし。
それはそれでいいんだけど、やっぱりもっとディベートとしては、ディベートであるのであれば深みがあるといいよね。
例えば、それって根拠あるんですかって言って、ない場合も多いと思うんですよね。その場合に根拠ないじゃないですかって話が止まるよりも、
本当に議論としていい答えを導き出していきたいんだったら、根拠がないっていうことになったとしても、じゃあ一般的にはそういうふうに言ってるのかもわかんないけど、
じゃあこういう意見はどうでしょうって、そういうふうに進めていけばいいじゃないですか。やっぱそれって議論の勝ち負けのための論法になってる気がするんですよね。
そうなんですよね。僕も別にエビデンスがどうかとか、言ってることが本当かどうかは調べられないのでわかんないですけど、結構嘘が混じってるというか、
やっぱり奇弁みたいな、自分を正当化するために結構誇張して言っちゃうみたいな表現って結構見られる気がしてて、でもやっぱファンの人も当然多いわけだから、やっぱ真に受ける人もたくさんいるわけですし、
12:02
なんか結構国会の答弁とかってそれに近いやつあるじゃないですか、特に左側の、要は足を引っ張るために言う言論、反証、なんかそれに近いものを感じちゃって、だからそれはそれで国会の答弁どうなんだって話はあるんだけど。
まあある種その制限批判としては、ちゃんと問題点をついていくっていうのは、ひろゆきさんのやり方っていうのは野党のやり方としては鏡なのかもしれないですよね、ちゃんとその根拠あるんですかって聞いていくっていうのは。
ただなんかね、でもひろゆきの場合はなんか結構自己正当化みたいな、だからさ、このさ三橋さんのやつが終わった後、なんかその俺は負けてないみたいな動画、
自分のチャンネルだよね。
自分のチャンネル出してたじゃないですか。
やっぱ論破っていうことが最近ちょっと精力的にダメになってきて。
そうなんですよね。で、僕もねちょっと今回いろいろ調べてみたんですけど、やっぱりね、こう視聴者の求めてるとこで言っても、割とやっぱりそういう論破するみたいな、やっぱ結構エンタメ化してて、やっぱニーズが結構あるゆえに、そういうひろゆきさんのメディアもそういうふうに扱うしみたいなところもあると思うんですけど、
結構だからもう論破教みたいな、論破の教団みたいな感じの教祖みたいな感じでひろゆきは祀られておりみたいな感じる。
性格悪い教団っすね。
すごいですよ、本当の。だからやっぱ論破業界の王様としてやっぱすごいひろゆきが封印して、でもやっぱ結構分析は結構されてて、なぜ彼が論破に勝てるのかって。
さっきだいごが解説したりとかっていう通りなんですけど、そもそも立ち位置がずるいっていう立ち位置がずるいじゃないですか。専門家じゃないから。
そうですよね。
いざとだったら逃げられるんですよ。だって僕専門家じゃないんで。っていう答弁ができるから。
自分の意見を言わないっていうのが。
そうなんですよ。だからこれが要は国民のスタンスを代弁してるみたいなムーブメントになっていて、これが結構危ないのが、
これはトマヴィスさんっているじゃないですか。作家の方が。なんかそのディベートに関する本を出してるんですけど、その中にも書いてあったんですけど、
いわゆる論破とかディベートっていうのは、ある種、宗教の教団の洗脳されちゃってる人とかっているじゃないですか。カルト教団とか。
それの人を洗脳から解くために、このディベートってすごい有用らしくて。
いろいろ議論を見せて、そうかこういうことかみたいな。こういう考え方があるのねみたいなっていうのをそこに築けるっていう。
あと自分の矛盾点を築けるとか。
そう、自分の矛盾点を築ける。代弁してくれる。だけどこれ逆もしっかりで、洗脳にも使えるんですって。
全く同じ手口を使って人を洗脳することができる。だから立ち位置をうまく見せれば、自分の思ってることを代弁してくれる人っていう、そういうふうに見せることもできるんで、
結構メディアの扱い方ってそれに今、しっかり扱い方をしてるのかなみたいな。言わせてるんです。だから、ひろきさんにあれを。
なんかその、ひろきさんって割と最近政治的なスタンスとしても、いわゆる弱者視点っぽいとこがあるんですよね。
15:03
そうなんですよね。そうそうそうそう。
そうするとやっぱりその視点で誰かをやっつけているっていう構図があってね。でもそれってなんだろう、正義の味方が悪役を倒しているっていうことだと、
それでいいじゃないかって思う感じだけど、それって別に人をいじめている姿を見て喜んでいるっていうこととあんまり変わらなくて。
そうなんですよ。
結局ね。どっちが正しいかに関係なくね。やっぱり論破を楽しんでいるということ自体が、僕はちょっと良くないことなんじゃないかなと思って、
僕はこの番組のスタンスをちょっと改めようと思ってたところなんですよ。
確かにね。それはそうだよね。もしかしたら僕らもそういう煽り方とかね。
話の内容とかトークテーマでもそういったところを使っちゃうところはあるかもしれないけど、そこは前提ね、確かに。
ありますよね、確かにね。
だって意見を言うってことはやっぱりリスクを背負って意見を言ってるわけで。
そうですね。
それを意見を言わずに論破していくことが果たして正算的なのかっていう感じはしちゃいますね。
だから結構そこがそうだよね。さっき話したところではあるんですけど、ちょうどいいのかもしれない。
ヒロユキがそういう今時代が求めている感じというか、なんかやっぱりさ、体制批判って、反体制ってさ、ちょっと言い方が難しいんですけど、
身を投じやすいなと思ってるんですよ。要はそれは権力とか屈したくないし、それに向き合うみたいな。
だから要は偉い学者とか偉い政治家とか、高橋大輔とかが言ってることに対して反論できるっていうこと自体が、
やっぱその国民のスタンスとかからすると、やっぱり今そういう力学が働きやすかったり、そういうのをベーシックにみんな持ってるし、
だからなんとなく漠然と書いてる反感、政治とか政府とか世の中に対するみたいな。
だからそことはシンクロしやすいところを、ちょうどいいところをヒロユキがムードとして作っていて、だからすごいフォロワーが多いといってもそういうところはあるんだけど、
ただなんかちょっとそうなんだよね。だからこれになんとヒロユキと誰かがディベートしてて、
なんかオーディエンスとして気づければいいんだけど、気づけなかったら怖いなとはすごい思うんですよ。
なんかその、やっぱヒロユキ言ってくれんなみたいな。やっぱいいと思う正しいと思う。どんどん倒してってほしいみたいな。やっぱ倒してってほしいんですよ。
でもね、あのCGしてる人ってヒロユキさんの考え方に関しては興味ないはずで、論破してるところが見たいっていうのはあるかもしれない。
そうそうそうそう、そうなんですよ。僕ちょっと全然今関係ない話を今しようと思うんですけど、最近ちょっと映画一本見まして、
僕ちょっとなんか最近精神安定のために1週間に1本映画見るみたいなのやってるんですよ、ルーティン。
で、最近みたいなやつが、ネットフリックスで最近公開されたやつなんですけど、えっとね、
ワンス・アポンナ・イン・ハリウッドっていうクエンティ・タランティの監督ですよね。
2年前くらいに作った映画で、主演がもうすごくね、ディカプリオとブラッド・ピットの2代主演みたいな感じで、
18:01
で、どういう話かというと、なんか1960年代に実際にあったシャロン・テイトっていう女優さんがいるんですけど、
その人がカルト教団に殺されちゃうっていう事件がね、すごいセンセーショナルな事件があって、
それをテーマに扱ってるんですけど、ちょっと僕今からネタバレを言おうと思うんで、
ちょっと気になる方は2,3分スキップお願いできればと思うんですけど。
でね、ちょっとこれもうあらすじとか話すと大変なので、オチのだけ言いたいんですけど、
最終的に事実としてはシャロン・テイトっていうのは殺されちゃうんですよ、カルト教団に。
もう何の罪もないというか滅多な死にして殺されちゃうんだけど、この映画はそこをフィクションに変えてて、
本来シャロン・テイトが殺される予定だったところの、シャロン・テイトの家の隣に主人公2人が住んでて、
主人公2人の家にカルト教団が入って、最終的にでもそいつらめっちゃ強いから、
そのカルト教団をボコボコにして殺すっていう映画なんです。
ちょっとね、話の内容はカショっていうんで、ちょっと僕の施設な表現で捉えてほしくないですけど、オチ的にはそうよ。
でね、僕それ最後のシーン見て大笑いしちゃって。快感で。
もうお腹に赤ちゃんいて、事実としてはお腹の赤ちゃんともども殺されてる。相当有名で相当残酷な事件なんですよ。
だからそれを知ってたから、その犯人も実名で出てくるんですよ、ちなみにその映画に。
その実名で出てくる犯人をブラピとディカプリオをボコボコにもう殺してくれるっていう。
すごいスカッとしてて、これだなと思ったんですよ。
僕2回リピートしてみちゃったんですけど、これ。この快感ですよね、やっぱね。
過去の悪者たちがフィクションであれ、なんだかの形で生産される形。
要はもうリベンジしてくれたっていうことが、何の僕は関わりもない人間ですけど、すごい気持ちよくなる描写。
映画の評論としても、結局最後のオチがそれだから、全部それに持ってかれちゃってるっていう感じで、結構国評されてるんですけど。
だからね、やっぱね、こういう感覚ってね、やっぱね、すごい誰しも持ってるんですよ。
これをやってくれる人を求めているヒーローみたいな。
なるほど。今回の話テーマっていうのは、過去にやったエピソードのいじめの話の続きかなっていう感じがしてて。
それだと思う。僕もまさにそうなの。
でもやっぱり誰しも、僕も前回ね、そんな偉そうにそんな話をしときながら、すごいこれスカッとするなみたいな。
でも60年前に殺された遺族の方からしたら、これ結構辛い映画だろうなと思って。
だって事実は死んでるんだから。ちょっと正当化美化しちゃうところもあるし。
だからスカッとした後に何とも言えない賢者タイムが訪れて、すごい上がった後落ちたんですよ。
だからなんかやっぱね、良くないんだろうなって。
それは自分が立ち上がって何かやるのとは全然違う何か。
21:02
何かヒーローを求めてて、ヒーローがもういろんなことボコボコに片付けてくれる。
しかも圧倒的な強さで片付けてくれるっていうのを求めてるんだろうなっていうね。
でもそういう価値観って久しぶりなんですかね、時代としても。
久しぶりなの。 政治の味方が何かをやっつけるみたいな。
そうですね、特に最近ちょっとそういう系多い気がしますよね。
リベンジっていうとちょっとあれですけど、ちょっとだから病み落ちしてるぐらいのヒーローがいて、それが皆殺しにしていくみたいな。
僕鬼滅の刃見てやってないですけど、鬼滅の刃を見てそんなことを言ってた人いましたよ。
あれがなぜ支持されるのかっていう。 そう、それ近いと思いますね。
だから鬼滅の刃だから前も話した通りちょっとカタルシスも含めてるんで、残虐に殺しつつも浄化させるっていうちょっと曖昧なニュアンスはあるんですけど、ただまさにおっしゃる通りですね。
やっぱり悪い鬼は寝台死にしないといけない。だから結構そういう構図のアニメとかフィクションが多くなってるかもしれないですよ、そう考えると。
だから時代がこうしてるというか、オーディエンスが求めてるかもしれない。
いろいろしてるんですかね、やっぱり今時代。
いろいろしてるんじゃない、もう。で、やっぱり何と戦わされてるのかわからないっていうのがあるのかもしれないですね。
60年くらい前でしたっけ、安保闘争みたいな。学生運動みたいな。あれってなんか、あれもちょっと僕詳しくないんであんまり言えないんですけど、要は反体制ですよね。
学生が政治とか大きい体制に対して戦うムーブメントじゃないですか。
でもまあ敵がすごいはっきりしたんで、それに向かってもう自分の身を滅ぼしてでもそういう人たちと戦ってっていう。
なんかあそこまではこの感情としてすごいもう今すぐ何かをしてやるって感じじゃないのかもしれないけど、なんか得体の知れない敵と戦わされてて、みんなそれらに対して恐怖感とやっぱりなんか誰かがこれを解決してくれるんじゃないかっていう期待感みたいなのもあるような気が。
政治とかにはそういうの期待できないってもうみんなわかってるじゃないですか。期待できたらいいんだけど期待できないから。
だからやっぱそのパブリックエネルギーみたいな小池知事とか菅総理とかなんかそういうのがよくわからないけどあいつらが敵だっていうものにはなりやすかったりもするでしょうし、だからそういうのに噛みついていく人っていうのが称賛されやすいっていうのはあると思いますよね。
ただだからでもさっきの最初の話に戻るんですけど、結局でもその前に進んでないのはやっぱり全く意味がないとは僕も思うんですよ。結局噛みついて石投げて誰かしらの気分が悪くなって終わって。
まあ政権とかだったらいいんですけど、そんなつもりがなかったピュアの人が不快になってるだけのケースがある。
ありますよね、そう。で別にその人攻撃したくて何も解決しなかったりとかね。だからそれが結構ノイズになっちゃってて、本当に今向き合わなきゃいけないことってなんだったっけかなとか、なんかスカッとしたっていうところで終わっちゃって、本当に見なきゃいけないことが何か見えてない可能性もやっぱあるよね。
24:17
だからそれこそ三菱隆一さんとひろゆきさんの話は本当に考えなきゃいけないことを考える前に終わっちゃってましたね。
僕ね本当あれ最終的に確かに何の議論だったのかよく分からなかったけど、パチンコに何兆円も費やせば北朝鮮に行ってみたいな、結局何の議論なのか全然分からない。だから結構ミクロマシン。
だからあれ三菱さん通ってやっぱこういうことじゃないんだよなっていうのはイメージと違ったって最後顔出てたんで、相当ずれたんだと思うんですけど、せめて知識として何か見てる人が何か蓄えられるとか、間違った意見を言ってたとしてもそういう意見もあるんだみたいなことが思えればいいんですけど。
そういう本来生産性のあって正しい議論って見てて楽しくないんだと思うんですよ本当はね。知識がないとね。っていうのはやっぱそれこそひろゆきさんとだいごさんが2人でアベマのなんかでやってたやつって見てない方はぜひ見てほしいんですけど、全然面白くないんですよ。
あれなんでかったら、いつも期待してる論破の議論じゃないんですよね。だいごさんがうまく交わしてて、ひろゆきさん論破させないやつやってたんですよね。だからひろゆきさんはいつもの感じでだいごさんが言った話に対してカウンターを打ってくるんですけど、それはよく分からないですね。ひろゆきさんどう思いますかってやっぱり聞き返していくんですよね。
ひろゆきさんで聞き返されると、ひろゆきさんも別に意見はなかったりするから、話があんまり進んでいかなくて見てて楽しくないんですけど、本来それが健全なんですよね。
まあ健全ですよね。まあ確かにひろゆきのやり方って、なんか知識人をぶっ倒すように特化してるっていう感じがしますよね。結局だから分かんないとか言われちゃうと、おおおおってなっちゃうんですよね。どう思いますかって言われちゃうと、おおおおみたいになっちゃうんですよ。
でも確かに面白くなかった。面白くなかったって言い方あるんですけど、盛り上がってはいなかったよね。
確かに専門家とかね、やっぱり自分の知識にちゃんとプライドを持ってる人ほど、挑発されたら何らか答えなきゃいけないって思って、ちょっとほころびが出るような答え方しちゃうのかもしれないですよね。
そうじゃない。
だけどそんなところを引き出す必要ある?
そうですね。
その人の良さを生かして、私のことはウイルス研究の宮沢さんっていう広いちさんに論破されて、土地で帰るって言って怒っちゃった人とか、あの人はウイルス研究のすごい先生なんだから、その人が持ってる知識をもっと引き出して、みんなに見てる人にあの人の知見をもっと広めるっていうことの方が僕は大事だと思うんですよね。
結局あの人がよくわかんない、ただの単純な中身のない学者さんっていう印象だけで終わってしまってるっていうのは誰も得しないと僕は思うから。
27:01
だから議論の仕方としてはどんどん外掘りを埋めてって、こういうことしか言えない風な流れを作るから、本来その人がこういう風なことを言おうと思ってたのにっていうことが言えない可能性があって、こう聞かれたらこう答えるしかねえじゃないかみたいな質問の仕方しかしないから、それで切れたっていう可能性がありますよね。
相当怒ってたから相当、自分の意に返してない方に進められちゃったっていう深い差があったのかなっていう。
僕やっぱり議論をね、僕最近すごい思うのは議論とかをしていてね、意見が違うとき、相手が明らかに何言ってるのかなっていうときに、この人何言ってるのかなっていう感情が芽生えたらね、その人をやっつけるんじゃなくて、この人なんでそういう風に思ったのかなって、先回りしてその人がどういう風な経緯でそういう風に思ったのかを想像してあげることが正しい議論の仕方だと思うし、
本当のいい答えを導くためには、そういう共感能力の方が大事だと思うんですけどね。僕もそういう風にしていこうって思うようになってるんですよね、最近。
反面教師としてね、そういうアンチパターンとしてはね、見える、そういう風に捉えることもできるんで、確かにね。もうちょっと建設的な形でエンタメとしても面白くできるといいんでしょうね。ちょっと今過剰なんだよね、多分ね、そこら辺がね。とりあえず戦わせてボコせばいいみたいな。
そうですね。見てる側が頭つかなくても楽しめちゃうんですよ、やり方は。
格闘技みたいなもんかね。
格闘技として格闘技をやるならいいんですけど、そういうつもりじゃない人が多いから。
じゃないから、目的がそこじゃないから。勝ってばいいとか問題じゃないんですよ。誰が強いとかの話じゃないんだよね。誰が強いって話になっちゃってるからダメなんで、多分ね。
番組の企画もそういう前提でやらせてしまってるのも問題だと思う。
そうね、もうだからそういう風な、だからそれをやるとバズるから、やっぱりそうしたくない。だからどの道バズるじゃん。ひろゆきが論破されたとしても、ひろゆきがボコされたとしてもそれはそれで話題になる。
サンジャポニー、ひろゆきさんが今日から、肩張り論破王って書いてありました。
あ、出た。もう言っちゃってる。
そうそうそう。
言っちゃって、まあ自分で言ってるのかわからないけど、もうそういう点になっちゃったからね、論破教の教祖ですから。
でもやっぱりサンジャポニーなんか見てると、司会爆笑問題ですけど、太田さんとかね、やっぱり僕は太田さん好きでね、あの人ってやっぱりいろんな考え方が出てきたときに、この人ってなんでそういう風に考えたのかなっていう話をしていくんですよ。
だから時には残虐な犯罪を犯したような犯人のことですら、この人はなんでこういう人間になってしまったのかって考えるっていう、そういう理論をしていくんですよね、あの人。
なんかそうでありたいなって思いました、僕は。
確かにね。まあそうだよね。だからそっちの方が絶対持続性があるはずなんだよね。
なんかある意味、どんどんどんどんさ、良くなってくるはず。
それって議論のやり方とか、おそらく話す人とかも成熟していくはずだからね。
30:03
そういう議論を楽しいって思えるように、私たちも進化していかなきゃいけないですね。
そうですよ。いいまとめありがとうございます。
あと僕これ言いたかったのは、議論と討論とかをしていてね、実は結構な頭の良いような人たちも意外とね、人格攻撃してるんですよ、意外と。
いや、わかる。
その話の内容じゃなくて、例えばその人の言ってることに説得力がなかったら、この人こういう人間だから説得力がないんですよっていう言い方をすることって結構多いんですよ。
要はその人の他のエピソードを持ち出して、こういう人が言ってるんだから今の話だって間違ってるんですよっていうような話って意外と結構みんなするんですよ。
それって人格攻撃関係ないから、人格攻撃だから。
やっぱり議論するときにそういう人格攻撃をせずに自分の意見を言うことってすごい難しいんですよ本当に。
自分でちょっとシミュレーションしながら自分と違う意見に対して自分がどういう風な意見を言うかなってシミュレーションとかいろいろしてみたんですけど、その人を否定せずにその人の主張の中身だけを否定していくことってすごく知性がいるんですよ。
すごく難しいんですよ。そういう人を尊重した、した上での自分の意見を言うってことはそれなりの人間力であるとか、やっぱり知性なりが必要なんですよ。
そのためにはすごい勉強しなきゃいけないっていう風に思って勉強しようかなって思いました。
そうだよね。結局そこは知識で交わしていく。知識だと聞く力みたいなところもあると思うんですけど。
人間としての器が大事ですね。
器がね、確かに。それはだから立するツールがないとそもそもやっぱりディベートって結構個人攻撃というか個人対決に帰結しちゃうみたいな感性が働きやすいってことなんでしょうね。
人に行きやすいよね、それはね。確かに。それはわかる。だってこいつ間違ったこと言ってると思ってるもんで、スタンスとしては出ちゃうじゃないですか。言わなくても。
そういう風に行きやすいんだろうなっていうのは確かに。そういうところもあるから人は人に対しての攻撃をしてる方に結構興味を引かれちゃうのかもしれない。
そいつがボコされるのを見るのが最高に気持ちよくなっちゃうから。だってムカつくこと言ってるからみたいな。そっちに行っちゃうんだよ、パーソナルな方に。
こいつボコしてほしいわみたいな感じになっちゃうんだろうね。確かに怖いね。そうなってるだろうなって自分も何か人と議論するときにちょっと怖くなりましたけど。
そうならないように我々の番組は自分たちを離するストイックな番組になってくる。
そうなんですよ。それを意識するとね、結構喋るの難しくなってくる。難しくなるね。それやっぱりそのためには知性を磨いていかないといけないってことなんで。
人のいじり方とか上手くなってるかもしれないね。こういうのができるようになるとね。
ということで、ちょっとお時間も迫っておりまして、次ちょうど人のことをいじるかもしれないテーマ。時事砲弾なんで早速試されるかもしれないですけど。今回のエピソードはここで締めます。ご視聴ありがとうございました。
33:12
ありがとうございました。