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2023-08-14 25:43

【20-2】「友達の家で開いた展示で200万円売った」過酷なアパレル業界で成り上がるバイタリティ(第20回ゲスト・関根隆文)

第20回のゲストはアパレルブランドmeagratia代表の関根隆文さん。アパレル業界を生き抜いてきた過去をお伺いしました。

【今回の内容】

バイトで稼いだ15万をフルベットする高校生 / 月28日出勤で給料5万・・・ / 過酷な業界でサバイブして来て報われた瞬間

【番組概要】

この番組は、型にハマらず自分の才能と個性を生かしたライフスタイルを送る方をお呼びし、その生き様に迫る番組です。 パーソナリティーを務めるのは、スモールビジネス経営者の渡辺孝祐と、クリエイティブディレクターの齋藤実帆。 感想は #ぼくスモ をつけてTwitterに投稿お願いします!

【SNSリンク】

◯パーソナリティ

渡辺孝祐 ⁠⁠https://twitter.com/kosuke_coin⁠⁠

齋藤実帆 ⁠⁠https://twitter.com/mihosaito_nsw⁠⁠

◯番組

Twitter ⁠⁠https://twitter.com/oursmallbiz⁠⁠

サマリー

関根隆文さんは、高校生の頃から洋服に興味を持っており、モテたくてバイト代を使って洋服を買っていました。その後、デザイナーになるために専門学校に進学し、3社で働いた後に独立しました。独立時には大変な時期もありましたが、関根さんは決めたことを貫いて独立し、現在は自身のブランド「メアグラティア」を運営しています。関根隆文さんは、アパレル業界での苦労や成長、地方での営業活動について語っています。また、開いた展示では200万円の売り上げも達成しました。彼はアパレル業界の過酷さや生命力についてお話ししています。

洋服に興味を持ち、高校生時代からモテたくてバイト代を使って洋服を買っていた
それでは関根さん、ゲスト2回目です。よろしくお願いします。
前回ですね、今何やってるのということで、メアグラティアの事業内容を聞いてきましたが、今回はですね、なんでメアグラティアというですね、洋服のデザイン、ブランドをやっているのかというような過去の話から深掘りできたらなと思います。ということでよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
最初はだから、学校卒業して?
そうです。そもそもデザイナーになろうと思ったのは、ぼくは16ぐらいの頃なんで。
そうなんですね。早いですね。
そうです。
高校生ぐらい?
高校生ぐらいですね。
きっかけとかあったんですか?
モテたいからです。
うわー。
やばい。
安い。
最初はね。
うんうん。
で、モテたいから、いい服を買うわけですよ。
うん、わかる。
で、ぼく茨城県出身で、高校の時とかも学校サボってバイトとかしてたんですけど、15万ぐらいバイト代も稼いでたんですよ。
高校生の頃。
だいぶシフト入っとったね。
だいぶ入ってた。
何やってたんですかバイト。
あのスーパーの品出しとか。
あー。
一番安いやつ。
結構シフト入んなきゃいけないやつも。
で、15万ぐらいを握りしめて、原宿に行って全額使って帰ってくるみたいな。
すごい。
の生活をしていて。
うんうん。
で、やっぱいい服買うじゃないですか、15万とかでもほんと3、4着なんですよ、いい服買うと。
確かに。
でも、それを着て街を歩くとちょっとなんていうんですか、高揚感っていうか。
あるあるある。
なんか無敵感みたいなのがあって、それを作る側になりたいなって思ったのは16。
あーすごい。
結構すごいですね、なんか。
なんかその全額そこにベッドする感が、モテたいとはいえやっぱすごいなって。
洋服はやっぱ好きだったんですね。
洋服は好きでしたね。
モテる手段とはいえ、その中でいろいろある中で洋服を選んだわけですもんね。
ちなみにモテました?
まあモテましたよ。
さすが。
さすがすぎる。
確かに原宿で高く買って茨城で着てたらちょっとモテますよね。
ちょっと目立つ存在みたいな。
目立ちましたね、服とかでは。
専門学校を卒業後、3社を経て独立する決意をする
で、なんか歩いてると、なになに、コッコいい奴がいるみたいな。
まあどう思われたかわからないですけどね。
でも逆になんか男からしたら、なんやあいつ調子乗っとうみたいな。
全然ありましたよ。
あるでしょ。
あるの?
いや、あるでしょ。
なんやあいつ。
あるある。
バリ調子乗っとうやんみたいな。
そういういざこざもいろいろありましたよ、言わないけど。
うなね、鉄拳制作してね。
でもその辺は自分を貫きとしたんですね。
です。
で、高校出てそれから。
高校出て東京モード学園っていう専門学校に。
専門で。
よく聞くやつや。
デザイナーの学校ってこと?
そうですそうです。
で、そこを卒業して、3社経由して29の時に独立しました。
なんかそのデザイナー、服のデザイナーさんって独立のタイミングってどうやって決めるんですか?
そう、なんかどういうキャリアパスみたいなのがよくわかんない。
独立のタイミングは別にできると思ったら独立しちゃえばいいんじゃないですかね。
自分でできると思ったら。
えー。
えー。
なんか3社でこういうことを学んでこれでいけるかなって思ったとかないですか?
それぞれなんか1社目ではこれやって、次これやろうみたいなのあったんですか?
とりあえず服作りを全部もう片っ端から吸収したかったんですよね。
もうデザインするとこから言っちゃえば出荷するところまで。
で、ちっちゃい会社に入ったほうが全部見れるだろうなと思ったから、
1社目は大きい会社には入らずに、ちっちゃい会社に入って、で、いろいろ勉強させてもらって。
で、2社目は引き抜きにあって。
おーすごい。
で、もう今なくなっちゃった会社なんですけど、そこがなんか新規事業で子会社を立ち上げて、
新しいブランドを作るからそこのデザインをやってくれないかっていうので、
お声をかけていただいて、で、将来自分で独立しようと思ってたから、
新規の立ち上げのいろいろからできるっていうのはきっと自分のためになるだろうと思って引き受けました。
で、そこがまあさっきも言ったんですけど、なくなっちゃったんで、
じゃあ次どうしようかなっていう時に、将来僕はショーをやりたかったんで、ファッションショーを。
で、それをやってるところに行こうと思って。
すごい。
で、雑誌を買って、順番つけて上から全部入れてくださいっていう電話をしてって。
テレヤポン。
上から順に。
で、でも上から順にっていうか、一番上で引っかかったんで、たまたま。
それ何順?行きたい順?
行きたい順。
おーすげー。
すごいすごいすごいすごい。
で、そこに面接しようってなって。
で、そこ入れていただいて。
で、一通り。
ショーのことも。
ショーのことも学んで。
すげー。
で、30までには独立するって決めてたから、29でみたいな。
なるほど。
独立後の苦労と自身のブランド「メアグラティア」の立ち上げ
なんですかね。
ちなみに30までって自分で設定したタイムリミットって何かあったんですか?
なんかキリがいいからです。
あうー。
あうー。
まあ決めといた方がね。
そうそう。ずるずるいっちゃうから。
葉っぱかかるというかね。
じゃあ無事独立し。
その時からもうブランド名はメアグラティオ?
えっと独立した頃から。
あ、そうそう。
そうそうそうそう。
へー。
だからもう11年ぐらいになりますね。
これは何だ?もう絶対この名前とかどのタイミングでどうやって決めたんですか?
ずっと決めてなくて。
で、独立するってなった時にじゃあブランド名どうしようかなって時に考えてて。
で、まあ今まで今一番最初の会社に入らせていただいた時に色々教えてくれた。
まあ師匠みたいな存在がいるんですけど。
その人にも色々教えてもらったなとか色んなことを思い出してたら感謝っていうワードが浮かんできて。
で、ラテン語なんですけどブランド名は。
なんか言葉の起源みたいなのを調べてたらラテン語が出てきて。
ラテン語から色々派生してったみたいな英語だったりフランス語だったり。
じゃあラテン語で感謝っていう言葉にしようと思ってメアグラティアと付けました。
なるほど。
素敵エピソードや。
素敵エピソードや。
場所はここではなかったんですか?
場所は三茶で。
あ、そうなんですね。
でも最初はもっと町田とかでやってたんですけど色々。
新規の立ち上げって多分大変だと思うんですけど。
大変でした。
何が大変なのかというか。
まず収入がゼロになるんじゃないですか独立って。
確かに。
独立する前って月40ぐらいもらってたんですよ。
はいはいはい。
で、その時に結婚してたんで家にお金入れなきゃいけないんですよ。
子供二人いたんでその時。
ドキドキしてきた。
家にお金入れなきゃいけないから。
でもゼロになるじゃないですか。
なる。
だから3、4年バイトしてたんですよずっと。
夜中。
それでも足りなくて、昼もバイトしてた時期もあって。
その間の3、4時間自分の仕事して他バイトしてるみたいな。
のが多分3年ぐらいありました。
ちょっと待って、睡眠時間は何時間でした?
睡眠時間何時間だったんだろう。
2、3時間ぐらいじゃないですかその時は。
ずっとバイトしてましたね。
すごい。
もちろんサラリーマン時代というか入ってた時代は貯金とかはもちろんしてたんですよね。
ナイス貯金僕ゼロで始めました。
ゼロです。
やべえな。
完全にゼロでした。
ちなみにバイトは何してたんですか。
バイトは体力を使わない仕事がいいなと思って。
パソコンの仕事?
とりあえず座ってできればいいかなと思って。
夜中のパソコン仕事をやってましたね。
つまんあるんだよ。
ありましたありました。
すごくない?何がすごいって。
やりたいことがあります。でも金はどうしても作らなきゃいけません。
じゃあバイトします。
誰だって思いつくけどさ。やれなくない?3、4年も。
睡眠時間2時間でした。
昼も夜もバイトして。
無理じゃない?
無理無理。
それがすごい。
それはなんかやっぱしんどいから前の会社なりサラリーマンに戻ろうって気持ちはなかった?
なかったです。
なんで?
決めたからです。
決めたから?
独立して自分でやるって決めたからです。
独立するにしてもお世話になりながら独立準備をするとかそういう人もいるんじゃないですか?
でも知り合いっていうかそれこそ最初の師匠の事務所とかに曲がりさせてくださいとかっていうのがありましたよ。
場所を頼りにして。
そうです。
なるほどね。
すごいね。
中華料理屋でもバイトしたとか?
中華料理屋は一番最初の会社の時にバイトしました。
ちょっと待って。なんで?
最初僕働いた会社って今はもう完全にNGだと思うんですけど、一番最初23歳の頃、家賃が6万5千円のとこに住んでたんですよ。
で、月28日ぐらい出勤して、給料5万だったんですよ。
生きていけないじゃん。
生きていけないです。
アバレル業界の過酷な現実
だからじゃあ5万でもいいから7時に帰らせてくださいって言って、8時から中華料理屋のバイト朝までやってました。
ちょっと待って、アバレル業界。
アバレルやべえ。
アバレル業界ちょっと待って。
今は全然減ったと思いますけどね、そういう会社は。でも昔は結構あったんですよ。
えーそうなんだ。
それでも人が来る時代だったと。みんな福祉機関みたいな人が。
後ろけて辞めます。
そりゃそうだよね。
そこで生き残るタフ街のみがアバレル業界に生き残っていくみたいな。
んーですね。割とタフな人が多いんじゃないですかね。
割とというかめちゃくちゃタフやん。
だって今6時に会社終わってた。7時からバイトできる。
無理。
しかも出勤もしなくていいこのリモートでですよ。
そうだね。無理。
ここもう戻りたくはないですよ。
若さでカバーする。
すごいな。なんかそのどこからその情熱湧いてくるんですか。
もう絶対に独立するっていうのと絶対ブランドを続けるっていう。
あーそれだけ。
それだけです。
すごいねー。
毎日上司しねーって思いながらやってるんですかね。
そうそうそう。よく思ってた。
中華料理に怨念をこねて。
でもまあちっちゃい会社に入るってことはまあそういうリスクもある程度わかった上でってことですね。
やっぱその事務所が一番良かったから行ったみたいな感じなんですか。
いやそういうわけでもないです。経験を積みたかっただけです。
あーなるほどね。
洋服の色派が分かればどこでも良かったっちゃどこでも良かったんですよ。
なるほどなるほど。
ただその給料5万でじゃあもういらないよって言って言われたりとか、
じゃあそこで僕はじゃあ辞めますって言ったところで、
そこで辞めたら別にもう続けていけないだろうなって思ったし今後何かあったりも。
そうですね。確かに。
まあ何とかなるかなって常に思ってるんで僕。
そこは凄い。家賃6万5千円で給料5万円で何とかなると思うのが凄い。
まあバイトすればいいかみたいな。
貧困エピソードとかないんですか?
貧困エピソード、まあ常に貧困だったからな。
やめてー。ご飯とかちゃんと食べれてました?
あ、でも賄いとかがあんのか。
中華料理屋はね、賄いはありましたよね。
独立してから3年ぐらいはマジで貧困でしたよ。
自分のお金なんか一切なかったし。
そうですよね。
そこまでしてやりたいことってある?
ない。
めっちゃ小声で言いますけど。
ねえ、うこうすけさんは?
ない。
小声だ。
小声になりますよ。
そんなになんかさ、人生で熱中して全てをかけれるってさ。
凄いですね。
いやでもそうやってね、着実に成長して今ここに来てるからさ。
じゃあ5年ぐらいしてちょっと落ち着いたというか、売り上げもだんだんブランドとして上がってきてとか。
そうですね。それこそ最初に知り合いのスタイリストさんから、たまたま衣装でこういうの作れないかみたいなのがあって。
で、作れるよって言って作って、でも納品した時にお金いただくじゃないですか。
で、これ衣装を増やせばバイト辞めるんじゃないかって思って。
で、知り合いのスタイリストが多かったんですね。スタイリストさんから基本衣装依頼ってくるので。
だから作り合ったらくださいっていうのを知り合いの人に連絡しまくってたらちょいちょいいただけるようになって。
そこからなんか人の紹介でとかどんどん横に広がっていって、衣装に関しては今に至るみたいな感じです。
で、バイトも辞めれて、で、ブランドもちょっと軌道に乗ってきたというか。
じゃあ、やっぱり結構売上立てるっていう意味では衣装の方が先だった。
先だったですよ。全然。
スタイリストさんとの繋がりっていうのは、そもそもどうやって作っていったというか。
それは辞める前の会社で最初15人ぐらいスタッフいて、僕が入った当初ですね。
で、辞める頃に社長と僕だけだったんですよ、残ったのは。
ここでも生き残ってる。
2人になっちゃって。
生存率高。
で、大体みんな厳しい世界なので、鬱病だったりとか精神を病んじゃったりとかで辞めていくんですけど。
最後残ったのは僕だけで全部やってたんですよ。
だからスタイリストの対応とかも全部僕がやってたんですよ。
で、その時に名刺交換したりとかをひたすらやってたんで、知ってる方が多かったっていう。
すごい。
で、独立したんですけど、作りの衣装あったらなんかくださいみたいな電話して。
っていう感じですね、その頃の人たちに。
そしたら独立するに、どんなネットワークがあった方がいいとかあったんですか?
今スタイリストさんっていうのが1個あったと思ってて、他になんかあります?
どうだろうか。
ブランドとしてやるんだったら、お店の方とかね、いろいろ幅広く知ってた方がいいかなと思いますし。
地方での展示会活動
僕はそこら辺は全然知らなかったので、独立するときは。
そうなんですね。
ずっとデザイン業務ばっかりだったから、外のセールス的な部分はノータッチだったので。
なるほどね。
逆にそこどうやってセールスの部分はついてきたんですか?
夜行バスでいろいろ回ってました、お店を。
やばい!全部人力!感情やばいっすね。
例えば名古屋にちょっと良さそうな、合いそうなショップがあるみたいな。電話して、ちょっとサンプル持ってきますみたいな。
だから僕、コネがなかったんですよ。服を売るっていうことに対してのコネがなかったから。
展示会最初、お金5カタ作りましたと。
5カタ10枚を作ったんです、一番最初の立ち上げって。
来ないんですよ、そんな展示会。誰も。
知らないからってことですね。
知らないブランドだし。
そもそも。
そもそも場所借りるお金もないから、俺綺麗な友達の家借りて。
すごい!
売れないから、もう友達に売ろうと思って。
片っ端から友達呼んで、友達も知らない人連れてきてくれって言って。
みんな呼んで、でも俺そこで200万くらい売ったんですよ。
すごい!ちょっと待って!
すごい!
セールス。めっちゃ似合うやんとか言って。
でも、とりあえず買ってほしいと。
もう似合うとかじゃない。お願い買ってくださいみたいな。
お願いできるのはすごいよね。
すごいね。
でもやっぱバイヤーさんと呼ばれる人が来なくて。
そっから先がないと。
確かに。
来ないんだったら、じゃあ持ってくのはどうなんだろうと思って。
で、次のシーズンから持ってったんですけど。
やっぱ夜行バスが一番安いんですよね。
名古屋とか大阪も2000円くらいで行けるんで。
確かに。
キャリーケース引いて持ってって、アポイント取って。
買ってくださいっていう話をして。
で、そっからちょくちょく買っていただけるところが増えてきて。
買っていただいたら次は展示会来てくれるので。
そんな感じで最初は増えていきましたね。
ほんと行商っすね。
行商っす。
行商。
一番遠くはどこまで行きます?
夜行バスは山口。
バス山口バッキバキじゃないですか。
バッキバキです。
そして広島トランジットです。
夜行バスで。
夜行バスでトランジットやばい。
トランジットあるんですよ。
そうなんですね。
降りろみたいな。
降りて乗り換えみたいな。
つら。
人形にはなりそうだけどつら。
もうやりたくない。
もうやりたくないな。
夜行バスはもういいかな。
せめて新幹線。
広島なら。
すっごいな。
飛行機も乗って?
飛行機はそのときは乗ってなかった。今は乗ってますけど。
飛行機なんて選択肢なかったです。
あ、そう。
お金なさすぎて。
やっぱ地方地方で名古屋はウケるけど、
例えば札幌はそうでもないみたいなのがある?
そこはあんま感じたことはないかな。
お店次第って感じか。
お店のやっぱりお店のバイヤーさんというか店長さんが気に入ってくれるかどうかみたいな。
そうですね。
色々あると思います。
なんかめちゃめちゃつらいんですけど今のところ。
聞いててめちゃめちゃつらいんですけどお腹痛いってなってるんですけど。
なんかやっててめちゃめちゃここで報われたなって思ったときとかってありますか?
お客さんとの交流の喜び
地方にいろいろ今受注会とかでお邪魔させていただいて、
その時に直接お客さんと触れ合うんですよね。
で、めちゃめちゃ仲良いお客さんとかもいて、
なんだったら会ったその日にその人の家でバーベキューしたりとか、
っていうくらい仲良くなっちゃった人とかもいるんですけど。
なんかアメリカン。
でもやっぱそういう人たちにその場でリアクションわかるんですよ。
そういう人たちの来ていただいて超いいじゃんみたいな。
で、オーダーしてくれるみたいな。
やっぱりリアクションがその場でわかって喜んでいただくのはやっぱすげー嬉しいですよね。
物作る面白さって絶対すごいですね。
物理であるし、しかも服ってその人が着るじゃないですか。
めっちゃなんか良さそうですよね。上がり具合が。
もちろん売屋さんに喜んでいただいて買っていただくのはもちろん嬉しいんですけど、
実際売屋さんに売って終わりじゃないじゃないですか。
アパレル業界の過酷さ
服ってその先にお客さんがいるから。
そこの方たちに喜んでもらえるのが一番やっぱり嬉しいですよね。
すごいなー。
報われた感というか。
それが実習会とか行くと結構リアルに感じられるんだ。
なるほどね。
海外に行くようになったきっかけとかは?
確かに。
海外はもともと海外でやりたいって思ってたんですよ。
それはやっぱり海外の人に認められたいとか?
マーケットがでかいとか?
マーケットがでかいなんですけど、単純に日本の人口が今一億何千人とかですか?
2000人とかですか?
2000万人。
2000万人か。
1億2000万人ね。
海外が60億ぐらいいるじゃないですか。
海外に行かない意味がわからなくないですかって思ってて。
すごいなー。発想すごいな。
だったら全然出た方がいいよねっていうので、行こうって思って。
最初出たのが2018年とかにニューヨークでやったんです最初。
これはなんか国が支援してくれるっていうプロジェクトがあって。
思い出した。言ってたわその話。
それがジェトロさんの審査に通って、
で、渡航費だけで出せますよみたいなのがあったので、そこでニューヨークで最初やったんですけど、
全然違かったとは言わないんですけど、
やっぱり刺激的は刺激的だったんですけど、
ニューヨークでやったらやっぱりパリでやりたいなっていうのがあって、
で、その次からパリで出そうって思ってやりましたね。
海外展示への挑戦
それも最初ジェトロさんだったっけかな、パリも。
パリもなんかそんなのあった?
そうそうそう。
良かったですね。なんかじゃあそこはチャンスがあってというか。
最初はそうですね。
これで最初ちょっと立ち上げのプロイノル手伝いだけしてもらったって感じかな。
いや、そういう税金の使い方してほしいですね。
ね。
いや本当に。
結構海外でもその最初から手応えはあったんですか?
いやいや、全然なかったですよ。
そうなんだ。
だって英語は?
英語は喋れないです。
ですよね。
すごい。
でも英語ってなんか単語と勢いでなんとかなりません?だいたい。
なりますなります。
伝えたい意思と単語と。
業界の監修とかが分かってれば伝わる。
もちろんビジネス的な英語とかは無理なんですけど、というのは通訳さん。
今は向こうのセールスさんがいて、お願いしてるんですけど。
もう勢い英語です。
ペガワみたいな。
そうそう。
チルク、コットン、ボタンみたいな。
ニューヨークはなんか雰囲気が違うの?みたいな感じだったのか。
そうですね。パリで出して。
2019年に東京ファッションデザイナー新人大賞みたいなのをいただいたんですよ。
すごい。
それの副賞っていうのかな。
それも支援内容があって、3年間海外で出展する何パーセント補助しますとか。
すごい。
あったんですよ。
結果それとコロナがぶち当たったんで半分ぐらい無駄にしたんですけど。
それちょっとどうにかしてほしいね。ノーカウントにしてよって。
でもそれで半分ぐらいはそれ使えたのかな。
良かったですね。
良かったですね。
でもそこでまた色々広がった部分もあったりとかなんで。
でもコロナ開けてからの方が今全然調子いいんで。
すごいですね。
だからあれだ、超見に行ったんですよ。僕一回渋谷で。
Amazonがスポンサーして渋谷のファッションウィークみたいなのやってて。
光江ですね。
光江で見に行って。
僕と古田さんともう一人、某巨大企業の偉い人と3人で見て。
すげえかっけえってなって。
古田さんとその偉い方は仕事の話をしたかったので。
関根さんが終わった後出てくるのをずっと待ってたんだけれども。
関根さんはやっぱりそのショーをやった人だから。
すんげえドタバタして全然出てこなくて。
めっちゃ気まずい空気が流れたってことがありました。
めっちゃまたしとる。
うわー気まずーって。
まあショーの日、忙しそうだよね。
しょうがない。
ちょっと聞きたいのが、
ショーとかはいつからどのタイミングでやりだすというか。
結構大変じゃないですか、いろいろ。
すげえ。
だめだ、なんか。
タイミングとかなかったです。
その時も最初にショーやろうっていう時も、
最初普通にブランドってルックの撮影をするんですけど、
モデル使って。
その撮影の打ち合わせをしてる時に、
なんかテンション上がってショーやっちゃう?みたいなノリになっちゃって。
で、みんなそういう感じにしちゃって。
もうやっちゃうやっちゃうみたいな。
なったらしょうがないですね。
楽しそうじゃんみたいな。
みんなの前で言っちゃったし。
お金的なことあんま考えないですか?赤字にならないとか。
まあショーなんて基本赤字なんで。
広告宣伝費として割り切らないと。
なるほどねー。
できない。それで利益取るとかはないので。
売上とか立たないですよね。
立たないです立たないです。
ただひたすらに世界観を、
莫大な経費を使って。
金を使って。
祭りのように花火で打ち上げて終わり。
この数分のためにみたいな。
というわけで、第2週は以上となります。ありがとうございました。
第1週はですね、これからどうしていくのみたいな話だったり。
セキュリティさんの哲学というか。
ノリでみたいな感じかな気がするけれども。
そういったところを伺えたらなと思います。
今日はありがとうございました。
25:43

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