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2022-08-09 34:42

第78回「神風特攻隊」カミカゼから見る大東亜戦争末期

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大東亜戦争末期に日本軍が考案した特攻。
今回はその中でいわゆる航空特攻と言われる「神風特別攻撃隊」について話しています。
これは、航空機に爆弾を積んで、上空から海上にいる艦船に体当たり攻撃をするという
生きて帰ることがない作戦。
この作戦を実行することになった大半が20代前後の若者であり、彼らは死と向き合い、そして亡くなっていった。

00:04
カラカラと、ただうち笑うその時の、君のおもだち忘られなくに。
始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
なんか和歌かな、それ。
そうそうそう、短歌。
短歌?誰の?
岩間さん。
え?
岩間さん。
岩、岩間さん?
そう。
ちょっと待って、誰?
これね、あの結構ちょっとエピソード深いんだけど、
うん。
あるね、そこ、戦友より送られた短歌な。
戦友、うんうん。
そうそう、まぁちょっとテーマにも関係してんだけど、
うん。
この短歌っていうのが、あの、第二次世界大戦の、まあ沖縄戦において特攻隊として、
アメリカの空母、あのバンカーヒルゴーっていうのに突っ込んで亡くなった、
うん。
特攻隊員の遺体のポケットから見つかった短歌なんでね。
うん。
で、この空母にいたさ、アメリカの乗組員が、その遺体のポケットから取り出して、
うん。
ずっと大事に保管してたんだって。
うん。
で、56年後に日本の遺族の元へ戻ってきたっていうストーリーがあるんだよね、これ。
へぇー。
なんかこれテレビでも放映されたみたいけど、俺も今回いろいろ調べてて初めて知ったんだけど、
うん。
で、このバンカーヒルゴーっていうのはさ、日本の2機の特攻によってさ、
侵没は免れたんだけど、結構大きな被害が出て、
うん。
死傷者は400名ぐらい、
うん。
って言われてて、
で、特攻隊でその2機目に突っ込んだのが、この短歌をポケットに入れてた人なんだけど、
うん。
骨という骨すべて骨折していて、もうぐにゃぐにゃな状態だったっていうような証言があって、
うん。
そうそう、なかなかさ、あの本当に特攻隊が突っ込んだ後どうなったかとかっていうことって知ることないよね、あんまり。
まあ、そうだね。だいたいほら、爆弾抱えてドカーンだからさ、
そうそうそう。
なんていうの、もう残んないほうがほとんどなんだろうけどさ、実際は。
そうそう、この場合は直前に爆弾を切り離して攻撃をしてるんだけど、
うん。
まあ、だから過労死でそのあったんだろうね。
あー。
すごい実証だけどね。
まあ、そうだね、うん。
まあ、ということでね、今回のテーマは神風特別攻撃隊について話したいと思います。
お、なんか特攻ですか、いいですね。
これさ、通称神風って言うけどさ、
うん。
これ神風って言うんだって思ったんだよね。
あー、そうそうそう。ネーミングは初め神風特攻隊だったんだよね。
そうなんだよね。いろいろ今回さ、特攻隊の実際のさ、本とかさ、
うん。
わざわざ振り仮名に神風って平仮名で振ってあったから、
うん。
あ、そうなんだと思って。
うん、そうなんだよね。
ね。
で、特攻ってさ、まあいろいろ種類あるけどさ、前に長丸が話した回転とかはさ、
03:00
うん。
水中での特攻攻撃じゃん。
うん、そうだね。
今回話すのはいわゆる航空特攻って言って、
まあおそらく特攻隊としてだいたいイメージするのがこの神風特別攻撃隊なのかなっていう。
まあそうだね。多分さ、俺らがその特攻って言うとさ、そのいわゆる神風特攻隊だよね。
あの、の飛行機でさ、突っ込んでくっていうそのイメージがまさにだと思うけど。
うんうん。じゃああの、これからの神風特別攻撃隊についてちょっと話していこうと思うんだけど、
うん。
最初に言っとくけどこれなんだろうな、感情を入れすぎるとうまく話せなくなるから、
うん。
割と淡々と話すけど、ちょっとご理解くださいっていう。
あー、小片郎の淡々はほら結構意外とネタ突っ込んできたりする淡々じゃん。
いや本当にそれフリではなくてね。
あ、そう。
あ、そう。
まあということで、あのちょっと時代背景から。
うん。
まずあの、これ1937年からまあ日中戦争っていうのが始まって、
うん。
で、1941年にハワイの真珠湾を攻撃をきっかけに大米戦争が始まるんだよね。
うん。
で、終戦の1945年までをまあこの一連を大東亜戦争っていう言い方もするんだけど、
うん。
大東亜戦争が始まってさ、この終盤あたりから使われるようになったのが特攻なんだよね。
うん。
で、その中で真珠特別攻撃隊っていうのは最初海軍側から始まるんだよね。
うん。
まあなぜかっていうとあのミッドウェイ海戦の敗戦に始まって、
うん。
マリアナオキ海戦でも圧倒的に敗れてさ、
海軍っていうのは空母とか多くの航空機を失って劣勢の状況となっていくんでね。
うん。
あ、そう。一応言っとくけどそのなんだろう、海軍とか陸軍って航空隊っていうのはそれぞれ陸軍、海軍とも持ってて、
うん。
っていうまあその状況だけはちょっと最初に説明しておくんだけど、
当時そうなんだよね。日本ってあの空軍がなかったんだよね。
そうそうそう。
だからそれぞれのこの陸海がそれぞれ航空隊を所有してたみたいなさ、
まあアメリカもそれに近いんだけど確か。
そうだよね。アメリカも確かなかったよ。
そうそうそう。で、それでね、まあ脱戦しちゃうけどB29とかが活躍することによって空軍ができたわけだし。
うん。
まあいいや戻しますと。
ありがとう。で、えっとそこで1944年の10月から終戦まで行われたのが神風特別攻撃隊による攻撃なんだよね。
うん。
これなぜ始まったのかっていうと、なんだろう、ただ日本がこう劣勢でやけくそになってやったんじゃないかとか思われがちなところもあるんだけど、
うん。
まあちゃんと一応理由はあって、
うん。
その当時さ、あとアメリカのその艦隊を中心に高性能レーダーを戦争に活用してたんだよね。
うんうん。
で、これによってさ、敵の方角とか距離とか高度まで把握できて、
日本の部隊っていうのはまあ高度を読まれることが多くて、
06:02
うん。
で、空母から飛び立った戦闘機に待ち伏せ攻撃をされたりとか、
うん。
で、アメリカの航空母艦、空母だね、に近づくこともできないような状況だった。
うん。
で、圧倒的なこうもう惨敗を繰り返してきた。
うんうん。
まあそれにはさ、他にも要因は暗号解読だったりとか物量の差っていうまあ根本的な問題もあるけど、
うん。
で、海軍としてはさ、戦争を少しでも優先に進めるには、
アメリカの空母を一石でも多く沈めたいっていうのがあって、
うん。
空母にはさ、多くの戦闘機が積まれててさ、
うん。
海上のまあ動く基地みたいなね、そんなイメージなのかな。
うん、そうだね。
で、これを沈めればさ、相手の戦力を大きく削ぐことができるっていうのがあって、
うん。
それまでさ、日本の航空機による主な攻撃っていうのは水平爆撃が多かったんだよね。
うん。
そう、これはさ、高い高度を維持しつつ目標点に向けて航空機から爆弾を落とすんだけど、
うん。
でもこれだとさ、何百キロのまあ速さで当然航空機って飛んでるから、
うん。
その状態で落とした爆弾がさ、あの目的の場所にさ、命中する確率ってかなり低いんだよね。
うん。
そこでさ、あの上空から自ら艦隊に対当たりを攻撃するっていうことがまあ提案をされるんでね。
うん。
これならさ、途中撃ち落とされなければほぼ高い確率でまあ命中するっていうのはまあ考えてもやっぱりそうなんだけどさ。
まあ自分で最後まで操縦するからね、やっぱり。
うん、そうそうそうそう。まあ爆弾に目があるというかね。
うん。
そう、ただ確実にパイロットはまあなくなるっていう。
うん。
で、さっきさ、こうレーダーの話したんだけど、
うん。
このレーダーってさ、まあ高度100メートルとか150メートル以下とかの低空で飛ぶと、
うん。
レーダーに感知されにくいっていうのがあって、
うん。
で、日本の特攻ってさまざまなまあケースあるんだけど、基本的には超低空飛行で相手の艦隊に接近するケースが多くて、
うん。
で、これはまあレーダーから感知されないようにするんだけど、
うん。
で、目標の艦隊に近づいたらさ、高度を上げて上空から艦隊に対当たりをしたりとか、
まあそのまま低空のまま突っ込んだりとか、まあそれは状況によってさまざまなんだけど、
うん。
まあ近づくとさ、当然まあ相手の艦隊から対空砲火をあうわけじゃん。
うん。
で、あのパイロットってそこでまあなくなる場合も多いんだけど、
うん。
機体がさ、バラバラにされない限りはさ、通常はこの勢いで目標点に向かうことが多いんだよね。
うん。
で、後のアメリカ商兵のね、これ証言もあって、あの特攻機は機銃で機体をバラバラにされない限り突入進路を変えなかったっていう風に語ってるの。
うん。
これさ、アメリカにとって本当に脅威だったんだよね。
うん。
だって、もう完全にバラバラにさ、撃ち落とせなければ自分たちが船もろとも沈む可能性があるわけじゃん。
09:05
ああ、そうだね。
で、この10月に始まった特攻の、あの10月末にね、1隻の空母のね、ワスプっていう搭乗員130名を対象に、
うん。
健康診断をしたのがあって、
うん。
これね、乗組の30名以外は過労のため休養を必要とするような精神状態だった。
うん。
これがいかに特攻によって精神を毎日削られていったっていうか、
うん。
数機の特攻機に対して、1隻の空母とか駆逐艦だったりとかを沈没、また大きな損害を与えるっていうこの日本の特攻の作戦っていうのは当時は有効的に働いてた。
うん。
で、こうして始まった特攻なんだけど、
うん。
実はさ、それ以前にもさ、個人の判断で航空機でさ、艦船に突っ込んだりとかさ、
うん。
海上走る魚雷を見つけて味方の船にぶつかるのを防ぐために、自ら突っ込んでいくケースとかもあった。
うん。
ただ組織だって行ったのは、まあ1944年の10月からなんだよね。
うん。
これはさ、あの10月その時フィリピン海域での戦いがあって、
うん。
第一航空艦隊の司令長官の大西龍二郎中尉っていうのが、
うん。
海軍大臣の世内三政大将に言ったことから始まってるんだけど、
うん。
特攻を行ってフィリピンを最後の戦いとしたいっていう風に言ってるの。
うん。
これ、大西龍二郎が発案っていうわけではないんだけど、以前から別の人も言ってたんだよね、この特攻については。
うん。
そう、まあ実行に移したのは彼なんだけど、
うん。
少しでも敵に反撃し、敵の戦力を落とせば、
公安に持ち込む時に有利な条件になるっていう風に、まあ彼は考えて言ったんだよね。
うん。
だからこれ、フィリピンを最後の戦いとしたいって言ってるじゃん。
うん。
限定的な特攻作戦なんだよね。
うん。
まさに名前がさ、特別攻撃隊だからさ、
うん。
まあそれがさ、後々特別ではなくなるっていうのがまあ悲劇というか、なんかね、思うとこあるけど。
そうだね、確かに特別じゃなくなるんだよね。
なんかもうそれが当たり前っていうか、そういう風潮になっちゃったって言えばいいのかな。
確かに、沖縄とかはもうほぼ毎日とかすごい日常に行われてるからね。
うん、そうだね。
で、まあこうしてね、大西中将が特攻を提案して、
この時大本営はこれに対して、
この選挙区に対処するため涙を飲んで申し出を承認する。
しかし実行にあたってはあくまでも本人の自由意思によってください。
決して命令してくださるなよっていう風に言ってる。
うん。
これさ、天皇からの命令っていう風にしたくなくて、
うん。
あくまでさ、自由意思で行われたっていう扱いにしたかったって言われてるんだよね。
うんうん。
ただまあ実際の現場は様々な事例があるんで、まあ後でちょっと紹介したいと思うんだけど、
12:04
うん。
まあこうして大西中将支持の下、第一航空艦隊の201航空艦隊ってところから、
まず希望を取って特攻の志願を募ったんだよね。
うん。
で、これね最初ね、挙手制でみんなを集めて手を挙げて希望を募ったら、
全員挙げたんだよね。
うん。
これやっぱ何でって今なんか自分だったらちょっと思っちゃうとこあるんだけど、
うん。
結局さ、その何だろう、時代を生きてないしさ、
うん。
なんかヘッドホンつけてさ、マイク越しに短パン姿な、なんか自分にはちょっとわかんないんだよね。
いや別に、その姿どうでもよくない?
姿はね、姿はでも、やっぱりその状況全然違うじゃん。
まあね、確かに。
だってその当時の状況ってまあもう劣勢なわけよ。
うん。
で、毎日仲間の何人かがこう戦死していくような、もう本当に苦しいような戦いをしていて、
うん。
だからこそさ、まあ特攻って自らこう命を捨てていくっていうか捨て身の攻撃なわけじゃん。
うん。
でもなんかそれをこう素直に受け入れる雰囲気があったんじゃないかなっていう風に言われたりするんだよね。
うん、そうだね。
まあちょっとおかしいよっていう感覚は絶対現代の人からしたらあるわけじゃん。
うん、あると思う。
うん、でもそれはほらやっぱり当時の人じゃないとわからない感覚かもしれないしさ。
うん、確かにね。
決してこう否定だけでその済む話じゃないよね。
うん、ないと思うこれは。
で、あんまりにさ、だからこう希望者が多すぎたから、
うん。
一旦特攻に行く人生を考えることにしたんだよね。
うん。
で、結局24人が最初選ばれて、
うん。
あのこれが四季島、菊水、朝日、山桜っていう4体編成にして、
うん。
まあこれらにあの神風特別攻撃隊っていう名前を命名したの。
うん。
これさ、なんか選ばれた1人の階層6があって、
うん。
実際にまあ志願して、まあ実際選ばれたら、
ジーンと胸が詰まり肌寒さを感じた。
頭がクラクラとしたっていう風に言ってるのがあって、
うん。
やっぱりいざね、希望はしたけれども選ばれてみると、
それは当然さ、すごいこうものが押し寄せてくるというかさ、
うん。
そういう文章だったなと思って。
うん。
で、えっと、初のこうまあ出陣をしていくんだけど、
うん。
これさ、あの例えば映画とか永遠のゼロとかでもあったけど、
うん。
水杯をするんだよね。
うんうん。
これ最初からそういう風にしてるで、なんかその後の特攻でもよくやってるんだけど、
うん。
酒の代わりにさ、水を飲み交わすんだよね。
うん。
で、この杯を割るんだよね。まあ割らない場合もあるらしいけど、
うん。
これはさ、もう二度とこの杯は使わないっていうかさ、
うん。
二度と会えない別れの時っていう意味でまあこうする儀式なんだよね。
うんうん。
で、これでまあ出航する航空機のまあお腹の部分って言ったらいいのかな。
15:00
真下にさ、250キロの爆弾を積んで、
うん。
まあ飛び立って。
で、これね、天候が悪くてあの空母を見つけることができなかったんだよね。
うんうん。
でね、引き返すことをね、数回実際繰り返してるの。
うん。
で、このね、任務に当たった人はやっぱ特攻隊として選ばれて、
生きてるってことは死ぬことよりも辛いっていうこの苦悩をすごい綴ってるのがあって、
うん。
いや、なんか確かに自分がさ、もう死ぬって覚悟を決めて、でも行ったら死ねないわけ。
うん。
これってどうなんだろうっていう壮絶だよね。
まあそのね、当時の状況もあるしさ、気持ちっていうのは本当にね、わからないもんだよね。
うん。
で、あの結局その10月25日に最初にアメリカ空母に対当たり攻撃して、
まあ実際に戦火をあげたんだよね。
うん。
これあの菊水、朝日、山桜隊っていうのが沈没はしなかったんだけど空母に大被害をもたらして、
うん。
で、この3時間後にまあ四季島隊っていうのも護衛の空母の4隻に対当たりして、
うん。
で、これ1隻の空母、セントローっていう空母をね沈没させてるんだよね。
うん。
まあこのセントローの時のちょっと状況は、あの対空砲火を当然近づいたら受けて、
うん。
で、黒煙を特攻機は出しながらも突っ込んでいったんだって。
うんうん。
で、爆弾っていうのはさ、この飛行する空母のさ広盤に落下して、
うん。
で、広盤を貫通して核納庫でこう大爆発を起こしたらしくて、
うん。
これさ燃料に燃え移って8回ぐらい爆発を繰り返して沈没したって言われてるんだ。
うん。
ここにさ一つ特攻の特徴があってさ、
うん。
250キロの爆弾を使った特攻でさ、その爆弾の威力だけではさ、
あの空母ってものすごく大きいし沈没させるのってまあ難しいんだよね。
うん。
だけど、この元アメリカ海軍の証言もあるんだけど、
日本軍の特攻っていうのは戦艦に対当たりして燃料をぶちまけることによって火災を発生させて抱えていた爆弾を爆発させるっていう。
うん。
空母にはさたくさんの燃料があるからね。
うん。
だからこうやってなんか燃料と巻き込みながらも爆発させていくっていうような。
うん。
で直近の戦いではさ、あのこれ多くの航空機戦艦を投入してもまあ空母1隻も落とせなかったっていうのがあって、
うん。
で特攻機はさこの数機でさ空母1隻沈没もさせたし、数隻に大きな損傷っていう戦果を出してるんでね。
うん。
でこういった成果が後に沖縄戦でも終戦まで特攻が日本のこの有効な手段として使われることにもつながっていくっていうね。
うん。
特攻のさまあ選ばれ方ってこう様々なケースがあるんだけど、
うん。
例えばアンケートっていうのがあって、
うん。
熱望とかさ希望、希望しないって書かれた小さな紙が渡されて、
18:03
うん。
まあそれに自分で丸をつけるとか、
うん。
まあ熱望、防、不防とかまあいろいろなパターンもあるんだけど、
うん。
なんかこの熱望、希望ってここをね何なんだろうってちょっと思った時あったんだけど。
あーなんか回転の時もそうだったみたいだけどさあの、
うん。
もう絶対やりたいですと、まあ機会があったらやりたいですと、あのやりたくないですの三択だったからさ、なんか結局多分一緒なんだろうね。
ね、この中はあえて三択に、まあ二択でもいいじゃんっていうのもちょっと思ったりするんだけど、
うん。
まあいいや。
いや、まあでも確かにさその二択だとさイエスかノーだけじゃん結局。
あー確かにね。
だから多分なんだろう逃げの三択を用意したんだと思うんだよねきっと。
あー。
もちろんそのさその熱望、希望で言ったらさ希望っていうのはさ多分ちょっと消極的なわけじゃん。
うん。
だから多分それが一応逃げなんだろうね。
あー。まあでもね実際希望にしても全然選ばれてたりするからね。
うん。だからちょっとそれは状況次第で何とも言えないからさちょっと結局選ぶ側の判断基準もさなんか俺はよくわかってないからさ正直なところ。
あー確かに。
熱望にしたからじゃ絶対さ選ばれるかっていうわけでもないじゃん結局のところこれって。
うん。
だから判断基準のまあ何かに使ってたのかなぐらいにしかちょっとわからないよね。
あー。あとはさなんか全員が集められてまずこう一人っ子とか妻子あるものはその場から退場して、
うん。
残った人でその夜自分の意思で司令室を訪ねて特攻希望を申し出るとかいうパターンもあったんだ。
あー。
あとはこうアンケート書いて封筒に入れてそれを司令の部屋に一人で机の上に置きに行くっていう。
うん。
まあそんなのとかあと挙手制だよね。さっきもちょっとちらっと言ったけど。
うん。
そのままみんながいる前で目をつぶらずに挙手する場合もあるし。
うん。
まあ考慮して目をつぶって挙手制にする場合もある。
うん。
ただまあこれは結構服のこすれる音とかでまあ誰が上げてるのか目をつぶっててもわかったりとか実際あったらしいけど。
こういうふうにしてまあいろいろな形で特攻志願を募ってるっていうまあちょっと事例を紹介したんだけど。
うん。
ある特攻隊の人の証言でまあこの人は挙手制で手を挙げたんだけど。
うん。
その瞬間静寂を破りサーッと風を切る音とともに全員の右手が上がった。
無意識のうちに私の手も上がっていた。
何がそうさせたのであろうか私にはわからない。
っていうふうにあとで回想録があって。
この感覚って不思議というかね何がそうさせたのか私にはわからないっていうね。
まあだから意思があったのかなかったのかっていうと多分無意識なんだろうね完全にそこは。
ああそういうだからそういう人もいたんだろうね。
なんだろうなでもやっぱりさ人間だからねそういう人がいてほしいっていうのも俺はあるけどね。
21:02
なんかもう俺は国のために死んでやるんだっていう人が全員そこにいたってなるとやっぱりちょっと自分みたいな人間だとさえーってやっぱなっちゃうからさ。
特に今の感覚だとね。
それこそほら水木しげるの回でもあったじゃん。
水木しげるはさどっちかっていうとこうね戦うこと自体にちょっと否定的な感じがあったわけじゃん。
だからちょっとあの感じの人間っぽさっていうのっていうのがさやっぱ当時も持ってる人は絶対いたと思うしいてほしいっていうのもある。
ああ確かにね。
だからまあ志願ってこれ体裁なんだけど実際はなんとなくその不否できる空気ではないというかもちろん本人の意思もあるんだけどそういう雰囲気自体もなんかなってたんじゃないかなって言われ方もするんだよね。
それはなんかよく聞くよね結局断れないって言ったら変だけどさなんだろう。
そうそうそう。
自由意思と言いつつももうそこに意思は介在しないというかさ一択しかないみたいなさ。
そうもうそういう状況に近かったんだってね。
割合として少ないんだけどこれ希望しない人も実際にいたんだ。
でその中で多かったのが熟練登場員にその傾向があって
彼らっていうのは従来の戦法でずっと戦ってきてこれからもそれで戦果を上げて戦い続けていくっていうのが大切っていうふうに判断していたんじゃないかって言われてて。
拒否したとしても特攻として送られているケースもあったりするし
あとは拒否したことで南方の最前線に送られるっていうケースもあったりするんだよね。
いろいろなケースがあって後半につれると特に希望を聞かずに特攻を言い渡されるっていうケースも実際にあったんだよね。
特攻機って単独で行くわけじゃなくて250キロとか中には500キロのバックダウン積んで飛ぶ場合があって
上空で敵と交戦した時にもちろん空戦能力が劣るから不利なんだよね。
だからそこに西空隊また直援機って言われる味方の攻撃を援護するそういう役割の人がいるんだよね。
それに戦果確認偵察機っていうのもいる場合があってこれは戦果を確認で伝えるための役割。
それプラス特攻隊として特攻機が2、3機行くような編成を組んでたりとか。
沖縄戦とか後半になるとその直援機と戦果確認機っていうのは兼務で行われたりとか
全体でも3から5機の戦隊で行っている場合もあるんだよね。
沖縄戦ちょっと触れるけどこれ連合軍が沖縄を目標にしてるっていうことがわかって
陸軍海軍ともに1945年の2月末に当時飛行搭乗員の教育を中止して
24:05
現存する飛行機とか教育中の搭乗員含めて全部隊が特攻の方針をするように決定したんだよね。
約1万機の航空機が動員されて、そのうち約2000機ほどが特攻機だったんじゃないかっていう。
特攻機ってなかなか区別するのが難しいのもあるから。
これで100時間そこそこの操縦経験で出撃される場合も多くてさ。
特攻で使われた飛行機っていうのはゼロ戦が一番多いんだよね。半数ぐらいが確かゼロ戦だったんだけど。
それはさ、当時の日本で空戦能力に優れてて。
ただ後半っていうのは真珠湾の海戦時に使われたような4年前の古い機種も使われていて
エンジンが不調でさ目的地に達することができないというか故障になっちゃうっていう場合も多くて
中に通称赤トンボって言われる機体があって
これ知ってる?
赤トンボってなんか聞いたことあるな。
機体がさ木と布張りでできてるんだよね。
でこれもさあの特攻機として出撃してるんだけど
これそもそもが訓練のための練習機だった。
だから後半っていうのはもう練習機も特攻に出すようなまあそんだけ余裕がなかったんだよね。
当時時速5、600キロとかでさ飛ぶ航空機がある中さ
爆弾を積んだ状態の赤トンボっていうのは時速130キロぐらいって言われてるの。
だから当然さ空で戦いになったら敵に劣るしさ
的だよねもはや。
ただねレーダーに映りにくいっていうのもあったらしいよ。
なるほど。
実際にねこれでも駆逐艦を沈没させてるっていうケースもあるんでね。
こう見るとさフィリピンの時から始まった特攻とはさまた状況がさ後半って全然違くなってるんでね。
搭乗員自体も実戦経験が少なくて、
で航空機の状態も良くないし、
で護衛の部隊も少ない。
でましてその帰りの燃料もないケースも多くて。
それもあってさ沖縄戦で敵艦隊に対当たりして戦果を出したケースはフィリピンの時と比べると少なくなってる。
もちろんこれは相手のさ対空砲とかが改良されて威力が増したっていうのもあるんだけど
ただねあの沖縄戦でもそれでもあの全くゼロっていうわけではないんだよね。
これ被害状況ねなんだけどアメリカが戦後に公式に発表したものによると
沈没が15隻、損傷は202隻っていうのがあって
これはちょっと取るデータによって色々な場合もあるんだけど
だからアメリカさこうやってさ毎日のように特攻機が突っ込んでくるのやっぱ
被害も出て脅威を感じてて
九州とか台湾って言ったあの特攻機が飛び立つであろう飛行場を集中的に空襲を行ったんだよね。
27:06
そういうのが沖縄戦であって。
この特攻隊について思うとほぼ大半が学徒出身の飛行学生で
特攻隊のさ大半20歳前後って本当に若いんだよね。
中には17歳とかの子もいたりとかして
これはさあの日本が徴兵年齢を後半は引き下げていって
17歳以上が徴兵の対象になってるんでね。
そうだから前確かうちらでね1年前に靖国神社の優秀館行ったじゃん。
そこにやっぱ特攻行く前のさ写真があってさ
本当に若いさなんか無邪気な子がさ
なんか写ってるような集合写真がいっぱいあったじゃん。
17歳ってねだって当時さ
栄養状態とかも良くないからさやっぱり今の17歳よりもちょっと若いんだよね。
確かにそうだね。
幼いと言えばいいの?なんかちょっとこう幼く見えるというかさ。
やっぱりこの子が特攻しちゃったんだっていう感じのさやっぱりそういう感じの年齢じゃん。
だってこの子たちで集められてやっぱり実戦がもう特攻だったりするんだよねほとんどが。
実際にこの特攻で亡くなった人の数って正式には分からないんだよ。
だけどまあ約3000とか4000人近くはこの大東亜戦争で特攻として亡くなったんじゃないかって言われてる。
特攻でさこれ生き残った人の後の言ってる記録があって
これ言ってたのがちょっと印象にあったんで読み上げるけど
戦争を知らない人は特攻隊に志願した者を死ぬのを知りながら志願した馬鹿者と見ているでしょう。
特攻で戦死した者が泣いてると思う。って風に言ってたのがあって。
なんか戦争を知らない人はっていう今の感覚で語るとさやっぱり理解できないことがさあってさ
そこにはその時代を生きたあの戦争を経験した人しか分からないものがあるのかなっていうのが思ったね。
そうだよね。
ちょうど今8月ってさ日本の終戦記念日になるじゃん8月15日で。
戦後ちょうど今77年なんだよね。
そうそうだから戦争についてもさやっぱ思い返す時期でもあるし
なんでまあちょっと今回は神父特別攻撃隊について話してみました。
いかがでしたでしょうか。
まあそうだよね特攻っていうとさ必ずしもいいイメージがあるわけじゃないじゃん。
でもやっぱ反面さその日本軍のさ戦果をさ上げてるじゃん。
そうだね。
物量でさどうしても海軍同士の戦いだったわけじゃん初めは。
でさ互角だったけどどうしてももう物量の差でさどんどん勝てなくなってきたわけじゃん。
30:01
日本はさ船沈められたらさ新しい船を用意できない状況までなったけどアメリカはどんどんそれができちゃう。
だから決してさあの日本のさ軍のさ力が劣ってたってわけじゃないのに
あの結局物量で負けててどんどんどんどん押し込まれてったっていうのが多分あると思うんだよこの太平洋戦争全般で見た時に。
でその時にさじゃあ物量に勝るとも劣らずっていうところでさ特攻っていう手段が多分生まれたんだよね。
結局さ少ない人数少ないまあ飛行機にしちゃうけど飛行機で敵の船を沈められるものっていう費用対効果じゃないけどさ
ほんとそういうところで見た時にすごく合理的な兵器になっちゃったんだよね特攻っていうのが。
でただその合理的だからさだってさ一人の人間一台の飛行機でさ何百人という命とさあのでっかいもう空母が沈むとかってなったらさもうすごい大戦火じゃん。
でもそれをじゃあさじゃあ合理的だからっていう判断でじゃあやっていいのかどうかっていうところは倫理的な部分だしさね必ずしも称賛されるべきではないんだけど
ただ少なくともさそれをこう実行に移した人たちがまあ最後その特攻隊のさ方の話っていうんでさっきさ特攻した人がバカだったんじゃないかみたいな話もちょっと言ってたけどさ
やっぱり俺はそこをさ否定しちゃいけないと思うんだよね特攻した人っていうのはさやっぱりこの日本っていう国をさ守るため
まあ日本っていう国っていうのはさ大きく見過ぎてるのかもしれないけれども多分その人には家族があってさその家族がさこう本土攻撃された時にさ死んじゃうかもしれないだから今自分が食い止めなきゃいけないとか多分そういう思いで特攻してると思うんだよ
だから決してやっぱそういう考えっていうのはさ否定できないというかさいやそれを否定できるのはやっぱりちょっと俺はおかしいと思っちゃうね
やっぱりさ少なくとも今なんで日本がこういう平和な世の中になってるかっていうとさそういう多くの犠牲の上に今の平和っていうのが成り立ってるわけで
やっぱりそういったところはさもう戦争の時代の時代を来た人っていうのはさもうどんどんどんどん亡くなってっちゃっててさほぼほぼいなくなっちゃってるわけじゃん今って
でもやっぱりこういう人たちがいたんだで今こういう平和の世の中になってるんだっていうのはこう伝えていかなきゃいけないっていうのはさやっぱ後世に生きるもののある意味使命みたいなものかなとはちょっと思うよね
そうだねちょっとこれ冒頭でさ言ったさ空母に突っ込んで行ったタンカが後に見つかった人の
この人が最後のね家族にあてた手紙がちょっとね読みたいなって思ってます
沖縄戦で空母に突っ込んでそう22歳で亡くなったんだよねこの人はちょっと抜粋して読みますけど
お父さんお母さん清も立派な特別攻撃隊員として母のお手の中に育ったことを考えると感謝の念でいっぱいです
全く自分ほど幸福な生活を過ごしたものは他にないと信じこの御恩を君と父に返す覚悟です
33:08
清は微笑んでいきます出撃の日もそして永遠に
まあっていう手紙を出してるのね
まあねでも遺書もね検閲されてたからねだから絶対それが本当の意思なのかどうかっていうのは
やっぱさこう言えないっていうところもさあるじゃん
そうだねもっと書きたいことも多分いろいろあったかもしれないしね
そうだからね難しいんだよ
これこそ触れづらい部分ではあるよねやっぱり
当時の日本を否定する感じでもないしさうちらからすると
でもかといってそんなことが行われてまで戦争ってやる必要があったのかとかってそういうところも出てくるわけじゃん最終的に
確かにそれはあるね
だから難しいところなんだよだから結局戦争をさどこでやめるべきだったかっていうさ
なんかすごいそういう問題になってきちゃうからさそうなると
まあこうだっていうものは多分ね言えるものはないけどこれを聞いてなんか感じるものが一つでもあったら嬉しいなって感じですね
そうだねやっぱりこう戦争についてさなんだろう何かしら考えるきっかけみたいなものになったらいいんじゃないかなと思います
ということで今回は神風特別攻撃隊についてでした
もしよかったらフォローとか評価をポチッとしていただくと嬉しいです
そうですねよろしくお願いします
はいありがとうございました
ありがとうございました
34:42

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