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スピーカー 1
そう。教育を完全に別にして、まあ帝王学とかそういうのを学ばなきゃいけないから、昭和天皇なんかもそうだったんだけれども、ただ現上校に関しては他の生徒と混ざって授業を受けるっていうような形態をとっていくことになるの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。まあ戦前戦後っていう違いもあったかもしれないし、とにかく普通の学生として一般生徒と混じって授業を受けるっていうような形になっていくんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この中等科の時に運命的な出会いが一個あるんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
昭和天皇はその当時の皇太子だった今の上皇陛下に対して国際性を身につけて欲しいっていう理由から英語の家庭教師をつけたのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その英語の家庭教師がエリザベス・バイニングっていう女性なんだけれども、まあこの方はその中等科で英語も教えてた、まあ要は先生兼家庭教師だったわけね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この先生のちょっと教育方法が面白いんだけれども、学校にいる間は英語の名前を使わせるようにしたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これ英語の名前って例えばさ、小ヶ太郎だったら太郎とかってそういう話じゃなくて、ジョンとかアダムとかジミーとかヘンリーとかみたいな感じの、もうそういう英語の名前を本当に使わせるようにしたの。
スピーカー 2
ああ、架空の?
スピーカー 1
架空っていうか、実際は確かにそういう人いる。ジョンとかアダムとかいるじゃん。いるけど、あなたは今日からジョンねみたいな、そんな感じ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、上校は、これちょっと軽いエピソードなんだけど、上校はこれに反発したらしいのよ。
ただ、これはちゃんとそのエリザベスにはちゃんと意図があって、教室の中ではみんな同じ生徒なんですよっていうところを分からせたいために、これはあくまでも要は上校陛下に対する教育みたいなものだったんだよね。
やっぱりさ、将来の天皇になる人だからさ、特別視されてるわけよ。だけど、この教室ではそういうことはしませんよっていうメッセージでもあったわけよ。
スピーカー 2
ああ。
スピーカー 1
そう、適当に付けられた名前で呼ばれるわけじゃん。そういう一応メッセージがあったって言われてて、で、上校は一応反発したんだけれども、これには素直に応じていくって形になるのよ。
その要はエリザベスのメッセージを受け止めたとも言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、当時その皇太子のスケジュール管理とかっていうのは全部ジジュがこう管理してたのよ。だから、自分でこう管理するようなことってなかったのよ。
何時に何々して、要はなんか秘書がいて、秘書が全部さ、こう社長のスケジュールを管理してるじゃん。
あんなイメージで皇太子も全部自分のスケジュールって管理されてたのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だけれども、こういうエリザベスの教えから自尊心というか、自分で何かをこうやっていこうっていうようなものを身につけていくことになって、スケジュール管理も自分でやっていくようになったと言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これって結構ね、その天皇家っていうところからすると、まあやっぱり天皇ってどうしてもさ、これは明治天皇家からそうだったけれども、どちらかというと主権はあったけれども、
いろいろこうお伺いを立てながらやっていかなきゃいけないっていう存在でもあったから、自分で何か全部決めるっていうことができてなかったわけよ。
これは昭和天皇もそうだし、明治天皇もそうだし、大正天皇もそうだしっていう形で。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まして戦後は諸朝天皇になってるわけでしょ。だから権力はもう、権力も取られちゃってるわけじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だからそんな中こう自分のやりたいことを自分でさ決めるっていうのが、なかなか多分言い出しづらい環境ではあったと思うんだよね。
でもなんかそこはちゃんと自分がやりたいことはこう言うようになった。でスケジュール管理もちゃんと自分がやりたいようにやるんだみたいな感じのことをするようになっていったらしいのね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
それがいいか悪いかっていうところではなくて、どちらかというとやっぱり一人の人間として当たり前のことができるようになっているっていうところが大事なのかなと思うんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、1949年に学衆院高等科に進学して、でこの時にあの当時GHQの最高司令官だったマッカーサーを訪問してるんだよね。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう。で、あの会話して、でそこでマッカーサーからもなんかすごい人格的に昭和天皇にも劣らないすごい立派な人物ですねみたいな評価も得てるっていうような、まあ皇太子時代にってことだけど。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、1952年に学衆院大学に入学して、で19歳の時に天皇の明大としてエリザベス2世の大冠式に行くんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これなんでさ、天皇が行かなかったかっていうと、エリザベス2世はイギリスだからさ、イギリスとはさ戦争してたよね。
つまり敵国だったトップがなかなかやっぱイギリスに、まだその戦後あの数年しか経ってない時に行くっていうことがなかなかできなかったわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから皇太子が、まあとはいえ誰も行かないわけにもいかなくて、明大としてピッタリなのはやっぱり皇太子と、皇太子っていうことで皇太子が行くことになったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だからちょっと19歳で若いし心配なところもあったんだけれども、ただこの大事なミッションをちゃんとやり遂げてくるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、大学時代にもう一個運命の出会いがあって、これが冒頭で話したあのセリフの相手だよね。
正男光子、現上皇后陛下だよね。と出会うの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、皇太子はスポーツ全般をたしなんでたからいろんなスポーツやってたんだけど、特にテニスが好きだったんだよね。
スピーカー 2
うんうん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、ちなみにこの満子上皇后陛下とは、3人の子供を設けることになるよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
元天皇と秋篠宮と、もう結婚されちゃったけれども、今黒田紗友子さんが。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていう感じで子宝にも恵まれることになるっていう形ですと。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、じゃあここからはその実際のその天皇として、皇太子としての仕事の部分にちょっと触れていきたいと思うんだけれども。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
天皇の仕事ってさ、何だと思う?
スピーカー 2
なんかさっき言ったようなエリザベスなんとかの大冠式とか、なんかそういう行事に参加する?
そうそうそうそう。そういうさ、なんか公的な行事があったら、そういうのに日本の代表者みたいな形で行くっていうのがまあ仕事だよね。
うん。
スピーカー 1
で、いわゆる国事行為っていうものについては、憲法に定められていて、例えば国会を招集するのも天皇なんだよ。
スピーカー 2
えーそうなんだ。
スピーカー 1
そう。で、あと法律とか条約を交付するのも天皇。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
あとは内閣総理大臣を任命するのも天皇なんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあもちろん任命するだけだからね。あなたが今日から内閣総理大臣ですって言うだけ。あの、決めるのは国会だからさ、結局は。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから一応そういう、なんかどちらかというとこう、儀礼的なものって言えばいいのかな。
なんか中学とかで、公民とかで習っているから多分皆さん知っていると思うんですけども、天皇は政治に関わっちゃいけないから、政治的な行為っていうのは一切できないの。
だからどちらかというとそういう任命とかなんかこう、どこどこの行事に参加したりっていうそんなものが天皇のお仕事なの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、それに公的な立場で行くっていうことがやっぱり大事で、これってさ、なんか例えば内閣総理大臣がじゃあ行けばいいかって話でもないじゃん。
内閣総理大臣って忙しいから、そもそもそんな、じゃあ全部が全部参加できるわけないし、じゃあ内閣総理大臣が参加しなかったらじゃあ誰行くのっていう話になってってさ、
日本の誰々っていうその、なんだろう、位の弱い人をこう、送り出すっていうのもなかなかさ、あえてここに失礼っていう話にもなってきちゃうじゃん、だんだんと。
なんか、そんな役職の人をうちに起こしたの?みたいな感じになっちゃうから、そういう意味でやっぱり天皇っていう存在をこう、出すっていうのはすごく大事。
スピーカー 2
まあ皇族っていう存在かどちらかというと。
っていうところで、まあそういうところがどちらかというとお仕事。まあ要は日本という名前を背負って、名刺みたいな感じだよね。日本という名前の名刺を持ってこう、いろんな国に訪問したりとかっていうのをやってるっていうのがまあ主な仕事。
スピーカー 1
で、あと知られて、あんまり知られてないんだけれども、私的行為として、まあこれ公的に、公的に扱えないから私的行為って言うんだけれども、宗教的儀式も行ってるんだよ。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
そう、神道のトップは一応天皇だから、ただ憲法上、聖教分離をやっている都合上、天皇が諸にそういう宗教に関わっちゃいけないような感じになってんのよ。
だから天皇の私的行為っていう位置づけで、まあもうなんかそれ大人の事情なんだけど完全にね。
あの要は一応切り離してますよっていう、なんか建前は切り離してますよっていう感じで、そういう宗教行事っていうのも行ってるの。
スピーカー 1
一番有名なのが多分あの11月23日、毎年11月23日に行われるニーナメサイだと思うんだけれども、まあニーナメサイってこう収穫を感謝することで寒い部屋に閉じこもってお祈りを捧げるみたいなそんな感じの結構、なんだろう、しんどい儀式なんだけれども。
スピーカー 2
えーそうなんだ。
スピーカー 1
そう、で、そう、これ毎年やってるからさ、あの、恒例になってもやんなきゃいけなくって結構多分しんどいんだよ本当に。
しかも時間も長いからさ、本当に1日中とまでは言わないけど結構こう何たらの分何たらの分みたいな感じで分かれてて、それぞれこう1時間2時間とかあるらしいので、なんか別に暖房もないような部屋でさ、こうお祈り捧げてなきゃいけないから結構しんどいと思うんだよね。
で、まあそんな感じで指摘行為としても宗教的な儀式なんかもこう天皇として行ったところがあるんだよね。
で、平成の天皇としてとにかくこだわったこととしては、被災地とか外国、まあ特に戦地だよね、の巡礼っていうのをとにかくやりたいっていうところがあって、そこにすごくこだわりを持ったんだよね。
で、それはもちろん幼少期、もうちっちゃい頃に戦争を経験しているっていうところからも、やっぱり平和への強い願いっていうのがあって、そういう戦地や、まあ例えばあとは災害が起きた時の被災地なんかの訪問っていうのを優先的に行いたいっていう気持ちがあったらしいのよ。
で、1個エピソードなんだけれども、1975年に沖縄を訪問してるんだよね。
スピーカー 1
1975年だからまだ当時は皇太子の時代なんだけれども、これも昭和天皇が沖縄に行けないから皇太子が代わりに行ってるのね。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
これ1975年ってさ、沖縄がさ、日本に返還されて間もない頃でしょ。だから行けてるんだけど。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この時、昭和天皇が本当は行けばよかったのかもしれないんだけれども、やっぱり昭和天皇が行くのは危ないってされたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
当時、やっぱり沖縄ってすごい甚大な被害をこむったわけじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その中でやっぱり本土、日本に対して日本の本土に対してすごく恨みを持ってる人も多いのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはしょうがないと思う。実際すごい被害出てるし。で、やっぱりステイシーにされたんだっていう考えも根強く残ってるから。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、だからそういう恨みを持たれるっていうのはまあ致し方ないことなんだけれども、だからそんな中に当時の昭和天皇が行ったらさ、昭和天皇の戦争責任論だってまだちゃんと解決もしてないのに、そんな状態で行くわけだからヤバいじゃん、どう考えてって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていうのもあって、皇太子が行くことになったの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただやっぱり過激派がいて、姫百合の塔に訪問してる時に火炎火に投げつけられちゃうんだよね。
スピーカー 2
へー。
スピーカー 1
そう、まあこれ有名な話だから多分当時ニュースとか見てた方も実際いらっしゃると思うんだけれども、そう火炎火に投げられちゃうっていうところで、やっぱりあんまりこうよく思ってない人もいたんだよね、沖縄には当時。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあそういったところでその天皇家に対しての思いっていうのは色々複雑な沖縄だったんだけれども、ただやっぱりそういったところにもめげずにって言ったらあれなんだけれども、
その人々の思いをこうちゃんと汲み取ってあげるっていうことが大事っていうことをなんか上皇陛下は言ってて、だから特にその火炎火に投げつけられたことに対しても何のコメントも出さなかったらしいのよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ気にしてないよっていうことなのかな。まあ気にしてなくはないんだろうけど、とにかくメッセージ性としてはそういう火炎火を投げつけたくなるような気持ちもわかりますよっていうところがいたかったっぽいんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、あとはその戦地異例の旅っていうのをめちゃめちゃやってて、これさ、結構年を取ってからもずっとやってて、そのたんびにニュースになってたから多分覚えてる方も多いかもしれないんだけれども、とにかく平和への強い思いを持っていたから、例えばサイパンだったりペリリュート、まあパラオだね、とかだったりフィリピンとかっていうのを訪問するっていうことも行ったんだよ。
で、それはもちろん異例訪問ね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、これも昭和天皇じゃできなかったことなんだよね。
スピーカー 2
ああ、そうだね。
スピーカー 1
まあ、そんな感じでとにかく平和のためにいろんなところに訪問するっていう思いが強くて、それを実現させたっていうところで、なかなか行動的な天皇だったんじゃないのかなとは思うんだけれどもね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ちょっと最後まとめっていうかまあに入るんだけれども、まあとはいえやっぱりさ、もう高齢になる、やっぱり80とか過ぎてくるとさ、もうどうしたって気持ちだけではどうにもならない部分って出てくるじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
体力の衰えで、やっぱり、で、告示行為っていうのは、ちょっとこれ余談にもなっちゃうんだけれども、天皇のいわゆるその公的行為とかっていうのは、これをやりなさいっていう憲法に明確な規定はないわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから、あくまでもその象徴天皇としての立場に基づいて公的な立場で行っているみたいな形だから、増やそうと思えばどんどん増やせちゃうわけね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
さっき言った通り、例えば戦地異例の旅って別にこれ決まってる仕事じゃないわけじゃん。自分が行きたいからやってるみたいな、そんな感じの仕事なわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていう形で、まあ被災地を見舞うのだってそうだし、もうそういったものも自分がやります、やらせてくださいって言ってるからこう増えてっちゃったから、どんどんどんどん増えちゃって、やっぱりそれが高齢になると若い時みたいに同じようにはできないから、で、かといってさ、削りすぎるのも良くないじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていうような事情もあったとも言われてて、だから整然対応したんだよね。要はもっと若い天皇だったらこれができるでしょっていう形で、息子の令和の天皇にこう位を譲ったわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、何が言いたかったかっていうと、まあ天皇って多分誰、あのみんなが思ってる以上にヤバい劇務だよっていう、だから大変なんだよなっていうところがちょっと今日知ってもらえたらなと思って、そんな感じのお話でした。
じゃあ最後、小片郎の締め込めでお願いします。
スピーカー 2
いやーなんか素晴らしい内容で、なかなかね、これをテーマをね、するっていうのはすごく難しいなって自分は思ったけど見事になんかすごくうまくまとまって聞けてためになりました。
スピーカー 1
いやいや、小片郎でも全部知ってることだったからさ。
スピーカー 2
いやいや、そうじゃないんだよ。
スピーカー 1
確かになんかあの被災地とかいて、こう回ってるイメージとかすごくあったし、あの、で、いつもにこやかというか、すごくあの本当に、なんか見てるとほがらかになるような、あの2人のその、道子様とのさ、関係性もなんかわかんないけどさ、こう画面越しですごく微笑ましいなっていうのがいつも思ってて。
スピーカー 2
そうそう。あれ、道子様ってさ、一般の家庭って言ってたけど、でもすごく品があるよね。
スピーカー 1
あの、まあもちろん一般の家庭だけれども、あの、まああれだよ、お金持ちだよ。
スピーカー 2
まあそうだよね、育ちはすごくいいんだろうなっていうのは思うけども。
うん、なんかそうだね、この象徴天皇にっていうところってさ、まあ今までのさ、天皇にはさ、なかった事柄じゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
そうそう、だからすごくいろいろこう、どうしたらいいかっていうのを自分で決めていくっていうのも、すごくあの難しい決断っていっぱいあったと思うんだよね。
ここまで、どこまでやるんだって確か長丸が言ってたように、あの決まりがないから、なんかそういうのがね、今回の話を聞いてもわかってよかったなと思いました。
スピーカー 1
いやー、もう小片郎は全部知ってることだからね、これは。
やめろ。
いや、さっき小片郎がさ、ほら、あの笑顔の話してたけどさ、これもさ、俺すげーきついなって思っててさ、だって逆を言うと笑顔でいなきゃいけないんだよ。
スピーカー 2
そうだね。
どんなに体調悪くてもさ、あの笑ってなきゃいけないわけじゃん、カメラの前では。
うん。
スピーカー 1
いやー、なかなかきついよ。だからやっぱりね、この仕事、まあ仕事っていう言い方も良くないのかもしれないけどね、まあ劇務だよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
やれって言われてできるものじゃないもん。もうなんか、ちっちゃい時からさ、そういうもんなんだって思い込まされてやらない限りに、なかなか無理だと思う。
スピーカー 2
確かにね。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
ね、だからなおさ、なんか生前退位っていう話が出た時も、なんか別にもう、やっぱり今までやってきたっていうね、苦労とか、もうさ、多分それに対してさ、あのみんな、別に反対とか特に大きななかったじゃん。
スピーカー 1
うん。
やっぱその気持ちはわかるし、なんか今は本当にゆっくり、まあ今、それでもいろいろ普通の民間の人よりは違うけれども、天皇だった頃より少しね、羽を伸ばして、余生を楽しんでいただきたいなって思ってますね。
スピーカー 1
そうだね、もう本当に後はゆっくりしてほしいなって思います。
スピーカー 2
うん、そうだね。
はい、じゃあということで、今回は平成の天皇についてでした。
スピーカー 1
はい。