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いつも夢の中、いつも何かに夢中。始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。なんかそのワード聞いたことある気がするんだけど。
あ、嘘?本当に?
なんとなく聞いたことあるよ。
これあの、最近宇宙に行った前沢佑作さんの言葉。
あー、だから聞いたことあるのかな。
彼ってあの、今年の抱負に夢中っていうのをテーマにしてるんでね。
そう、まあなんか前沢さんらしい感じだよね。
なんか夢を追ってるっていうかさ、本当に宇宙行っちゃったわけだしね。
ね、だって民間で日本人で初でしょ。
まあ、なんとなくわかると思うけど、今日のテーマはあの、ジョン万次郎です。
いやいや、全然わかんなかった。
そうそうそう、このジョン万次郎は以前ツイッターの方で佐藤さんからリクエストいただいたので、
なのでちょっとこれをやろうと思います。
はい。
そう、でね、冒頭に言ったのは、この前さ、長丸もこのリクエストもらった時にさ、話してたけどさ、
ジョン万次郎をこう考えるとちょっと前沢佑作さんと何だろう、重なって見えるところがあるんだよね。
まあ、なんとなく言わんとしてることはわかんなくはないけど。
まあ全然さ、一緒ではないけれども、ジョン万次郎もアメリカに行って学校で教育を受けたって日本でおそらく初めてって言われてるんだよね。
そんなさ、当時はやっぱ海外行くことっていうこと自体がすごい時代だけど、
今ってやっぱり海外行くのってそんなにね、みんな結構逆に言えば1回は行ってるような感じもあるじゃん。
まあ俺もガタラも行ってるしな。
そうそう、そんな珍しくない時代になったからこそ、じゃあ今度は何だろうと思った時に、やっぱ宇宙っていうのはすごいよねっていう。
まあだからそうだよね、そのジョン万次郎が多分生きてた時代にとっての海外、まあアメリカとかさ、そういった国っていうのはきっと今の感覚で言うと宇宙みたいな感じなんだよね。
そうだよね、多分おそらくその当時生きてた人もそう思ってジョン万次郎を見てたんじゃないのかなと思って。
そうそう、まあちょっとそんな余談を挟みながら、せっかくリクエストもいただいたんで、ちょっと私なりに気持ちを込めて今日は話したいと思います。
はい、よろしくお願いします。
ジョン万次郎なんだけど、1827年に現在の高知県戸佐、清水市中浜で生まれたんだよね。
彼は5人兄弟の次男坊だった。
で、主に漁業をしてたんだけど、その傍らで農業もやってるような家だった。
でね、8歳の時に父親がね、突然亡くなってるんだよね。
03:01
で、子供がこうやって小さい段階で父親を亡くしている一家っていうのは、すごく生活が厳しい。
それは今もそうかもしれないけど、当時は本当に生活するのも難しいような厳しい時代だったから。
で、彼は寺小屋へも通うこともできなかったし、そのため文字の読み書きっていうのも知らない状態なんだよね。
そんな彼なんだけど、次男って言ったんだけど、長男が生まれ流れに病弱で漁業に耐えられそうになかったので、
この次男の万次郎っていうのが家計を支えるために寮に行くことになったんだよね。
で、このジョン万次郎っていうのは、約ね100キロぐらい離れた、ちょっとね遠いところ、現在の戸佐市の宇佐町っていうところに寮をしている筆野城っていうところに働きに行くんだよね。
簡単にさ、これ約100キロって言うけどさ、相当これ歩いていったからね。
当時だからね、車があるわけでもなくだもんね。
平坦な道ではなくて、山を登ったりとかそういうのもあったみたいで、この時点でね、もう自分は号泣だったけどね。
嘘でしょ。
いやいや、本当にね、このジョン万次郎はね、心に染みるんだよね。
のが多いんだけど、そんな感じで。
で、初めての寮に行くわけよ。
これが1841年、しかも寒いね、1月ぐらいだったって言われてて。
で、メンバーはさっき言った筆野城、これが先導なんだけども、
当時38歳の人で、合計で5名、ジョン万次郎も入れて5名なんだけど、
で、寮に行ったっていう。
で、この船っていうのは全長7.6メートルぐらいで、そんなにね、大きいタイプでもないし、
いわゆる標準タイプ、当時の。
で、これ人力で、路っていう扇動とかでさ、後ろでさ、左右に動かして進むような感じ。
そうそう、ボート競技みたいにさ、力いっぱい左右で漕ぐじゃなくて、
なんか、路っていうものを左右に食って漕ぐような船のタイプ。
で、この時にね、3日目の朝なんだけど、
突然その北西の激しい風が吹いて、海の流れがね、一気に強くなったんだよね。
で、必死にこう陸に向けて、路を漕いで逃げようとしたんだけど、
自然の猛威に勝てなくて、この路が折れちゃったんだよね。
で、さらに予備の路っていうのも流されちゃった状態。
だからもう、自力で何かを漕いで行けるっていう状態じゃなくなっちゃったんだよね。
で、これって黒潮の異変なんだよね。
なんかね、約10年ぐらいに一度、こういう黒潮の異変が起こることがあるみたいで、
日本本土とはこの逆の方向に強い流れが起きるっていう。
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で、このマンジローラ含め5名は漂流生活になるんだけど、海の上で。
で、持っていた食料っていうのもわずかながらあって、
あとは魚を釣って、植えをしのいだ。
あとはたまに降る雨水を飲んで、植えをしのいで。
で、漂流して6日目ぐらいに遠くに島が見えてきた。
これが鳥島っていう島で。
ただ霧だった岩がずっと周りを固めてて、上陸する場所が見つからなかったんだよね。
そうそう。で、倉庫するうちに翌日になっちゃって、
でも島に行かなきゃ生き延びられないっていうことで、大波が来たのに合わせて船で一気にその島に近づいて、
で、ただその大波に合わせて行ったから岩に激突して、船はもうこっぱみじんに壊れちゃったんだよね。
で、そこで荒波に流されたメンバーは必死に泳いで島へたどり着いたっていう。
そう、ただこの時一人ね、じゅうすけっていう人が岩に右足をぶつけてね、骨折してね、立ち上がることができないような状態になっちゃった。
そうそう。そんなこんなで、この鳥島っていうのに着いたんだけども、
ここはね、あの無人島の島だったんだよね。
そう、人はいなかったの。
で、あの、低木とか額紫陽花っていう小さな紫陽花が少しだけ生息しているような、
あとはもうほとんど岩だらけの島なの。
鳥島って、俺確かね、グーグルアースかなんかで見たことあるけどさ、本当になんか断崖絶壁の島だよね。
そうそうそうそう。
島っていうか岩だよね。
そうそう、あれなんか結構ゴツゴツした感じなんだよね。
そうそうそうそう、なんかほんとそのイメージ。
そうそうそう。ただね、なんか運がいいのが、その海岸から30メートルほど上がったところに洞窟があったんだよね。
うん。
そこをね、雨風しのげるって言って寝床にして、
さっき右足で骨折しちゃったっていう人は、ずっとそこに寝て過ごすっていう日々を送るんだけども、
これからどうしようって時に、この島の特徴なんだけど、2000羽以上のその当時アホオドリがいたって言われてて。
うん。
で、アホオドリっていうのは、毎年11月から12月ぐらいにかけて、
うん。
アラスカの方面からこの島に来て産卵とか子育てをして、
で、また4月とか5月暖かくなった時に北へ帰る渡り鳥なんだよね。
うん。
アホオドリって、あの人に対する警戒心がなくて、容易にこうやって人が捕まえることができるっていうことから、
うん。
アホな感じっていうことでアホオドリっていう風に名前になってんだよね。
あー。
まあちょっとネーミングがね、何とも言えないけど。
そのまんまかよって。
そうそう、まあかわいそうな鳥でもあるんだよね。
うん。
で、アホオドリって長森って見たことある?
あー、見たことはないな、正直。
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ないよね、それ。
うん。
だってこれあのね、絶滅危惧種なのよ、今。
うん。
アホオドリってそもそも人がいるような島には住みつかないようになってて、
うん。
そうそう、だから自分も見たことないなと思ってて。
うん。
まあ、そんだけなんだけど。
いや、見たことある人いるのかな、逆に。
見たことある人はもうすごいと思うよ、それは。
うん。
で、だからすぐ捕まえることができたんだよね、アホオドリ自体。
うん。
で、捕まえてそのまま生肉として食べたりとか、
うん。
残りは干して保存食として後で食べるような。
うん。
で、卵ってちょうど産卵の時期だったからいっぱいあったの。
で、これもね、鶏のね、6倍ぐらいの大きさで、
へー。
そうそう、結構大きいんだよね。
それを生のまま飲んだりとか、
うん。
で、その殻は雨を貯めて飲み水をちょっとずつ飲むような、
そんな生活で飢えをしのいでたんでね。
うん。
そう、で、ある日ね、ちょっと上に登ったところに、
2つのね、お墓がね、この島って建てられてたんだって。
うん。
で、これを見た瞬間に、
以前に自分たちと同じように漂流した人がいたんだろうなって思って、
涙を流すような、そんな記録があるんだけども。
うん。
で、ちなみにね、これさ、要はお墓が建ってるってことは、
じゃあ第3者がもう1人いたんじゃないかっていう説があるんでね。
あー。
その、最後に建てた人はじゃあ誰なんだっていう。
うん。
これね、ちょっと記録をね、追っていくとさ、
あの、江戸時代って記録に残ってるだけで、
15例ぐらい鳥島に漂流してる記録が残ってるんだ。
うん。
で、自力で脱出してるっていう記録もね、残ってんの。
これはね、船を補修して自力で脱出してんの。
うんうん。
そういうのがなんか関係してんのかなと思ったんだけど、
うん。
で、ちょっと話を戻すと、
うん。
4月に入っていって、あのアホオドリっていうのはこう巣立ちして、
島を去ってっちゃったの。
あー。
そうすると困ったもので、
保存食の肉っていうのも徐々にそこをついてきたの。
うん。
そう、残るはその海藻だったり海類っていうのはちょっとあって、
それを食べるような。
うん。
で、6月っていうのはね、なんか雨が降らない時期があって、
うん。
だから、あの雨水も貴重になっちゃって、
1日も1回ぐらいその貝殻で雨水をすくって飲むぐらい。
うん。
で、我慢して貴重な水を使ってったんでね。
うん。
そうそうそう。
この彼らっていうのは常に均等にこう5等分に分けて食べて飲んでっていうのを、
ずっとこの誰も規則を破ろうとはしなかったんだよね。
うん。
これってすごいなと思って。
うん、まあそうだよね。
うん、なんか永丸が前言った、
あなた半島とはちょっと違うなみたいな。
いや、あそこは最終的にダメになっちゃっただけだからね。
まあまあね。
いや、だから本当にすごいチームワークだなと思って。
12:02
うん。
でね、この木が寸前のとこだったのに、
もうダメだっていうところで、この2隻のボートが遠くから来るのが見えたの、この島に。
うん。
そう、で万次郎はこの船を見つけて手を振って、その小舟に泳いで行って助けられたんでね。
うん。
で、その後残りのメンバーも助けられて、
うん。
もうその時には全員かなり痩せ細ってた状態だったの。
うん。
この小舟っていうのは遠くに本船があって、
なんでこの島に近づいてきたかっていうと、
ウミガメとか魚の食料を求めて来たの。
うん。
で、この本船っていうのはアメリカのジョン・ハウランド号っていう船なの。
うん。
これはアメリカのマサチューセッツ州のニューベットフォードっていうところから来てる捕鯨船なんだよね。
うん。
で、船の長さは34メートルっていうかなり大きい船。
で、この船長してるのが37歳だったウィリアム・ホイットフィールドっていう船長だったの。
あー。
で、乗組員は34名いて結構大規模な。
うん。
でね、この船に救助されて最初ね、少量のね、なんかパンだったり野菜スープっていうのが出されたんだよね。
うん。
これなんで少量かっていうとさ、長い間飢餓生活をした人に対して、こう一気に食べ物を与えると消化器とか特に胃腸の具合っていうのを悪くして最悪の場合死に至るらしくて。
うん。
そういうのも熟知して、徐々に食事の量を増やしていってくれたんだよね。
うん。
そうそう。で、それだけじゃなくて衣服なんかも与えて、本当に何だろう、善意でしかない行動なんでね。
うん。
そうそうそう。で、この捕鯨船ってそもそも目的は鯨の脂を取るのが目的なの。
あー。
これさ、俺びっくりしたんだけどさ。
うん。
脂だけなんだと思って。
あー、そうだね。
そうそうそう。これ芸油って、鯨の脂って書いて芸油って言うんだけど、
うん。
ランプの脂だったり、蝋燭、石鹸とか薬品、ポマードなんかに使われて、高値でね、当時取引されてた。
うんうん。
で、このね、鯨の取り方もその当時そう、人が背中の急所に森を打つのよ。
うん。
で、ずっとその格闘した上で捕らえた後に皮を剥がして、肉は必要なくてその場で海に落としちゃうんだよね。
うん。
嘘と思って、この肉じゃないんだみたいなね。
あー、だから鯨肉は食わなかったってことでしょ。
そうそう、鯨肉は食わなかった。アメリカはね。
うん。
その皮とか尻尾を船に運んで細かく切り刻んで、大きな釜で煮立てることで脂が出てきて、そこをすくい取るんだって。
うん。
で、こうしてなんか原因を取るんだけど、ジョン・マンジローからしたら、トサではこう、アメリカのように大規模な捕鯨業っていうのはなかったんだけど、
うん。
まれにさ、海岸に死んだ鯨とか流れ着く場合もあって、
うん。
鯨って貴重だったんだよね。もう鯨が取れた時は捨てる部位がないぐらい全部食べるんだよね。
15:06
うん。
そうそう。なのにアメリカは食べないっていうね。
うん。
これにびっくりしたらしくて、その当時アメリカっていうのは、得体の知れない菌が潜んでいて病気になるっていう古くからなんか言われてたらしくて、
そのためね、食する文化がなくて、商品価値がなかったんだって。
あー。
そうそう。でね、船ではね、マンジローっていうのは、
うん。
マン、またはジョン・ハウランド号のジョンを取ってジョンマンって言われた。
うん。
そうそう。マンジローっていうのは特にね、好奇心とかなんかね、コミュニケーション能力高いなっていう感じだったのよ。
うん。
これね、いろんなエピソードあるんだけど、例えば船員から捕鯨船の仕事が少ない夜間に積極的に聞いて、こう英単語とかをね、教えてもらってたのよ。
うん。
あとはなんだろう、地球儀とかがあって、この世界の地理っていうのを教えてもらったりとか、とにかくね、積極的に聞いて覚えようとなんかしたんだよね。
うん。
そう。で、この船の中でもう既に英語を覚えるのが異様に早かったっていう当時の記録も残ってるんだよね。アメリカ側の記録もあるから、これ。
うん。
そう、航海日誌っていうのもあって。
うん。
でね、一方他の仲間っていうのはどうしてたかっていうと、
うん。
江戸幕府の掟でさ、当時鎖国してるわけじゃん。
うん。
鎖国人との接触をするとさ、たとえ帰国できたとしても、死罪になる可能性が高まるというか、
うん。
なので避けてたんだよね。
うん。
そう、でも万次郎っていうのはなんか、命の恩人に対して自発的に船の手伝いをしたりとか、
うん。
高いところに登って見張り番をして鯨を見つけたりっていう捕鯨料に貢献して、すごい気に入られたんだよね。
うん。
で、ここでさ、この船って日本にウチらを返さないのかっていうところなんだけど、
うん。
これね、当時日本は危険のため行かなかったんだよね。
うん。
というのも、1837年にアメリカのね、モリソンゴっていうのが、
マカオに保護されていた日本人の漂流民の7名を裏学校へ入校しようとしたんだけど、
うん。
その時にね、陸からね、いきなり砲撃されたって事件がある。
うん。
まあ、こんな県からも、これはアメリカだけじゃなくて他の世界の方も、
あの日本っていうのはちょっと危険な国だっていうんで、
迂闊に近寄らないっていう風にしてた。
うん。
そうそう。だから彼らも返したくても返せなかったんだよね。
うん。
まあ、そんな中にね、まあいろんな島を中継地点で捕鯨船は寄るんだけども、
ハワイのね、オワフ島に立ち寄ったの。
うん。
で、船長はね、ここでみんなでね、暮らすように進めたのよ。
うん。
で、その頃さ、アメリカじゃなくて、これってカメハメア大王のハワイ王国の時代だから。
うん。
まだアメリカじゃなくて。
うん。
そう。で、ただ船長は、マンジロだけはアメリカに連れて教育を受けさせたいっていう風に言ったの。
18:06
うん。
船長自体は、その航海の前に、あのルース夫人っていうのを亡くして一人になったのね。
うん。
まあ何より、そのマンジロ自体がこの航海の中で、まあ相当気に入ったんだよね。
うん。
そう。で、マンジロに聞いたら、即答でアメリカに自分も一緒に行くという、このさ、決断すごくない?
まあ、当時で言う宇宙だからね。
そうそうそう。いや、もう本当に外国って未知の世界じゃん。
うん。
で、しかもさ、日本にはさ、貧しい家族がいてさ、自分が稼ぎ頭なわけじゃん。
うん。
で、この中での決断っていうのがすごいなと思って。
うん。
まあ、あの、一つにはその、オアフ島に残ったとしても、日本に帰れる見込みっていうのがあるわけじゃなかったから、
うん。
現に他のメンバーも早く帰れたわけではなかった。
うん。
そうそう。まあ、そういうのもあったんだと思うんだけど、ここでさ、捕鯨船っていうのは、まあアメリカに帰るわけ。
うん。
で、この出発した場所のマサチューセッツ州のニューベッドフォードに戻ってきた。
で、この時マンジロは漂流して2年半経ってんだよ。
うん。
で、約2年間は捕鯨船の中にいて、
うん。
半年はもうサバイバル生活だったっていうね。
あー。
そうそうそうそう。
意外とこう捕鯨船に乗ってる時間ってすごい長いなと思って。
2年だもんね。
2年、すごいよね。
うん。
で、このジョン・ハウランド号自体はもっと前から航海してたから、3年半ぐらい行ってたんだって。
うん。
で、そこで約60頭ぐらいのクジラを捕獲して、
うん。
この当時ってさ、世界で捕鯨ってかなり行われてた時期で、
うん。
8割はでもアメリカだったんだよね。
あー、そうなんだ。
そうそう、アメリカがすごい捕ってた。
で、今さ、アメリカってさ、反捕鯨派じゃん。
うん。
そうそう、だからこれ歴史ってね、
しかも日本っていうのは数の多い種類に限って商業の捕鯨を2019年に解禁してるから、
うん。
だから今はなんかもう本当に逆の立場みたいなね。
うん。
歴史ってこうなんだろうね、こんなにも変わるものなのかっていうね。
まあ時代によって倫理が違うからね、何とも言えないところはあるけどね。
そうそうそうそう、ちょっと思っちゃったけど。
で、このニューベッドホードからね、船長の住んでるフェアヘイブンっていうところに行ったわけよ。
うん。
ここはね、ちょっとちっちゃくて人口約6,000人ぐらいの町で、
要は一人身だったわけよ、船長は。
うん。
だけど家庭をこう持とうとして、ニューヨークからね、アルバティーナって妻をね、連れてくるんすよ。
うん。
で、そこで農園とか作って、農夫とかも雇って、結構ね、作物とかを栽培したりとか。
うん。
あとは家畜とかね、牛、馬、豚とか、鶏とかを飼って、
日本では考えられないような、まあ割と暮らしのいい生活をすることができたんだよね。
うん。
しかもさ、それだけじゃなくてさ、船長っていうのは金持ちの子どもらが通うオールドオークスフォードスクールっていうところに通わせてくれたんだよね、万次郎。
21:05
うん。
もう本当に何だろう、善意でしかないというか、しかも彼って人格的にも優れてて、
うん。
こんななんかエピソードがあるんだけど、近くにね通っていた教会があって、
うん。
そこの神父に万次郎を連れてきたら、万次郎は黒人席に座るようにこう言われたわけ。
うん。
船長はそれを聞いて、もうその教会から出て行って、それ以降、教会をもう変えて、逆に差別をしないような教会を探してくれたっていうね。
うん。
そうそうそう。この当時ってさ、南北戦争の前の時代だから、
あー。
まださ、今よりもかなり強くそういう差別意識っていうのは残っていた時代にもかかわらず、
うん。
船長っていうのはなんかすごく平等に人を見てくれてる人なんだよね。
うん。
だからこれをもってさ、あの高橋コレキヨと全然違うじゃんみたいな。
急に高橋コレキヨかよ。
ちょっと時代先だけどさ、彼、日銀総裁とか内閣総理大臣をしてる人だけどさ、
うん。
若い頃アメリカに留学してさ、あの裕福な夫婦の下で契約書にサインさせられたら、それが奴隷契約だったっていうね。
うん。
そうそう。だから万次郎は本当に何だろう、そういった面でもすごいアメリカで愛されてさ、
うん。
大事に育てられたんだなと思って。
うん。
でね、彼もね、努力して期待に応えるべくして農作業を手伝いながら勉強して、
うん。
寒い時期はね、もう1日中勉強したりもしてたらしいんだよね。
うん。
で、優秀な成績で学校を卒業することができて、
うん。
ここでさ、多くの卒業生っていうのは就職をそのままするっていう人が多い中、
うん。
バーレットアカデミーっていうあの南韓校にね、入れさせてくれたのよ。
うん。
で、このバーレットアカデミーって、今のマサチューセッツ工科大学の前身の学校なんだよね。
へー。
そうそう、だからもう名門だよね、今でもね。
うん。
そこで、万次郎っていうのは、航海術、測量術、高等数学、近代史なんかも学んでるね。
うん。
そうそうそう。でさ、アメリカってさ、今はもう日本より全然厳しいけどさ、当時も成績が悪ければ何年経っても卒業できないのよ。
うん。
で、それを彼は最速の2年間で卒業してんの。
あー。
そうそう。しかもね、成績もね、主席だったんじゃないかっていう風に言われてる。相当優秀で努力したんだろうね。
うん。
だからこんなさ、寺小屋にも行けなかった彼だし、日本にいればさ、なんか埋もれてたかもしんないじゃん。
うん。
だけど、日本人として初めてアメリカでこうやって高等教育を受けて、しかもなんかすごい優秀な結果を出してるっていうね。
うん。
で、彼はね、再度ね、実は捕鯨に行ってるんだよね。
あー。
ホイットフィールド船長っていうのは、新たに捕鯨船に乗って出てっちゃったんだけど、
24:01
うん。
その後、マンジローも学校卒業した頃に、
うん。
かつてジョン・ハウランド号で一緒だったアイラ・デイビスっていう人がいて、
うん。
この人がね、フランクリン号っていう捕鯨船の船長になって、
うん。
これに一緒に行かないかっていう風に誘われた。
うん。
でさ、これ全然余談だけどさ、もし最初にマンジローたちが救助したのがフランクリン号だったらさ、
うん。
フランク・マンジローになってたかもね。
まあ、ジョンじゃないわけだよね。
うん。
って思って。
うん。
で、マンジローってさ、あの、この時19歳なんだけど、
うん。
で、再度捕鯨船に乗って、で、この時ね、初期官として行ってんの。
うん。
要はちょっと裏方みたいな。
うん。
捕鯨情報の収集なんかするような仕事で最初雇われた。
うん。
で、なんだろうな、後悔していく中で、現在の船の位置の割出しとか、あとは2日後にどこにいるかっていう、こう予想をみんなでするっていう場面があるのよ。
うん。
で、その時にマンジローの敵中率っていうのはつば抜けで高かった。
で、そんなこんなですごい評価を高くなってて、
うん。
で、マンジローっていうのは船の操作だったり測量っていう重要な仕事を任されるようになったんだよね。
うん。
で、ここでね、船長からその一等航海士に任命されてる。
うん。
そう、一等航海士ってもうほぼ船長のその補佐っていうか、この船にもね、他に1名しかいないっていうぐらいすごい重要な、もうトップの役割なんでね。
うん。
で、捕鯨船っていうのは途中途中で南の島々とか訪れるんだけど、
うん。
ヨーロッパとかにさ、植民地化されてるっていう状況を目にするわけ。
うん。
要はあの、最初にさ、3年前ぐらいに捕鯨で助けられた時に寄った島々だったんだけど、
うん。
その時はそういった植民地化されてなかった状態を見てて、
うん。
この数年でキリスト教が布教されてて、なんか植民地のような状態になってる現実を見た。
うん。
そんで彼の中にその、なんだろう、学校で習ったみんな平等で、自由な社会とか民主主義っていうのは、こう名ばかりの実態っていうのを目にするんだよね。
うん。
そんな中やっぱりさ、彼も同時にさ、日本の未来に危険を感じたんだよね。
うん。
日本も同じようにこうやって植民地されるんじゃないかっていうのもあったし、
うん。
でね、この航海の中で実は日本近海も通ってんの。
うん。
小笠原諸島だったり、実はそのサバイバル生活した、また鳥島にもね、行ってるんだよね。
うん。
そう。で、小魚なんかを釣って食料調達してたりとかして、そんな中ね、オワフ島にもまた行くのよ。
うん。
で、オワフ島っていうのは、あの残りのさ、漂流したメンバーがいるとこで、
あー。
で、そこで先導だったフデノジョーラとメンバーと再会してんだよ。
うん。
そう。で、かつてその足を怪我しちゃったジュースケっていうのは、あの治ったんだけど、もうセキリっていう病気で亡くなっちゃってたの。
27:01
あー、そうなんだ。
そうそうそう。だから、あの残りの3名は生きてはいたんだけども、
うん。
でね、2人ね、そのフデノジョーとゴエモンっていうのは、
うん。
帰国をね、1回試みて、あの日本近海の船にね、乗らしてもらって、上陸しようと思ったんだけど、
うん。
結局はダメで、
うん。
どうやったら帰ったらいいんだっていうのが分からず、もう1回戻ってきたのね。
うん。
そうそうそう。そんなのが、まあ話があって、まあいつか必ずみんなで帰ろうっていうのを決意して、
この時はまあそのままマンジロは別れるわけ。
うん。
そう。でさ、フランクリンゴってこの後さ、船長がね、精神的におかしくなっちゃったんだって。
あー。
なんかね、ナイフとか剣錠を手にして、奇怪な行動が見られて、
うん。
そうやってね、なんか捕鯨をやってる中で、もう数年ってさ、船の上で過ごすわけじゃん。
うん。
だからなんかね、この捕鯨の最盛期の5年間で100名を超えるぐらいね、船長がね、精神を病んでね、自殺したり消息不明になってんだって。
あー、なんかやっぱり同じ環境っていうかさ、そこにずっと閉じ込められてるような感じになっちゃうのかね。
ね、なるんだろうね。
うん。
厳しい条件の公開だしね、いろんな管理もしなきゃいけないしね。
うん。
そこでね、ちょっとおかしくなっちゃった船長は、マニラのね、アメリカ領事館に預けて、その後ね、マンジローはその船の副船長になってんだよ。
うん。
だからもう、かなりの信頼として優秀だったんだろうね。
まあそうだよね。
そうそうそうそう。で、この公開っていうのは約40ヶ月あって、戻ってきて、鯨がね、合計で500頭ぐらい獲ったらしい。
500?
そうそうそう。で、鯨のね、油っていうのも数千ダルっていうぐらい確保できて。
うん。
マンジローはその時報酬もね、金貨350枚受け取ってんだよね。
うん。
ちょっとどのぐらいの価値なのかわかんないけど。
まあ金貨あったからね、相当なんじゃないのかな。
そうそうそうそうそう。で、まあ今回はね、こんな感じで、あの、海中心のお話で次回に続くっていう風にしたいと思って。
あ、そうなの?
そうそう。っていうかね、ジョン・マンジロー、あの、このまま流すとかなり長くなっちゃうんで、一回区切ろうかなと思って。
あ、なるほどね。
で、まとめるとさ、彼ってさ、その、英語がさ、喋れるっていう当時、それだけで珍しいものだと思ってて。
うん。
彼ってそれだけじゃなくてさ、公開技術もアメリカにおいてほんとトップレベルで、しかも経験も豊富だったんだよね。
うん。
で、何よりさ、多くの人から信頼を勝ち得てるっていうところが、ほんとすごいなっていうところ。
だからなんか、たまたま遭難して運良く救助されたラッキーボーイじゃないんだぞっていうところ。
長丸はどうでしょうか。
ジョン・マンジロー自体は、まあ俺は知ってたというか、まあそこそこは知ってるつもりなんだけど。
うん。
でもやっぱり印象、たぶんね、全員が全員、あ、英語喋れる人でしょっていう印象だと思うんだよ。
30:04
ジョン・マンジロー式英会話みたいなのもあるじゃん。
あるね。
あのカタカナで書いてあるやつとか。
うん。
絶対もうその印象が強くってさ、その他の情報、だからさっき言ったさ、その公開技術の話だったりとかさ、
あのコミュニケーション力がすごい高かったとかさ、
うん。
そういった部分っていうのは全然クローズアップされないっていうのはすごくもったいないなっていうのはすごい思うよね、やっぱり。
あー確かにね。
だって実際さ、やっぱりただただ英語が喋れるだけの人ってさ、逆に言うと当時いらないじゃん。
だって鎖国してんだし。
あーまあね。
そうそう。でもさ、そうじゃない部分のやっぱりさ、強さがあったから、この先こう出世じゃないけどしていくわけじゃん。
そうそうそうそう。
っていうところがね、やっぱこう着目点というかかなーって俺は思ってる。やっぱジョン・マンジローって。
あー確かにね。
うん。
なんかやっぱりすごいね、アメリカ行ってもみんなでこう仲良く船の上でも肩組んで歌ったりとかそういう記録も残ってて。
うん。
打ち解けるのがすごいんだよね。
うん。
でこの後さ、あの話も出てくると日本でもかなり信頼を得ていたりとか。
うん。
やっぱ人間的にもかなり優れてたんじゃないかなっていう感じだね。
まあなんか嫌な感じはしないよね。残ってる資料を見てるだけだけど、なんか嫌なやつだったっていう感じはないじゃん、絶対。
あーそうそう。多分それって結構みんな思ってるよね。
うん。
みんな大好きジョン・マンジローって気がする。
そうそうそうそう。なんかプラスのイメージしかないじゃんね、基本的にはやっぱり。
うん。ちょっとジョン・マンジロー私あんまり好きじゃないって人は聞いたことないね。
そうそうそうそう。まあみんなそこまで知らないんだろうけど。
知らないのもあるけどね。まあそんな感じで今回はジョン・マンジローの第一回目ということで。
はい。
まあよかったらね、フォローだったりとか評価をポチッとしてくれると励みになります。
はい。ぜひお願いします。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。