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  2. #119『abさんご』黒田夏子
2023-03-06 16:20

#119『abさんご』黒田夏子

#119『abさんご』黒田夏子

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大阪Bookラジオ
ボケ文学というか、
ボケの面白さみたいな、愉快さみたいな、
自分でちょっと今、マイブームというか、興味があって、
『abさんご』って読まれました。
10年前ぐらいに、黒田夏子さんという
芥川賞を受賞して、すごい話題になったんですけれど、
その時の話題になった原因が、受賞時に高齢者だったっていう、
75歳で、書き方も特徴あって横書きでひらがな対応してっていうので、
すごい話題になったんですけど、
当時は話題になりすぎてたから、そのうち読めばいいかと思って、
手に取ることなかったんですけど、
最近はそういうちょっとボケ文学に興味があったので、
急に思い出して、その『abさんご』っていうのを読んでみたんですね。
やっぱりそのボケ要素がふんだんに、
作者が聞いたら怒られるかもしれないですけど、75歳なんで。
内容は、回想、自分の思い出、幼少期から、
自分の最初の世界ってきっと家庭内の家族関係とか、
その家族関係、ここの観察とか関係性とかを、
少女か少年なのか、固有名詞が一切書かれてないんですけれど、
少女が観察して、自分なりに消化してみたいな、
ぐるぐる悩んで、考えてってみたいなのがずっと続くんですね。
ひらがなで固有名詞がなくて、漢字が少ないからすごく読みにくくて、
何回も自分でイメージ固めようとして読むんですけど、
なかなかうまくいかない。
意図的にそう書かれてると思うんですけど、
そうやってずっと読み進めていって、
ずっとおそらく主人公の幼少期の感覚で書かれているんですけれど、
途中の章で、章ごとに副題みたいにタイトルがついていて、
草殺しっていうタイトルがついている章があって、
そこの章になると、草を道形とか庭とかに生えているいろいろな雑草、
それを根こそぎ殺して排除する人が出てくるとかっていう話になって、
おそらくきっと突然主人公が成長して、
きっと多分高度成長期で町の様変わりする様子とか、
自分の環境の変化とか、
自分の職場での関係性とかを比喩みたいに書いていると思うんですけど、
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草殺しの章から急に展開がスピードになって、
関連の世界がどんどん出て、
虹とか自然現象の話とかも出てきたりとかして、
それまでの親子とか家庭内でお母さんと思われる人が亡くなられて、
お父さんと仕様人が仲良くなってとかいろいろドラマがあるんですけど、
そういうのを吹っ飛ばしていろんな展開が四方八方に行く感じなんです。
最終的には時間の流れとか関係性とかの妙みたいなものを、
自分なりにAとBとCとかまとまらないけれど、
一通りその作品の中では止めみたいな感じで終わるんですけれど、
そのボケ文学的には回想する思い出を思い出して語らせるみたいな形式を取っているんですけれど、
その順序とか筋だってABCDとか1234とか並べて、
多分若い人は順序を並べて整理させて頭の中で構築して考える方法だと思うんですけれど、
年をとると1,2,5,3とかっていって順序が綺麗に並ばなかったり、
途中が抜けてしまったり、全然関係ない記憶が割り込んできたりとかっていうことがあって、
その文章の中にもそういうところがそこかしこにあって、
本人はおそらく実感していてわざと読みにくくして、
そういう状況を描いているのかなって思わせるところがあったりとかして、
なんかそのボケ文学を存分に味わえる作品でした。
なんで知らなかったの?ボケ文学って。
いや、勝手に私が。
なんかその老人の、老人って言ったらいいのかな、
不思議な世界に子供の頃とかって結構住んでいるところがあると思うんですけれど、
年をとるとまた戻ってというところが、私は実感として感じていて、
高齢者の書いた文章には本人としてなくてもそういうところが結構あって、
黒田夏子さんのそれ気になって、最新作って言ってもそんなに新しいわけではないんですけれど、
その後、受賞してから時間があったのが大作みたいなものを、
柑橘製のなんとかって結構分厚い本を出したんですけれど、
それもまたボケ文学が少女文学な感じで、
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やっぱりおばあちゃんになってくると、またさらに少女の部分が出てくるんですよね。
たぶんおじいさんも少年のとか、赤子の部分が出てくる、
よくちゃんちゃんかを着て子供に帰るみたいな感じで、
柑橘体の踊り、おごり、
その作品は少女がよくする妄想という人形にいろんなものを投影させて、
少女的世界、誰々と誰々がなんか悪くなって仲良くなってとかっていう、
そういう現状物語を一人で、
それ話しかというか古典をやっている踊りの日本舞踊とかをやっている人たちの師匠と弟子と、
ギャラリー人みたいなそういう人たちが出てくるんで、もしよかったら。
でも完全に少女の妄想の世界なんです。
本当に研究してリアリティを出す、そういう世界を描き方というよりも、
少女の好きな感じの妄想みたいなのを描いていて、
それをたぶん80歳くらいなのかな、描いたの。
それを描いているっていいなと思って、時間をかけてきっと描いたんだろうなと思って。
高野古子さんの漫画でそういうのがあった。
おやんぜんかみそとかなんかの中にあったよ。
おばあちゃんなんだけど、少女ってその感じを絵で表現しているっていう漫画で、
あんまりテリフとかもないから、すごい気に出したのと、
何年か前から学校を辞めてからかな。
もともと自分の文章とか話とか、すごい飛ぶなって言われたりもして、
それでそうなのかなと思って、あっちこっちに飛ぶと。
文とかも書いたこともあるけど、段落と段落が飛びすぎてて、
分からないと。
その間にもう一つ何か説明がないと、分からないよみたいな感じで言われたりした経験があって、
そうなと思っていたけど、そういう大学とか学校とかを外れてみたら、
別にそこまでちゃんと順調だったって話す必要がないから、
和が違うから、文文とか学校とかじゃないから、
そのままで書いていく方がいいんじゃないかなって思うようになって、
後が分からないかもしれないけど、
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ある程度人に伝わる努力もやっぱり必要なんだけど、
ここまでの論理性っていうのを気にしなくていいんじゃないかなって、
文に分かりやすいようにとかじゃなくて、書きたいように書いて、
ちゃんとした場じゃないし、私が今書く場所って、
SNSとか個人的な場所でただ自分の書いてっていうので誰に迷惑かけるわけでもないから、
誰も読まないかなっていうのもあるけど、
もうちょっと脈絡のなさみたいなのをあえて矯正する必要はないかなって。
どけ文学に進もうとしてるんです。
分かりやすいものって簡単に飽きますからね。
よく分からんものの方がコッとしちゃ楽しかったです。
説明をちゃんとしないとっていうのが若い時は強くて、
人が分かるようにこれでも強かって、20代とかの時は。
それでそういうものを目指してたんやけど、
バーノン言語っていうのが多分あるから、
教室の中で大勢の生徒に向かって書くとか話すとかなったら考えちゃうし、
彼ら彼女らは受験を目指しているわけだから、
それに沿うような話し方をしないとなって思ってたなって。
今はそこにいないっていう状況ではそういうふうに思って、
すごいできない、ちゃんとしないと、もっときっちり書かないとみたいなのは、
これでもあったなって今思います。
そういえば黒田達子さんも国語をやっていて、
教員とか構成する仕事とかしてたらしくて、
きっとずっとそうやって正しい言葉とかずっとやっていたから、
だからこそ出てきたこういう表現、ひらがなのとかっていうのかもしれないし。
で、固有名詞が書かれてないんですけど、固有名詞って何だろうなって思って読んでいて、
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物の名前、その名前って誰かが決めて、これはこれだよね、この名前だよねって言って、
でもそれって結構不確かなものだから、面白いなと思って、
さっきの草殺しの章で雑草の話なんですけど、
雑草ってそれぞれ名前がついてるじゃないですか、なんとか草なんとか、
でもその中では、垂れて葉っぱを伸ばす種族、
張って四方に広がる種族とかって、また新しい表現が出てきて、固有名詞がないから。
で、ぼけてくると固有名詞が思い出せないのに形態は浮かぶっていうのが結構あって、
名前ってきっとぼけていったらなくなっていくのかなと思って、
人の、なんか父とか母とかっていうのも書かれていなくて、
誰々の人とかこういう人とかって書かれて、
そういうのも名前はもともとあったのかもしれないけど、
本当にぼけると名前がこう言ったり来たりとか、
その人がこっちだったのかな、こっちだったのかなみたいな、そういうのもあるのかなと。
こっちでもいいって言うし、そのものでなくてもいいっていうか、
自分がそう思ったのであれば、そのものは実際は違ったとしてもそのものであっていい、
であると思っていいみたいな、思っといていいみたいな風に。
宮崎駿監督とかも固有名詞がないって言ってましたね。
自分の中に固有名詞は一切なくて。
猫飼いてって言われたら飼われへんって言ってました。
どの、どの、それを、何を。
どの何の猫?
全てを米ふかしきって見てるから。
社姓って感じだね。
自分で命名っていうかね、するべきものかもって思ったりとか。
それだと人にわからないから、みんなが使う言い回しを使って人と話すけれども、
自分一人の中でやったら、そのものをどう思うかは自由っていうか、
どう呼ぶかも自由ぐらい。
固有名詞とか一般的に言われてることとか、
そういうみんなにわかりやすい言葉をしっかり特訓しないと、
逆に自分オリジナルのもんって出ることないですよね。
多分先生も、学校の先生っていう、ちゃんと教えなきゃいけない、
みんなにわからなきゃいけない言葉を、
みんなに教えなきゃいけない、みんなにわからなきゃいけないことをやったから今はある。
造語がうまい人、造語がうまい子っていますよね。
宮沢賢治とかもきっと。
なんかこの人、物の名前つけるの面白いなみたいな。
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言いますよね、なんかね。命名上手。
擬音とかもね。
でも落語とかって言葉遊びとかが多いじゃないですか。
そういうなんか、あれってやっぱり相当、
なんか知識がないと笑えない笑いもあるし、
ただ音で笑える笑いもあるし、なんか面白いですよね。
結構ボケ、ボケ話って結構あるじゃないですか。
ボケがおかしいみたいな。
あれやっぱ日本って結構ボケ文化、音ボケ文化が、
昔からゆる文化、ゆるボケ文化。
ボケのすすめですね。
俳句とかボケ感、ボケ感みたいな。
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