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2025-01-14 42:26

【第79回】<仮想世界遺産>九份老街|台湾の歴史と復活の街

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#イキセカ #旅行 #海外旅行 #歴史 #台湾 #九份

サマリー

このエピソードでは、台湾の九份老街を中心に仮想世界遺産の魅力を掘り下げています。また、台湾の豊かな歴史も紹介されています。特に、オランダ統治や日本統治の時代における文化的な影響が語られています。第79回のエピソードでは、九份老街の歴史やその変遷を辿っています。日本統治時代における台湾の教育政策や、九份の金鉱発見に伴うゴールドラッシュなど、台湾の重要な歴史的局面が描かれています。九份老街は、歴史的な背景を持ちながら、映画や観光によって復活を遂げた場所です。特に、映画「非情上司」や「千と千尋の神隠し」の影響で、多くの観光客が訪れるようになっています。このエピソードでは、九份老街の魅力や台湾の歴史を探求し、地域の復活のストーリーを紹介しています。

台湾の歴史的背景
みなさん、こんにちは。行きたくなる世界遺産です。この番組は、学校の教科書や旅行雑誌には載っていない、世界遺産の魅力について厚く迫る番組です。
KANAEさん、世界遺産とはどういうものですか?
世界遺産は、文化遺産、自然遺産を含めて多種多様なものが登録されています。
各国にいろんな違いがあるので、その違いを批判するのではなくて、認め合って争いをなくしていこうというもので、いろんな国を知るための教科書のようなものです。
そして、今回みなさんのお耳のお供をするのは、世界遺産検定マイスターのミドと、
KANAEです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんか、声まろやかですか?
ちょっと笑っちゃう感じだった。
今回はですね、台湾に行ってきまして、昨年の7月。
そうですね、行ってましたね。
ですよね。何かの回で、僕台湾に行くんで、台湾には世界遺産がないんですけど、台湾のいろんな場所をちょっと世界遺産っぽい目線で見てきますって話したじゃないですか。
はい。
ちょっとね、リポートしてきたので、今回はちょっとね、台湾の仮想世界遺産ということで。
そうですね。
はい。
まあね、みなさんご家族で行かれたということでね、お子様連れの方もきっと実現可能な。
そうですね。絶対できると思います。
そうですね。いろいろ参考になるんじゃないかななんて思いましたね。
はい。なので、ぜひね、台湾に興味深い方がいっぱいいると思うんですけど、ぜひ聞いてみていただけたら嬉しいなと思います。
はい。
では本編へ。
ということで、今回はですね、台湾のいろんな場所があるんですよ。本当に台湾って建物が。
はい。
で、それぞれ時代によって、建築も全然違ってて、いろいろあるんですけども、その中から、みなさん台湾といったら、9分を思い起こすんじゃないですかね。
あ、有名ですね。
そうですね。
はい。なんでちょっとね、9分に特化してお話ししたいなと、世界遺産的な目線で迫りたいなと思います。
で、その前に、台湾ってね、歴史が結構ね、深くて。
はい。
もう調べたらめっちゃ面白いんですよ、台湾の歴史。
えー。あんまり調べたことないかも。
ですよね。
うん。
で、ポッドキャストも、歴史系のポッドキャストっていっぱいあるじゃないですか。
そうですね。
で、あるんですけど、僕が知る限りで、たぶん台湾の歴史を特化してピックアップしたポッドキャストってそんなない気がしてて。
うーん。
なんかいろんなね、こう中国の歴史の中で台湾とか、
あ、まあね。
戦時中の日本の歴史の中で台湾とか、
そっかそっか。
またまあ、台湾っていうね、こう場所を紹介しながら、ちょこっと歴史に増えるとかはあるんですけど、
うーん。
もう、ぞっこんに台湾の歴史を深掘りしている番組とかエピソードってない気がして。
確かに。関連するから台湾が出てきてるみたいな。
そうなんですよ。
そういうパターンが多いですよね。
はい。で、世界遺産って、やっぱ歴史をすると全然景色変わるじゃないですか。
うーん。
なんでちょっとね、僕歴史めちゃめちゃ調べてきたんで。
はい。
ちょっとまずはその台湾の歴史から紹介できればと思います。
オランダ統治時代の紹介
おー。はい。
台湾ってね、本当に歴史によってグラデーションというか、建物ががらっと変わってて。
うーん。
時代が主に、僕はこう4つに分解できるかなって思ってるんですよ。
へー。はい。4つに。
はい。1つが、オランダ統治時代。
うん。
次に、新王朝統治時代。
うーん。
で、日本統治時代。で、戦後から現代。
はい。
っていう風に区分できると思うんですよ。
ほうほう。
最初にね、オランダ統治時代から入るんですけど、台湾がオランダに統治されてたって知ってました?
知らんかったかも。
ですよね。
うん。
僕もこれ調べて初めて知ったんですけど。
確かに、日本までは結構来なかったじゃないですか。
うんうん。
植民地時代とかね、そういう西洋の人たちのね。
うん。
アジア圏はね、いくつか行ってそうな感じはしましたけど、台湾行ってたんですね。
そうなんですよ。実は台湾まで行ってたんですよね。
で、これひも解きますと、そもそも台湾って戦死時代から人類がここに定住したっていう形跡が残ってて。
はい。
古いものだったら旧石器時代の遺構が残ってるらしいんですよね。
結構古いですね。
そこはずーっと長く先住民族が暮らしてたんですけども、1624年にオランダの東インド会社有名ですね。
おー、出たよ。
ほんとすごい。すぐ出てきますよね。
あいつらほんとね。
ほんとすごい。
手が早いんだから。
そうですね。植民地時代といえばっていう感じですよね。
そうなんですよ。東インド会社がこの台湾の土地にですね、アジア極東への貿易拡大を目論で侵入してきます。
そうなんだ。
はい。当時の台湾っていうのは、中国で民王朝できたんですよね。
で、中国の民王朝がこのオランダの東インド会社に黙認する形で、東インド会社が台湾に侵入してきたと。
そうなんだ。
で、今現在の台湾の南部に台南っていうところがあるんですけど、台南市にあるゼーランディア城という城を建てます。
ゼーランディア城?
ゼーランディア城。城ですね。要塞です。台南から入ってきて、そこを拠点としたわけですよね。
なので、そこを要塞都市にする必要があったんで、ゼーランディア城という要塞の城を作ったんです。
で、これ別名2本目もあって、安平古穂。
おお、全然違う。
漢字で、安全の安に、平に、古いに、類穂の穂、安平古穂っていう名前になってます。
このゼーランディア城っていうのはですね、今も一部は残ってるんですよ。
ただ当時のまま原型はそのまま残ってはいなくて、どちらかというといわゆる城跡。
なるほど。
位置的にも南側だし、日本でいう手裏城跡みたいなね。
近いかもしれないですね。
ただね、ゼーランディア城って面白いのが、オランダが作ったじゃないですか。
だから本当に純ヨーロッパ建築なんですよ。
なるほど。
で、堀と石を駆使して作ってるんですけども、高い壁とかあるんですけども、全部石作りで。
ちゃんと西洋の文化がそこにね、建築に現れているんだ。
屋根瓦とかね、そういったところこそは、なんか瓦とか作ってるっぽいんですけども、
もう本当、壁から何やらっていうのは、京都の石作りで。
ヨーロッパのお城っていう感じで。
珍しい感じですよね。でもね、そこの場所に西洋の建物があるっていうのがね。
そうなんですよね。
でね、これまたね、このヨーロッパの繋がりを感じさせられるのが、世界遺産のクロンボー城ってあるじゃないですか。
はい、ありますね。
あれって、星型の形した堀で囲まれた要塞で。
めっちゃかっこいいやつですよね。
そうそうそうそう。上空から見た感じ、本当に星になってる。
で、このゼーランディア城も星型要塞になってるそうです。
じゃあ、そこをモデルにしたんかな。
かなぁ、それかまぁ、なんかそういう要塞デザインが流行ってたのかもしれないですね。
それこそね、箱建ての五稜郭だって。
あ、そっかそっか。
うん、だし、やっぱ敵を迎え撃つのに資格がないんで、すごくね。
そうですね。
それほどこの土地を大事にしてたわけですね。
ということで、現在では原型の一部が遺構として残っていまして、台湾の国家一級戸籍として保護されてるそうです。
あ、そうなんだ。重要文化財みたいな。
あ、そうです。多分日本で言うその辺りじゃないですかね。
法の中で保護されてるってことですね。
へぇー。じゃあ歴史的にも守っていった方がいいよね、ぐらいのね。
そうですね。
台湾の歴史としては、台湾人の方は小学校とか中学校とかでは触れる歴史なんですかね、もしかすると。
触れるんじゃないですかね。だってそこを外して、現代の台湾って語れない気がするんで。
そうですよね。海外から人がやってきてね。
日本で言うところの幕末の黒船来航にあたるんじゃないですかね。
そうですよね。一大事ですね。
そうなんです。ちなみに、現住民がオランダ人のことですね、外来者という意味のタイオワンと呼んだことから、台湾という地名に発展したという、一説ですけど、説があるそうです。
日本統治と日清戦争
ということで、主に台湾南部を拠点にしていたオランダなんですけども、実はね、この北部からね、スペインがやってくるんですよ。
そうなんだ。南からオランダ来て、北部からスペイン来るんだ。
オランダが取ったところで、スペインがやっぱり取りたいと思ったんでしょうね。
なるほどね。
で、スペインが侵入してきて、結果的にスペインを追撃して追い払うことに成功するんですよ。
ただ、その史跡が今も残っていまして、タウン水っていうところがあるんですよ。
台湾詳しい方、絶対知ってると思うんですけど、MRTっていう鉄道ですぐ行けるんですよ、台北から。
で、結構おしゃれなカフェがいっぱいあるところで。
そうなんだ。
ここもスペイン風の建築がいっぱい起こってるんですよ。
じゃあ、その追撃される前とかに建ててた、植民地じゃないけれども、使用してたエリアがあったんですね。
そうなんですよ。ここはここでスペイン人が建てた要塞があって、それがコウモー城。
紅色の毛に城って書くんですけど、別名サントドミンゴ城とも言うらしいですね。
あって、そこはもう本当にスペインっぽいコロニアルの様式。
赤が映えるような。
そうですよね。ベニーってついてますね。
そうそうですね。
そうなんだ。
ほんとビビッドカラーが貴重な要塞が残っています。
そんな中ですね、歴史を狂わす出来事が起きます。
中国でなんと明王朝が壊滅してしまうと。
そして新たに新王朝っていうね、別の王朝ができるんですよ。
日清戦争のシンですね。
このシンに反対している集団がありまして、それを束ねたのがテイセイ公っていう人がいて、
それが反シン派のリーダーなんですけども。
シン王朝の反対側の、てか対シン王朝。
で、このテイセイ公っていう人が、オランダ東インド会社をですね、なんと一掃するんですよね。
すごい。
そうなんですよ。すごいですよね。
1662年に台湾をなんと統一しちゃいます。
さっきの名前何でしたっけ?
テイセイ公。
テイセイ公。
が台湾を統一しちゃって、38年間続いたオランダ当時時代がここで終わります。
かっこいい革命家のように聞こえちゃいますね。
そうなんですよ。台湾の方からするとテイセイ公って、いろんな歴史上のすごい偉大な人物がいるんですよ。
この後紹介する、小解析とか、いるんですけども、このテイセイ公もその中の一人ですね。台湾の方からすると。
すごいですね。
英雄と呼ばれている。がですね、台湾統一時代も長く続かず、病死とかいろいろあったんだけどね。
なるほどね。
ということで、1683年に、今度は中国のシン王朝によって統一されます。
そうなんだ。統一されかえされちゃうんだ。
されかえされちゃいます。
ということで、シン王朝時代がずっと続くんですけども、時間は流れて1894年。
結構最近。
ついに、あの出来事が起こります。日清戦争です。
日清戦争によって、皆さんご存知の通りなんですけども、日本がシンを下してですね、四毛石条約というものを締結します。
これによって、その条約の中に一つあったのが、台湾の主役を日本が有することを認めるという。
そうですね。
ということで、台湾は日本初の植民地となっています。
はい。
わー、やりましたね。日本学校でね。
そう、やりますよね。この辺からちょっとね、歴史の中で台湾っていうのが、僕らの中では出てくると思うんですけども。
台湾の歴史的背景
いよいよ日本による台湾統治が始まっていくということですね。
なんですけども、当時の台湾って、今でこそ台湾ってすごい優しい方多くて。
そうですよね。そんなイメージ。
秩序がすごいしっかりしてて、なんていうかな、貴賓もあってっていうイメージがあるじゃないですか。
当時の台湾ってね、実は真反対だったらしくて。台湾って原住民がいっぱいいてですね、民族もすごい複雑に分かれてたんですよ。
なるほど。
ということで、言語が全く統一されてなかったんです。
そうだったんだ。少数民族で、そこにいる民族ならではの言語で。
そうなんですよ。
それがいくつかあったわけだから。
そうなんですよ。だからもう通訳返しても会話できないみたいな。
なるほど。
っていう状態。しかも、熱帯病とか、アヘンの吸引、さらに原住民の反乱っていうのが日常的に起きていて。
めちゃくちゃですね。
カオス状態だったらしいです。
そうなんだ。
日本からすると、台湾を植民地として手に入れるんですけども、植民地政策どころじゃないと。
治安とかもね、すごいことになってそうですよね。
まずここを人が暮らせるようにしないといかんと思った当時の日本政府は、台湾の地域ですね、台湾総督府を建設します。
これ台北にありますね。台湾旅行したら絶対にたぶん訪れる場所だと思うんですけども。
もう見た目が完全に東京駅です。
そうなんだ。
もう東京駅まんまって感じですね。
台湾総督府。行きました?
僕はね、外観だけ、中は入ってないですけど。
東京駅でした?やっぱ。
もう東京駅です。
そうなんだ。
絶対台湾系の旅行雑誌見たらありますね、トップページに。台湾総督府っていうのは。
なんかね、イメージつくかもしれない。
赤レンガの建物。屋根が荒物も東京駅そっくりの。
っていうのが置いて、本格的に教育からインフラ整備から農地改革まで統治して、投資としての機能を正常化させていきます。
すごいですね。
よくね、昔の日本統治時代って、日本人が日本語を教えたっていうじゃないですか。
あれって、もちろん日本の領土拡大とか、日本人としての精神の植え付けみたいなのもあったと思うんですけども、
根底は、やっぱ言語が統一できてないから、コミュニケーションができなかったんですよ。
だから、全員教育として日本語を一斉に教えることによって、コミュニケーションを測れるようにしたっていうことですね。
そうですよね。植民地にしたんだから、やっぱそこを、ちょっと言い方あれかもしれないですけど、都合よくしていかないといけないわけですからね。
そうですね。だし、たぶん、これはわかんないですけど、当時の方からしても、厳重民族間でのコミュニケーションができてなかったと思うんですよ。
共通言語がないから。
そういうのがあったほうがよかったんだ、そもそもね。
だから、まちとして機能してなかったと思うんで、まず言語からということで、教育を深くやっていたということですね。
やがてですね、植民地として、台湾を消極した日本なんですけども、内地延長主義というものが出されます。
内地延長主義っていうのはどういうものかというと、台湾の人々を日本の国民として、同化政策をしますよということです。
なんでもう、植民地じゃないですね、こうなったら。本当に台湾は日本の領土っていうふうに、代々的に置いてあるようになって、大学だったり、研究機関も台湾に置くようになったと。
ということで、台湾は日本にとっての重要拠点になって、その後の日中戦争、そして太平洋戦争を迎えるわけですね。
九分の金鉱とゴールドラッシュ
なるほどね。
そして戦後です。
この辺になったら、もうみんな知ってると思うんですけども、日本は太平洋戦争で敗戦してしまいます。
ということで、台湾も引き渡すことになるんですね。
もう日本の領土じゃなくなってしまいます。
当時の中国っていうのは、中華民国っていうものが支配してたんですけども、中華民国国民党のものになるんですよね、台湾っていうのが。
ただしですね、1949年、毛沢東を率いる中国共産党が、中華人民共和国という国をですね、設立して、ライジングしていきます。
懐かしいですね、毛沢東。
毛沢東が。
久しぶりに聞いた。
ガンガン攻めてくるんですね、中華民国を。
ガンガンガンガン攻めるんで、中華民国率いる紹介籍は、どんどんどんどん南の方に追いやられていって、最終的に逃げ場がなくなって、台湾に逃げ込むと。
なるほどね。
ということで、紹介籍を率いる国民党は、台北を中華民国臨時首都としたわけですね。
なんで、いまだに台湾って中華民国って書いてありますね。
パスポートとかで入国するときに、スタンプ押されるじゃないですか。
中華民国って書いてあります。
そうなんだ。
ただし、台湾のお金も中華民国って書いてますね。
そうなんだ。
それは知らなかったな。
ただし、中華人民共和国からすると、もうそこでキリがつけてるんだと。
毛沢東が全部、中華人民共和国と設立した時点で、一つの中国なんだと。
ということで、台湾っていう一つの国、中華民国っていう国を認めていないと。
という状況から、世界遺産は保有国を定めないといけないということで、そこの折り合いがついてない関係で、台湾は世界遺産条約を締結できていないという、歴史につながっています。
ちなみに、紹介石は、すごいね、できた方で、いろんな政策を振るったんですけども、1975年に亡くなって、哀悼の意を込めて作られたのが、台北市にある、これも有名な建物です。中世記念堂。
中世記念堂。
紹介石って本名が、小中世っていうらしいです。
難しい。
なので、紹介石から取って、中世記念堂っていう。
なるほど。
白い石が積まれてて、その上に廊下建築っていうか、があるんですけども、そこは紹介石を祀っている。
へー、そうなんだ。
大きい広場にあるんですけど、日本でいう皇居前広場みたいな、でかい広場。
結構広めなんですね。
だけど、すごい神聖な場っていうか、台湾の方々にとってはすごく大事な場所。
そして、現代へと続いていくという流れになっています。
結構、歴史深くないですか。
深いですし、私結構忘れてる内容ばっかりだったんで、思い起こされましたね。
そうなんです。だから、この中で話しただけでも、オランダ統治時代は、ゼーランディア城っていう神話とか残ってるし、
新王朝時代は、まだ新王朝時代の建物もあるし、
例えば、リュウザン寺っていうお寺、台北にあるんですけど、これ有名ですよね、とかあったり、
日本統治時代っていうのは、先ほど言った台湾総督府、まだ現存して残ってるし。
中世記念堂っていうのは、戦後を象徴する台湾の大事な建物としてあるし。
でもあれですね、いろんな国の影響を受けて、すごく揺れ動いてきた場所っていうイメージがつきました。
そうですね。意外と、時代のグラデーションっていうか。
そうね。日本って、それこそね、ペリーが来港したりっていう歴史はあったけれども、
西洋の人たちが来て、日本って場所も場所だし、隣で陸続きの場所がないしっていう、いろんな理由も踏まえて、
植民地にするっていうのは、あんまり望ましくない場所だったらしいですね。
そういうのもあったんで、スペインが植民地にしたとかないから、
なかなか聞いてて、新鮮というか、それなりに近い国が、実際にそういうことがあったんだって考えるとね。
だって、もう石垣島のすぐ隣。
ほんとなんか、目覚ましく変わってってたんでしょうね。いろんなものがね。
だから、台湾の方って、すごい人種も複雑に混ざり合ってて、原住民の方ももちろんいまだにいるし、
もちろん日本系の顔立ちの方とか、中国系の方とかもいるし。
そうですよね。あんなに近いのに、全然違うんだなっていう。
ただ、日本統治時代の言語を統一化させたっていう影響があってのが、やっぱり日本語をいまだにしゃべれる方多いですね。台湾は。
特に台北は。
へー。あと日本人もたくさん行きますもんね。
めっちゃ多いです。ほんとミスタードーナツだらけ。
ミスタードーナツじゃない。ミスタードーナツは海外だな。
モスバーガーじゃない?
モスバーガー。モスバーガーだらけなんよ。ほんと。
人生であんなに多くのモスバーガー初めて。
そうなんだ。
かもしれない。
なるほどね。
ということで、激動の時代を送ったんですけども、その中から、ちょっと簡単になんですけども、台湾といえばということで、九分。
九分。よく聞く。
まあ、千と千尋の。
まあ、つってね。まあ、千と千尋のね。
千と千尋のモデルとして有名なんですけど、皆さんもね、イメージつくと思います。
九分についてちょっとご紹介できればと思います。
九分は、まあ、源氏語で、じょうふぇんって読むのかな。
もうちょっとうまい。
はてなみたいな。
あるんですけど、webらしくて、まあ、メインストリートがある赤長陳のつながる紀山街を持つ山岳の繁華街です。
まさに台湾といえばここということで。
イメージはすごいありますね。
で、長陳が。
よく写真が出てる。
そうですね。
ゆばばが出てきそうな。
出てきそう、出てきそう。千尋が崖登ってそう。
崖の階段とか歩いてそう。
手が消えちゃってね。
そうそう。泣きながらおにぎり食べてね。
千尋のことを思って握ったおにぎりだよって。
最後はね、ゆばばのことおばあちゃんとか言っちゃったりとかね。
棒が上木龍之介ですからね。
あ、そうだよ。ほんとだよ。
ズレすぎ、ズレすぎ。
そうなんです。実は九分って海からも近くて。
でもほんとね、山に沿って作られてるんで、全部ほとんどお茶屋さんなんですよ。
台湾茶を飲めるんですけども。
美味しそう。
ここから飲むお茶っていうのはほんと絶景で。
海見えて。
すごいバイスポットなんですけども。
特に人気なのは、1920年代の建物をリノベーションした木造和風様式の茶芸館で。
アーメチャロっていうね。
アーメチャロ。
台湾九分の写真って言ったらここは絶対出てくる。
そうなんだ。
何階建てなんだろうな。4、5階建ての赤提灯がついてる場所ですね。
見たらたぶんね、あって思うんですけども、ここですね。
見たことあるかも。
ザ九分の。
これも茶芸館。お茶屋さんなんですよ。
お茶屋さんなんだ。居酒屋さんかと思ってた。
千と千尋が居酒屋さんだから、居酒屋さんってイメージ多いんですけど、実はほとんどがお茶屋さんで。
お湯の街って感じだよね、でもほんと。
地元も結構ね、北海道なんで火山たくさんあるし、そういう街あるんですよ。
みんなだいたいね、お酒飲める場所とかね、お土産屋さんっていうイメージだったんで。
お茶屋さんなんですね、そこ。
ただね、お茶屋さんとして盛り上がった歴史は実は浅くて、九分っていうのはね、結構これまた激動の時代を迎えるんですよ。
九分っていうのは、もともとは本当に山の田舎町だったんですけども、1890年代に、実はこの九分で、金が発見されるんですよ。
ということで、金鉱山として湧くんですよね。
金鉱床がそこにあったんだ。
ほんとだから、今も九分の街と、家と家の間に小さくね、こう、公道の入り口が残ってる。
なるほど。
一攫千金を夢見た台湾中から人々が集まってゴールドラッシュに街は湧きましたと。
金に目がないですね、みんな。
そうですね。
すごいわ、ほんと。
ただですね、やっぱ金鉱脈って枯渇するんで。
1971年には金鉱脈が枯渇して閉山となります。
となると、もう金が出ないから、そこにいてもしょうがない。
現代の九分と観光
もう山の田舎なんで。
もうなくなっちゃったの?ないのもう?ほんとにないの?
掘ろうと思ってる。
ほんとにないかな。もうちょっと掘ったらある?
枯渇だからあるかもしれないけど、もうあまり出てこないってことですよね。
で、人は離れていくわけですよ。
ということで、もう廃墟の街になってしまいます。
ゴーストタウンですね。
そうなんだ。
はい。なんで本当に、その1800年代の旧墳っていうのは、本当に暗い、人もいないし、野良猫だけこう住みつくような、そういった街だったらしいですよ。
なるほどね。
赤長賃とかも全然ない。お店自体がないっていう状態だったらしいです。
ただね、そんな中で、1989年に戦後の台湾を描いた台湾映画が出ます。
非常上司っていう映画なんですけど、この映画がですね、この旧墳をモデルにしてるんですよ。
そうなんだ。旧墳の歴史的な?
戦後の台湾で旧墳が舞台。
だから日本統治とか、戦争のお話とかが出てくるんですけども、この作品がね、ベネチア国際映画祭で金字賞を取っちゃうんですよ。
そうなんだ。
ということで、ここがもう映画の聖地ってことで、いろんな人が来るようになるんですよね。
なるほどね。
ただ来たところで、お店とかないじゃないですか。
ゴーストタウンですもんね、その時は。
過労死で、さっき言ってた居酒屋とかっていうのがあったんでしょうけど、観光できる場所がなかったので、ここで1991年、旧墳で最初の茶芸館、旧墳茶房というのがですね。
91年。
91年。
読まれてますね、みどさん。
僕は読まれてます。
あれ、まだ?
まだですね。まだ形もないね、私。
まだ形ないか。
そうなんです、91年に旧墳茶房っていうお茶屋さんができるんですよ。
で、そのお茶をオープンしたのがデザイナーの方で、そこで地元旧墳を盛り上げようということで、赤いランタン、ちょうちんをつけ始めたんですよ。
なるほどね。
それに倣って、地元で活躍してたデザイナーとか仲間たちが、続々と同じような茶芸館をオープンさせるんですよ。
で、お店とお店をつなぐように赤ちょうちんを連ねたところを、どんどんどんどんお店が拡大していって、町は赤ちょうちんだらけになってしまうと。
へー、そういう成り行きなんだ。
そうなんです。で、その光景が、早尾三矢崎の目に留まったんでしょうね。
あー、なるほどね。
はい。2001年公開の千と千尋の神隠しの影響で、活気と観光客でピークを迎えます。
なるほど。千と千尋の懐かしですね。
そうですね。ここで働かせてくださいってね。
そうそう。私、初めて見た映画、千と千尋でしたね。
あら、そうなんですか。
ちょっと怖かった映画館で、あれ見たときは。
贅沢な7人。
そうそう。
夏季マリオね。
そう。もう怖いから、ユーバーバー。結構怖いから。
でもね、今見たらユーバーバーってね、昔みたいに意地悪なおばあちゃんってイメージだったんですけど、すごいできる経営者ですよね。
可愛いなとか思うときもあるし。
なんか、褒美は盛大にあげるし、お客さんでもね、かさはらするお客さんは許さないし。
八百万の神様が来たときもね、みんなでお祝いしたりとかね。
そうですよね。優秀なんですね、ユーバーバーだから。
まあ、置いといて。
ということで、九分はですね、台湾を代表する観光スポットとして見事に息を吹き返したということです。
観光名所としての復活
だからね、実は歴史はそんなに深くはないんですけども、やっぱそのゴールドラッシュから湧いた。
何か人が集まるきっかけがね、ちょこちょことあったわけですね。
はい。で、ここからね、ちょっと私、世界参見店マイスターらしく、ちょっと考察したいんですけども。
はい。
じゃあ、この九分、台湾が世界参条約結べたとして、九分は世界参になるのかっていうのを、ちょっと考えてみました。
はい。
もうこれ、忖度なしに言いますよ。
うん。
正直、ちょっと厳しいかな。
なるほど。
まあその、街だけっていうんであれば、やっぱその街が、歴史的な根拠を語ってるっていうには、ちょっと言いづらいっていうのがあって。
なぜなら、やっぱりのべしてるから。
そうですね。
金鉱を掘って、台湾中から人々が集まったっていう歴史のオリジナルの形がなくて、やっぱりのべしてるんで、
新しい、比較的現代に作られた建築の形。
なるほど。
難しいとは思うんですけども、ただですね、ただ、これ考えようね、金鉱都市として見るんであれば難しいけど、
街の繁栄から衰退、そこから復活っていう、一つのストーリーで見るんであれば、
誰もいない廃墟の街から、なってしまった街から、人をこう戻させたっていう、人々の活動を表す景観としてだったら、その世界遺産として言える価値はあるんじゃないかなと思ってて。
やっぱ、世界遺産ってつくづくストーリーなんですよね。
まあそうですね。
どの角度からその景色を捉えるかっていうのがすごい重要で、建物自体はやっぱりのべして、新しいものだけど、それもやっぱ、時代のこの変遷を経て、りのべしてるわけじゃない。
まあそうですね。必要に応じてだし。
そうなんですよ。それも歴史じゃないですか。やっぱ人がそこで、知恵と努力で、もう一回あの街を復活させるっていう活動を表してるんで。
確かに確かに。
その活動の証拠になってるから。なんかそういう観点では、もし台湾が世界遺産条約を結んで、あの世界遺産ができるよっていう状態になっていたとしたらの話なんですけど、なんかそういうストーリー上では九分っていうのは、やっぱ他には類を見ない場所かなって。
だってそのまんま衰退していく街って、世界中いっぱいありますからね。でもそれをもう一回息を吹き返させたって、地元民の力っていうのは、そんなにあるもんじゃないし。
台湾の観光文化
結構いい代表例かもしれないですよね。こういうふうに工夫したことで、もっと人が集まってきましたよっていうね。
まあ確かにね、いさに登録されたら同時に多分オーバーツーリズムっていうのが上がると思うんですよ、九分の場合は。
それもまた大変なことですからね。
でも九分もね、世界遺産じゃないけど、何もしないかっていうとそういうわけじゃなくて、パークアンドライドって言って、遠くのパーキングに停めて、そこから路線バスを乗って行きましょうねっていうのをやってるし、対策はいろいろしてるっぽかったです。
ただやっぱ観光地だし、むしろ観光地としてもう一回こう復活を目指して息を吹き返した場所だから、やっぱそういったものはちょっと付き物になるかなっていうところもありますけど。
ただ、ここは本当にお昼時ですね。
お昼時?
はい。夕方になると人あふれちゃうんで。
なるほど、そうだね。またランタンというか、ちょうちんなのかな?色がね、灯されてまたいい感じですからね。
そうですね。
夕方になってくるとね。
そうなんです。
はい。
なので、平日のね、2時過ぎに僕行ったんですけど、その時はね、全然そこまで人いなくて、さっき言ったアーメイ茶屋の向かいにやっぱお茶屋さんがあって、そっからお茶飲みながら写真撮れるんですよ。
あー、なるほど。
結構人気なお茶屋さんなんですけど、そこはガラガラでした。
えー、やっぱ時間によって全然違うんですね。
はい。工夫すればなんともなるんで。
なるほど。
ぜひね、台湾興味ある方、世界遺産検定持ってて、俺は世界遺産しか回らねえぜって思ってる方も、実はね、その時点で台湾っていう場所を見てみてもすごく面白い。
そうですね。全然日本とは違う部分がいっぱいあるし、それだけでもめちゃめちゃ楽しいと思うんですよね。
なので、ぜひ見てはいかがでしょうか。
ご飯もおいしそう。
はい、おいしいです。
ということで、今回の仮想世界遺産は台湾から9分でした。
ありがとうございます。
ということで、ちょっとね、本編めちゃくちゃ力入りすぎて話すいちゃったんで。
はい。
チャチャっといきたいんですけど。
かねさん結構、台湾って今まであんまこう意識してなかった感じって聞いたんですけど。
なかった感じですね。
どうすか?
でも、なんか日本とのかたわりの深い国だし、かつ近いし、私は台湾マゼソバがものすごく大好きで、
結構ね、行きつけの台湾人が作る台湾マゼソバがすごくおいしいお店があるんですよ。
でも、まあいいなとはね、思います。
まあね、食べ物はね、まじで間違いないです。
ね、日本人の口にも合うこと間違いなしですよね。
間違いないですね。
日本もルーツにね、少しあるわけですから。
そうですそうです。
日本人もおいしいって。
おいしそうですね。食べたい。
僕ね、たぶん3キロぐらい太った。
3キロ?大丈夫、全然気づかないから。
戻したから。
戻したんだ。
なんでそんなストイックなの、いつも。
いやもうね、ほら、年男だから。
気合い入っちゃってる。
うん、気合い入っちゃってる。
年男。
そうなんですね。
で、またね、小連れのリスナーの方多いと思うんですけど、もちろん僕小連れで行ったんですけど、台湾ね、ほんとね、めっちゃ優しいですね。
よくね、新日の国だから優しいよって言うじゃないですか。
まあまあよく聞きますね、それね。
行って思ったんですけど、そもそも優しい。
優しいんだ。
優しいんだ。
ほんと、全然、最初だから中国語でバーって喋られるんですけど、ポカーンってしてたら、ああオッケーオッケーって普通になんかこう手伝ってくれたりとか。
そうなんだ。
電車入ってさ、日本とかその、椅子の前とか行ったら譲ってくれるとかあるんですけど、電車のドア開いた瞬間に譲ってくれますからね。
えー優しい。
しかもそれは何例かというよりはなくて全部ですよ。
ジェントルマンだらけですね。
そう、ジェントルマンと宿女だらけ。
あーそこそこ。
最後の方とかだって譲り合い合戦みたいになっちゃって。
そうなんだ。譲ってもらえばいいじゃないですか、そういう時はね。
めっちゃ譲ってもらいました。
やったーっつってね。
確かになんかね、いやでもほんとねマジそれはちょっと見習わないといけないなってすっごい思っちゃった。
自分でもなんか椅子を譲り合えてしてる方って思ってたけど、全然気にならない。
なかなか考えちゃいますよね、でもいろいろね。
うん。
なんだろう、日本人はやっぱシャイじゃないですか。
あーそうね。
っていうのもあると思うんですよ。
私もすごい考えますもん。今、乗りたい、座りたいのかなとかさ。
一旦考えてから、じゃあちょっと開けようかなってなるけど、
考える前にやっぱ立ち上がる人とかって海外はすごく多いイメージですし、
文化的にもやっぱフランクに人と関わるっていうものがベースにあるから、
そういうものもあるのかなとかね。
そうね。
ちょっとなんか思ったのが、文化とか親からの教えっていうのは多分あると思うんですけども、
それ以上のものがある気がしてて、台湾ってもしかしたら教育機関で、義務教育の間で、
人に具体的にどういうふうに優しくするのかっていうのを教育してるんじゃないかなって思うぐらい、
システマチックに優しかったんですよ。
何が優しいのかとかね。
いや、ほんとほんと。
そういうこととかもね。
マジで。多分学校で全員習わないと。だって全員ですからね。
あるかもしれないですね。道徳的なことをかなり力を入れて教育されてるのかもしれないですしね。
ですよね。なんてこと、ちょっと思うぐらいすごいね、子連れ旅行者としては快適だったんで、ぜひ。
素敵ですね。
行ってみては。下手したら沖縄行くよりも安く行けるんで、今は。
九份老街の魅力
確かに。なんかさ、ほら、立ち上がって、いや、いいです、いいですって言われる場合もあるじゃないですか。
ありますね、ありますね。
次なんでいいですとかね。結構ちょっと恥ずかしいって思っちゃうときもあるんですよ、私のとき。
そういう気持ちもやっぱね、反省しちゃうかも、今聞いたら。
確かに。
そんなの別に気にしなくていいんだなとかね。
そうですね。
やっぱ周りの目気にしちゃうな、私結構。
いや、本当になんだろうな、見返りのない優しさって感じ?
そうそうそう。
そういう感じなので、ぜひちょっと体感してもらいたいなと思います。
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そしてイベントです。
2月2日、京都で皆さんと会える場所を設けております。
西本願寺伝道院という場所でですね、世界遺産京都について、そして本願寺について、僕と金谷さんで語らうトークイベントを用意しております。
こちらもね、皆さん、全然申し込まないんだから。
そうね、全然。
どうしちゃったのよ。
来てよって言ってるんだから。
怒っちゃうよ。
本当ですよ。私クリスマスに皆さんからもらったファミマの靴下履いてますよ、皆さん。
え?って当日履くの?
いや、当日履かないな。すみません。
当日は厳しいかも。
厳しいですね。
来てください、とりあえず。
3歳になかなか行くことなかったんでね、すごいこれとない機会だと思うんで、2月2日1時半から15時までの間ですね。
先着50名様、そして参加費は3000円以上ということで、このリンク欄に申し込みサイトを貼っ付けておりますので、概要欄から見て、ぜひ見てください。
行けそうだったらポチってください。
ぜひ。
そうですね。
騙されたと思って。
はい。
はい。
素敵な時間にしちゃうんだから。
ちょっと予定入ってるけど、リスケできるかなとかね。
いいですね。
あれれれれ。
あれれれ。
ちょっとゴミのない範囲でね。
はいはいはい。
行きますから、皆さん京都に。
行きますから。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
ということで、エピソードの方もまた来週聞いてください。
はい。
また来週お会いしましょう。バイバイ。
バイバイ。
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ご支援いただきありがとうございます。
ありがとうございました。
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