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大阪Bookラジオ
関心領域っていう映画なんですけど、ご存知ですか?
監督です。
監督の名前はちょっと忘れてしまったんですけど、
話がドイツのナチス政権下の時代で、
アウシュビッツ収容所ってあったじゃないですか。
あれの隣に住んでる家族の話なんですけど、
この家族の旦那さんがアウシュビッツ監守として勤めてるんです。
毎日隣のアウシュビッツ収容所に出勤して、
帰ってくるっていうのを繰り返してて、
家族もそれを知ってて、隣なんで、
監禁されてるユダヤ人の人たちの悲鳴とか、
あと銃声とかもすごい聞こえるんですよ。
聞こえるんですけど、隣に住んでる家族は
全くそれを意に返してない。
全然気にしてなくて、
家には自分たちで作った花がいっぱい咲いてるような
綺麗な庭があったり、プールがあったり、
家には家政婦さんみたいな人たちを何人も雇って
贅沢な生活をしてたりして、
そういう綺麗な空間で生活してるんですけど、
ふとした時に隣から悲鳴とか銃声が聞こえてきて、
絶対耳に入ってるはずなのに、一切それを意に返さない。
本当に隣で鳥が近くで鳴いてるとか、
虫が鳴いてるぐらいの感じでしか思ってない。
自分たちは豊かな生活を享受してるっていう、
対比的に描いてる映画なんですけど、
それを見て、
人間って自分の身の回りのことしか
本当に関心がないんやなっていうのを
すごい思ったんですよね。
不思議ですよね。
逆にもう、ひどすぎて
感覚をノックアウトして話せないんですよね。
ああ、そうですね。
あえて、そう聞いてたらプルってしまう。
ああ、でもそれはあるかもしれないですね。
劇中で、その家族の奥さんのお母さんが
その家に泊まりに来るっていうシーンがあったんですけど、
泊まりに来て、最初は庭が綺麗だったり、
家が豪華だったり、信用人がいっぱいいたりして、
ああ、いい暮らししてるねってなってたんですけど、
夜、そこに泊まった時に、隣のお守備室から
悲鳴とか、看守の怒号とかが聞こえてきて、
次の日に手紙を残して、
お母さんは家族に誰も何も言わずに帰ってしまったっていうシーンで、
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説明は特になかったんです。
手紙の内容とかも何も、映画の中では言及がなかったんですけど、
多分、隣の行われてるひどいことに耐えかねて、
もうここにはいれないっていうので出て行ったのかなっていうのを
推測するような場面があったんですね。
なので、多分、住んでる人たちは
本当に感覚が麻痺しているのか、
そういうのに耐えられずにシャットアウトしてしまっているのか、
とにかく結果的に意味を返していないっていうのがあって、
一番怖いのは人やなっていうのはすごい思いましたね。
頭の片隅で残っていて、
これではダメだみたいなのはあるんですけど、
怖いとか面倒くさいとかややこしいとかいう理由で、
それをもう考えない、なかったことにしてしまうっていうのは、
多分、僕らの日常生活でもあるのかなっていう気がしますね。
戦争とかだと、日本のあれがひどいひどいって言ったんですよ。
実はその当時、一番熱心だったのは普通の主婦とか、
あの人たちが勤務なんていうか、
ちょっとでも徴兵拒否した人を街中からのけ者にしたとか、
結局わかんないですよね。
そういう状況になったら防衛本能でそうなってたのかもしれないですね。
そうですね。
いや、怖い。
その話で怖いのは、
今って、国民は被害者みたいな感じになってるじゃないですか。
政府とか新聞とかラジオとかマスメディアに洗脳されて、
この戦争に突き進んでいったんやって言ってるんですけど、
でも実際は、市政の人々がそうやって戦争に熱を入れてて、
新聞とかでも、戦意を公表するような記事を書かないと売れない。
反戦を訴えてもそれは売れない。
逆に叩かれるみたいな形で、
新聞とかは逆に戦意を公表するような記事をバンバン書いて、
それにまたさらに国民が乗っかって、みたいな形で突き進んでいったっていう。
そういうことがあったにも関わらず、
今の日本人とかロシアの国民、何考えても受けてる。
でもあなたたちのおじいちゃんたち、それを忘れちゃってる。
それが吸収されていない。
そんな状況だったことを忘れているっていうか、それも怖い。
怖いですね。
打ち継がれてないというところですよね。
打ち継がれてない。
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今後はそんなに大昔でもないので。
そうだったのにも関わらず。
怖い。
怖いですね。
すみません。
暗い話になってしまいました。
いやいや。