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2025-10-21 24:19

#1-40 2017年6月/葛飾区/お花茶屋/谷川俊太郎さん講演会

#1-40 2017年6月/葛飾区/お花茶屋/谷川俊太郎さん講演会

00:01
一番いけないのは、やっぱり学校教育の問題がありますね。
学校教育で詩を読むとさ、やっぱり解釈とか何とかで結構、質問されたりしてめんどくさいじゃないですか。
あの、詩ってね、要するに好きにならないとダメなんですよ。
だから、初めに詩が好きになるように、いろんな詩を先生が教えてね、
この中のどれが好きとかっていうところから始めてほしいんだけど、
教科書に載ってる詩がもう一番だみたいなことで、
それにすごいこだわって、一行一行解釈したり、作者が何を言いたいんでしょうとかってやるわけじゃない。
あれでみんな詩が嫌いになっちゃうわけ。
だから、文部科学省になんか文句言ってほしいです。
なんか、総祖父っていうものなんですよね、私。
総祖父ってすごい偉いものだと子供の頃思ってたんだけど、全然偉くないんだよね。
祖父の時にもね、なんか子供の頃、祖父って言うとすごくなんか上の人だと思ってたんだけど、
自分がなってみるとね、全然もうちゃんちゃらおかしいような人なんですよね。
困っちゃいますね。
西川さんは、詩は深いところから、無意識から出てくると、以前の対談でおっしゃっております。
あの、イメージですけどね、
うのうさのっていうことはよく言いますよね。
それと言うと、うのうですよね、詩はどうも。
で、僕はそれよりももっとつまり意識かっていう、
精神分析なんかでね、無意識とか言いますよね。
なんかその辺に、まだ言葉にならないなんかもやもやがあって、
それがなんか言葉になってポコッと出てくると詩が始まるみたいな、そんな感じで。
だから、詩の最初の何秒かはそういうふうになんか自分でも、
え、なんでこんな言葉が出てきたの?みたいなものの方が面白いんですよね。
ただ、始めのような何秒かがそうやって出てきたら、
あとはやっぱり相当作用的につなげていくんですね、幻想したりとか。
それででも、そうやって幻想して書いていくときにも、
必ずしもそういう計算した言葉じゃない、
よくわかんない言葉がポコッと出てきて、それがうまくつながる場合もあるので。
僕、好き好きノートって本出していて、そこになんか僕もこれが好きとかっていうのをまず載せて、
そこにみんながね、自分の好きなものをずっと書いていく本があるんですけど、
その本知ってる?好き好きノートみたいな。知らない?知らなかったら買ってちょうだい?
あのね、こっち側からだと子どもが書き込めて、
こっち側からだと大人が書き込めるようになってるの。
で、書くとさ、すごいいい記念になるじゃない?
自分が7歳の時に書いたものとか。
だから、そうやって書き込める本ってあんまりないからね、
そういう白い紙がずっととってあるっていうのも面白いから、
目についたそれをなんか買って書き込んでください。
今みたいな詩が書いてあるとすごくいいと思います。
ありがとうございます。
みなさん、好き好きノートですからね。覚えました?好き好きノートです。
言葉を全部白紙状態にできればするということですね。自分の中にある。
特に決まり文的な、マスメディアで使っているような言葉を一旦忘れる。
自分が白紙状態になって、なんか待ってて、
03:00
なんかポコッと出てくる。さっき言ったように、
意識からなんか映えてくるものがやっぱり人の始めだから、
なんかあんまりこう、いろいろいろ読んで人は何かとかさ、
考えないほうがいいと思うんですよね。
子どもたちの、さっきいろんな短い詩を読んでくれたけど、
あれみんな本から得た知識で書いているわけじゃないのね。
会談なのでよくテクニックがあるとおっしゃっておりますが、
そのテクニックというのは、そういった意識のコントロールの仕方のようなものですか?
いや、それはもうある程度詩が始まってから、
読者のことを考えて、こういう言い方だったら読者はちょっとついてこないだろうなとか、
こういう言い方ではなんかすごい平凡でつまらないだろうかなとか、
今までの詩にはないような、なんか言い方みたいなものを考えるとか、
それだったらそれはもう、ちょっと詩のブロっていうのもおかしいんだけど、
詩人のテクニックですよね。
詩をこれから書こうとかっていう、そういう子どもたちなんかには、
テクニックっていうことは言う必要ないと思います。
徹夜とかはされますか?
全然僕ね、夜寝るのが好きでね、徹夜に弱いの。
若い頃から、今はもう徹夜なく絶対できないですね。
みんなノンセンスの力だと思いますけど。
絵を描いた本永さんとは、この本が完成したときにどんな会話をされたのでしょうか?
会話なんかしないよ。だって本ができれば、飲んでもらうだけだもん。
これは素晴らしい作品ができたとか。
そんななんか自己挑戦みたいなこと、誰もしないと思うけど、
大体みんなできたときは、すごく自分の作品に疑問があるんですよ。
これでいいのかしらみたいな。
これでみんな読んでくれるかしらとかさ。
これも最初全然売れなかったんですよ、この本。
というのはなんかさ、馬鹿馬鹿しいでしょ。
だから親がさ、意味を解説できるようになっているときに。
もちろん学校なんかは特にそうで、それがだんだんだんだん売り出してね、
今100万部超えたんだって。
なんか、ノンセンスってものもだんだん浸透してきてるよね。
それは多分テレビのお笑い番組とかそういうものの影響があると思うの。
ほとんど意味がないじゃないですか、笑うだけで。
だからそういうことに慣れてきているということは、歓迎すべきことであると同時に、
我々の目から見ると、ちょっとそのノンセンス、無意味ってものが、
なんていうのか、つまんなくなっちゃっているというのかな。
なんかショッキングじゃなくなってきているみたいな感じはありますよね。
この本には、母子とありますが、
無垢や母子など、いくつもの言葉を出して精査して母子になったのか、
それとも第一印象から母子だったんでしょうか。
ある種類のものを精査して母子になりました。
今のお話から皆さん察してください。
ちなみに、絵本など共同作業から得るものが、
ご自身の試作の面でも大きく汚したと以前の対談でおっしゃっておりましたが、
特に印象深い作家、絵本作家に限らず、どんな方がいらしたでしょうか。
06:01
後ろにも谷川さんゆかりの方の作品なども。
絵描き者、絵本作家だけじゃなくて。
どなたでも。
そういう方がたくさんいるから困っちゃうんですけどね。
絵本作家だけの方がいいんじゃない。
そうすると、僕は本永さんとか和田誠さんとか、
もう無くなっちゃった、調子豊さんとか、堀内誠一さんとか、
一緒に仕事していてとっても楽しくて、
僕が描いたものがもう数倍面白くなる作家とはいっぱいいましたね。
やはり共同作業ですので、少なからず衝突するような場面もあるかと思います。
そういったことは。
僕は一人っ子でね、兄弟喧嘩って全然したことなくて、
喧嘩の仕方は全然知らなかったんですよね。
小学校の時にいじめっ子にいきなり大首みたいに張られてさ、
何されたのか全然わかんないの。
泣きもしないし、ぶっこみゃんにもなんなくて、
呆然としてたのを覚えてるんですけど、
だから喧嘩っていうことが苦手で、
こういう威嚇さん達とやってても、
喧嘩になったりなんかすることはないんですよ。
それは谷川さんの心の中に出てくる孤独という点と関係しているような。
そうかもしれませんね。
やっぱり兄弟なんかいないと、
他人と深く付き合うということがあんまり得意じゃなくて、
僕だったら友達っていうのもすごく少なかったんですね。
友達が必要じゃないような人間だったわけね。
東洋本なんか共同で作ってても、
やっぱりなんか強作者っていう気持ちは強くて、
相手の想像の仕方も尊重するし、
自分の想像の仕方も守りたいしということで、
こうやって一貫してたから、
もし衝突したらすぐに話し合いに入っちゃいますよね。
なんか喧嘩にはならないと。
僕の好きなそういう友達とはやっぱりそういうふうに、
頑固になっちゃう人が少なかったってことだろうね。
今は一人一個がとても多くて、
詩人がたくさんこれから生まれてくる。
ええ、やめてください。
本そのものについての思いなど。
簡単に言うと本はあんまり好きじゃないんですね。
というのは、うちの父は大学の先生だったわけ。
評論家でもあったわけ。文芸評論なんかもやってたから。
生まれた時から自分の周りは本だらけ。
壁という壁に本が詰まっていて、
本に非常に圧迫感があったんですよね。
というか、簡単に言うと詩に関して言えば、
作者がいて、それから読者がいますよね。
詩というのは作者と読者が間に成立するという考え方ですね。
だから、紙の上に詩が印刷されていても、
それだけでは詩ではないと。
読者がいて、そのうちにある程度の感動を知ってくれたときに、
初めて詩というものが成立しているんだと。
だから、詩集というのは譜面みたいなものなんですよ。
09:00
音楽の譜面。譜面だけだったら何も音がしていないわけじゃないですか。
でもそれをピアニストが弾くと、そこで音楽が立ち現れるわけでしょ。
詩集もそういうふうに考えてもらったほうがいいなと思ってますね。
声にしないまでも内心読むだけでもいいんだけれども、
そのときにその人と知人の間にやっと詩が成立するのであって、
詩集そのものを単なる本にしすぎないという感じですね。
谷川さんは子供を手懐けようなんて思うなと、
以前の対談でおっしゃっておられましたが、
その手懐けるという部分はどのような部分なのでしょうか。
子供自身に限らず、自分自身を手懐けようと思うなということなのでしょうか。
自分自身を手懐けるという発想がよくわかんないんですけど、
子供を手懐けるというのは要するに大人の価値観を押し付けるということですよね。
それが正しいというふうに言っちゃうことは手懐けることになると思うんですけど、
僕は子供はもちろん人間の大人の社会にある程度順応して生きていかなければ大人になれないわけだけど、
それはしょうがないから諦めて、できるだけ子供が野生の部分、ほとんど動物みたいな部分というのを
抑圧しないでいてほしいなという気がしますね。
それは結構今の社会では特に難しいと思いますけどね。
子供にちょっと聞いてみて。
誰かと目が合ったら好きって思う。
これで終わりだ。
すごい実感があるように目が合ったら好き。
でも大人になると目が合っただけで好きになったら困るよね。
やっぱり子供だから子供って言うんですよね。
こちらは手が書いてあります。
とても短い詩なんですけど、この詩がたくさんある中で一番本当に見た瞬間に感動して、
目が合ったら好きになるんだろうと思いました。
そういう経験があるの?今の奥さんとか。
子供の頃は今はいろいろ考えて、横から斜めから。
考えちゃうんだよね。それも大人は困ったところだよね。
最初の直感を大事にしたいんだよね。
今度誰かと目が合ったらどうする?
好きになろうと思います。
結婚してないの?
私は独身です。
あ、じゃあ大丈夫。好きになっていいよ。OK。
次は、主人公は生まれ持ってのものでしょうか。それとも環境でしょうか。
自意識の問題でしょうか。
私は何かの欠落や歪さや歪みが大きな要因であるのではないかと思います。
それ言えてますよね。
本当、知人に限らず社会の仕組みや自然物の形、全てに共通する作用が根底にあって、
その大小のバランスや微妙な力関係によって、
人を呼ばれるようなもの、作品とべれるようなものが現れているのではないかと勝手に妄想しております。
12:01
この妄想はほとんど正しいですね。
だけど、生まれ持ったというものも、多分これは本当に測れないものなんだけれども、
何かもう遺伝子的な、知人的なものってどうもあるような気がするんですよね。
それがはっきり言えたらもう本当に博者になれるんですけれども、
何かの欠落や歪さや歪みというのは本当にそうで、
知人というのはだいたい人間社会から何となく脱落する人が多いわけよね。
それが逆に言えば社会に対する偉業になるし、
そこから社会を遥かに超えた宇宙とかね、
何か歴史の深みとかというものに触れるという感性を持っているんだろうと思うので、
この方は知人については結構よく考えていらっしゃいますね。
こだわりというのはあんまりないけど、嫌いな言葉はやっぱりありますよね。
生き様なんていうのはやっぱり今ちょっと使いたくないし、
絆という言葉もね、震災以来なんかちょっと擦り切れちゃっているから、
視覚的なんかそういうのを使うときにはやっぱり前後に文脈をすごい傷つけますね。
マスメディアに犯罪しているような意味じゃなく使いたいというふうに思っています。
谷川さんの好きな人、嫌いな人のタイプとは簡単に話すとどのような人になりますか。
好きな人はユーモアの感覚のある人が好きですね。
嫌いな人はいませんね。
どんなに嫌いだと思っても嫌いだと思わないようにしています。
感覚的な好き嫌いや相性などは争いの種なんでしょうか。
そうでしょうね。みんなそういうところでね、争ってますよね。
隣のトランプさんは好きですか。
会ったこともないし、好きか嫌いか言いようがないじゃん。
こういうのがマスメディアの影響の困ったところなんですよね。
みんな会ったことない人の笑いがいっぱい来るわけじゃないですか、メディアで。
僕はなんか自分の感覚っていうのは本当にアナログのできるだけ直接的な感覚に正直で言おうと思っているから
トランプさんは好きか嫌いかって言われても分かりませんというしかないですよね。
会ったことも話したこともない政治家などに対して平井と大勢の人が口を揃えて言います。
象徴を作り上げたり、褒めたり、進行したりとイメージを共有することが人間の差がなのでしょうか。
そうだと思いますね。人間の差がなんですよ。
言語って発声しちゃったせいなんですよね。言語にそういう性質があるわけだから。
言語を使う条項には避けられないから、言語を持っている一致の欠点ですね。
言語を一般化し合って中小化する欠点をある程度ちゃんと意識していないと困るなと思いますね。
言語から生じていると私は思っています。
一番いけないのはやっぱり学校教育の問題がありますね。
学校教育で詩を読むと解釈とかだと結構質問されたりしてめんどくさいじゃないですか。
15:03
詩ってね、好きにならないとダメなんですよ。
だから始めに詩が好きになるようにいろんな詩の先生が教えてね、
どれが好きというところから始めてほしいんだけど、
教科書に載っている詩がもう一番だみたいなことで、
それにすごくこだまって一行一行解釈したり、
作者が何を言いたいんでしょうとかってやるわけじゃない。
あれでみんな詩が嫌いになっちゃうわけ。
文部科学生になんか文句言ってほしいです。
なんか、総祖父っていうものなんですよね、私。
総祖父ってすごい偉いものだと子供の頃思ってたんだけど、
全然偉くないんだよね。
総祖父の時にもね、子供の頃はすごく上の人だと思ってたんだけど、
自分がなってみるとね、ちゃんちゃらおかしいような人がいるんですよね。
困っちゃいますね。
イメージですけどね、
鵜のうさむっていうことをよく言いますよね。
それを言うと鵜のうですよね、島と鵜のう。
僕はそれよりももっと意識家っていう、
精神分析のある方で無意識とか言いますので、
なんかその辺にまだ言葉にならないなんかもやもやがあって、
それがなんか言葉になってポコッと出てくると詩が始まるみたいな。
そんな感じで。
だから詩の最初の何秒かはそういうふうに自分でも
なんでこんな言葉が出てきたの?みたいなものの方が面白いんですよね。
ただ、初めの方の何秒かがそうやって出てきたら、
あとは相当作法的につなげていくんですね、連想したりとか。
でもそうやって連想して書いていくときにも、
必ずしもそういう計算した言葉じゃない、
よくわからない言葉がポコッと出てきて、
それがうまくつながる場合もあるので。
僕、好き好きノートって本を出していて、
そこになんか僕もこれが好きとかっていうのをまず載せて、
そこにみんながね、自分の好きなものをずっと書いていく本があるんですけど、
あの本知ってる?好き好きノートで。知らない?知らなかったら買ってちょうだい。
あのね、こっち側からだと子供が書き込めて、
こっち側からだと大人が書き込めるようになってるの。
で、書くとさ、すごいいい記念になるじゃない。
自分がなんか7歳の時に書いたものとか。
だから、そうやって書き込める本ってあんまりないからね。
そういう白い紙がずっと閉じてあるっていうのも面白いから、
目についたそれをなんか買って書き込んでください。
今みたいな紙が書いてあるとすごくいいと思います。
言葉を全部白紙状態にできればするということですね、自分の中にある。
特に決まり文句的な、マスメディアで使っているような言葉を一旦忘れる。
で、自分が白紙状態になって、なんか待ってて、
なんかポコッと出てくる、さっき言ったように、
意識化からなんか映えてくるものがやっぱり信号始めだから、
18:00
なんかあんまりこう、いろいろ読んで、
詩とは何かとかさ、考えないほうがいいと思うんですよね。
子どもたちもさっき、いろんな短い詩を読んでくれたけど、
あれみんな、本から得た知識で書いてるわけじゃないもんね。
いや、それはもうある程度詩が始まってから、
読者のことを考えて、こういう言い方だったら、
読者はちょっとついてこないだろうなとか、
こういう言い方じゃ、なんかすごい平凡でつまんないだろうかなとか、
それから、今までの詩にはないような、
なんか言い方みたいなものを考えるとか、
それだからそれはもう、ちょっと、詩のブロっていうのもおかしいんだけど、
詩人のテクニックですよね。
詩をこれから書こうとかっていう、そういう子どもたちなんかには、
テクニックっていうことは言う必要ないと思うんです。
全然僕ね、夜寝るのが好きでね、
みんな弱いの。若い頃から、今はもう絶対できないですね。
みんなノンセンスの力だと思いますけど。
会話なんかしないよ。だって本ができれば、
インジェもらうだけだもんね。
そんななんか自己統制みたいなこと、誰もしないと思うけど、
大体できた時ね、すごく自分の先に疑問があるんですよ。
これでいいのかしらみたいな。
これでみんな読んでくれるかしらとかさ。
これも最初全然売れなかったんですよ、この本。
っていうのはなんかさ、馬鹿馬鹿しいでしょ。
だから親がさ、意味を解説できないわけよ、子どもにあたるときに。
もちろん学校なんか特にそうで、それがだんだんだんだん売り出してね、
今100万部超えたんだって。
ノンセンスってものもだんだん浸透してきてるよね。
それはたぶんテレビのお笑い番組とかそういうものに影響があると思うの。
あれはほとんど意味がないじゃないですか、笑うだけで。
そういうことに慣れてきてるっていうことは歓迎すべきことであると同時に、
我々の目から見ると、ちょっとそのノンセンスの意味ってものが
なんていうのか、つまんなくなっちゃってるというのかな。
ショッキングじゃなくなってきてるみたいな感じはありますよね。
この本にはモコとありますが、
ムクやモコなどいくつもの言葉を出して精査してモコになったのか、
それとも第一印象からモコだったんでしょうか。
ある種類のものを精査してモコになりました。
今のお話から皆さん察してください。
絵本など共同作業から得るものがご自身の試作の面でも大きく汚したと
以前の対談でおっしゃっておりましたが、
特に印象深い作家、絵本作家に限らずどんな方がいらしたでしょうか。
後ろにも谷川さんゆかりの作品なども。
絵画家は絵本作家だけじゃなくて。
21:03
どなたでも。
そういう方がたくさんいるから困っちゃうんですけどね。
絵本作家だけの方がいいんじゃない。
そうすると大人川さんとか和田誠さんとか、
もう亡くなっちゃった調子豊さんとか堀内誠一さんとか、
一緒に仕事していてとても楽しくて、
僕が描いたものが数倍面白くなる作家っていっぱいいましたね。
やはり共同作業ですので、少なからず衝突するような場面もあるかと思います。
そういったことは。
一人っ子でね、兄弟喧嘩って全然したことなくて、
喧嘩の仕方を全然知らなかったんですよね。
小学校の時にいじめっ子にいきなり大首みたいに貼られてさ、
何されたのか全然わかんないの。
泣きもしないし、ぶっこみゃんにもなんなくて、
呆然としていたのを覚えてるんですけど、
だから喧嘩っていうことが苦手で、
こういう絵画さん達とやってても喧嘩になったりなんかすることないんですよ。
それが谷川さんの心の中に出てくる孤独という点と関係しているような。
そうかもしれませんね。
やっぱり兄弟なんかいないと、
他人と深く付き合うということがあんまり得意じゃなくて、
僕だったら友達っていうのもすごく少なかったんですね。
というより友達が必要じゃないような人間だったわけね。
だからこういう本なんか共同で作ってても、
やっぱりなんか強作者という気持ちは強くて、
相手の想像の仕方も尊重するし、
自分の想像の仕方も守りたいしということで、
こうやって一貫してたから、
もし衝突としたらすぐに話し合いに入っちゃいますよね。
なんか喧嘩にはならないと。
というより僕の好きなそういう友達はやっぱりその日に、
何個になっては人が少なかったってことだろうね。
今は一人一個がとても多くて、
詩人がたくさんこれから生まれてくる。
ええ、やめてください。
本そのものについての思いなど。
簡単に言うと本はあんまり好きじゃないんですね。
というのは父は大学の先生だったわけ。
評論家でもあったわけ。文芸評論なんかもやってたから。
生まれた時から自分の周りは本だらけ。
壁という壁に本が詰まっているので、
本にいろんな圧迫感があったんですよね。
というより簡単に言うと詩に関して言えば、
作者がいて、それから読者がいますよね。
詩というのは作者と読者が間に成立するという考え方ですね。
だから紙の上に詩が印刷されていても、
それだけでは詩ではないと。
読者がいて、ある程度の感動を知ってくれた時に、
初めて詩というものが成立しているんだと。
だから詩集というのは譜面みたいなものなんですよ。
音楽の譜面。譜面だけだから何も音がしていないわけじゃないですか。
でもそれをピアニストが弾くと、
そこで音楽が立ち現れるわけでしょ。
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詩集もそういうふうに考えてもらったほうがいいなと思っていますね。
声にしないまでも難心に読むだけでもいいんだけれども、
その時にその人と詩人の間にやっと詩が成立するんだって。
詩集そのものは単なる本にすぎないという感じですね。
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