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2022-07-19 30:16

第75回「大正天皇」明治と昭和の狭間で短命に終わった生涯

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生まれつき病弱であったが有栖川宮威仁親王との出会いや貞明皇后との結婚で病状は回復し、
地方都市への行啓を積極的に行う。
しかし、天皇即位後は周りから圧力や、天皇としての重責に圧され病気がちとなる。
明治と昭和の偉大な天皇に囲まれ影となってしまった大正天皇に注目して話しています。
00:04
大人の近代史なんですが、今日はですね、初めてかもしれません。ちょっとゲストを呼んでいます。
ということで、どちらかというと、猫舌の子が好きでおなじみの長まろさんです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いしまーす。いや、ちょっと待って。俺もそれ聞いてなかったから、「え?」って思ってたよ。なんか聞いてる最中から。
本当に?本当にゲスト来るか?みたいな。え?そんなの俺聞いてないんだけど、みたいなさ。
いや、もうね、僕も聞いてなかったです。だよね。だってそんな決まってないもん。
ということで、おなじみの長まろさんです。はい、まんねり化して申し訳ございません。でもやっぱ猫舌の子が好きっていうのはね、有名だったもんね。
俺どっちかっていうと嫌いだな。めんどくさいじゃん、なんかそういうの。なんだそれ。
だって、いや、俺熱いまま食うの好きなんだけどさ。あ、確かにね。なんか待たなきゃいけないわけでしょ。いつ待たなくてもいいんじゃない?
うわ、だるって思っちゃう。別に猫舌が嫌いなわけじゃないけどさ、なんかね、好きか嫌いかで言ったら、俺は別に自分と同じタイミングで食ってくれる人の方が好きだよ、そりゃ。
今ね、だいぶ猫舌の大トラは引いてるかもしれないですね。
うん、まあ別に俺そういうの気にしない人だね。
まあということで、今日はどんな舌を見せてくれるのか楽しみです。
ちょっと待って、舌をってどういう意味?全く意味がわからない。
俺も今何にも考えてなかったからちょっと突っ込んで。
なんかね、ノープランが出ちゃったよね。
まあいいや、とりあえず今日は大正天皇をやりたいと思います。
大正天皇。大正時代ってね、すごい短い中、興味がありますね。
まあ大正ってさ、なんかどうしてもこう歴史をやってった時にさ、まあ近代史っていうとさ、明治、幕末もあるけど明治、昭和あたりがクローズアップされてさ、
なんかどうしても大正っていうワードがなかなかさ、出てこないというか印象がないと思うんだよね。
そう、まあそういうところも含めてちょっと今日は大正天皇をテーマでちょっとやりたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
まずは大正天皇の老いたちっていうところとかもやりたいと思うんだけれども、ちょっとまずざっと概略を。
大正天皇は1879年、明治12年ですね、に生まれて、亡くなったのは1926年12月の25日、クリスマスになくなってるんだね。
大正天皇として在位した期間っていうのは実はもうたった15年間だけなんだよね。
あーね、短いイメージがある。
大正って15年までじゃん。
片谷さ、明治とか昭和っていうのはさ、明治はちなみに45年あって、昭和は64年まであったけど年数で言うと62年なんだよ。
03:11
昭和ってさ、12月25日に大正天皇が亡くなっててさ、たった数日だけ昭和元年があってさ、
昭和64年もさ、7日間くらいかな、確か1月7日とかだったと思うんだけどまでだから、実はほんと数日だけしかなくって、その2年間って。
だから年数で言うと62年、約62年間になるんだけど。
45年と62年に挟まれた15年なわけじゃん。
なんか確かに印象っていうのはさ、薄れるのはしょうがないかなっていう気はするじゃん。そうなると。
あとはさ、やっぱり明治天皇と昭和天皇っていうさ、超絶有名というかさ、主張の強い天皇の間に挟まれた天皇っていうところもあってさ。
確かにその印象あるね。明治と昭和の天皇がどっちかっていうとね、クローズアップされてるって感じでね。
明治維新後のさ、日本の近代化を押し進めた天皇、明治天皇とさ、それこそ第二次世界大戦を経て、その後の戦後復興を共に歩んできた昭和天皇っていうさ、インパクトに比べるとやっぱりこう言い方は悪いけどやっぱり劣るっていうかネームバリュー的に。
だからなかなかこうさ、クローズアップされることも少ないんだけれども、ただやっぱりとはいっても天皇は天皇じゃん。
ちょっとその辺をちょっと話したいなと思ってて。
大正天皇っていうのはさ、もちろんさ、天皇の名前じゃないんだよね。
天皇には名前があるじゃん。
ミオじゃなくて名前だけで、大正天皇はちなみにヨシヒトっていう名前なんだよ。
明治天皇はムツヒトなんだよね。昭和天皇はヒロヒト。これは有名じゃん。
平成天皇は禅天皇だよね。昭ヒト天皇ね。
で、今の令和天皇はナルヒト天皇。
共通してみんなヒトって字がつくんだよね。
ヒトってちなみに漢字で書くとジンだけどさ、人弁に関数字の2でジン。
男の子には天皇家のジンっていう字を使う、なんかもうある種の習わしみたいな感じになってるんだよね。
女の子にはこうつけるじゃん。
その辺が名前の由来っていうか、決まりじゃないっぽいんだけどね。
そんな感じで、とりあえずヨシヒトっていう名前です、大正天皇は。
大正時代って何が起きましたって言われて何かピンとくる出来事ってある?
大正時代?
世界恐慌。
違う。
戦後恐慌。
そういうことね。第一次世界大戦のね。
第一次世界大戦。第一次世界大戦があったのも大正だよね。
どっちかっていうとそっちが欲しかったな。
そういうこと?
06:01
大正時代って言うとなかなか印象がないから何が起きたって言われても結構言えないというか思いつかない人多いと思うんだけど、
まず第一次世界大戦があるんだよね。
そうだね。
あとこれは小片郎もやったけど関東大震災もあるんだよ。
これが出来事としては大きいものかな。
あとは大正デモクラシーって言葉聞いたことない?
あるね。
これは民主主義運動の話なんだけれども、やっぱり明治化に比べてだんだん民主運動っていうのも盛んになってきて、
それで大正デモクラシーっていう言葉ができるぐらい大正っていうのは民主主義運動が盛んになったっていうところでもあるんだよね。
だから決して大正っていうのはそんな何もなかったわけではなくて結構でっかい出来事もあったし、
庶民とかのレベルで見てもすごく生活も変わっていったっていうところがあるんだよね。
早速大正天皇っていうのはどんな感じの方だったのかっていうところに入っていくんだけど、
明治天皇っていっぱい足筆もいて子供もいたんだけど、みんな早く亡くなっちゃったりとか女の子ばっかりっていう感じで実は男の子が全然いなかったのよ。
要は後継ぎね。
これ結果論なんだけど、後継ぎは実は大正天皇のみなんだよね。
男の子も生まれるんだけどすぐ死んじゃったりとかで、
成人まで生きられた男子っていうのは大正天皇ただ一人なんだよ。
これはえーってなるじゃん。
明治天皇いっぱい奥さんいるからいっぱい子供もいたろうっていうのはなんとなく想像つくけどさ、
なかなか実は大正天皇しか後継ぎいませんでしたってなるとさ、
大正天皇にすごいプレッシャーきそうだなっていうのはなんとなくわかるじゃん。
明治天皇いっぱい奥さんいたんだ。
そうそう、その時までは側室がいっぱいいたから。
あーはいはい。
ちょっと後で話すけど大正天皇から一夫一妻制になってるんだよね。
あ、そうなんだ。
そうそうそう。それまで天皇っていうのは別に側室がいるとかっていうのは普通というか当たり前の話だったんだよね。
あーじゃあなんか江戸時代みたいな。
あ、そうそうそう。明治天皇までは普通に側室はいたわけよ。
実際大正天皇も側室の子供なんだよね。
えーそうなんだ。
大正天皇は多分なんだけど遺伝子的なものなのかもしれないけれども、やっぱりすぐ生まれても亡くなっちゃう子供も多かったって話さっきしたじゃん。
大正天皇自体も生まれた時から病弱だったんだよね。
あーはいはい。
長く生きられないかもしれないっていうのはもう寺院にもずっと言われてて。
ただそれでも育てられていくんだけれども。
後続のこの式たりみたいなものがあって、幼少期から親元から離されるっていう式たりがあったのよ。
あーはいはい。
09:01
だからそんな病弱でさ、不安じゃん。分かんない。自分が不安かどうかはちょっと分かんないけど、そんな中でも親には全然会えないっていう状況。
それが逆に言うと当たり前だったんだけど。
1889年にね、男の子は結局自分しかいないわけじゃん。大正天皇しかいないから皇太子になるんだよね。
皇太子になるっていうことは次期天皇なわけじゃん。
だから軍事職の教育、帝王学みたいなのとかをすごく押し付けられるようになるのよ。
だから精神的にもプレッシャーとかすごい感じちゃって不安定になるっていうのが結構あったんだけど、ちっちゃい頃から。
そんな感じで幼少期っていうのを過ごしていって、学習院の初等科に入学するのよ。
そうすると今まですごい怖い大人が、帝王とはこうあるべきだみたいなことしか言ってこなかったのが、周りに同級生ができるわけじゃん。
だからちょっと仲間だよね。言ってもさ、とはいっても皇太子だからさ、ちょっと気は使われてるけれども、自分と同い年くらいの子たちに囲まれながら一緒に勉強やったりとかっていう環境ができて、少し病気が良くなるんだよね。
そうなんだ。
だからずっともう病気がちで過ごしてたけど、学校行くようになって少し精神的プレッシャーが解かれたおかげなのかもしれないけど、ちょっと病状が良くなるのよ。
はいはい。
とはいってもさ、ちょっと病弱っていうのは変わらないから、学校にはなかなか登校ずっとできてたわけじゃないんだよね。
はいはい。
そう、いろんな病気やってて、例えば百日咳だったりとか、腸チフスとか、あとはもうすごい軽いんだけど肺結核みたいなのもやってたりっていう感じで、もう行ってはすぐ病気になって休んでっていう感じの、結構こう不登校って言ったら言い方悪いけどさ、そういう感じになっちゃってるんだよね。
うんうん。
そう、だからさ、最終的にしかもそれで勉強についていけなくなっちゃうのよ。
あーそうなんだ。
そう、だから最終的には学習院は退学する。
うん。
で、退学することによって、結局とはいっても時期天皇なわけじゃん。
うん。
周りはさ、いやそんなんじゃダメだっつって、もう詰め込み教育をさ、こうすごく押し付けてくるわけ。要は家庭教室つけて、帝王とはこうあるべきだみたいななんかすごい、もう教育をガンガン押し付けてくるわけ。
うんうん。
でさ、もともとさ、それがダメでちょっとこう症状が悪くなってたのにさ、なんかせっかく学校行ってちょっと良くなってたと思いきや、ついていけないから辞めちゃって、結局また同じスパイラルに行っちゃったわけよ。
うんうん。
だからさらにまた健康悪化するのよね。
あーはいはい。
そんなあの大将、まあ皇太子だけど当時は皇太子の状況を見て、伊藤博文がね、明治天皇に進言をするわけよ。
はい。
このままじゃいけないんじゃないかっていう風にね。
うん。
このまんまだから結局押し付けの教育をやったところで、まあ本当に死んじゃうかもしれないと。
12:00
うんうん。
そう。だから健康をまず最優先にするべきなんじゃないかっていうところを進言して、それによって方針がこうガラッと変わるのよね。
うんうん。
でここでちょっとある一人出てくるんだけど、有栖川宮武人信濃っていう方がいるんだけど。
はい。
この人を教育係見つけるのよ。
はいはい。
でこの人はね、すごくその皇太子と仲良く接するような、今までさこう周りにいた大人っていうのはさ、どっちかっていうともう軍隊的な感じだったわけよ。
あーはいはい。
そう天皇はこうあるべきなんですみたいな感じでさ、いやそんなんではダメですみたいなそんな感じ?なんかイメージ的には。
うん。
がもうちょっとこう寄り添ってくれる、なんか自分の兄のような感じに寄り添ってくれるような人が教育係についてくれたわけよ。
はい。
そうするといろんなことをこうやっぱ相談したり話したりとかできるからさ、なんだろう精神的なプレッシャーがやっぱ開放されたっぽいんだよねそれで。
はいはい。
それで症状はどんどん良くなるわけ。
うん。
まあこれはその有栖川宮武人信濃が、もう勉強は二の次でいいですよと。
もうとにかく健康が第一なんですっていう方針のもとを、まあ教育係としてやってたからなんだけど。
はいはい。
そう、そのおかげでその太子天皇っていうのはだいぶ病気が良くなるのよ。
おー。
で、そんな中、あの20歳の時に結婚するんだよね。
はいはい。
そう、これは九条貞子っていう人と結婚、定名皇后なんだけど。
うん。
と結婚して、で、その時、太子天皇は20歳、まあ皇太子の時だけど。
で、定名皇后っていうのは15歳の時なんだよね。
なんか、まあ今でいうとすごい、えーそれで結婚するんだっていう感じの年齢だけどさ。
そうだね。
で、これはさ、なんでこんな若くして結婚したかっていうとさ、やっぱりその、四次問題なんだよね。
あーはいはい。
明治天皇のもう男の子供っていうのは、もう太子天皇しかいないわけよ。
うん。
で、太子天皇は病気がちで、ちょっといつ亡くなっても別にそこまで不思議じゃないような感じなわけじゃん。
うん。
思いっきり直系が耐えるじゃん、それって。
うん。
で、なるべく早く結婚して、お四次を産んでもらおうっていうことで、早めの結婚にはなったんだけど。
はいはい。
で、これ、太子天皇の強い希望で一夫一妻制になってんのよ、しかも。
うん、そう。
普通だったらさ、いっぱいこう四次が生まれたほうがいいわけじゃん。
うん。
側室っていうのはだからあったわけじゃん、今までっていうのは。
うん。
天皇っていうのは、自分は一夫一妻制でいいという感じで言って、その後もう側室っていうのは一切置かなくなったんだよね。
うん。
だから今までの天皇のあり方っていうものをちょっと変えてきたっていう人でもあるんだよね、そういう意味で。
あー、はいはい。
定名候補が選ばれた理由なんだけど、健康面をとにかく第一優先されたのよね。
あー、はいはい。
本当はね、なんか別の女性がいたのよ。候補に上がってて、もうこの人でいいでしょっていう感じになったんだけど、なんかその方は色白だったらしいのよ。
15:00
あー、はいはい。
なんか肌の色で決めちゃいけないんだろうけど、で、ちょっと病気がちなところも多少あったらしいの。
うん。
で、対する定名候補っていうのは肌の色的にはちょっと黒い、健康的な黒い肌っていう感じ?
うん。
そう、とにかくね、すごく健康的な人だったらしいのよ。
あー、そうなんだ。
そう。で、やっぱり大正天皇のその病弱さと相反するっていうか、そういう形で選ばれたっていうところがあって。
うんうん。
で、実際これは大成功で。
うん。
子宝には恵まれて、男の子を産むんだよね。
あー、はいはい。
そう、すごいよね。
うちの長男が、要は広人神皇で、昭和天皇ね。
そんな感じでさ、親継となる候補を4人も産んでくれるわけよ。
はいはい。
だからそういった意味でもすごくこう、やっぱりさ、自分しか四次がいないっていう状況からさ、4人も四次が産まれたってなるとさ、ちょっとプレッシャー解放されるじゃん。
うんうん。
そう、だからその、有栖川宮武人神皇の教育も良かったし、定名候補との結婚っていうところもすごく良くて、で、しかも子宝にも恵まれてっていうところで、大正天皇病気治るんだよね、ここで。
へー、そうなんだ。
そう、もう完全にって言っていいぐらい改善するのよ。
うん。
で、国内各地を行刑訪問することができるようになるのよ。
うんうん。
あ、行刑っていうのは要は天皇がさ、各地に行くことを行刑って言うんだけど。
はいはい。
まあ要は各地の視察だね。視察に行くみたいな感じ。
うん。
で、大正天皇っていうのはとにかくこの行刑訪問をすごくしてて。
うん。
例えば1900年の10月から12月に福岡、佐賀、熊本、山口に行ってとかさ、あとは1902年の5月から6月にかけて群馬、新潟、茨城、1903年の10月に和歌山、香川、愛媛、広島、岡山みたいな感じで上げてったらキリがないんだけどさ。
うんうん。
そう、最終的に沖縄県以外は全国を訪問することになるんだよね。行刑してる間はっていうことで。
はいはい。
で、あとちなみに韓国にも訪問してるのよ。
あ、そうなんだ。
そう、これは韓国の皇太子が返礼訪問みたいな感じで行ってるんだけれども。
うん。
まあ、それで結構その韓国のことも気に入って朝鮮語の学習をしたりとかっていう感じで、結構好きなものは熱意を持ってやるような人だったっぽいんだよね。
うんうん。
そう。で、そんな感じで病状がすごく良くなっていたんだけれども、ここで明治天皇が崩御するのよ。
あー。
そう。ってことは自分が天皇になるわけじゃん。
うん。
で、天皇に即位するや否や、周りはさ、とはいってもやっぱこう病気がちなさ、イメージがあるわけじゃん。
うん。
で、あとは結構こう自由奔放にさ、その国内のさ、こう行刑してた時にも、ちょっとこう自由奔放なところが結構目立ってたわけね。発言とか一つ取っても。
はいはい。
だからそんなところから結構こう、成人能力の不安視っていうのをすごくされるんだよね。
うんうん。
え、大丈夫?一言で言うと、え、大丈夫なの?みたいな感じ。
18:01
うん。
例えば西音寺金持とかさ、山形有朋とかにさ、政治誤答に対するちょっと苦言を言われたりとかさ、もっとしっかりやってくださいよみたいなこと言われちゃったりとか。
うんうん。
不要意な発言がとにかく多くって。
うん。
だからさ、それに対してさ、もう無視されちゃうなんてこともあったし。
あー、そうなんだ。
そう。天皇なのに。
あとは単純に還元されてさ、いやもう慎んでくださいみたいな感じで言われたりとかっていう感じで。
とにかく天皇になってからさ、やっぱ周りもこう扱いが変わるんだよね。また。一段階。
うんうん。
で、そのことからやっぱりこうすごいプレッシャーを感じるわけ。
うん。
で、健康がまた悪化するわけ。
はいはい。
でもうここからはね、とにかくね、もうかわいそうとしか言いようがないんだけど、もうほぼほぼ再起不能なぐらいに健康悪化しちゃうのよね。ずっと。
あー、そうなんだ。
うん。で、もうずーっと病気がちでさ、定名交互とかがこう代わりにさ、大臣とかに取り継いでさ、いろいろやったりとか。
身の回りの世話なんかも定名交互すごく一生懸命やってくれたりしたんだけど、まあやっぱり病状っていうのは全然回復しないで。
うんうん。
天皇としての仕事はほとんどもう、あ、公務はね。あの、遂行がもう難しくなってきちゃったんだよね。
うん。
で、そんな中、1921年にキロヒト神皇が摂政に就くんだよね。
うん。
そう。要は、天皇は大正天皇だけれども、摂政を置くことによって、実質ヒロヒト神皇がもう天皇の役割をするみたいな、そんなイメージ。
はいはい。
だから、執務に使うときに、なんつーの、天皇の犯行みたいなのがあるんだよ。
うん。
その犯行とかもう取り上げちゃうんだよね。
あー、そうなんだ。
そう、もうヒロヒト神皇がやるんでいいですっつって、いかん。もう半ば強引に奪ってっちゃうの。
あー、はいはい。
そう、これ大正天皇が、いんかん、もうくださいよって言いに行ったときに断るんだよね。
嫌だって、私が天皇だみたいな感じで。
はいはい。
でも、もう半ば強引に奪ってっちゃうわけ。
いや、だって病気でしょみたいな、無理だよっつって。
で、もうそっから表舞台からは完全に消えちゃうわけ。
うん。
そう。で、1921年にさ、摂政が置かれるようになって、その5年後に亡くなっちゃうんだよね、大正天皇っていうのは。
はい。
大正10年からの5年間っていうのは、もうほぼほぼ何もしてないっていう感じになるんだよね。
あー、そうなんだ。
そう、大正天皇っていうのはそんな感じで亡くなって、もうそもそもだからさ、国民的にもヒロヒト神皇がちょっと表に出てるわけじゃん。
うん。
だからさ、大正天皇っていうのはちょっと国民からも忘れ去られるっていうかさ、ちょっと影になっちゃってるわけ。
うん。
そう、そんな感じで大正天皇は終わっていくんだよね。
あー、はいはい。
で、これがちょっとざっくりとした大正天皇の生涯になるんだけれども、最後はもちろん病気で亡くなっちゃうわけよ。
はいはい。
そう。で、もうちょっと大正天皇の個々のエピソードっていうものにちょっと触れていきたいと思ってるんだけれども、
うん。
大正天皇っていうのはまずね、漢詩の大天才って呼ばれてたんだよ。
21:00
あー、なんか聞いたことある。
そう、漢詩の才能っていうのはものすごくあったって言われてて、
うん。
なんかちょっとこう水に関するような、なんか漢詩っていうものに関しては本当にすごく才能があふれてて、本当にプロ級だって言われてたぐらいなんだよね。
えー、そうなんだ。水?
うん。水、なんか水っていう漢字を使ったりとか、なんか透き通るみたいな漢字使ったりとかさ、なんかちょっとそういう、俺ちょっと漢詩よくわかんないけどさ、
うん。
ある漢字を使ったものに関しての才能っていうのがすごく強かったみたいなところがあるらしくて、
はいはい。
そう、だから決してそんな、なんつーの、なんか全然ダメな、なんも才能もないっていう漢字の天皇ではなかったっていうところなんだよね、まず。
うん。
で、あとはまず古本能だったとも言われてて、
うん。
これは昭和天皇には兄弟が、4人兄弟でさ、男。
うん。
みんなこれ仲がいいんだよね。
あー、そうなんだ。
そう。で、だから家族仲っていうのはとっても良かったって言われてて、
うん。
これ天皇系あるあるだと思うんだけど、兄弟同士では会わなかったりするわけよ。
あー、そうなんだ。
そもそもそう、会うことがないっていうか、なんだろう、だって引き離されて育てられてさ、そのまんま、なんか会おうとも思わなかったら会わないで多分一生過ごしちゃうんだよね。
うん。
そう、っていうぐらいなところもあると思うんだけど当時だし、
うん。
まあ決してそういうこともなかったっていうところで、やっぱりそれは大正天皇のやっぱり人柄っていうか、ちょっとこう古本能さっていうところが家庭を良好にしてたんじゃないかとも言われてて、
はいはい。
で、なんといってもやっぱり気さくな人柄なんだよね、大正天皇といったら。
あー、そうなんだ。
そう、これはいろんなエピソードがあって、まず三つ紹介するけど、
うん。
一つ目が、なんか県知事がこう話し、スピーチをしている途中に、なんか急にこう割って入って、お前も煙草吸うか?みたいなことを急に言って煙草を差し出したりとか、
うん。
あとは、学校に視察に行った時に、なんかこれから寒中水泳ですって言ってさ、なんかすごい寒い日に寒中水泳をやろうとしてたのよ。
うん。
そしたら、なんかその池田かなんだかわかんないけど、手を水につけてさ、え、めっちゃ冷たいじゃんみたいなこと言って、彼らはきっと寒いでしょって言って、水泳の授業中止にさせちゃったりするんだよね。
あー、そうなんだ。
かわいそうだからって、そう。
あとは、松茸狩りをこうみんなで行ったんだよ。
うん。
で、あんまりにもこう松茸がいっぱい取れるのよ。なんかこんないっぱい取れちゃっていいの?松茸って珍しいもんじゃんみたいな。
はいはい。
そう、だから、え、これ仕組んだでしょ?みたいなこと言い出すんだよね。
あー、そうなんだ。
そうそう、普通言わないじゃん、そんなこと。
うん。
そう、で、関係者はやっぱりなんかそういうの天皇が言うからさ、え、どうしようどうしようみたいな感じでちょっと大当てしちゃうみたいな。
うん。
そう、そんな感じで、で、これって天然でそういうことを言ってるわけじゃなくて、こういうことを自分が言ったら周りがなんかちょっとこう慌てるっていう姿が面白かったらしいんだよね。
あー。
そう、なんか周りの反応をこうちょっと楽しみたくて、ちょっとこう茶目っ気のあるって言ったらちょっと可愛く聞こえるんかもしれないけど、そんな感じの天皇だったとも言われてて。
はいはい。
まあただこれはちょっとさ、あの迷惑なところも結構多かったらしくて。
うん。
24:00
なんか行刑中にさ、急に予定にも上がってなかったところに、よしあそこ行こうっつって行ったりしちゃうわけよ。
うん。
だから別に行くほうはいいけどさ、来るほうはもうびっくりなわけじゃん。
はいはい。
天皇来ちゃったよみたいなさ。
うん。
で、あとはほっそり一人で抜け出しちゃってさ、そういう予定からなんか散歩してたりとかするんだよね。
はいはい。
そう、だから本当にちょっとこう自由奔放というか、なんか天皇っていう感じのこう多分イメージを結構覆した人でもあると思うんだよね。
あーはいはい。
だから明治天皇なんかは激おこだったわけよ。
はいはい。
いや天皇に指針は許されないからっつって皇太子時代のその大将天皇に対して怒り浸透してたんだけど。
うん。
まあとはいってもやっぱりそういうさ、気さくな人柄っていうのは国民受けはすごく良かったし。
うん。
で、あとはやっぱりさ、地方巡業をしてたことによって結構こう貧しい人たちへ目配りができたんだよね。
あーなんかこういうところがあるからここの地域は貧しいからなんかここをなんとかならないかっていうこうそういう視点が生まれるっていうところ。
うんうん。
そう、あとはやっぱり天皇とかさそういうさなんだ偉い人がさ行刑するわけだからさボロボロの道でさ馬車もうまく通れませんとかそんな道じゃまずいわけじゃん。
うん。
だからインフラっていうのをこう整えるわけよ。
うん。
だから地方のインフラっていうのが結構それによってこう整ったとも言われてて。
はいはい。
そうだから結構こうね、何にもさこうしてこなかったっていうよりは結構意外とこう知らないところで影響を与えてるような人だったとも言われてて。
うんうん。
ただ残念なことにさこれは二次大戦の後なんだけれども二次大戦の後に天皇がさ完全に省庁人になったじゃん。
うん。
でそんな中でちょっと左寄りの人たちが従来のこう天皇っていうのをさとにかく乏しめようとして。
うん。
とにかく天皇のことを悪く言うような人たちっていうのが結構出てきたわけよ。
あーはいはい。
でそんな中にさまあ明治天皇とか昭和天皇っていうのはなかなかこう悪口がちょっと言えるところが少ないというかさやっぱりしっかりやってたから。
うん。
なかなかこう言いづらいところもあったんだけど大正天皇っていうのは結構そういう意味でボロが多いというかさなんか当て付ければ何でも悪口言えるじゃん。
あーそうなんだ。
そうだからそんな感じで結構こうね大正天皇っていうのはさあいつはもうあの本当ダメな天皇だったよっていうのを結構言われちゃったりもしてやっぱり民衆からするとどうしてもこう劣った天皇みたいなイメージはやっぱりこう今の今までこうやっぱりつきまとってるところはあると思うんだよね。
へー。
そうまあそれがどういう見方をしてさだからさそう思うかっていうのはさ人それぞれだからさそこに対してちょっと言及する気はないけど。
ただやっぱりさとはいってもさ天皇としてこうねものすごい重圧の中さまあ15年ではあったけれども病気の中でも天皇として一応務め上げたっていうところとあとはやっぱりその地方巡業していた時の人柄というかさそういったところっていうのはこう多くの国民の支持を得ていたっていうところは事実としてあって。
うん。
だからやっぱりちょっとそういったところを今日の最後のちょっと締めとしてちょっと使えればなと思ってというところですね。
はいありがとうございます。
27:00
まあそんな感じで今日のテーマの大正天皇は終わりにしたいと思うんだけれども小片郎どうだったかな。
そうだねやっぱ大正天皇って冒頭でも言ってたけど明治天皇とか昭和天皇っていう近代史だったらさそういうのがすごい強いイメージあるけどだからやっぱりなかなかこう知らないしこういう一面もあったんだっていうのがいろいろ聞けてまあなんか勉強になったなと思って。
だから明治天皇と比べるとさ要は結構正反対というかさなんかそんな感じが印象受けるよね。
そうだねなんか天皇っていう感じがやっぱりちょっとしないなっていうのはなんか勝手にだけど思ったね。
うんうん。
そうなんかだって当時のさまださ第二次世界大戦前のさ天皇像なわけじゃん。
あーそうだね。
今の天皇がさこんなんだったら別にあーまあ庶民的だねぐらいな感じだけどさ。
あー確かにそれ思った。
そうやっぱ昭和天皇ってすごいそういう意味で難しい天皇だと思うんだけど戦前と戦後を跨いでる天皇だからさ立場的にもなかなかこう難しい部分はあったと思うんだけど。
うんうん。
大正天皇っていうのはさなんか戦前の天皇のさその天皇像からやっぱりちょっとこうかけ離れてるというかさそんなイメージなんだよね。
あー確かに。
まあそれが良い悪いではなくてなんかイメージとしても全くだからさ大正天皇っていう存在自体をこう消されちゃうところは多分そういう理由もあるのかなっていう気はする。
あーはいはい。
あー確かに。
あとさそのやっぱ病気がちっていうところでさやっぱ自分の体とかも思うようにさ健康だったらもうちょっとなんかいろんなことができたであろうっていうようなさ。
うん。
まあそうなんだろうちょっと悔しさというのもなんかあったんじゃないかなっていうのも感じるね。
そうだねなんかその辺は特になんか描写が残ってるとかさそういうものは多分ないと思うんだけれども。
うん。
実際本人がどう思ってたかっていうのはちょっとよくわかんないよね。
あーそうだね。
そうこれ結構早い段階でその病気が進行しちゃった時に天皇になってからね。
あー。
ちょっとこう知的障害みたいな感じになっちゃうんだよね。
あーはいはい。
なんて言うんだろうちょっとこう脳に病気が行っちゃったっていう表現をされてるんだけど。
うん。
なんかこう言語障害だったりとかすごく幼稚な感じになっちゃうって言えばいいの?
あーはいはい。
まあそんなんだから結局ねもう政治遂行能力がないつって摂政を置かれてもう残り5年間ぐらいっていうのはさ全く公務にも携わることなかったんだけど。
そうなんだ。
だからちょっと本人がそう最後にこうどう思ってたかっていうところも全然さわからないままなんだよね。
あーはいはい。
まあじゃあということであの今回は大正天皇についてでした。
はい。
ということでよかったら気軽に概要欄からコメントを送るフォームがあるのでお便りなんかいただいたら嬉しいなって思ってます。
はいあの励みになりますのでぜひともよろしくお願いします。
30:02
はい。
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
30:16

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