ヒカルさん、明けおめです。 明けおめっつっても、もう2月、もう末に差し掛かってるけど、大丈夫か。
もはや3月の方が近いけど、明けおめです。 3月近い、やばいな。ちょっとひっくる。
うん、ごめんね、ちょくさいが。 何してたんだろう。 ああ、いやいや、ちょっとでも忘れてた。このポッドキャストのこと。
ごめん、ごめんよ、みんな。お待たせしました。 最後撮って出したの、いつなんだろう。
わかんねえ。なんともルーズなこのポッドキャスト。久しぶりすぎて、ちょっと俺あんま話すネタが逆にないんだけど、久しぶりすぎて。
普通だったらさ、久しぶりだからもう話したいネタが溜まりまくってるみたいな感じだといいんだけど、そういうわけでもないんだよな。どうしよう。
あの、いくつかあれなんですよ、宿題をやってきたんで、ちょっとそれを僕が喋るわ。 ネタがある?
はい、あります。 ネタ書かない方芸人の矢本に、なんてありがたいんだ。お願いします。
多分最後収録したの10月とか11月な気がするんで、いたすると4、5ヶ月経ってると思うんですけど、
最後に何話したか、ひかるさんあんま覚えてないっしょ。 覚えてないね。
僕一個覚えてるのがあって、国宝見た方がいいよって言われたんよ。一緒に見に行くかみたいな。
めっちゃ前やな、それ。 国宝さ、見に行く時間はねえな、ねえな、ずっと思ってたんですけど、僕ですね、本を読んだんですよ、全部。
国宝の? 国宝の上下巻。
それもちょっとね、かつ字そんなに長いこと読めないから、アポディブルってやつを契約して、聞いたら、大体2週間ぐらいで上下巻全部読めるというか、
読めて、結構めちゃくちゃ面白かったし感動したんですよね。 ええ、そうなんだ。
なんでその話でもしようかって思って持ってきました、まずは。 国宝です。
テーマは国宝? そう、ちなみにその前も話したかもしれないけどさ、あのうちの奥さんは映画を見ていて、本は読んでないんですよ。
ひかるさんも多分映画は見たけど本は読んでないですよね、原作知らないですよね。 知らない。
で、僕は原作しか読んでないんで、国宝のその映画のその、なんだろう、その童的な、あの、なんていうんですか、アート性みたいなの。 映画見てないの?
そう、わからん。 嘘やろ? 映画は見てない。
そこまできて映画見てないの? 嘘だろ? そう、映画見てない。え、わかんない、そのアマゾンプライムとかに来てくれないと見れないわ。
いや、マジでめっちゃ珍しいと思う。国宝が上映始まった後の人間で、小説だけしか読んでない人間って多分めっちゃ珍しんちゃうかな。
まあ、その可能性は結構高い。で、すでに妻と話して、その映画と原作の結構大きい差分みたいなものの擦り合わせは済ましたんですよ。
例えば、原作の方だと、ちょっともう名前、だいぶ前だから忘れちゃったんだけど、初めヤクザのところからさ、2人出てくるじゃない。
で、その時にその主人公の相方みたいな人が、結構原作側だと最後の最後まで、なんか主人公の伴奏パートナーとして結構描かれ続けるんですけど、
映画の方だと、途中その辺はもう消えて名もなき一人として描かれてるみたいな風に聞いたんで、やっぱその原作めっちゃ長いから、
結構いろいろ重要なパーツはもうこれはしょうがないっつって削ぎ落としてって、削ぎ落としてってどっちかというと、
歌舞伎にかける、なんすかね、駿佑が魂を悪魔に撃って、いろんなものを犠牲にしながら、駿佑だっけ、駿佑じゃねえわ。
いやキクオの方が主人公。 キクオだキクオ、ごめんごめん。
びっくりした。 ごめんごめん、キクオです。
キクオが魂を悪魔に撃って、いろんな種類が犠牲になりながらも、歌舞伎を極めていくみたいなところに、たぶん映画はストーリーを一本化してるというか、洗練させてる。
そう、ほぼそう。分岐は薄い。 そうだよね、原作はね、それが半分なんだけど、もう半分キクオの周辺の人たちのサイドストーリーで埋められてるんで、
そこをごっそり行ったんだな、みたいな感じなのは、妻と間奏戦してて初めて分かったことでした。
なんだけど、それ後で話してて思ったんすけど、でも物語の一番大事なのは、今のキクオが魂を撃って、周りの旬月が足もなくなって糖尿病で死んでいくとか、
いろんな人が不幸になるけど、自分だけは歌舞伎に没頭するっていうか、最後芸を極めていくみたいな、そこが物語の主軸だと思うんで、むしろ映画の方がスッと入ってくる感じになってんじゃないかなって思ったのと、
あともう一個、キクオ最後のシーンどう描かれてたかみたいなものを聞いてて、これちょっともしヒカルさんの解釈があれば聞きたいんですけど、キクオが原作側だと最後銀座の歌舞伎座みたいなとこから表に出てって、最後死んだか死んでないんだか分かんないんだけど人だかりができてるみたいなところで終わってくんすよ。
えっ、人だかりができて死んでるか死んでるか分かんない、どういうことだ。
歌舞伎座で歌舞伎の芸をやってるんだけど、そのままふらふらと下々が座ってるところに降りてって、そのままドアを開けて外に出てっちゃう。で最後、スクランブル交差点の真ん中みたいなところに踊ってて、最後人だかりができて、多分引かれて死んだんじゃないかなみたいな感じで終わってくんですよ。
えー。
それ多分映画だとあんま書かれてないんじゃないかなみたいな。
いや、ない。映画のラストは結構かなりファジーな感じだよね。
どんな感じで終わるの、映画は。
映画は、映画結構なんかドラマチックな感じだよ。でもなんかその面白くて、なんかそんなにそれまで2時間半とかある映画だけど、全然それまでに伏線とかしか、伏線とか描かれなかったことをいきなりキクオが言い出すんだよね。
なんかずっとある光景だけを探して生きてきた気がしますみたいな、光に包まれた光景ですみたいなことを言って、で実際歌舞伎の舞台で踊っているときに目の前が光に包まれて、この光景が見たかったんだよなみたいな感じで終わるけど、なんかそういう光景をずっと探して演じてるみたいな、そういう話はそれまであんまり描かれてなかったから、結構唐突感があるというか。
ああ、なるほど。
なんかその光の光景みたいなのは極みに達していくところの描写。
まあまあそういうことだと思う。
まあそうだよね、もうおじさんになってるキクオが女型として、なんかもう極みに達してみんながうっとりなってその世界に入り込んでる中で、気づいたら歌舞伎の神と下沢の人と人みたいな対比で原作が進んでたのに、
急にキクオがここからパーンと降りてきて、え、なんか神が降りてきた、うわー何すんだーみたいになったら、次の瞬間こうもうあれ、嵩然となってて、道路の真ん中のキクオが倒れてみたいなので終わっていくみたいな。
神に魂を入れて、彼が求めてた歌舞伎の頂点、極みみたいなところに達した、その絶頂のまま、命を失ったのか失ってないのかわからないけど、終わっていくみたいな流れだったんですよね。
なるほどね、でもその描写はなんか理解できる気がする。だからその魂部分、人間として器みたいなものと中身みたいなものがあって、多分中身は天界の方にもはや引き上げられて、
肉体の方はただ入れ物として地上で朽ちるみたいな。そういうこと、逆に言うと中身のところだけは永遠に残り続けるっていうことの対比として、物質的な入れ物は朽ちさせるっていう描写には思える。
そういう感じする。だから俺も映画の最後は、めっちゃ美しいんだけど、なんかもう終わりなんだなって感じは結構した。そのもう極めに達してしまって、ここからさらに何かっていうのはもうない。そういうのは結構好きですね。
なんかその僕が好きなゆらゆら帝国っていうバンドがあるけど、なんか彼ら突然めちゃくちゃ名作出した後にいきなり解散して、でももうこれで極めちゃったじゃんみたいな感じの解散理由だった。死みたいな、なんかそういう感じがあった。
なるほどね。物語通じて、全般通じて、これ制約と制約じゃないですかみたいな。
まあまあ、そうね。
魂を売って歌舞伎を手に入れた貴公は一方で、それ以外の幸せは何もつかめず、周囲の人も犠牲になっていくみたいな感じが、自分がクロロに映ったというしょうもない感想をお届けしております。
クラフィカやろ。
クラフィカか、確かにクラフィカやな、どっちかっていうと。
俺結構あれ見て、そういう意味で何も思わなかったな。映画はね、映像が美しすぎて、単純に考えるっていうよりはぼーっとする時間がめっちゃ多いんだよね。
うんうん。
だから見て、ああ、なんかこういうことかなとか考える時間が結構ない。なんかすごい面白い映画だったけどね。
なんかその紀子高駿介の役をやってた人がその役に入り込みすぎて、撮影中に誰か知らない人の家に入り込むみたいなことがあったんでしょう。事件として。
ああでもあったかも。確かに。
うちの奥さんが言ってたのは、これゲイに狂う人の物語をゲイに狂った人がやってるっていう、なんかその現実とバーチャルが一致化してしまっているところの狂いっぷりに感動したみたいなのを言ってて。
確かにそれ映画を見てないと楽しめない作品だなって思った。
確かにそうかも。
でもそれはわかる。俺も結構映画見てて、どういうとこ見てるって結構人によって違うんだなと思ってて。
結構俺は物語の内容そのものよりは、この役演じるためにこんだけ痩せたのかとか、何回くらい撮り直したんだろうとか、結構その繰り込みの凄さとかの方に結構惹かれてしまう。
確かにね。なんかゲイとして作り込んでる人はいろんな生活犠牲にしてやってるわけだもんね、映画とかになると。
ああそうだと思うけどね。なんかちょっと前にジョーカーっていう映画が話題になったけど、あれの主役の人、ホワキンフェニックスとかも、すごい主人公がめちゃくちゃ不幸で痩せてる体質の男の人の役だから、ほんと35キロとか痩せたみたいな。
やっぱ結構、ジョーカー。
ジョーカーそれ、あれ一作目は僕見た気がするんですよ。社会的弱者の人がジョーカーになっていくような作品だった記憶があるんだけど。
そうそう。
その主人公の人も、なんか非常にゲイ狂いの人だよね。
ああそうだね。なんかジョーカー何作かあって、なんか別バージョンのジョーカーの主人公とかは普通にそれでなんか狂ってなくなったんじゃないかみたいな話を聞いたことある。
ホワキンとかも結構イカれた演じっぷりだったけどね。なんかね、ジョーカーのホワキンフェニックスバージョンのやつで、いきなりその主人公のアレックスだっけ、アレックスが家の冷蔵庫にいきなり入るっていうシーンがあるんだよね。
冷蔵庫にいきなり体たたんで入るみたいな。で、なんかそれは監督のシナリオに全然なくて、いきなりホワキンがアドリブでなんかやった。で、なんでそんなことしたのって聞いたら、いやなんかアレックスだったらこのシーンでは冷蔵庫に入るような気がして自然と入ってしまったみたいなこと言ってて。
で、監督がわけわかんないけど、これいいね。ゾクゾクするから採用みたいな感じで、だから実際に残したみたいな。結構イカれてるな。
役者とかそういうのあるんじゃない? それが、常人が見てない世界を見せるのが役者の仕事だとすると、ある種そういう狂気性みたいなのは一個の魅力の立ち方だろうからね。自分にはできないなって思うけど。
そうね。それは役者だとかっこよさに結構するけど、結構企業家とか社会人でもあるんじゃないかなって気はするけどね。でもさ、なんかよく音楽家とかでもさ、やっぱめちゃくちゃいきなり売れた人とかって社会が求めてくる社会イメージの俺。
みんなが考えるカートコバーンと俺カートは全然違う人間で、やっぱそのイメージの飛台みたいなものに耐えきれずに嫌になるみたいな話は。ミュージシャンとかでよくあるけど、やっぱ企業、ビジネスマンとかでもやたら登壇とかしてる人ってだんだんそっち側の社会的イメージの方に食われてってる人はいる気がするけどね。
今だとSNSとかに食われてくんですかね。作られる企業みたいな意味で言うと。
そういうイメージってのはめっちゃある気がするけどね。だからなんかわかんないな。よく知らないけど、赤いマフラー常に巻いてるみたいなトレードマークのおっさんがいるじゃん。俺あの人のこと全く何も知らないで言うんだけど。
金星出身が売りの人。 多分そうじゃない。なんかデジタル系の人。でもなんか常にあれやってたら、やっぱ本来の自分じゃないものになってくるんじゃないかって思うけど。
いやわかんない。もともとああいうことがした人なのかもしんないけど、どこまでそれが社会的な人格であり、どこまでが本来の生物的な人格であるかはちょっとわかんないけど。結構みんな食われてっちゃイメージはあるけどね。
なんか野中育二郎先生ってさ、ご存知ですか。
石モデル的な。
あの失敗の本質を書かれた。
多分経営学者だよね。
経営学者だっけ?ひとつばし?
ひとつばしだっけ?あれ。
彼がやっている経営者を育成する勉強会みたいなのがあって、結構名だたる人たちがそこの文科生みたいな感じでいるんですよ。
僕らのクライアントの方、そういうところに行かれてた方とかが知ってる人が言ってたりみたいな感じであるんですけど、野中さんの教えみたいなものの結構一番上というか、最上位の概念が経営とは生き方であるみたいな話があって、
結局さっき言ってた社会的人格と自分の生き方みたいなものの分離を起こすなっていうこととも僕は捉えられるかなと思ってるんですよ。
自分のライフスタイル的な人格と自分の経営者としての人格みたいなものを分離させればさせるほど、まず自分が苦しいし、またそもそも誠実さみたいなものは失われていきやすい。
やっぱり基本一致させる。生き方をそのまま経営に反映すべきやし、要は良い生き方をして良い経営が始めてできる。逆もしかりみたいな。
そういう概念を歌われてて、僕結構好きなんですよ、その考え方が。
なんで自分が虚像化していくみたいなのがすごい嫌だったり、逆に虚勢を張らないと勝てないような場所みたいなところって自分には合わないなっていうのを常々思ってて、結構身を引いていくところがあるんですけど、
それに通ずる話やなと思って。赤いマフラー話。
めっちゃいい話だよね。さっきの映画の話と一緒で、その話聞いたことがあって、その話めっちゃいいなと思うのが6割くらいあるんだけど、
4割くらいの趣向は、実際に経営したことないのによくそういうことまで思いつけるよなっていうメタ的なところにやっぱり感心してしまう。すごいよね。
いわゆる経営学者ね。
そうだね。童貞恋愛レッスンみたいな。でもあれなのか、ああいうプレイボーイとか、ポパイみたいな、ああいうモテる男になろうみたいな雑誌とかも別にモテない人が編集とかやってんのかな。
確かに編集が好きな人がやってる可能性はある。
野中さんだって経営したことないわけじゃん。よくそこまで考えが結晶化できるなっていう。
そうね。野中さんも別に第二次世界大戦で軍を率いてたわけでもないのにね、あんなこれが失敗だったとか、なんとクリスタルクリアーに言えるわけだから。
うん。そうね。経営学とか結構面白いと同時にすごい世界だなと思うけど。
経営学、経済学、なんか近しい部分がありますよね。その究極のギャラリーというか。
言っとるわ。
そうだね。
常に。
うん。
確かに。なんかでもすごい面白いよね。経営とか経営学とか多分そういう風に捉えられる部分結構あるとは思うんだよね。
もちろんなんか経営学とか一生懸命頑張ってMBAとか行って経営者になるとかって人もいると思うけど、なんか割と野良の経営者からするとなんかやかましいよみたいな、そんななんか理論通りにいかんわみたいな感じになるじゃん。
だからまあヤモッキの言った通り、一回やって感じる気はするんだけど、じゃあ教育経済学者について同じこと思うかっていうと、なんかそういう人も少ない気はするんだよね。
なんか科学的にある程度証明された、子供はこうした方が良い、読み聞かせは効果があるかどうかというときに、現場で実はそんなんちゃうわ、黙っとれっていう人は結構なんか少ない気がするんだけど、少なくとも経営に関してほど反発はない気がするんだよね。それなんでなんだろう。
まだなんだろう、その世の中で参見されるサンプルが一定のパターンリスティックみたいなのにはまってるかななんかな。
なんか経営者ってさ、経営もほとんどパターンにはめられる気がするんだけど、結構無限のパターンがあるじゃんって経営してる側が思いがちな気もする。
だから聞く耳そもそも持ちづらい人種みたいな人はそれなりに多い気がする。
うん、確かに。不変性がないだろうと。確かにそこら辺は面白いよね。経営者っていう人間の特性によるのかな。
多分その不安みたいのは絶対あると思うんだけど、その不安を理論とかによって払拭しようっていう風な意識は結構薄い人種な気がするんだよね。
逆に大抵の親って不安だと思うんだよね。
確かに。
なんかこんなにYouTube見せて大丈夫なのかなとか、やっぱり早くから保育園に行かせたほうがいいのかな、行かせないほうがいいのかな、社会生活させたほうがいいのかな、兄はいたほうがいいのかな、兄弟いたほうがいいのかな。不安だから頼るっていうことなのかね。
確かに。聞く側の、受け取る側の耳の良さみたいな、耳の良さっていうか、受け取る側の気持ちの差分はでかそう。
子供のバラエティー、性格とか考えると別に経営のバラエティーとも負けずともとらんくらい、うちの子はちょっと違うんだよなとかあるはずなのに、受け取り、オーディエンスの問題なのかね。経営学って本当言ってること普通やからな。
確かに。てかヒカルさん一時期あれだもんね、結構読んで勉強してるみたいなこと言ってたもんね。
まあ3冊くらい読んだだけだけど、僕はそうね、面白いけどやっぱ合わなかったかな。
なんかやっぱりその学問範囲にも合う合わないが結構あるなっていうのは強く感じたね、あれは。
あれはね、ゴールデンウィークとかで突然、突然っていうか、祭司がちょっと留守だった時期があったんで、めちゃくちゃ集中的に読んだ。
まあでもヤモティもあれじゃん、国宝見たし、偉いじゃん。
偉いでしょ。だからその耳だったら本読めるなって思って、結構一日なんか耳が空いてる時間は袖内にあるから、朝ジム行くときとか、筋トレしてる間とか、散歩してるときとか、移動中とか、
なんかそのときに結構、最近は本読むように、本読むというかオーディブル聞くようにしてて、圧倒的に本と触れるハードルが自分には下がったものですね、めっちゃ良かった。
でもごめん、話めっちゃ戻るけど、やっぱ人の聞く耳を持つかどうかって、どういう条件なんだろう、めっちゃ気になってきたな。
例えば歌舞伎とかだったら、師匠の言うことはやっぱそれ聞くじゃん。聞くよね。教育もまあ教育学者とかいたら多分言うこと聞くよね。
確かに経営に関しては聞かない気がする。そういうこともありますね、鼻ほじりみたいな感じな気もするし。
パンパン自分でやって、あれかな、成果で示した方が早いみたいなとこあんのかな。教育は結構長いじゃない、目の前の行動とその結果が出るまで。
そういう時間軸もあるのかな。
フィードバックループみたいなものの短さというか、瞬発性みたいなのも一個ありそうだし、ちょっとこれちゃんとまだメタ認知できてないけど、結局責任を負うの俺じゃんみたいなところ。
結構経営者って割と大きい責任を負わなきゃいけないじゃないですか。
例えば社員の生活がかかってるとか、株主の価値還元しなきゃいけないみたいになったときに、そのアライメントがやたら薄い経営学者みたいな。
アラインゼロですよね。の言うことを聞いて、重大な責任コスト払わなきゃいけなくなったときに、結局俺の責任じゃんってなるから、咀嚼できないもの言われてもあんま聞かないというか、
そもそも俺常に経営考えてるから、お前の言うこと聞かないしみたいな態度になりやすい環境にある気がする。
でもそれって教育にも同じこと言えるくない?
教育ね、教育だと、教育ってどういう教育を指してる?
すげえ、ヤモって俺のジェミニやん。俺の疑問に答えようとしてくれてる。
やめろ、なんか前もそれ、ヒカルさんは教育が。
教育?教育はでもなんか、そういう本あるじゃん。子供に自主性を育てるためにどうしたらいいかとか、
社会的に育てるために早くから大勢の子に触れさせた方がいいのか、まずは自分の時間を持たせた方がいいのか、
スマホはどのくらい見せていいのかとか、どういう環境を作ればいいのかとか、できないことがあったときに手を貸すべきか見守るべきかとか、いろいろあるじゃん。
その中で自分的にはこうなのかなっていうのはあるけど、本に科学的にはこういうふうに言われてます。
ハーバード式ではとか言われたら、確かにそうするかしたからって結構悪くない?
でもさ、そのやつらは、もちろん普通に当事者の親とか子供、親とかっていうことではなくて、全然部外者としてその意見を言ってるし、
それでもし失敗しても責任取るのさ、自分たちじゃん。結構そのセッティングとしては経営者とあんま変わんない気がするんだけど。
何だろうな。
そう、だからお前ら何なんていう?経営者お前ら何なんていう?
俺親だけどな。親なんだが、何だろうな。何か違うんだよな。
ポンコツやこの地味に。何か違うんだよなって。
何か違うよ。
何か違うと思うんだけどな。
いや、パッと久々に出てこない問いを投げかけられましたね。
いいね。やっぱこういうの気になりますね。
経営者が負ってる責任って結構社会性が高いじゃないですか。その他者性が高いというか、責任を負ってる対象が。
でも一方で子供の話って自分の内部に近いというか、インナーの話みたいな。
いや多分あんまり筋が良くなさそうな仮説を言ってる気がするぞこいつ。
なんとなくでもそうかもしれん。本当にわかんねえ。何なんだろう。
でもやっぱ状況依存すぎてセオリーとかじゃないって部分がやっぱ大きいのかな。
だから意外と子育ては科学だけど、経営はアートの要素がでかすぎるってことなのかね。そんな気もするよね。
あと確かにサンプルが全然足りないっていうのはあるよね。
日本という市場環境、2026年という時代の中で小売のDXを外部から支援する会社ってサンプルとしてはほぼ1しかないレベルなわけで。
それに禁じしてるものとか言っても別に10件とか15件とかしかなくて、その中で実際に経営学者がスタディしたことがあるやつって2件とかしかなくて。
とかあるかもしれないけどね。
それに比べて言えば、公職人数2歳とかはね。
そうかも。別に1970年の2歳と今の2歳で何がめっちゃ違うって言われたら、そんな違わないもんね。子供の向き合い方としては。
うん、違わない気がするね。
飯食わして外で遊ばせろみたいな。で、発達としてはこのぐらいの言葉のボキャブラリーを話しますよみたいなのは多分そんな差分ないから、結構時代を越えて使えるナレッジがある。
いやでも分かった。分かったぞ。今分かった。
分かった。さっきの話に戻ってくるんじゃない。だから、多分自分の子供に関しては自分の親としての我が家らしさとか、親としての思いみたいなものっていうのはもちろんあるけど、
でも究極、子供が割とストレートにいい感じに育ってくれたらそれでいいっていう親が多い気がするんだよね。
一方で企業家はさっき言った通り、自分の哲学とかをどう反映するかっていうところに対してやっぱりある程度正直でいたいから、セオリー通りやってセオリーのような会社としてうまくいくっていうことに関心が薄いんじゃない。
俺は俺のやり方でいってうまくやるっていうことに興味がある。親に関しても科学的にどうとかじゃなくて、
俺はもう芸術家として生きてきてるし、子供にも芸術家としての道を進ませるんだって親は多分その科学的方法とか聞かない気もする。
割とそういう自分らしさっていうエゴみたいなものっていうのに正直かどうかっていうことな気もしてきたな。
たしかに。子育てでいうとアルファベータがあったらちゃんとベータを出したいっていうのがニーズですっていうのはめっちゃその通りだと思うし、経営者はむしろアルファ出さないと差別化されないっていう。
たしかに。
この原始点パーンって切り取ったときに、子供の数ってさ、たとえばゼロ歳じゃったら60数万人しかいないわけだけど、経営者スポーンって切り取ったらあれだもんね、400万ぐらいあるのかな。
400万人ぐらいは経営者いるわけだもんね。だから普通に多いし、市場の中でも差別化していかないと生き残れないみたいな属性だから、やっぱアルファ求めたいっていう観点でいうと、
経営学ってさ、むしろベータを誘惑もんじゃん。再現性を取るために。
たしかに。
子供はベータでもいいもんね、親としても、社会としても。最低限普通にフラットに生きていけることが大事っていう。たしかにアルファ求めてる子供は科学的発想とか聞かない気がする。
富士風さんとか絶対さ、ベータでは育てられてない感じがするんだけど、って別に誰も。
そうだね、経営者をだから割と差別化したいって人と、まあ差別化とかじゃなくて、とりあえずなんかいい感じに経営としてやっていきたいみたいな人は割と経営とかを当てにしてる気もするしね。
はいはいはい。
結論出たじゃん。結論、アルファはセオリーじゃねーんだよ、ファックって感じ。
まあだいたいそれでオッケーだと思う。まあでもその通りじゃない。セオリーからアルファは生まれないのは正しいんじゃない。むしろセオリーになった瞬間に、それって織り込んでるからベータだよねみたいな。
たしかに。
たしかにな。そうかもしれん。面白い。そんな国宝の話。
いい話。もうちょい続けられるぞこれ。
いいぞ。
最近さ、去年からなんですけど、僕あの、自分で物作るの、バイブコーディングにハマってまして、
趣味によくやってるんですよ。
はいはい。
趣味の域を出ないんで、何作ってるかっていうと、自分のウェブサイト作ったりとか、あと今の自分の野球チームが、子供がやってる野球チームの保護者の全員によって運営されてるんで、
それを結構全部システム化して、毎日何十通ってLINEが流れるのを、もう一個だけで全部済むようにシステムでいろんなDB作ったりして、何とか賄う仕組み作ったりとか、
あと会社の中の社内ツール作ったりとか、そういうことを自分の趣味みたいな感じでやってるんですけど、それで、もともと僕プロダクトマネージャーだったじゃないですか。
そうなっけ。
そうなんですよ、一応ね。
そうなっけ。
プロダクトマネージャーだった時って、結構重要なアウトプットとして、仕様書が大事だって思ってたんですよ。
うん。
なんですけど、今こんだけ物作るぞってなった時に、仕様書の重要性、僕めっちゃ下がってるって今思ってて、仕様書そのものよりも、仕様書を作るための対話のプロセスがめちゃくちゃ価値あるし大事だなみたいな、
むしろそれがないと最後のアウトプットの仕様書が良くならなくて、結構AI、クロードコードとかと対話してると、
まずこういう要件が欲しいんだけど、一回プランしてみてくれみたいな。
で、プラン上がってくるじゃん。
お前のそのプラン、ちょっとこれとこれとこれ変だから、こうした方がいいと思うんだけどどう思うみたいな投げ返していくことで、結構仕様がすごいどんどん良くなっていって、それを元に開発をするみたいな流れを自分は取ってるんですけど、
この対話のプロセスによって磨かれていったり、結論の着地が自分が思ってもないとこに行くってこと自体が一番めっちゃおもろいなって思って、なんか今ヒカルさんとやったのはそれに近しいことだなって思ったんですよ。
うん、全然国語と関係ないじゃん。
いや、でもこれはあるな。
あるでしょ。
すごいあるっていうか、すごいめっちゃよく思うんだけど、仕様とか結論とか事実とかって文脈から切り離されてるかどうかで結構価値違うなっていうふうに思ってて、
例えば新しい人事制度導入しますとか言っても、結論だけだと結構不平不満あるけど、割と過程とかどういうふうな選択肢を経た上でこれに結晶化されたかっていう、文脈と過程って大事じゃん。
でも文脈って残すのめっちゃ大変じゃん。
仕様とかもさ、仕様書書くときとかにやっぱりどういうふうな選択肢があって何を排除してどういうふうなことを紙した結果ここにたどり着いたかっていうところまで残そうと思うと、めっちゃPM大変やんけ。
結構結論みたいなものと、まあそのサマリしか書かれないと思うんだけど、なんかAIみたいなものとそれやってると、その文脈が全部残せるっていう部分、少なくともデジタルとしては。
の価値はすごい高いんじゃないかなって気がした。
その対話のプロセスが大事っていうこと以上に、それを残し得る世の中になるっていうことが結構、なんか実は革命的なのではっていう気がする。
おもしろいよね。ここでもう1個の問題が、今のAI駆動の開発の限界って何かっていうと、このコンテキストの情報を会話重ねるとどんどん膨らんでって、ある一定の量を超えるとそのAIはもうコンテキストがオーバーシュートしちゃって、パフォーマンスがめっちゃ下がるんですよ。
っていうので、そのコンテキストの残し方みたいなものが、多分そのAIを使って開発する人にとっての最大イシューみたいなのになっていて、なんか人間の間だとさ、そのコンテキストって残せないからどんどん流れていくじゃん、いろんなところに。
だから、コンテキストが溜まりすぎることによって、思考しなきゃいけないことが多すぎてパフォーマンスに響くなんて、人間だとあんま起きなかったはずなんですけど、
このAIになったら、会話もし放題だし、そのコンテキストの文字にも起こし放題だし、参照し放題だから、オーバーシュートしちゃうみたいなのが初めて今発見されていて、
前提が結構パラダイムがコンテキスト重要、だけど残し方とそれをいかに小さく収めるかっていうバランスチューニングゲームがめっちゃ大事って発見されたときに、今後どうなるのみたいなのはすげーおもろいなと思いつつ、人間社会にはどう応用できるんだろうみたいなのを結構考えたりするか。
いやこれ結構危険だと思ってるけどね、人間もやっぱコンテキストって実際は処理できる量とか限界がある気がしてて、コンテキスト依存で納得するかどうかって決めてる部分もあったりするから、AIがコンテキストをむしろ一定量しか保持できないっていうのは、人間にとっては対等にご支配の相手としての救いな部分な気がしてて、
これをコンテキストみたいなものっていうのを結構無限に食えるようになったら、多分それってそこから見つけ出す結論って人間化すると解釈がほぼ不可能になるっていうことになると思うんだよね。間違いなくそのコンテキストみたいなものっていうのを圧縮して、どこかに外部化して、それを呼び出してっていうフィードバック回すっていうことは絶対できるようになってくるから、そうすると結構人間化すると理解できなくて、説明されても追いつけないくらいのヘビーコンテキストに基づく結論になる気がするから、
むしろそこを避けてるんじゃないかなって気もしたくないんだけどね。
たしかに。今だからAI駆動の開発やるときに大事なのって、コンテキストのうち大事なものと捨てていいものを得り分けてって、あるところまで来たら一回セーブポイントみたいな感じで、残していいコンテキストを一回ひとまとめにして残しておくと。
そしたらもうAIさんは一回全部忘れてくださいと。このセーブポイントに残したものだけ読んで、もう一回始めてくださいってやると、1万貯めてたコンテキストを100にして、もう一回あと9000、900貯めれますみたいな状態に戻ってそこからハイスタートみたいなのをよくやるんですけど、
これ多分人間も同じで、貯めれるコンテキストが1万なのか1000なのかの差分はあるけど、結構残し方、あと忘れていいと残すものみたいなものの分別みたいなこととかって結構人間も同じだろうなみたいな感じで見てたりしますね。
おだしょー 同じですね。てか野中育次郎の言ってる理論結構それな気がするね。なんか彼は最初あんまり名文化されないみたいなものっていうのは結構会話とか発散でバーって作られる。だから俺と山本やってフリア人とか何なのかとかっていうのは最初あんまり言語化されないし、結構散らかってるじゃん。
だからその会話を通していって、ある程度こういうものじゃないかなっていうふうな暗黙地になった中で特に大事なものだけが文書化されてフリア人だとはっていうところに文書として残る。たぶん野中さんの言葉だとクリスタライズみたいな言葉だと思うけど、っていうプロセスを繰り返す。なので共同化、表質化、連結化、内面化を繰り返して、何面かのところがマニュアルとかになるみたいな。
本当だ。そういう対話記事とかいっぱい出してますね、野中さん。ひかるさんの方は野中さんに詳しいわ。
たぶん計画者っていう観点で言うと失敗の本質よりも石モデルってやつのほうがたぶん実際有名なはず。
SECIで石モデルって言うんだ。なるほどなるほど。
何言ってんだ今更って感じの気もするけど。こういうのちゃんと定詞化するっていうのが。だからそもそも学問っていうのもビジネスとかで暗黙的にやられていった散らかったコンテクストみたいなものっていうのを削り落として一個の理論モデルとして消失化するっていう営みって感じだと思う。
そうするとそれを元にいろいろあったけど、要するとだいたいこんな感じじゃんっていうやつが一回ペーパーにされて、それをベースに次もう少しちょっと高度な議論をしようみたいな感じになっていくって感じだと思うんで。
まさに今仕様とかでやってることって結構学問的態度とも近いのではっていう気もする。
なるほどね。この野中さんのイノベーションの土台自体がこの共同化とか、石モデルのS化、ソーシャライゼーションとか、表質化、エクスターナリーゼーションとか。まさにあれだね。これ対話を通して自分がそのAIと一緒に仕様を作っているプロセスで行っていることに近しいね。
なるほどね。面白いね。
そうだからシンプルだけど確かに眺めると結構いろんなことを考えられるから、やっぱ良い理論ってそういうものなのかみたいな感動は。
確かに。いいベータがありました。
ちょっと悪い感じになった。
ナチュラルに織り込んでたわーっつって。
確かにこういうことかみたいな。
ベータとアルファという語り方は結構面白いけどね。
うん。
やっぱさすが国宝やな。
さすが国宝やわ。