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こんにちは。
こんばんは。
大沢泉の雑談放送第20回、
大沢泉とは、
原作担当の大沢泉と、
作画担当の大沢泉が、2人で同人漫画を描いている、大沢泉です。
今回は、
最近、インタビュー記事を読んだんですけど、
それが面白かったので、
その話をします。
バザールとクラブという考え方が、その記事で紹介されていて、
その概念を通して、同人文化について考えてみようという、そういう回ですね。
はい。記事のリンクをどこかしらに置いておくので、
気になった方は、実際に記事を読んでもらうのが一番いいと思うんですけど、
簡単にそのインタビュー記事の内容を話しますと、
言語哲学をやっている、チュー・ヒチョルさんという哲学者のインタビュー記事で、
ローティーというアメリカの哲学者の研究を主にやっているんだよね。
そのローティーが言っていたバザールとクラブの話をインタビューの中でしているんですけど、
場の話だよね。場所の話でバザールとクラブってあって、
バザールは言葉的には市場、公共的な空間で、
誰しも社会の中で生きているっていうか、生活を営むためにそこにいなきゃいけない生態系みたいな感じ。
会社みたいなもんですか。
うん。学校とか会社でもいいけど、社会みたいな。
家でも行かなきゃいけないし、商売とか生きていくために参加しなきゃいけない場所みたいな感じで、
いろんな人が避けられずにやってくるから、基本的には健全で明るくて、正しい場所っていうか、そういう感じ。
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正しい振る舞いが求められる場所って感じですか。
それです。だから正しくない行動をとったりすると退場させられたり、それはダメですみたいにレッドカードみたいになったりする感じ。
拘束を破ると先生に怒られたりとかするとか、そういう感じですか。
一方でクラブっていうのがあって、クラブはもっとプライベートな場所で、バザールが明るい場所って言われるのと比較して暗いっていう感じなんですけど、
でも一つじゃなくていっぱいある。なんかこのインタビューの中では酒場みたいな言い方をされてて、その飲み屋さんとか一個一個のお店みたいな感じ。
いろんな人が来るのはいろんな人が来るんだけど、選べるし、いっぱいあるし、人がそれぞれ何個も持ってるっていうか、この店気に入らないって思ったら他にも行けたりするようなイメージ。
バザールに比べてクライベートな場所だから、仲間うちの飲み会みたいな感じで、必ずしも健全じゃないし、正しい振る舞いが常に求められてるわけじゃなくて、ちょっと正しくないこと。
公では言いにくいようなことも言えるし、愚痴とか、それでガス抜きをするような場所。
正しくないことを言ったとしても、そのままそのノリで流れていくこともあれば、あまりにもあまりにもだったら、その人間関係の中でちょっと今のは良くなかったよとか、そういう訂正もできるような場所。
その中で、正しくないこと、酒も飲みすぎたら危ないし、タバコとかも体に悪いけどそれでも吸ってるみたいな感じで、正しくないっていうことを共有してる、その場で一緒に体験してるからこそ、
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ちょっと仲間意識みたいな連帯感があったり、あとその店ごとに正しくない、少し後ろめたい、暗い場所だからこそ、ちょっと細かいルールがあったりするみたいな話があって。
正しくないものを共有してつながってる、なんか店ごとのルールがある、そういうものがクラブ。
で、それで同人誌、即売会も、なんかそんな感じするよねっていう話。
そうなんですよ。
同人誌ですかね。
同人誌っていう、二次創作同人誌っていう法的にグレーなものを、だけどみんなそれが好きで集まって、それを売ったり買ったりするために集まってる。
で、グレーなものを扱う場所なので、そこに暗黙のルールみたいなのがあって、お互いに注意しあったりとか、そういうやりとりが行われている。
それってこのバザールとクラブの対比で言うと、非常にクラブ的な空間なんじゃないかっていう、そういう見立てですね。
なんか読みながら、この記事がもともと思考品、お茶とかコーヒーとかも、思考品についてのサイトで、
そのクラブではその思考品を媒介にして関係をつなぐみたいな、そういう話をしてるんだけど、
同人誌も思考品っていうか、そういう側面あるんだなと思って、まさにクラブ的かもしれないって思ったっていう。
健康に悪いしね、同人誌を作るっていうことはさ。
エブソクとか。
でも、すごいクラブ的だなと思う一方で、完全にクラブっていう感じかっていうと、どうだろうみたいな。
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そもそも記事の中でも話されていた通り、ここはバザールでここはクラブだっていう明確な区別ができるわけではなくて、
バザール的な特徴がある場所、でもちょっとクラブっぽいみたいなバランスもあるかもしれないし、
あとはその場にいる人の認識としてクラブだと思っている人、バザールだと思っている人っていうのが必ずしも一致しているとは限らないっていう話とかがありましたね。
そういう意味でいうと、同人誌特売会もかつては本当に会場だけで同人誌がやり取りされていた非常にクラブ的な空間だったけれども、
今となってはその二次創作同人、特にコミケとかっていうのは非常に巨大化してるし、
あとはその同人誌特売会の会場だけではなくて、SNSとかにも活動の場が広がっているから、かなりオープンになってきてる。
オープンになってきてるからにはバザール的な空間として考えてやってくる人もいて、
そのクラブ的な場所だと考えている人とバザール的な場所だと考えている人の間で、
ちょっとこうすれ違いとかいさかいみたいなものが起こっているような気がする。
クラブ、SNSとかがあるので、すごいそれが複雑っていうか、きっぱり言えない感じがするんだけど、
SNS特にTwitterに私たちはいるからTwitterの話をするけど、
基本的にはフォローしてくれてる人とか決まった人を見るじゃん。
タイムラインにいる人っていうか。だからその時にはすごいクラブっぽいんだけど、
なんかこの話をしてる、明確な主語がなくてもとか、
少しぼやかした言い方をしても、あれの話をしてるんだなみたいになるような、
その閉じた空間に向けた語り方がなされてるからすごいクラブっぽいけど、
でもカギ付きのアカウントとかじゃない限りは検索とかでたどり着いたりすることもできるし、
ネット上にあるっていう意味ではもうバザールみたいな感じで、
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だから同時に即売会も常に活動してるのはSNSとかですごいクラブっぽいんだけど、
でも結構オープンなのかみたいな。
元は即売会とかがなくて、雑誌みたいなやつでやり取りしてた時代あるじゃん。
なんか同人便船みたいな。
なんか昔ってそういう雑誌とかに個人個人の住所とかが載ってて、
文通、友達、図集みたいな感じで住所も載ってて勝手に送ったり紙面上でやり取りしたり、
なんかそれはすごいクラブだったん、閉じてるからさ。
でもそれがどんどんやっぱりインターネットが登場して一気にそれが広がって今やSNSになって、
すごくバザールに近くなってきたっていうか。
だから原理的には、ある日二次創作やってることが明るみに出て、
それが誰かに怒られるとか、誰かの目に止まってそのことが怒られるとか、
そういうことがあり得る状況になってるってことだよね。
全然文化に理解のない人が突然やってきて、
二次創作、スラムダンクの同人誌とか書き始めて、
いわゆる同人界隈で言われてるようなルールいろいろあると思うけど、
公式に目の目に触れるなとか、利益を出すなとか、
そのルールの是非はわかんないけど、
クラブで言われているような店ごとのルールっていうのを破って活動することができるよね。
その人は別にそのクラブにいると思ってなくて、
ここはバザールなんでっていう。
そんな店のルールは知らんですよって言って活動することだってできる。
しかも同人界隈の場合は、そのクラブ、その酒場がジャンルがすごいあるじゃん。
だからスラムダンクのジャンルではこうだけど、別のジャンルに行ったらまた別のルールがあってみたいな。
みたいな感じにもある気がして、
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ますますその店ごとのルールがわからんみたいな感じになりやすいのかなみたいな。
ジャンル移動、この酒場をねてんてんとしている間に、あれこのルールどこの店のルールだっけみたいな。
そして酒場にいると思ってたら、突然なんか市場の中にホールに投げられてたみたいなさ。
炎上とかもそんな感じない。
クラブでバイト先で変なことをやって炎上したりするやつも仲間うちのノリでやってたらなんか目立っちゃって。
知らん人のところまでリツイートでどんどん飛んでって。
気づいたら市場のど真ん中に裸でいましたみたいな感じで怖い。
寺山修二の映画のラストでなんかその部屋でなんか親子がご飯食べてて。
で家の中でね。
だけど部屋の壁が外側に全部倒れて。
セットみたいに。
でそこは街中でしたっていう感じで終わるんだよね。
ショーステーを街に出ようかの映画かな。
そんな感じだよね。
クラブっていうかねもう家っていうね。
クローズドな空間だと思ったらなんか急にパタパタってそこ視界が開けて。
そこがバザールにワープしてたみたいな。
あとはそのインタビューの中盤ぐらいで会話の話をしてて。
会話。
ローティは哲学の使命は会話を継続させることって言ってるらしいんですけど。
単に会話って言うとおしゃべりみたいな感じに聞こえるけど。
たぶんローティの言ってる会話っていうのはちょっといろんなニュアンスが入ってる気がして。
私もちょうど最近プラグマティズムの本を読んでて。
ローティっていうのはアメリカの哲学者で。
プラグマティズムっていうのがアメリカの哲学の代表的なもので、ローティは末永に位置づけられるような。
なんか中高の層みたいな感じになってる。そうでもない。
中高の層ってどういう意味だっけ。
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最初の始めた人がいて、ちょっと時間が経ってからそれをもう一回盛り上げましたみたいな。
っていうか、連綿とプラグマティズムの哲学をやってる人はいて。
そうか、割と最近の人なんだね、ローティはね。
プラグマティズムはいろいろな特徴があるんですけど。
探求っていうのが一つ重要なキーワードになるんですよね。
最初にそのプラグマティズムっていうのを提唱したパースっていう人がいて。
真実にたどり着く方法として探求っていうものがあるんだと。
探求っていうのはこうじゃないかっていう仮説を立てて、こうだとしたらこういう実験をすれば分かるはずっていって、
実験をして得られた結果を見て、それでちょっとずつ知識を増やしていくっていうやり方。
それを繰り返すことによって、やがて真実にたどり着くでしょうっていう考え方で。
真実にたどり着くための大事なプロセスとして探求っていうものを考えていたらしい。
その時に実験とかするのが近代のやつだなって感じするよね。
科学がどんどん台頭してきた時期なので。
探求っていうものをするからには必ず間違いが起きると。
立てた仮説が間違ってたかもしれないし。
実験がおかしかったかもしれない。
結果が間違っている可能性っていうのは常につきまとうっていうのがあって、それを可流性って言うんですけど。
可流性っていうのはかなりプログラマティズムの大事なキーワードになりますね。
人は間違うものだと。
ローティの時代までどんどん下っていくと、パースに関しては何か真実があって、
真実に向かって探求を続けていくんだってなるんだけど、
ローティの時代になると、たった一つの真実なんてないんだと。
コナン君を全否定する感じよね。たった一つの真実なんてない。
人それぞれにも真実があるし、誰かがこれが真実だって言ったものも常に間違いとして意義申し立てをされる。
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予知があるものなので。
絶対なんてないんだねみたいなね。
どんなに話し合ったとしても、真実に合意、誰もが合意できる真実にたどり着くことはないっていうのが前提としてある。
ないかもとかじゃなくて、ないのね。
その上で大事なのが会話だって言ってるんだよね。
その部分だけここに来てるのね。
お互い絶対に合意にたどり着くことはできないんだけれども、会話を続けることによって、
過労じてお互い、
異なるもの同士がなんとかかんとか生きていける。
変態できるっていうことを言ってますね。
で、ちょっとなんかややこしい話をずっとしてきたんですけど、
今のバザールとクラブの話で言うと、
クラブの中でゆるやかな連帯ができるっていうのは、
お互い間違ってると。
お互い間違ってると酒を…
バザールでは常に正しい人間でいることを求められるんだけど、
でも人間それだけでは生きられないし、正しくないじゃん人は。
そうそう。
絶対に正しい人間じゃない我々が共にいるっていう、
100%じゃない人と人の共有だよね、多分。
間違うし間違ってるっていう。
で、その時にその連帯っていうのを考えた時に、
人種とかそういうもので区別するんじゃなくて、
その場にやっぱり場を共有してるっていうことが大事で、
その意味で排他的ではない方法で、
誰でも酒場には来れる。
その排他的ではない方法で、
これが好きみたいなうっすらとしたその共有部分で、
我々になれるみたいな話をしてる。
お互いの主義主張とかそういうものではなくて、
酒とか同人誌とかそういうものでゆるくなんとなくまとまるみたいな。
このスラムダンクのジャンルはすごく韓国とか中国とかのファンも見えるじゃん。
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Twitterとかでいるのが。
言語を越えるよね。
言葉を越えて思考を好きなものを共有してる感じはある。
多分そこを突っ込んでコミュニケーションしていくと、
やっぱり文化も違うし、お互いの政治信条みたいなものもあるかもしれないし、
それはもう誰でもだよね。
国関係なく。
それは本当にそう。
だけどお互い洋花が好きだみたいなこととかは一致するから、
そこでは握手できるなみたいな。
そしてどこにも信じられないことがあって、
そしてどこにも真実なんてものはないってローティーが言ってたことが、
二次創作界隈においては、ある意味真実は原作っていうのが真実なんだよね。
それだけを共有してて、
二次創作やってる我々は、
みんな均等に真実ではないみたいな。
みんな間違ってる。
みんな偽物を持ち寄ってる。
そう、みんな間違ってて、
そこにこっちが正しい、あっちが正しいがもうないじゃん。
だって正しいのは原作だからみたいな感じで、
言い方が難しいけど、こっちが上でこっちが下とかもないし、
しかもそれが売れてる売れてないもあんま関係ないし、
なんか優劣がないっていうか、どういう言い方をしたらいいかわかんないけど、
とにかく全て真実ではないっていう点では同じみたいな感じで、
そこが面白いなっていう。
ただその一方で、お互い正しくない可能性をわきまえて、
お互い会話するっていうのがローティーの言うところの会話だったけど、
必ずしもそうだっていう、
クラブ的な美徳だけではないところがあるなっていうのは、
心があるなっていうのも感じて、
同人活動閣あるべしみたいな、警察みたいな人がいるじゃないですか、
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同人警察。
どこの界隈にでもいるんだろうなっていう気がするけどね、
同人活動に関わらず、店ごとのルールを、
昔からいる俺が、この界隈に詳しい私が、
昔から着物を着ている私が、着物警察みたいな、
どこのクラブにもいるんだろうなって思うけどね。
そこで異議申し立てする余地がどれくらいあるのかなっていうのは、
我々は去年本を作った時にもグッズを作って、
それに対していろいろお叱りを受けたことがあって、
それに対してある種の異議申し立てをしたことがあったけど、
でもそこで会話ができる余地があんまりあった気がしない。
それがSNSとか文字のやりとりっていうのが大きい気がするね。
ローティは、このインタビューの中で、
共にいる、向き合って、言葉を交わさずとも空間を共有するっていうことが大事だっていうことを言ってたと思うんだけど、
SNSだと共にいるっていうよりは人が見えないじゃん。文字だけがやってくるし。
そうなるとネットで叩くのもそうだけど、目の前にいないからいろんな言い方ができちゃう。
責めたりしやすいし、目の前にしたらそんなこと言えないようなことが。
だから、匿名じゃない形で、
直接の場で、こういうルールがあって今までみたいな感じで怒られた時には、
なるほどとか、それってどういうことみたいな、
経緯とか詳しく聞くことがネット上ではほぼできない気がするっていうか、
投げられて終わるっていうか、
それってこうですかみたいなレスポンスを返したりっていうのが匿名だとできないよね。
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直接だったらもうちょっと詳しく、それって何でとか、どういう経緯があってそうなってるのとかもあるし、
一個一個来た何かに対して、これはこういう話をしてるから違うじゃんとか、できないなって。
SNSで会話難しい。
言語はあっても会話じゃないかもみたいな。
まあ、そうね。
でも同人誌を即売会の場で売り買いする時には別に会話はなくても、
会話っていうのは言葉のやり取りがなくても、
もう共にそこにいるっていう本を返して何かを共有することができるからあれは会話だと思うんですよ。
解釈違いの異議申し立てもできるし。
その後解釈違いの異議申し立ては各々の中でできる。
その本を出すっていうことが、これが俺の解釈だっていう。
そうだね。さまざまな異議申し立てがあの場に集まってる感じだね。
でも全部正しくないから、今日それいいねみたいな、そこまではできる。
そんなもんですか?
ですか?難しいですね。
同人誌即売会は市場なのかサーカバなのかバザールなのかクラブなのかっていう話をしたかった。
なんかあの最近あの万博でコスプレしてめっちゃ叩かれてる人いた気がする。
まああんまりその深追いして読んでないんで、あんまり経緯。
まあちょっとね、ああいうの深追いしてみるとなんか気持ちが辛くなったりするからさ。
フワッとね。
あれもなんかこのバザールとクラブの食い違いっていう感じがするなあと思いました。
そのコスプレした人はもうその同人活動なのか、コスプレが同人活動なのかちょっとわかんないけど、
まあ同人活動はもはやそのバザール的な空間でやることなんだって思ってたのかもしれないけど、
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一方でその同人活動はクラブ的な活動なんだっていうことをずっと思ってる子さんの同人活動をしてる人が
何、酒場から出てんのって感じだったよね。
酒場のルールで相手を攻撃してるっていうことなのかなとちょっと思いましたね。
後ろめたさみたいなさ、クラブが持ってるその暗くてちょっと後ろめたいみたいなところを持ってる人と
いや別に恥ずかしいことやってないしっていうその開き直り感が、だから明るい場所にもよって出ていけますしっていう
なんかそれがぶつかったのかなみたいなね。
まあなんか今やねオタク趣味持ってる人も全然オープンにしてるし。
なんかあれだよね、板場みたいなさ、缶バッチみたいなのをたくさんつけたりさ、
あのぬいを持ち歩くみたいなのってなかったよね昔はって思う。
それが普通になったじゃん。なんか鞄に自分の好きなキャラクターの何かをつけてるなんて普通になった。
なんか昔はそんな隠しとけみたいな、そういうやつがあったわけじゃないけど、どっかで変わったなって思うよね。
でそれがおしかつっていう言葉ができて、どんどんオープンにしても大丈夫。
自分の好きなものを表現していいんだみたいな空気に変わったどっかのところで。
そうなった時にクラブ的な連帯ってもうないのかな?オタク同士とかでさ。
オタクっていうだけではさ、もうあまりにも広すぎるよね。
とかその炎上してたコスプレしてる人とかもさ、どうなんですか?
クラブ的な連帯感みたいなのあるんですかね?その同行のシーンに対する。
どうだろうね。
そうなってきたらもう同人じゃないよね。同人は同じ趣味の人みたいな意味でしょ。
うん。
で、正しくないものを共有してる同じ人っていうのは同人だったとすると、別に正しくないと思ってないわけだよね。
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同人活動、コスプレを含めた同人活動とかっていうのをさ。
おしかつでも。
そしたらもう同人じゃないよね。
うん。
そんな感じ?
そんな感じ?
だいたいしたい話はできたんじゃないですか?
頑張った。
何を?って感じだけど。
なんかちょっとやっぱり抽象的な話になっちゃってた部分もあるかもしれないけど。
ついでに、最近千葉ジェッツの東橋優希がサンロッカーズ渋谷のベンドラメレオと一緒にやってるポッドキャストを聞いてすごい面白い。
そうだね。
うん。なんか選手が、選手の目線で語ってくれることがすごい貴重。
面白いです。
あれは何?いろいろな何かで聞けんの?
うん、何でも聞けるんじゃない?私はSpotifyで聞いてますけど、YouTubeとかでも聞けると思うし。
なんか全然仕組みが分かってないけど。
まだ全部聞いたわけじゃないけど、チャンピオンシップの話とかもしてくれて、他のチームの話とかを選手の人たちが話すのってあんま聞いたことないじゃん。
なんか選手インタビューみたいのはあるけど、基本その日の試合の話で、そんなに変わった話はしないじゃん。
なんかそれって監督とかもそうだけどさ、戦術とかの面でも話せないことがすごい多いから、どうしても同じような話になっちゃうのかなって勝手に思ってたけど。
でもポッドキャストとかになったらすごい喋って大丈夫なんだみたいな感じっていうか聞いていいんだって思うっていうか。
なんかそれもある意味ポッドキャストがまだクラブ的な空間だからかもしれないね。
ブログとかは検索すると引っかかっちゃうけどさ、ポッドキャストは音声だからまだそんなに検索しても。
わざわざたどり着かないと届かないもんね。
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ありがてえと思って聞いてます。
なんかガムシャラにディフェンスするのがディフェンスじゃねえぞみたいなことペントラメリオが言ってて、それが面白かったですね。
胸をぶち当ててくるやつがいるけどそれはディフェンスじゃねえからなみたいなことがあって。
そう、面白かった。
そういうディフェンスしてるの誰だろうみたいなことを考えちゃいますよね。
NBAのルールとかだったら絶対笛吹かれるのに、日本だと全然吹かれないから、それやっていいんだみたいな感じになってガンガンぶつかってくるみたいなね。
こういうことを思いながら試合をしてるんだなって。
ザファーもすごい体育館にいるようにコートの中にいるように感じられるように作ってくれてたじゃん。
でも、実際にやってる人から聞くのもまた違うっていうか。
外国籍選手とのマッチアップとかも壁とか言ってて面白かったよ。
マジで壁なんだなって。壁だって思いながら、やってるんだ選手たちはって思うし。
小さいもんね。
ペンドラーメンもそこまででかいかもなくない?やっぱさ、2メートルとかさ、どうしてもあるじゃん、マッチアップがさ。
常にはこの人みたいにあるけど、スイッチとかしたらさ、ミスマッチになることがさ。
今後あのラジオでもスラムダンクの話とか出るかもしれないね。
とか我々が聞いてない回でもしたかもしれないし。
ちょっとずつ聞いていきたい。面白い。おすすめ。
そんな感じで、電池もそろそろないんで終わりにしましょうか。
ちゃんと撮れてるといいですね。
それではここまで聞いていただいてありがとうございました。
あと、ありがとうやす。
おやすみなさーい。