1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.94「人との出会いに恵まれ..
2018-01-11 51:08

Vol.94「人との出会いに恵まれた秘密」

NY在住ジュエリデザイナー、春名めぐみさんのインタビュー2回目。日本に戻って、ジュエリデザイナーとしてどのように活動を広げたのか、そしてNYにいくことになったきっかけ、人との出会いでやりたいことの扉がどのように開いていったかの理由について話しています。

オープニングは、知っているとできるの差についてのお話です。


00:14
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ、「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさやむさん、よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
さっきちょっとね、雑談をしてた話を、また皆さんにお友達のシェアをしていただいてもいいですかね。
そうですね、すごくね、私気になるお友達が何人かいて、共通してることがあるんですよ。
それは何かというと、いいな、いいなって人のことを言ってるんですけれども、
じゃあ、あなたもやればいいじゃない?いいなって思ってるんだったら、そうなれるように、
同じことをやったらいいじゃない?でもやらない人がいる。
いいな病で、実際自分はいいなって。
うらやましいな、いいなって言ってるんだけど、
じゃあ、そうなりたいんだったら、同じことをトライしてみたら?やってみたら?って言っても、
でも、でもって言っちゃう。
でもね、とか、そうね、とか言っておくんだけども、何年経ってもやらない?
何年も経っちゃってるんだ。
何年経っても、例えばほんとちっちゃなことですよ。髪の色をチェンジする。
私はパーソナルカラーのアドバイスとかもしてるので、髪の色をこの色にチェンジしたら、
もっと軽やかで明るい感じになって、さらに素敵になると。
男性からもきっとね、声がかかるんじゃないかしら?ってアドバイスしても、絶対に変えない人。
その時は何?そうですね、みたいな。
そうねって言ってくれるんですよ。だけど、絶対変えないの。
髪なんてね、何年か経ったら全部生え変わるというか伸びて、すべて新しくなるので、
失敗してもね、ウィグだってある。
いくらでもね、できるんだけども、絶対に変えない。
何のポリシーがあるかわからないんですけれども。
変えないポリシーをでも持ってるわけではないわけでしょ?
変える勇気がないんだ。
そこはどういうところから来るんですかね?
新しいことにチャレンジするっていうのは、新しい自分を発見する喜びもね、きっとあると思うんですよ。
その喜びがわからないのかなと思って。
ファッションとかも同じ。
チャレンジしてみる勇気がないってことですよね。
これが似合いますよって言われたら、じゃあやってみよう、着てみようと思わないで、
でもって言って、そこで終わっちゃう。
もったいないですよ。
03:02
それで何年も経ったらちょっともったいないよね。
人生もったいないですよ。
せっかく女性として生まれたんだったら、いろんなことにチャレンジして、
美しくなるチャンスがいっぱいあるんで。
そのチャンスをちょっと逃してる可能性はある。
美しくなるだけじゃなくて、人生のいろんな旨味をね、味わうチャンスをいっぱい逃してるような。
私ね、今思ったのは、例えば人の理解の中でレベルがあるんですよ。
例えば聞いたことある。
知らないっていうレベルが一番中であれなんだけども、その次聞いたことある。
で、その後知っている。
で、その後わかっている。理解している。
で、次が最後ができるっていうレベルがあるとしたら、
このね、みんな知っているとかわかってるまではあるんですよ。
でもね、このわかるとできるのね。
ここのね、溝。そこの差が激しい。激しいんですね。
ここが実は谷の谷底のように深くギャップがあるんだけど、
人ってよくほら、セミナーとかもあるじゃないですか。
あー聞いたことある。聞いたことある。
でもやってんの?って言ったら、別にやってるわけじゃなくて、
なんか新鮮な話を聞かないと意味がないと思っている。
でも聞いて終わりの人もたくさんいるっていうか、そっちの方が多いんじゃないかなと思うんですよ。
その中で、できるまで持ってこうとする勇気を持って谷底まで降りて、
その新しい方まで行ってみようと思う人がまず少ないし、
そっからできるようになるまでやってみようと思う人もたぶんもっと少なくなる。
だから、分かった分かったっていう感じでアドバイスは聞いてるけど、
やろうとかできるようになるまでやろうっていう視点はないんですよね。
だから、この知識の溢れている、現代だからこその、
病じゃないけど起こる問題かなっていう気がしますね。
本当にね、パーソナルカラーとか骨格診断とかをね、ベースに色々とコンサルティングを私もするわけですよ。
そこで素直に、じゃあやってみますって言う方ってすごくね、変わりますよ。
伸びるというか。
そうなんですよね。
もう、はい、やりますって感じでスポーンって言っちゃう。
ですけど、でもでもとかって言ってるともうそこで成長が終わっちゃうんですよね。
06:03
いつまで経っても変わらない。だからせっかくコンサルを受けてももったいないなと。
そこで分かったで終わっちゃうんですよ。
そうなんですよ。だから本人の目的は変わりたいところにあるのか、知りたいだけなのかによって違ってて、
本当に変わる勇気がないっていう人もいるけど、知るところで結構満足して、分かったからいつでもできるとか思ってる人が実は多いんだけど、
実は分かってるだけでは何の意味もないっていうところに気づけてる人は少ない。
そこで行動を起こすかどうか。
そこで行動を起こす人がもう本当にその一気に変われる方に行っちゃうから、差が出ちゃうんですよね。
じゃあそのお友達がいつか変わるかどうかは。
本当に何年言ってるんだろうと思いますけど、いつか気づいて変わってくれたらいいなぁと。
こればっかりはさゆみさんがガンガン言っても、本人がそう思わないというところですよね。
言って変わってたら特に変わってるはずなんですね。
早い方は本当に早いですね。
ということで、やっぱりできると分かるの差っていうのをしっかり認識して、ぜひできる方に行って、私も含めて行きたいなと思います。
それでは本編スタートです。
はい、今回はジュエリーデザイナー春名恵さんのインタビュー2回目です。
今回はインド生活を終えて日本に戻られた後、どんな経緯でニューヨークに行ったかとか、
ジュエリーデザイナーとしてどんな風に活動を広げたかっていうところをお話を伺っていますので、ぜひ聞いてください。
結局ご主人のお仕事の都合で戻ることになったってことですか、日本に。
その時点でインド滞在はもう終わり。やることはやったって感じ、自分の中では。
インドにいる間にやれることはやりきったんですけど、その後ジュエリー始める上で、やっぱり1年間学校に行っただけではサポートできない部分というか、
デザイン側かけて、そこはもともとやってたこと。でもそこからその形を起こしていくっていうところがどうしてもやっぱり技術が足りなかったので、
私はもともと得意だったコンピューターを生かそうと思って、3Dのモデリングの学校に日本でそこだけは通ったんですね。
今はもう全部3Dなんですね。
だからこう想像して頭にあるものを手で作ろうと思うと、私のその手先では限界がある。
09:04
そんなに不器用ではないんですけど、やっぱり10年20年やってる職人さんのようには細かいものは作れないんですね。
だからそれを原型をすべてモデリングして、そこから先はもう信頼した職人さんに全部加工してもらうということで、
その後職人探しの旅に出たんですけど。
それ日本で?
もちろん日本です。やっぱり加工の技術は、インドはすごく上手な人とすごく下手な人が混在しすぎていて、
クオリティが保ちづらいんですね。
日本はそこはやっぱり工房で一定しているというか、
やっぱり洗練された職人さんだけが集まっているところっていうのがあるので、そういうところを探して。
じゃあそういう勉強もしながら職人さん探しも?
そうです。職人さん探しはその後ですね。
最初の1年半から2年ぐらいその後キャドー行って、自分の作品をまずはとにかく作りためようと思って。
納得する作品ができるまではブランドを始めないと決めていたので、
学校に入って作品を作りながら、実は同時にインド先生術を本格的に勉強したのも日本なんです。
日本でやったんですね。
インドでも実は勉強はしてたんですけど、インドのインド哲学がすべてにおいて入ってくる。
その前提が日本人とインド人では噛み合わなかったんですよ。
そうですよね。もともとベースがある人たちと違いますもんね。
ガネーシャは例えばシバシに首を切られて成長したとか知らないじゃないですか。
知らないです。
ヨガの勉強の中で出てきたこともあれば、全く知らない神話がそこの裏側にあったりすることに
いちいちずっかかっているとインド人はそんなの常識でしょみたいな感じでわからない。
なんでかとか当たり前すぎてわからないっていうところがあって、
それで日本人の先生でサンスクリプトが読める人を探して日本でやり本でいたんです。
すごい。
インド先生術の第一人者っていうか、いろんな第一人者がいるんですけど、
結構アプリケーションを作ってたりとかする方で研究熱心な方について、それで勉強して。
なるほどね。
勉強を日本に戻ってからでもされてて、その時って自分のブランドはいつ頃とかもイメージしてたんですか?
準備ができたらぐらいの感じで、
セルフイメージで30歳ぐらいって決めてたんですけど、
当時日本に戻ったのが29歳だったんですね。
なので30歳ではちょっと間に合わなかったんですけど、
31でやっぱり2年経った頃に初めて自分が納得するデザインのものができてきた。
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ところっぽらあったんですけど、これが私らしいジュエリーだと思う瞬間があって、
そこからすべてが変わり始めたというか、ここから始めていこうと思った瞬間でした。
その時はジュエリーって決まったわけですね。
決まったんです。インドでジュエリーと出会った時から実は決まって、
実はその後インドにいた頃にニューヨークにその直後に行った。
インドのリシケ市から戻ってちょっとしてからニューヨークに旅行に行った時に、
実は私ジュエリーを始めようと思ったんです。
ニューヨークで思ったんだ。
ニューヨークで思ったんです。
だから今ニューヨークに住んでるんですよ。
なるほどね。原点に戻っていったんだ。
原点に戻っていった。それが面白いなって自分の中で思うところなんですけどね。
ニューヨークでバーグドロフとかの百貨店の中にあるジュエリーコーナーが、
私が思うに日本のファッションのジュエリーコーナーと違って、
ミュージアム一つ一つの作品にメッセージがたくさん込められていて、
バシバシ伝わってくるものがある。
この世界観もファッションとしても芸術作品としても、
すごいメッセージが伝わってくるものをお守りとして作りたいっていうので、
自分の中でやりたいミッションが決まったっていう感じだったんです。
それは旅行に行った時に、
ジュエリーショップをいろいろ見て、いろいろ感じたんだ。
決めちゃったんです。そこから学校にすぐに入ったんですね。
なるほどね。
それまではインド先生術をやろうか、ジュエリーをやろうか、
いろいろちょっとフワフワしてた時が。
いろいろやってらっしゃったもんね。
2〜3ヶ月あったんだけど、
その時にピリピリっとニューヨークで、
この世界観っていうのを見てしまったから、
目が覚めてしまったっていう感じだったんですね。
なるほどね。ジュエリーに決まったと。
決まった。
じゃあ日本に戻られてから、
ずっとそのブランドを作っていくっていうことに向けて、
結構もうガッツリ。
そこからもうやることが決まっていたので、
ただそのやるために自分がまだ必要なプロセス、
努力しなきゃいけないところがたくさん残っていたから、
それを一つ一つクリアにしていったって感じですね。
結局じゃあ自分のブランドを立ち上げたのは、
それから日本に戻られてからどれくらい経ってました?
立ち上げたのが、
最初に自分のジュエリーですって発表したのが2012年ですね。
2012年に初めての展示会を出して、
そこからスタートとしてますかね。
なるほどね。
じゃあもう今5年くらい経っているということですね。
5年目なんですね。
その中で日本でブランドを立ち上げて、
どういうふうに展開されていたんですか?
最初はですね、
全く私そのジュエリー業界もそうだし、
15:01
ファッション業界も何もかもわからなかったので、
ファッション系の方とかいろんな方の知恵を借りて、
まず自分がブランドをやるっていうのはどうしたらいいんですか?
聞きに行ったんですよ。
そしたら一般的には展示会に出して、
百貨店とかのファイヤーから認められるかどうかっていうことが
まず大事なんじゃないかなって一般的な意見を聞いて、
じゃあ強にいれば強に従えてやってみようと思って、
個人的な展示会の直後、
ルームスっていうアシペフランスが主催している展示会に出してみたんですね。
そこで運良く高島屋新宿店のファイヤーさんから
すごく気に入っていただけて、
すぐに新宿からの出店以来に来て、
イベントさせてもらうことになったんですね。
一般的に都内の店舗に最初から入れるケースって、
すごいラッキーらしいんですね。
大体地方店からトライして、
それからだんだん都内に。
経験積んで都内に戻ってくるみたいな。
っていうケースが結構多いみたいなんですけど、
何人か私の友達はみんな運がいいので、
都内から始めてる子なんですけど、
でも最初から都心部で出店させてもらって、
面白いことに一箇所出すと、
当時興味持ってくれたファイヤーさんたくさんいたんですけど、
一箇所出し始めると、じゃあうちもみたいな形で、
もうその年は十何箇所百貨店もあったんです。
普通の人が大体その1年間に、
3箇所4箇所百貨店出すのが、
多分体力的にも精神的にも、
普通そのぐらいだよっていうペースで言われてたので、
じゃあ3倍やろうと思って。
じゃあもう来たものはどんどん。
全部受けるって言って、最初は全部受けたんですね。
月1ですよねほぼ。
月1から多い時月2です。
もう本当にオーバーワークって言ったら、
自分が結構体はちょっと悲鳴上げてたんですけど、
とにかく依頼が来たら全部受けて、
一通りの百貨店を回らせていただいて、
やっぱり合うところと合わないところ、
どうしても地方だと、
私が使ってるものがちょっと高価な石になってくるので、
なかなか難しかったりとかして、
やっぱり都内が良かったんですけど、
それでも土地によって相性があったりするのも全部感覚で。
でもそういうので経験できたってことですよね。
できたね。1年間ですごいそれを体験させていただいて、
2年目に入った時に、
それも本当に縁で、
実はニューヨークに行ったきっかけが、
仕事の大きなキャンセルがあったんですね。
日本ですよね。
日本です。
で、日本で2週間くらい展示会をやる予定だったのが、
キャンセルになってしまって、
ちょっとがっかりした反面、
ほっとしたというか結構オーバーワークだったので、
18:02
休憩が必要と自分の中でね、
体と心がゆっくり行って、
で、締めたと思って、
じゃあこの2週間は久しぶりに休もうかなと思ってたら、
ちょうど当時友人の桐山美希さんというモデルの友達がいるんですけど、
彼女がニューヨークに留学するっていう風に、
その日の夜に会ったら言ってきたんですよ。
そこでもうニューヨークに私そういえば、
ずっと憧れがあったし、
行きたかったんだっていう。
そのインドの時以来ですよね。
以来です。
黙々と出てきて、
じゃあいる間に私遊びに行くって言って、
もうその日の夜にチケットを取って、
その休みを結局ニューヨークに当てたと。
そうなんです。
じゃあもうすぐパーンと行く形になって、
1ヶ月後ぐらいだったかな。
それはどれくらい滞在されたの?
その時は2週間ぐらいだったのかな。
ちょうどそうです。2週間弱。
でまたいろいろご対面したんだ。
その当時に見たものとか、デパートとかそういうのを見て。
でも本当にニューヨークでそこで、
本当に見たもの、いろんなものともう1回対面して、
やっぱり私ニューヨークのこの世界観をやりたかったんだなって、
夢を思い出したって感じですね。
1日の仕事をバシバシやってきて、
もちろんすごくありがたいことだし、
結果的に素敵なお客さんとも出会ったけど、
ちょっと頑張りすぎて、
自分自身の楽しみの部分を忘れかけていたところがあったんですよ。
でもそれで夢を思い出したというか、
このキラキラした世界を伝えるっていうのを、
私もっとやりたかったんだと思って、
やっぱり私ニューヨークに行きたいってそこで思っちゃったんですね。
今度はもう住むっていう感じ?
それがまた面白くて、
その直後に松田美裕さんって、
高杉の先生方の主催してたパーティーで、
たまたまお友達の紹介でそのトークショーに行って、
懇親会で隣の隣に座った方が、
ササヤンさんっていう手相師さんだった。
彼にお話に詰まった時に、
誰かが彼は手相が見れますよみたいな感じで言われたのをきっかけに、
じゃあ私見てくださいって見てもらったら、
33歳が大きな転機ですって言われたんですね。
彼のセッションすごくて、
それまでのこと全部当てられてしまって、
もうびっくりみたいな形で、
33歳の転機で何が起こると思うというか、
何を思い浮かべますかって言われたら、
私無意識だったんですけど、
ニューヨークに住みたいですって自分から言っちゃった。
それまではニューヨークいいなと思ってたのが、
私は住みたかったんだってことに気づかされて、
そこからニューヨークに住むっていう方向ですべてのことが運んでいたんですね。
21:04
実はそのパーティーで別の方と会ったんですけど、
その方の縁で別のジュエリーの依頼をされて、
お会いした方のエージェントで、
アメリカ人のところにビザのスポンサーになってもらえることになって、
アメリカに来るときに一番の問題はビザですよね。
実装としてやりたくて来るなら、
うちに所属してビザを出してあげるっていう風に、
最初の投稿でつながっちゃったんです。
すごいですね。
もうこれは来るしかないよねっていう形で、
その後自分の会社のスポンサーとか色んな人を説得して、
最終的には説得したはずの主人、元旦那さんとは別れて、
ニューヨークに渡ることになってしまったんですけど。
元々はどういうつもりで彼には説得したんですか?
最初は私2年か3年で、
ニューヨークでそのジュエリーを販売するっていうことを、
自分の中で実績としてやってみたかったので、
2、3年他支付にしますっていう。
どうしてもやっぱり行きたいし、
自分の仕事としてやるからっていう風に説得をしたつもりだったんですけど、
ただ彼は本当にすごい素敵な人だったんだけど、
サラリーマンで、やっぱり女性は結構お家にいてくれる。
女性会社の奥様とか大体はお家にいらっしゃる方が多いから、
それを彼の中のセルフイメージとして持ってたから、
やっぱり働くのはいいけど、
自分の近くにいてほしいっていうのはきっと彼のために。
ましてや単身婦人ニューヨークみたいな。
そう、しかも自由に私が決められるのに、
そっちに行くっていうのはやっぱり、
彼にとってはつらい選択だったのかなって思います。
なるほどね。じゃあ本当に一からリセットした状態でニューヨークに行くって。
そっちになっちゃったんだ。もちろん。
日本の仕事はもちろんコンティニューしていくつもりだったので、
全て私が海外にいても発注をかけて精査ができる状態だったりとか、
お客様と連絡が取れる状態を半年間かけて作って、
とりあえずもうハイセンの人じゃないですけど何もない状態。
ニューヨークにはお友達が本当そのパーティーであった数人いるかいないかっていう。
誰もお客さんもいないっていうところからまずは住む。
行っちゃえみたいな感じですね本当に。
住まなきゃ何も始まらないからとりあえず住むって決めて、
そこからのスタートだったんですね。
じゃあそのニューヨークに行くと決めてからそのパーティーね。
からどれぐらいで実際にはニューヨークに行かれたんですか?
だいたい半年以上。
そんな早いスピードで行っちゃったんだ。
準備も結構そんな感じでスムーズにできちゃった?
ビザのことか何か。
ビザは行ってからスポンサーがついてたので行ってから準備するつもりで、
24:00
学生ビザから最初行ったんですね。
そういう感じで行ったんだ。
まずちょっと3ヶ月とか住んでみないと本当に住めるかどうかもわからない。
言語も私英語つたない英語なので、
本当にアメリカで生活できるか
とりあえず3ヶ月は行ってみないとわからないから
最初学生で3ヶ月入ってっていうつもりで
その間に全部準備すればいいやと思って
日本のことだけやってもうすぐ行っちゃったって感じ。
じゃあその時のめぐみさんの心境としては
もう何もやるだけだっていう感じで多分いらっしゃってると思うけど
ニューヨークっていう場所はずっと住む場所として行ったのか
それともやっぱりさっき最初にご主人に言ったように
2、3年まず様子見ようみたいな感覚で行ったのか
感覚的にはどういう心境で行ったんですか?
感覚は本当の本当のその最初の時は
全然わかっていなかったっていうのが多分本心だと思うんですね。
ただ2、3年はいないと形にできないというか
全く言語がわからないところでゼロから始めて
やっぱり日本でもいろんな下積みに時間がかかったぐらいだから
まあ2、3年はかかっちゃうよねっていうのを含めて
それにやった上でどうやっていきたいかっていうのを
自分で結論を出そうと思ってて
その時はまだ決めてなかったんですよ。
じゃあもう新しい進展地でやっていく時って
もう本当にだって仕事もそれなりに順調にいってた
そうですね。
日本でね。そういうのも全部置いていくわけじゃないですか。
どういう気持ち?
気持ちですか?
多分ねそこが私唯一の
唯一のというか一番の強みだと思ってるんですけど
ゼロから始めることに対して全く怖さがないんですね。
結構自分の安定を手放すっていうことが
みんな怖いって言うと思いますよね。
でやっぱり全く怖くないわけじゃないんですよ。
生活できなくなったらどうしようとか
お金がくらったらどうしようとか
ゼロではないんだけど
多分そのインドに一回全部リセットしに行ったというか
1年間働かないっていう選択をした時も全て含めて
順風満帆だったところから全部捨てていってるんですよね。
ベンちゃんもやっぱり給料も良かったし
仕事もすごく楽しかったし
何不自由ないところから
一旦それを全部リセットして旅立ちをしてる。
でもその瞬間が実は一番ワクワクしてる自分っていうのがいたんです。
一番何もなくて怖いはずなのに
ゼロからのスタートっていうのは
一番ワクワクする自分がいるんですよ。
そこが多分強みなんじゃないかなと思うんです。
だからそういう安定とかっていうのを
逆に置いといてリセットできるってこと?
27:00
安定っていうのも
全然人間なので安定してることはすごく良いことだと思うんだけど
そこがなくても本当にゼロから一を生み出すことっていうのに
多分情熱を注ぐことが自分らしさだったんでしょうね。
その時ってちなみにおいくつだったんですか?
ニューヨークに行った時。
ニューヨークに行ったのが33の年ですね。
本当にリセットですよね。
ある意味プライベートもリセットして
仕事もリセットして
すべてリセットっていう形ですね。
今ニューヨークに住まってどれくらい経つんですか?
ニューヨークに住んで
ちょうど6月に引っ越しをしたので
1年と数ヶ月ですよね。
実際に住み始めてどうですか?
ニューヨークに住み始めて
難しい質問だな。
まず一言で言うならとても楽しいですね。
楽しい。どういう意味で楽しい?
ニューヨークの魅力を何て伝えたらいいか
すごいたくさん魅力があるんだけど
私が一番ニューヨークの好きなところは
みんなスピリットをすごい大事に生きてるんですよ。
ニューヨークに住んでいる日本人としか
まだ私そこまでコミュニケーションが取れてないんだけど
みんな自分は何して生きようかとか
どんな風に生きようかってことを
真剣に考えて生きてるんですね。
精神的にすごく自分というものを
見つめて生きてる人が多いところ。
それまで日本に行った時は
もちろんお友達はみんな結構
自分が何をしたいかっていうのは
はっきりしてる人が多かったんですけど
夢は何なの?とか
どんなことしたいの?っていうと
びっくりしちゃうというか
そんなこと私言っちゃいけないんじゃないかと思ってたみたいな
自分を出して生きるとか
自分らしさっていうものを
蓋をして隠さないと
なじみづらい社会というか
日本ってやっぱり足並みを揃えることを
しすぎてしまって
本当に私日本文化の素晴らしいところもあると思うんです。
協調性とか
人を気遣う心とかは
そこは大切にしたいと思うんだけど
でもやっぱ個性という部分はすごく魅力ですよね。
だから個性をみんな鼻開いてる
時々度が過ぎてるのもあるけど
開きすぎるから
でもそれでも国は成立するんだなというから
それでもまぜこぜ文化は
残るというか
上手く調合がある
ということを体感したこと
なるほどね
ジュエリーに関してはどうですか?
例えばインドとか
日本から遊びに来て
ジュエリーの世界観という
旅行者の立場で見た世界観と
住み始めてまた分かったことってありますか?
ジュエリーの世界観ですか?
ジュエリーの世界観というよりも
30:01
アメリカの人の物の買い方とか選び方というのが
すごく私とリンクしていたということ
それはすごく良かった点なんですけど
日本は流行で
誰がつけてるとか
どういうタレントさんがつけてて
流行してるとか
みんなキャッチーに追いかける文化がある
だから人と違うものを
自分がつけたいという人
いるんですけど少数だったんです
反対アメリカの人は
ファッションにしても全てユニーク
自分のスタイル
だからしかも
ジュエリーの選び方が
まさに私がやりたかったことで
自分のマインドを見つめて
自分に合うものをつけるというところ
そのスピリットをまず見る
だからジュエリーを選ぶときも
先世術を先に見てください
という方がほとんどだったんです
私このジュエリー欲しいけど合ってますか?
じゃなくて
私に合うジュエリーを
先にまずは先世術で見る
私の魂の持ってきたメッセージは何か
先に聞いた上で
じゃあこのジュエリーをつけようという
覚悟をされる方
精神的に生きてる方がすごく多いんですね
そこがすごくあって面白いですね
じゃあ仕事的にはどう変わりました?
日本で仕事した時と
またニューヨークに移ってからの
めぐみさんのライフスタイルですか?
実際今のところは
日本での仕事も
時期を減らしただけ
数を減らしただけで
日本と行き来しながら
ニューヨークのお客様
ニューヨークのお客様
日本のお客様
日本のお客様でやってるんですけど
ニューヨークに行き始めて
大きく変わったことは
私自身がやりたかったスタイルが
いわゆるファッション
そのお店において
数が売れることとかではなくて
その人の人生により
そうジュエリーを作っていくっていうこと
ただそのクオリティとか
いろんな面で
美しく美術家に並ぶような
ところはあったんですけど
そこのニューヨークに来たかった
本質っていうのは
そこに横並びできるクオリティ化を
知りたいっていうことと
あとはやっぱり
精神的な生き方っていうのと
ジュエリーを自分の中で
確立させたかったんですね
そこがはっきりと見えてきたことだと
なるほどね
じゃあ本当にその人に合った
ジュエリーを提案したり
インド先生術も
使ってやってらっしゃるってことですよね
そうですね
実はジュエリーにも
一つ一つメッセージを込めてるので
直感で選んだものが
だいたいその人が今欲しいものとか
進んでいきたい方向に
リンクすることがほとんどなんですけど
やっぱりその
自分の直感を確認するためというか
本当にそれでいいのかっていうのを
裏付けをしていくために
33:00
統計学である先生術を使っているんですね
そっか
もう基本セットで見てる方がやっぱり多い
多いです
私これ欲しいですっていう方がいたとしたら
もちろんそれはOKなんですけど
ただこのジュエリーはこんなメッセージがあるよ
っていうことを
一つ一つお伝えしてるんですね
そのメッセージっていうのは
どういうところ
意思に現れる?
それともデザインにも現れる?
どういう感じ?
両方現れるんだ
それぞれにメッセージがあるので
その組み合わせが
オンリーワンというか
自分にとって今のベストですね
先ほどね
ジュエリーをこうやって見させていただきましたけど
それって
一個を作るのに
どれぐらい時間がかかるものなの?
一つのデザイン
デザイン
デザインは
これすっごい難しい質問で
朝起きたら
頭の中に浮かんでいて
そのCADで
数時間でできてしまうこともあるし
反対に何日か試行錯誤しながら
行ったり来たりするっていう
その2つパターンがあって
オリジナルでデザインから起こしてくれ
と言われる場合っていうのも
たまにありますよね
その要望としてね
金額も高いんですけど
そういう場合は
私期限をちょっと付けないでいただいてるんですね
自分の中にそのイメージが固まる
ずっと頭の片隅で考えていて
ただね
本当にピンときちゃって
すぐバーッと来る時もあるので
わかんないんだその日がいつ来るか
で多分そこのリンクするまでの時間を
読めないんですけど
長いと半年
サボってるわけじゃないんですよ
一応あの方が片隅にあるのね
あるんですけど
半年かかることもあれば
1ヶ月未満でできることも
頭の中でできることもある
数時間で浮かんでしまうこともある
それはもうこればっかりはね
説明がつかないというか
自分の中にある要素だけではないんでしょうね
きっと
ちなみに石とかは
どういうとこで買い付けされたりしてる?
私はもともと最初の最初は
インドでちょっと買い付けたものとかも
あったんですけど
私デザインしていく過程で
石にデザインを合わせるっていうことよりも
デザインありきで石を作るっていうスタイルが
実はインドでは主流だったんですね
なるほどね
だからデザインしても石がないっていうことに
たどり着いて
あれ?みたいな
企画の石を使えなかったんですよ
作られてる
それでデザインに合わせて
一級の石を作ってくれる職人さんを
交付で探して
それでいるんです
それでもう
王子宝書を取られた素晴らしい職人さんなんですけど
彼と出会ってそこから
ジェリーが始められたっていう経緯が
実はあったんです
そういう出会いがあったってことですね
全部ね本当に
出会いにすごく恵まれてるんでしょうね
でもニューヨークに来るのもそうですよね
そういう出会いがあったからってことですよね
本当そうですね
36:00
出会いに恵まれるようになった一つ
実はきっかけっていうのがあるんです
私は子供の頃からそうだったわけではなくて
出会いに恵まれるようになった
唯一の私が分かってるポイントは
自分の人生を生き始めてからなんですね
なるほどね
自分自身が誰かに言われたからとか
何となくこうした方がいいからではなくて
私が本当にこうすべきだって覚悟を決めた時に
必ず救世主が現れ始めたんです
それは多分大きな違いだったと思いますね
そこを自分の中で決める意思として持つと
そういう出会いが自然と発生するようになるんです
でもたべき本願で
誰か助けてって思ってる時は
同じような人が来ちゃうんですねきっと
人間ってそういうふうに引き寄せてるんだ
ってことに気づいたんです
それが今のじゃあめぐみさんにつながってるんだ
そうですねだから覚悟を決めて動いた時に
やっぱりその一番やりたいとか
自分でやろうとしたことのヘルプが現れる
それがきっといわゆる引き寄せとか言われてるものなんですけど
引き寄せって実はただ引き寄せてるんじゃなくて
自分が目的の方向を決めて歩いていってるだけなんですよね
それが結果的に引き寄せに見えてるだけ
だから実は自分が歩いてる
だから目的を決めて歩くために
目的の方向を忘れないためのジュエリーを持つっていうのは
実はそっちに光があるから
そちらに自分が歩いていきやすくなるっていう
そういうペンライトみたいなものですね
ジュエリーはペンライト
そうです
なるほどね
人生の進みたい方向の光
夢から光ってくるペンライトみたいなもの
例えばそういうのを手に入れて
ずっとペンライトとして役割を果たしてくれてるものが
お役目を果たし終えることもある?
あります
完全にお役目を果たすこともあれば
一番多いのは
そこでターニングが一回変わるっていうことがあるんですね
ありますよね
私もサイクルがあって
ゼロから何かを始める瞬間っていうのと
それを丁寧に愛情込めて育てていくっていうところと
また一回壊して新たに再生させていく
3サイクルあるんですよ
その時によって付けるジュエリーが違うんですね
なるほどね
だいたい2,3年タームとか
早い時は1年とかで切り替わることがあるんですけど
3ヶ月だけその変化とかね
それをやっぱりジュエリーで付け替えてますね
そうか
じゃあそういう形で変わっていくことは普通なんですね
普通です
ペンライトが変わるってことですもんね
だからジュエリーでやっぱり高価なものなので
39:01
どれだけ人生が変わっても
もう2年で終わり?とかっていうのではなくて
付け続けてももちろんいいんだけどっていう
ただやっぱり2年経ったり1年経ってお役目が終わったら
次のペンライトに変えて
その今付けてたものをお休みさせておく
また必要になるタイミングが
来るっていうこと
だからアクセサリーとしてシルバーを使うとかではなくて
変色しないプラチナとかゴールドを使うのはそのためなんです
いつでもまた復帰できるっていう
またきれいな状態で待っててくれるように
めぐみさんの今後の展開って言って
今後の展開
今決めているのは
まずニューヨークにお客さんを呼べる場所を作っていないんですね
初めて自宅しかない状態なので
鳥江県というかお客さんを呼べるサロンを
今年というか来年ですね
来年の春ぐらいを目標
ちょっとそれ物件次第なんですけど
本当にサロンとしてオープンする感じ?
そうです
私が決めているのは
今私自身はお店を開かないって決めてるんですね
常にそこにいなきゃいけないっていう状態は
スナフキンの私にとっては
つらいね
無理です
だからお約束をして
来たい人がいる時だけオープンするっていう形で
アポイント制にするっていう
だから鳥江県そのサロンとして
来たい時だけを予約して来ていただくっていう形にして
場所を作ろうかなと思ってるんですね
じゃあ本当にサロンとして
ますますもニューヨークを拠点にやっていくっていう
意志ですね
ニューヨークは私
日本の方にも月次にサロンが春にできるんですけど
今一応あるんですけどさらに改装して
そこは秋子さんという方に任せていて
もう一箇所金主庁に守石っていう
私の10年内に友人で
信頼してJD預けられる方に
選んでいただくっていう形で
ちゃんとその方に合うJDを選べる方にJDを託して
私以外の方でも進められるようにっていう教育を
日本ではしている
それをさらに今までは長い時間をかけて
時間を共有して教えてきたことを
もうちょっと定型化していって
扱いたいっていう方に
きちんと分かるような形で伝えていくということ
最後にやっぱりこういろんな
思い切った感じで
もちろん計画性とはまた別の視点で
5円で来たところがあると思うんですけど
何かやっぱ自分のやりたいことが
なかなか見えないとか
42:01
さっき最初におっしゃってたように
30になるまでにブランドは立ち上げたいけど
それが何だかわからないとか
そういう迷いの時期って誰でもあると思うんですけど
その時のうまくベストなものに導かれるために
何かできること
それは断言してリセットすることですね
何をリセットするんですか
その時に抱えているものを
一回全部取っ払うこと
たださっき言ったように私は特殊で
全部捨てても全然平均な特殊体質なので
多分みんなそれはできないと思うんですね
だからまずは嫌いなことから捨ててみること
本当はやりたくないけどやっていることとか
ありますよね
これは嫌だけどやっていることで
生活をするためとかいろんな面で
どうしても捨てられないところ置いといて
選択肢が変えられるものは変えていく
自分のエネルギーって使える限界があるので
エネルギーで丸い方に向いているエネルギーを
立てることがやっぱり一番大事だと思います
結局そうなると
一番多分ネックになるのが
お仕事をしていて高いお給料をもらっているけど
それがすごくストレスっていう場合
今までクライアントさんで
一番前に進むのが苦手というか
本当は変わりたいけど
別に今の状態に不満がないというか
生活できちゃうしお金もあるし
変わらないって人結構多いですね
そういう方は本当にそのままいきたいんだったら
いきたいでもちろん構わない
でも何かが違うと思うなら
手放すことは簡単にできる
本当に今の生活いっぱいいっぱいですっていう人が
それを動かすのすごく難しいけど
でもそういう人でもメンタルメンテとか
一つずつ削ったりとか
自分が嫌だと思うこと
例えば人に会わせてしまって
本当は嫌なのに嫌って言えないっていうのは
多分その人たちから愛されたいとか
っていう気持ちが原点にあったりとか
その理由を一つ一つ探っていって
それを守らなきゃいけないとか守りながら
もうここはシャッター下ろすっていうとか
下ろしていく
自分自身のコアを見つけていくこと
そこが多分一番もやもやした時に
やっていくと自分が見えてくるところ
あとは第三者の力を借りて
秋さんのコーチングを受けたりとか
私の生成術で魂の声を聞いたりとかして
ヒントを得ることですかね
ヒントですね
ヒントにするってところが大事ですよね
そこは依存するのではなくて
あくまで第三者とか
宇宙からのメッセージとしての
意見を聞いてみると
そこにすごく大きなヒントがあると思います
45:01
視点が変わったりしますもんね
まずはいらないエネルギーを取る
それができたらヒントを聞いてみる
その2つをやってみるといいかなと
素晴らしいアドバイス
ありがとうございます
またパリにはいらっしゃる予定はありますか
ないですね
呼ばれたら来ちゃいますね
またニューヨークと違いますか
ニューヨークと違って
パリは私にとって旅の原点っていう感じ
おっしゃってましたよね
根を張らせるというよりは
時々来る場所
また何か新しい風を起こすための場所なんですね
だから呼んでくれたら
ジュエリー買いたいとか言われたら
きっかけできたから来ちゃおうかなっていう感じで
またじゃあそれで
ぜひパリにもいらしてください
今日はありがとうございました
ありがとうございました
最後にまた
はい、めぐみさんの2回目のインタビューでしたけれども
まあ本当自分の気持ちに正直だから
もうニューヨークに行くって
ニューヨークだって思ったのもすごいし
ニューヨークに行くと決めたら
本当に行こうとして
ご主人を説得しようと思ったけれども
まあ結局離れて
自分で引っ越されて
行くことになったっていう
その行動力がすごいなと
思いましたね
離婚ももうでも
もう止められることではなかったって感じ
ですよね
彼女の中ではもうやるって決めてたから
ですよね
やっぱりすごいなと思ったのは
展示会をかなりほら
初期の頃数多くこなしてたじゃないですか
なんかこう
一般的には
私が聞いた時の感じで言うと
3、4回は年内
展示会を開くっていうのが普通なんだけども
もうじゃあその3倍をやろうと思って
来たものは全部受けるみたいな感じで
やってたっていうところもすごいなと思ったんですよね
柔らかい感じで
淡々と言ってるけどね
されてますけど
結構準備も大変だと思いますよ
展示会行ってて1、2回だって大変なのに
分かりますよね
10何回もやるっていうのが大変だし
でもやっぱそのニューヨークに行くっていう風に決めて
そのニューヨークに来てしまったみたいな
すごいですよね
なんか印象に残ったことあります?
うさむさんは
私ね
あの
街の話で言うと
また全然これビジネスとか
ニューヨークとはまた違うんですけど
パリの街とニューヨークの街の違い
っていうのをすごくお話を聞きながらね
考えたんです
私もニューヨーク大好きなんです
48:02
なんかね
めぐみさんが惹かれた気持ちはとっても分かる
なるほどね
特にビジネスをね
彼女のやりたいことをしに行ったっていうのは
ニューヨークっていう場所を選ばれた
すごくなんか分かる気がする
あーそうなんだね
すごい分かる
あそこはそういうパワーがある
エネルギーのある街って感じですよね
新しいものを受け入れるし
あのね
向上心のある人を受け入れるっていう感じが
あります
そうね
そう
熱意と向上心がある人っていう感じはしますね
うん
すごくこう
なんて言うんだろう
目的とか
夢を持った人がね
やっぱり
集まってる感が
ニューヨークというか
アメリカ全体どの街でも
ってわけではないかもしれないです
だけど
それは私アメリカに行くたびにいつも感じてた
なるほどね
そっか
うん
なるほどね
だからそういう意味では
彼女が惹かれた理由っていうのは
そうあるのかもしれないですよね
と思いますね
あと私がすごく印象に思ったのは
彼女とのご縁の話をしていた時に
彼女が
そういう縁に恵まれるようになったのは
自分のやりたいこととか
人生を生きるようになってからだって話を
私もそれすごい印象に残ってます
なってて
だから彼女は最初から
そういう縁に恵まれてたわけじゃないんだけれども
やっぱり
自分が本当にやりたいことっていうところに
フォーカスをしたら
そういうご縁に恵まれるようになったっていうところがね
すごく印象的だったな
そういうふうに
はっきりと自分の方向性とか意思っていうのが
分かってくると
そういう情報とか人とか
集めて
そういうものへの気づき
っていうのが
アンテナがすごく敏感になってくるのかな
っていう気はね
私もしましたね
あと最後にアドバイスとして
やっぱり彼女は
ゼロからリセットっていうのが得意なんだけれども
でもそういうのができるのが
普通ではないと思う
全ての人がそういう
当てはまるわけではない
だから迷っている時は
まず嫌いなところから
ちょっと手放してみるとか
そういう第三者のヒントを聞くとか
依存しないでね
その辺のアドバイスっていうのは
すごく実は実践的
もし行きたい方向に行きたくても
なかなか行けないっていう人は
彼女のインタビューを結構参考にしていただくと
すごくいいかなと思いました
また来月も素敵なゲストをお呼びするつもりですので
楽しみにしていてください
51:01
ありがとうございました
51:08

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