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2022-03-05 31:28

#78 カルチャーとしてのMacとWindows(サブカル千夜一夜物語 #6 - A)

前回よしだが突如始めたDarknessに対抗して、しょーじも負けずにサブカル千夜一夜物語、第6弾を決行します! 今回は「MacとWindowsの物語」。

それぞれの会社のカリスマである、スティーブ・ジョブズさんとビル・ゲイツさんの生い立ちを追いかけながら、それぞれの会社をサブカル視点でディグしてみようと思います。

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00:05
おれたちLIVES MATTER、おれまたは人生を無理やり楽しむための人間参加キュレーション番組です。
みなさんこんばんは。今日も始まりましたおれまたです。まずは自己紹介からいこうと思います。
宮口の元シンデレウライター Shojiです。よろしくお願いしまーす。
パッタン漫画家Kiwaです。よろしくお願いします。
はい、最後にSawari Mujishoです。よろしくお願いします。
よろしくお願いしまーす。
あのですね、最近ですね、ちょいちょいおれまたに出てくれてる僕の同級生のカズヤ君と飲んだんですよ。
お、生きてた。よかった。
生きてる生きてる。オンラインでなんですけど、介護のお仕事引き続き続けてますっていう文句をもらって、頑張ってるなっていう感じなのと。
お、すごいね。頑張ってるな。
そうそう、出てくる悩みがね、なんか職場の話だったり仕事が大変って話で、
お、なんか普通の30代みたいな話しか出てこんなって思って、ちょっと逆につまんなく思ってしまったんですよね。
ちゃんとやってるってことだね。
そうそう、でもすごい安心したのがその日、その飲み会で、今日何してたの?ってパチンコ行ってきましたって言ってたんで、
あーよかったね。
よかったよかった。いつも通りだ。
借金を返すための仕事なのにパチンコやってきたんだって思って、いいならしいなって思って、すごい僕も元気になりましたね。
そうだね。
元気になるポイント違うんだよ。
よかったって思って、かすやだって思って、あー元気になってますよ、ちょっと出てもらうといいなと。
でもよかったよかった。また出て近況教えてもらいたいね。
ね、そうだね。いやでもちょっと広げちゃうけどさ、うちのさ、親父っていうのが今介護が必要で、そういう介護付き住宅みたいなとこにもう何年も入ったんだけども、
で、まあうちの母は母で、まあそこそこポンコツになってきてんのね、年取って。
はいはいはいはい。
もうね、ちょっと若干慣れつつある、あ、俺最近一緒に暮らしてんのよ、それで、まあポンコツになってきたから、これはやべえと思ってさ、
これはほっといたら死ぬと思ったんで、あの一緒に暮らしてんだけど、まあこれがね、なかなかこうコツがいるのね、コミュニケーション円滑にするの。
理屈でやっちゃだめなの。理屈通じねえから。
はいはいはい。
俺が話してることと全く関係ない話を返事してくるような感じで、もうもう気が変になりそうだったんだけども、まあこう慣れてきてね、だんだんこう、もう子供みたいなヒステリー起こすこともあるんだけども、
まあボケてるわけじゃないんだけども、半ボケかなぐらいの感じのところもあったりして、だからね、やっぱかずや君のこと思い出したよ、彼はすごい仕事をしていると思ったんだけども。
いやすごいっすよね。
これは変になると思ったもん。もっとだってハードな人がいるわけでしょ、言ってみたら。
そうそう、噛みつかれたりするって言ってましたもんね。
ほんと全然、だからもう彼のこと俺は今リスペクトしているよ、頑張れかずや君、ほんとすごい仕事をしている。
誰かができないことを代わりにしてくれてるんだもんね、そういう人たちに。
そうだね、パチンコぐらいやれやれって思いますよね。
03:00
お前が死ぬかもしれないけど、それはもう覚悟の上だし、もういいよなっていうことでね。
借金は返してほしいけどね。
そうだね。
そうですね。
とにかくすごいと思っている俺は、かずや君。
重い話だよね、結構今の。
そうだね。
いや重くはない、重くはないんだけども、本当にすごい仕事だなと初めて身をもって知ったというかね、一言だったからね、ずっとすごいすごいとは聞くけれど。
本当に仕事ですよ、ほんとに。
しんみりしちゃったな、しんみりした話になっちゃった。
じゃあしんみりしたところをぶち壊していきましょうか。
お願いしますよー。
元気な話ですか。
今日ね、吉田君がさ、モテンラジオとかよくわかんないサブカル美少女千夜一夜物語を持ってきたわけじゃないですか。
そうですね、ダブルデータになっちゃったけどね。
ということで、僕も頑張って自分のサブカル千夜一夜物語第6弾持ってきました。
えーーー。
えーーー。
それ難しいし長いんでしょ。
長いんだよな。
長いよな。
合図っちゃ下手になっちゃうんだよな俺ら。
あーとかはーしか言えなくなっちゃったな。
やめてよそんな、せっかく人が頑張ってきたのにさすぐ否定するような。
さっきかずや君のことすげー肯定してたじゃん。
俺も肯定してた。
いやもう肌感覚でわかるんだよ、肌感覚。
お前のもわかんないんだよ、お前の肌感覚。
いや、今回はでもみなさんは身近なやつですよ。
そうですか?
僕がMacを買ったからっていうところから始まるんだけど。
ちょっと想像がついちゃったぞ。
今回はその通りのWindowsとMacの物語。
あーいいですね。
マイクロソフトとAppleの物語をしようかなと思って、題してマロとリンゴの物語ということで持ってきました。
はいはいはいはい。
えー燃えない?なんかいろんな人が喋りたかったからさ。
あーでも。
今回はまあ多分いろんな、それこそね、WindowsファンMacファンいろいろいると思うんですよ。
で、性能だとかさ、使い勝手だとかいろんなことはもういっぱい語る方がいると思うんで、
この番組らしくサブカルということで、サブカルチャー面からちょっと話していけたらなと思うんですよ。
なるほどね。
それはいいっすね。
でしょ?
面白そう。
だからそんな詳しいシステムの話とかそういうことはない。
カルチャーとしての成り立ちということで聞いてくださいお二人ともっていうか、
これを聞いていただいている皆様お願いだから最後まで聞いてということで始めたいと思いますね。
毎日のバリエーションを考えてる。
それでまあマイクロソフトとAppleっていえば、もう今どちらも退院された方とお亡くなりになった二人になっちゃいますけども、
カリスマですよね、ビルゲイツさんとスティーブジョブズさんですよね。
なのでこの二人の対比とWindowsとMacっていうことで話していけたらなと思うんですけども、
どちらもマイクロソフト社の創業者であるビルゲイツさん、
そしてApple社の創業者であるスティーブジョブズさんなんですけども、
実はね二人ともね、これ有名な話かもしんないんだけど、
1955年生まれのオナイル氏。
知ってた?
それは知らなかった。
二人ともオナイル氏で生まれた人が今パソコン業界の二大カリスマとなってるんですけども、
06:00
これコンピューターって言ってもさ、どっちかというとこの二人がカリスマとなった世界っていうのは、
コンピューターの中でもパーソナルコンピューターっていう世界だよね。
分かりますか?
病名じゃなくて、僕ら個人が使うコンピューターっていうことにすごく貢献した人ということで、
現代の最大のサブカルであるパソコンというものの発展の歴史ということで話していこうと思います。
サブカルかもう。
俺もうサブカルだと思うんだよね。
現代のコンピューターってサブカルチャーだよね。
今もうスマホ主流だからパソコンっていうのが若干もうおじさんのアイテムになりつつあるのかもしれないね、もしかしたら。
そのコンピューターを使ってやることもさ、昔ながらのさ、昔ながらって言うと変だけど、
ビジネス的なことだったりシステムっていうことだけじゃなくてさ、
それこそインスタグラムだったりとかTikTokだったりとかってどんどん個人の表現のカルチャーに付随するものとなってる感じがするのね。
その始まりの話ということで聞いていただければなと思うんですけども、
まずじゃあ二人の生まれからちょっと対比していこうと思うんですけども、
まず簡単にビル・ゲイツさんの紹介をしようと思います。
本名はウィリアム・ヘンリー・ビル・ゲイツ三世らしいね。
三世。かっこいい。かっこいいでしょ。
1955年10月28日生まれの現在66歳になられる方ですね。
そんな感じなんだ。そっかそっか。
このビル・ゲイツさんはシアトルのアメリカ人で、シアトルの裕福な家庭に生まれたそうです。
で、子供の頃から熱心な読書家だったと。
そんで、すげえ負けず嫌いだったらしい。
まあ裕福な家庭に生まれたんだけど、結構自分のことには一切お金を使おうとしなかった人らしいね。
なんか今でも飛行機エコノミークラスとかってなんか聞くんだけどね。
なんか無駄なことをすげえ嫌う性格らしい。
法理的な。
エンジニアっぽいね。
エンジニアライフなんだよね。
で、裕福な家庭でどうやって育ったかっていうと、結構家の教えとしては競争性を重視する教育をされたらしいよ。
いかに競争の中で勝つかみたいなことを教えられたらしいね。
そんな中で、まあそういうすげえ読書家で、で、IQも160の天才となってて。
近代一少年よりも高いんだよね。
あれ?近代一少年?
140。
あ、140なんだ。
じゃなかったっけ。
まじか。
違ったかな。
すげえ頭いい。
すげえ頭いいね。
縦が、縦が頭ありな。
で、高校生の時に起業もしたことあると。
19歳で、友人のポール・アレンと一緒にマイクロソフトを設立と。
ちょっとつらつら略歴になっちゃうんだけど、21歳でハーバード大学を中退。
中退するね、そういう人たちになんか。
っていう感じで、めちゃめちゃ天才で、ガッツガツのビジネスマンって感じのエリートって感じで育ってるんだけど、
ただ見た目はメガネにひょろ長い体っていう形の、アメリカのいうところの典型的なギークっぽい感じの青年だったらしいよね。
だけど、ただのギークオタクって言われるのじゃなくて、結構競争に強いとか、それとか負けず嫌いだったとか異常に。
09:04
だから俺はこのビル・ゲイツ青年のことを一言で表すと、これすげえディズってるわけじゃなくて、本当に最強だと思って表現するんだけど、
最強のね、戦闘型ギークっていう感じがあるんですね。っていう感じだと思います。
で、じゃあ片谷スティーブ・ジョブズさんの方行ってみましょうか。
この人は本名、スティーブ・ポール・ジョブズさん。1955年の2月24日生まれの2011年10月5日に56歳に亡くなっておりますと。
2011年はすごいみんなの記憶に残る出来事だよね。
それでサンフランシスコ生まれで、シリア人の父とアメリカ人の母の間に生まれたんだけど、
で、この2人の結婚が親に望まれてなかった結婚をした2人だったらしくて、
で、生後すぐに養子に出されてるらしいのね。
重いっすね。 結構重いんだよね。
で、裕福ではなかったけど温かい家庭環境の中で育ったと。
良かった良かった。
で、養子っていう老いめ、老いめって言うとちょっと違うかもしれないけど、
養子っていうことに気を使われたかは知らないけど、めちゃくちゃ甘やかされて育ったってことらしいね。
で、賢いけど結構いたずらしまくる問題児だったらしい。
良いっすね良いっすね。
だけど、割となんか俺のイメージのスティーブ・ジョブズとはちょっと違うんだけど、
子供の頃は割とね、内向的でスポーツにもあんまり興味がないっていう友達もあんまりいない人だったみたい。
だけど結構変ななんかいたずらばっかりしてたらしいのね。
だから問題児ではあって甘やかされて育ったっていうなんだけど、
そんなジョブズ君が青年期になったらどうなってたかっていうと、これはね、
ヒッピー界にもちらっと話したと思うんだけど、
まあ年代も相まって立派なヒッピーに育ってたらしいね。
そうだね、穀物しか食わねえとかね、瞬きをしねえみたいななんかいろんなチャレンジをして。
まあ学生時代に、ユダヤ、キリスト、イスラム、アムニズムだとか、太陽神思想だとか、
なんかそういう宗教的なことでハマりまくって、
で座禅にもハマって、でヒッピー文化に浸水して、
大学の校内を裸足で歩き回って、風呂にも入らない汚い格好をしてたと。
でめちゃめちゃ音楽も好きで、ビートルズやグリードフルデッドなども聴きまくってた。
ガチガチのヒッピー。 ガチガチのヒッピーに育ってた。
でこの人も大学中退してると。それでゴリゴリのヒッピーに育ってたから、
インドに思いを馳せてインド旅行もしたんだけど、
いいっすね。
だからその旅先のインドですぐ責任になって、でいろいろあって、
こんなん俺の思ったインドじゃねえって言って失望して。
ボンボンなんだよ、そういうところ。
理想のインドがあったんだね。
その後も日本の禅を学んだりとかして、
ドヒッピーの自分探しをずっとやってたらしいのね。
でそんな二人なんだけど、どっちもねやっぱ学生の頃から、
コンピューターっていうものに触れて、初めて。
でこれからコンピューターが世の中を変えちゃうって予感を感じた二人だったね、どっちも。
でまあこの二人をね一言で対比すると、
12:01
芸術さんはやっぱどっちかというとなんかエリートビジネスマン的な匂いってするよね。
社会的な匂いっていうかね。
それに比べて今説明したジョブズさんはやっぱアーティスト色が強め。
強いよね。
この後のね、アップルとマイクロソフトの色を決定づける二人の違いだと思うんだけど、
やっぱ社会的な匂いと文化的な匂いっていうところで一つ、
マイクロソフトとアップルはやっぱ分けられるかなと。
もうこのカリスマ二人の色がすでに出てるなってすごい思うんだよね。
でまあ創業っていうところにちょっと飛ばしちゃうんだけど、
話ね間に入れるといくらでも時間経っちゃうからちょっと先に進んでいこうと思うんですけども、
アップルコンピューターの方は1976年4月1日でジョブズと有名なウォズニアックさんで、
もう一人俺この人あんまりちょっと詳しくないんだけどロナルドウェインさんっていう人の三人で
アップルコンピューターカンパニーっていうのを創業しましたと。
で時は同じ頃1975年4月1年前になってるんだけど、
さっき話したようにビルゲイツとポールアレンがマイクロソフト社を創業ってなってるんだけど、
こう見るとマイクロソフトの方が1年早いように見えるけど、
ただこの頃って会社形態ではなかったらしいのねマイクロソフトの方は。
で最終的にマイクロソフトが株式会社として法人化するのは1981年であるってなってるから、
会社としてはアップルの方がだいぶ先なのかな本当の会社としてできたっていう感じは。
そんなイメージかなと思うんですけども、
じゃあそんな2人が創業した2人っていうか2社が創業した頃のパソコン業界ってコンピューター業界ってどうだったかっていうと、
当時はコンピューター業界といえば巨人IBMがそうだね。
全世界を支配するんじゃないかとまで言われてたような時代だったと。
僕らパソコンって言うとスマホだとかノートパソコンとかそういうことを思い浮かべるんだけど、
当時ってまだ個人がパソコンを使うような時代じゃなくてパソコンって言うともうほとんど業務用。
だけどこの時代に2人が会社を始めたような時ってパーソナルコンピューターの本当に始まろうとしている時代だって感じかな。
ちなみにパーソナルコンピューターっていう名前って初めて世の中に出たのは1962年だいぶ前になるんだけど、
ニューヨークタイムズ市の中でパーソナルコンピューターって言葉が初めて使われて、
その中で未来の子供たちがコンピューターを使いこなす時代が来るだろうって感じだったっていう。
だいぶ古いよね。
62年にそういうことが予感されてて、70年代後半にやっとそれが現実になる第一歩が生まれてきたっていうところですかね。
真面目な回だな。
なんかこれだけは説明しとかないとなと思ってとりあえず最初。
で、その後アップル社はどうやって会社を始めていったかっていうところの話に行こうと思います。
76年の創業と同時にアップルはいきなりパソコン作っちゃうんだよね。
アップルワンっていうパソコンが出て、ちなみに1975年1年前にはIBM5100だよね。
例のジョン・タイターが欲しがったパソコンができてるよね。
15:02
そんな時代感と思ってもらえばいいかな。
そのジョン・タイターのことについてはシュタインズゲート界を聞いていただけるとよくわかると思いますので。
それで76年アップルワンを出して、その翌年の1977年にアップルツーっていうのを出して、その後継機だねアップルワンの。
それでヒットして、それで会社が起動に乗ってくるんだけど、このアップルツーっていうのがヒットしたことで、いわゆる互換機を他社が多く出してきたので。
互換機っていうのは。
っていうとアップルツーと同じような、アップルツーの中身が他社の製品でも使えるようなやつ。
Windowsってこの互換機に全部入れるっていう今時代なんだけど。
この頃はこのアップルツーがせっかくヒットしたのに似たような同じような機能が使えるやつ、他社が出されて結構悩まされたらしいのよ。利益を恐れんと言われて。
で、ジョブズ結構悩んだらしいのね。
だからこの頃からさ、今の思想ってあるかなと思って。
アップル社ってさ、自分で筐体からさ、OSからさ、もう全部アップル社の製品なわけじゃない、Macって。
この頃互換機に悩まされたことも最初にあるのかな。自分の会社で全部作るっていう思想って。
腹立ったんだろうね、よっぽどね。
よっぽど腹立ったんだろうなと思って。
相当ムカついたんだろうね。
俺のって思ったんだろうね。
真似すんなと思ったんだろうなと思って。
それで互換機に悩まされながらも、さらに進化したアップル3っていうのをその後に出すんだけど、これが失敗する。
価格が高いとかソフトウェア不足だったりとか、あとはちょっと欠陥品って言われるぐらいのなんかあったみたいで、まずいところが。
で、こうやってせっかくアップル2でヒットしたのに、アップル3で失敗してしまいますってところがアップルさんの始まり。
あれらしいですよね、この人は本当に。
この人結構成功とともに失敗もしてるんだよね、ちゃんと。それも結構な失敗してるんだよ。
なんかさ、俺ちょっと余談になっちゃうんだけど、これすげえどうでもいい話。
ふと思ったからもうこれつまんないこと言ったらカットするんだけど後で。
すごいなんですけど、なんかね、最近オリンピックやってるじゃない。なんかね、羽生くんの4回転半失敗、俺ちょっと見てないんだけど、なんかに対してネットでね、でも挑戦したんだからいいじゃんみたいなことを言ってる人に対して、成功しない挑戦を無謀というとかってドヤ顔で書いてるやつがいて、うわ、こいつしっかなと思った。
そうだね。 全然違うよってなって思った。
挑戦しないとね。 俺の勝手に思ったことなんですけどね。
珍しく怒ってんじゃん。
すげえムカついたんだよ俺なんか知んないけど。ということでまあどうでもいいです今の話はごめんなさい。ということでせっかくアップル2ヒットしたのにアップル3で大惨敗を期してしまうというアップルさんの初期なんだね。
で、マイクロソフトさんの初期は対してどうだったかっていうと、それこそ巨人IBM、まあ業務用パソコンではもうトップだった。
パソコン業界でトップだったんだけどさっき言ったようにパーソナルでパソコンを使う時代が来るっていうことでパーソナルコンピューターを開発してたわけね。個人用のパソコンっていうのを。
18:08
IBMって結構何でも自社の中で作るっていう社風だったらしいのね当時。なんだけどそのパーソナルコンピューター用に乗せるOSの開発にすごい苦戦してた。
OSってオペレーションシステムって今のMacOSだったりとかWindowsだったりみたいに実際そのパソコンの内部を使うのにアシストをしてくれるソフトだよ。全体を。
で、仕方なく社外に依頼しようと思ったの。そんな時に白羽の矢が立ったのがマイクロソフトだったらしい。
で、マイクロソフトにもOS作れって言ったんだけど、IBMも急いでるから時間がなかったらしいよね。
で、マイクロソフトは別の会社が作ってた86DOSっていうOSがあって、それを買い取ったの。自社で。
で、これをIBM用にカスタマイズしてPCDOSっていう名前で納品して、それでIBM用のOSを作る会社として伸びていった。
これが最初の仕事だったわけの大きな。で、後にこれがWindowsにすごい繋がって、今のマイクロソフト帝国に繋がってくる話になっちゃうんだけど、
このPCDOSっていうIBMのパソコン用のOSね、これを自社用にもちょっと作り変えたやつをMSDOSっていう名前で発表したのね。
マイクロソフトDOSっていう。
DOSっていうのはDOSっていうのはディスクオペレーションシステムっていうOSのことだよね。
で、MSDOSを1981年に発表した。で、今でもWindowsってもともとMSDOSから出てきて、WindowsはMSDOS上で動くソフトから今のOSとして発展していったわけなんだけど、
この後の1984年にIBMの名機であるIBM PCATっていうパソコンが出たわけなんだけど、それが割と普及していって各社がこの互換儀を作るようになったのね。
Appleがさっき悩まされた互換儀ですよ。他社が同じようなものを作り出したのね。
で、マイクロソフトのMSDOSであったりとかPCDOSっていうのは全部このPCATと互換儀全部で動くわけですよ。
で、そうなると、それこそさ、今の時代ではさすがに言われなくなったんだけど、90年代、2000年代初頭ぐらいまでってWindows機のことをPCAT互換機とかって言わなかったの。
えー、いや、知らない。
DOSV互換機とかね。
DOSV互換機は聞いたことあります。そういうことだったんだ。
わかんない。あの要は、このIBMのパソコンの互換機ですよって出て、そのシステムを組んでるものっていうのがどんどん作られて一般に普及していって、それに互換性のあったMSDOS、Windowsってものがどんどんそれに入っていって帝国を築くっていう。
最近ソフトとかさ、ダウンロードしようと思ってページに飛ぶとさ、昔はさ、Windows用とかMac用って書いてあったと思うんだけど、
21:02
最近ね、ページによってはちょっとカッコつけたページだと、Mac用とPC用って書いてあるよね。
Mac以外をPCって呼んでるところがあって。
かつくな。
現在Macっていう生き残ってる独自のやつ以外は、まあちょっとその他のOSは置いとくんだけど、メジャーなところとしてね。
この全部Windows機っていうのは、このPCAT互換機として今のパソコンの末裔ってあるわけですよ。
へー。
ここら辺調べてて、なるほどなと思って。
だからIBMはせっかくその基礎を作ったんだけど、それより上に塗り替えられちゃったのがOSのWindowsだったって感じになっちゃうんですよね。
そうですね。うちの社長はIBM出身だからさ。
そうなんだ。
そうなんですよ。
今ね、すげえ真面目な話になってるけどね、このIBMっていうのがちょっと後でね、やっぱ面白いのはAppleさんの方で、
このIBMが世界を征服するというディストピアなサイバーパンクな世界から、俺たちが世界を救うんだっていうCM出しちゃったりするんだけど、Appleは。
はいはいはい。有名なやつですね。
有名なやつ出すんだけど、そこら辺にくるとすごいサブカルチャーの匂いがすごいしてくるんだけど、
まあ今回はもうちょっと真面目な話を続けていこうと思うんですけども、
そんな80年代から90年代初頭までのパソコン事情っていうのはどうだったかっていうのをちょっと説明しとかなきゃなと。
80年代初頭から?
うん、80年代から90年代の初頭、頭ぐらいまで。
このApple社とマイクロソフト社がだんだん成長していく中のパソコン業界っていうのはどうなったかっていうと、
IBMってやっぱ強かったんだけど、今互換機がいっぱい出るまでっていうぐらい。
パソコンの基準がないから、各社がいろんな企画を乱立している群雄合協の時代だったわけだよね。
じゃあちょっとアメリカのことは置いておいて、
これ日本のね、だいぶパソコン初期から知ってる人にはだいぶ懐かしい話になっちゃうんだけど、
日本での有名どころを説明しとくと、NECのPC88、PC98シリーズ。
僕らはそれですよね。
最初はね、小学生の頃かな。
富士通のFMタウンズっていうやつ。
一体型パソコンとかあったよね。
シャープのX68000シリーズ。
はいはいはい、X68000ってさ、ゲーム機としてもね。
そうそうそうそう。
あと、ベーシックっていう言語でちょっとしたゲームとかも作れてて、
友達も持ってたんだけど、マイクロソフト社のMSXっていうパソコンだった。
MSX、はい。
ここら辺が日本では有名だったかなっていうのなんだけど。
全然知らねえ。
これたぶんね、90年代で、今説明してるところが、
日本でパソコンっていうものが一般の人が買うようになってて、
それで、たぶんね、この頃って、そのPC98だるとか、富士通FMタウンズ、シャープX68000とかって、
やっぱどっちかで言うと、パソコンはまだ、あれ、ワープロを買う人がいた。
いわゆるパソコンではなくて、ワープロしかできないパソコンみたいなやつ。
24:00
その中で、このパーソナルコンピューターが売れた背景って、やっぱゲームがあったんじゃないかなと思って。
X68000なんて、もう本当に貴族が買うさ、ゲーム機みたいな。
そうそうそうそう。で、なんか、発色がこのパソコンだと256色に対応してるだとか。
音源とかね。
そうそう、音源がいいとかっていうのがあって、
僕らもね、ちょっとだけ見たことがあるぐらいの世界になっちゃうんだけど。
俺たちだともう98だったもんね。
そうそうそう。最後の方だよね。
何言ってるか全然わかんないわ。
いわゆる、このNECのPC-98シリーズだとか、
富士通の何々とかシャープの何々っていうので、
全部対応のゲーム違うわけよ。
わかる?ゲームの話すると。
だから、その中でPC-98シリーズが多分対応してるゲームが一番多かったのね。
日本ではシェアを伸ばして。
だから一番日本では多分当時シェアを持ってたと思う。
こうやってゲームが牽引して、
そういうマニアの人が買ってたところからパソコンって広がったかなっていうイメージがあるんだけど、
全部それが最後はWindowsに殺されちゃったっていう最後なんだよね。
この話ってさ、吉田くんもう全然わかんねえわっていうの、
PC-98って聞いてもわかんないでしょ。
全然わかんない。
全然わかんないでしょ。
だから俺といわちゃんが憧れの目を向けながら買うことができなかったエロゲーって、
このPC-98シリーズが強かったんだよ。
そうなんだよね。
雑誌とか見てさ、とってもじゃないけど手が出るような価格じゃないの、当時のパソコンなんて。
大人でも手が出ないような価格だったよね。
40万とか50万とかしてたもんね。
多分ね、高性能パソコンとかだと多分60万とかしてたと思う。
それこそX68000とか絶対高かったでしょ。
結構ね、被ってるゲームとかもあって、他の他機種でも。
で、同じゲームなんだけど、劣化版みたいな感じになっちゃうんだよね、どうしても。
どうしても発色できる数が少ないとか音が少ないとかね。
今のさ、PS5版とXbox版の比較されるようなもんだよ、多分。
でもそいつら結構張った張ったじゃん。
PS5版を強引にPS1で動かすみたいな、それぐらいの性能差もあったのかもしれない。
もう全然動かない。重いとかさ。
もうね、やっぱ戦亡の的になってたパソコンってあると思うんだよね、当時の。
そう、俺らも分かんないけどね、もっと前の世代の人はね、すごい思い入れがあるマシンとかあるかもしれないよ。
フロッピーディスクでしたもんね。
フロッピーディスクでしたね、まだ当時は。
あのバカデカいフロッピーディスクね。
デカいのが黒くて四角いあれじゃないの、フロッピーディスク。
そうそうそう、黒くて四角くて薄いやつ。
あれのペラペラのさ、めちゃくちゃサイズがでかいやつ。
5インチっていうの紙の中に入ってなってましたんで。
それがもう10枚ぐらい入ってて、それを労働のために読み込みのために入れ替えては入れ替えてあって、ゲームをね、やってたりしたわけよ、当時は。
CDが出た時はもうぶったまげたよね。
フロッピーディスク、なんかゲームの容量がどんどん大きくなってくると、フロッピーディスク16枚組とかっていう発売し方してたしね。
27:02
あったね。
フルってるね。
頻繁に入れ替えるんだよ、入れ替えてくださいって。
吉田くんが多分、前回すごい美少女ゲームの歴史解とか言って話した同級生ってあったんだけど、
あれ多分最初出たのはPC98シリーズフロッピーディスク何枚組とかだと思う?
あったと思う。
ほんとに?
90年代くらい。
だからこれが俺らがギリギリエロに興味を持ち始めたくらいの時代に、
多分世の中に、パソコンと一緒に多分世の中を石鹸しだしたっていう業界だと思う。
なるほどね。
本当だ今ググったんですけどね、とんでもねえ数ですね。
9枚組、11枚組、17枚組とか。
だからまだここってオタクの世界だよね、きっと。
そうですね。
この後Windowsが一般的に普及してくることによって、やっと一般の人にとってパーソナルコンピューターっていうものが広まってきたっていうところかな。
もう吉田くんとか笑っちゃうと思うんだけども、これ情報が正確じゃないから間違ってたらごめんなさいなんだけども、
なんだっけな、ゲームをしながら喋ったりとかはしないわけよ、今みたいにね、音声とかないから。
だからカセットをかけながらゲームをするんだよ。
どういうこと?
まあ要はその音と画面は別デバイスで動かしてる感覚。
力技なの。
知らねえそれ。
力技なの。
めっちゃ強引に、それでまるで喋ってるかの如しみたいなそういうことをやってたっていう話を、
俺もねリアルタイム世代じゃないからあんまりこう情報としてはあやふやなんだけど、
これゲームじゃなかったかもしれないんだけども、それぐらい強引なことをして、すげえこれって言ってた時代がかつてあったんですよ。
それが最先端だったような時代があったわけよ。
すごいね。
だからこそ僕らにとって喋るゲームなんていうのは、未来が来たっていう感じが。
最初はゲームが喋るっていう未来が来たんだったよね。
そう。
ほんとだよねって思ったわけだよね。
いやすごいよな。
WindowsだってDOS画面だったもんな。
そうそう最初はDOSVの文字を命令で入れて、それによってソフトウェアを起動させるっていうのから。
そこからさっき岩ちゃんが話したところからちょっとつなげるんだけど、
そういうプログラムを打ち込んでそれによって命令をするっていう時代をこのAppleとMicrosoftが変えていくのね。
要は一般の人が画面として見て直感的にマウスでそこにポンポンって飛べばソフトが起動するとか、
このファイルを開くとかっていうのができるっていうOSを発売したことによって世界が変わるっていうところに次回は飛んでいこうかなと思って。
変わりましたよね実際ね。
なので次回はちょっと今90年代の話しちゃったんだけど、
80年代にもう一回戻って今のMicrosoftと今のAppleを作った始めのものっていうので、
Windowsの誕生っていうところとAppleの今Macっていう名前になっちゃったんだけど、
マッキントッシュの誕生っていうところから始めていこうかなと次回は思います。
ちゃんとやってくださいよ。
Appleが出したあのクソゲーム機とかの話もチラッとまるでよ。
30:01
ゲームの話じゃないんだよ今回は。
チラッともう一言くらいも一応ちょっとね出してはいた失敗したってことだけはね。
ここら辺からあのね、2社の色っていうのがねちょっとカルチャーっぽく出てくるところになると思うんで。
楽しいね。
楽しくなってくると思いますので。
では今日はここら辺で次回は続くとしていきたいと思います。
オタクの話が続いたねこれまた。
じゃあ最後オタクな岩ちゃんのオタク話で締めましょうか今回は。
僕ですか。
いやちょっと、とにかく懐かしい話でしたよ。
僕のそのパソコンのねすごい子供の頃の思い出っていうのはとにかく使い方がわけわからんけども、
いとこのお兄ちゃん、結構年の離れたお兄ちゃんっていうのがいて、
そのお兄ちゃんが多分ね、イースだったと思うんですよ。
イースっていうゲームをやってたと思うんだけども、
それはもう頻繁にねさっき言ったフロッピーディスクを入れ替えながらやってて、
とにかく滑稽だったなっていう記憶。
ファミコンしか知らなかったから、ちっちゃい俺は。
あんなに頻繁に入れ替えて忙しいなパソコンっていうのはと思ったら、
でも絵が綺麗みたいなね。
当時はだってパソコンゲームってファミコンなんかとはレベルにならないぐらいの絵の綺麗さっていうところだったからね。
じゃあ今日は終わりにしたいと思います。
次回もね懐かしい話楽しみにしてます。
次回もよろしくお願いします。
ありがとうございました。
31:28

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