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正しく、強く、しとやかに。
始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんか、一言っていうよりも、何ですかね、それ。
これね、「万世開花」っていう映画知ってる?
いや、わかんない。
台湾の映画で、その中であった言葉。
2015年製作の、台湾で大ヒットした映画みたいで。
ちょっとこれ見たんだけど、万世開花って、万世ってね、
例えば日本人の人で、台湾で生まれ育った2世の人を、万世っていう言い方するんだよね。
その万世の人が、もう一度台湾を訪れて、当時の人と触れ合うっていうのは、もうドキュメンタリー映画なんだよね。
で、その、なんか一人の女性が台湾の女子校に通ってたんだけど、
そこのね、石碑にね、このさっき言った言葉が書いてあって、それをね、なぞりながら喋るシーンが印象的だったなと思って。
うーん、その映画って、どういう感じの映画になるの?最終的に。
なんか、ジャンルっていうか。
ドキュメンタリー。
じゃあ、フォーカスして、ずっと追い続けてるみたいな感じなの?
何人か一人じゃなくて、追い続けてるというか、今もう80とか80前後の人たちなわけじゃん。
日本の統治時代にいた人たちだから。
日本で暮らしてるんだけど、今は台湾に、多分映画で撮るから行ったんだと思うんだよね。
当時の懐かしい人たちに会ったり、会えなかったりとか、そういうのを描いて、ちょっとまとめてるような作品。
うーん、万世界かね。
そう、これちょっとね、俺思ったのが、アマゾンプライムでもね、ネットフリックスでもこれ見ることできないのよ。
こんな見にくくなってんだろうと思って、アジアンドキュメンタリーズっていうところでしか今唯一見れなくて。
なんでちょっと、今日はね、日本が台湾統治していた時代っていうのをやりたいんで、これもね、見てたんだよね。
そんな感じです。
ちょっと待って、テーマは何?
日本の台湾の統治時代のお話をしたいなと思います、今日は。
なるほどですね。よろしくお願いします。
はい、じゃあ早速、沖縄県の世奈国島って西の端にあるけど、この世奈国島と台湾って近くて距離は100キロぐらいのところにあるんだよね。
大きさは日本の九州ほどの島で、現在台湾では約2300万人が暮らしてる。
ちょっとコロナ前のデータの方がいいかと思って、2019年のデータで、日本から台湾へ訪れた人の数っていうのは約200万人、1年間で。
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台湾から逆に500万人近くの人が来てるんだよね。そんな間柄というかね。
近いもんね。日本って島国だからさ、隣って言ってもさ、結構遠くなっちゃうけど、一番行きやすい国って言うと韓国が多分思い当たるけれども、その次って言うと多分台湾とかになるんじゃないかな、やっぱり。
そうだね。これさ、台湾の特徴としては、南国ならではの温暖な気候なんだよね。
国土の3分の2を山地が占めてるっていうのがちょっと特徴的で、標高3000メートルを超える山が164つもあるんだって。
そんなあるんだね。結構だよね、3000メートル級って。だから富士山みたいなのが160個ぐらいバーンってあるわけだもんね、要は。
だからでも一番高いのはさ、玉山っていう、日本の統治時代は新高山って呼ばれてたけど、ここが標高3952メートルあるから、次にね、雪山っていう山があって、これもね、標高3886メートルって言って、やっぱもう富士山より高い山があるんだよね。
で、日本はさ、この台湾を第二次世界大戦が終わるまでの約50年間統治をしていたんだよね。
で、今日はそんな時代の話をするんだけども、その前にね、その前の台湾の歴史っていうのをちょっと軽く話したいなって思います。
それでは少し歴史の針を戻してみます。
センダーベンのみ、センダーベンのみ。
ごめん、ちょっとそれ何?
ごめん、ちょっと雰囲気出すために。
え?何の雰囲気だよ。
これはちょっと台湾の人はわかるから大丈夫。
台湾の人聞いてるかな、これ。
これ結構聞いてるんだよ、台湾の人も。
え、そうなんだ。へえ。
そうそう。で、もともと台湾っていうのは先住民族がいて、
彼らはオーストロネシア語族っていう風に分類されるんだよね。
で、文字を持たずそのため記録された歴史っていうのはほとんどないんだよね。
彼らは狩猟とか旗作なんかをして生活をしてた。
でね、一つの部族だけでなく多くの部族がこれ存在してたんだよね。
ルイラン族とかタオカス、ホアニア、シラヤ、サオ、クバラン族とか他にもたくさんいて、
各部族っていうのは互いに支配権を求めて争いもしてたんだよね。
15世紀末から17世紀頃になると、ヨーロッパでは大航海時代になるんだけども、
そこでオランダが台湾に目をつけるんだよね。
中国と日本の間の中継貿易を行うためにこの台湾という場所に目をつけたんだよね。
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台湾の南部の台南付近にゼーランディア城とプロンビジャ城っていう2つの要塞を構築するの。
ここを拠点としてオランダは支配を強めるんだけども、
その後スペインが少し遅れて台湾にやってきて、
西北部の港和平島ってところにサンバドル城っていうのを建設する。
やがてオランダに追われて台湾をスペインは去ることになるんだよね。
この時、台湾には西洋の築いたお城の面影が今でも残ってたりするんだよね。
しばらくこのオランダが台湾を統治するんだけど、これは台湾全土を統治したわけじゃなくて、
支配地域は南西にある台南周辺なんだよね。
オランダは武力で先住民族を支配してキリスト教の布教を進めたんだよね。
また、土地を開墾するために台湾の中国大陸から漢族を移住させた。
ここで初めて中国大陸の人との関わりができてくるんだけども、
一方さ、その頃さ、中国大陸っていうのは明王朝の時代なんだよね。
この明王朝は台湾にはね、この時関心はなかった。
1644年に250年以上続いたこの明王朝が満州族の秦によって滅びるんだよね。
この明朝の亡命政権が秦に最後まで抵抗を続けるんだけども、
この亡命政権を築いたのが帝政公っていう人なんだよね。
ちなみにこの人はさ、お母さんが平戸出身の田川松っていう日本人で、
そうなんだ、帝政公って。
そうそう。しかも日本の平戸生まれなんだよ。
中国人とのハーフというか珍しいよね、この時代で。
そうだね。
彼はね、南へ後退しながら秦に抵抗するんだけども、
南京で大敗して大陸から撤退しなければいけなくなった。
そこで目をつけたのが台湾で、台湾へ行くんだけどもそこにオランダがその時統治してるわけで、
1661年にオランダ軍対この帝政公を率いる軍が戦うんだよね。
艦隊を率いてさ、帝政公は海からプロンビジャジョを攻めて、
その後帝政公の猛攻が続いてオランダは台湾から撤退をするんだよね。
だからオランダ統治期っていうのは40年ほどで終わって、この後帝政公の時代に入る。
帝政公はさ、今でも台湾では英雄として語られてるんだよね。
で、こっからさ、帝政公の子、孫の代に渡って台湾の一部を統治して帝政権の時代に入るんだけど、
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これもね、統治といっても全域を統治するまでにはいたってなくて、
台南を中心にオランダ統治期よりやや広い領土を統治するっていうイメージ。
で、帝政権は台湾を新庁に対抗する、拠点とするために台湾に来たんだけど、
これ以降ね、台湾の福建省とか関東省からあの漢族が新天地を求めて、
さらに大量に台湾へ移住するようになる。
で、帝政公の孫の国相の時に、秦が台湾へ進行するんだよね。
ここでね、帝政権っていうのは秦に敗れて、帝政権の時代はわずか20年ほどで終わる。
で、ここで初めて中国本土の王朝、秦が統治の対象としたんだよね、台湾を。
で、この目的はさ、あくまで台湾が秦の反勢力の拠点となることを恐れたからで、
積極的な統治ではないんだよね。
台湾はあくまで福建省に隷属する台湾府としたんだよね。
これはさ、日本でさ、薩摩藩が琉球を続国のような形にしたのと似てるんだけど、
この秦の時代さ、台湾への渡航っていうのは禁止してたんだけども、
これまたね、台湾の福建とか関東では人口過剰の問題もあって、
台湾へ新たな土地を求めて漢民族が増え続けたっていうことがあった。
で、その過程で平地に住んでいた先住民族は漢民族と同化する者と、
その漢族との同化を拒絶して中央山脈の山間部に渡る者とがいたんだよね。
だからさ、今、先住民族分布図って見ると、西側には先住民族っていうのはいなくなってるんでね。
これはそういった経緯で、もともと全体にいたんだけども、平地の西側の部分は、
中央、そして東側に追いやられていったっていう経緯があるんでね。
で、初めてここから日本が関わってくるんだけど、
琉球処分の回でもちょっと触れたんだけど、
1871年に宮古島の峠を乗せた船が悪天候で台湾南部に漂着するんだよね。
で、そこでさ、先住民族のパイワン族に54人が殺害されるっていう事件が起こった。
これね、首を刈られて殺害されてたりするんだよね。
当時さ、台湾の先住民族の中には敵対する部族に対してとかに首を刈るっていうことをしてた。
で、まあそういう事件があったんだけど、
これに対してさ、日本政府は1874年に台湾出兵を行うんだよね。
で、約3600名による軍を率いて事件現場一帯を占領する。
で、日本政府はさ、新国に責任を追求したんだけども、
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この時さ、新国が言ったのは、台湾はけがいの地であるとして責任を回避するんだよね。
で、このけがいの地っていうのはさ、新国の統治の及ばない土地っていう意味で、
というのを主張したんだけども、
結果ね、イギリスの仲介もあって、新国は日本へ未賄金という形で支払いを行ってるんだよね。
この台湾を出兵をきっかけに、新国っていうのは台湾をこれまであまり積極的に統治していなくて放置していたことのリスクに気づくんだよね。
で、それまで福建省に隷属する台湾府だったのを独立の一省として台湾省に格上げするの。
で、台湾の主府っていうのはそれまで台南だったんだけど、この時に台北に移す。
これちょっと今台北って言うんだけど、日本の統治時代ちょっと台北って言われてたから、
ちょっとどっちも今紹介したんだけども。
で、この時にさ、人口調査とか区画整理、鉄道事業などに力を入れ始めたんだよね。
で、そんなさらか1894年に日清戦争が始まる。
これに日本が勝利して、島の積条約が結ばれて、台湾が日本の初めての植民地となるんだよね。
ここから日本が統治する時代が始まっていくんだけども、
日本はさ、これまで言った通り台湾に来た時、この島っていうのはマレーポリネシア系の先住民と、
中国大陸の福建とか関東から移住してきた漢族がいたんだよね。
彼らはさ、日本統治をすんなり受け入れてはいないんだよね、多くが。
これはさ、真の統治が行き届いていなかったから、
真が台湾を割譲するって言っても、それに対して反抗する人たちが多くいたんだよね。
で、1895年に日本軍が台湾に上陸をして、北部のキイルンっていうところを制圧をして、
この北部自体はね、抵抗せずに統治に従った人が多くて、
これはね、日本軍に逆らわない方が得策って考えた人が多くいたからなんだよね。
だけど、この台中とか台南にかけて日本の統治に抵抗する台湾の現地の人は多くいて、
各地でね、ゲリラ戦が展開されたんだよね。
台湾統治の鎮圧にかかった日本軍の総数っていうのは、
陸軍約5万人、軍族なども入れるとそれ以上の規模で鎮圧にかかる。
南部の台南まで占領するのに苦戦して、上陸から5ヶ月かかってるんだよね。
当時の台湾の総人口って260万人ほどいて、台湾人の犠牲者は1万人から約1万5千人っていうふうに言われてる。
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もう本当に戦争だよね。これはもう一つの日清戦争っていう言い方もされるけど。
この時に山岳に住む先住民はこれまで統治をされたっていう経緯が、
清の時代も含めてなかったわけで。
そこでリバンって呼ばれる先住民に対する統治策を日本はするんだよね。
これは清の時代には官民族と先住民族の衝突を防ぐ目的で、
愛政って言って境界石を立てて、両者の区域を明確にしたっていうのがあったんだよね。
日本統治機にはこの境界区域をさらに強化して愛優先っていうのを設置するの。
これは柵とか鉄縄網を張って境界区域を包囲して、その鉄縄網には電流が流れるものがあったりとか、
その付近に地雷などを置いて先住民族を山岳地帯に閉じ込める統治をしたんだよね。
ここで山岳地帯の統治にここまで積極的に行う必要なんてあるのかってちょっと疑問が浮かぶんだけど、
これは商納とか火の木っていう貴重な資源が山岳地帯にはあって、
商納っていうのはクスの木から取れて火薬とか防虫剤、医薬品にも使われる貴重なもので。
鈴木商店の時に言ってたよね、確か。
そうそう。鈴木商店の時に商納の話したね。
そうそう。そこをちょっとリンクしてくるんだけど。
さっき、北部から南部まで軍が統治するのに5ヶ月かかったって言ったんだけど、
実はそれ以降も数十年にわたって各地で反乱がね、これ結構頻繁に起き続けてるの。
特に山岳地帯に追いやられた先住民族に多かったんだよね。
これに対してさ、日本軍は軍隊とか警察を動員して、
反抗的な先住民族を鎮圧していくんだよね。
日本側に危害を加えた場合、一族みな殺しみたいな、積極的に鎮圧にかかる。
中でもね、光日事件として最大って言われる事件があるんだけど、
これがね1930年に起こった武者事件っていうのがあるんだよね。
武者っていうのは地名なんだけど、台湾中部の山岳地帯にあるんだけど、
そこにセデック族っていうのがいて、
これがね、約1200名が運動会の開かれた小学校を襲撃するんだよね。
約130名ほどの日本人を殺害するの。
多くが首を刈られるんだよね。
彼らは首を刈ることで一人前の男として認められるっていうような、
そういうものがあって、
日本軍はこれに対して報復として軍隊を出動して、
飛行機による爆撃とか、大砲、機関銃とか、毒ガスなんかも使用して、
徹底的に攻撃したんだよね。
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反乱を起こしたセデック族で生き残ったのは約200名ほどって言われてるの。
その生き延びた人も元いた場所を追い出されて、強制維持をさせられたんだよね。
これ、きっかけは日本人警察官がセデック族の青年に暴力を振るったことからなんだけど、
それだけじゃなくて、根は深くて、日本の統治によって生活の場を奪われたわけで、
その上で彼らは道路の開墾とか、木材の運送など安い賃金で働かされたんだよね。
あとは日本人警官と先住民族の女性との結婚が推奨されて、
たださ、日本人の警官って任期を終えたら、その妻子を置いて去って行っちゃったりとか、
扱いがね、酷かったというか、それに対して恨みがずっとあったものが爆発したような感じなんだよね。
そう、これあれだよ。セデックバレーっていう映画になってる。この武者事件って。台湾の映画で。
見たことある?これ。
いや、ない。俺はどっちかっていうとソニックの曲の方で思いついちゃう。セデックバレーは。
あ、あるんだ、それ。
あるね。
いや、セデックバレーもね、見たんだけどね、これ2部作で4時間半ぐらいあるからね、結構な長大作。
4時間か。
4時間。結構興味があればって感じですね。
で、日本の統治時代の話で、1895年に日本っていうのは台湾総督府っていうのを設置するんだよね。
で、ここに初代総督に川山助典、2代目は桂太郎、3代目は野木丸助っていう結構有名な人たちなんだけど、
この総督3代に渡る約3年間の時代は、武力を持って抗日勢力、討伐を試みるっていう時代で、
逆にこの抵抗勢力から武力で制圧しようとしてるから恨みを増大させて、反乱がね、なかなかずっと収まらなかったんだよね。
で、この武力討伐にも出費がかかるし、台湾の財政出資っていうのはもう赤字だったわけで、
で、この日本も台湾の売却論が出たほどで、
そんな時にね、4代の総督に児玉玄太郎っていう人がなるんだよね。
この人が台湾統治時代で大きな成果を出したって言われる人なんだけども、
彼のさ、大きな功績っていうのは、後藤新平っていう官僚を台湾の総督府の民政長官として抜擢したことなんだよね。
児玉玄太郎自体はさ、留守勝ちで、その代わりに統治を進めたのが後藤新平なんだよね。
後藤新平のさ、言葉でさ、有名な言葉があって、
平目の目をタイの目にすることはできないっていうのがあって、
日本人が台湾人をいきなり日本人化させるっていうことはできないし、やってはいけないっていう考え方なんだよね。
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その社会の習慣制度っていうものは、相当の理由があって長い間の必要から生まれてきているものだから、
無理に押し付ければうまくいかないっていうことを言ってるんだよね。
一つの例で、反日勢力や、または盗賊などの治安が悪くて、それを改善したやり方があって、
日本が統治する前から台湾にあった慣習、歩行制度っていうのを復活させたんだよね。
これはさ、日本の江戸時代にあった五人組とちょっと似てるかもしれないんだけど、
歩行ってさ、十の家で一つの校っていう単位を作るんだよね。
この校は十個揃って、十校で一歩っていうグループに分けられる。
だから一歩には十が十個だから、百世帯あるんだよね。
これらをさ、グループを作って相互に監視し合う制度なんだけども、
で、違反者がいれば連帯責任もあるっていう。
これをさ、利用してさ、日本人が治安維持するだけではなくて、
自ら現地の台湾の人が自警団を作って治安を維持させるっていう構図に変えたんだよね。
で、この自警団を日本の警察の下につけて連携をするっていうやり方をやった。
で、あとね、調査をしていくと、この公日勢力とか盗賊などの集団には20名ほどのリーダーがいることがわかったんだよね。
で、彼らに対してね、武力で討伐するんじゃなくて、説得を試みたんだよね。
で、日本に従えば資金を与えて開拓工事などの職を提供するっていうメリットを持ちかけて、
要は今からでも日本の統治に従えば処罰せずに逆に優遇するっていうようなことを持ちかける。
ただそれに応じないのであれば重い刑罰をっていうような形で、
で、これによってもともと治安が悪かった台湾の治安を改善させたって言われてる。
それとね、アヘンを取り締まったんだよね。
日本がこれ統治する前からアヘンの吸引が台湾住民の間に常習化してたんだよね。
これはね、アヘンに含まれるモルヒネがマラリアなんかの熱帯病による苦痛を和らげるっていう効果があったんだよね。
だから台湾では家庭の常備薬にもなってたんだよね。
だけどね、アヘンの効果って一時的で体の衰弱とか心身が不安定になったりとか、
さらに依存性が高い麻薬なんだよね。
だから1900年の時点でこの台湾でのアヘン常習者数っていうのは約17万人ぐらいいたって言われてて、
人口比で言うとね、約6%ぐらいって言われてる。
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多いね。
そうそう。これ初恋の人と結婚する確率が1%って言われてるから、いかにねこの6%っていう数字が大きいかってことだよね。
1%いんの?逆に言うと。
俺そっちにびっくりするよ。
あ、そうなの?
え、だってさ、わかんないけど初恋なんてさ、それこそ幼稚園とか小学校とかさ、そのぐらいじゃないの?
まあ、そうなんだけどね。
1%!?マジですか?みたいな。
まあ、ちょっと話を戻すと、日本はね、アヘンの常習者を減らすことに取り組むんだけど、
アヘンのさ、求員者から一気にアヘンを取り上げれば混乱を招くから、
そこでね、アヘンの販売事業を台湾総督府の1000倍にしたんだよね。
これによってアヘンの価格を一気に引き上げて、同時にね、タバコとか酒の税金をゼロにして、常習者の依存の対象を変えるっていう政策もしたんだ。
あとはね、すでにアヘンの常習者になってる人に対しては手帳を所持させて、この手帳がないと指定された特定の取引業者から購入できないよっていうようなものにした。
これはさ、新たにアヘンの求員者に対しては購入できないっていう構図にしたんだよね。
あとはさ、学校などでアヘンの求員の違法性とかデメリットなんかを広く教えていった。
こうやってね、17万人いた求員者っていうのは1917年には約6万人ほどに減ったんだよね。
ここでやっとさ、日本が台湾に対してこれから近代化を進めていくっていうことの下準備というか、やっとそのスタートラインに立ったというかね。
入っていくんだけど、日本はさ、この台湾統治は何としてでも成功させたかったんでね。
それはさ、やっぱ欧米列強と肩を並べるためにもこの植民地経営っていうのを成功させたくて、そこに台湾に有能な人材とか莫大な投資を日本はしていく。
で、ちょっといっぱいこれやったことがあるんで抜粋するけど、まずはインフラ整備をしたんだよね。
これは道路とか鉄道建設っていうのもそうなんだけど、今日紹介したいのは農業をする上で水の供給っていうのが台湾っていうのは管理できてなかった。
で、それまで天候に頼るだけで農業は極めて不安定で収穫量も少なかった。
で、そこで日本は農業用水を供給する大規模な工事を行ったんだよね。
で、それを指揮したのがハッタヨイチっていう人で、これ今でも台湾で尊敬されてる日本人の一人なんだけども、
彼はさ、カナン平原っていうところに目をつけて、このカナン平原っていうのは層面積が約4550平方キロメートルあって、どのぐらいって言ったらね、日本の京都府と同じぐらいの膨大な土地なんだよね。
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このカナン平原は寒季にはひどい干ばつが続いて、雨季にはね洪水が発生するような土地で、そのためね、わずかに耕作地があるだけで、ほとんどね、もう荒れ地のような、使われてないような平原だった。
ここに水を供給できれば台湾の耕地の5分の1を占める規模にすることができる。
そこで取り組むんだけども、水を供給するためにはさ、大きなダムを作る必要があって、そこでね、貯水量1億5000万トンの完成時は世界最大の規模のウサン島ダムっていうのを作り上げるんだよね。
このダムからさ、カナン平原に全体に水を通すには、勾配を周到に計算して、その間にいくつもの水路とか水門を作って、約10年の歳月をかけて、このカナン平原に台湾最大の農業地帯を作るんだよね。
これはね、現在の台湾でも最大の農業地帯だ。
で、水の供給ができるようになって、イネの品種改良をして、ホウライマイっていう品種を作ることにね、成功したのがあって、これイソエイキチっていう人が中心に品種改良を行ったんだけども、台湾にさ、それまであった1200近いイネの品種があったんだけども、
この品種はインディカマイって言ってさ、長方形のような細長くて粘り気がないもので、多くを収穫することが難しいものだと。
で、このインディカマイを日本のジャポニカマイとブレンドして品種改良を行ったんだよね。
イネの品種改良っていうのは、優れた特徴を持つ品種のメシベに、別の優れた特徴を持つ品種の花粉を付着させて交配して、双方の優れた特徴を合わせ持つっていうのがイネの品種改良なんだけども、これで新しい品種を作り出したんだよね。
長丸はそのメシベについてはどう思ってる?
メシベ?それあれだよね。俺はオシベ専門だからさ、メシベ専門はやっぱりオガタロウじゃない?
なんだそれ。ということでさ、台湾の気象条件に見合うよう10年の歳月をかけてこれも改良を重ねて生まれたのがホーライマイっていう品種で、これ病気にも強くて丈夫な品種で、同じ耕地面積でもより多く収穫することができたんだよね。
こうしてね、以前より大量の米を生産することができて、これはさ、日本本土にも送られたんだよね。
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日本本土っていうのは近代になってさ、急激な人口増加もあって米の供給が十分じゃなかったんだよね。
その目的もあって品種改良したっていうのがもともとはあったんだけど。
イソエイキチっていう人はさ、この成果っていうのが認められてさ、戦後も中華民国政府の要望で台湾に残るんだよね。
中華民国の農林省の技術顧問なんかを務めて台湾にね生涯を捧げた人でもある。
あとね、日本がやった統治時代のもので衛生環境の向上っていうのがあるんだよね。
台湾はさ、ペストとかマラリアなんかっていう風土病が蔓延してて、島民の平均寿命っていうのは40歳ほどだった。
日本軍もさ、台湾統治にするときに戦死者以上に風土病で亡くなってる人の方が多いんだよね。
この原因としてさ、住民の多くは溜め池や汚染された河川からの水を使っていて、それによって病気が蔓延してた。
そのためさ、日本は浄水土の供給施設を建設したりとか、あとは検疫とか患者の隔離とか消毒の徹底、
あと病気を媒介する蚊やネズミを定期的に駆除を行ったんだよね。
また病院を建設して日本人医師を派遣したり、医学校を設立して台湾人医師を育成した。
台湾の衛生環境っていうのは飛躍的に改善をしてった。
こんな具合にさ、日本が台湾で行ったことって他にもいっぱいあるんだけど、
法律によって国民を統治する法治主義を導入したとか、教育制度の構築っていうのもあったりするんだけど、
こんな風にちょっと紹介したんだけど、日本の統治政策の初期、中期っていうのは日本語の教育は積極的に進めたんだけども、
台湾の習慣とか信仰っていうのはそのままに緩やかな同化政策を取ったんだよね。
ただこれが日中戦争になって入っていく戦時体制を移る中で公民化運動っていうのが台湾でも積極的になっている。
そこはちょっとまた別の機会に話せたらなと思うんで、今日はちょっとここまでっていうことにしたいんだけども。
台湾まさかの2回か。
いや、連続ではやらないです。
僕も台湾の現代まで一気にやりたいなと思ってるんで。
ちょっといろいろ調べたいんで、というのはあるんで。
まとめるとさ、日本の統治によって飛躍的に台湾を近代させたっていうことは事実にあって、
ただそこには日本の統治によって多くの血が流れて犠牲になった人がいて、
差別を受けた人たちっていうのも大勢いる。
台湾では日本の統治のこういった良い面と悪い面っていうのも両方学校で習うんだって。
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それでも今もさ、日本に対して多くの人が親日でいてくれるってことに、
感謝、語り手は尾形郎でした。
え?何それ?
ごめん。感謝って感謝しますみたいな。
台湾の言葉で?
そうそう。多分発音ちょっと悪いから伝わってないかもしれないけど。
ダメじゃん。
じゃがまろはどうでした?今日は。
やっぱりそうだね。台湾統治っていうとさ、日本にいるとやっぱり日本の良いところばっかり聞かされるじゃん。
そうなんだよね。本当に。
ほら親日じゃん。今台湾って。
だからさ、もう本当に日本の統治はすごい良かったんだみたいに思ってる人は実際多いんじゃないかなって思う。
俺も実際学生の時とかって、日本は台湾に良いことしてたんだぐらいに思ってたしね。
そうだよね。日本にいると本当そうだと思う。
でもさ、ほら武者事件のこと取り上げてたけどさ、そんな感じでさ、やっぱすごい公日運動っていうのは頻発してたわけじゃん。
多かったね。かなり多かったね。
そう、だから決して良い面だけじゃなかったんだっていうのもさ、日本ではしっかり学べる機会っていうのかな。
台湾はほら今最後に小片郎も言ってくれたようにさ、両方の側面から学んだ上で日本統治は良かったって多分言ってくれる人の方が多いから多分親日国だっていうふうにはなってんだと思うけど。
そうだね。それはさ、多分その後の台湾のまた戦後とか今の統治にも関係している部分もあるけどね。
まあね、台湾がこっち側の国になっちゃってるっていうのもあるからね。中国とかの側じゃなくてっていう。
そうだね。
まあだからそういう意味で日本もさ、もうちょっとしっかり歴史を学ぶって時にさ、その日本からの視点の歴史だけじゃないものをこう学べるようになっていったらいいのかなって。
日本の歴史っていうのはやっぱり日本の歴史だからさ、それこそ。日本視点なんだよね。
だから日本の歴史も世界史的な視点で学べるようにしていった方がいいんじゃないのかなっていうのが個人的な感想だよね。
そうだね。
イギリスなんかはさ、えげつないことをずっとしてきた国じゃん。世界を牛耳ってたわけだし。
そうだね。
で、なんかそれを戦後ぐらいから学ぶようになったんだけど、イギリス人が。みんな自信を失っちゃったらしいからね。こんなひどいこと俺たちはやってきたのかみたいな。
あーなんかそれ聞いたことある。
そうそう。で、サッチャーの時にこれはやばい愛国心がなさすぎるって言うんで、愛国教育に切り替えてまたちょっとこう誇りを取り戻したじゃないけどさ、結構有名な話だけどねこれは。
そうだね。だから難しいよね。その本当のリアルの事実だけをイギリスだったらさ、教えると国民のその愛国心が下がって逆に国のためになんかうまくいかなくなったっていうのがあったんだよね。
そうそう。だから国のことを思うならやっぱり愛国的な教育の方がいいんだけど、でもそれは決して事実だけじゃなく、事実なんだけど事実をその片側の面からしか見てないみたいな感じになっちゃうじゃん。それだと今度は視野が狭いよねっていう話だからさ。
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はいはい。
まあだから客観的にって言葉はあんまり俺は好きじゃないんだけど、こういろんな面からこう見てって、それでちゃんと自分でこの物事は良かったのか悪かったのかとかさ、なんか判断がつけるようになるのがいいんじゃないかなって。まあ俺自身ついてないんだけど。
はいはい。
そういう教育っていうのがすごくいいんじゃないかなっては思うけどね。だからそういう意味で今日の台湾の話はさ、どっちかっていうと日本の良かったことの方が少なくて、今まで知らないっていうかあんまり取り上げられないようなところを結構取り上げてくれたってところがすごく良かったなって思った。
ありがとう。ちょっと多めにしたんだけど。
だから決して良い面だけじゃないんだよっていうところをしっかりと把握できたっていうのは良かったかなと思う。
じゃあというわけで今回は日本の台湾の統治時代のお話をしました。
はい。
前にもちょっと言ったんですけども、2023年の1月20日までポッドキャストアワードのリスナーズチョイスっていうのが応募できるんですよ。1月20日まで。
はい。
良かったらその中でそのポッドキャスト1つしかね、推薦できないらしいんですけども、大人の近代史を良かったらちょっと概要欄にそのサイトのリンク入れとくので興味があったら見ていただきたいのと、別に大人の近代史じゃなくてもそのポッドキャスト自体を盛り上げるために他の好きな番組とかあったら応募してくれたらいいかなって思います。
そうですね。まあとはいえやっぱり大人の近代史に入れていただきたいなとは思いますけど。
はい。それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
これで終わりにすんの?