1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
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2022-11-22 27:58

第92回「大正政変」藩閥政治の終焉と大正デモクラシーの始まり

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大正時代初期に起きた政治を変革する民衆運動。それまでの民衆は政治に対して民意を主張することはほとんどできなかったが、
大正政変では軍部独裁・藩閥政治への嫌悪から民衆の力で内閣を倒すことができ、
その後の大正デモクラシーの流れを生み出した出来事となります。
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00:04
見せ物じゃねえ。始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
え、一言?ほんと一言じゃん。
これね、俺が小学5年生の時かな、クラスの前の子が、突然、三冠日の日に言ったんだよね。
え?どゆこと?
いや、俺、衝撃でさ、三冠日の時に大きな声でさ、見せ物じゃねえって言ったの。
何に対して?
いや、だからさ、その、たぶん三冠日っていう、なんかふわふわしたさ、あの、なんかふわふわ感あんじゃん。
それのなんか、たぶん葛藤なのかもしんないけど。
俺たちは見せ物じゃねえぞみたいな?
うーん、なのかな。
っていうのはさ、あの、これ思い出したのがさ、この前ね、ちょうど子供のさ、幼稚園の三冠日行ってきたのよ。
うん。
そしたらさ、あの、なんか、一つ一つ課題をこうグループでクリアしていくってやつなんだけど、
うん。
ここでさ、なんか、親の前で、まあ、3、4人とかグループ組んで、
うん。
歌を歌わなきゃいけないっていう課題があって、で、やっぱりね、嫌な子はほんと泣き出しちゃうわけよ。
うん。
で、うちの子もさ、案の定歌いたくないって言ってさ、
うん。
下向いてさ、ずーっとずーっと時間が過ぎてって、
うん。
その時にさ、この、見せ物じゃねーっていう言葉を思い出しちゃったんだよね。
まあね、やりたくもないことをやらされてるわけだからね。
うーん、ね、まあ、難しいけれどもね、3冠日がさ、悪いっていうわけじゃなくてさ、
うん。
なんか、やっぱ子供の時のさ、こういう、言い知れぬ葛藤ってあるよねっていうお話でした。
いやーねえ、小片郎もきっとそういうことがあるんだろうと。
いやいやいや、ちなみにこの大人の近代詞は見せ物なんで
まあ確かにね、これ見せ物じゃねえとか言ったらちょっとな、お前らアホなのかみたいなさ
確かに
まあということで今回は長丸がどんなチラ見せをしてくれるのか楽しみです
チラ見せ?
あ、それ尾形郎の趣味じゃん
やめろやめろ
なんかチラ見せ好きとか言ってたもんね
言うわけないだろ
えっと今日は対照政変やりたいと思います
対照政変?
ほんまに、なんか知らないんだそのワード
対照政変はもう読んで字の通りなんだけど
対照時代にね、民衆運動とかさ、その政党の運動で
まあ政変のせいって政治のせいね
政治が変わるってことなんだけど
政局がまあすごい大きく変化したから対照政変っていう言葉を使うんだよね
まあ今日はそんなところをやっていきたいっていう感じですと
はいはい
03:00
で、対照政変を語るにあたって大事なのはもうとにかくね時代背景なのよ
ああそうなんだ
そうだからちょっと時代背景を絡めつつもう喋っていっちゃうって感じにするんだけど
まず対照政変は対照のもう初期だからさ
まあ1913年とかなんだけど
時代はそれの約10年ぐらい前からちょっと話し始めるんだけど
当時政治ではいわゆる敬遠時代っていう呼ばれてたんだよね
敬遠ってあの
敬遠
漢字が酷いやつの敬遠
ん?これ人の名前だよ
あの桂太郎の桂と西音寺金持ちの縁
あ、そういう語呂合わせなんだ
そうそう敬遠時代
うん
で、もうさっき二人の名前言っちゃったけどさ
この桂太郎と西音寺金持ちが交互に首相にこうね変わる変わるついた時代が
まあ約10年ぐらいあったんだよ
あーはいはい
そうこれを敬遠時代って言って
で、この敬遠時代ってね
まあなかなかなんだろうな
いいか悪いかはまあちょっと置いといて
こう西音寺金持ちも桂太郎も政治家としては敵対してる
まあ敵同士なんだよ
要はもうライバル政党みたいな感じだからイメージとしては
なんか今の日本で言うとだから自民党となんかもう他の野党どこでもいいけどさみたいな
そんな感じの関係だからイメージとしては
そうここがだから手を結ぶってことは基本的にはなかったんだけれども
ただこの政敵同士がまあお互いちょっとこう妥協し合ってて
結果政治が安定してたんだよこの敬遠時代って
あーはいはい
だからさもう真っ向から全否定するわけじゃなくて
まあ妥協してこの辺はもう認めようみたいなそんな感じで
上手いことやってたんだよねとにかく
うんうん
でちなみに桂太郎はいわゆるあの山形有朋派なんだよ
はいはい
反抜政治もう諸反抜政治の人間なんだよね桂太郎っていうのはだから
うんうん
でちなみに桂太郎ってさ首相についてた在日数で言うと安倍さんに次ぐ第二位なんだよね
あそうなんだ
そうそう安倍さんが抜いちゃったからさあれなんだけどそれまでは一位だったわけよ
えーこの人が
そう桂太郎は在日数2886日で歴代2位なんだよ
えー
そうまあだからそんなちょっとすごいかすごくないかちょっと置いといて
まあそれだけこう歴代でも長いこうね首相をやった人なんだよね
はいはい
でまあ反抜政治だからさいわゆる朝鮮主義思想っていう思想の持ち主で
うん
簡単に言うとまあ議会がさ政府の政策にでっかい影響を与えてくるのを気に食わないっていうような考えなんだよ
はいはい
これって今で言うとおかしい話じゃん
うん
民主主義のさ国でさ議会がさなんか政府にこう口出ししたらさいやうるせえなこいつらみたいな感じでさ
思ってるような人たちなわけだから要は朝鮮主義って
うんうん
そうだからまあこれは当時のあの反抜政治が時代の流れで起きていたっていうかあった思想っていう感じなんだよね
06:01
反抜ってあの罰ってあれ財閥の罰のこと
あそうそう藩の罰ってことだから昔のさその藩とかの長州藩とか薩摩藩とかさっていう人たちをさ
そっちの藩そっか
そうそう
財閥に反対するものかと思ってた
何それ
そうそうだから長州族とかさ薩摩族みたいなのがいたわけじゃん
うんうん
で要はその流れを組む人たちまあで山形有友とかはさあの長州藩なわけじゃん
うんうん
まあだからその流れを組んでいる人たちなわけよ
はいはい
で桂太郎はそんな感じの人要は民主主義クソくらえにちょっと近い人なんだよねどっちかっていうと
うんうん
で反対に西音寺金持っていうのは立憲声優会っていう政党の当時そのトップだったわけよ
はいはい
で立憲声優会っていうのはあのこの伊藤博文系なわけよ
うん
でまあどっちかっていうとこうね国民からの声をこう拾い集めて何だろうだからいわゆる民主主義思想の政党っていう感じ
はいはい
そうだからイメージとしては昔から続くさこうね反罰政治の代表桂太郎と民主政治の代表西音寺金持がこう変わるガールに首相をやってったっていうような時代なんだよ
はいはいはい
でただねこれちょっと先に言っちゃうけど西音寺金持はあのなんか桂太郎にめちゃめちゃ利用されまくっちゃってた感じはすごいあるんだよね
はいはい
桂太郎が上手かったのか西音寺金持がまあちょっとねダメだったのかっていうのはちょっとわからないけど結果的になんかそういう見方をされちゃうというかそういうような時代なんだよね
はいはい
そうでちょっと疎角のところから始まるけれども第一次がまず桂太郎内閣から始まるのよ
うんうん
この前にあの総理大臣やってたのって伊藤博文なわけよ
はい
で伊藤博文はその政党さっき言ったけど立憲声優会側の人間じゃんだから政党政治側の人間なんだけど
まあそこがうまくいかなかったからやっぱり反罰政治だろっていうんで桂太郎に来るわけよ
うん
そうでこれが1901年なんだけど
うん
でまあそんなに別にこの内閣評判がいいわけじゃないんだけどさ途中で日露戦争が起きるんだよね
はいはい
1904年に
うん
でここで日露戦争の最中にさ例えばさライバルの立憲声優会とさこう争ってるとさうまくいかないじゃんなかなか
戦争でさこう国が一丸となってやってかなきゃいけないのにさしかもそんななんだ楽勝な戦争じゃないじゃんロシアとだし
はいはい
だからここでさっき言った打狂みたいなのをちょっとするんだよお互いが
うんうん
でしかもこれ密約もしてるのよ立憲声優会側と桂太郎と立憲声優会で
うんうん
日露戦争が落ち着くまではちょっと悪いけどうちらの言うこと聞いてくんないみたいな
はいはい
政権運営に協力してくれよっていうまあ代わりに日露戦争が終わって落ち着いたらうちらも解散するからみたいな
はいはい
解散して政権譲りますよみたいなもうすごい打狂の産物でしょこんなの今やったらさどんだけブイングくるんだっていうような密約をしてたわけよ
09:00
うんうん
まあ実際日露戦争はほら勝つじゃんまあ日本が一応
うん
でもさあの賠償金が取れなかったじゃん日本って
はいはい
だからそれでこう国民の不満っていうのはすごい高まってでやっぱりその当時内閣だった桂太郎内閣にこう矛先は向かうわけよ
うん
で例えば日比谷焼打事件とかそういうさ代表されるもうこう暴徒化したデモみたいなのが起きて
でただここは桂太郎内閣約束通り日露戦争が終わって戦後処理がある程度落ち着いたら辞めるっていう公約じゃない密約か密約通り辞めるんだよね
はいはい
でじゃあ西音寺金持よろしくみたいな感じで政権を譲るわけよ
うんうん
で第一次西音寺内閣が発足するわけこれが1906年
はいはい
だからこの時点で桂太郎もう5年やってんだよね
うんうん
長いんだよあの当時って1年とか2年でほんとコロコロ変わってたから首相っていうのが
はいはい
5年っていうのはまあ戦争があったとしても長期政権だったわけもうすでに
うんうん
で第一次西音寺内閣が1906年に発足してでたださ西音寺内閣っていうのはさ正当政治の内閣かと思いきや実は内情はそうでもないんだよ実は
はいはい
内閣ってさ例えばさ今さ内閣疎閣する時にさ大臣とかそういう人ってさ簡単に言うと身内をつけるでしょ
うんうん
まあそんなわざわざ性的をさ大臣につけないじゃん
うん
なんだけど西音寺内閣の大臣とかって結構その反罰政治側の人間要は桂太郎側の人間がすごいこう入り込んでたんだよね
うんうん
だから結局さ内部でこう意見がまとまんないのよ内閣で団結しなきゃいけないのに
はいはい
でなんかこうね戦後のさこう不況があったからさその不況をなんとかするために産業の振興とかにすごい力入れるんだけど
なかなかこうね戦後不況は強くて空回りしちゃって支持率もこうねあんまりこう得られないまま内部にもめっちゃ敵がいるわけじゃん
はい
だからもう追い込まれちゃって解散にされちゃうんだよね西音寺内閣は
うんうん
でそこでまた桂太郎がこう政権に就くわけよ
あーそうなんだ
そう経営時代だからこう変わる変わるだからで第二次桂太郎内閣がまあこれが1908年にまた訴覚されるわけよ
うんうん
でここではやっぱり財政再建頑張るんだけどまあやっぱりうまくいかないんだよね
うん
でこれさちょっと前に退却事件の話したじゃん
はいはい
ちょうどこの時代なんだけどそういうさ戦後の不況で貧困層が増えてたんだよとにかく
うん
で貧困層が増えるとさ要はさ不満が高まるわけじゃん今のその現状というかその国に対して
はいはい
だから必然的に社会主義思想っていうのがこう増えるのよ
うんうん
まあそれで退却事件にこう繋がってったっていう流れがあるんだけど
まあ詳しくはそこはねあの退却事件の放送を聞いていただければと思うんだけれども
はいはい
でこの桂太郎内閣第二次の桂太郎内閣っていうのはこの退却事件をさ起こして
12:04
片っ端からさこういう危険思想を持ってるやつだとか社会主義思想だっていうやつはもうとにかく引っ取られてったわけよ
うんうん
で退却事件の放送の時にも言ったけど
まあ実際罪を犯してるかどうかもわからないような人も捕まえてもう処刑にまでしちゃってたりするんだよね
ああそうなんだ
そうそうだからこぶる国民の評判は悪かったわけ
うん
またこの1910年退却事件も1910年だからね1910年に韓国併合も行ってるんだよ
はいはい
でこれはもう帝国主義政策の一環で行ってるんだけどもちろん
韓国併合って決してこう日本で喜ばれたような感じでもないんだよね
ああはいはい
めちゃめちゃ民衆の反発は大きかったのよ
そうなんだ
そうえ強引じゃねみたいな
ああはいはい
っていう感じで結構こう民衆の反発っていうのは意外と多かったんだよね
まあ退却事件ありの韓国併合ありのでさなんかさやり方がさちょっとえげつないって言えばいいの
うん
ちょっと強引だよねみたいなちょっとじゃないかだいぶ強引だよねっていう
でやっぱりさそういうちょっと独裁者気質があるじゃんそれって
うん
ほらしかも朝鮮主義だからさあの民衆の言うことなんか聞いてたら政治なんかできねえやっていう感じの考えなわけじゃん
うん
だからさ民衆の反発はとにかく大きくてもうここで第二次桂太郎内閣は総辞職に追い込まれるわけ反発が大きすぎたから
はいはい
で第二次蔡英文次金持内閣が1911年に発足されるわけよ
うん
でここまで聞いてさあのなんとなくわかると思うんだけどさ桂太郎内閣がさこう退く時っていうのは要は民衆の反発が強くて退くんだよね
うん
でこれ裏を返せばさ隠れ身のにしてんだよね蔡英文次金持を
あーはいはい
これはねなんかねハッとするんだけど蔡英文次金持内閣ってね疎獲してもまあこれ第二次も疎獲してさ全然うまくいかないんだけどさあの要は桂太郎に本当にいいようにやられちゃってるようなイメージが俺の中にはある本当に
うん
だからやべえもうこの支持率どうしようもない1回蔡英文次金持に投げようつってヒュッて逃げちゃうんだよね
はいはい
でさほら人ってさ2年とか1年とか2年とかすると忘れるじゃん
うん
で忘れた頃にまたこうヒュッて自分が出てくるみたいな
あーそうなんだ
そうそうだからここはね多分桂太郎が超うまかったんじゃないのかなってちょっと思うんだけどわかんない本当かどうかはわからないけどそうなんじゃないかなってちょっと思う
蔡英文次金持ってあれもう名前からしてすごい位の高い名前だよね
あーそうじゃない蔡英文次金持って桂だよ桂
桂出身か
で第二次の蔡英文次内閣が1911年に発足して
うん
ちょうど1911年ってさあの中国の秦がさ滅びた年なんだよね
はいはい
まああの辛外革命っていう革命でさ秦が滅びて中華民国っていう国がこう代わりにこう政権を取るというかまあ中華民国っていう国になるんだよ
うん
でここであの山形有朋がさ中国今ゴタゴタしてんじゃんっていう感じでで日本の影響力っていうのをこう中国に対してここチャンスじゃんって今どんどん中国に進出して日本の影響力を増やしたいっていう考えがあって
15:15
うんうん
で軍備の拡張したかったのねとにかく
うん
で上原勇作っていう当時の陸軍大臣がいるんだけどそれを言ってあの山形有朋がちょっとこれ陸軍の軍備拡張させようよっていう感じで言ってで上原勇作はあの言われた通りに蔡英文次金持内閣に陸軍の軍備拡張をお願いするわけ
はいはい
でこれいわゆる陸軍二個士団増長問題っていうんだけどちゃんと名前があるぐらいだから簡単に言うともうそのままなんだけど陸軍の二個士団を増やしてくれっていうことを上原勇作がお願いするんだ蔡英文次金持に
はいはい
でこれ一個士団って戦時中だとだいたい2万5千人ぐらいの兵隊になるからまあ5万人ぐらい兵隊増えるんだよね
うんうん
で5万人の兵隊をさ増やすってなるとさとにかくお金かかるじゃん
うん
まあその兵隊のご飯とかさそういうのもそうだし武器もそうだし
うん
すごいお金がかかるわけでさ戦後布教がずっと続いてるわけよ日本はだからさまずそこにお金を今かけたくないっていうのが蔡英文次金持内閣はあったわけよ
うん
どっちかっていうとこう民衆寄りの政党だからね蔡英文次金持は
あーあれだよ戦後布教っていうのは
日露戦争ね戦後布教ね
はいはい
でとにかくさお金がかかる軍隊を増強するっていうのはちょっと嫌だったっていうのとあとどっちかっていうと陸よりも海軍を増強したかったんだよね当時の日本は
はいはい
これは敵がさロシアからアメリカに変わったからなんだけど
うん
もうロシアは一旦勝って抑え込んだじゃん
はいはい
でもアメリカの脅威に気づいたんだよねその当時の日本っていうのはえ実はアメリカの方がやばくないって
うんうん
でアメリカと戦うのはもう海軍じゃん
うん
陸軍いらないとは言わないけどさ陸軍よりも海軍なんだよとにかく海軍力を高めないと今度はアメリカの脅威に晒されるぞっていうんで海軍を強化したかったのとにかく当時の日本は
はいはい
だから今どっちみち軍隊やるなら海軍だし陸軍にそんなお金使いたくないよっていうんで断るんだよ蔡英文次金持はこの上原勇作の申し出を
うんうん
でここで上原勇作がじゃあもういいよ俺陸軍大臣辞めるからつって辞めちゃうんだよで辞めてかつ陸軍からはもう公認の陸軍大臣出しませんって言うんだよ
うん
でこれ何が問題かっていうと当時やった軍部大臣現役武官制っていう制度があって
うん
あのこれもともと山形有朋が作ったんだけど
あそうなんだ
その時に作ったんだけど軍部大臣っていうのは現役の陸軍の大将とか中将から選ぶ必要があるっていうような制度なのよ
はいはい
でさ陸軍が公認の陸軍大臣を出さないって言ったってことはつまりもう現役の大臣選べないんだよ
18:04
うんうん
大臣がいないってことはもう内閣は訴覚ができない
はいはい
つまり強制終了
うん
っていう感じで蔡英文次金持内閣は訴覚できないから総辞職をしたっていう
はいはい
これやばいっしょ
だってさ軍隊がさこうしろってさそれに反対したらじゃあやめますって軍隊の言うこと聞かないんだったらやめますって言えちゃうわけだから
うんうん
で現に蔡英文次金持内閣は総辞職させられたからこれで
はいはい
そうだからこういう結構やばいものがあったんだよね当時
いやもう軍隊がね内閣のその解散権を握ってるようなもんだよね
そうそうだからこの上原勇作が辞めてもう次も出さないからつったからもう訴覚できなくて終わっちゃうんだよ
まあそういう感じで蔡英文次金持第二次の蔡英文次金持内閣も終わると
はい
でここでまた桂太郎内閣第三次桂太郎内閣が出てくるわけよ
ああそうなんだ
でもさこれおかしいじゃん普通に考えて国民がみんな思ったんだけど
えそんな感じでやめさせといてまた陸軍側の人間が来るのみたいな桂太郎ってあのそっち側の人間だから
はいはい
辞職に追い込んだ側のさ人間がさしれっと内閣訴覚しちゃうんだよ
そんななんか非道がまかり通っていいのかっていうまあもうそもそももうこれ軍部の独裁でしょってなって
うん
民衆がめちゃめちゃ反発すんのよ
でこれはさあの第二次の桂太郎内閣であったさあの例えばさ退役事件とかのさ民衆のさ怒りっていうのがまだ収まってないわけよ
全然1年2年の話だから
はいはい
だからまたこいつかみたいな感じになったわけよ民衆はまた桂かみたいな
うん
いい加減にしろみたいな感じで
桂太郎ってとにかくもう人気がなかったわけ
民衆から
そう民衆からの人気はとにかくなかったの
で反対に立憲政友会まあ要は西音寺金持側っていうのはどっちかっていうとこう民衆のための政治みたいな感じのところがあるから
立憲政友会の影響力っていうのはどんどんどんどんそれに反比例していく形で影響力が強くなっていったわけね
うん
だから桂太郎はちょっと立憲政友会危ないなってなって
その立憲政友会に対抗するために立憲同志会っていうね政党を立ち上げようとするんだよ
はいはい
でさもうこれがもう致命傷になるんだけどほぼほぼ立憲政友会と桂太郎がさうまくやれてたのはさ妥協があったからじゃん
うん
まあなんだかんだちょっとお互いナーナーでやってこうよっていうさこの慶遠時代のさなんだろうなシーソーゲームみたいなさ感じのところがあってさ
うん
でそれだからよかったのにさもう立憲同志会っていうものを立ち上げようとしたってことはもう立憲政友会とめちゃめちゃ戦う気満々じゃんみたいな
はいはい
対抗するために作ろうとしてるからねそもそも
うん
だからもうそういう今までの妥協っていうのがこう水の泡に行きして立憲政友会の尾崎幸男とかあの立憲国民党の犬貝強氏っていうのが
憲政擁護抜賊打破っていうスローガンを掲げて桂太郎内閣への反対運動っていうのを起こすんだよね
21:02
はいはい
でこれがいわゆる第一次五権運動って呼ばれてて
うん
まあもう桂太郎内閣の批判でも簡単に言っちゃうとこの第一次五権運動っていうのは
はいはい
ちゃんと憲法とか守れよみたいなでもう抜賊政治なんかもうゴリゴリだみたいな
うんうん
で内閣不信任案を提出しようとするんだよもうだから立憲政友会側とかがもうもうダメだこんな桂太郎内閣なんかダメだつって内閣不信任案提出ってやりそうになったから
桂太郎は議会をはいちょっと議会停止しますって言って何日間かこう停止することを宣言するのよ
はいはい
出せないようにするためにね
うん
で出せないようにしてその間にこう民衆を治めようとしたのよだからちょっとこう民衆の意見を取り入れますぜみたいな感じの姿勢を出そうとしたんだけど
もう全然もう治る気配がなくて
はい
民衆がもう冒頭化して国会をこう取り囲んでもうデモしちゃうような
うんうん
もう危険な状態だったわけ
立憲同志会を立ち上げようとしてたじゃんでそこにこう加わってた議員とかが国会取り囲まれてるからさ民衆に
うんうん
襲撃されちゃうんだよ入ろうとすると
はいはい
やばいでしょだからもう国会に投員できないんだよ
えー
っていうぐらいもう危険な状態になっちゃってこれはやばいぞとでしかもデモの一部は冒頭化して警察署とか交番をこう襲撃したり
あとは政府寄りのさ記事新聞社記事を出す新聞社とかをやっぱりこう襲撃したりっていう感じでとにかくもう冒頭にもなってきちゃって
社会的にこれはもう無理だってなってくるわけよ
はいはい
で桂太郎はそこで諦めて総辞職するわけ
あーそうなんだ
うんでこの第三次桂太郎内閣ってね60日ぐらいしかやってないんだよ
はいはい
だからそれだけ不人気だったってことだよ
うんうん
なった途端もこんなデモでさ今まで味方だった味方でもないけどさ立憲声優会からもさ憲政擁護罰則打破とか言われちゃうしさ
うんうん
っていう感じでここで桂太郎が総辞職したわけじゃん
はい
でこれ何がすごいの画期的なのかっていうとさ民衆の運動がさ内閣を潰せたんだよね
うんうん
これは今までなかったことなんだよ
あーそうなんだ
そう民衆の力っていうのがここまで強くなったんだよ要は
だってね百姓一揆とかはさ昔はあったけどさ別にさ百姓一揆をしたから政権が倒れるってこともないわけじゃん
うんうん
ただ民衆の運動で内閣を潰したっていうところが画期的というかもうなんかそこまで日本っていうのはこう民主主義の国になってったってことなんだよね
はいはい
でここまでの流れをいわゆるこの大正政変って呼ぶんだよ
あーそうなんだ
そうそうそうでもうまとめに入っちゃうんだけど
うん
ちなみにまとめに入る前にあの桂太郎ってこれで内閣総辞職するじゃん
はいはい
でこの後ね1年ぐらいでね死んじゃうんだよね亡くなっちゃう病気で
あーそうなんだ
そうで立憲同志会っていうこう政党さ立ち上げようとしてたんだけどそれは桂太郎が亡くなった2ヶ月後ぐらいかなに結党はされるんだけど
24:03
要は桂太郎としてはそういうものも立ち上げるところに立ち会えなかったっていうね最後はかわいそうというかさまあなんかそんな感じの人なんだよね
うん
で大正政変のまとめの方に入るけど
はい
大正政変のやっぱこう意義としてはさっきも言ったけどさ民衆の意見っていうのはさその反抜政治の人間とかがこう多く入り込んでるなんか政権内にね
なかなかさこう反映されにくかったんだよ時代としては
はいはい
でも民衆とかそういう政党の力が強くなって政治を大きく動かしたまあ要は内閣を辞めさせるぐらいまで強くなったっていうところでこの大正政変っていうのはすごい画期的な事件だったんですよっていうところと
あとはまあこれに乗じてさ民衆っていうのはさちょっとこう俺たち力ついたんだなってちょっとこう自覚してくるわけよ
はいはい
だからさ政府に対してどんどんこう民主主義的な政策っていうのを求めるようになってくわけね民衆側が
うん
だからこれがいわゆるあの大正デモクラシーって呼ばれる動きになるんだけれども
あーはいはい
この大正政変以降っていうのはこの大正デモクラシーって呼ばれる動きっていうのがこうどんどん活発になっていったっていうところでこの大正政変っていうのは結構その後続にまで影響を与えたっていう流れになるんだよね
はいはい
そうまあちなみにこの後あの山本権兵衛内閣になるからさ
うん
で山本権兵衛内閣はさ海軍側の人間だからさ陸軍のこう流れも一応切れるんだよねここで
はいはい
あかつら太郎ってのは陸軍の人なんだ
そうそう徴収罰だから
うん
そんな感じでまあ今日は大正政変というところで話したんだけど
そうだねなんか自分は大正政変って名前自体もあんま知らなかったから
うん
まあこういう時代があったんだっていうのと本当に不思議なものでさ変わる変わる本当にかつら内閣があって西音寺がちらっと出てきてさ
うん
いやまさになんかチラ見せだなって思って
そこに戻るんか
いやちょっと長丸そこをかけてんのかなと思っちゃったんだけど
いやいやでも西音寺内閣さあのチラ見せじゃないぐらい長いんだよ意外と
長いんだ
2年とかやってるからねうん2年ぐらいはやってるから1時も2時も
意外とまあなんだろうチラ見せにしちゃ長いよみたいな
そうなんだ
最後の勝良太郎内閣第3次はチラ見せぐらいだけど60日ぐらいだからね
確かに
うん
いやでもすごいねでもなんかそれでその後さでも結局さ
うん
あの226とかさ
うん
軍部がこう暴走するっていうことが起こってくるわけじゃん
うん
まあでもあれかそれも民衆は逆にそっち側に乗ってたのかな流れが
そうだね結果論みたいな感じになっちゃうけどさ結局民衆は戦争を望んでたっていうところはあるじゃん
まあ確かにね誘導されてた感もあるけど
そうなんか戦争をする軍部の方にさどんどんどんどんこう考えが寄ってっちゃったっていうかさ
27:00
うん
ねまあおかしなものでねなんかどこからそうなっちゃったんだろうっていうのをこう紐解いていくのも面白いかもね
ああ確かに
うん
いやーなんか本当に民主主義の国になったんだっていうのが少し感じられる出来事だったね
そうだからここぐらいまでは日本ねちょっと良かったんじゃないかなと思うけどやっぱこの後ね軍部にこう偏ってっちゃうのがどんどんどんどんねまあいい思いしちゃったからなんだろうけどね戦争でやっぱり
はいはい
っていうのはあると思う
うんまあということで今回は対照性編でした
はい
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はいよろしくお願いします
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました
ありがとうございました
27:58

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