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2025-10-27 06:06

#2-156 2024年6月30日/北田辺/キタタナベイベー/14

#2-156 2024年6月30日/北田辺/キタタナベイベー/14

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関心領域っていう映画なんですけど、ご存知ですか?
なんか聞いたこと、はいはいはい。
誰が監督っていうか。
監督はね、名前はちょっと忘れてしまったんですけど、話がドイツのナチス政権下の時代で、アウシュビッツ収容所ってあったじゃないですか。
彼の隣に住んでる家族の話なんですけど、この家族の旦那さんがアウシュビッツ監督として勤めてるんですね。
毎日隣のアウシュビッツ収容所に出勤して帰ってくるっていうのを繰り返してて、家族もそれを知ってて。
隣なんで、監禁されてるユダヤ人の人たちの悲鳴とか、あと銃声とかもすごい聞こえるんですよ。
聞こえるんですけど、その隣に住んでる家族は全くそれを意に介してない。
全然気にしてなくて、その家には自分たちで作った花がいっぱい咲いてるようなきれいな庭があったり、プールがあったり。
家には家政婦さんみたいな人たちを何人も雇って贅沢な生活をしてたりして、そういうきれいな空間で生活してるんですけど、
ふとした時に隣から悲鳴とか銃声が聞こえてきて、絶対耳に入ってるはずなのに、一切それを意に介さない。
本当に隣で鳥が近くで鳴いてるとか、虫が鳴いてるぐらいの感じでしか思ってない。
自分たちは豊かな生活を享受してるっていう、対比的に描いてる映画なんですけど、
それを見て、人間って自分の身の回りのことしか本当に関心がないんだなっていうのをすごい思ったんですよね。
不思議ですよね。逆にもうひどすぎて感覚をカットアウトして話せないんですよ。
あえて、そう聞いてたら狂ってしまうかなって。
でもそれはあるかもしれないですね。
劇中で、家族の奥さんのお母さんが家に泊まりに来るっていうシーンがあったんですけど、
泊まりに来て、最初は庭がきれいだったり、家が豪華だったり、使用人がいっぱいいたりして、
いい暮らししてるねってなってたんですけど、夜そこに泊まった時に隣のお守備室から悲鳴とか感謝の土豪とかが聞こえてきて、
次の日に手紙を残して、家族に誰も何も言わずに帰ってしまったっていうシーンがあって、
説明は特になかったんですよ。手紙の内容とかも映画の中では言及がなかったんですけど、
隣の行われているひどいことに耐えかねて、ここには入れないっていうので出て行ったのかなっていうのは推測するような場面があったんですね。
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住んでる人たちは感覚が麻痺しているのか、そういうのに耐えられずにシャットアウトしてしまっているのか、
とにかく結果的に意義を返していないっていうのがあって、一番怖いのは人やなっていうのはすごい思いましたね。
頭の片隅で残っていて、これではダメだみたいなのはあるんですけど、怖いとか面倒くさいとかややこしいとかいう理由でそれを考えなかったことにしてしまうっていうのは
たぶん僕らの日常生活でもあるのかなっていう気がしますね。
戦争とかだって、日本のあれがひどいひどいって言ったんだけど、実はその当時一番熱心だったのは普通の主婦とか。
あの人たちが禁煙だとか不審だとかって。ちょっとでもなんか徴兵拒否した人を街中からのけ者にしたとか。
結局わかんないですよね。そういう状況になったらそれが防衛本能でそうなってたのかもしれないですね。
その話でいいけど怖いのは、今って国民は被害者みたいな感じになってるじゃないですか。
政府とかマスメディアに洗脳、新聞とかラジオとかマスメディアに洗脳されて、この戦争に突き進んでいったんやって言ってるんですけど、
でも実際は市政の人々がそうやって戦争に熱を入れてて、新聞とかでもそういう戦意を公表するような記事を書かないと売れない。
反戦を訴えてもそれは売れない。逆に叩かれるみたいな形で、新聞とかは逆に戦意を公表するような記事をバンバン書いて、それにまたさらに国民が乗っかってみたいな形で突き進んでいったっていうことがあるので。
そういうことがあったのにもかかわらず、今の日本人とかロシアの国民、何考えてんだ。
でもあなたたちのおじいちゃんなんていうのを忘れちゃってる。それが吸収されていない。そんな状況だったということを忘れてるっていうか、それも怖いな。
怖いですね。打ち継がれてないというところですよね。
ほんのそんなに大昔でもないのに。そうだったのにもかかわらず。
すみません。暗い話になってしまいました。
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