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2019-01-30 15:00

#82 常に自分をアップデートし続けた最高にロックな男葛飾北斎を知る。新・北斎展

10回も録り直したけど、上手く伝えられない。。
とりあえず熱があるうちに音声を上げてみました。
間違いとか詰まるところがありますが、お許しください(^^;

後で、撮り直しor文章で詳しく紹介出来たらなと思います。
とにかくカッコいい日本が誇る浮世絵師「葛飾北斎」が知ることができる『新・北斎展』
https://hokusai2019.jp/
是非見に行ってみてください!
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どうも、再生してくれてありがとうございます。よざっちです。
さあ今日は、2019年1月25日金曜日ということで、前回のこのラジオの配信がおとといの23日の水曜日だったと思うんですけども、
その時ね、成人の日、1月の第2週の3連休は仕事だったけど、今日から3連休もらったよっていう話をしたと思うんですよ。
何しようかななんて話をしたと思うんですけど、まあ今日はその3連休の最終日ということで、明日から日常が帰ってくると。
もうちょっと休み欲しかったなと思わなくもないんですけど、この3日連続してお休みがもらえるっていうのはなかなかないことなので、
結構やりたくて、普段やりたいけど時間がなくてできなかったこととか、行ってみたかった場所とかっていうのも普段からちょっとメモしてるんで、
それを詰め詰めにスケジュールこなして、結構充実した3連休だったんですよ。
今日お話ししたいのはその3連休の中で行った新北斎展、葛飾北斎の展示ですよね。
今六本木ヒルズの森タワーのアートギャラリーで行われてるやつなんですけど、これがめちゃくちゃ良かったんですよ。
だからこれについてちょっとお話ししようかなと思うんですけど、その絵の展示っていうものをさ、この絵について。
例えばこの炭の濃淡を活かした女性の絵が艶っぽくてとか、いくら言葉をこちらが巧みに言ったとしても、
百聞は一見にしかずというか、絵に対してその展示に対して色々語っても多分、この俺が感じた魅力っていうのは伝わらないし、
なおさらこの辺に情報を入れることによってマイナスになっちゃうのかなと思ったりもしたので、今回はその新北斎展を見て感じた葛飾北斎のすごさっていうのについてお話しできたらなと思います。
はい、というわけで葛飾北斎。これパッと名前だけ聞くと浮かぶのが浮世絵の人なんだろうな。有名な社会の教科書とかでも見たことあるし。
思い浮かぶ有名なもの、代表作としたら波がザバーンとなっている中に奥に富士山が描かれている有名な富岳三十六景の神奈川沖波浦っていう作品だったりとか、富士山を真っ赤に描き上げた赤富士とかだと思うんですよ。
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ただ、それ以上のことを知っているかと聞かれると、たぶんそんなに知っている人はいないんじゃないかなと。よっぽど日本文化とか、それこそ浮世絵っていうのに造形が深い人でないとそんなに詳しく知らなくて、ふわっとしたイメージだと思うんですよ。
ただ、これで終わっているのは非常にもったいないと、新北斎展を見た後に俺は感じたんですよね。葛飾北斎の海外での評価っていうのはものすごくて、世界の美術の歴史を語る上でもレオナルド・ダ・ヴィンチとかさ、ああいった超一級の巨匠たちと並ぶぐらいの評価を受けている浮世絵師なんですよ。
海外でこれだけの評価を受けているのに、日本でいったさっき言ったような、昔の有名な浮世絵の人なんでしょっていうイメージだと思うんですよ。これはもう非常にもったいないと。
海外の人からしても、あれだけ評価されている人間が、その人間の要は住んでいた国ですよね。地元の国でこんなに過小評価されているっていうのが、いまいち理解できないらしいと。
その功績を知らないっていうのはもったいないってことで、いろんな新たな葛飾北斎像、葛飾北斎の作品っていうものに触れられるのが新北斎展なわけですよ。
葛飾北斎っていう男を語る上で、話す上で、一番最初に改めなきゃいけないのって、まずその名前なんですよね。
俺はこれ知らなかったんだけど、葛飾北斎っていう、これはペンネームなんですけど、この名前、88歳で亡くなったので、88年の生涯においてずっと名乗っていた名前かというと、そうではないんですよ。
この葛飾北斎っていう名前は、ほんと一時、名乗っていた名前で、実はその88年の生涯において、30以上の会語、ペンネームを変えるっていうことを葛飾北斎してるんですよね。
その都度その都度名前を変えていってるわけなんですよ。これ何がすごいかっていうと、今もそうだけど、例えば役者とか歌手とかって、名前を覚えてもらうのに必死じゃないですか。
名前が変わっちゃうと、また名前を変えて新しくデビューすると、どうしてもその前のイメージがついてたりするから、その変えた名前でまた覚えてもらうのって、アーティストとしては名前を変えるっていうのはデメリットの方が大きいわけですよ。
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にもかかわらず、葛飾北斎っていうのは名前をどんどん変えていって、この裏にあったのは、どんなに名前変わっても、このFで一本で世の中を渡っていく自信があったんだろうなっていうことを言われてるんですよね。
あとお金にも困ってたらしいんで、お金を苦眠するために弟子に自分の名前を売ったこともあるらしいんですよ。それぐらい合議というか破天荒というか。
名前を変え続けた裏にも売れた名前、ビッグネームの潜入感抜きにして、絵を純粋に見て、絵で勝負したいっていう思いもあったんだろうなっていうことも言われてて、本当に絵に生きたものすごい男なわけですよ。
この葛飾北斎、代表的なその名前、この新北斎展でも6つの時代に分けてるんですけど、最初は勝川俊朗っていう名前でデビューを果たして、その後は総理。30代から50代くらいの間に葛飾北斎とか北斎時政っていう名前を名乗ったりしたんですよね。
で、あの有名な富岳三十六計を描いた頃の名前はイイツっていう名前で、絵には判を押されたりとかされてるわけですよ。最後亡くなった時には、画狂老人万事という名前で絵を描いていたと。
絵に狂う老人万事と書いて、画狂老人万事なんて、相当その名前からも絵に対する思いっていうのは伝わってくるよね。これがすごいのが、そのペンネームを変えただけじゃなくて、それぞれの時代でやっぱ絵のタッチが違うのよ。
要は、その今までやってきた作風っていうのをガラッと変えて別のジャンルに挑戦していった。本当様々な作風にチャレンジしていったっていうのが、この葛飾北斎のすごいとこなんですよ。
だから今、例えばワンピースを描いている小田英一郎さんが、漫画やめたって言って、次は絵画に挑戦しますって言って、全く違うことをやって、それでも人気が出るみたいな。その前の小田英一郎っていうネームバリューを使わなくても、その新たなジャンルで、絵師として人気が出てきたみたいなことを、ずっと葛飾北斎はしてるんですよね。
で、仕事を選ばなかったっていうことでも有名らしくて、それは様々な作風にチャレンジすることにも繋がってくるんですけど、本当にいろんな仕事に取り組んでたんですよ。お金持ちの方から依頼される絵、個人の読み物みたいなのも依頼されることがあったらしいんですよね、人気の絵師には。
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そういう絵を描いたと思えば、お菓子の袋の差し絵なんかも描いたりして、本当にいろんな仕事に取り組んで、いろんな作風にチャレンジしていたと。浮世絵とか、昔の役者絵みたいな、パッとイメージする、江戸時代のヌボーンとした感じの顔の絵ばっかりかなと思った、そういうことでもなくて、西洋画とかも勉強してたらしいんですよね。
油絵とかも描いてみたり。今回の新北斎展であった作品の中にも、センスに生首を描いた絵があるんですけど、これが写真みたいにリアルなんですよ。陰影をつけた描き方。
だから本当にその当時としては、革新的な新しいことを常にやって、常にないかというのを探して描いていたので、もう名前を変えようが、本当にずっと人気だったらしいんですよね。その人気ぶりを表す1つのエピソードとしては、富岳三十六景。
タイトルにもあるとおり、三十六の景色で三十六景、三十六作品なんですけど、あまりに人気すぎて10作追加したらしいんですね、後から。実際に言えば富岳四十六景なんですよ。
あの風景が当時としては革新的だったらしくて、本当に構図とか描き方でずっと人の心を魅了し続けていたと。ただ自分の世間体というんですか、絵師としてこんな低俗なものは描かん、みたいなそういうことはなくて、
ただひたすらに、どんなものであれ絵を描くことに情熱を込め続けたのが、葛飾北斎っていう男なんですよ。本当にすごくて、とにかく時代を先取りしていたと。
今で言うダンスの教本みたいなものも描いてたりして、そのコマ割りとかも、今でこそ当たり前だけど当時からするとすごく新しい。漫画にさ、動きを表す線とか交換のエフェクトじゃないけど、そういう表現があるじゃないですか。
交換線というか、それをダンスの教本に取り入れたりしてるんですよ。江戸時代で。たぶんその当時そんなこと、だから線によってその動きを表現するみたいなっていうのをやったのもたぶんきっと当時が初だったんだろうなと。
本当にすごい、ずっと人々を魅了し続けてきた絵師なわけですよ。その50代の頃には全国に弟子が200人くらいいたらしいんですね。またここすごいのが、その一人一人に教えるのも大変だから本にしちゃおうと。
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自分の今まで培ってきたスキル、絵の描き方っていうのを本にして出版したんですよ。普通さ、師匠から弟子に与える、本当にどっか老舗のレストランの秘伝のレシピみたいなのを、もういいよこれみんな使ってっていう感じで配るようなものなんですよね。
だから本当にそういうのに、自分の絵を突き詰めて、それで後進の育成にも役立てたっていう本当にすごい人なんですけど、その葛飾北斎が88歳で亡くなるんですよ。
70歳くらいになってきて葛飾北斎が言ったのが、今までに描いたのは取るに足らない作品だと。これだけ人気で全国に弟子が200人くらいいる有名な絵師が70歳で今までに描いたものは全然ダメだと。
この年にあってようやく自然とか鳥とかっていう生きてる姿が分かってきたと。これからどんどん進歩していって、100歳になればきっと思い通りに描けるだろうと生きているようにっていうことを言ったんですけど、88歳で亡くなってしまうんですけど。
その時も、あと10年、あと5年あれば本物の絵師になれただろうと嘆いて亡くなっていったという、本当に死ぬ直前まで常に自分をアップデートし続けて、絵の真髄を追い求めたっていう、そういうのが葛飾北斎という男なんですよ。
その葛飾北斎の一生を、デビュー期の春老から最後の亡くなる直前の画鏡老人万事まで6つの時代に分けて、その当時の代表作だったり、その時取り組んでいたものっていうものを展示して教えてくれるのがこの新北斎展なんですよね。
ものすごい本当。たぶん普段浮世絵が興味ない人でも楽しめると思います。でも、絵に関わらずクリエイターの人とか、たぶんいろいろ感じるものがあるんじゃないですかね。本当にすごかったです。
ぜひね、音声ガイドっていうのはそこにあるので、その音声ガイドを聞くとより今話したような、その当時の葛飾北斎のエピソードだったりとか、時代背景っていうのを聞けて、その絵の展示、点と点が線に繋がって葛飾北斎の一生を追っているような、そんな感じを味わえるので、ぜひ新北斎展行ってみてください。
それでは最後までお聞き下さいましてありがとうございました。ヨザッチでした。それではまた。
15:00

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