1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #224「江戸時代の人気スポーツ..
2025-10-21 29:42

#224「江戸時代の人気スポーツは?」日本に受け継がれてきた歴史

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明治時代に西欧式のスポーツが日本に入ってきたが、

それ以前、人気だったスポーツ?遊び事について話しています。

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サマリー

江戸時代のスポーツや遊びとして賭け比べや竹馬が紹介され、特に庶民にとっての楽しみとしての位置づけが探られています。また、走り方や服装が競技性に影響を与えていた時代背景についても語られています。江戸時代の人気スポーツには、貝を投げる遊びや要求、相撲、力石、水術などがあります。これらは当時の娯楽として庶民に広まり、特に相撲は圧倒的な支持を集め、実際の競技だけでなく演技としても楽しまれる形式が見られました。江戸時代には日本独自のスポーツや娯楽文化が育まれ、現在のスポーツ文化の基盤が築かれています。

江戸時代の賭け比べ
スピーカー 2
この夜ほど私は悲憤痛恨の涙に暮れたことはない。始まりました。大人の近代史、よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。悲憤痛恨っていう言葉がなんか初めてなんだけれども、誰だろうね。しずいてわかんない。
スピーカー 2
これはね、熊谷一哉さんの言葉でした。
スピーカー 1
え?
スピーカー 2
知ってる?
スピーカー 1
いや、わかんない。
スピーカー 2
この人、日本初オリンピックでメダルを獲得した人なんだよね。
スピーカー 1
え?
スピーカー 2
そうそう。1920年のアントワープのオリンピックの大会で、テニスのシングルス、ダブルスで両方銀メダルを獲得したんだよね。
スピーカー 1
そうなんだ。
スピーカー 2
そんなわけで、この人をやるっていうわけではなくて、今日はスポーツの歴史というか、主に江戸時代のスポーツについてちょっと話したいなと思ってます。
スピーカー 1
なんかそれは着眼点としてさ、やっぱり新たな心を磨きやするな。
スピーカー 2
そう。スポーツっていう言葉自体がもう外来語じゃん。
で、これはラテン語のデポルターレっていう気分転換っていうような意味らしいんだけど、もともとがね。
特にね、スポーツ文化が発展したのが古代ギリシアって言われていて、そこではさまざまな競技が開催されていたらしくて、
それが今日では競技性のある運動とかオリンピックの競技に象徴されるようなので、スポーツっていう文化が根付いてきてるんだよね。
で、日本初のスポーツ競技会としては明治7年、1874年東京で海軍兵学僚の遊戯会、運動会みたいなもんだね。
これが最初って言われてるんだよね。
で、この時はイギリスから指導者を招いて行われて、日本って明治以降、西洋文明を積極的に取り入れて、
まさにその西洋式のスポーツ、野球とかサッカー、テニスなんかが普及してくるんだよね。
ただ、その西洋のスポーツが入ってくる前にも、日本は独自のスポーツのようなものっていうのは実は存在していたっていうのが、今日のお話をしたいことであります。
で、日本はその、もう古来から古事記なんかにも力比べっていうものが記述されていて、
これは神様同士が力比べをしたっていうようなもので、これが相撲の原型って言われたりするんだよね。
相撲ってさ、相撲を取るって言うんだよね。
そうするとは言わなくて、これは神様同士が手を取り合ってから力比べをしたってことから、その取るっていうのが来てるんだよね。
で、鎌倉時代以降になると武士が台頭してきて、主にその戦いの訓練として剣術とか馬術とか球術、弓だねっていうのが盛んに行われるようになって、
そっから戦国時代が終わって江戸時代になって、平和がだいぶ続いてくると、そこに娯楽の要素が加わってきたんだよね。
今まで上流階級の人たちが主体だったものが、庶民に至るまでスポーツと言っていいのか、遊びごとの要素の方が強いかもしれないんだけども、これが盛んに行われていくんだよね。
ということで江戸時代、いくつか私が勝手に抜粋をして、どんなものがあったかっていうのを今日は話したいと思います。
スピーカー 1
じゃあまずエントリーナンバー1番、賭け比べ。賭け比べ?賭けっこ?
スピーカー 2
そうそう。主に短距離の方をイメージしてもらうといいんだけど、江戸時代主に子供の遊びとしてこの賭け比べっていうのは行われてたんだよね。
当時、もちろん時間を正確に測るってものがないから、一緒にスタートして先にゴールした人が勝ちっていうような単純なルールだったんだよね。
ただこの賭け比べ、大人も熱中して取り組むっていうものではなくて競技性のあるものには発展していかなかったんだよね。
この背景には走ること自体が当時一部の仕事に就く人だけの特殊技能だったんだよね。
竹馬の遊び
スピーカー 2
これ飛脚とか、カゴかきって人をカゴに乗せて担ぐ人たちなんかが身につけているようなって言われてたんだよね。
緊急時とかはさすがに走ったと思うんだけども、たぶん走るってことって今ほど当たり前のように習得しているものではないっていうようなイメージなのかな。
この飛脚とか、例えばナンバ走りっていうような走り方をしてたんだよね。
同じ側の手足を出すっていう、右足右手を同時に出すみたいな。
今これ逆じゃん。右手出したら左足出すよね。走る時とか。
このナンバ走りって体をひねらずに腰から下で走るんだよね。
だから長時間走っても疲れないとか荷物を持ってたりとかするから、その時にも移動が楽になるような走り方らしいんだよね。
記録では1日に100キロとか200キロも走ってたっていう記録もあるぐらいなんだよね。
今ではさ、うちらもさ、たぶんちっちゃい頃から体育の授業とかでも、同じ側の手足出したら注意されるような。
だから当たり前のように逆で走るよね。
この前さ、ちょうど自分の子供も走る練習しててさ、手足が同じ右手右足が出てたから、
いやいやこれ逆だからとか俺注意したのを思い出してさ、
いやでもなんかこれをちょっと振り返って本当にそれで合ってたのかな俺って。
スピーカー 1
いや合ってるでしょ。
スピーカー 2
これねちょっと考えさせられるんだけど、
それってさ、やっぱりタイムとか速さを意識してるからそうなっちゃってるんだよね。
でも当時って別にそのいかに長時間走れる、しかもすごい獣道なんか舗装されてないところを荷物を担いで走るっていうのは、
自然とこういう何歩歩き、何歩走りって言われるようなものになってったらしいんだよね。
ちなみにね何歩走りと何歩歩きっていう普通の歩きもあるんだよね。
走りを歩きバージョンにしたものなんだけど、
例えばこれってあの登山の人が体力の消耗を防ぐために今でも南蛮に近い歩き方するんだって。
えーそうなんだ。
そうそう腰から上はこうひねらずに腕も大きく振らない。
で足も高く上げずに歩幅は小さく歩くみたいな。
そうそう。
大人の方登山やってる方ね何気にちょっと多いと思うんで、
なんかもしこれはって思ったら教えてください。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
で走るってことが当時盛んに発達しなかった理由には他にもあって、
まず服装なんだよね。
庶民に至るまでその普段着って長着っていうさ足首のあたりまで丈の長い着物を着てたんだよね。
それにゾーリーを履いてたりしたから、
で武士なんかは刀を腰に刺していて、
全速力で走るってこと自体が難しいような服装だったんだよね。
ただ長距離を歩く旅人とかそういう人は多くいたと思うんだよ。
その場合でも着物をわざわざ隠し上げて、
しかも足と台座が固定されたゾーリーを履いて、
そういうふうにしてさ、動きやすい工夫をしてやっと長時間歩くっていうことをするらしいんだよね。
でも本当に普段みんな走らなかったのかなってちょっと疑問に思って、
長丸って言うと最近走ったのってどんな時?
スピーカー 1
走ったの?難しいこと言うな。
走ったのは全然もう記憶にないぐらいだな。だから走ってないと思う。
スピーカー 2
本当に走ってない?
スピーカー 1
記憶にない。
走ったかって言われると走ってはないような、
だからちょっと急いで早歩きとかはあるけどさ、
走ったかって言われると走ってないね。
スピーカー 2
そうか。俺は最近だと電車に乗り遅れそうな時走ったけど、
その時ハッとしたんだよね。
これはさ、時間を意識している今の現代だからなんだって思っちゃったんだよね。
そうだね。
あと走るって言ったらやっぱり子供の時とか体育とか運動会、部活なんかでも走らされたじゃん。
だからさ、意外に走るっていうことがなくても暮らしって成立してるよね。
スピーカー 1
まあそうだね確かに。それはそうかもしれない。
その乗り遅れるとかそういうのちょっと一旦置いといて、
走りが必要な時って急ぐ時だけだもんね。
スピーカー 2
そうそう。だからもうなんかさ、ここにすごい考えちゃってさ、
走ることが発達しない社会の方が実は幸せなんじゃないかな。
スピーカー 1
それは一理あるというか、そうだね。
スピーカー 2
勝手に思って。
ヨーロッパはね、古くから競技として走るっていうことがあったんだよね。
これはもう紀元前776年の古代ギリシアのオリンピアがもう開催されて、
最初のオリンピックなんて言われるんだけど、
そこですでにもう短距離走とかが存在してるからね。
こんなふうにちょっと掛け比べっていうのがあって、
次にちょっと紹介したいのは、これは皆さんが知ってる竹馬ですね。
これもね、かなり盛んに行われていて、竹竿に足置き場の横着を縄でくくりつけて、
そこに両足を乗せて、もうみんながイメージするような竹馬をするんだよね。
これはね、19世紀前半あたりに登場した遊び方で、主にこれも子どもの遊びとして行われてたんだよね。
ただね、これ調べると、もっと昔はこの竹馬っていうもの自体は存在してたんだけど、
今とは全く違う乗り方なんだよね。
これはね、一本の枝葉のついた笹だけにまたがって、引きずって走り回る遊びだったんだよね。
スピーカー 1
引きずって?
スピーカー 2
これはね、イメージすると、ハリーポッターの宝器にまたがって飛ばないバージョンみたいな。
スピーカー 1
あー、なるほどね。魔女のなんか飛べないやつね。
スピーカー 2
飛べないやつで、それで引きずって走るっていう。
それが何かいつしか皆さんがイメージするような竹馬になって、これこそさ、右足と右手両方同じに動くでしょ。
これもね、日本で竹馬が根付いた理由の一つなんだけど、さっき言ったナンバーって言われる片半身をこう同時に動かすっていう動作を日本人は慣れていたというか。
ヨーロッパにはこういう独特の動きってないから、逆に竹馬ってそんなに発達しなかったんだよね。
こんな歴史もあったりして。
穴市の遊び
スピーカー 2
次は穴市です。
スピーカー 1
もうなんかこの辺に来るとわかんないね。
スピーカー 2
これ何だと思う?
スピーカー 1
穴市?穴?穴?穴?掘る?
スピーカー 2
うーん、なんか、穴を掘ってなんかすんの?
そうだね。長室が得意かもしれないけど。
スピーカー 1
まあ多分得意じゃないな、だとしたら。
スピーカー 2
これは地域や時代によって様々なルールがあるんだけど、代表的なもので言うと、地面に穴を掘って、その穴にゼニを投げて入れるんだって。
よくわかんないんだけど。
いや、だから直径10センチぐらいの穴を掘って、そこにお金を投げて入れば勝ちみたいな。
スピーカー 1
ちょっとわかんないけど、距離どれぐらいかわかんないけど、投げ入れるって入ったらいいっていう感じの。
俺は苦手だろうね、きっと。なんかわかるわ。
スピーカー 2
1メートルぐらい離れた位置から投げるのが大体主流だったらしいけど。
江戸時代の貝遊びと要求
スピーカー 2
江戸時代ではね、徐々に投げるのがお金じゃなくて、ゼゼ貝とかキシャゴって呼ばれる貝殻に変わってったんだよね。
で、これを貝殻を投げて穴に入れれば勝ちみたいな。
これは大人の博打の対象としてもすごく流行して、幕府から禁止令が出るほど人気だったんだよね。
それでも衰退せずに明治に入ってからも禁止令が継続的に出てるんだよね。
これね、なんかね、面子の元になった遊びとも言われてるぐらい。
スピーカー 1
面子とそんなに全然違う気がするんだけどね。
スピーカー 2
確かに罠上げの方が近いんじゃないかと思ったけど。
スピーカー 1
そうそう、罠上げの方が近いね、確かに。
スピーカー 2
でもね、これね、穴位置調べていくと、穴に例えば入らなくてお金が穴のそばに落ちるじゃん。
相手も入らなかったら、そのお金に先にもう一回投げて当てた方が勝ちみたいな。
そういうルールもあったんだよね。
スピーカー 1
そうなるとちょっと面子に近くなってくるね。
スピーカー 2
そうそうそう、だからそういうのもあったのかもしれない。
ごめん、ちょっとあんまり自分も穴位置専門じゃないんで申し訳ないです。
スピーカー 1
いや、専門家じゃなかったっけ?
スピーカー 2
専門じゃないわ。
次はね、要求。
スピーカー 1
要求?
スピーカー 2
そう、これはね、実は一回大人の金出しで出てるかもしれない。
スピーカー 1
いやー、全然俺は記憶にないな。
スピーカー 2
そう、小型の弓を使って的を射る競技なんだよね。
もともと中国から伝わった宮廷の行事らしいんだけども、江戸時代では都市部で庶民も行うような娯楽だったんだよね。
江戸ではね、矢場とか決戒場って言われるんだよね。
矢場って、たしかジョルジュ・ヴィゴン時に自分が言ったんだけど、誰か覚えてる人いるかな?
スピーカー 1
矢場だったら聞き覚えあるね、たしかに。
スピーカー 2
そうそう、座った姿勢から弓を放つ。今で言うダーツバーに近いのかもしれない。
シャンティーだね、小型郎がダーツバーとか出ちゃうぐらい。
いやいや、俺やんないけどね。
そうなの?
これね、奥に設置された的をめがけて矢を放って命中した本数を競うっていうようなものなんだよね。
19世紀の江戸では年2回要求の競技会が開かれて、優勝者は江戸市っていう称号が与えられたぐらいなんだよね。
江戸中の矢場の看板に優勝した人の名前が大きく掲げられるんだって。
これね、人気だったのは他にも実は理由があって、矢場には女性が働いていて、
それね、矢場女とか、やとり女っていうような呼び方をしてたんだよね。
この女性は的の周りをした矢を拾うってことが表向きの仕事で、ただ裏では客と売春が行われていたんだよね。
スピーカー 1
なんか、全然そこで結びつく理由がよくわかんないけどね。
スピーカー 2
あ、ね、不思議だよね。
スピーカー 1
なんか、ダーツバーで考えればなんとなくイメージ的にそっちに結びつくのも、
いや、でもわかんねえな、やっぱ。よくわかんない。そうなんだって感じだね。
スピーカー 2
そうだね、ダーツバーでさすがにそんなんないでしょ。
スピーカー 1
いや、知らないけどないんじゃない?
スピーカー 2
そう、だから要求を楽しむふりをして、男性は女性を目当てに通ったっていう人が多かったんだよね。
スピーカー 1
なるほどね。なんか、よくわかんないね、そういうの。
スピーカー 2
まさにハートを射抜かれてたんだろうね。
スピーカー 1
うまい、さすがだよ。ってか、それもういつ言おうかって思ってたぐらいでしょ、たぶん。
そうそう、あれタイミング逃したなって思って。
スピーカー 2
で、さらに賭博の対象にもなっていて、すごく大人たちが楽しむ娯楽だったんだよね。
相撲の多様性
スピーカー 2
で、そんなのがありまして、次はもう誰もが知る相撲ですね。
これは日本で最も古いスポーツのひとつとも言われる相撲なんだけども、江戸時代もこれ圧倒的な人気があったんだよね。
ただね、相撲にはいろいろな種類があったんだよね。
まずは肝心相撲っていう、これは江戸時代には相撲小屋を立てて、客がそこで見物料払って、飲食なんかを楽しみながら相撲を見るんだよね。
これまさに今の相撲のイメージとほぼ一緒なんだけども、力士もやっぱりプロというか、それを職業とする人たちが行ってるんだよね。
当初は関西の方が活発だったんだけども、江戸相撲の方が中心的な地位になっていくんだよね。
この理由は江戸に多くある各藩の武家屋敷の存在があって、各藩の代名は力士を召し抱えて、例えば肝心相撲に参加させて、それで藩の力を誇示するっていうような、そういう意味合いにもなってったんだよね。
江戸にはもともと武家屋敷が多い、各藩が集まってるっていうことで、同時に江戸相撲っていうのがすごく人気になっていったんだよね。
肝心相撲に対して辻相撲っていうのがあるんだよね。これは相撲小屋とかじゃなくても、外の路上なんかでも行われて、肝心相撲がプロの相撲の力士に対して、これはアマチュア同士で相撲をやるっていうものなんだよね。
これすごいよね。一般の人たちが勝手にその二人で相撲してるっていう。これ今、路上で相撲とってたらまずいけど、当時は結構盛んに行われてたんだよね。江戸時代ですごい人気で、通行人の妨げになるぐらいすごい人だかりができて、幕府が取締りに乗り出すほどだったんだよね。
さらに、1711年に幕府が禁止令を出した時なんかは、これは交通の妨げで出したんじゃなくて、庶民が当時、アマチュアの力士、卑下士とか、都備職人っていうような肉体労働者を飯抱えて相撲を取らしてたんだよね。
それに対して、身分不相応だっていうところで、幕府が禁止令を出したっていう事例もあるんだよね。そんな辻相撲っていうのもあるし、さらにこれはすごいなと思ったんだけど、一人相撲。
今でも言葉としてあるから、なんとなくわかるけど、一人でやるの?本当に。本当に一人でやる。これもかなりの人気があって、行事役、二人の対戦する力士をまさに一人三役演じるんだよね。
いろんな出演書あるかもしれないけど、まず地面に土俵代わりの縁を描いて、実在する、さっき言った肝心相撲の人気力士の名を読み上げるんだよね。それを聞いて、見物人が集まり出して、二人の力士の取り組みが始まるっていう。
この一人相撲で大事なことっていうのは、まるで相手がいるかのように全力で相撲を取る演技力が大事なんだよね。自分で回しを掴んで引っ張ったりとか、首の後ろに手を回して引っ張られたりとか、まさにすごい迫力の演技をするんだよね。
こういうの尾形郎得意そうだよね。パントマイムみたいなさ。俺もちょっとやりたいなと思ったんだけど。尾形郎得意だよ絶対。俺は分かる。尾形郎のダンスとか見てるから分かるけど、多分こういうのが得意だと思う。違うだろ。どんなダンスだよそれ。ジャンル的にこっちの方が得意かなと思って。こんなジャンルないわ。
もう一つ大事なことは、なかなか勝負をつけないってところなんだよね。見物には応援する方の力士に投げ戦をするんだよ。金額が少ない方の力士が徐々に追い詰められるっていうのを演じるんだけども、さらにそこですぐ結果をつけずに土俵際の攻防が繰り返されるんだよね。
ここでさらに投げ戦を煽って、たくさんの投げ戦をもらうっていう。最後はこれで投げ戦の多かった力士を勝たせて、負けた力士役を最後演じて派手に地面にひっくり返るってことをするんだよね。
最後はまた行事役となって、勝った方の力士の名を呼ぶっていうような、そんなひとり相撲っていうのが人気だったんだよね。
スピーカー 1
どっちかっていうと演技って感じがするね。
スピーカー 2
そうそう。なんだろうな、コミカルな演技も求められて、チャップリンに似てるのかなこれって。
スピーカー 1
やっぱ小片郎じゃん。
スピーカー 2
やめろよ。どういうイメージなの?
スピーカー 1
小片郎は、俺はそういうチャップリンみたいなイメージで強いよ。
スピーカー 2
ちなみにね、これ現在でも愛媛県の今治市の大山積神社ってとこで、年中行事としてひとり相撲を行われてるんだよね。
スピーカー 1
そうなんだ。
スピーカー 2
俺、これyoutubeで見たんだよね。これね、なんだろうな、俺やった方がいいかもって思ったね。
スピーカー 1
だから小片郎絶対上手いって、俺はそう思うよ。絶対才能あるもん。
スピーカー 2
それもyoutubeの面白かったんだけど、もうちょっといけんじゃないかなって思った。
スピーカー 1
だから俺はそう思うよ。小片郎は上手いと思うよ、きっとこういうの。
スピーカー 2
ちなみにこの今治市のは、稲の精霊と人間が力比べをするっていうシチュエーションで、五穀豊穣を願うっていう目的で古くから行われてきてるんだよね。
続きまして、力石。
スピーカー 1
力石、なんか持ち上げたりするの?
スピーカー 2
そうそう、これは重たい石を持ち上げて競い合うものなんだよね。
これね、中には236kgを持ち上げたっていう記録もあるんだよね。
石の持ち上げ方によっていくつかこれも種目が分かれていて、
例えば石差しっていう、これは重たい石を両手で抱えて、まず腹に乗せて、それを胸まで上げて、さらに両手で頭上に上げるんだよね。
この時、石の落下から身を守るために腰を後ろに引くっていう体勢をとって、まさにウエイトリフティングみたいなもんなんだよね。
それの石版みたいな。
スピーカー 1
いや、持ち上げづらさ考えたら絶対こっちの方が重いだろうけどね。
スピーカー 2
こっちの方がつらいよね。
あとは石担ぎっていう、これは石を肩に担ぐんだよね。
さらにその状態から首の後ろを通して反対側の肩に石を移動させる石回しっていうのもあるんだよね。
さらに石を抱えて歩いた距離を競う石運びっていうのもあるんだよね。
こんなふうに様々な種目があるんだけども、これが寺とか神社の境内で主に行われて、参拝客が大勢見物に来てたんだよね。
今でも自社の境内に力石で使われた石が保存されているとこもあるんだよね。
石の表面には、当時持ち上げた重量とか持ち上げた人の名前が刻まれてたりするんだよね。
水術の発展
スピーカー 2
次は水術。
これは日本は海に囲まれて川も豊富にあったことから、特に武士を中心に水術っていうのが発達したんだよね。
幕末では欧米列強の圧力があってその解剖意識が芽生えて、水術っていうのを奨励する藩っていうのは特に多くなっていったんだよね。
これはまさに泳ぎなんだけども、ミト藩では大半の武家の男っていうのは泳ぎをマスターしたって言われていて、
江戸なんかにも隅田川に水蓮城を設けて水術が盛んに行われたんだよね。
この水術、泳ぎ方はいろいろあって、例えば平泳ぎに似てるんだけど、兵隊っていうような泳ぎ方があったんだよね。
ただクロールっていうものは存在してなくて、これはあくまで戦闘を想定してスピードを競うものじゃないから、
クロールだと頭を水中に入れて周囲の注意を遮断してしまうから、日本では発達しなかったって言われてるんだよね。
だからオリンピック参加当初、クロールの種目って日本ってかなり苦戦してるんだよね。
逆に平泳ぎなんかは、もう1928年のアムステルダムオリンピックで日本の当時鶴田選手っていうのが優勝してるんだよね。
割と最近でも北島康介にしても平泳ぎの方がなんとなくクロールより強いイメージがない?
スピーカー 1
確かにそのイメージ強いね。
スピーカー 2
もしかしたらこの水術から来てるかもしれません。
スピーカー 1
遺伝的にってこと?
スピーカー 2
最初の出だしがそうだったんじゃないかなって。
これはあくまでちょっと私の意見です。
スピーカー 1
じゃあ間違っても大丈夫。
スピーカー 2
あと水術には立泳ぎみたいな立体って言われるものがあったんだよね。
これは逆さになって水上に垂直に足を伸ばしたりとか、まさにシンクロに似た一面もあるんだよね。
アメリカでシンクロ競技が誕生する、ずっと前から日本ではこういった水術でシンクロに似た動きをしてたんだよね。
そんな江戸のスポーツと言っていいのか、娯楽みたいなのを話したんだけども、
やっぱり西洋式のスポーツが入る以前から日本独自のこういうスポーツのような楽しむ文化っていうのがあったんだよね。
長い歴史の積み重ねの上に今のスポーツ文化があるってことをちょっと知ってもらえたらいいなと思って今日話しました。
現代との比較
スピーカー 2
はい。
いかがでしたでしょうか。
スピーカー 1
そうだね。
なんか今さ、日本でさ、こういうスポーツがやりたいって言ったらさ、たぶんそういう習い事があったりとか、
てかそもそもすごい数のスポーツができるっていう環境があるじゃん、日本って。
やっぱりそれは日本がそれだけ豊かだし、西洋のなんかいろんなものを取り入れていったっていうところもあるからやっぱりできるんだって。
やっぱり当時江戸時代とかだとさ、なかなかそういうものを、なんだろう、娯楽としてできるっていう人もたぶんそこまで多くはなかったと思うんだよね。
たぶん人数としても。
スピーカー 2
あー、確かにね。
スピーカー 1
やっぱり暮らすのが精一杯でっていう人の方が今に比べたら絶対多かったし、まあ人数の意味でね。
だからなんだろうね、やっぱりちょっとこうスポーツが今当たり前のようにできるっていうのをさ、なんか当たり前だとは思わず、ちょっと昔の人は結構苦労してたんだなとか、いろいろね、なんか考えながらいろいろ聞いてました。
スピーカー 2
なんかあれ、昔の人ってさ、やっぱ土日とかってこれも西洋の流れじゃん。
そういうのもなかったらしくて、お盆とか年末年始ぐらいしか休み、まとまった休みってなかったらしいんだよね。
だけどね、なんかね、別に好きな時に休憩して、好きな時に仕事中だろうが中断してこういう遊びをしてたっていう記録があって、なんだろうな、休み少なくてすごく大変な暮らしなんだけども、時間に縛られてないようなのがすごく垣間見れたんだよね。
なんかどっちが幸せかわからないんだけども、ちょっと考えさせられるなと。
スピーカー 1
まあそうだね。
スピーカー 2
ということで、今回はスポーツの歴史、主に江戸のスポーツについて話しました。
もしよかったらこの番組をぜひフォローしていただけるととっても個人的に嬉しいのでよろしくお願いします。
スピーカー 1
フォローぜひともよろしくお願いします。
スピーカー 2
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 1
ありがとうございました。
29:42

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