1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. 第91回「葛飾北斎」富嶽三十六..
2022-11-15 41:17

第91回「葛飾北斎」富嶽三十六景を描いた浮世絵師~The Great Wave~

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江戸時代後期の浮世絵師「葛飾北斎」 
今回はその中でも北斎が70歳過ぎの作品「富嶽三十六景」をメインに話しています。 
なぜ、彼の絵は世界中を魅了するのか? 
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画家ゴッホは言った、このまま行けと僕の中の僕が命じるんだ。
始まりました。大人の近代史、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。ゴッホはね、有名だよね。
ねえ、これなんだろうね。僕の中の僕が命じるんだって。
まあ、なんかあれじゃない?ちょっとおかしくなってた頃の話なんじゃない?
ねえ、ゴッホってすごいよね。なんかパッとちょっと生涯見たらすごい人生だね、あの人。
うん、ちょっとおかしかったんでしょう。わかんないけど。
ああ、そうなんだ。
うん。
今日はね、ゴッホにも大きな影響を与えている人のお話をしたいなって思います。
はい。
最もね、この大人の近代史で扱った中でも有名な日本人かもしれないですね。
最も有名な日本人。
うん。日本だけじゃなくて、世界でもその名が知り渡ってる人物。
今日のテーマは、
はい。
ガキョウロウジン、万字です。
知らない。
知らない?
うん。
うそ?ごめん、なんか俺言い方が間違えたかもしれない。
ガキョウロウジン、万字だよ。
知らない。
そう。これ、あの、葛飾北斎です。
ああ、葛飾北斎ね。
そうそうそう。この人、あの、いろいろさ、画号ってペンネームみたいなのをさ、書いてるんだよね。生涯で30回ぐらい書いてるって言われてて。
うん。
この晩年のね、さっき言ったのが画号なんだよね。
あれ、葛飾北斎は本名ってことだよね?
あ、この北斎っていうのも、40歳頃から数十年使った画号なの。
ああ、そうなんだ。
そうそうそう。デビューの時はね、俊朗っていう名前、あの、画号だったり。
うん。
そうそう、いろいろ書いてるんだよね。
ああ、そうなんだ。
うん。こうやってさ、あの、長さ、有名になった医師が、自分の画号を捨ててさ、他に変えるっていうのは普通考えられないわけよ。
まあ、普通そうだよね。だって、無名からまたスタートするようなもんになるわけじゃん、変えちゃうと。
そうそう。ねえ、藤子藤代Aが藤子藤代Bになるみたいなもんじゃん。
いや、それはなんかわかるけどさ。あ、変えたのね、みたいな。
それはね、確かにね。いや、だから、それぐらい、まあ、実力も自信あったのかもしれないけど、
うん。
まあ、あとなんか、画号売ってお金を得てたっていうのも、なんか言われてたりするんだよね。
ああ、そうなんだ。
うん。まあ、あと彼自身ね、やっぱね、名声には興味がないんだよね。
うん。
で、ひたすら絵を追求したっていう人なんでね。
ああ。
そう。で、幸いさ、あの、頻繁にこう、画号を変えたことによってさ、
うん。
まあ、今日においてさ、出版順序を想像しやすくなったわけよ。
うん。
この時期の作品なんだなっていうのが、後から追えるわけよ。
ああ、なるほど。
そうそう。まあ、そういうメリットも実はあるんだけど。
うん。
で、この人って言ったら、やっぱ江戸時代後期の浮世絵師なんだよね。
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うん。
で、葛飾北斎のさ、絵でさ、思い浮かべるものってなんかある?長丸。
え?思い浮かべるもの?
うん。
富士山とか?
ああ、富士山で来たか。
うん。
まあ、富士山、まあ、これもそうだね。富岳三十六景のシリーズの中の一つだよね。
うん。
今日はね、あの、この富岳三十六景をね、メインにやっていこうかなと思って。
なるほど。
まあ、よかった。一つで。全然違うのやられたらどうしようかなと思って。
いや、なんかだって、そんなに俺知ってるわけじゃないから、多分もうあれだよ。
思いつくものなんてだいたい限られてたと思うよ。
本当に?
うん。
これさ、北斎がいくつの時の作品だと思う?
いや、全然知らない。
これね、七十過ぎの作品なのよ。
そんな晩年なんだ。
そうなんだよ。だから、逆に言えば大ヘッドしたのもそんな晩年ってことなんだよ。
あ、そうなんだ。へえ。
そうそう。今回ね、ちょっと富岳三十六景メインにするんで、老いたちはね、さらっとちょっと行くけど、
彼はね、5歳とか6歳の頃から、物の形に興味を持って絵を描き始めたんだよね。
で、14、5歳の時に彫刻家に弟子入りするの。
まあ、絵じゃないんだよね、これ意外にも。
で、19歳頃になって本格的に絵を始めるんだけど、
当時ね、歌舞伎役者の似顔絵とか、美人画で人気のあった勝川俊翔っていうところに入門するの。
で、彼はさ、江戸時代中期を代表する浮世絵師なんだけど、
ここにね、35歳頃まで北斎は属してて、
あ、ちょっと画号がいろいろ変わってるからもう北斎って言っちゃうけど、
この時北斎じゃないよとか思ってしているかもしれないけど、もう統一してやらないとちょっとこれやっていけないんで。
まあなんかね、名前がいろいろ出てきたらもう訳わかんなくなりそうだしね。
そうそうそう。
で、35歳頃まで属してた勝川派を抜けて、
リンパっていう州派に加わるの。
ここでね、強化っていう単価を集めた本とかの冊子絵を描いたりとか、
様々な新しいジャンルに挑戦していくんでね。
で、数年でこのリンパっていうところからもう独立して、
その後はね、どの竜派にも属さず自らの絵を追求していったっていうような人。
でね、55歳頃に弟子向けのね、手本を目的とした北斎漫画っていうのを出してるんだよね。
これなんか聞いたことある?
いや、ない。
あ、ないか。
これちなみにさ、北斎のロングセラーで結構人気のシリーズなんだよね。
漫画っていう題名が入ってるんだけど、
これね、おそらくね、日本で初めて題名として使ったって言われてる。
そうなんだ。
そういう時さ、漫画の意味ってさ、今と違って、
気の向くままそぞろに描いた絵っていう意味なんだよね。
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どういうことだ。
そぞろっていうのがさ、漫画のまんっていう漢字を当てるんだけど、
なんとなくっていうような意味なの。
だからまあ、気の向くままなんとなく描いたっていうような、
まあそういう彼らしいタイトルなんでね。
そっからだいぶ経って、70過ぎてからようやく富岳三十六計っていうのが出版されるの。
で、彼はさ、さっきも言ったけど、江戸時代後期の浮世絵師として有名なんだけど、
まずさ、浮世絵ってそもそもなんなのっていうちょっと漠然としてる概念で、
大人の人もちょっとライトに入ってほしいんで、
一応こっから説明するんだけど、浮世絵の浮世っていうのはさ、
それまで戦国時代はさ、戦乱が続いたこう辛い時代だったんだよね。
この頃と浮世って言い方するんでね。
で、その時代が終わった江戸時代ではさ、この世を浮かれて楽しもうっていう、浮世の浮きって漢字が浮くっていう漢字に変換されて、
今の浮世絵の浮世の字が当てられた。
で、そんな時代の日常を描いた絵画のことを、全般的に浮世絵って言うんだよね。
よくさ浮世絵って言うとさ、木版画のイメージを持つ人がいるんだけど、
これはね、必ずしも正しくなくて、浮世絵にはね、肉筆画と木版画って大きく分けて2つあんの。
で、肉筆画っていうのは、絵師が直接描いたこの世に1枚しかないものなんだよね。
だから、これは値段も高くてさ、庶民が手に入れて楽しむってことは難しい。
で、晩年の北斎が力を入れたのも実は肉筆画なんだよね。
で、富角三十六景にしてももう1つの木版画で描かれてるんだけど、
これはさ、絵師が描いた絵を彫り師がさ、木の板に彫って、そんで擦り師が擦って浮世絵を制作するんだけど、
当時さ、やっぱりコピー機なんてない時代だからさ、
こうやって大量生産することで、庶民でも安価に絵を手に入れることができたんでね。
そうそう。で、ちなみに最初の木版画っていうのは、墨1色だけだったんだけど、
技術が進んで、二色絵って言われるさ、いくつかのこう色を組み合わせてすることができるようになったの。
前ね、長丸と見に行ったよね、二色絵ね。
見に行ったね。
横浜んとかね。
そうそう。
色ごとにさ、木版を彫るんだけど、そこに色を重ねていくっていう感じなんだよね。
例えばさ、5色使いたかったら、5枚の木版がそれぞれ必要で、
これは青だけの木版で彫って、そんで青を当てて重ねるんだよね。
で、次は赤だけの木版を重ねるっていう具合にやっていくんだけど、
これがあの富岳三十六景もこの二色絵になるんだよね。
09:00
あー、そうなんだ。
そうそう。で、初期の浮世絵っていうのはさ、美人画と役者絵っていうのが人気があったの。
そこに風景を描いた名所絵っていうジャンルに火をつけたのも、
この葛飾北斎が描いた富岳三十六景なんだよね。
で、これ名所絵っていうのはさ、日本各地の名所の風景を描いた絵で、
江戸時代になってさ、庶民の中で旅行がブームとなってたんだよね。
これはさ、絵じゃないかの時もやったけどさ、伊勢参りの影響もあるんだよね。
で、お参りだったらさ、旅行手形が取りやすいっていうのがあって、
とは言ってもさ、今のようにインフラが整ってるわけでもないから、
庶民が気軽に旅行することは難しい時代だったんだよね。
だからさ、こうやって名所絵を見て思いを膨らませて、
今でいう旅行パンフレットみたいな役割でもあったわけ。
そこにさ、目をつけたのが、富岳三十六景の阪本っていうんだけど、
阪本ってオーナー兼プロデューサーみたいな立場なんだけど、
永住堂、西村屋、与八っていうのがあって、
ここが阪本なんだけども、浮世絵の木版画ってさ、この阪本がいて、
世の中のトレンドから何が売れるのかっていうのを考えて、
絵師や彫り師とかに要望を出して作らせて、
大価を払うっていうような関係性なんだよね。
その絵師に選ばれたのが、当時実力のあった葛飾北斎なんだよね。
で、富岳三十六景っていうのは、三十六の絵からなっているわけではなくて、
全部でね、四十六図あるの。
そうそう。もともとね、最初はね、三十六図の予定だったんだけども、
人気があって好評だったので、後から十図を追加して出版してるんでね。
ああ、そうなんだ。
そうそう。で、出版される前にね、阪本っていうのは広告を出すんだけど、
広告文がね、「その絵は富士の形のそのところによりて異なることを示す。」って出してるんだよね。
富岳三十六景の富岳っていうのは富士山のことで、
いろいろな場所から見た風景と、そこから見える富士山っていうのを描いてるの。
これ、なんで富士山なんだって思うかもしれないけど、
富士山っていうのはさ、そもそも古来からの信仰の対象でもあったんだよね。
特にさ、江戸時代っていうのはさ、富士公っていう信仰が民衆の間に広まっていて、
これはさ、富士山を崇拝してさ、拝むために集団で登ったりとかさ、
各地に富士山の神を祀った富士塚っていうのを作って参拝したりとかもしてたんだよね。
こんな風にさ、注目されていた富士山と旅行ブームを掛け合わせたのが富岳三十六景だ。
12:03
広告にはさ、藍づりであることをさ、強調してるんだけど、
この藍づりっていうのはさ、富岳三十六景の中でも最も注目されるところでもあるんだけど、
鮮やかな青、藍色が使われてるんだよね。
これね、北斎ブルーって言われるぐらいさ、この色が今でもね、世界中の人を魅了してるんだけども、
まさにこれがね、青の革命とも言われてるんだよね。
この色ってさ、18世紀の初めにプロイセン王国のベルリンの職人がいて、
赤い顔料を作ろうとしてたところに、偶然できてしまった人工顔料なの。
で、これね、西洋ではプルシアンブルーって言われたりするんだけど、
現在ね、日本ではベルリンの発音が詰まってベロアイって呼ばれてるの。
ベロにアイ色のアイでベロアイなんだけど、
それまでさ、日本ではさ、青の色を出すのに梅草とかさ、植物を使ったりしてたんだよね。
たださ、水や湿気に弱くてさ、扱いにくくて、変色しやすかったんだよね。
で、思うような青が出せなかったんだけど、そこに人工顔料のこのベロアイっていうのが登場するの。
で、当初はさ、これ結構高価なもので、ただ19世紀に入ってくると中国で大量生産がされて、
価格がね、大幅に下落してった。
で、日本の浮世絵にも使われるようになったっていう経緯がある。
だから当時のね、日本ではね、まだ珍しいこのベロアイをふんだんに使ったのが富岳三十六経で、
最後に出た十図以外の三十六図の輪郭線にもベロアイが使われてるんだよね。
でね、自分でちょっと今回図書館行ってさ、閲覧のみできる原寸大の富岳三十六経っていうのがあるの。
大判って言われるサイズなんだけど、縦がさ、26.5、横が39センチあるんだけど、
A4サイズよりちょっと大きなサイズで、それをさ、全部一つ一つちょっと見てたんだけど、
やっぱね、ものすごくベロってんだよね。
なんでベロってるんだって。
いや、なんかベロアイからちょっときつい。
言ってる意味がよくわからない。
いやでもほんとね、なんか単純にすごくベロベロしてて。
ベロベロ?
これさ、こうやってさ、ベロアイが使われたからこそさ、今でもこの北斎ブルーっていうのがさ、美術館とかで楽しむことができるんだけど、
これがさ、例えば梅草とかの植物から色を出してたらさ、今現在かなり変色が進んでるかもしれないんだよね。
あー、まあそうだよね。
で、ちょっと富岳三十六経の代表作だけ一部抜粋して紹介したいと思うんだけど、
まずちょっとさっき長間の中で出てこなかったんだけど、これが出てくるかなと思ったんだけど、
15:03
神奈川沖波浦っていう作品があって、
波だよね。でっかい波。
そう、でっかい波。
俺、波か富士山かなって思ったんだよね。
そうそう、波か富士山なんだよね。有名なのがね。
この神奈川沖波浦っていうのは海外ではグレートウェーブって呼ばれる、あの、最も人気のある作品なの。
あー、そうなんだ。
そうそう。これね、2017年の春にはニューヨークのオークションで現存するね、神奈川沖波浦が出展されて、
約1億円の値で売却されたんだよね。
へー。
浮世絵の値としては破格の値段で、江戸時代の時はさ、現在の価値で言うと約3,400円ぐらいで売られてたもので、
当時約8000枚ぐらい刷られたんだよ。
で、現在も約100枚ぐらい現存するって言われてるのにも、かかわらず、その1枚が1億円っていう値っていうね。
100枚残っててすごいね。なんか全然レアじゃないよね、100枚あったら。
まあ確かにね、考え方にもあるけどね、その100枚もさ、1枚1枚刷ってるから、多少その時の具合によって色合いも違ったりするんだよね、ちょっとだけね。
あー、なるほど。
そうそう。まあそういう見方もあるのかもしれないけど。
で、これちょっと神奈川沖ってタイトルなんだけど、神奈川沖っていうのはさ、現在の神奈川県の横浜市神奈川区神奈川本町付近から見た風景があって言われてるんだよね。
これ一応説明すると、大きな波が手前に描かれていて、この波が山のように高く競り上がって、巨大な波が今まさに崩れ落ちようとする一歩手前の瞬間を描いてるの。
で、その会場にはさ、押し送り船っていう船が3隻あるんだよね。
当時さ、冷凍技術が発展していないから、新鮮な魚を急いで運ぶ小型船なの、これは。
で、その船に乗ってる人は大自然の荒波にただ船にしがみついて身を任せてるっていう姿が描かれていて、
で、その後ろには雪をかぶった雄大な富士山があるっていう絵なんだよね。
この絵を自分が解説してもあれなんだけど、ちょっといろんな専門家が解説してるのをちょっと抜粋して、ポイントをちょっと説明したいと思うんだけど。
一つ目はさ、荒れ狂う波とさ、その後ろにどっしりとその場所にある富士山があるわけなんでね。
で、その胴と背を大胆に対比してる構図なんでね。
実際にさ、こんな巨大な波が発生するのかっていうのは分からないんだけども、
北斎はさ、実際の景色を忠実に描写するっていうことよりもさ、波と富士山っていうのを対比させる構図の面白さをとってるんだよね。
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これね、他の富岳三十六家の作品でも言えて、実際にね、そっちの方角に富士山ないよねっていうのも描いてたりとか、
本来はもっと富士山小さく見えるはず、でも実際大きく描いてたりとか、構図を優先してるんだよね。
で、二つ目はさ、これ一体どこから見てるんだ問題っていうのがあって、荒れ狂う波の裏側を覗き込むような構図で描かれてるんだよね。
まさにさ、これタイトルにある通り、神奈川沖波浦なんでね。
でもさ、実際に北斎自身が見て描いてるとしたら、本当にどこにいるんだっていう感じなんだけど。
まあ少なくとも陸にはいなそうな感じの絵だよね。
こんな状況で絵描けないだろうっていう状況なんだよね。
で、これはね、諸説あるんだけど、江戸時代の彫刻師がいて、たけし八郎信吉っていう彫刻家がいて、この人ね、波を掘る名人って言われてて、
その中にね、今でもあるんだけど、波に宝珠っていう作品があるんだけど、これとね、構図がね、かなり似てるんでね。
これをね、参考にしてるんじゃないかとも言われてるの。
このね、あのなんだろう、波の裏をさ、覗き込むような構図はさ、覗き画法って呼ばれて、その後ね、これ西洋に伝わって、ゴッホとかピカソにも影響を与えたって言われてる画法なんでね。
で、3つ目はさ、三割法っていうさ、三分割構図を用いてるの。
これはね、北斎が出版した北斎漫画にも書かれてるんだけど、画面をさ、横に大体三分割して、上3分の2を天、空として、下3分の1を地、地面としてるんでね。
他の作品でもさ、多くさ、これを取り入れてたりして、こんな風にさ、他にも西洋の遠近法とかを使ったりとか、かなりね、結構研究熱心なところが見られるんでね。
で、4つ目がさ、今にも崩れそうな波を描いてるって点なんだよね。
これさ、何千分の1秒のシャッタースピードで撮影したかのようなさ、波の瞬間なんだよね。
荒々しい波のさ、先端とかさ、飛び散る水しぶきの一粒一粒まで表現してるわけよ。
で、まるでそれがさ、富士山が後ろにあってさ、富士山に降る雪のようにも見える絶妙な構図なんだよね。
これ、でも肉眼で見てるとしたらすごいよね。
まあね。
これ、ほんとキャノンのさ、一眼レフでさえこんな光景撮るのは難しいなっていう感じなんだけど、
彼ってさ、以前から波に興味を持ってて、少なくとも30年前から波を描いた作品をこう出してるんだよね。
で、その1つにね、押し送り波濤通線の図っていうのがあって、
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これね、西洋画の表現技法を取り入れて、波の内側にぼかしを入れて陰影を強調してるの。
それで立体的に描いてるんだけど、だけど実際ね、ほとんど売れなかったの。
この絵はさ、富士山はないものの構図はさ、神奈川沖波浦とほぼ一緒で、大きな波とさ、小型船三隻も同じように描かれてるの。
なんか自分が見た感じだと、神奈川沖波浦と比べると、なんかね、荒々しさがないんだよね。
かわいい波っていうか。
こんな風にさ、彼は少なくとも30年前から波っていうものを追求してたっていうのがわかるんだよね。
で、このさ、神奈川沖波浦って、2024年からさ、新鮮演出の裏面になるんだよね。
あ、そうなんだ。
そうそうそう。で、次はね、さっき永間野が言った、外風改正って言われる作品なんだけど、これが富士山を大きく描いた作品で、
これ富岳三十六景の中でも代表的な作品の一つなんだよね。
これさ、大きな赤い富士が堂々とそびえ立ってるわけよ。
で、空は青く晴れ渡っていて、波状雲って雲が描かれていて、山のふもとには樹木がすごい細かく描かれてる。
これね、外風改正っていうタイトルなんだけど、外風っていうのがさ、初夏の季節に南から吹く穏やかなそよ風のことを言うんだよね。
で、この作品はさ、富士山のみをメインに描いてる作品で、こういうのはさ、富岳三十六景の中でも外風改正と、あともう一つ三河伯っていう作品の二つだけなんだよね。
他はね、手前にその地域で過ごす生き生きとした人の姿が描かれたりっていうのが多いんだけど、そういった意味で結構三十六景の中では独特なスタイルなんだよね。
で、外風改正のポイントなんだけどさ、これは色々ちょっと諸説もあるんだけど、通称赤富士って呼ばれる作品なんでね、これ。
富士山ってさ、大人の人も思い浮かべるとさ、白い雪を被ってるって印象があると思うんだけど、
なぜならさ、一年を通して富士山ってさ、夏の数ヶ月を除いては大体雪を被ってる状態が多くて、
それをあえてさ、赤い山肌を描いて富士山の違った一面を見せた作品なんだよね。
今さ、赤富士って言うとさ、夏の終わりから秋の初めに朝日を浴びて赤く輝く自然現象のことを赤富士って言うんだけど、
この現象を描いたっていうされる説もあるんだけど、この赤富士の現象ってさ、昭和に入ってから一般に広まったものなんだよね。
そう、だから当時北斎はどういうふうに思いで描いたのかっていうのはちょっとわかんないんだけども、
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もしかしたらこれは外風改正っていうのは、夏の富士山の赤ちゃけたこの地肌をただ描いた作品なんじゃないかって言われる見方もあるんだよね。
というのもさ、最初の方に刷られたとされる富士山の山肌っていうのは、そんなに赤が目立ってなくて淡い茶色だったんだよね。
それがね、後半になるにつれて濃い赤茶色になっているって言われてるんだよね。
中には富士山全体が藍色で刷られたものもあって、謎がある作品でもある。
2つ目はさ、どこから富士山を眺めたかっていうのがわからないんだよね。
富岳三十六家の作品ってさ、だいたいタイトルに地名が書かれてることが多いんだけど、この外風改正にはなくて、
例えば神奈川沖並浦とか、新州諏訪湖とか、深川万年橋下とかタイトルあるんだけど、
これらの作品も全部地域を特定できるものが多いんだけど、この作品には書かれてないっていう。
3つ目はさ、吹き下げぼかしっていう技法が使われてるの。
他にも使われてるんだけど、一番上の端に濃い青が描かれていて、下に行くにつれて淡い青になってるの。
そうそう、これね浮世絵でしばしば使われる技法で、これすり紙が絵の具の水分の量を調節してぼかしてるの。
結構高度な技術らしくて、いやなんか思うんだけどさ、これ絵紙はもちろんだけどさ、このすり紙にしてもさ、
彫る人もさ、すごい技術だよねって思って。
そうだよね。
そう、でもなんか結局注目されてるのは北斎でさ、こういった職人の人ももっとスポットライト浴びてもいいんじゃないかってちょっと思っちゃったんだけど。
まああれだよ、なんかアイドルグループとかと一緒じゃない?
まあそうだね。
曲はほらアイドルが作ってるわけじゃないじゃん。でもスポットライト浴びるのはあくまでも前面に出てるみたいなさ。
ああ、そういうことなのか。
うん、なんかそういうもんだと思うよ。
そうで富岳三十六家でさ、この解説した2つが特に注目されてるんだけど、他の作品もね結構いいんだよね。
なんかね当時の庶民の様子をこう生き生きと描いてるの他は、でその後ろに富士山がさりげなくあるみたいな、きれいな日本がそこにあったんだなって思ってきたらさ、いや本当なんか泣けてきちゃうよ。
今の日本は汚いからね。
本当きれいなんだよね。
彼っていうのはその後も絵を描き続けて、晩年には肉筆画にも力を入れて90歳の生涯を終えてるんだよね。
結構長生きしたよね。
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90だからね、当時のだからねしかも。
すごいと思う。
でこれ亡くなる数ヶ月前にね描いたとされる富士腰の竜図っていうあの絵があるんだけど、これもすごい迫力あって雪に覆われた富士山をね背景に竜巻のように黒い雲とともにね空へと高く登っていく竜が描かれてるんだけど、この竜は北斎自身なんじゃないかって言われたりもするんだよね。
でここでさちょっと言いたいのがさ、北斎の絵ってなんで今も世界中で人気があるのかっていうところで、さっきもちょっと触れたけど構図の面白さっていうのはあるんだよね。
彼はさ描く対象を見たままそのまま写し撮るっていうさ、写生はしないんだよね。
そっちの写生じゃないよ。
ちょっと待って。
それはねPEが入っちゃうかもしんないね。
ごめんごめん。
引こう、次引こう。
これあの自由にさ角度を変化させてさ、構図の面白さをさ優先させてんだよね。
そうそう。
っていうところもあって、あと2つ目はさ長生きして多くの作品を残したことなんだよね。
そうだね90だからねなんつったって。
そうそう約90歳ぐらいって言われてて、当時の平均寿命の約2倍生きてるんだよ。
その生涯で約3万点を超える作品を発表してる。
例えばさ同時代に活躍した浮世絵師の宇多川博之っていうのがいるんだけど、彼は62歳で亡くなってんの。
ちなみにね北斎も68歳の時に脳卒中になって倒れてるんでね。
ただ脅威の回復力でその後70代前半で富岳三十六家を完成させてんの。
だからもしさここでさ60代で亡くなってたらさ、そもそも富岳三十六家も生まれてなかったんだよね。
で晩年の肉筆画もすごい迫力がある作品が多くて、彼自身はね70代の時にねこう言ってるんだよね。
70歳までの私の絵は撮るに足らぬものばかりだ。
80歳には成長し90歳には奥義を極める。
100歳になれば神明の域に達するだろうって言ってるんだよね。
いやこれすごいよ70歳までの絵は撮るに足らぬものばかりだっつってんだよ。
すごいね。
すごいでも確かにね本当にそんな感じがするようなね晩年になってもすごい絵なんだよね。
で3つ目はさ彼ってさ画法とか新しい技術を積極的に取り入れてんの。
日本ってさ結構昔から中国の絵とかそういうの影響を受けてるんだけど、
もちろん中国の方からも学んで、彼はさ西洋画からも学んで積極的にこう取り入れてるんだよね。
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でそれを自己流の解釈で表現してるの。
だからさただの日本の古典的な絵じゃなくて、
彼が描いた絵っていうのはヨーロッパの人たちにもあのどこかこう馴染みのある絵でもあったんだよね。
そうだからこそ人気を得たんじゃないかって言われてる。
で最後はさあのちょっとさっきの3つ目にも関わってくるんだけど、
彼の絵は西洋に評価されたからっていうのがあるんだよね。
浮世絵ってさヨーロッパに渡ったことで突然こう価値が上がったわけで、
もちろんさ当時の日本でも北斎っていうのは人気があったんだけど、
それだけならさ今のような価値にはなってないはずなんだよね。
これはさ幕末期にさ来日した外国人によって多くの浮世絵が持ち替えられたんだよね。
それがさパリの印象派のさ画家たちを中心に人気が出たりとか、
有名なモネとかルノワール、ゴッホとかの画家に大きな影響を与えてるんだよね。
そうゴッホなんかさ500点ぐらいさ浮世絵を実際集めてたりって言われてるんだよね。
でこんな風にさなんで人気が出たのかっていうとさ、
神奈川沖縄村がさ最も人気をさ得てることからも、
それまで西洋の美術っていうのは波っていったさ自然だけがテーマになるような作品っていうのはほとんどなかったんだよね。
これは西洋の美術っていうのはさギリシアローマからスタートしてて、
宗教画をルーツとしてるの。
だからさ神を頂点として自然界は神が作ったっていう考えなんだよね。
だから作品も聖書や神話を題材にしたものが多いんだよね。
そこにさ北斎の波だけを描いた作品を目にして驚かされるわけよ。
日本ってそもそも多神教の世界観だからさ、
自然界は全て神が作ったっていう概念はなくて、
自然をテーマとする作品っていうのは珍しいことじゃないんだよね。
あとさ、さらにさ西洋の美術っていうのはさ、
見たままを美化することなくありのままに描くっていう写実主義っていう流れがあって、
そこからさ写真の出現もあってさ、
見たままの現実を見てる人の印象を加えて描く印象派っていう流れができたんだよね。
で、その時に北斎の絵っていうのは注目されるの。
なぜなら北斎っていうのはさ、ただ風景を描いてるだけじゃなくて、
独自の視点だったり構図を描いてるし、
さらに色とか形も自由に表現をしてるっていうのがあるんだよね。
で、結果さ幕末明治時代にかけてもさ、
多くの浮世絵が注目されて海外に流出してったんだよね。
で、北斎の絵を海外のコレクターが多く所蔵してるっていう現実もここにあるんだよね。
33:00
最近でも北斎展って海外で開催されるのは相当な人気で、
特に神奈川沖並浦ってさ、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザに匹敵するぐらい認知度を持ってるんだよね。
これってさ、西洋の価値観で日本の浮世絵が評価されてるっていう見方もあるんだよね。
少しちょっとそれるんだけどさ、今回北斎の若い頃の師匠だったさ、
勝川春生の絵もさ、図書館に行ってこう眺めてたんだけど、
彼ってさ、美人画が得意なんだよね。
でもさ、その美人画見ててさ、これ美人なのかっていうことをちょっと思っちゃって。
まあわかる。言わんとしてることはわかる。
これさ、美の価値がさ、江戸時代の日本とはさ、やっぱりだいぶ変わってきてるんだよね。
これってさ、西洋の価値なんじゃないかって思ってきちゃってさ、
いわゆるさ、見放たちがはっきりとしてとかさ、
そういうさ、長室のフィアンセもあのドクモだもんね。
え、なに?ドクモ?
あの全く違うね。
やめろやめろ。噛んじゃできねぇ、それ。
読者モデルでしょ、だって。
なんの?
いや、あのコロコロとか。
コロコロ。
さっきさ、西洋にさ、多くの浮世絵が流出したって言ったんだけど、
これさ、逆を言えばさ、日本の浮世絵をさ、守ってくれたっていう見方も見れるんだよね。
もしもの世界になるけどさ、明治維新によってさ、
新政府はさ、幕府の行ってきたさ、政策だったり文化を否定してったわけよ。
で、その中にさ、廃物希釈もあったよね。
寺院などを破壊したりとか。
で、もしかしたらさ、ヨーロッパが浮世絵の価値を認めてくれてなかったら、
今、現存する浮世絵の数っていうのは、今よりもかなり少なかったかもしれないって言われてるんだよね。
で、最後、葛飾北斎っていうのは90歳で老衰で亡くなるわけなんだけども、
この人がね、最後に言ったとされる言葉がさ、
天我れをして五年の命を賜めば、神聖の画工となるをうべし。って言ってんの。
もうあと5年長生きしてたら、本当の画工になることができたって言ってんだよね。
いやー、だからなんかすごいね。最後の最後までさ、絵を追求していく姿勢がね。
そうだね、90だからね、言っても。
そのさ、4年後にペリーが来航してるから、
もし彼が生きてればさ、激動の幕末をさ、どんな風に描くかっていうのを、
なんか見てみたかったなっていうのを感じました。
ペリーの絵とかも描いてくれそうだよね。
ね、すごい迫力あるような。
まあそんな感じで、今回いかがでしたでしょうか。
そうだね、まあその最後の美の価値観のところはおって思ったけど、
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確かにその昔さ、ほらいわゆるさ、一番わかりやすいので言うと平安美人みたいな価値観あるじゃん。
あるある。
のっぺりした感じの、今の美の感覚とは全く違うわけじゃん。
そうだよね。
なんかやっぱりその辺って西洋的価値観がさ、もう完全に根付いちゃってるのかなっていう気は、
まあそれ言われて、そういえばそうだよなって思ってさ。
でもなんかそれがさ、当たり前のようにもう受け入れてるもんね。
なんか、ああそういうもんなんだって。
で、変な話さ、完全にそれに飲まれちゃってる自分もいるわけじゃん。
そうそうそう。
だからさっき言ったさ、浮世絵に出てくるさ、たとえばその女性、美人画の女性がさ、
見たとしても別に美人じゃないよなみたいな感じに思っちゃう自分はいるわけじゃん。
これなんか人によってすげークレームきそうだけど。
だってでも事実じゃん。
まあ確かにね、全然違うよね価値観がね。
いやまあ今の価値観、だってそれこそさっきのさ、そのドクモみたいな言葉も出てきたけどさ、
じゃあドクモがあんな人いるかって言ったらいないわけじゃん。
いないわけ、アナウンサーもいないわけだよね。
そうそう、だから価値観は今そっちに行っちゃってるわけじゃん、美の価値観が。
まあ人がどう思うかはもう別としてね。
全体的なさ、美の価値観はそっちに置かれてるわけじゃん。
そうだね。
それはやっぱり西洋的価値観なのかなってちょっと今こう改めてね、おって思ったよね。
そう、ちょっとすごい着地地点に行ったんだけど。
まあ北斎自体はね、俺全然さ、美術師ってわかんないからさ、
今日小片郎がさ、説明してくれた神奈川何たら波浦と、
沖浪浦。
沖浪浦と赤い富士山しかわかんないからさ。
確かにね、大人の近代史でもね、こういう芸術とかなんかアートみたいな関連の初めて扱ったからね。
さすがなんかね、もう美術の魔術師と言われた小片郎であるよね。
いや、ど素人だよ。
でもほら言ってもさ、小片郎何でもできる人じゃん。
どっちかっていうとさ、その絵的な才能っていうか、写真好きじゃん。
いやいや、とは言ってもだよ。
いやいや、そういうなんかなんだろうな、ちょっとこうね、バランスよく才能を持ってるからさ、
その辺はすげえなって思う。
俺だったら絶対扱わねえもん、美術師とか。
ちょっと挑戦でもあったんだよね、今回は。
いや、すごいね。
まあね、うちらはあれだよね、前にね、その墨田北斎美術館行ったからね。
あの入口だけね。
受付でね、あの若い女性に、あの一人いくらですか?つって。
たっけ?
2000円って言われて。
ちょっと横で考えていいですか?つって。
何を横で考えるんだ、こいつらみたいな。
本当にさ、横でさ、あの受付見える位置でさ、2人で財布もさ、どうしようかなって相談してたんでね。
2000円だぜみたいな。
そこで決断したのがまさかの行かないっていう。
いや俺はあれは英談だと思ってる。
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いやこれも最後に聞いてなんか怒られそうだけどさ。
いやだって、俺さっきも言ったけど美術師って本当に分かんないんだもん。
で、分かんないままさ、葛飾北斎っていう名前だけで多分あそこに突っ込んだわけでしょ。
確かにそう思ったんでね。
まああと最初に音声撮れますかって言った時に、なんか音声っていうかまあ映像もダメだって言われて。
ね、まあそれが一番でかい。
あのだって、多分もう知らない絵を延々と見る羽目になってたわけだもん。
そう、なんかねある程度基礎をちょっとつけてからいかないと、俺多分ね、見てああーっつって過ぎてっちゃうだけなと思って。
そう、で多分知ってた絵だけ見て、あああれがあったーって終わっちゃう感じだよね。
うん、まあ見たら見たですごいのかもしれないけどね。
でも今はさ、俺ちょっと見たいなと思う本当に。
さすがだよ。
ちょっと調べてて、本物見たいなと思っちゃった。
まあ調べたんだったらな確かに、ああこれがなんだ画法なんだとかなんかねわかるわけだもんね。
ああ確かに。だって墨田北斎美術館ってあれ結構まだ最近2016年にオープンしたんだってよ。
まあ綺麗だったもんね。
うん、まあというわけで今回は葛飾北斎、まあその中でも富岳三十六景を中心に今回は取り扱ってみました。
はい。
もしよかったらあの今ねポッドキャストアワードっていうのがまた今年も始まったんですよね。
はい。
でこれでね、その中にリスナーズチョイスっていうのが実はあって、
リスナーが好きな番組を投票できるっていうのがあって、
ちょっと概要欄にねそのリンク先貼っておくので、もしね大人の近代史をいいなって思ってくれてる人はぜひね投票してくれたら、
初めてうちらが世の中に取り上げられる日も来るかもしれません。
まあそうだねちょっとそうなったらちょっと嬉しいよね。
そうちょっとこのね近代史っていう内容からしてこうどちらかといつも敬遠されちゃってるんだけど、
あのもしよかったら覗いてみてください。
はいお願いします。
はいそれでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
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