1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #127「アラビア太郎」満州で築..
2023-08-29 38:16

#127「アラビア太郎」満州で築いた財を失いアラビアで石油を掘り当てた男

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本名は山下太郎。

満州太郎やアラビア太郎と呼ばれることもある。

彼は満州の事業で成功をおさめ、莫大な資産を築きあげたが、戦争に負けて資産は没収。

その後アラビアの石油を掘り当てた波乱の人生について話しています。

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サマリー

アラビア太郎は、満州の授業で成功を収め、莫大な資産を築いていますが、戦争に負けて資産を没収されてしまいました。しかし、彼はアラブの石油を掘り当てて再び成功を収め、クラーク博士の未知の世界を切り開く夢を体現しました。アラビア太郎は満州で資産を築いた後、太平洋戦争が始まりアメリカの経済力の差を感じ、満州の資産を売って政府へ献上しようと考えました。しかし、終戦になり資産は中国の元で受け取ることができず、諦めずに積極的に行動し、建設業で成功しましたが、日本本土では競争に勝ち残れないと考え、再び海外で石油掘削に目を向けました。満州で財を失い、アラビアで石油を掘り当てた山下太郎の物語です。アラビア太郎さんの存在について教えていただければと思います。ホリエモンが唯一触れているくらいで他ほとんど触れられていないのがこの山下太郎という人です。彼の主な業績はやはり満州なのですね。

アラビア太郎の成功と挫折
スピーカー 1
クラーク博士は言った、「青年よ、大志を抱け!」
始まりました。「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。なんかね、久々っていうわけじゃないけど、すげー有名な言葉来たね。
スピーカー 1
そうだね。よく聞くというかね。
今回のテーマの主人公でもある人と、直接関わりはないんだけど、間接的にね、その主人公が影響を受けてるんだよね。
スピーカー 2
クラークに?
スピーカー 1
そうそうそう。でもなんか、この言葉ってさ、偉くなって出世していこうっていうことじゃなくて、
本来の意味は、未知の世界を切り開いて、そこに理想の社会を築くんだっていうメッセージらしい。
スピーカー 2
なんか、すげー社会主義感が今漂ったけどね。
スピーカー 1
あ、そう。今回のね、そのテーマは、アラビア太郎です。
スピーカー 2
あ、なんかリクエスト来てたね。
スピーカー 1
そうそう。これリクエスト回でもあるんだよね。
スピーカー 2
あ、なるほど。
スピーカー 1
ていうか、長丸知ってる?
スピーカー 2
いや、あんまり詳しくは知らない。そういう人がいたんだぐらいにしか知らない。
スピーカー 1
そうだよね。なかなかあんまり知る機会ないもんね。
スピーカー 2
うん。たぶん、初見というかさ、って方も多いんじゃないの?初めて聞くな、その人みたいな。
スピーカー 1
そうそう。ぜひね、今日はちょっとこの方を覚えてもらえたら嬉しいなと思って。
スピーカー 2
あ、もう楽しみです。
スピーカー 1
はい。ということで、彼の本名はヤマシタ太郎って言うんだけど、アラビア太郎っていう言い方もされるんだけど、満州太郎って呼ばれ方もして、
この人、満州の授業で成功を収めて、莫大な資産を築いたこともあって、
で、たださ、戦争に負けて資産は没収されちゃって、その後、アラブの石油を掘り当てて、再び成功を収めたっていうので、有名な人なんでね。
アラビアでの再成功
スピーカー 1
そう。で、まさにさ、その先ほどのクラーク博士の中にあった、あの未知の世界を切り開くっていうことを、本当に体現した人でもある。
まあ、ただ、詳細はあんまり知らない人も多いんじゃないかと思って、今日はね、ちょっと扱いたいなと思います。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
あ、で、今回さ、ちょっと申し訳ないんだけど、話すさ、自分もオガ太郎だからさ、太郎ってたくさん出てくるから、大人の中で混乱しちゃうって人は、一旦そこで深呼吸してもらっていい?
いや、ちょっと言ってる意味がよく分からないな。
じゃあ、それでは、太郎の世界へとご案内いたします。
なんじゃそら。
この山下太郎は、1889年、秋田県に生まれるんだよね。
そう、ちょうど大日本帝国憲法が発布された年だね。
で、10歳ぐらいまでは秋田県の横手で育つんだよね。
で、その後、東京の慶應義塾に通って、さらにその後、札幌農学校へ進学してるんだよね。
札幌農学校はさ、現在の北海道大学の前身なんだけど、こんな経歴から見てもさ、結構なお金持ちなんだよね。
父親が田中平八っていう横浜で有名な実業家だった人に住み込みで、商売のコツを学んだんだよね。
で、そこで父親が独立して会社を立ち上げて富を得た人なんだよね。
そう、だから山下家っていうのは当時の一般の家庭よりは、あのだいぶ裕福な家庭であったんだよね。
山下家はね、あの、楠木正成の子孫らしいんだよね。
スピーカー 2
え、すごくない?
スピーカー 1
って本人が言ってるんだけど、
スピーカー 2
あー、確定じゃないの?
スピーカー 1
これちょっとね、詳しい詳細はわからないんだけど、一応ね、なんか山下家にはちゃんと経図もあって、
太郎はこれをね、結構誇りにしてたらしいんだよね。
スピーカー 2
えー、だって、楠木正成なんてさ、普通に電気とかになっちゃうぐらい有名。
電気じゃねえか、なんか歴史漫画とかのさ、主人公になれるぐらい有名な人じゃん。
ね、戦前とか英雄誌されてた分もあるしね。
うん、本当にそれが子孫だったらなんか、そういうDNAって関係すんじゃねえかってちょっと思っちゃうけどね。
スピーカー 1
あー、確かに。
で、あの話はね、ちょっと札幌の大学校に戻すんだけど、
この学校ではさ、冒頭で言ったクラーク博士をさ、アメリカから招いたことでも有名なんだよね。
うん。
で、クラーク博士がさ、いたのはほんの最初の8ヶ月間だけなんだけど、
うん。
それでもアメリカ式の農業だったり、当時の最新の教育を教わることができて、この学校っていうのはその後もそれを引き継いだんだよね。
クラーク博士からの影響
スピーカー 1
うん。
で、太郎はさ、直接クラーク博士に会ってないんだけど、その学校を通して影響を受けてるっていうような形なんだよね。
うん。
北海道はさ、その頃日露戦争後でさ、まだこう未開の土地が多くて、ここをさ、これからもっと開拓していこうっていうあの熱意を持った青年も多くこの札幌農学校に通ってたんだよね。
うん。
で、あの太郎自身はどうだったかっていうと、農芸家に属していて、あの農作業の技術を学んだりしてたんだけど、成績はね、そんなに良くなくて、
ビリで卒業したっていう説もあるぐらい、あのそんな熱心ではなかったらしいんだよね。
うん。
で、北海道時代の彼はね、学業とは別にね、趣味でね、城場を楽しんでたんだって。
うん。
で、城場にね、行く道である時ね、一人の少女とこうすれ違ったんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
彼はね、あのその少女に一目で恋をするんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、すれ違う時、その彼女のほのかな香水の匂いが忘れられずに、その日はなんと眠れなかったらしい。
スピーカー 2
なんか小ヶ太郎に似てるね。
スピーカー 1
似てないわ。
スピーカー 2
いや、似てない。
スピーカー 1
その後もさ、城場に通う途中の道で、その少女に会うわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そこで彼は、明日こそは必ず声をかけようって。
声をかけられないのは勇気がないからだって自分に言い聞かして、翌日、太郎はね、勇気を出して声をかけたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、彼女はさ、まあ驚いて顔を真っ赤にしてお辞儀をしてこう去ってったんだよね。
うん。
で、次の日、太郎はさらにその少女に手紙を渡してデートに誘ったんだよね。
うん。
そう、それで二人はこう付き合うようになったんだよね。
スピーカー 2
おー、なんかやっぱ小ヶ太郎だね。
スピーカー 1
俺そんな勇気ないよ、俺は。
スピーカー 2
いやいやいやいやいやいやいやいや、そこは否定するよ。
スピーカー 1
いやいや、ほんとに。
で、あの、ある日ね、太郎が暮らしてたこの札幌農学校の寮にね、彼女を呼んだんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただね、あの寮の規則で、女性はさ、来ちゃいけないっていうのがあったから、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
夜にね、太郎の部屋の窓の下にこっそり椅子を置いといて、
そこから彼女がね、登って、太郎がこう引っ張り上げて忍び込んでたらしいんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、それから二人は夜の乗馬を楽しんだとか。
スピーカー 2
結局そっちかよ。
スピーカー 1
ごめん、そう、でもこの椅子を置いて招いたって話は札幌農学校でも有名な話になって、
その後もね、結構語り継がれたらしいんだよね。
うん。
そうそうそう。
ここさ、ちょっと何であえて触れたかっていうとさ、結構、彼の開拓精神のこの第一歩としてもう重要なちょっと場面なんじゃないかなって個人的に思って。
スピーカー 2
まあ、おが太郎好きそうだもんね。
スピーカー 1
それはっていうか、こういうのなかなか知る機会ないから、ちょっと触れてみました。
スピーカー 2
いいんじゃない?
スピーカー 1
で、その後、札幌農学校を卒業した太郎は東京へ戻るんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ちなみにその時の彼女とはここでお別れしてるんだよね。
スピーカー 2
なんかおが太郎みたいに本当にひどいやつだな。
スピーカー 1
いやいや、これがね、彼女の方から、太郎は結構身分というか暮らしが裕福な家庭だから、自分とは釣り合わないというか身分が違うみたいな感じで、まあ別れたんだよね。
ああ。
そうそう。で、実家に帰ってきた太郎は、父からね、満州へ行くことを勧められたの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その当時さ、満州って土地は日露戦争後にロシアより譲渡された南満州鉄道の利権があったんだよね。
うん。
で、この鉄道経営のために、日本は南満州鉄道株式会社っていう通称満鉄っていうのを設立するんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、一般のこれさ、勤めの人の月給が30円とかそこらの時代で、満鉄はね、月給100円っていうね、交代金だったんだよ。
スピーカー 2
3倍か。
スピーカー 1
そうそう。だから父親は勧めたんだけど、太郎はさ、人に使われるのは性に合いませんって言って、譲渡を楽しんだとか。
あ、ごめん。
スピーカー 2
あ、どっちの?
スピーカー 1
譲渡はいいんだけど、断ったんだよね。
スピーカー 2
あ、譲渡関係ないの?
スピーカー 1
今、譲渡を忘れて。
スピーカー 2
あ、譲渡は北海道だけの話ね。
スピーカー 1
北海道だね、とりあえず。
うん。
って聞いてる俺は。
スピーカー 2
いや、いいよ。別に聞いてなくてもいいけどさ。
スピーカー 1
だからといって彼はさ、北海道に行ってさ、農地を開拓していくっていうような泥まみれになる仕事もなんか性に合わないって言って、この先じゃあ何しようかなっていうふうに考えたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この時彼は22歳なんだよね。
うん。
で、ふとね、北海道時代思い出して、体調を崩してた太郎に彼女がさ、鍋でお粥を作ってくれたことがあったんだよね。
うん。
で、するとさ、吹きこぼれた米の汁が鍋の周りにへばりついてたんだよね。
うん。
で、これがさ、乾いて薄紙のようになるんだけど、その性質を利用して何か新しい製品ができないかっていうふうに考えたんだよね。
うん。
そう、このね、薄い膜の欠点はさ、パリパリして破れやすいっていうところで、
うん。
で、これにさ、粘りを与えて破れないものにすれば、物を包むことができるんじゃないかっていうふうに考えたわけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ここだよね、なんか。ほら、長丸だったらさ、なんかその、彼女が作ってる鍋から汁がこぼれて膜が張ったら、ま、どうせろくなこと想像しないじゃん。
スピーカー 2
え、それ尾形炉だよね、確実に。
スピーカー 1
いや、なんで。そんなわけないじゃん。
スピーカー 2
いや、俺その、もうさ、なんか、ワードが、だってもう、選択がさ、誘導してるもん。
スピーカー 1
タロー。
スピーカー 2
え?いや、タロー自分でしょ。
スピーカー 1
そんなことはないんだけど、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
あの、続けると、
続けてくれ。
彼はさ、あの、それで研究を重ねて、いろいろなものをこう、混ぜて試したときに、こん逆に行き着いたんだよね。
スピーカー 2
ちょっと待って、それも?
スピーカー 1
いや、違うよ。ちょっと。
スピーカー 2
あ、これは違うの?
スピーカー 1
これはマジで、事実に基づいて喋ってるから。
スピーカー 2
いや、もうなんか全部疑しく思えてきちゃうよ。
スピーカー 1
違う違う。そんな番組じゃないんだよ。
スピーカー 2
いや、そんな番組でしょ。
スピーカー 1
で、あの、米の汁にさ、こんにゃくの粉を混ぜると、ま、こんにゃくの性質からさ、こう、破れにくくなったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これによって、あの、例えばさ、飴玉を包むと、飴玉同士がさ、こう、くっつかなくて済むんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、もともとさ、米の汁でできてるから、口に入れても悪くないっていうもので、
うん。
これさ、ま、今のオブラートっていうやつなんだよね。
あー。
オブラートって知ってるかな?
スピーカー 2
いや、知ってるでしょ。あの、なんなら俺らよりもさ、たぶん年齢高い人たちが結構この番組聞いてくれてるから、だいたい知ってるでしょ。
スピーカー 1
あ、そうだよね。
スピーカー 2
若い人知らないかもね。
スピーカー 1
逆に若い人っていうか、今、自分とかだと、その、子供がいるからさ、ちっちゃい時にさ、粉薬飲ませるのにさ、あの、嫌がるからさ、ゼリー状のオブラートって今売ってるんだよね。
スピーカー 2
えー、そうなんだ。
スピーカー 1
あ、そうそう。オブラートって書いてあるんだよ、箱にも。
スピーカー 2
え、なに、もうゼリーなわけ?
スピーカー 1
ゼリーになっちゃったんだけどね、今はね。
スピーカー 2
あー。
スピーカー 1
ま、なってないのも。
スピーカー 2
言葉だけ残ったんだろうね、じゃあ。
スピーカー 1
あ、このゼリー状のやつはね、そうそう。
で、薬をさ、そのゼリー状のオブラートに包むようにして、ま、飲むことができるっていうもので。
スピーカー 2
へー。
スピーカー 1
ただね、オブラートの発見って、ま、調べてもらえば分かると思うんだけど、山下太郎が初ではないんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、これオブラートに包んで言うと、当時、日本でもすでに。
スピーカー 2
まって。そこ突っ込んでいいのかな。
アラビア太郎の成功した満州時代
スピーカー 1
いやいや、ここはちょっと上手くできすぎちゃってる。
スピーカー 2
いやいや、包めてないから大丈夫だよ。
スピーカー 1
当時さ、あの、日本でもすでに似たような製法で特許が取られてたりしたんだよね。
うん。
で、もともと西洋でもあった、これ技術なんだよね。
うん。
それを、ま、太郎が改良したっていう見方の方が正しいかもしんない。
スピーカー 2
あー、もともとあったものをさらに良くしたっていう感じなんだね。
スピーカー 1
そうそうそう。ま、彼は知らなかったってとは言ってるけどね。
うん。
で、特許もすでにあるから、あの、取るのが難しかったんだけど、
製法がね、厳密に違うってこう言い通して、なんとかね、特許取ったんだよね。
うん。
で、山本オブラートっていう会社を立ち上げて。
うん。
ま、そんな時にね、仕事先の人の紹介で、小島印刷のね、お嬢さんを結婚相手に紹介されるんだよね。
うん。
で、この小島印刷っていうのはさ、日本で初めてブリキ印刷を行った会社で、
うん。
当時さ、あの、森永とかがさ、あのブリキ缶にお菓子とか入れて発売してたんだけど、
うん。
この缶をさ、一手に引き受けてたのがこの小島印刷で、
うん。
ま、相当な有料企業なんだよね。
うん。
で、そのお嬢さんのふみこさんと28歳の時に彼は結婚するの。
うん。
このね、人脈というか資本の援助も、その後のね、彼の成功にも繋がるんだけど、
うん。
彼自身のその山本オブラートっていう会社の業績は、割と順調で良好だったんだけど、
うん。
彼はさ、ただそこに満足せずに海外に目を向けるんだよね。
うん。
そう。で、ちょっと色々やってるんだけど、
うん。
あのロシアがさ、第一次世界大戦と、あのま、ロシア革命の混乱で物流が停滞してた時期があって、
うん。
で、売り先に困ってたロシアのね、缶詰製造会社がいて、
そこからね、あの直の4分の1で山下太郎が缶詰を買い上げて日本で売りさばいたりして利益を得たりとか、
うん。
あと他にもね、リューサンモニウムっていうあの化学肥料だね。
これはね、農家にとって欠かすことのできない肥料だったんだけど、
うん。
当時はさ、ドイツから輸入していて、
まあそれを第一次世界大戦によってドイツが輸出を禁止したから、日本に手に入らなくなったんだよね。
うん。
で、そこに目をつけた太郎が、他の国でも作ってるとこあるんじゃないかって探して、
アメリカでもね、手に入れることができるってことを知って、
買い目のね、2、3倍ぐらいで日本で売って利益を得てるんだよね。
うん。
そうそう、まあこんな風にね、彼はその、なんか大企業が気づかないというか、
躊躇するっていうような点をついて一気に突き進むっていうのが特徴なの。
うん。
彼自身も言ってんだけど、正気をつかむのは度胸だっていう風に言ってんの。
うん。
その後も続くんだけど、次にね、目を向けたのがお米で、
うん。
その頃さ、日本では米の値段が冒頭して、各地で米騒動が起こってたんだよね。
うん。
で、その根本の原因は国内の米の供給が不足してるってことなんだよね。
うん。
で、そこで中国産の米を大量に日本へ輸入しようと考えたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、中国の米でもさ、いくつか種類があって、その中でもね、高粗米に目をつけるんだよね。
うん。
高粗米はさ、日本の米によく似ていて、味もいいし、安いっていう特徴があって、
うん。
たださ、中国は国内の食糧不足を恐れて、その高粗米の輸出を禁止してたんだよね。
うん。
そう、だから結局ね、上海の総領事に太郎の計画は反対されて、上手くいかなかったんだよね。
太平洋戦争と満州資産の献上
スピーカー 1
うん。
そこで日本がダメなら、満州の満鉄に直接売ろうって風に考えたんだよね。
うん。
当時さ、満州はさ、中国の領土なんだけど、日露戦争後に実質日本の勢力範囲になってたから、
うん。
満鉄の社員はさ、その時朝鮮米を食べてて、そこに中国から安く仕入れた高粗米を売ろうっていう風に考えたんだよね。
うん。
これ結構ものすごいグレーゾーンを攻めてるんだけど、
うん。
正確にはさ、中国側からしたらこれダメなんだよね。
うん。
結局、満州の日本人へ米を売るっていうわけだから。
うん。
そう。で、これがね、うまくいって、満鉄とね、直接交渉して契約を結んでね、これ利益を得たんだよね。
うん。
だけど、長続きしなくて、ちょっと高粗米がね、満州の水に合わないっていうのもあって、
味の評判がそんなに良くなくて、満鉄側からね、契約を途中で解約したいっていう風に言われたんだよね。
うん。
で、普通だったら、まあ契約してる分は賠償金を請求するところを、タローは請求せずに、素直にね、契約解除を受け入れたんだよね。
うん。
これがね、なんか、満鉄から婚姻賞になって、その後のね、仕事に繋がるんだよね。
うん。
で、その頃さ、あと、満州っていうのは、ロシアのさ、南進を防ぐためっていう理由もあって、国策として、満州の経営に力を入れていく頃なんだよね。
うん。
そこでさ、満鉄はさらに拡大してって、満鉄社員がさ、暮らせる簡易住宅を大量に作る必要があったんだよね。
うん。
そう、まあ要は社宅なんだけど、このさ、社宅が約ね、450戸の依頼を最初にね、山下太郎にしたんだよね。
うん。
そう、まあこれはさっきの米の件での付き合いもあったからっていうのもあって。
うん。
これはさ、満鉄が買い取るわけじゃなくて、賃貸契約を要求されたんだよね。
うん。
それはさ、あの、日本からさ、満鉄の社員は一時的に満州へ来る人が大半だからっていう理由もあって、そのためさ、山下太郎が社宅の、まあ、矢主となってさ、満鉄が月々お金を払うっていう形の契約なんだ。
うん。
で、さらにさ、その後満州事変が起こってさ、日本が本格的に満州へ進出していくっていうところで、あの、満鉄もどんどん拡張していったんだよね。
うん。
で、何百戸単位で増設の注文が続いて、初めのうちはね、太郎以外にも別の会社も依頼されて、こう、住宅を作ってたんだけど、太郎のさ、作る住宅の方が、なんか質が良くて、信頼がこう、できていて、
すべてのね、社宅建設を、結局ね、山下太郎の会社へ依頼するようになっていったんだよね。
うん。
で、結果、10年間ほどで5万戸ほど作ったって言われるんだけど、莫大な収入をもたらしたんだよね。
うん。
当時はね、日本の資産家で、三井、三菱の次に数えられるのは、隅友っていうのが常識だったらしいんだけど、当時はね、山下太郎じゃないかって言われたぐらいの資産家になった。
ああ。
で、彼はさ、冒頭でも言ったけど、別名、満州太郎って呼ばれるんだけど、
うん。
これはね、満州での活躍がものすごかったからつけられたって思われがちなんだけど、
うん。
当時ね、あの、山下紀泉の社長の、山下太郎って同性同盟の人がいて、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
それとね、区別するために、満州太郎って呼ばれたんだよね。
スピーカー 2
ああ、名前が一緒な人がいたわけね。
スピーカー 1
そうそうそう。しかも、結構な大会社というか。
うん。
だから、彼はその後も本名ではなくて、いろいろな別名で呼ばれるっていうことが多いのは、まあそういう理由なんだよね。
うん。
で、話はね、ちょっと、1941年から太平洋戦争が始まっていくところに移るんだけど、
うん。
この戦争はさ、まあアメリカが有利に進んでいって、太郎はさ、このアメリカと日本の差は何だろうっていうふうに考えたんだよね。
うん。
で、それはさ、経済力だってことに行き着いたんだよね。
うん。
そう、だからさ、満州の住宅を全部売り払って、そのお金をさ、政府へ献上しようっていうふうに考えたらしいんだよね。
うん。
まあ正当な価格でさ、もし売れたとしたら、当時のお金で30億とか40億くらいにはなるんじゃないかっていう見立てだったんだけど、
うん。
そのお金でさ、新兵器の研究費などに当ててもらおうと、その戦争終盤に実際に行動したんだよね。
うん。
で、これはね、ちょっとね、一説には、ただ寄付を名目にして、自分の資産を確保しようとしたんじゃないかとも言われてるんで、ちょっといろいろ諸説あるんだよね。
うん。
で、結果ね、満州にある社宅等、まあ全部売って、戦時中もあってちょっと価格が下がっちゃったんだけど、
うん。
日本円にするなら、当時の価値で7億5000万くらいで売れた。
うん。
ただ、その代金の通貨はね、中国の元だったんだよね。
スピーカー 2
あー。
再び海外への挑戦
スピーカー 1
そうそう。で、だからそれをまずね、とりあえず朝鮮銀行預けたんだよね。
うん。
で、そんなところで終戦になっちゃったんだよね。
あー。
で、戦後ね、それを日本円に変えようと政府に駆け寄るんだけど、ダメで。
うん。
で、そのお金ね、1円もね、結局現金にすることはできなかったんだよね。
スピーカー 2
あー。じゃあ、もう本当にただただ寄付しちゃったようなもんなんだね。
スピーカー 1
そうそうそう。賃貸契約っていうのもあったからさ、家を建てた時にお金も全額もらってないんだよね。
あー。
っていうのもあるし、で、彼がさ、じゃあ実際に満州にあったその家とか全部合わせた資産はどのくらいかっていうのは、正確なところはちょっと分かってないんだけど、
うん。
今の価値にしたらね、1兆から2兆ぐらいあったんじゃないかって言われてる。
スピーカー 2
すげーな。
スピーカー 1
そうそうそうそう。たださ、まあその資産なくなっちゃったわけじゃん。
うん。
で、この時57歳なんだよね。
スピーカー 2
あー。なんかもう結構あれだね、歳が。
ね、結構。
晩年じゃないけど、うん。
スピーカー 1
普通だったらさ、もうここでさ、諦める人多いと思うんだけど、
スピーカー 2
まあそうだね、その歳になっちゃうともうさすがに新しいこととかってならなそうだよね。
スピーカー 1
そう、彼はね、泥臭くもね、諦めずにね、積極的に行動したんだよね。
うん。
まあ例えばもう、何でもいいからそのアメリカ軍のところに行って、
うん。
米軍の宿舎建設のためのフローリングの注文とかを取ってきたりとか、
うん。
積極的になんかちっちゃいことでも仕事をこう受けていったんでね。
うん。
戦後さ、日本はさ、復興するためにさ、建設事業がこう盛んに行われたんだけど、
うん。
その中でさ、太郎はさ、満州で車宅の建設の実績があるから、
うん。
八幡製鉄とかさ、東京ガスとか、そういったさ、大企業の車宅建設を引き受けて、
徐々にこれがね、注文が多くなっていくんだよね。
あー。
そうそう。で、会社の業績がこう伸びていったんだよね。
うん。
で、これでさ、満足でしょって普通ならちょっと思っちゃうんだけど、
スピーカー 2
まあそうだね。年齢ももうだいぶ年取ってるでしょ。
スピーカー 1
そう。彼はね、違うんでね。
満州の時はさ、例えばそのライバルがいなくて、満鉄にさ、直接指名されてさ、
ほぼ独占的にさ、その時は住宅を建設できたんだけど、
うん。
日本本土でさ、専門の建設業者っていうのはたくさんいるわけで、
うん。
この競争の中で勝ち残ることは結局できないんじゃないかっていうふうにも考えたし、
うん。
それとさ、結局さ、これだとさ、同じ日本人同士でお金をぐるぐるたらい回しにしてるだけだって考えたんだよね。
うん。
この思考がなんかすごいよねって思って。
スピーカー 2
まあ、なんか日本全体を考えてる感じがするね。
スピーカー 1
そうなんだよ。で、そこで彼はやっぱりまた海外目を向けるんだよね。
うん。
そこでね、目をつけたのが石油なんだよね。
うん。
山下太郎の石油ビジネス
スピーカー 1
彼がね、生まれたふるさとの秋田県っていうのは石油が採掘されることで有名な県でもあって、
うん。
ま、現在だとさ、廃止されてる油田も多いんだけど、
太郎はさ、子供の頃からさ、石油についてこう、いろいろ周りから聞かされる機会も多くて関心を持ってたんだよね。
うん。
で、日本ではさ、秋田とか新潟で石油が多少取れたんだけど、
うん。
それはさ、日本全体の必要量の1%にも満たない量で、
うん。
よく他は外国から輸入しなければならなかったんでね。
うん。
そしたらもう、自分で石油を掘らなきゃダメだっていうふうに思って、
うん。
彼は行動を移すんだよね。
うん。
でもさ、日本はさ、結局、資源が乏しいから石油があんまり出ない国じゃん。
うん。
だけどさ、ま、よくよく考えてみると、アメリカとかさ、イギリスにしても、
自分の国で採れる石油ばかり売ってるんじゃなくて、
中東諸国にさ、結構多く利権を持ってて、そこで採れる石油を売ってたりするんだよね。
うん。
そんな考えからスタートしたのが、あの山下太郎とマルゼントの合併でできた、
日本輸出石油株式会社っていうのを作ったんだよね。
うん。
ま、要はその、他から利権を取って石油を売ろうっていうふうに考えたんだよね。
アラビアでの石油掘削
スピーカー 2
おー。
スピーカー 1
そうそう。で、重役にはさ、有料な政界人とか財界人が多数並んで、
彼の人脈の太さというのが、そこでも分かるんだけど、
うん。
で、ある時、そのアラビアのね、石油に関心を持ったんだよね。
うんうん。
アラビアって言うとさ、サウジアラビアとか、その周辺国家を含めたアラビア半島のことを指すんだけども、
うん。
このね、アラビアに石油が出るようになったのって、イランやイラクに比べるとちょっと遅くて、
うん。
1924年にイギリス陸軍の将尉がたまたま石油層を発見したことが最初なんだよね。
うん。
でね、アラビアの人はね、当初ね、この石油の価値っていうのを知らなくて、
うん。
だからね、イギリスやアメリカなんかのその各国がね、その無知に乗じて、
ただのような値段で利権を買い取ったっていう、そんな背景があるんだよね。
おー。
タローはね、その石油のことで何かいい話がないかって調査をしている中で、ある情報を得るんだよね。
うん。
これがね、あのサウジアラビアとフランスのね、石油資本団との間で、アラブのある地区の利権交渉がまとまりかけつたんだよね。
うんうん。
ところがね、調印間際になってスウェズ戦争が起こったから、そのね、利権交渉がなくなっちゃったんだよね。
おー。
で、この戦争ってさ、まあそれまでの経緯もちょっといろいろあるんだけど、
うん。
当時はさ、イギリスがスウェズ運河を実行支配してたんだよね。
うん。
で、エジプト革命が起こって、ナセル大統領が1956年に、スウェズ運河はエジプトの国有化にするっていう宣言をしたんだよね。
うん。
で、これにまあイギリスとかフランスも反発して、スウェズ戦争が起こったっていう経緯があって、
うん。
だからさ、まあサウジアラビアは同じアラブ投資であるこのエジプトを支持したんだよね。
うん。
で、その手前、ちょっとフランスと取引をするってことができなくなっちゃったんだよね。
おー。
で、このタイミングで山下太郎を率いる石油会社が交渉する機会をね、サウジアラビア側から与えられた。
うん。
他にもね、これ理由があって、サウジアラビアはまあ今まで石油採掘権を各国に与えてたんだけど、
うん。
まあそれがさ、アメリカに偏りすぎてるっていう反省も自国であったんだよね。
うん。
そう、だからといってまあ共産主義国とは性格が合わないから日本にちょっと話が来たっていう経緯がある。
うん。
で、あの山下太郎っていうのはさ、満州の時代もあったし、その政界との人脈が昔からあったんだよね。
うん。
だからね、あの日本の代表に近い形でサウジアラビアとの交渉することになった。
で、その時ね、山下太郎はね、69歳なんだよ。
おー。
もう結構な年だよね。
スピーカー 2
まあそうだね、なんか本当に政治家って感じの年だね。
スピーカー 1
そうそう、普通だったらもう引退してもいい年なのにね。
うん。
で、サウジアラビアからこういくつかのね、場所をね掲示されて、どこがいいかっていう風に考えたわけ。
うん。
その中で有力だったのが石油銀座って言われるところで、すぐね南にはサファニア大油田があるところなんでね。
うん。
このね、周辺ではね石油が実際に出てるからほぼ出るだろうっていう石油が、っていうような場所だった。
うん。
ただね、ちょっとねここはサウジアラビアとクエートが半分ずつ利権を持っているっていう中立地帯の土地だった。
うん。
そう、だからサウジアラビアと交渉がまとまってもクエートの承諾がなければダメっていうところでもあったんでね。
おー。
そう、で、それとねその場所はね、海底で採掘がねちょっと難しい場所でもあった。
うん。
ただね、サウジアラビア側もさ、アメリカとかイギリスから過去にさ安く利権を奪われてきたっていう経緯があるから、
うん。
日本に対してね、強気のね金額を掲示してきてるんだよね。
うん。
そうそう。で、こんな風にね、決してねこれおいしい話だけっていうわけじゃなくて、その中の交渉っていうのはかなり難航して、何ヶ月にも及んだんだよね。
うん。
で、日本初の海外にさ大油田を築くために、タローはさ日本の資本家を説得してお金をこう用意して、結果ね交渉が何とかまとまったんだよね。
うん。
で、その後ねクエート側ともサウジアラビア側からも説得してくれたこともあって、交渉が成立する。
サウジアラビアとの交渉
スピーカー 1
うん。
ここにさ、まあ油田の面積が70万ヘクタールっていう、日本で言えばね岡山県とほぼ同じぐらいの広さなんだよね。
うん。
このね採掘していいよっていう権利を交渉が成立したんだよね。
うん。
で、このね開発資金だけでもね、さらに日本円でね3、400億円ぐらいはかかるんじゃないかっていう。
うん。
これさ石油が掘ってみて出なかったらもっとかかるから、結構なねリスクのある仕事なんでね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、海中にある油田を採掘する経験とか技術も日本には当時なかったから。
うん。
結局さ、まあアメリカの会社にこれを依頼するっていう、なんかなんだろうなっていうところもあったんだけど。
うん。
で、まずさ海底に石油が埋蔵されているかどうかって確認するためには物理炭鉱っていう方法があって。
うん。
海底にさダイナマイトを爆発させて人工地震起こすんだよね。
うん。
で、その波動を船の上で捉えて地中の構造を調べるっていう方法で。
うん。
これでねあの石油が実際に出そうな地層かっていうのを確認するんだよね。
うん。
これだけでもね5、6億円とかかかるらしいんだよね。
ああ。
そう。でね、それでねわずか数日でねこの調査をして穴の中からね猛烈な勢いで土砂混じりのね水とガスが吹き出してきたんだって。
うん。
火災が起こって10日間も火災が沈下されなかったんだよね。
うん。
ただこれは結構そこにさ石油があるっていう証拠でもあって。
うん。
で、その後長いパイプみたいなものをさ地中深くまでこう掘削していくんだけど。
うん。
これで1本ね掘るのにね10億円ぐらいかかるんだって大体。
うん。
で、なんとねその1本目からね石油が出たんだよね。
スピーカー 2
おお、すごいね。
スピーカー 1
そうそう。結構これ珍しいというか何本も刺しても出ないところもあったりするから。
うん。
で、次々にねその後も石油が確認されて1960年にカフジ油田っていうのと1963年にフート油田っていうあの大規模な油田を発見してるんだよね。
うん。
で、このねアラビアの石油は日本の石油の消費量のね最大でもその5%に相当する量を日本に持ち込んで結構その当時大きな成果を出したんだよね。
うん。
ただ今これちょっと現在で見るとサウジアラビアとクエイトの立憲協定の更新の交渉が成立しなくて2008年にはねこの事業から撤退してるんだよね。
スピーカー 2
おお。
スピーカー 1
っていうのを調べてもう今やってないんだと思って。
スピーカー 2
まあなんか残念な気がするね。
スピーカー 1
そうそうそう。
こんな風にちょっと彼の話をちょっと今日したんだけど。
うん。
なんかさやっぱさ彼ってさ常にこうアンテナを張っててさ決断したらまあそのまま突き進むっていうまあ行動力がとにかくすごいんだよね。
うんうん。
でそれとさ言ったけどさ日本同士でこうお金をぐるぐるたらい回ししてるだけだっていうこの発言がさ世界を見据えてるというかさ結局さこの世界の競争に勝手がないと日本はこう衰退するだけっていう。
そこをさもう何とかもがきながら最後の石油にしても結果はさ全体の消費量のたった数%だったかもしれないけどさ。
それでもさ日本にとってこれは大きな一歩だったことは間違いないんだよね。
でそれはさやっぱり札幌の学校時代にさ一目惚れしたあの子に明日こそは声をかけたいいやかけるんだって勇気を出したその一歩が大事だってこと私は感じました。
スピーカー 2
そこに持ってきたいんかよ話を。
スピーカー 1
いやちょっとそんなまとめ方になっちゃったんだけどいかがですかね。
スピーカー 2
いややっぱりさ太郎つながりで俺小ヶ太郎と似てんなってちょっと思ったよね。
スピーカー 1
全く似てないよ俺本当にさこの最後の部分からしてもうダメだったね。
いやいいってどういうこと?
いや俺は明日声をかけるんだって言ってかけられなかった人生だから。
スピーカー 2
えー違うでしょかけて成功してる人生じゃん。
スピーカー 1
してないよてかおれじゃなくてアラビア太郎の話しなきゃ。
スピーカー 2
確かに小ヶ太郎の話ではなくアラビア太郎の話をするとしたら。
そうだねやっぱりさ日本って石油はほぼ取れないわけじゃん。
だからやっぱそこにさビジネスチャンスっていうところももちろん見出していったんだろうけど単純に日本の未来を考えた時にさ
もしなんかあった時にさ確保できないっていうのは結構致命的なわけでそれで結局二次大戦にも突入していったわけだしさ。
だからやっぱり日本の生命線にもなるっていうところもやっぱり理解した上でね。
だって言うならばその採掘の話出てたけどすごい博打じゃん。
すごいお金かけてさマジでゼロかもしれないわけじゃん。
スピーカー 1
そうなんだよ。
スピーカー 2
でもやっぱそういうところをさもうなんだろう多分自分が儲けようっていう感じじゃないわけじゃんもはやもうだって儲かってたわけだし。
スピーカー 1
そうそうしかももうだから70とかそんぐらいの年だからね。
スピーカー 2
だから本当になんだろうね私利私欲じゃないんだよね。
だからやっぱりそこがすげーなっておが太郎と違うのはそこかなって思ったね。
スピーカー 1
いやなんかそういうところがあるんだよね本当に無償のさなんか愛というかその周りに対してもね結構毎年誕生日とか欠かさずなんかプレゼントしたりとか色々結構細かいところは今回触れなかったんだけど彼らしいねそのなんかあるんだよね。
スピーカー 2
なんかこう人柄的にそういうなんだろうね周りに好かれるというかさそういうタイプだったのかな。
スピーカー 1
そうそうそう厳しい面もね反面あったんだけどね。
まあちょっと今回はアラビア太郎についてでした。
スピーカー 2
と小ヶ太郎についてでした。
スピーカー 1
ちょっとあの最後にこれねリクエストをくれた方ちょっとコメント読みたいと思うんだけど。
はい。
いつも楽しく聞かせていただいています。
お二人はアラビア太郎について何かご存知でしょうか。
youtubeにてホリエモンさんがこの方について触れてました。
アジアだけでなく近東で活躍した日本人がいたことにびっくりです。
山下太郎の業績と知名度
スピーカー 1
ぜひお二人の解説でこのアラビア太郎さんの存在について教えていただければと思いますっていただきました。
スピーカー 2
ありがとうございます。
スピーカー 1
この方がくれなかったらたぶんやらなかったテーマでもあったし。
ここでも言ってるけどyoutubeでホリエモンがその1年前ぐらいに触れたんだよねこれ。
でね俺ちょっとネットとかね色々探したんだけど唯一ホリエモンが触れてるぐらいで他ねマジであんまり触れられてないのこの山下太郎って人。
本もさ今回なかなかなくてさ直木書作家の杉森久秀さんが書いた1冊本があるぐらいなんだよまともにあんのは。
これだけの結果残してるのにもさ世の中に知られてないっていうのがさっていうのをなんか考えるとさこれやっぱ彼のメインの業績ってやっぱ満州なんだよね。
そのさ満州って日本が侵略したっていう部分があるからさなんかそれを今の日本で評価するっていうのが難しいっていう側面もあるんじゃないかなってちょっと思っちゃったんだけど。
スピーカー 2
うーんまあそうだねなんか結局都合の悪いって言い方は変なんだけどさ多分都合の悪いものはもう蓋をしとけっていう感じなんだろうね。
スピーカー 1
そうそうそうだってあの長丸すってさそんなに知らなかったでしょ。
スピーカー 2
知らないほとんど知らない存在を知ってたぐらいだねそんな名前聞いたことあるよみたいな本当にそのレベル。
スピーカー 1
いやーでほんとこんな機会を与えてくれて博多さんにありがたいっす。
スピーカー 2
もう本当ありがとうございます無知な我々にちょっとねこうきっかけを与えてくれたわけなんで。
スピーカー 1
そうそうでこれおそらく音声事情初だと思うんだよ山下太郎取り上げたの。
まあということであの最後に最近この音声のAIで書き起こしてくれるってサービスがねリッスンっていうサービスがあって
それねうちらもちょっと登録して始めたんで全部の今までの回のが文字化されて一覧で見れたり要約したバージョンとかもあるんで
ぜひねちょっとリンクを貼っておくんで概要欄から見てみてください。
スピーカー 2
精度はそれなりです。
スピーカー 1
そうそうちょっとずつねなんか改良して良くなってるっぽい。
スピーカー 2
でもわかるもんね読めば。
スピーカー 1
そうそうそうまあなんでぜひちょっと覗いてみてください。
スピーカー 2
はいぜひ宜しくお願いします。
スピーカー 1
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
38:16

コメント

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