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スピーカー 1
数学の世界というのは、自分で自分の道を自由な発想で切り開いていけるのです。
始まりました。「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
おお、なんか数学、前回に引き続き数学ですね。
スピーカー 1
その通りなんだけれども、これね、今日やる内容の本を読んでて、その本の中に柴村森行っていう人が出てくるんだけれども、
その人の娘のカナっていう人が、この今日のテーマ、積高数に対して言った言葉なんだよね。
スピーカー 2
あー、来ました積高数。
スピーカー 1
そう、あの前回積高数、和算やるのになんでこいつだいぶスルーしてんだよって思った人いるかもしれないんですが、今日のために撮っておいたってだけです。
スピーカー 2
おお、いやいや、さすがです。
スピーカー 1
いやいや、何がさすがなんだよ。全然そのね、持ち上げ方が意味がよくわからない。
で、今日積高数をやるんだけれども、積高数ってさ、実はそんなに有名じゃないんだよね。
なんでかっていうと、これはちゃんと理由があって、資料がないんだよ。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう、資料が乏しいから、なんかぼやーってしてるのね。
もちろん実在した人だし、功績もいっぱいあるんだけれども、
スピーカー 2
あんまりその人の、この生涯っていう枠で見ると、ちょっと見えづらいというか、あまり見えない人なんだよね。
スピーカー 1
だから、今日話す内容っていうのは、一般的に学術的に認められている範囲内をなるべくやるので、
それは通説とは外れてるんじゃないのかっていうことも言っちゃうかもしれないけれども、
一応調べた限りこんな感じっていうところを取り扱いたいと思います。
まずは積高数の生涯の部分に入りたいんだけど、これはね、もうマジあっさりしてる。
なぜかというと、資料がないから、わからないことが多すぎる。
積高数は、時代でいうと江戸時代の前期、17世紀半ばぐらいに生まれた日本の数学者っていうところはご存知だと思うんだけれども、
正確な生没年がまず不明なのよ。
だいたいこのぐらいに生まれた、だいたいこのぐらいに亡くなったっていうのはわかってるの。
具体的に言うと、1640年ごろ生まれたとされてる。
で、1708年に一応亡くなったとされる。
1708年は、わりと一般的にこの年っていうのはだいたいこんなもんかなっていうのはわかってるんだけれども、
ただ、100%これっていう感じではないの。
それぐらいちょっと今謎に包まれている。
スピーカー 2
だから、実際何歳で亡くなったっていうのもざっくり68ぐらいなのかなみたいな、そんな感じなんだよね。
スピーカー 1
で、生まれた場所も不明なんだよ。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
これ正確に言うと、おそらく2カ所あって、藤岡か江戸のどっちかじゃないかっていうのが通説なのよ。
これなんでわかんないかっていうと、
要は生まれた年がわかんないっていうことは、その時にその生んだ親がどこにいたかによって違うじゃん、生まれる場所が。
スピーカー 2
確かにね。
スピーカー 1
そう。だから1640年ごろ生まれてるから、その頃いたのはどっちかだよねみたいな、そんな感じ。
スピーカー 2
藤岡ってどこだっけ?
スピーカー 1
あれ群馬、群馬。
スピーカー 2
あー、はいはい。
スピーカー 1
生まれたのも亡くなったのも、生まれた場所もちょっとふわっとしてるような感じの人で、
江戸時代のこの和産っていうのを広めたのは関高須っていうのは通説というか、これは一般に知られていることであって、これは事実なんだよね。
スピーカー 1
実際、広まった背景については和産の回聞いてもらえればいいと思うんだけれども、
その平和な世の中が続いた中で、武士とか長人っていうのがどんどん知的活動っていう方に、武芸とかじゃなくて知的活動の方に関心を寄せるようになって、
その中で商業が特に発展していく傍らで、数学っていうのも発展していく。
それが和産につながっていくっていうのは前回説明したことなんだけれども、
そういった時代の中で関高須っていうのは武士の家に生まれてるんだよ。
スピーカー 2
普通武士だったらやっぱり武芸とかそういうのに励むわけじゃん。
そうだね。
スピーカー 1
当時の武士の教育っていうのは、例えば儒学とか兵法とか、あとは書道とかそういうものが割と主流だったんで、
スピーカー 2
そのどっちかっていうと勉強っていう意味だとね。
で、その中に算術もあったんだけれども、そこまで盛んではなかったっていうのは、実際というか事実としてはあったと。
スピーカー 1
で、ただ関高須っていうのは普通の武士のその家に生まれ育った子供であれば、
儒学だったり兵法だったりっていうのにもっと関心を示すべきところなんだけれども、
スピーカー 2
算術にものすごい強い関心を示したって言われてるんだよ。
スピーカー 1
簡単に言うと好きだったんだろうね。
逆に儒学とか、あとは武芸、体を動かしたりっていうのもあんまり好きじゃなかったとは言われてるんだよ。
ちなみに冒頭で言った柴村守幸は、一説によると柴村守幸は関高須の師匠っていうことも言われてたりするんだよ。
ただこれはね、絶対そうですっていうものがなくて、
というかそもそも師匠だって指定関係があったっていう証拠ないどころか、そもそも接点があったのかも不明なんだよ。
ただ時代からすると、柴村守幸が書いた章なんかを関高須が影響を受けているみたいなのはあったりして、
スピーカー 2
何らかの関係はあったんじゃないかとは言われてるんだけどね。
スピーカー 1
柴村守幸から教わったっていうのも一説にはあるし、
独学で算術を学んだっていうような記述もあるのよ。
前回の和算の回で言った人工記っていう超ベストセラーの本があるって言ったじゃん。
あの人工記で独学で学んだっていうような説もあって、
実際どれが本当かっていうのはちょっとこううやうやなところなんだよね。
あとやっぱりその資料が残ってないから、実際何をしてたっていうのがよくわからないんだよ。
武士の家に生まれました。
で、武士の家に生まれたら何らかのお仕事に就くわけなんだけれども、
そういうものも明確に残ってるわけじゃなくて、
何をしてたかっていうのはここはちょっと推測の領域になっちゃうんだけれども、
おそらく官場役、今でいう財務とか経理みたいなのに相当する役職、
勤めであったとされてるんだよね。
数学を活かしてるわけよ、算術を。
で、関高数はものすごく仕事熱心だったとも言われてるんだよ。
そんな感じの人柄っていうところ、人柄っていうか何だろう、
ざっくりとちょっと人っていう部分に当てるとそんな感じの人なんですね。
で、じゃあその関高数がどんな業績を残したかっていうところに入るんだけれども、
ここがね、ちょっと今日難しい話になるので、
眠くなったら寝ましょうっていうようなレベルになると思います。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
そう、これね、ちょっとやっぱり数学だったら難しいのよ。
ちょっと早速内容入るけれども、
まず業績、大きく分けると4つ。
ちょっと4つっていうのも少ないんだけれども、
ちょっと大きく分けて4つぐらいかなと思って4つに分けました。
まず1つ目が天元術を発展させたことなんだよね。
スピーカー 2
天元術?
そう、天って天地の天ね。
スピーカー 1
天元術っていうのは、未知数のことを天元っていう記号で表して、
その多項式方程式を立てることで式を解くっていうような手法のことを天元術っていうのは、
すげーなんか俺もいまいちピンときてないんだけどこの説明言ってて。
スピーカー 2
難しいね。
スピーカー 1
で、この天元術っていうのは中国の時代でいうと宗の時代ぐらいにはもう存在していて、
石器っていうのはこれをさらに一般化して緻密化させたって言われてるんだよ。
スピーカー 2
発展させたっていうところで要は。
スピーカー 1
大数学的な思考法を導入したっていうところで、
スピーカー 2
石器高数っていうのは最初期の人物であるとも表されてるんだよ。
スピーカー 1
未知数を文字で表して方程式を立てる。
で、その方程式を解くことで計算して未知数を求めるっていうような、
いわゆる近代的な大数の基礎を築いたっていうところで1個業績として挙げられるんだよね。
石器高数はその某処方って呼ばれる独自の記号法を使うことで天元術を格段に飛躍させたんだよね。
某処方っていうのがすごい有名な言葉で、某処方って言ったら石器高数イコールになるぐらいの用語なんだけれども、
そういったものを、要はその独自の記号法を使うことで方程式を解くような形にして、
計算をすることでいろんな問題を解くことができるようになったって思ってくれればいいかな。
スピーカー 2
XとかYとか?
スピーカー 1
そういうイメージでいい。今のこのレベルの理解だったら。
もうちょっと、実際はもうちょっと違うんだけれども。
で、石器はその某処方とかそういったものを使うことで、
初美参法っていう書物を出すのよ。
初美参法はちなみに1674年に刊行されるんだけれども、
この初美参法っていうのが和産市場の金字塔的な、すごい超重要著作って呼ばれてて、
後世の和産家にものすごい強い影響を与えた書物なんだよね。
和産を発展させるって意味ですごい重要な書を書いたっていうところで、
スピーカー 1
で、もちろんこれってさ、鎖国してたから海外の情報入ってこないじゃん。
入ってこないにも関わらず、西洋数学よりも10年早く見つけるんだよ。
そこがすごいところなんだよね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
そう。ちなみに西洋数学はライプニッツが1693年に導入したのが最初って言われてて、積高数はそれより約10年早く見つけてるんだよ。だからすごいんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただちょっと言っとくと、積高数の解法っていうのは3時の行列式まではあってたの。
ただ、4時以降は一応誤りがその後見つかるんだよね。っていうところは一応補足しておきます。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、次行籍に戻って3つ目の行籍。これ有名なんだけれども、円周率の計算をしたんだよね。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
積高数って言うと多分ね、某書法の次ぐらいに円周率って出てくるんじゃないかな。もしかしたら。なんか個人的には円周率で結構有名な人かなと思ってて。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
当時、江戸時代っていうのは円周率が3.16が使われてたのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
今って当然3.14じゃん。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
でさ、円周率ってそもそも何かって言うとさ、円の円周の長さと直径の長さの比率じゃん。
スピーカー 2
あー、そっか。
スピーカー 1
まあそうなんだ。円周率だから。で、これさ、積高数はなんとなく、あれ?円周率3.16だとなんか実際計算してみるとちょっと円大きくね?みたいな。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
直径に対して3.16をさ、かけた時にさ、あれ?なんか円周もうちょっと本当はちっちゃいんじゃないのかなっていうのをうすうす思ってたんだよ。
それは要は3.16っていう数字がもうちょっとちっちゃくなればもちろん円周もちっちゃくなるじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、それをすごい簡単に言うとそこに疑問を感じていろんな方法を使って円周率っていうのを割と正しい数字で求めたんだよ。
ちなみに積高数は円周率を小数点以下11桁目まで求めることができたのよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
一応言っとくと3.14159265359っていうのが積高数が計算した円周率、小数点以下が11桁のものなんだよね。
で、これどうやって導いたかっていうと割とね、これがね、もう力技っちゃ力技なんだけど、
円ってさ、正多角形ってあるじゃん。
正多角形って角が多い図形のことね。
正多角形のさ、角をさ、ものすごく数多くすると円に近づくっていうのはわかるよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
四角形よりも五角形の方が円に近いじゃん。
で、五角形より六角形の方が円に近くなるじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
つまりその辺の数を増やすことによってより円周に近い長さを求めることができるんじゃないかっていう割と力技な感じで発見しようとするのよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
関高数はなんとこれ、正137,032角形っていうのを使ったのよ。
スピーカー 2
すごい。
スピーカー 1
やばいでしょ。これすごいなって。
なんかね、いろいろ本読むとね、なんか疑問に思ったときにまち針とかに糸をこう、まち針と糸使って、
なんか円を、円ってさ、やっぱなかなかこう測れないのよ、長さを。
どうしてもさ、直線になっちゃうじゃん、人間が測ると。
うん。
でもなるべく円にするために、まち針をいっぱい刺して、円になるべく近づくような形で糸を引っ張って長さを調べて、
あれやっぱりどう考えたって直径、3.16よりも数字が小っちゃいんじゃないかっていうのを気づいたとも言われてるんだよ。
これもいろいろ諸説あって、一応そういうとも言われてるぐらいに思ってもらえればいいと思うんだけど。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これがね、なかなか俺は努力家っていうか、まじで執念だなと思ったね。
スピーカー 2
すごいよね。
スピーカー 1
そんなめちゃめちゃ努力もする人な感じなんだよね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
行跡最後が、数表とか算法っていうものを実用化させたっていうところがやっぱり挙げられると思うんだよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
それまではどちらかというと、理論的なものっていうよりは算術っていうとただただ計算する、はい終わりみたいなところは強かったんだけれども、
まずそれを理論的に体系づけたっていうところと、
あとは積高数自体が割と実用的な算術家っていうこともあったから、
例えば測量だったりとか年古の計算だったりとか税務処理とか、
そういったものに応用的な応用可能な算法っていうのを整備して、
それで幕府の行政とかにも寄与したっていうふうに言われてるんだよ。
見やすい一覧を作って、これ見るとわかりやすいよみたいなのを作ったりとか、
すげえ簡単に言うと掛け算空空の表みたいなのを作ったみたいなイメージでいいんじゃないか。
そういった形で誰でも使えるような、実用的に使えるような整備をしたっていうところも行跡として挙げられるのよ。
スピーカー 1
そういったところから流派っていうものに繋がっていくのよ。
積流っていうのを前回触れたと思うんだけれども、
積流として弟子がさらにその積高数の考えっていうか、
その知見を広めていって発展させることで、
18世紀から19世紀初頭にかけては積流っていうのが和産界の主流ってなって、
和産文化っていうものの黄金期は積流が築くことになるんだよね。
スピーカー 1
それが現代の日本の数学だったり科学っていうものの技術進歩にも絶対つながってると思うんだよね。
そういった意味で本当に世界的な数学者、数学の神様って呼ばれるのは本当に名の通りだなっていうような人でしたという形です。
そんな感じで今日石高数やってみましたが、ちょっと菅さんこれね難しかったかなと思うんだけれども、小片郎いかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
石高数っていう名前は知ってたんですけど、
実際何をやったかっていうのがね本当に内容ってわかってなかったんで、
なんか詳細までは理解できないけどすごいことをやったんだなって思って。
この人ってさ、計算とかでもちろん電卓とかないから、その時でもソロ版とかってあったんだっけ。
スピーカー 1
当時はソロ版ある。ソロ版で基本的には計算をするっていう感じかな。
スピーカー 2
そうなんだ。いやすごいな。なんか円を描くのもさ、コンパスなんて立派なものもなさそうだしね。
スピーカー 1
コンパスはあったのよ。あったんだけど、ただそんなに俺らが想像してるようなコンパスではないよ。
俺ちょっと写真で見たことあるけれども、なんか江戸時代だなって感じ。
スピーカー 2
そうなんだ。前回言ってたもんね。
編集率ってあれなの?積高数が最初ってわけではないの?
スピーカー 1
違う違う。編集率自体は元々あって、3.16っていう風なのを使ってたっていうのもあるんだよ。
あともう一個補足しておくと、積高数よりも前に3.14ぐらいなんじゃないかって言って計算してた人も実際日本にはいたのよ。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
だから積高数が怪しいなって思って調べ始めたっていうのもあるし、積高数はその中で別の人が3.14じゃないかっていう意見とかも取り入れたんじゃないかとも言われてるんだよ。
だからそれもはっきりはわかってないわけよ。
ただ積高数が11桁まで計算したっていうのは事実なんだよね。
スピーカー 2
えーすごいな。
いやなんかね、その当時の本当に長丸が言ってたように鎖国家の中、あんまり海外の情報が入ってこない中で独自で自分の限られたその情報の中で自分なりに数学を導き出したのはすごいなって思いました。
俺この人ね、やっぱね調べててすごい思ったのはさ、ライプニッツとかさデカルトとかニュートンっていうさもう世界史で超出てくるビッグネームのさ科学者とかそういった人たちと並んで名前が出てくるのがすげーなって俺は本当に思ったよ。
スピーカー 1
みんな知ってるじゃんこの辺は。名前ぐらいは知ってるじゃん何やったかって具体的には知らなかったとしても。
すごいよね。
すごいなって思ったよ。なんかそんな人が日本に、本当に同じ時代ね。同じ時代の日本にいて、それで同じようなことを考えて同じようなことをこうね発見したっていうね。
うん。
もうそこが全てかなと。なんかやっぱすごい人なんだなっていうのはそれだけですごさがわかるかなと思うんだよね。
スピーカー 2
うん、確かにね。
うん。
ということで今回は咳高数についてでした。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
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スピーカー 1
はい、ポチッとお願いいたします。
スピーカー 2
はい、それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 1
ありがとうございました。