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どうもこんにちは、WATAです。
KAZUWAです。
いやー、珍しくね、僕っぽくない本を一冊読みまして、
今日はこの本のテーマで、色々ディスカッションしてみたいなと思っております。
読んだ本がですね、反逆の神話っていう本です、ズバリ。
その時点では、WATAさんっぽくなくはないです。
これだけ聞くと、なんか反対性っぽい。
反逆する人たちの作説ストーリーなのかな、みたいなタイトルですけど、
副題がありまして、カッコつきでですね、反対性は金になる。
という、まあ要はあれですよね、反対性はビジネスだぞっていうことを言ってる本なんだろうなっていうのは、
これでさせていただけるかなと思うんですけど、まさに本当おっしゃられる通りで、
なんかね、反逆っていうところで言うと、結構僕が、反逆?
今まで別に反逆の話をそんな頻繁にしてたわけじゃないんですけど、
イメージ的にね、僕が話しそうな内容なんですけど、今回は逆の内容というところで、
で、まあちょっとね、その本の説明と、あとはディスカッションみたいな感じと、
ちょっとセクションを分けて話したいんですけど、
まずね、軽く本の内容を話させてくださいと。
で、これね、すごい分厚いんですよ、本。
今ね、ちょっと今、事前に打ち合わせで会話したんですけど、
もう長い、本当に。
あ、ちなみにこれ発売されたの結構前です。2004年ぐらいだったかな。
オリジナル版の方はもう既に発売されていて、
まあ改めて改訂版という形で、最近、この10月ぐらい。
なので、ちょっとね、話の内容がちょっと古いです。
だから扱ってるテーマとか、本当にもう1990年代の話とかが多いんで、あれなんですけど、
で、ちょっとね、もう長いんで、全部話せないんで、ちょっと拡大しながら話したくて。
で、言ってることはすごくシンプルなんで、結論もね、ちょっと合わせて話したいんですけど。
で、そもそも反逆って、反逆の神話と言っているが、何がテーマかというと、
いわゆるカウンターカルチャーって言葉あるじゃないですか。
この番組はよく使いますよね、カウンターカルチャーっていう。
要は、わかりやすい例で言うと、ヒッピーみたいな、反戦運動みたいな。
とか、あとは、日本だとあれですよね、つい最近話しましたよね、安保闘争とか。
要は、すごい大きい勢力に対して噛みついていく行動ですよ。
で、それに付随する文芸であったり、音楽とか、あと芸術とかっていうのをカウンターカルチャーと言いますと。
で、この本は何をひもといているかというと、
カウンターカルチャーっていうのは、そもそも大きな体制に噛みついて、
それを批判して、批評して、なおかつ変えていこうというアクションというふうに一般定義されているんですけど、
カウンターカルチャーっていうのは、全然カウンターにはなっていないと。
むしろ、今でいう資本主義の社会、消費社会で、消費することに対してすごい反発しているメッセージのものが強いと思うんですけども、
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全然逆で、むしろ反逆行為が消費されているぞっていうのを、すごい明快に言っている本で。
僕がこれを読んで、感想としては面白かったです。今までない視点で、
僕が勝手にカウンターカルチャーに抱いていた憧れみたいなのを、すごい鋭く、そんなアメーもんじゃねえぞっていうのを言ってくれた感じがしたので、すごいわかりやすかった。
たとえ話がめちゃめちゃいっぱいありすぎて、全部紹介できないっていう。
どういう理屈でカウンターカルチャーっていうのを反証しているというか、カウンターカルチャー自体を批評しているかっていうところを話したいんですけど、
まずよく言われるのが、カウンターカルチャーってすごいパラドックスありますよと。
この本でいうと、一番最初にエピソードとして持ってくるのが、すみませんね、世代というか、知らない人多いんじゃないかと思うんですけど、
90年代にアメリカの音楽業界を一斉踏みしたニルバーナっていうバンドのカートコバーンっていう、お亡くなりになられてるんですけど、有名な伝説的なロックミュージシャンですよね。
カートコバーンのエピソードを抜粋して話してあって、カートコバーンって、ご存じの方も多いと思うんですけど、自殺しちゃってますと。
1995年とかが6年だったかな。その理由っていうのが、カートコバーンっていわゆる音楽性でいうと、すごい音楽的なヘビーメタルとかハードコアみたいな感じの音楽なんですけど、
いわゆるパンク音楽の、パンクミュージックの精神をすごい受け継いでる人なんですよ。それを自分の音楽に対して表現して。
パンクロックっていうのも、本当にカウンターカルチャーの最たるジャンルで、ヒッピーっていうか、さっきカウンターカルチャーって言ったんですけど、パンクっていうのはヒッピーすら、
お前ら何甘いこと言ってんだと。お前らごときが世の中変えられるわけないだろうみたいな。そんなナンパな姿勢だったら、ドラッグぷかぷか吸って、それで世の中変わると思ってんのかっていうのがパンクの主張で、
お前らはもっと武力で行くぞみたいな、そういうジャンルです。簡単に言うと。だからすごいハードな。世の中に対してすごい反社会的な感情をある種抱いてるような。
好きな人は好きだと思うんで、詳しい人はね。いろんなミュージシャンいるんで、詳しいかと思うんですけど、カートクワンっていうのは結構そういう音楽に影響を受けていて、彼がやっていた音楽っていうのは、いわゆるオルタナティブロックっていうんですね。
オルタナティブって何かと言うと、それまでのロック、いわゆるレッドゼッペリンとかディープパープルとかバンヘーレンとかは、その当時のメインの音楽って結構ロックすごい売れてるバンドも多くて、もうポップス化してるみたいな。
いわゆる商業ロックとか産業ロックって言うんですけど、そういうのに置き換えるためのロックっていうのをやろうとしてた人なんですよ。オルタナティブロックっていうのはその代わりになるロックっていう意味ですね。オルタナとかグランジとかって言われるんですけど、だから本当にそれに対してのヘイトな感情がすごいわけですよ、カートは。
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ただ残念ながらじゃないんだけど、すごいニルバーナってね、結局商業的な成功しちゃうんですよ。すぐにデビューしてすぐに。で、有名なのがネバーマインドっていうですね、赤ちゃんが泳いでるようなジャケットのアルバムがあって、それがもうめちゃめちゃ売れて、でももうスーパー売れっこになっちゃったんですよね。
で、全世界でアメリカだけじゃなくて、日本でもすごい人気ですし、それをカートコバンがもう売れちゃったもんで、自分の音楽がもう産業になっちまったと、俺は本当産業野郎どもの手先になっちまったみたいな感じで、すごいもう頭おかしくなっちゃって、ドラッグどんどんやっちゃうんですけど、で、もうこんな思いはしたくないから、次のアルバムは絶対に嫌われるような音楽作ると。
で、めちゃめちゃ気合い入れてね、全然違う音楽作ったんですよ。そしたらめちゃめちゃ売れちゃったんですよ。で、これがもうトドメを刺したの、彼の。だからもう俺はこんな状態で生きていくことはできないと。もうあの世はもうアイドル化しちゃったわけだから。
産業のね、本当にもう最大の音楽として世界で売れちゃって、MTBなんか出ちゃって、ローリングストーンっていう有名な産業ロックの人たちがよく表紙を飾るような雑誌の表紙飾っちゃって、で、もう俺ダメだっつって。で、死んじゃった。
結局自分の透き通そうとしてたカウンターのマインドっていうのが、やっぱりこの消費構造、消費社会の中であくまでビジネスとして組み込まれているもので、やっぱりそれに抗うことはできなかったと。そもそも若者がやる音楽じゃなくて、パンクとか社会とか知らない状態でやって、いざ出てみたら思いっきり消費社会に加担する立場になっていたっていうね。
だからここのパラドックスを抱えたまま亡くなられてしまったっていう。これ結構有名な話なんで、ちょっとご存じの方も多いと思うんですけど、要はカウンターカルチャーのパラドックス、まさにこのカートが死んだ理由そのもので、結局資本主義の中でいくら反抗しようが、社会クソだぜっていう音楽作ろうが、結局売れちまったらもう消費社会の中の一部でしかないわけです。
あくまでエンタメとしてやってるっていう風にしか見えないっていう感じで。ニルバーナの音楽性はすごい好きだし、言ってることもすごいかっこいいんで、複雑な感情を抱くんだけど、でもやっぱこう正論だなっていうのはこの本を持って改めて感じたっていうところなんですけど。
でね、なんかその結構その反対性っていうのが、僕らのイメージって例えばタザワさんで言うと、なんかちょっと左翼っぽいというか、なんかカウンターのイメージってあります?なんかどういう思考の人たちがそういう傾向を持っているかとか。
タザワさん どういう思考? いや、例えば僕とかを。 タザワさん どういう思考?
結構その、タザワさんはどっちかっていうとちょっと苦手な方の人だと思うんですけど。 タザワさん まあガタガタ言ってる。 ガタガタ言ってる。それ。なんかグレてるなみたいな。 タザワさん ああ、そうですね。
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タザワさん そうですね。 社に構えてるなみたいな。ロギノン系みたいな感じかな。いや、ロギノン系、ごめんなさい。ロギノン系はそうじゃないバンドはいかないですけど。 タザワさん 個人的な。 ちょっとすみません。個人的なちょっと意見が出ちゃったけど。やっぱちょっとこうやっぱ社会ってちょっとすごい。社に構えてる。
タザワさん ああ、そうですね。だからなんか青いイメージ。 青いイメージですよ。そうそう。まさに。 タザワさん おっしゃる通りで。
タザワさん そうなんですよ。だからすごいプリミティブなところを掘り下げると結構その社会に対してとかっていうものだったり国家に対してっていうものっていうのもすごい個人的な理由とかバックグラウンドが多かったりして。で、まあね、なんかよく階級制度のせいにしたりとかあるんですけど階級こんな労働者階級で辛い思いしてこんな思いしてるのは誰のせいだみたいな。
タザワさん 今度は政府批判みたいな感じで言うとか。典型的なパンクロックのスタンスですけど。でも結構個人に依存するところが大きくて。で、この本が説明してるところで言うと、ちょっとこれタザワさんちょっとあんまり苦手かもしれないですけどフロイトですよ。 いやいや。苦手なんだよ。
タザワさん でもなんかちょっとフロイトの一応ですね、あの心理学の中でこれもしかしたらタザワさんね知ってるかもしれないですけど、人の心理っていうのはなんか3つの壁?式があって、3つのその違う種類の心理状態っていうのがあって、それをなんかね一つが異動って言って。異動っていうのはほんとあれですよ赤ちゃんみたいな。もう純粋無垢な。欲望にもうなんでもこうなんだろうこうジュース飲みたい飲んじゃうみたいな。みたいな感じのそういう感情。もうすごい純粋無垢な感情。
タザワさん 異動っていうのはある程度はそのある種こう自分の自我っていうのを俯瞰してみながら、例えばすごいあのなんか燃えてる火がバーってなってるところの上に鉄のプレートがあって、そこにちょっと分かりづらいタイプなんですけど、コップが置いてあってあのコーヒーを沸かしてたとしましょう。でそのコーヒーを取るっていう行為は自分が怪我するじゃないですか。
タザワさん 要はあの自分がこれをやると危ないぞっていうのを察知して、ただでも飲みたい。だから何か冷ます方法を考えるぞっていうのがエゴって言われている状態。要はある程度は欲望をこう自分のその危機管理能力として制御した状態で欲望を抑えられる。ただ欲望はあるっていう状態っていうのはエゴって言ってて。最後のですねスーパーエゴっていうのがあって、スーパーエゴはもうあの完全な道徳心です。要は人前で裸になっちゃいけません。
タザワさん 物を盗んじゃいけません。社会規範ですよね。いわゆる。っていうところにちゃんと守られている感情。僕らっていうのは社会生活の中で基本的にスーパーエゴっていう状態。いきなりズボン脱いじゃいとかしないわけです。トイレ以外では。たまに脱いじゃう人もいますから。酔っ払うとね。
タザワさん カウンターカルチャーっていうのは基本的にこのイドとエゴっていうところのエゴの部分かな。エゴっていうところがすごい極端に人間的に出ちゃうところなんです。スーパーエゴっていうところはあくまで社会生活において自分が演じなきゃいけない自分っていうのがいて。
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タザワさん それはまあ本心はイドとエゴからするとめっちゃズボン脱きたいわけですよ。本当女の子の前とかで。でもそれはやらない。やっちゃダメよって。でもタザさんが前、ルボンの群衆主義で話してくれたと思うんですけど、人ってちょっとそういう何がしかタグが外れるとイドとエゴが出ちゃうんですよ。
タザワさん 例えば、プロントではズボンは脱がないけどマックではズボンは脱げるみたいな。これちょっと前の話で言うとそういうお店の話があったんで。ズボンは脱がない。ごめんなさいちょっとややこしいこと言っちゃったけど。マックではすごい踏んづり返って足を机に乗っけるみたいな。そういうことができるみたいな。でもプロントではしないよねみたいな話をしてると思うんですけど。
タザワさん これがよくこの境目みたいなのがあって、カウンターカルチャーってやっぱりここのラインを超えるか超えないかっていう感じが近いんですって。あくまで個人的な欲望の中で生まれている、そういうもう本当の自分を開放したいっていう感情があって、それを社会活動に結びつけてるだけっていう。要は社会的な倫理観とかイデオロギーの話じゃないっていうことです。カウンターカルチャーって言っちゃうと。
欲望。自分の欲望。
そういう自分でいたいみたいなところなんですかね。
そうそうそうそう。でそれがかっこいいっていうことですよね。要は。でちょっとあの一つですね。なんでカウンターカルチャーっていうものがこれだけ賞賛されやすいかっていうところと、やっぱりこのね多分精神分析の観点から言って結構もしかしたらこれから説明することはわかりやすく伝わるかなと思うんですけど。
でちょっと代表的なちょっとその例としてあげたいのがアカデミー賞あるじゃないですか。アメリカの映画の大きい賞。でねあの僕あのすごい好きな映画でこれね古いんですよまたごめんなさいね。めっちゃ古いんですよ。1999年かな。公開された映画でアメリカンビューティーっていうあのですね映画がありまして超古いんですけどこれあのアカデミー賞を取った作品なんですね。
これは本当アメリカンビューティーっていうのはまさにこのカウンターカルチャーそしてイドエゴスーパーエゴを見事に典型的に表現している映画で。どういう内容かっていうと一人の中年男性がいてその人が主人公なんですけどケビンスペーシーが主演でで結婚してて家庭もいて子供もいるんですけどあのすごい家族に軽蔑されてるんですよ。
リストラ間際で全然ウダツが上がらなくてしょうもない親父だなみたいな。娘の友達がいるんですけどすごい綺麗なこの人に娘がいて娘の友達がいて娘の友達がめちゃめちゃ美人なんですよ。
娘はそのね自分のお父さんがその友達に気があるってことをうっすら勘づいてで事実そのおっさんおじさんはね気がある。でもあのもちろんそのウダツがあかんな親父なんで家に遊びに来た時とかはスケボー心が心の中にありつつ自制心ですよ。
セーブしながら何もしないんですけどもとある時にもうあのなんか結構リストラ間際になってでなおかつ家族に虐げられてちょっともうその自分の鷹が外れちゃう瞬間が来てもう会社辞めたつってで嫁お前お前とはもう別れるみたいお前二度とセックスしないみたいな感じで
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本当の自分を解放しようみたいなこのおじさんはもともとヒッピーなんですよ役柄的にだからあの頃自分取り戻すつってあのもう本当もう娘の友達の男の子からマリファナを買ったりとかちょっとお前あれ持ってるだろうつってちょっと俺に来れよみたいな
あとはファーストフード店でアルバイトし始めてだからその若い頃のあの感情を取り戻すみたいなあともう体鍛えてつってでどんどんなんかその自分を取り戻していくんだけど結果的にそのあれなんですよ娘の友達とできちゃうんですね最後に
で最後こういろいろこう自分を解放してって本当の自分を取り戻すみたいな感じになっていくんだけどでまぁオチを言うと最後で殺されちゃうんですけどまぁだからそのその何ですかね彼はその本来その異動エゴのところっていうのをずっと包み隠してこう生きてきてそれに抑圧された中で本当の自分を取り戻すみたいなっていうね感じで映画の中で描かれてるんだけどそれを取り巻く人たちっていうのはどっちかというと抑圧してる人なんですよ
奥さんもそうだし隣に住んでるあの男の子が住んでてその親父がなんか軍のなんかすごい大差みたいなもともとなんかで軍でそういうことをしていた人ででもその人実は本当はゲイででもゲイってことは軍の関係者とか言えなくてずっと彼自身も抑圧されてみたいななんかその抑圧されてる中の最後解放自分が解放できた一人みたいな描かれ方で最後抑圧されて人に殺されちゃうんですけど
っていうのが1999年のアカデミー賞で受賞してるんですけどまさにあのこのあれですよねカウンターカルチャーっていうのがいかにその社会の構造として多分その抽象化した時にみんな多分おじさんたちそうなんですよ抑圧されてるそういう環境で働いてるおじさんがいてみんななんか若い頃のあの頃を思い出したいみたいな人たちがたくさんいてそういう人たちが共感したりとか
なんかやっぱ本当の自分を出すっていうことがどれだけ大変ででもそれ本当は自分の欲望に素直になっていきたいじゃんみたいなっていうのが多分こういろんな意味合いで評価されてアカデミー賞取ったっていう映画なんですけどこれ結構象徴的でアカデミー賞とかあとさっきのカートコバーもそうなんですけどアメリカのショービジネスとかエンタメって割とそういう作品が賞を取りやすいんですよ要はそっちのほうが共感が得られるから
なんかわかるじゃないですか倫理観的によくね左翼の話するときにそれは倫理観的に正しいから共感するでしょみたいな話するときにまさにその話でそういうメッセージを伝えたほうが共感しやすいんですよなぜならその意図とエゴをみんな持ってるからそれを出していいじゃんって言ってくれてるから共感しやすいそうだからそうやってまあそのエンタメって実はよく見るとそんなものばっかなんですよ
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よくよく見るとだから最近僕が話したノマドランドあれもだから消費の社会から逃げて逃げてじゃない消費の社会からちょっと逸脱した生活を送ってで本来の自分を取り戻すっていう話であれがアカデミー賞を取ってますしで音楽とかもそうですよね本当に自分に素直になれないのとか自己啓発ってそういうことじゃないですか
実は僕らってそのほとんどカウンターのもので育ってきてるじゃんなんかマインドというかでカウンターのものっていうのはすごい消費されてるそれだけ要はあのほとんどこの消費する何か消費構造の中っていうのは基本的にそういうモチベーションをフックにしている
なるほど
そういうものは多いしそれらを多分人は称賛してる気がしてなんかあの結構ハッとしたんですよねなんかなんとなく分かってはいつつなんかそれをズバッと言ってくれたというかっていうねだから結構タナさんとか読むとこれ面白い本なんじゃないかなって思うんですけどあともう一個ね映画のエピソードでもう一個だけ話したやつがあって僕すごい好きな映画でテリーギリアム監督とジョニー・レップ主演の映画でラスベガスをやっつけろっていうですね
僕すごい好きな映画があって本当40回ぐらい下手したら見てる映画なんですけど
そう本当しょうもない映画で本当ドラッグのハンター・トープソンっていう実際に実在したそういうジャーナリストの自助伝というかそういう映画なんですけどもう60年代のヒッピーの話なんですね
でもうドラッグまみれでもうなんかもうあの頃のジャーナリストほとんどもうドラッグまみれでもうすごい命定した状態でみんな記事書いてたみたいなのをもう2時間永遠とこうロードムービーとしてね語ってる映画なんですけど
そのでも一節の中に要はそのドラッグカルチャーってもともとはやっぱりそのカウンターカルチャーとして要は反戦運動と結びついていたものなんですよ
要はそのドラッグをやればハッピーになるじゃないですかみんな考え方とか生き方みたいなだから全員がドラッグをやればこの世界はみんな幸せになると
こんな幸せな気持ちになれるのになぜみんなやんないんだみたいなっていうのが多分ヒッピーのその言い分というかね
だからそうすれば戦争なくなるじゃんみたいなドラッグをみんなやればさとりあえずさみんないい奴になれんだよみたいなっていう考え方なんだけど
でも結果的にそれは本当もう疑問というかただの幻想でしか過ぎなくてもうみんなボロボロになってくるその後も
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この映画の中でも結局反戦とか主義っていうものはあくまで言い訳でしかなかったみたいな
結局自分の欲望のままいろいろできることをいい音楽聴いていいドラッグ吸ってっていうことの大義名分でしかなかったっていう
すごいいいセリフが出てくるんですけど僕はそのセリフがすごい好きでこの映画を見てるんですけど
ドラッグを肯定してるんじゃなくて全否定してる映画だからやっぱヒッピー文化ってね
なんかこうイメージ的にこういろいろイメージがある人もいると思うんですけど
でもその音楽で言ったらもうビートルズジョン・レノンとかあとはねもう早々とあるローリングストーンズとかジミー・ヘンドリークスとか
下手したもの本当今のねロックの基礎を築いた人たちがほとんど通ってるとこなんですけど
だからそういう今のそういうねメジャーな音楽の礎を築いてきた人たちのカルチャーっていうのは
当時そういうふうにこうなんて言うんですかね政治的な意味合いでこう聞かれることも多かったんですけど
やっぱ事実として立ち返ってみると結局消費してただけなんですよそれを
で何も買わなかった実際それをみんなで反戦だとか言ってもドラッグだって言っても何も買わなかったっていうのが現実で
でドラッグ捨てた人たちはもうみんなボロボロになって死ぬわけですけどその後ね
だから結局残酷なそのね結末が待っててというところでやっぱり一時的なそのなんか熱量とか爆発力がすごいから
大衆はこう感化されやすいんですけど結果的に見るとそのもう体制側に思いっきり加担してて
その循環をしてただけっていう虚無が虚無しかないと
その時楽しけりゃいいじゃんみたいな人たちもいるんでそれはそれでいいのかもしれないですけど結局全然メッセージとは真逆のことをやっちゃってるっていうのが
両立に描かれてるのがこの本とか映画 今言ったラスベガスをやったんですけど
だからこういうのを見ると結構今もそうかもしれないですけど若者ってこういうメッセージに結構感化されやすいじゃないですか
この本の中でも出てくるキーワードとしていわゆる文化左翼っていう言葉があって文化左翼っていうのは何なのかというと
僕らが苦手なやつですねポリコネローすごい 要はだから倫理的には正しいけどそれ言いたいだけでしょみたいな
これが多分言う田沢さんのテーマにも繋がっていくんですけど
まあいわゆる政治左翼っていうのは従来のマルクシス主義とか貧困で困ってる人を助けるみたいなムーブメントですよ
基本的にそれらを助けるっていう意味合いで構築していったんですけど
この文化左翼っていうのはいわゆるマイノリティを守る別の意味のあれですよね
要は性的マイノリティとか女性の権利とかいろいろあります環境問題とかもそうですけど
結局カウンターカルチャーっていうのはかなり文化左翼的な思想が強くて
やっぱ文化左翼の思想ってこれ多分僕らはもう議論し始めるともう30分じゃ収まらないぐらいで話しちゃうんであれですけど
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言ってることは分かるけど多分本質じゃないよねっていうのは何となく田沢さんとは共感できるような気がする
気持ちは分かるよって
そうそう気持ちは分かるよみたいな
でもそれをやることでどうなるんだっけとか本当に変わるんだっけとか
左翼のやることって基本的にほとんど理想論だから気持ちは分かるんだけどほとんど実現しないことが多いので
またその中の齋藤玲が文化左翼をやってる
文化左翼が結局対等してきちゃうと本当に変えなきゃいけないことが目に見えなくなってくるんですよ
これ多分今すごい今の社会でちょっとそういうのが起き始めてると思うんですけど
だからファッションとかカルチャーとして左翼的な考え方を用いちゃうと
本当に解決しなきゃいけないことが見えなくて
なんかそのファッション性が高い言葉SDGsとかビジネスになりやすい言葉がどんどん出てきちゃって
結局可燃を生み出してるだけで本質的な問題解決してるみたいな
っていうことが起きるのでそういうことも批判してることなんですよね
結局この文化左翼の対等によって左翼が本当にやらなきゃいけないことが30年ぐらい遅れちゃったって言われてて
これは左翼右翼どっちが正しいっていう議論じゃなくて
ただ本質的なこと右翼も左翼もどっちも必要なわけじゃないですか社会が
だからそういうところがちょっと遅れちゃったりとかっていうところで
めくらましじゃないけどね
そういう感じで結局カウンターカルチャーって本当に人類とか社会として向き合わなきゃいけないことを
ちょっと盲目的に別のことに集中しちゃったりとか
あとは消費っていう意味でも本来そんなところに消費しなくていいのに
よけいこういう文化左翼的な思想っていうのは結構承認欲求とか人と違うこととか
あと倫理的な刺激とかっていうところを刺激しちゃうんで
結構本来そこに継ぎ込まなくていいお金っていうのを無駄に継ぎ込んじゃって
ベーシックに生きるための消費っていうのを過ごしてればこんなに貧困は生まれなかったかもしれないのに
っていう指摘もしていてすごい納得というか
そういう思想とかファッション的な思考が全面的に出てる人の方がかっこよく見えるとかあるじゃないですか
そういうちょっと難しい話なんですけど そういうのもちょっと否定とか批評してるっていう感じですね
ちょっとこれ本当はかなりいろいろ話したいんですけどちょっと長くなってきてるんで
そろそろこの辺にしようかなと思うんですけど
タザさんと話したいのはでもそのカウンターカルチャーが生み出したものって
ちなみにこの本は別にそのカウンターカルチャーが生み出した音楽とかそういう芸術性を全然否定はしてなくて
生まれた音楽時代は素晴らしいよとは言ってるんですよね ただその結果的にメッセージとしては全然ちぐはぐだったけど
でも確かにいわゆる文化差異物に対して今話の流れだとやっぱりちょっとネガティブな目で見ちゃうんですけど
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とはいえ自分が好きな音楽好きなミュージシャンはそっちでいてほしいっていうのはあるのはみんなそうだ気がする
タザさん そうこれがだから難しいですよね
これ何でなんだろうな
タザさん これがですねこの本が言ってるその区分けで言うといわゆる反逆の反対は順応なんです
人々は順応することを恐れてるんですって
だからこれでも伝統とか保守とかって考え方で確かにこの合理性が謳われる世の中で言うと
なんか言いたくなるじゃないですか合理的じゃないじゃんなんで今までいつまでそんなことに縛られるのとか
だからそういうふうに順応することを恐れちゃうっていう性質が今現代人はすごい潜在的に残っていて
それなんでかっていうとやっぱ戦争の影響が強かったらしくて
ナチスですねヒトラーの話はすごいこの本は言ってるんですけど
ナチスがやったことって結局そうなんですよ
こうだぞこういうふうにやればドイツは素晴らしい国なんだみたいな
こういうの排除すればこうなんだっていうのを学名通りみんな受け取っちゃった
ムーブメントというか流れで
それらが生み出した怪物がやっぱヒトラーじゃないですか
だからそういうものをこういう革命的な指導者が現れた時に
学名通り受け取ることっていうことに対してすごい怖さを感じるようになっちゃって
それがめくめくと受け継がれていたりして
それが音楽とかに現れたわけですよね
反戦運動とかもそうだし
政府の言ってることは大体間違ってるぞみたいな
っていうのを歌うっていうのが逆に言うとメインストリームになっちゃった
だからある意味普通に生きてると順応すること
移動エゴスーパーエゴで言うと基本的にスーパーエゴで生きていくのが文明を持ってる人間のあり方なんだけど
でも戦後以降の社会って全然それを真逆になっちゃって
メインストリームが反逆になっちゃったんですよね
だからそうじゃないことについて逆に言うと違和感を感じちゃう
だからありのままでいいじゃんって言ってくれた方がやっぱりそれは響くし
だから難しいですよね
順応してるアーティスト、例えば
政府バンザーイとかって言ってるバンドを応援しづらいっていうのは
本当そうだなと思って
それはなんか先入観とかも植え付けられちゃってる
なるほどね
あとなんかそんな交渉の話じゃなくてもっとしょうもない意味もあるかなと思ってて
例えば究極人事だからじゃないかなと思っても困って
例えばですよ
お笑いってお笑い芸人さんたちを見て僕たちが笑えるのって
やっぱりその自分の関係ない人が自分のコンプレックスなりを見せてる姿を
人事として笑ってるっていう側面あると思うんですよ
ありますね
ミュージシャンとかがやっぱり文化作業的な思想で
パフォーマンスをしているところっていうのを旗から見て
人事として面白いなって思って見てるっていうだけの気もするんですよ
傍観者的な?当事者じゃないからね
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そうそうだから無責任に楽しんでるっていうのもあるし
これはそうなんですよ
でもそうでこれだからこの本で言うと結構序章の方で
いわゆるマルクス主義の話が出てくるんですよ
マルクス主義なんでダメだったのかみたいな話が書いてあるんですけど
結局当事者をね
マルクス自身はやっぱり労働者のためをもってこういう風にして
ユートピアを作っていきたいって思ってるんだけど
労働者は全然興味なかったんですね
実際あんまり言ってることでまあうーんみたいな
結構響かなかったらしくて
労働者の本質的に生きる豊かさを追い求めてとかって言われても
あんまり響かなくて
一般大衆っていうのはそんなおっしゃってる
高尚なレベルの議論で話してないし
基本的には傍観で理工的に世の中を見てるから
そうですね自分視点のミクロの視点でしか見てない
そう見てないそうだから知らないんですよ
あくまでそうなんだそんなことやってんのねって感じで
傍観してるぐらいがちょうどいいものなんですよね
あと面白いのは要は政治とかもそうだし
あとは大衆自身も大衆自身をすごい傍観してるみたいな感じなんですって
だからこれはちょっと伝え方が難しいんですけど
一般大衆が選ぶメインストリームってちょっとダサい傾向がありません?
なんでこんなバンド売れんの?みたいなとか
なんでこいつらが成功するのか分かんないみたいなあるじゃないですか
基本的に大衆はそういうだから芸術とか音楽とかもあるんですけど
選ぶセンスって別に大衆としてはないから
結構愚かなものを選んじゃうんだけど
それをクソダセーって思うらしいんですよ大衆は
要は資本主義とか資本家が作り出してる偶像みたいな意味合いでね
否定することは多いんですけど
選んでるのは大衆で
要は自分自身が選んでるものなんですよ
それがいいと言われてて
売れるから資本家はそれに食いついてプッシュするけど
選んでるのは自分たちなんだけど
そういうふうに選んだものに対してクソダセーって思うのが大衆で
それがカウンターカルチャーみたいな
要はあんなダセーバンドの音楽は
いやあんなもの作るバンドはダセーよ
俺らはもっとかっこいいもの作るぞつって
なんか出てくるんですかインディーズとか
すごいアンダーグラウンドなところから
クールなもの作るぜみたいな
それってやっぱりあれなんですよ
さっきすごいいいことおっしゃってたんですけど
基本的には人ごとなんですよ
大衆のすごい大義名分とかそんなものを
大衆は知ったことないんですよ
ダセーかかっけーかみたいな感覚とか
大体人と比べてるから大衆は自分を
本当に理工的な感覚で
いや違うと思うしみたいなことを言うのが大衆で
結局そういう交渉のロジックがないから
だからやっぱカウンターが生まれやすいって
カウンターが消費されやすいっていうのがまさに
僕もワタさんの話聞いてて
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これはどういうことなんだろうと思ったので言うと
例えば最初のカードコバーンのエピソードなんかは
もうそのままのストレートの意味だと思うんですよね
やっぱりそもそも商業的に成功するような
音楽を作りたかったわけじゃないってところで
葛藤があったじゃないですか
だけどですよ多くの場合はですよ
そもそも出発点が商業的に成功するのが目的で
バンド始めるでしょ
でそのにもかかわらず
反対性的なメッセージの雰囲気の音楽をやるでしょ
これはだからなんでですか
そういうものだからっていう
だからかっこいい像っていうのが
こういうものだっていうのがあって
それを踏襲してるっていうことなんですかね
それはあると思いますね
だからやっぱり社会を知らない若い状態で始めることが
ほとんどでそういう行動って
すごいそれってさっき言った理工的な感覚というか
違うと思うんだよなみたいな感じで始めて
商業主義かどうかというとまだ売れてないから
そこを否定できるわけですよその段階では
でも絶対売れないとバンドって続かないでしょ
できないんだから
バイトしながらずっとやっていけますかみたいな話で
どんどん現実を見ていく
人間として成長していく過程で
そういうのがどんどんアップデートされていくから
それは多分いろいろあるんでしょうけど
でもあの若い頃のそういう感情って不思議ですよね
だって絶対あんなダサいバンドみたいになりたくないのに
今からすごい近いことをしようとしてるし
たぶんゴールはそこなんですよやっぱね
売れて名を上げたいみたいな
だから結局そうなるんですよ
なんでかといったら
資本主義っていうのをよく資本主義を批判する人って
お金儲けっていうところだけを批判するんですけど
資本主義によってもたらされるものが何かって考えるべきで
資本主義があることによって表現の自由とか
理論の自由とかね
あと自由に何でもできるっていう
そこにその音楽活動とかの表現の自由があるから
こそもうその中でやってるっていう
そういうことではあるからね
これはちょっと僕の推論になっちゃうんですけど
おそらく結構これは前から2人でも話してるかもしれんけど
極端なユートピアの世界では
こういう文化って生まれない
だって弾圧されるでしょ
そうそう弾圧されるし
そもそも人と比較する機会がなくなっちゃうから自分も
であと競争主義がね競争がなくなるんで
なんだろう要はやっぱりなんだかんだ格差とか階級とかって話はするけども
結局のところ自分が成功しただけで仕事だって
で別にそれを還元するとか
そんなことは基本的にそんな成人クッションいないわけで
基本的に自分が強いメッセージを社会に出して売れたっていう事実しか残らないわけで
だからそれができるのは資本主義だからですよね
でおそらくですけどそういう何もない平たい世界にニルバーナは存在できないですよ
だからニルバーナそこに行きたくないと思うんですよ
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要は資本主義っていうのは国民とか民衆が望んでる結果なんですよね
だから人類の歴史的に長かった
そういう共産主義っぽい考え方ずっと長かったわけで
それだとやっぱり自由がないってことで人類たちが生み出した
ある種の英知みたいなところから資本主義だったりするわけですよ
だからある程度一応良い界ではあるんですよね
資本主義っていうのは一応ね現段階では
完璧とは言えないけれどっていう
あとは成長だとして成長の話僕ら結構よくするんですけど
やっぱり成長っていうのはベースになきゃいけないはずなんですよね
例えばバンドやりたいって言っても成長してない状態って無理ですよ
本当に極端な貧困では音楽さえできないんだから
ベースがあるからそういうアクションができる
ただその貧困のレベル感がいわゆる階級とか貧富の差って言われてるもので
なんとなく見えててそれに対して不満を抱くから
それに紐づけて何かカルチャーを発信するっていう行動ができちゃうわけなんですけど
ただそもそもこの構造がないとそれってできないっていうのは結構理解しなきゃいけなくて
あとはそれをある種ビジネス化しちゃうところはあるんですよね
だからそれを本当完全に芸術と切り離して
商業は商業の視点であるし
芸術としての崇高さっていうのは追い求めていかなきゃいけなくて
だからアーティストではそこが追い求められる存在であれば
別に商業主義っていうのはある種一定受け入れていいというか
受け入れたら追えないみたいな
なり上がりとかが成立してるのはそういう商業主義がある
そうなんですよね
まあ結構口では割と僕ネオリベネオリベって批判しちゃうんですけど
競争がない社会には僕絶対行きたくないですもんね
例えば明日からもう財産は国が管理しますから
あなたその国で生活して
その代わり絶対働かなくても貧乏になることはありませんか
貧乏というか極端に貧しくなることはありませんから
どうぞ行ってくださいみたいなの言われて
行かないでしょって普通に
誰も本当は望まないの
そういうバックグラウンドで生まれてないからね僕らは
逆にでも和田さんが勝ち組だからじゃないですかっていう意見でやるかどうですか
捨てた
だからね勝ち組理論は本当に奥いかしくて
勝ち組理論ってやっぱりカウンターの発想なんですよね
社会主義っぽい考え方だしサイクっぽい考え方
ちょうど僕このテーマ本当はもうちょっと手厚く話したかったんですけど
つい最近僕らが話題にしてたニュースで
何でしたっけ今日の仕事は楽しみですかっていう広告
悪趣味な広告が品川駅をジャックして
通勤中の人たちがみんな今日の仕事楽しみですかっていうのを
目に入れながら歩くっていう
もう現代勘違いした現代アートみたいな
みんな舌をうつむきながらもうサラリーマンとかがその街を歩いてるみたいな
あれね僕結構でもなんかすごい
それにそれはあなた階級が上だから言えるんじゃないですか
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特権階級だから言えるんじゃないですかみたいなメッセージ性とか
そういうヤフコメとかも見たんですけどあの議論は結構香ばしくて
でもなんかねあれを出しちゃう人もちょっと
カウンター気味な気がしてるんですよ僕なんか
あれなんかどっちもなんかちょっと微妙なんですよ受け取ってる側も
あれを発信してる側も何言ってる
ネオヒルズ族だってある種のカウンターですもんね新しい
別に中卒でもできんぜみたいな
でもこの広告ってそういう感じですか
何疲弊してるんですかみたいなあの優越感みたいな
僕はでもこういうこの価値観自体は分かるんですけど
ちょっと共感能力に欠ける広告なんですよね
どういう絵面を創造したのかねって思いますよね
何を意図してたのかが全然わからないとこがあって
僕もその
わりと意識を高く持つっていう考え方を
一生懸命取り入れて生きてきたんですけど
僕自身は何事もポジティブに考えていけるとは思ってるんですけど
誰もがそういう人生生き方を価値観を望んでるわけではない
っていうことにすぐには気づかなかったなって僕も思ってて
それは僕も反省するところもあったりとかするんで
仕事感とかって本当に人によるしね
何にも特別なスキルとかがなくて
自分でもできる仕事って思って生きるための生活費のために
生きるために仕事をするっていうモチベーションで働く人が
多いわけだからそういう人にとってはこの広告が辛いと思うんですよね
辛いと思いますよ本当に
問いかけられたところで何もないですよねそこには
要は結構ちょっと要素としては
マルクス主義者っぽい理想主義なところあるじゃないですか
やめちゃえやめちゃえもう俺らと一緒にやろうぜみたいな
すげえワクワクするよ仕事みたいな
いっぱいあるからそういう仕事みたいなってすごい理想論を考えてる人から
言いがちなやつなんですけどそういう現実じゃないところの世界線であって
あとだから仕事が楽しいか楽しくないかって
結構仕事の触手とか内容とかとはまた違う
変数があって環境とか人と接することが嫌みたいな
パターンってあるなと思ってだいたい僕人間関係なんじゃないかな
っていうのは思ってたりするんですけどそこは
お前が言ってる理屈じゃブレイクスルーできないぞとは思うんですよ
そもそもその人が掲げてるコミュニケーションの問題な可能性もあるから
何を仕事を紹介しようがうまくいかない可能性が
すごい高くてそれってすごい一方向からの
視点だよなって思うんですよね 僕ら今専門職してますけど
例えば20年の時にアルバイトとかでいろんな仕事してたじゃないですか
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それってその仕事に誇り持ってやってたわけじゃなくて
生活費を稼ぐためにやってたじゃないですかそういう
人間にとってその仕事楽しいですかって問いかけられても
そもそもそういうモチベーションで今の仕事を選んでなかったりするわけだから
お金のために働くことって何にも悪いことじゃないからね
別に仕事に価値をとか意味とか楽しさを
見出さなくても全然いいんだからそれこそ家庭とか
プライベートに見出してる場合もあるんだしね だからそれをさ
だからすごい老悪的ですよねそう考えてみると
メッセージとしてすごいじゃん通勤してる人に対してこのご時世に
通勤しなきゃいけない人たちですよだって品川駅でゾロゾロ歩いてる人たちは
この状況でそんな選択肢がない人たちに対して
一番あれだよね一番
言っちゃいけない人たちに対して言ってる可能性あるよだから
例えば月曜日が一番人身事故が多いって言ったりするじゃないですか
そういう世の中ですかね そうですよだから
そうですよだからさだからやっぱね僕は
この本の流れで言うとカウンターの弊害なのかなってちょっと思ったんですよ
この今日の仕事は楽しみですかなんて言えちゃう
いや俺らもっとさヒッピー的な生き方しようぜみたいな
なんかそういうの聞こえるんですよなんかドラッグやってればハッピーになれるかみたいな
なんかそれぐらい軽薄な言葉全然その先には
何もしそうがないみたいな風に見えちゃう
ただまあニュースピックスっぽくていいですよね まあそうですね
関連会社やってるっぽいですけど そういう会社だし
あの会社のああいう雰囲気はそれぞれでいいと思うんですけどね
本当ねあの会社やっぱ90年代前半的なね
会社をディスっちゃうとあれですけど
でもまあ独特で分かりやすいカルチャーだから
それいじってもいいと思うなっていう そういじりるっていう良さはある
だからネタとして提供してくれる 昔さよならおっさんで
さよならおっさんでも さよならおっさんマジで本当
よく考えるなと思いましたからねなんかすごいセンスだよね
でも次から次へとニュースピックスは生み出しますね
逆にあの路線で何かアウトプットできるって僕なんか僕らって絶対できないじゃないですか
あれすごいよね人に嫌われる才能というか
ねえ本当に
あれはねきついきついよ
カルチャーを何て言うんですか新自由主義的な感じで言うんですかね
どうなんすかねでもいろんな意味合いがありそうですよね
ネオリベラリズムっぽい自由競争のこと
そんななんかいつまでも何疲弊しちゃってんの
みたいな空気もあるし逆に言うともっとその労働権利
的なやっぱマルクスっぽい感じの方にも捉えられるし
みたいな疲れたら休んでもいいんですよみたいな
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意味合いとも取れるし
お前生活保証してくれんなよ感じですけど
まあでもとりあえず何様なのかって話はあります
いずれにしてもねまあでもやっぱそれを
軽薄な感じで言えちゃうのはネオリベっぽいんですかねやっぱね
労働者の立場が分かっている人だったらそれ言わないですよね
なんかでもニュースピックスって最初はただのニュースキレーションアプリだったじゃないですか
ここに至るまでのすごいなと思って
そういう人たちが集まるメディアになって
いつの間にか新しいカルチャーを作ってるわけですよすごいなと思って
だからこの話題自体もそこで
あれでしょ語られてるわけでしょニュースピックス上とか
いやでもこれはこういう視点でこうでこうでみたいなことをすごいロジカルに説明してる
人たちがいたりとかそういうことじゃないんだろうみたいな
だからさっき言ってたこれあれですよ
他人事のやつらの話ですこれ多分もう全部人事
基本的にそれを楽しんでるだけっていう構図かもしれないですよ
残酷だよねだからね
僕でも自分の好きなこととかを仕事にできてる人には
そうじゃない人の気持ちってマジで分かんないと思うんですよ
本当に 分かんないよねまあでもね
だって嫌なら辞めたらいいじゃんって思うの自然な気はするし
なんでそんな安い給料で働いてるのとか普通に言いますもんね本当に
なんか考えると
それは仕方ないんじゃないかなって思っちゃうんですねどうしたら
そこって共感し合えるのかなと思って
まあでもこの本の話題に戻すとやっぱり
最終的にはちょっと理想論っぽかったんですけど基本的に
リタ的な考え方っていうのが経済に組み込まれてないと
やっぱ基本的にはダメで
いわゆるビジネス的な倫理観のやつじゃなくてやっぱり
利口性だけを主張する社会だからっていうのがあるんですよ
だからもっとリタっていう他人がどう
でそれに映し鏡になるのが自分じゃないですかそれが見えない人が
多いんでしょうね他人を自分の映し鏡として見れない状態が
僕の場合はそのあれなんですよね20代に
音楽頑張っててで今ウェブティアのエンジニアやってるでしょ
これがねすごくこう自分として面白いなと思っていてっていうのは
音楽もエンジニアみたいなこともみんな趣味になるものなんですよ
好きでみんなやるからだけど音楽は好きでやってるならお金にならないですよ
全くだけどエンジニアは好きでやってるものがお金になるんですよ
だから僕の感覚では音楽やってた時も今やってることも同じなんですよ
感覚としてはにもかかわらずあの時はめちゃくちゃ
苦しい生活をしなきゃいけなかったけど今はそれが仕事になって
全然ストレスがないわけですよだからたまたま自分は
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今こうなってるだけっていう感覚がめちゃめちゃ強いんですよ
僕は自分の好きなことが仕事に
今できてるってことが自分の能力とか努力とかっていうよりも
たまたまでしかないなってめちゃめちゃ思ってる
そこは本当に難しいよね
たまたまではあって
僕もかなり近い感じだと思うんだけど
たまたまに出会えるためのアクションってすごいした上で
たぶんこうなってると思うからそこの行動力は圧倒的なんですよ
その変数を相対的に国民一人一人に
そういう機会創出ができればいいなとは思うんだけど
そこに至らないんだよね
アクションすらもうしんどいきついみたいなね
もうそれこそ染まりきっちゃう場合もあるからさ
自分なんて無理だよ本当にとかっていう場合もあるし
そこがねこの広告がまさにそうだけどそう思えない
そうじゃない人たちに対してそう言えちゃう
っていうところですよねやっぱね
なんかそれが本当はね
出会える機会が多い世の中にはなってほしいっていう思いがあります
たまたま好きになったものが需要があるかないかって
ちょっとガチャなとこありますね
しかも僕なんてそんなだって僕がこの仕事やってるとき
始めたときなんてそれこそ全然当たり要素
確変要素全然なかったんですよ一生奴隷みたいな仕事を
それでこの業界入ったんで今もうコキ使われて
ほんとつきほんと僅かな手取りで
やっていくぞっていう感じで入ってるんで僕はたまたま今
業界的に確変が起きてちょっとねだからその市場原理はさ
普通の人は読めない僕もその人ですけど普通にはわかんないからさ
たまたまじゃたまたまだよね本当にだからでもアクションの数によって
その当たり数は確かに変わるから
みんながある種たまたまっていう感覚を多少持っていれば
もう少し優しい世の中にはなる気がするんですよ
そうなのよこれの広告を書いてる人もたまたまなんですよ
だからたまたまこのIT業界が確変起こしたから
なんですよ本当にそれを言えてるけども
なんか世の中を知ればそんなねこんな簡単なことはないんだよ
とかちょっと経済勉強すれば
全然わかっちゃうからさとか言いがちですけど
そこにすらたどり着かないしそもそもそんな価値観じゃないかなみたいな
たまたま周りにそういう人が多かったとかっていうこともあるだろうしね
でも象徴的だよねだから本当に
このニュースに関してはすごい象徴やっぱ現代的な
感じはしたのとまあでもなんだろうねこういう風に
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この番組で議論できるようにやっぱ
それが客観的にどういう状態なのかっていうのを
知れる変数はすごい多いかもねやっぱりいろんな人がネットで
意見言ってるしもちろんしょうもない意見もたくさんあるんだけど
その中で情報を取捨選択すればね
さっきのアクションの数じゃないけどそういうの掘り下げていくと
なんでこの話はこんなすごい憂鬱な話で
どうしたら解決できるんだみたいなところの意見は
聞ける世の中ではあると思うから
って感じでですねちょっと今1時間を超えましたんで収録時間がなかなか
やっぱり盛り上がっちゃいましたねこの話はねちょっと僕の前振りが長すぎたっていうのと
あと結構僕まだ全然話し切れてないところが実はあるんですけど
とりあえずこの本の内容はざっと洗い流すなとあとは最後
ディスカッションもできたんで良かったなというところで
この次のエピソードにもこれに絡むような話が出てくるんじゃないかなという
ところでまた次のエピソードもぜひ聞き続き
聞いていただけたらと思います一旦じゃあここでお開きというところで
ご視聴ありがとうございました ありがとうございました