00:06
はい、それではですね、今日はなんと特別ゲストをお呼びして、今日はお話ししていきたいなと思っております。
Chikaraさん、よろしくお願いします。
こんにちは。
こんにちは、よろしくお願いします。
なんか、本当にお久しぶりにお話しする感じで。
ね、本当にお久しぶりですね。
はい、楽しみにしておりました。
はい。
今日は、どんな話していってもいいかななんて思ってるので、
そうですね。
途中、Chikaraさんがこんなこと話したいなと思われたら話していってもらっても全然構いませんので、フリースタイルでいきたいなと思っております。
よろしくお願いします。
お願いします。
私がちょっと聞きたいことを、さっき聞きたい、言ってていいですか?大丈夫ですか?
どうぞどうぞ。
あの、私、ロボと人の話が結構面白いなと思って聞いてて。
ありがとうございます。
で、うちの男たちはですね、息子も夫もですね、ちょっとロボよりどちらかというと、
あなーっていうのはあるんですけど、なんか聞いてると私もちょっとロボだなって思うところがあったりなんかして、
面白いですね。
なんかそこはやっぱグラデーションなんだよって言われてたところも超納得やったんですよ。
なんか、ちょっと今初めて私の配信聞いた方で、ロボって何?っていう方もいらっしゃるかなと思うので、
ちょっとちからさんも配信聞いていただいたら、下に概要欄にリンクも貼り付けたいなと思うんですけど、
今ちょっと前ですよね、ロボの配信を結構活発にされてた感じに聞くと。
そうですね。去年の年末ぐらいだったかぐらいだと思うんですけど。
年始もちろっと話されてたのもあるけど、
今ちょっと時間を置いてみられて、このロボと人について、
ちからさん的にどんなふうに考えられてるのかなって、もう一回聞かせていただけたら嬉しいんですけど。
もともとはね、一番最初はロボとか人っていうような言葉を使ってなくて、
リブラ先生が掘ったんで、精神科院のリブラ先生が、
人って考え方や特性がグラデーションで並んでいるよっていうことを、
去年一年ぐらい前かな、お話をされていたのがきっかけなんですよ。
それをもっともっとその前に行くと、
03:00
ヨーロッドたけし先生がバカの壁っていう本を書籍出されていたのを、
岡田斗司夫さんがそれを解説されてたっていうのが確か掘ったんですけど。
なるほど。
僕もバカの壁は読んでないんだけど、
要はリブラ先生の言葉を介して僕の理解は、
人っていろんな考え方をする人がずっと並んでいるとして、
理屈でものを捉えがちな人と、感情でものを捉えがちな人って、
その間には大きな壁があるみたいな話だそうなんですよ。ヨーロッドたけしさんのやつね。
理屈寄りで考える人は理屈で理解をするから、
感情で理解を進める人を見ると、
なんでこの理屈がこの人はわからないんだろうかと。
言い方が強くなっちゃうかもしれないけど、
バカなんじゃないかみたいに見えるらしいと。
それはヨーロッドたけし先生はバカの壁だと言ってるらしくて。
でも岡田斗司夫さんの解釈はもう一個逆回るだろうみたいな話なんですよ。
理屈で考える人から見るとバカに見えるかもしれないけれども、
実は同じ壁が逆側から見ると、
感情で理解をできる人から見ると、
あの人はなんでこの感覚が察せられないんだろうと。
なんで鈍感な人なんだって見えるっていう話で、
それは反対から見るとバカの壁に見えるって言った壁は、
逆から見ると実は鈍感の壁に見えると。
どっちにしろその大きな壁があって、
お互いがお互いを理解できない部分があるよねみたいなそんな話で。
それを両極でいくと、右左でいくと、
右の一番右が理屈でしか、
もう100%理屈以外はわからない人が右の極端にいるとして、
左の極端に理屈なんか一個もわからない、
感情しかわからないみたいな極端な人がいるとしたら、
みんなグラデーションのどこかの割合、比率が何対何みたいな、
間に全部みんなぶわーっと並んでいるんじゃないかみたいな話だったんですよ。
最初はね。
だからグラデーション、人の特性グラデーションだよねみたいなことを言ったりしてたんですけど。
だから僕もそうだし大月さんもそうだし、
どこかには必ずいるわけで、
どっちかの片方極端に行き過ぎた100、0、0、100の人はたぶん病気なんですよ。
たしかにたしかに。
すっごい極端に行くから。
でもそこまでじゃなく生活できてる以上は、
どこかしらのグラデーションの中間地点か、
06:00
右寄りなのか左寄りなのかみたいなところに絶対いるだろうみたいな話で。
でもそのときにね、自分のいる右側にはさらに自分よりも理屈寄りの人もいれば、
自分のいる左側にはさらに自分よりも感情豊かで理解できる人がいる。
要はそういうことだから、自分の右にも左にも必ず馬鹿の壁と鈍感の壁があるよねっていうような話で。
だから一個だけ馬鹿の壁と鈍感の壁があるって言って右左じゃなく、
必ず狭いところに自分が立ってる直右、直左には全部壁があるだろうみたいな。
そんな感じの話がもともとあってて、
でもそれをさらにわかりやすく相性的に呼ぶようになったのがロボであったり、
カタカナで言うとヒトっていう、みんな人間なんだけども、
相性的にカタカナのロボとかカタカナのヒトみたいに最近いらしているのが、
ロボとヒトっていう意味なんですけど、
理屈が強い人がロボ寄りの人だよねって僕たちは言い始めてて、
より感情が理解できたり、察するとかそういうことが得意な人とかがヒトっていう、カタカナのヒトね。
相性的にヒトって呼んだりしてるっていうか、そんなふうに使い分けている。
言葉がロボって言ったりヒトって言ったりっていう感じですね。
確かに。でもなんか自分の中でもロボっぽいところもあるし、
ヒトっぽいところもあるし。
どっちもあるでしょみんなね。
しかもその場面で切り替えてるときもありませんか?
このときはこっち側が結構優位に出てるけれど、
全然めっちゃロボで言ってるときとかありますね私。
あると思う。トピックでも違うだろうし、状況でも違うだろうし、
例えばですけど、スカンクさんというスタイル風友達いるんですけど、
スカンクさんはどっちかっていうと、スタイル風仲間の中では、
ヒト寄りだよねって言われてたんですよ。
感情が強いよねって、理屈で矛盾があるような考え方をしてる部分が、
どっちかというと多いように言われてはいたんですけど、
こないだちょっとわかってきたのが、そんなスカンクさんだったんだけど、
歌を聴くとき。歌って自分が落ち込んだときにはこういう曲聴きたいとか、
自分の心が動いたり安らいだりするために聴いてるとか、
歌詞が好きで、その歌詞がキュンとするからこの歌聴くんだみたいな、
聴き方が一般的って言い方はあれだけど、
僕もそういう聴き方をする歌が結構多いなと感じてはいるんですよ。
でもスカンクさんが放送でリブラ先生と話をして発覚したのが、
09:06
あの人は歌っていうのは、自分が歌えるか歌えないかカラオケで歌えるように、
覚えるためだけに聴くって言ったんですよ。
すごいでしょ。
覚えるためだけに?そんな人いるんですね。
びっくりじゃないですか。
だからね、自分がこの歌は歌えないと思った瞬間に聴かなくなるんだって。
それは面白い。
そんな聴き方の方おられます。
信じられないんですよ。
これが感情が動く人からすると、
そんな歌の聴き方してるなんてあなたは異常って思うわけじゃないですか。
歌から何も感じないのって感情が。動かないの感情が。
どんだけ鈍感な人なのよ、が鈍感の壁って言うわけですよ。
だから理解ができないわけですよ。壁の反対側だと。
めっちゃ面白いですね。
面白いんですよ。
もう一回だけど、それまではいろんな違う話のトピックのときは、
スカンクさんはどっちかっていうと、
いや感情的にこれが許せないじゃないですかみたいな発言をよくよくしてたから、
理屈で動かない人だろうなって言われていたにもかかわらず、
歌に対しては僕も驚いたんですよ。
僕はどっちかっていうと、
ロボよりより理屈で考える人だよねとか言われていた僕でさえ、
歌は聴き心地がいいとかメロディーが好きとか、
心が安らぐみたいに聴く人だから、
やっぱりトピックによっても違うんだなっていうのは本当に思いましたね。
そうですね、すごい顕著に出ているパターンが発見されたわけですね。
そんな人いるかと思いましたね。
でも台風ってだから面白いもんで、僕自身もそうだったんだけど、
今までずっと僕はもう全人類のちょうどど真ん中の、
まともな真ん中の平均値に僕がいるとはずっと思っていた。
それ本気で思ってたのよ。
本当ですか?
本当に思ってて。
面白い。
僕が異常値にいるなんて一つも思ってないから、
僕から見てちょっと違和感があるとか、
僕に対して違和感があるあなたって言われる人は、
その人が異常だと思うから。
その人がね、記事を逸脱してると。
そうそう、僕が逸脱してるわけがないから。
だって真っ当に生きてると思ってるから。
すごい面白いね、チカラさんは。
僕が感じるものは、みんな普通の人は大多数感じてるだろうし、
感じてない人は僕が異常じゃなくて、それを感じてる人がおかしいとか。
すごくそういうふうに極端に思ってたんだけど、
こういうふうに話をみんなで聞いていったり、
12:02
いや、私はそれはそういうふうに感じないよとかっていう、
意見交換とかすり合わせていくからこそ、
あれどっちかっていうと、少数派は僕かもって理解ができるというか。
本当にね、びっくりすることばっかりですね。
なるほどね、確かに。
そういう意味ではちょっと、のーさのーとかで表されてる方もいらっしゃるだろうし、これをね。
なんか女性的であったりね、男性の女性のとかね、
いろいろ表し方はあるかもしれないけど、
でも、これはでも、そういう意味では、
家で、家庭での奥さんとの話も表されてたかなというふうに思う。
いやもうマジでね、うちの夫にこれを察してほしいとかはちょっと難しいっていうのは、
ことごとく私はわかったところはありますね、家庭の中では。
察することはできないんですよ。
でもこちらかとしては、例えば出かけるってなったときに、
いつもやってることやんっていう形なんですけど、
それはちょっと入らない。
そんな出かけるっていうシチュエーション一緒やんっていう感じのことはなかなか入らないっていうのも、
すくずく感じて、
もう一つ一つ伝えていかないと、
この今の出かける状況に関してこうやってやってったらいいやんって、
女性はね多分思って、
なんでそこでぼーっとしてんだよってなるんですけど、
でもそこを察することができないんだなという。
そうね、人によって度合いは違うと思いますけど、
でも本当にわかんない人は、
僕も違うケースではわかんないことがたくさんあるだろうけど、
手を抜いてるとか努力してないとかじゃなくて、
本当にわからないんですよ。
でもこちらから見ると、手を抜いてる努力してないって見える。
本気で考えてくれてないからわからないんじゃないかとかって、
僕もよく言われるんだけど、
いや、本気で考えてこれなの?っていう感じなんですよ。
だから奥様方の間ではね、
旦那は何も考えてないっていうのはよく聞くフレーズですよね。
何も考えてない、別に。
聞いてみたら返事が返ってこないから、
やっぱ何も考えてなかったわみたいな話にはなりますね。
でも一生懸命考えた結果ってことですもんね、精一杯。
もしくは僕なりとか旦那さんなりの、
ここにはこうしたから今回もこうっていう何かしらはたぶんあったりもすると思うんですよ。
15:02
僕もよく妻とのギャップを感じるときに、
僕がなんで妻を、僕がおかしくなくて妻がおかしいと思ってるケースがあるかっていうと、
僕にとっては僕なりの連続で考えてるんです。
前回こうしたなって。
あのときにこうしたから今回もこうだろうが、僕なりにはあって。
でもその前回のあれが、
妻にとってはそれじゃなくてこっちの前回のあれのパターンでしょっていう、
そこのずれがあるって言うんですかね。
具体例がないとあれだけど。
分かりますよ。めっちゃ分かりますよ。
そっちじゃないよ今はみたいな。
今そのパターンちゃうやんみたいな。
それが理解し合える人の中だと、
空気を読んでそっちを正しく選択してくれたりするっていう環境もあるんでしょうけど、
そこのずれがあるパートナーとの間だと、
全部がずれていくっていう感じなんですよね。
ただでも、例えば人寄りというふうに言うと、
人寄りの中でもやっぱ若干ずれはやっぱりあるなって思うので、
いくら察する察する同士でも察しすぎて、
変な方向に行くこともあるかなと思う。
どっちかというと、相手の気持ちを考えすぎて言えなかったりだとか、
そうそうそう。
っていうずれもやっぱり生じますよね。
ありますよね。だから結局最初の話に戻ると、
全員がグラデーションでずれてるんですよ。全部本当は。
だから僕も強くは言わない、あえて言わないけど、
今確信していることは、
察してないって、僕はもう極端にずれてるから、
僕は察せませんってはっきり僕は手を挙げて今は言えるんですよ。
恥ずかしげもなく、悪びれもなく。
ごめんなさい、本当にわかりませんって、
僕はずれすぎてるって自覚ができたからこそ言えるんだけど、
今僕に対してあなたは察せてない、
私たちは察せてるって思ってる人の中も全員ずれてるよって、
僕は確信してるんです。
でもそれはあんまり言いすぎると、
極端にずれてれば僕みたいに開き直れるけど、
極端にずれてない人って自分がまともって、
さっきの僕と一緒ですよ。
自分がど真ん中とみんな思ってるはずだから、
確かにね。
でもずれてるって突き詰めていくと、
すごいショックになるんじゃないかと思うんですね。
ショックになるのかな、そっか。
だってできてると思ってて、今まで察せてると思ってたのが、
実は察せてる度合いが50%とか30%とか80%とか、
全部グラデーションで割合がずれてるはずで、
突き詰めてこうやって、あなたの認識こう、私の認識こう、
毎回みんな突き合わせたら、
全員がずれてるはずじゃないですか。
でもそれをまあまあで丸っとやってるからこそ、
前に進めてる部分もあるんだろう。
悪い話じゃないんだけど、
18:02
みんなの理解度合いとか察せてる度合いって、
まさに大月さん言ったけど、
全部本当に突き詰めたらずれてるはずだと思います。
でもなんかそこがみんなずれてるよねっていうことが、
自分もずれてるなっていうところを、
ちゃんと自分自身が分かって認めてあげてたら、
じゃあずれてるから相手に伝わらないだろうし、
こういうふうに伝えていこうであったりだとか、
思われてくると、また分かち合う確率が高まるのかなと。
理解し合ったら高まると思う。
僕もだって高まったもん。
すごい高まった。
ずれてるって自覚できたか。
私も結構夫に、
こういう状況で、こういう意味なのに分からないの?
みたいなことを昔言ったことがあるんですよ。
そしたら分からないって言われて。
それね、正直に分かんないんだと思う。
それは分からないって言われて、
でも一生懸命考えてるふうなんですよ。
風貌は。
夫には言われましたね。
言ってほしい。
言わないとちょっと俺は分からないみたいな感じで言われて、
本当に分かんないんだなっていうのを、
衝撃を受けたのはすごく覚えてますね。
前も言ったけど、みたいな私からしたら。
でもそれをやっぱ、そこから私はやっぱ衝撃を受けて始まって、
本当に分からへんやなっていうので、
じゃあちょっと細かく伝えてみるであったりだとかで、
本当にでもここの歩み寄りって、
今でも歩み寄れてないところもあると思うんですよ。
ただでも、ここは本当にコツコツとじゃないけど、
ちょこちょこその現場で言って、
過去に振り返って言うんじゃなく、
そこの現場で言っていくっていう積み重ねやなっていうのはすごく感じました。
そんなね、一週間やそこらで変わるわけがないという感じですよね。
変わるわけがないというか、変われない。
察するようにはならないと思うので、
ならないですよね。
その場で毎回言ってくれるのがすごく優しいと思います。
優しい。
それでそこからね、
ちからさんがお子さんの頃とか、
今ロボ寄りかなってご自身で思ってらっしゃるときの子供の頃って、
どんな感じやったのかなっていうのをちょっと聞きたいなと思ってたんですよ。
だから自覚がないから分かるんだけど、どうだろうな。
21:00
自分の中で結構理論立てて考えることが好きやったりする部分が多かったのかなとか、
知識を得ることとかが今みたいな感じで好きやったのか、
徐々に大人になっていろいろ社会に揉まれながらとか知識が入っていきながら、
そういう考え方になっていった感じなのかどうなんだろう。
どっちか言うと子供の発育過程的には、
自分の善と善やとかコントロールする部分って、
あまり小っちゃい頃って発達しないから本能のままにいくじゃないですか。
どっちか言うと自分の感情でやりたいと思ったらやるとかね、
感情が結構優位になるのかなっていうふうに私は思っていて、
大人になるにつれてどんどんコントロールが効いてきたりだとか、
ここはやってはいけないとか、今はやってもいいとかね、
そういうところがついてくるのかなと思うと、
ちくわさんも小っちゃい頃とかは結構感情よりっぽい行動みたいな、
覚えてる限りでいいかなと思うんですけど、
そんな感じやったのかなーとか思ったりして。
どっちかって言うと僕自身がどう思っていたかっていうのは、
いい子だったって僕は思っているほうで。
やんちゃをしたりとか、大人が困るようなことをあえてするとか、
例えば乱暴するとか、そういうことは基本的になかったと思うんですよ。
ただ、自分で抑えようとしてるわけでも多分なくて、
衝動的に何かをわーっと物を投げたりとか、
例えばそういうことはなかったですよね。
もともとからそっちは優位やったのかもですよね。
ちゃんと目の前のことを見て、
例えば先生がいて、こういうことをしたら叱られるんだなとか、
これはやってはいけないことなんだなっていうのが結構理解した上で、
そこがコントロールしやすいタイプやったってことですかね。
そうかもしれないですね。理解はしてたと思います。
だから大人が困るようなこととかっていうのは、
多分ピンとくるほうだったと思うし。
なるほど。
だからあえて天野尺が出ちゃうときは、
親がこれを絶対やっちゃダメって言ったことこそ、
あえてやりに行っちゃう、意図してやりに行くってことはありました。
なるほど。
天野尺として。
強制的にやめろっていうのに反発したくてやるみたいな。
考えて言ってるわけですね。
そう。考えて意図してやりに行くっていうことはあったけど、
24:01
この場ではそういうふうにしないほうがよさそう。
ピンときたときはやらないとか、そういうコントロールはしてた気がします。
そういう意味で考えると、
自分の夫とか夫とかはロゴ寄りなのかなって私は思ってたんですけど、
どっちかいうともしかしたらめっちゃ人寄りなのかもしれない。
なんていうんだろうな、本能で生きてる感じ?
あ、そうですか。
なんですよ。
どんな感じなの?
ただ察知られないんですけど。
いや察知られない人は人寄りじゃないと思う。
理論だって頭でコントロールっていうよりかは、自分の直感とか本能で生きてる感じ。
理論とかって言ってもいくつかあると思うんですけど、
最近思ったのは、自分の中の理論があって。
なるほど。
それに従っている感じですね。
そういうことか。
もしかしたら夫とかも自分の中の理論、
確かに言いますね、聞いたら言いますね、こういうことがあるからこうしたみたいな。
なんか理屈があるんでしょ?
若干、はい。ありますね。
なんとなくこうしたくてイエーイみたいな感じじゃなくないですか。
確かにそうなのかな。
ノリでやってるぜ、理屈はよくわかんないけどっていうよりは、
夫だからこうやってんだよっていう何かしらの理屈は多分あるんじゃないですか。
いやでも夫は本当に本能で生きてるタイプやなって思うけど、察することはできない。
ここはまたグラデーションなんでしょうね。
かもしれないですね。
人はなんとなく特徴的かなと思うのは、
共感したがる人か、人との共感あんまりいらないというかゼロじゃないだろうけど、
人との共感をし合うっていうことに喜びはあんまり感じない人がロボ寄りの人かなと思います。
あーなるほど、自分がこれで例えばやって満足と思って、
自分が満足してたらOK、人がどうとかは関係ない。
関係ない。
人が騒いでることが、人がわーわーやってることがすごく気になっちゃって、
自分もそれに参加できてない自分って仲間外れ感が出ちゃうみたいに感じる人はどちらかというと多分人寄りで、
人が何騒いでても自分の興味なかったら全然それはそれでいいよって言える人は、
どちらかというとロボ寄りというか。
27:01
やっぱりロボ寄りな感じがしますね。
多分自分ルールが強くある人なんじゃないかなという気がします。
確かにそういう意味では、うちの娘なんかは超人寄りなタイプなんで、
自分寄りかは周りがどうしてるかとかいうのを結構気にしたりだとか、
一緒に何かしたい、誰かと何かをしたいみたいなところをすごく言うタイプなので、
すごい人寄りやなーって思ったりもしますね。
そうだと思う。
そういう人は共感し合っていくほうが得意だろうから、
自分も誰かが思ってるのかなって察するとか、
そういうことを感情が、空気感が変わったとかを察したりとか、
そういうのの特性が強いんだと思います。
そういう意味では、マヤ歴って力さんご存知ですか?
マヤ歴って占いの中の一つの統計学だと思うんですけど、
やってらっしゃる方も多くて、私も畑原武さんという方に見てもらったこともあり、
その前はマルチ諸法の話、結局はマルチ諸法の話あったけど、
その前にマヤ歴の話をされたっていう過去のエピソードがあるんですけど、
めちゃくちゃすごいね、そういう意味では、
共感する人寄りの人っていうのが、何色さんみたいな、白色さんみたいな感じであったりだとかして、
その時もすごくね、そういう意味で青タイプの人は、自分が納得するかどうかで進んでいく。
コツコツコツコツ、人がどうとかそんなじゃなくて、自分が納得するかどうかで進めていきたい人。
でも白の人は、どちらかというと周りの共感とか、周りが話聞いてくれるとか、感情寄りの人ですね。
っていうのが、4色あったんですけど、それでも言われてた部分。
すごい重なるかも。
重なりますね、マヤ歴につながりましたね。
夫とかは青色、息子も青色が入ってるんですよ。
だから自分の道を、我が道を言って、自分が納得するかどうかっていうのが大事なタイプっていう風に言われて、
今の話と結構そこも、生まれた年、生まれた日によって違うっていう。
そうなんですか。
ちからさんのやつも知りたいななんて思っちゃったりしました。
僕多分青が強く出るかもしれないですね。
かもしれないし、実は全然違う色かもしれないですけど、
なんかね、それも面白いなあなんて、そこもつながるなあなんて思ったりして。
なんかそういう、自分自身を理解する上で、
30:01
そうやって自己分析でたりだとか、
そういう統計学使ったりだとかしながらやっていくので、
自分がどんな感じのタイプなのかって客観的に見るのってやっぱり大事なとこですよね。
大事だと思います。
あとは、どれを自分が納得かを持って聞き耳を持ってるかだと思うんですけど、
前歩きでこう言ってたから、それを参考にする人もいれば、
そう言われてもって思っちゃう人もいるかもしれないけど、
何でどうかは置いといて、
自分ってどういう特性があるっていうことを理解していくことは、
すごく僕は今は大事だったなあと思いました。
確かに。
だって本当にもう一回言うんですけど、僕ど真ん中と思ってたんだよ。
平均のまともなという人の中のさらにど真ん中が僕と思ってたから。
そうですよね。ちっちゃい頃からのことを考えると。
ずっとだもんだって。
余計ね、僕はいい子で育ってますっていう感じで。
困ったことがなかったし、人との大きなトラブルっていうのは、
気にならなかっただけかもしれないけど、
僕はなかったと思ってずっと生きてるから、
そんな僕が異常値なわけないと思うじゃないですか。
だから全員そうだと思います。
みんなそれぞれが、全員が自分が平均のど真ん中、
自分が大多数のど真ん中だってみんな聞いてる人思ってるんじゃないですかね。
そうですね。
自分の価値観が正しいと思ってるから、その生き方をしているわけですもんね。
こそ違いを持った時に、自分が理解を示すっていうよりは、
なぜあの人が自分を察してくれないのかしら。
自分の周りはこんなに自分と同じ感覚の人ばかりなのにって思っちゃうわけでしょ。
でもそれって、自分がどこにいようと、
グラデーションって思えば、みんなが違うと思えば、
自分も何かしらの理解を示すとか、
違うやり方を、接し方を変えてあげたほうがいいのかしらとか、
なんか理解できる部分が増えるとは思いましたよね。
それは自分のことも理解しないといけないかなというふうに思ったし。
そういう意味で一番の気づきは、みんな違うんだっていうことを気づいたのが一番大きかったのと、
あとは僕としてはもう一回だけど、
僕自身がちょっと外れ地にいるかもしれないと思ったときに、
奥さんに僕はどれだけ迷惑をかけてしまってたんだろうって本気で反省したんです。
え、そうなんですか。反省いります?
いや、だってね、いろいろやっぱり口喧嘩みたいになったりしたり、
どうしてわかってくれないのよって言われるたびに、
33:01
僕はもう一回だけど、僕が間違ってないからって思ってました。
しかもどっちかっていうと僕ルールで僕は頑固なほうだから。
表面上でその場を取り繕うことはできても、
心からやろうとしてないのはそこは僕はたぶんバレてたんだと思うんですよ。
うーん、なるほどね。
本気で考えようと思ってないなっていうのは、
そこはあえて僕は僕ルールを変えるつもりはないっていう接し方をたぶんしちゃってたのかな。
僕が間違ってるわけじゃないって思ってるはずだからね。
でもみんながそう思ってますね。奥さんはたぶん、私は間違ってないって思ってらっしゃる。
そうそう、みんなそう思ってるだろうけど、
でもそのせい、そういうふうなギャップを作っちゃってる一員は、
相手だけじゃなく僕にもあったっていうのを理解できたから、
半分の歩みより、僕からの歩みよりは、今は多少なりにできるようになってきてるような気がしてて、
その僕の変化を察してくれた妻は少しずつ、
妻の言い方も変わってきてる部分もあるような気がする。
そうですよね。相手を変えようとするんじゃなくて、
自分自身が言い方変えたりしていくと、相手が自然と反応が変わってくるっていうのはすごい感じますよね。
なんか最近ちょっとそれを実感できてきてて、
だから良かったと思いましたね。
そうですね。
なんか私ね、夫と結婚する前に言われたことが今でも衝撃的で、
そこが私が理解できなかったことがあったんですよ、その当時は。
黒と白に分けなくてもいいんじゃないって言われて、
私結構はっきりさせたい、マスキリストとか言ってるからはっきりさせたいタイプで、
これは良いのかこれは悪いのかっていうジャッジを結構今までしてて、
いろんな話を、その時喧嘩か何かしたか覚えてないですが、
話し合った時に夫に別に黒と白をはっきりさせるんじゃなくて、
別に今はグレーのままでもいいんじゃないって言われた時に、
グレーのままで置いとくっていうのが結構衝撃的やったんですよ。
あ、そうですか。
グレーのままで置いといたら気持ち悪いやん、みたいな私からしたら。
あ、そうなんだ。
どっちかはっきりさせないと今のうちに、みたいな感じのタイプやったんで、
なんかその価値観を言われた時にですね、
そのグレーはいつ白と黒に分かれるんでしょうかみたいな感じをすごく覚えて、
でもそこからなんか、え?ってなったけど一旦持ち帰った時にも、
36:05
私の中で結構衝撃的やったからそこから考えて自分の中で、
そっかグレーで置いといてもしかしたら時間が経った時に、
あ、こっち黒よりやったなとか白よりやったなっていう、
この今グラデーションって言われてる部分ですよね、そういう意味では。
そのグラデーションの部分で置いといてこっちよりかなっていう最終結末が、
あってもいいんだよなというところで結構私自身が緩んだ、
自分の中の考え、今までの考えが緩んだことがあって、
あーそうなんですね。
そうだからめちゃくちゃこう、私はそれこそロボなのか、
あなたはロボですか?あなたは人ですか?みたいな感じで、
はっきり分けたいタイプやったのが、
そこでそういう考え方の人もいるんだっていうので、
ある意味緩められたのがあって、
そこを緩められたからこそ息子が生まれてきた時に、
そういういろんな凸凹があるっていうのが目の前に子供を見て感じて、
まだそこで受け入れやすかったのかもなと今振り返ってはすごく思うんですよ。
よかったですね、それね。
そう、なんかこうはっきりさせたいっていうのがめちゃくちゃありましたね、学校は。
そこがね、あまりにもそこが尖りすぎると、
自分の価値観と合わない、合うみたいな形で判断しすぎると、
多分喧嘩も多くなっただろうし、
そうですね。
相手を理解するっていう歩みよりもできなかったのかなというふうには思いますね。
たぶんですけど、白か黒かって全部に線引きをしようとしても、
たぶん大月さんも世の中の全部に白黒はやってないと思うんですよ。
たぶんね、そうですよね。
どこかには目に触れても置いておくものもあるだろうけど、
何かに触れたものには白黒つけたいみたいな可能性もあるけど。
僕も一個あったのは、今理解できたのは、
僕は逆にほぼほぼ9割以上、どうでもいいに全部置ける人なんですよ。
興味がないことばっかりだから。
でも逆に自分ルールっていうのが、さっきも言ったけど強いから、
それから見ると矛盾に感じるものは、僕も白黒つけないとってやっちゃったことがあって、
39:04
でもそれって要は、まさひさんに言われたんだけど、
おかん活動だろうと。
人の部屋に来て急に片付けろってやってるようなもんじゃないかって、
スタイルで言われたときに確かにと思ったんです。
自分のことだったらやってもいいかもしれないけど、
他の人の考えや思考に対してデバって言って、
それ違いませんかみたいに僕はやってしまってたんだなと思ったときに、
これはダメだ、そんなに白黒つけるもんじゃないんだなと。
だからそれはそれでほっとかなきゃダメだって僕も思ったことがあって。
だから何の話したかっていうと、僕も白黒つけたい部分も中にはあるから、
全部をグレーでいいじゃないってわけじゃないだろうけど、
かといって感情的には白黒つけたいって僕も出るけど、
それはちょっと待ってよと。
反射的に白黒つけるって言いかずに、
一旦ちょっと一泊を凍って、僕も最近意識をするようになったことがありました。
確かにね。
でも、そういう意味では興味があるなしっていうので、
まず別れる感じですね。
一個ね。
一段階目として。
こだわりがある自分の中の基準とずれてるかどうかで、
目に入っちゃうっていうのかな。
でも私もあるかな、それはね。
やっぱありますよね。
全く興味のないところに意識が向かない。
入れようとしても入らないみたいな感じは。
頑張って流行ってるしとか思って、
子供が好きだからと思って入れようとするんですけど、
全く入ってこない部分がありますね。
入らないですよね。
だから子供に、例えばセンタイモノとかプリキュアとかそういうものを、
一緒に親も楽しまれてる親御さんもいらっしゃるんですけど、
私全然入ってこなくて、プリキュアのって言われても名前とか、
全く全然一緒に乗れなくて、
でもある親子は一緒にママも楽しんで、
それで話が子供と合わせられるんですよね。
それってすごいなって思うんですけど、
なかなか興味のない部分に、
ダメですよね。
全く情報が入ってこないっていうのはありますね。
そこはどっちかというとロボ寄りの特性かもしれないですよ。
興味がないものはもう本当に覚えられなくて、
努力の度合いが低いとかじゃないじゃないですか。
努力しても入ってこないし、すぐに忘れるし、
42:00
ダメだとしますもんね。
私結構自分人寄りって元々思ってたけど、
全然ロボ寄りのちょい人ぐらいだと思います。
自分で人寄りに合わせようとしているっていう感じで、わざと。
スキルはだからスキルでね、穴埋めはできるとこはあるなっていうのはね、
思いますよね。
だからやっぱそこの人の部分も結構いるよねって、
女性の方は結構人寄りの方も多いかなっていうのがあって、
そういうふうに演じてる自分もいるなっていうのはちょっと思いますね。
だからそういうコミュニケーションをそのコミュニティでしていく上で、
多分そういうスキルを積み重ねていっている部分もあるなっていう感じだと思います。
経験の中でね。
そうそう経験の中で接客とか人とつながりをやってきて、
積み重なってきたところかなと思うんですけど、
結構本能的にはロボ寄りやなとは思いますね。
力さんと同じようにちっちゃい頃はいい子でしたよ、めっちゃ。
でもピンとくることが、理屈を察するみたいな感覚かもしれないなと思ったんですけど、
人寄りの人は感情の動きとかを感情を察するけど、
ロボ寄りの人ってなんか理屈で見えるっていう感じが僕はあって、
だから多分これをこうしたら大人が怒りそうっていう理屈を察するから、やめとこうみたいになったりとか。
それですね、そっちかもしれない。
頭で理解できるっていうんですかね。
そういう子供だった気が僕もするかな。
自分がロボ寄りやなって感じるところ結構多々ありますね、私の中で。
本当ですか、例えばどんなところですか。
それこそ今ね、卒園委員とか、娘の卒園委員の中でママさんとのやりとりとかあるんですけど、
共感、そうだねとか、入れないといけないっていうのはわかってるんですけど、
物事を進めていきたくなっちゃうっていうのがあって、
先にやっぱりその物事を進めるとかを打つんですよ。
でもこれだけではただの冷たい対応になるから、
後からそうだねとか、それわかるとかを付け足してます、私。
もうそれは間違いないけど、ロボ寄りなところじゃないでしょうか。
後からその上に行っちゃう、先に共感するんだったみたいなところはありますね。
だからすごい人寄りの人はその共感の言葉を当たり前のように入れていかれるからすごいなと思って、
45:06
すごいですよね。
私は後から提携文のように足してますね、
そうだったそうだった、これ入れなきゃいけない。
スキルでカバーできてるってことですね、スキルで。
だから業務連絡になってしまうがち。
いやー、もうそれはロボ特性があるところだと思いますよ。
円満にするためにと思って、後からLINEとかいったら今ちっちゃいスタンプみたいなのを押せるじゃないですか、
あれを忘れてたっていう時はそのスタンプを押しとくとかやってますね。
やっちゃった、自分のロボ全開でいっちゃったっていうときは、
それにはちゃんと聞いてるよ、わかってるよみたいな目キラキラみたいなやついるんですよ、スタンプで。
それを押しときますね。
いいですね。
だからスキルでなんとかなる部分はあるかなと。
それは本当に思います。
これでも聞いてる方ちょっと勘違いしないでほしいなと思ったのは、
いやらしい気持ちでやってるわけじゃないですよ。
なんていうの、演じてるわあの人みたいな、本心じゃないわとかじゃなくて全然違うから。
これ勘違いされやすいかもしれないなって。
そうだねって思うけど、そこを文字化したときに、
じゃあ結論ここだなっていう結論ばっかり書いちゃいがち。
間に入れてるんですよね、自分の気持ちはね。
入ってるけど、
打足みたいに思うから外しちゃうっていう。
そうそうそう、そうなんですよ。
でもなんかそれを変に書きすぎて、私はわけわかんなくなるときもありますね。
そこを書いたほうがいいんだろうなと、うんうんって納得してる部分も入れたほうがいいよねとか思ってすると、
変な文になるときはあるなって、送っちゃったけどちょっと変だなと思うときはありますが、
だからすごい文でうまい人もいるじゃないですか。
会話しててうまい人と文章の中でうまく、そういうふうに言えば共感してるって出るんだなとか。
しかも短くね、文は短くだけどそこを共感してるからこうなったよってうまいことを入れる人もすごいなって。
思いますよね。
僕はテキストとか説明も全部、自分で感じたことを理屈で全部説明しきらないと相手が理解できないと思っちゃうから、
48:00
すごい長くなるかもしれない。
もうだめですね、あれは。
そう、わかります。私もね、長くなりがちで。
だからできるだけ短く、その中にもわかる、その気持ちもわかるとか、
そういうのも入れたいんですけど、この文章を短くそれを入れるっていうスキルを持ってらっしゃる方がいらっしゃるじゃないですか。
すごいなと思います。
すごいですよね。
だからそこはちょっと今後の私の課題でもありますね。
短くその中にも気持ちも入れつつ。
ちゃんとね、絵文字とかはすごい発明だろうなと思いますよね。
感情を出しやすい、一文字分で。
確かに。
あれはやっぱりすごいなと思いますけど。
そこでちょっと気持ちが入れられますもんね。
そうそうそう。
まるとてんばっかりの文章よりは全然変わりますもんね。
なんか最近、会社の中での部下とかのメールでは、
まるって使っちゃダメっていうのがニュースかなんかでやってて。
本当ですか。
文末に何とか報告、何とか何とかって部下の人に打つとするじゃないですか。
それを最終のまるで終わらせたらダメみたいな。
それがポーハラになるみたいな。
どう終わらせるんですか?
びっくりマークとかを使ったほうがいいとか。
まるは若い子にはきつく感じられる。
僕逆語聞いたことあるんですよ。
びっくりマークだと怒られてるように感じるみたいな。
あーなるほど。
そういう人に言った気がする。
そうなんだ。
これ捉え方ですよね、相手の。
人によってでしょうね、そうするとね。
そう、だからどうつけたらいいんだみたいな形になってきますもんね、そうなるとね。
だけどこれをやってくださいお願いしますまるって普通の文章だと思うけど、
びっくりマークでお願いしますって。
どれだけ強く要望されてるので逆に怖くなっちゃう人もいるかもしれないし。
難しいですね。
そう、難しいなと思って聞いててそれも。
そのうち会社メールも絵文字使いなさいになるかもしれない。
音符とかね、よろしくお願いします音符みたいな。
ニョロンっていう伸ばすやつとかも入れてね。
ニョロンいいかもしれない。
もう仕事じゃなくなっちゃいますね。
そういう事態なのかもしれないですね。
そうね、なかなか難しいですよねそこがね。
それこそいろんなタイプの人が、部下にも上司にもいるでしょうから、
ニョロンみたいなことが逆にふざけるなーって。
51:03
ニョロンでしたね。
確かにそれ難しい。そんな考えたらもう打てなくなりますよね。
だから相手に応じて全部の文章を変えないといけないんだから、
そんなことをやるより仕事しなさいと思います。
そういう時代かもしれないですね。
なかなかね、そこは。
でもそういう人って思ったら、そういう人で理解するっていうのも一つの解釈なのかなと思いますけど。
本当にそう思います。仕事上でもそうかもしれないし。
この人は文章はちょっと短めな端的に言う人って思ってたら、
毎回それが来てたところで、別にねそこは。
そういうもんだと思うかな。
まさにそうで、片一方だけが理解するじゃ足りなくて、
お互いに理解をしてもらったほうが、みんなが生きやすいだろうなって思いますよね。
そういう方が丸使おうとびっくり使おうと、
あの人はそういう人だって理解してれば、
受け側が別に気にしないように理解してくれてればいいことだと思いますけど。
そうですね。
なんかこの歩み寄りっていうのが難しかったりするかもしれないけど、
全人類に歩み寄ろうとするのは無理かもしれないですけど、
自分が関わっていきたい人とか、いいなと思う人に関してはちょっとやっぱりそうやってね、
そうじゃない会社での関係とかの方もいらっしゃるかもしれないけど、
ちょっとした相手を思う歩み寄りっていうのは要りますね。
なんかそういう意味では、
例えばコミュニケーションが築けていて、
お互い例えば信頼関係が得られていたら、
別にその分がちょっと、
今日ビックリ多いなとか、
丸が多いなって思ったとしても、
今日はちょっと忙しかったのかなとか、
信頼関係ができてたら別にそこの勘違いって生まれへんのかなと思ったり、
逆に心配、
こういうふうに言われてるわっていうよりかは、
大丈夫かなっていう心配に変わったりするのかななんて思うと、
ベースはやっぱりお互いの信頼関係がどこまで築けてるかっていうところが、
軸にもなってくるんかな。
確かに。
あと一個思ったんですけど、
ロボ寄りの人は多分ですけど、
あんまりその辺をどっちでもいいやって思える具合が多めだと思うんですよ、多分。
54:03
なるほど。
丸だろうとビックリだろうと、
そういうもんかみたいなふうに、
あんまり気にしなくていいような気はするんですけど、
人寄りの人はね。
人寄りの人は、
そこに一回一回感情が揺れちゃったりとかしやすいのかもしれないんですけどね。
でもこれ本当にわからないんだけど、
僕は逆側だからわからないんだけど、
人寄りの人って察せれるはずだと思うんですよ。
人のどう思ってるんだろうとかっていうのを察していく能力が長けてるだろうから、
一回でもあの人はロボ寄りの人なんだなって思ってさえくれれば、
丸でこようとビックリ、真横でこようともしかしたら気にならなくなったりしないんですかね。
察するっていうことで。
ああ、あの人だからかって察してくれれば、
もっとみんな優しくなれるんじゃないかなと思ったんですよね。
確かにね。
察することはできるかなと思う。
こういう人だからなって思うけれども、
例えば人寄りの人と人寄りの人がやりとりしたら、
すごくただのメールだけの中でも気持ちが違うかも。
そこはかけてる人同士だから。
いい気分で進められるなみたいなこの仕事を、
じゃあ頑張ろうみたいな感じで思えるかもしれないですけど、
ロボ寄りの人から聞いたら、
分かってるけどやりますけどみたいな気持ちで仕事が始まるかもしれない。
そこは察してもらえると嬉しいなっていうただの願望なんですけど、
悪意があるわけじゃないし、
気使ってないわけでもないしっていう、
でもあの人はああいう人かって理解してくれて、
感情がネガティブな方に動かないでほしいっていう感じ。
プラスにはならないかもしれない。
申し訳ないけども。
察して分かってるけど、
こういう言い方してくれても別にいいのにねっていうのは思うかもしれないですね。
それはまあ申し訳ない。
思わせてしまうのは本当にごめんなさいかもしれないってことも、
努力でどうにかできる度合いがちょっとね、桁外れになるんですよ。
でもなんかそういうふうに、
ちょっと僕はもうこの文章しかちょっと無理でご申し訳ないみたいな感じで言われてると、
先に言われてるとそんなふうに思わないかもしれないですね。
なんか先にこうなんて前置きじゃないけど、
57:00
それを分かってた上で受け取るのと、
全く知らない上で受け取るのがまた違うだろうから。
普段こういう楽しくやれるメールばっかりみんなから来るのに、
あの人からのメールはなんかそうなれないわっていう、
急に来たらびっくりしますもんね。
そうそうそう。
だからでも先に僕はこういうものですみたいな感じで。
大抵申し訳ないけれども、
メールはそっけないタイプですみたいな感じで送ってもらってると、
あなたそっけないタイプねっていう感じで受け取るから、
そういう意味ではハードルが低くなるかもしれないですね。
その人から受け取るメールはそっけないっておっしゃってたから、
まあそんなもんだろうなというところで。
逆にそのそっけない方が、
今日は丁寧にしてこられたら、
あらどうされたんだろうって思うくらい。
逆に喜んでもらえたりする。
そうそうそうなんですよ。
だから先に言っといてハードル低くしておく方が、
後々いいかもですよね。
いいかもしれない。確かに。
なんかだからそういう意味で、
最近ロボとかいう言葉をかわいい相性的に、
まあ僕も使うのが楽しくなって飽きてるので、
お互いに共通理解をイメージしやすい言葉かなと思うんですよ。
確かにそうですね。
でもこのロボっていう言葉は最初僕が三宅さんとライブをしてたときに、
三宅さんから僕に言われた言葉だったんですよ。
三宅さんはロボっぽいですよねって言われて。
要は何かの話の中で、僕がそっけない。
だってこれはこうしたらどうですかじゃないかな。
僕はそれは嫌ですって言ったのかな。
とにかく僕の反応がそっけないような感じだったようで、
三宅さんってロボっぽいよねって言われたのが第一声で、
そのとき僕は感情が動いたんですよ。
ネガティブなほうに。
ロボっぽいって言われて初めて言われたときは、
あなた人手なしですねって言われたように僕は感じたんです。
そうなんだ。はいはいはい。なるほど。
僕は人間ですけどって。
ロボじゃないよって。
たぶんアーカイブで音声残ってるかもしれないけど、
そんな反応をしたはずだったんですよ。
でも、その1日置いた後に考えてみると、
いやでも、キャラクター的な相性みたいな感じでいくと、
いや悪くないかもって思って、たぶん翌日ぐらいに僕が、
他にロボの方いませんかみたいな。
ロボ仲間集まれみたいな、確か放送するんだけども。
捉え方ですよね。
1:00:02
でもそういう意味では、まさやさんとコメントのやりとりで話してた中で、
私がロボの人は感情がないっていうわけではないし、
ありますあります。
どちらかというと、私はロボの人はピュア。
そうかもしれないね。
裏表が少ないかもしれない。
素直でピュアで、どっちかいうと、
すごい自分の感覚を大事にして生きていらっしゃる感じがするから、
どっちかというとピュアだなっていう私のイメージなんですよ。
変に曲がりくねってなくて、
透き通ってる感じの感情で、僕動いてますみたいな感じが、
すごく私はいいなと思っていて、
どっちかいうと、悪い意味で言うと、
人寄りの人っていろんな感情をいろいろ考えたり察したりできるから、
いろんな感情がうごめくというか、
コントロールしてる感じはあるかもしれないですね。
それがロボ寄りの人であればあるほどピュアだなっていうのはすごく私は思うので、
そういう意味ではこの感情の部分が、
自分に素直に生きていらっしゃる感じがいいなって思いますね、すごく。
それはそうかもしれないですね。
なんか気持ちいいですけどね、すごく。
可愛らしくて。
男の人やったら少年の心をずっと持ち続けてるような感じ。
まだまだピュアな感情が自分の中にありつつ生きてらっしゃるなというふうに思って、
いいなと思います。
複雑じゃない感じが。
変に複雑すぎると悩みに悩みまくるだろうなと。
人寄りすぎると。
そうね。
それぞれに良し悪しあると思うんですけど。
僕も隠してないわけじゃないから、感情を。
全部の感情をすべて出してるわけでもないし、
あえてここはこういうふうに寄せようと思ってももちろんあるけど、
でもそれがあんまり多いほうじゃないだろうなっていうのは、
最近なんとなくわかってきたというか。
みんなこの程度だと思ってたんだけど。
僕の今やってる程度の隠したり隠せなかったりの程度でみんな動いてると思ってた。
もう一回だけど、僕がど真ん中と思ってたから。
もしかしたらですよ、この力さんの周りでの、
1:03:01
僕はロボ寄りかもしれないけど、
全人類にしたらもしかしたら真ん中かもしれません。
そうそう、それはまたね、わかんないですよ。
ね、また変わんないですよね。
なんか周りの人って結構近い、
気の合う人はロボ寄りの人が多く集まるものなのかな。
今多分聞いてくれてる人はみんなロボ寄りだと思う。
あとその中でもちろん度合いはあるけれど、
みんなどちらかというとロボ寄りの人が多いと思う。
そうですよね、たぶんね。
だからたぶん私もロボっぽいとこがありがちやから、
力さんと話してるのとか、配信とか面白いってやっぱり聞くんやろうなと。
たぶんそうですよね。
話を聞いてて興味を持てたり面白いと思えるってことは、
やっぱり近しいところがあるからだと思うんですよね。
考え方とか。
色のグラデーション具合が若干近寄ってるって感じですよね。
どちらかというと近しい人の話をやっぱり面白いなって思えると思うから。
だから今僕が比べられてるのは、僕の今の身近にいるスタイルの方たちだから、
その中でしか僕は見えてないから、
もっといろんな人と比べると、
僕はもっともっとどこにいるかはまた違うかもしれないですけど。
そうですよね。また面白いそれはそれで。
ありがとうございます。もうなんやかんや1時間ぐらいお話しさせて。
早いですね。
ありがとうございます。
これを直で聞きたかったんですよ。
今日ちゃんと聞きたかったお話、僕できました?
聞けたし、私の中でも深掘りもできたし、
またまたこれは面白いなと思ったのと、
息子とかも結構発達デコボコで、
結構ロボ寄りな部分があるんですけど、
ここからまたそのグラデーション具合も変わっていくのかなと思うと、
それまた面白いなっていうところも。
そうですね。
娘も人寄りやと思ってるけど、もしかしたら変わるかもしれへんしとか、
確かに。
と思ったりしましたし、
そういう意味では、深掘りしていくと面白いなっていうところと、
私は発達デコボコの息子を持った時に、
めっちゃ最初悩んだんですよね。
どうしたら人寄りになれるのかとか、
そういうとこ悩んだけど、
そういう悩みを持ってるママさんにも聞いてもらいたいぐらいですね、この話。
ぜひぜひ。
みんなそうやってグラデあるんだよっていうのが、
どっちか言うと子育て始めた時って、
子育てってこういう、
1:06:00
2ヶ月でこうなって、3ヶ月でこうなって、教科書みたいなことを調べたりして、
じゃあここで言葉が出てきて、とかなって、
うちの子逸脱してるみたいになるわけですよ。
そうですね。
でも、大きく広くその世界だけで見ちゃってて、
狭い世界でちょっとその時生きてるなと思ってて、
広く見ると大人になってみんないろいろグラデーションのある個性もあるし、
その個性が光って、それが仕事になっている方もいらっしゃるしって思うと、
そうだと思います。
なんかその狭い世界で視点が狭くなってたなって、
すごく思うんですよね。
今ちょうど弟がね、生まれたとこで、
おめちゃんが、今教科書的にちょうど2ヶ月、3ヶ月くらいなんで、
首が座ってきてますみたいな感じで言ってて、
それを聞いた時に、私もそれ知ってたなと。
最初、この時にこれが来る、来てるみたいな、大丈夫?私の子はみたいな。
安心しますからね、そこはね。
そうそうそうって思ってたけど、全然もっともっと広く見ていいよ、ゆっくりでもいいんだよとか、
今のこの赤ちゃんの時代なんて、もう一瞬で過ぎるから、
早く成長してほしいとか言ってるけど、ゆっくり楽しんで、今のこのかわいい時期をみたいな感じで。
むしろね、むしろそこの時間はもう二度と取り戻せないから。
もう戻せないし、病のように早く過ぎていったっていうイメージなので、
そんな早く成長しなくていいよみたいな、大丈夫だよってこの間も言ってたんですけど、
そういう意味ではね、そこで狭い視野にやっぱり成りがち?
最初、子育てとかって、そういう方にも聞いていただけたら嬉しいななんて。
思いましたね。
どこかになんか標準とか平均っていう話じゃないから、
そうそうそうそう。
無理やりそっちにはめようとすることこそ、やめてあげたほうがいいなと思いますね。
本当に切実に過去の私にもこの配信を聞かせてあげたいぐらいです。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
楽しく収録させていただきました。
またお機会があればお話したいなと思っておりますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました。
今日はチカラさんに来ていただいてお話しさせていただきました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。