1. Kibidangoは10周年でした
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2023-08-27 29:18

Kibidangoは10周年でしたというポッドキャストがはじまるのでクラファンの10年の話をし始めました #Kibidango01 01

2023年2月に10周年を迎えていたKibidango。それをきっかけとして、今更「Kibidangoは10周年でした」というポッドキャストをはじめます。

当然、話はクラファンのこの10年の話になり、まずは主に松崎さんからキックスターターの10年の話なんかをしてもらっています。しれっと、キックスターターの人ともKibidango以前から交流のある松崎さんがなぜKibidangoをはじめたのか?という話もしています。

そして、なぜ私はポール・オースターと会った話なんてしてしまったんだろうか、、、

(いしたにまさき)

#Kibidango01

#クラウドファンディング

サマリー

Kibidangoさんは10周年を迎えたというポッドキャストが始まります。登場するのは、いしたにさん、松崎さん、中村優子さんです。実は、Kibidangoさんは2月に10周年を迎えており、運営側だけがそのことに気づいています。ブログシステムの導入により、テキストの整理が容易になり、ネット上での情報交換も活発化しています。また、YouTubeやクラウドファンディングの登場により、新たな可能性が広がり、以前はできなかったことが実現できるようになりました。ポッドキャストでは、クラウドファンディングの10年間の道のりや、キックスターターの終了後の商品流通、そして企業とのコラボレーションについて話されました。

Kibidangoの10周年
いしたにまさき
はい「Kibidangoは10周年でした」というポッドキャストが始まります。
登場するのはね、わたくし、いしたにと、
Ryota Matsuzaki
Kibidangoの松崎です。
中村優子
フリーアナウンサーの中村優子です。よろしくお願いします。
いしたにまさき
で、もう打ち合わせ状態から垂れ流しという感じで、初回なのでいきなり始まっているんですが、
たぶん、おそらく全貌を把握している人がまだ一人もいない状況で。
中村優子
いしたにさんも把握していないんですか?
いしたにまさき
はい、どう転がっていくかよくわかっていない状況で。
で、どこから戻り、どの辺まで戻りましょうか。
もともと松崎さんとは、何年前?
Ryota Matsuzaki
いつですかね?
Kibidangoを始めてすぐぐらい?
いしたにまさき
だと思いますね、たぶん。
Ryota Matsuzaki
とも10年近く前。
いしたにまさき
大事なポイント。
Kibidangoは10周年でしたっていうタイトルにしたのは、
Kibidangoは実は2月に10周年を迎えておりまして、
とっくに10周年は過ぎ去っているっていう。
中村優子
こっそり、ひっそりと。
いしたにまさき
なので、まあでもね、気にしてるのは運営側だけで。
中村優子
でもおめでとうございます。
Ryota Matsuzaki
ありがとうございます。
時間の経過と考える
Ryota Matsuzaki
でもね、正直言うと、なぜこれがここまで遅くなっちゃったかって、
なんとなく自分の中でも、本当にこれはめでたいんだろうかと。
っていうのがそもそもあったんですよね。
いしたにまさき
なるほど、なるほど。
Ryota Matsuzaki
なんかこう、これって理解してもらえるか、すごく難しいんですけれども、
まあなんとなくこう、10年って黙ってても時間って過ぎ去っちゃう。
だから気がついたらもう10年も経っていたかっていうのが正直なところなんですよね。
いしたにまさき
その気持ちは若干実はわかるのが、
僕が実は最初のカバンを作って、実はもう12年経ってるんですよ。
Ryota Matsuzaki
すごい。
いしたにまさき
1回もモデルチェンジをしてないんですね。
あの一番最初に作ったのは、とれるカメラバッグっていう、
カメラバッグを最初にやったんですけど、12年経ってまして、一度もモデルチェンジ。
なんか5年ぐらいしたらモデルチェンジしたいですねとかね、初期のやつには書いてあるんですよ。
なぬ?みたいな、もう12年経ってんだけどみたいな。
でも、いまだに実は時々ひらくPCバッグシリーズほどではないにしろ、実はぽつぽつと売れているカメラバッグであって、
実際僕もガチ撮影行くときとか、
あと、主に推し活ですね。
ライブ会場行くときにはいろんなものを持っていかなきゃいけないので、
しかもこの辺に胸元にね、ものが収まっててほしいんですよ。
中村優子
推し活のときって?
いしたにまさき
はい。で、要は入るときに見せるんですよ、中身を。
Ryota Matsuzaki
中身チェック。
いしたにまさき
そうそう。で、中身チェック、はい、はい、何も入ってませんよって入って、
で、入ったらそのまんま床に置くっていう感じですね。
で、カバンは開けっぱなしにしておいて、いつでも何でも取り出せる状態にしておくっていうようなこと。
でも、何かいかにも最初からそんなのを狙ってたふうですけど、
全然そんなことも考えずに、ぼーっと漫然と10年経ってる。
中村優子
そんなことないでしょって、いやいや。
いしたにまさき
あれ、もう12年?みたいな。
中村優子
すごい。
Ryota Matsuzaki
でも、そう考えたら時間の経つのって本当は早いですよね。
いしたにまさき
恐ろしいですよね。
中村優子
恐ろしい。
10年続けるってそんな簡単じゃなかったんじゃないですか?
Ryota Matsuzaki
これは私ですかね。
中村優子
はい、松崎さん。
Ryota Matsuzaki
なんかね、やっぱり10年後残ってる会社って本当にごくわずかとかってよく言いますけれども、
そういった意味で言うと、そうですね、いろいろあったのかなとかって思っちゃいますけど、
あんまり何か、何でしょうね、こういう仕事してると後ろを振り返るってあんまり案外しないもんだなって気がするんですよね。
何か常に前に前に。
いしたにまさき
なるほど、なるほど。
クラファンの経験
Ryota Matsuzaki
と、なっていて。
いしたにまさき
今回ね、これをやるにあたって一つご縁になったのがViXionっていう製品があって、
KibidangoさんとあとGREEN FUNDINGさんで共催という形でファンやってる。
で、僕は一部分その中の人としてやってますし、実はゆう子さんも一部ViXionをお手伝いしていただいていたりとかして、
松崎さんはそのKibidango側の人として関わっていたりとかして、
で、僕もクラファンを支援する側で見たことはそれこそ死ぬほどあるんですけど、
自分が運営側に回ったことってあんまりなかったということだったんです。
要するにちょっと内情を聞くとかいう程度はあるんですけど、
本当にガチでスタートする前の日ちょっと睡眠不足になりますみたいなぐらいの感じで、
これ確かにやってると、終わるまでなんていうの、いい言い方じゃないけどチキンレースですよね、やっぱりね。
Ryota Matsuzaki
始まったらね、もう後には引けない。
いしたにまさき
ゴールに向かってチキンレースやってて、
で、それが、Kibidango側の人もそうじゃないですか、自分の担当しているプロダクト、
自分の会社で始まったプロダクトが成功するかどうかっていうチキンレースを同時進行でずっとやってるわけですよね。
で、終わりましたとなると、当然その製品は次のフェーズに移っていくわけで、
一部KibidangoさんはECやってたりはしますけど、基本的には次のフェーズに行ってしまう。
そうするとまた次の新しいクラファンの方がやってくるわけじゃないですか。
だから常にチキンレース状態ですよね、ある意味ね。
Ryota Matsuzaki
そうですね。
いしたにまさき
そうすると、それは昔のこととか過去とか振り返って、いろいろ考えてみるタイミング、確かにないよなっていう。
Ryota Matsuzaki
なんか今の話を伺いながら、ふっと頭の中に戻ってきたのが、やっぱり今のこのKibidangoを始めるとき、
ちょうど直前ぐらいに、いろんなことを考えたんですね。
こんなことやろうか、あんなことやろうかっていって、
アイディアとかっていっぱいあるじゃないですか。
何もない状態なので何でもできちゃう。
で、いろんなアイディアを日々日々考えて、それをいろんな人に壁打ちをするんですけれども、
自分がすごく頼りにしてたのが、アメリカにいるベンチャーキャピチャリストの人がいて、
彼とはずっと仕事で付き合いがあって、いろんな相談とかいろんなタイミングでやってたんですけれども、
彼にいろいろとこういうアイディアあるんだけどどう思うとか、ああいうアイディアあるんだけどどう?とかって壁打ちをしてもらっている中で、
ふーんと聞いてくれるわけで、いろいろこんなこと考えてるんだけどとかっていうと。
で、ふーんがずっと続いて、最後にKibidangoのアイディアを伝えたら、
いやいろいろお前今まで話してくれたけど、今話してくれたこのアイディアが一番いいんじゃない?と。
で、その心は何なの?って言うと、お前新しいもん好きだろ?と。
新しい人に会うの好きだろ?と。
いしたにまさき
なるほど。
Ryota Matsuzaki
それを天職にできるっていいんじゃない?っていうんですよね。
で、まあいいアイディアっていうのは、確かに今まで聞いたアイディアもどれもいいアイディアだったから、うまくいくかもしれないと。
ただ本当にうまくいくのはアイディアでもチームでもなくて、そのやりたいとずっと思えるかっていう。
そこに尽きるんだよね?みたいな話。
誰よりもそのサービスというか、やりたいことを続けられる人が勝つんだよみたいな話をされて、ほーっと思ったんですよ。
なのでそういった意味で言うと、本当に自分自身がこうやって日々新しい人たちと新しいアイディアと触れていられるっていうことは、本当に自分がずっと好きなことだったので、それを続けていられる一つの大きな理由なんじゃないかなという気がします。
いしたにまさき
なるほど、ちなみに僕が10年ぐらい前に書いた本が「ネットで成功するのはやめない人である」っていう本。
Ryota Matsuzaki
ほー、そのまんまですね。
いしたにまさき
やめない奴が勝つっていう。で、意図的に続ける人が勝つとは書かなかったんですね。
やめないでいいっていう。だからなんかその続けなきゃっていうと、例えば毎日やんなきゃいけないとか。
Ryota Matsuzaki
ちょっと頑張ってる感じしちゃいますもんね。
いしたにまさき
そうそう、頑張ってる感が出ちゃうんだけど、例えば途中で一回休憩してもいいんだよと。
でもやめないという姿勢が結局、今のところネットではやっぱり強いようになって。
で、やっていくうちに結果的にね、毎月やってました、毎週やってました、毎日やってましたっていう形になっていった人が良くて。
はい。で、なんかみんなね、これはね、ブログ始まった頃もそうだし、実はYouTubeも同じなんですけど、
うまくいった人たちってだいたい黙って3年毎日やるんですよ。でも3年を目標にはしてないんですよね。
毎日やってるうちに気づいたら3年経ってました。3年経ってみたら、あれ、なんかうまくいきだしたいろんなことがあるっていうパターンが実は非常に多くて。
Ryota Matsuzaki
おもしろーい。
中村優子
でも頑張ろうともしてないってことですね。
いしたにまさき
なんかね、たぶん一つは、これはね、どこまで話戻ればいいのかな。何らかの枯渇みたいのがないとダメなんですよね。
で、僕の場合はまずブログの話はできるので、ブログの話をすると、ブログ以前と今って、ごめんなさい。
ちょっとこれ、最近大学でこの話をしたばっかりなんで頭が整理されてる状態なんですけど、ちょっと小難しい話しますと、
ブログが流行ったことで何が一番流行ったか。XMLが流行ったんですね。
要するにXMLっていうのは、あるフォーマットなんですよ、インターネットにおける。で、XML自体っていうのは実は大昔からある。
大昔からあるんだけど、昔は手で書かなきゃいけなかった。面倒じゃないですか。
で、ブログが流行ったことで、システムで書くっていうことがみんな日常的になりましたよね。
そうすると、単純にもちろんCMSとしてブログが便利だっていう話と、もう一個が出力されたものがXMLにのっとったもので記述されてるんですね。
テキストの整理と情報発信の活発化
いしたにまさき
だからブログシステムを使ってる限り、例えばタイトルはちゃんとタイトルの文字情報が入ったテキストがインターネットに流通してる。
だからGoogleが見に来たときに、タイトルはこれね、書き出しはここね、太字になってるからこれ重要ね、みたいなことが、
ある一定の統一されたXMLというフォーマットで書き出す人たちがブワって増えたっていうことが大事なんですよね。
ということは、コンピューターから見たときに文章がわかるってことなんですよ。
ということは検索されやすくなるし、それから情報を横展開していく。
昔はマッシュアップなんて言い方をしましたけども、他のところで使うっていうことも可能になって、
そうやってテキストを書く人が爆発的に増えた。
要は整理されたテキストが爆発的に増えたっていうのが一番実はブログでは大きいところで、
だから例えば後からそれを全部違うタイトルのブログに書き換えることも可能なわけですよ。
要は整理されてるんで。
それを今思えば、頭おかしいんですけど、昔僕らは全部手書きでやってたんですよね。
中村優子
そうなのね。
いしたにまさき
ある一定のインターネット老人会以上の年齢はみんな普通にHTML手書きでできるっていうのは、
簡単にいうのは昔はそれしかなかったからそれで書いてたんですよ。
そうするとみんなマイルールになっちゃうんですよ。
適当に書くんですよ。
今でいうと例えばタイトルはH1コードが入ってたりとかタイトル構文が入ってたりとかあるんですけど、
それを適当にやってるからみんな適当に書いてるんですよ。
だから昔ってリンクはトップに貼ってくださいっていう常識だった文化があった。
なぜかっていうとトップから見てもらわないとわかんないから。
すごくみんな適当にやってるから。
だからトップから順番に見てってくださいっていうことが重要だったんですけど、
ブログシステムによって整理されるので発見されやすくなるからいきなり記事、本題ドンって構わなくなった。
で、YouTubeも同様で、それ以前に動画の配信の仕組みっていっぱいあったんですけど、
要は一番安定して一番それなりの画質で、そしてそれなりの視聴者数でやれるサービスっていうのは結局YouTube以降。
いまだにYouTubeがほぼ唯一ですけども、
そうすると今までできなかったことができるっていうのは誰も見てなくてもやるんですよ。
だってできなかったんだもん、今まで。
そうすると、うわーできるぞーっつってうわーってやってる。
だから何人かのYouTube、僕が直接知ってるYouTuberとかはやっぱりYouTube以前からそういうことをやってる人たちだったりするし、
要するにYouTubeが始まってからやってないんですよね、映像というものをね。
元々やってて、そこにYouTubeというのが来たから、そこに乗っけるようになったら流通していくようになった。
なのである一定のやっぱり枯渇みたいなものって結構大事かなって思いますよね。
クラウドファンディングもその軸線上にあるといえばありますよね。
買えなかったものが買えるようになったっていう。できなかったことができるようになった。
お金がないからできなかったっていうだけみたいな。
Ryota Matsuzaki
そうですね。クラウドファンディング、ルーツっていうことで言うといろんな諸説あるんですけれども、
例えばニューヨークの自由な女神像っていうのはクラファンの元祖だみたいなことを言ってますよね。
あれってフランス政府から自由な女神を寄贈されたんですけど、乗せる台座がなかったんですよね。
台座作るのも金かかると。どうしようって話になって、
当時のニューヨークの新聞王のピューリッツァーっていう人がいたんですけれども、
彼がおっしゃ、じゃあ俺が自分のところの新聞の自社広告ですよね。
売って支援を募るから、それでお金集めようよと。
広告自分で売って、そこに自由の女神を俺が立てたいんだと。
でも台座がないので、それをみんなからの寄付で募りたいんだと。
寄付をしてくれた人にはいろんな得点を差し上げますよと。
例えばミニチュアの自由の女神像とか、寄付してくれた人たちの名前を台座に刻みましょうとか。
いろんなことをやって、今のクラウドファンディングのルールとは全然違いますけれども、
それで何回かやったのかな。きちんと必要なお金を集めることができたっていうのは有名な。
いしたにまさき
それ確か、古くなってきて掴んでるタイマツを作り直すときにもやってませんでした?
Ryota Matsuzaki
本当ですか。それは知りませんでした。
いしたにまさき
で、それお金出した人は古いタイマツのパーツの一部をもらえるみたいな。
Ryota Matsuzaki
いいですね。
いしたにまさき
あと僕も手元にありますけど、もう今ないですけど、
銀座のソニービルが解体するときにクラウドファンディングのことをやってましたよね。
それやると、ソニービルって表面の波打ったような壁がすごく印象的だったはずなんですけど、
それの一部を切り取ってもらえるっていうのがあって、今ここにあるんですけど。
中村優子
そんな感じなんですね。
いしたにまさき
そうなんですよ。
Ryota Matsuzaki
面白いですね。
なんでしょうね、さっきの自由の女神像の話に戻ると、
そういうクラウドファンディングっぽいもの、何かやるときにお金が足りません。
みんなからお金を集めて何かやりましょうっていうのは昔からあったんだけれども、
1997年とか、
違うな、もうちょっと後か。
2007年とか9年とかですかね。
いわゆるそのキックスターターとかが注目を浴びるようになった背景としては、
ネットが普及して、SNSが普及して、
直接知らない人に対してもネットを通じて相手を信頼して、
そのストーリーを信頼してお金を先にあげようっていう大それたことができるようになった。
っていうのはやっぱり非常に大きかったんじゃないかなっていうふうに思いますね。
いしたにまさき
今たまたま名前が出ましたけど、キックスターター。
クラウドファンディングの起源と可能性
いしたにまさき
ちなみにゆう子さんはキックスターター使ったことありますか?
中村優子
ないです。最近キックスクーターじゃないんだっていうのをわかったぐらい。
検索で出てこないと思ったら、キックスターターって言うんですもんね。
Ryota Matsuzaki
なんかね、始めるっていうのを英語でキックスタートする。
いしたにまさき
キックスタート。
Ryota Matsuzaki
そこから取ってるんですけども、もともとその創業者ちょっと変わってて、
決してネットの民とかそのITの出身の人じゃないんですよね。
音楽のプロデューサーだったりとか、ジャーナリストだったりとか、ブロガーだったりっていう人たちが集まって作ったんですけども、
普通のシリコンバレーとかじゃなくてニューヨークで創業してるんですよね。
いしたにまさき
そうですよね。キックスターターはそうですよね。
Ryota Matsuzaki
ちょっとね、だから雰囲気コーポレートカルチャーみたいなのも若干東海岸っぽいというか。
なんですけれども、面白いのは、もともと彼らトラウマがあって、
その創業者の一人がコンサートを開きたかったんですね。
ジャズコンサートをニューオリンズで開きたくて、箱も見つけて、アーティストも見つけて、
あとはチケットを売ってお客さん集めるだけっていうところだったんですけれども、
結局そのライブというかコンサートを諦めざるを得なかった。
それは何かっていうと、箱を押さえる、劇場を押さえるのに手付金が必要だったんですよね、頭金が。
それがどうしても払えなかったと。
いしたにまさき
なるほど。
Ryota Matsuzaki
もしこれが実際にライブができてたとしたらすごく盛り上がったのに。
間違いなく成功することは分かっていたのに、最初のお金を集めることができなかったので、すごく悔しい思いをしたらしいんですよ。
これを先に好きな人を見つけて、その人たちに先にちょっとずつお金を出してもらえばできたんじゃないっていうのが最初のきっかけだったんですよね。
そこから何年かずっとその3人で、ああでもない、こうでもないってやりながら作ったのがキックスターターだったと。
キックスターターの特徴と日本での展開
いしたにまさき
そうなんですよね。だから日本のクラファンに慣れてると若干、特にキックスターターは多いかな、違和感があるというか違うなと思うのが、
例えば絵画展とか写真展とか、あと映画作りたいとか、そっち系の話が結構実はキックスターター多いんですよね。
Ryota Matsuzaki
めちゃめちゃ多いですね。
やっぱり元々クリエイター出身だしアーティスト出身なので、そのクリエイターとかアートを支援したいっていう思いがめちゃめちゃ強くて、
ついこの間CEOが変わったんですけれども、その彼もアーツィっていうオンラインの画廊みたいな、そういったもうアート出身の人がトップに立っているぐらいで、
結構そういったところへのこだわりがすごく強くて、実は古い話、2012年にキックスターターがめちゃめちゃ好きで、
これをなんとか日本に持ってきたいなと思って、創業者の3人、当時は2人だけ会えましたけど、会いに行ったんですね。
当時メディアラボの所長だった伊藤穣一さんにご紹介いただいて、ものすごい恥ずかしくなるようなレコメンデーションというか推薦状みたいなのを書いてもらって、
とにかく日本でECというかこいつしかいないぐらいのやつがお前に会いたいと言ってるんだけどどうだみたいな。
いしたにまさき
だいぶ盛られましたね。
Ryota Matsuzaki
相当な盛り方ですよね。
中村優子
英語あるある。
Ryota Matsuzaki
恥ずかしいなと思いながら、だったら45分ぐらいだったら時間あるけど来る?みたいな話で、行く行く!みたいな感じでニューヨークに行って、
当時3つすごい自分で考えたことがあって、1つはキックスターターを日本に持っていきたいということ。
とにかく英語だとなかなかサービスって普及しないので、日本語にして日本人でも分かるようにしたいなっていうのと、
あとはECとくっつけたいなっていう話をしたんですよ。
キックスターターの終了後の商品流通
Ryota Matsuzaki
やっぱりそのキックスターターって1回終わるとすごいお祭り感は残ってるんだけれども、お祭りが終わった後のなんかこう魚拓みたいな感じで、
そこでそのなんかねものすごい盛り上がった商品が欲しいと思っても、もうどこで売ってるかも分かんないみたいな感じだったんですね、当時。
で、それもったいないからその後そこで商品売ろうよという話と、あと3つ目が大企業も絶対にこれすごく飛びつくアイディアだと思うよと。
大企業とのコラボとかもあるんじゃないっていう話をしたんですよ。
したら面白いのはもう3つともすべて即座に否定されて。まずその日本に行きたいっていう話については、
自分たちまだちっちゃい所帯で当時まだね18人とかそれぐらいだったんですよね。
で、ニューヨークでやってて、海外展開も興味あるんだけど、やるとしてもまずは英語の国からか英語圏からかなみたいな、
イギリスとかカナダとか、香港とかオーストラリアとか。
なので日本は相当先だよって話をされて。
で、2つ目は、何でしたっけ、EC。ECは全然分かんないから自分たちでやりたくないと。
分かる人にやってほしいっていう話をされたんですね。
で、3つ目が一番面白くて、大企業とのコラボっていうのはしょっちゅういろんな広告代理店とかから話が来るんだけれども、
片っ端から断ってるんだと言いまして。
で、すごい面白いなと思ったんですけど、とにかく自分たちはアーティストとかクリエイターとか、
個人でやってる人とか小さい所帯でやってる人たちを支援したいんだと。
で、大企業って自分たちでやればできるじゃんと。
そんな人たちを支援するのはやりたくないんだよねって言われて、
クラウドファンディングと大企業のコラボ
Ryota Matsuzaki
なるほどとずいぶん違うなという感じだったんですけど、その時に彼らが面白いこと言っていて、
でもそんなにお前がそれやりたいんだったら、自分でやればいいんじゃないっていうことを言われたんですよね。
で、その時に、まあでも本当にそう言われたかどうかも覚えてないんですけれども、
言われた時にハッとして、なるほどなと。自分で始めるという方法もあるのかと。
いしたにまさき
そうか。彼らとしては別にクラウドファンディングみたいなアイディアっていうのは別に自分たちの専売特許ではないから、
やりたいんだったらやればいいじゃんって感じですよね。
Ryota Matsuzaki
自分たちは自分たちの流儀でやっていて、他の人たちが他のやり方でやるのを別に止めもしないし、むしろそれはいいことなんじゃないみたいな感じだったんですよ。
いしたにまさき
でも、まあそういう話は実になんていうか、なんかこういう話するとあれなんですけど、
なんか僕もニューヨークなんて2,3回しか行ったことないのにこういうことを言いたくないんですけど、ニューヨークっぽいですね。
Ryota Matsuzaki
でもね、すごい本当にその通りだなって思って、割と独特な感じ。
いしたにまさき
マンハッタンってそんな広くないじゃないですか、実は。だから本当に歩いてるといるんですよ、そういう人が。
だから僕一番ショックだった、ショックっていうかすっげえびっくりしたのが、何だっけな、いつだ、何年前だ、もう覚えてないけど、
サマーシーズン終わると、要はみんなお休みに行っちゃって、ニューヨークの画廊が一斉にオープンの日ってあるんですよ。
要するに秋のシーズン始まるよってこの日からっていう。で、みんなその日に今シーズンのことバーンとオープンして、で、その日はみんなが要は扉を開いていて、その画廊をいくつも、
要するにニューヨークのあの辺、何でしたっけ、場所忘れちゃったな、海沿いのあたりを、もう要は一晩中画廊を開けてて、で、みんなぐるぐるぐるぐる回るっていう日があるんですよ。
Ryota Matsuzaki
いいですね、楽しそう。
いしたにまさき
で、僕その日があるのを教えてもらってたんで、日程にその日を入れて、結構ぐるぐる回ってたんですよ。
で、何か特にあまり気にせずに、何だっけな、何かその時も僕そうだ、盛られたんだよな、何か日本のネットのことはこの人に聞くのが一番っていう。
中村優子
二人目。
いしたにまさき
盛られて、で、何かそのニューヨークタイムズで、日本人なんだけど記事書いてる、アート系の記事書いてるっていう人とお話したりとかして、で、せっかく来たんだからあそこも行かなきゃダメよみたいな。
で、何かちょっともう疲れたなと思って、ちょっと外タバコ吸いに行こうと思って、外でタバコ吸ってたら横でポールオースターがタバコ吸ってるんですよ。
ポールオースターだ、本物だ。
そしたらポールオースターが、ちょっとライター貸してとかって言うわけですよ。
中村優子
洗えない洗えない、洗わないか。
いしたにまさき
洗わない。
中村優子
すごい。
いしたにまさき
で、出しながら、ごめん、僕、あなたの小説最後まで読み切ったこと一度もないんです。
思いながら、実はすいません、でもお名前はよく存じておりますみたいな、とか言うの。
でも何かそういうことがよく起きる街なんですよね。
なんかちっちゃいからギュッとしてて、本当、だから画廊だけでも一体何件あるのかよくわかんないぐらい大量にあって、
そこに、別にポールオースターは小説家だから、関係ないっちゃ関係ないじゃないですか。
でもいるんですよね、そこに。
っていうのはそうだよね、キックスターター、そうかそうかニューヨーク発だっていうのはなるほどなという感じがしましたね。
日本のクラファンは若干物に寄りすぎてるところがあるといえばあるので、その辺の感覚が伝わりにくいかもしれないですね。
29:18

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