1. 空地的ジンブン学
  2. #16 浅野いにお『おやすみプン..
2023-07-13 1:19:36

#16 浅野いにお『おやすみプンプン』で語る。

浅野いにおの描く平成/プンプンは戦後じゃない/プンプンの人物の描き方/大人になっていくこと/プンプンは古くなる?/プンプンの後の時代の不条理に対する答え、それを出し続けなければならな/我々は荒地ではなく空地にいる?/プンプン的思春期の後どう生きていくべきか/自分の否定や孤独を受け入れて生きていくことが不条理に対する反抗ではないか/救われようとする、救いを信じる姿勢の中にしか救いはない/ペンネームの話      ※酷暑のため、エアコンの音が入っています。申し訳ありません。

サマリー

浅野いにおの漫画『おやすみプンプン』についての話が展開されています。松崎さん、中村さん、そしてゲストのチャオさんは作品についての感想や読み返しの回数などを共有し、作品の特徴や時代的な要素について議論しています。『おやすみプンプン』は、浅野いにおの漫画作品であり、平成の世代の人々の物事に対する感覚や家族の関係性を描いています。作品は主人公のぷんぷんが初恋の呪いによって自分を縛り、家族との関係を探索する中で展開されています。『おやすみプンプン』は、2000年代に家族の呪いや共同体の崩壊といったテーマを描いた作品であり、主人公のプンプンとアイコの違いを通じて愛されることの意味や家族の役割を探求しています。浅野いにおの漫画『おやすみプンプン』についての考察が行われています。浅野いにおの『おやすみプンプン』の感想や解説が語られており、プンプンの物語は、時代性との乖離や選択というテーマを通じて、個人の不安定さや社会の問題を描いています。プンプンとアキチの距離感や、彼らがそれぞれ抱える問題、自己肯定の重要性などについて話されています。アキチは自己否定し続け、プンプンは現在意識に囚われることで自分を見つめています。浅野いにおが『おやすみプンプン』を通じて、永遠性と変化のテーマについて語っています。

『おやすみプンプン』の読み返しと感想
松崎です。
中村です。
というわけで、空地的ジンブン学やっていくわけなんですけども。
いやー、だからこの前さ、その棚畑でさ、
はい。
おやすみプンプンが無料公開されてたじゃない。
はい。
で、あれが、そのなんかサーバーの問題でさ、週末まで伸びて、
まあ私普通にあの日金曜日だったんで、
はい。
週末にかけて、まあ読めて、
まあその後、あのー、普通に持って松崎君から借りたりして、全部読んだんですけど。
割と3人読み返しましたね。
うん、そうだね。
俺と中村は1回は読んでた。
そうね。これ本持ってるから、1回読んで、その後ちょいちょい、全部通して読むのきついから、
うん。
まあなんか、思い出したとこだけ読んで、
うん。
で、何年かぶりに全部通して読んだ。
うん。
って感じですね。
まあチャオは通して何回も読んでた?
3回ぐらい読んでた。
なるほどね。
愛が何だは何回見たんだっけ?
愛が何だは4回見た。
ああ。
そっちの方が多かったわ。
ははははは。
でもこれプンプンだから4週目ですよ。今回。
ああ、そっか。
うん。
いや、プンプンよかったね。
まあ、よかったね。
よかったね。
うん、よかったよ。
うん、よかったね。
そりゃあいいよ。
うん、いい漫画だなと思って。
そっか、初読?
いや、途中まで読んでたから。
ああ。
中学校へぐらいまで途中でやめてたんじゃないかな。
うん。
部交付で立ち読みしてて、部交付で立ち読みするには重いじゃないですか。
うん。
で、中学校、みそ工場のくだりはね、読んだ記憶があった。
ああ。
まあほんと最初の方とか読んだって。
そうそうそうそう。
なるほどね。
『おやすみプンプン』と他の作品との類似性の考察
なるほどね。
なんかツイッターでさ、プンプンのさ、とさ、町田校の告白を並べて書いてる人がいたんだけどさ、
それでもまあまあ間違ってないんだよね。
へえ。
構造めっちゃ似てるんだよな。読んだことある?告白の。
ないです。
ああ、でも同じ感じ。
主人公がいて、孤独というか骨折を抱えていて、最後暴走して、で、告白の場合はネタ割りしていいかな。
いいよね。
いいよね。
最後自分死ぬんだけど、自殺するんだよね、主人公の男の子が。
でもその過程は同じ、あいこちゃんみたいなのもいるし。
うん。
なんか、でもね、どうなんだろうねそれ。なんか、構造が似てるってだけで同列に評価するのもどうかなと思って。
いやでもこういうことって普通にその大振りして取り扱われてきたらもう問題なんじゃない?
『おやすみプンプン』と2000年代の時代性の関係
あれさ、その話で怖いのがさ、また別の回でアキチの2000年代以降のベストを作るって話をちょっとしてたじゃん。
うん。
それで告白とプンプン並べた時にどっちも2005年なんだよな。
ああー。
そう、だから時代性みたいな話でもあるんだよな。
いやでもこれさ、
2007年じゃん。
ん?
2007からだね。2007から2014年。
あ、違うよ間違えた。ソラニンと間違えた。でも同じくらいの時代ではあるじゃん。
でもこのさ、初恋とかの一種の、初恋で人生にテーマが生まれて、それに向かい合っていくとかって、
俺が割と思い返すのは、あれですね、村上春樹の国境の面倒くさいのにしよ。
ああー。
あれでもね、あれはねすげーね、90年代なんだけど確か。あれ94年とかの小説だっけ?
結構後だね。あれはネジバンキーのもの前。
だよね。
90年代前半。
だからすごいさ、そこでやっぱ時代の差があるよね。
そうね。
この俺すごい、朝の犬の平成くささっていうのがありますよね。
いや、織坂ゆうたみ感じたよ俺。
ああー。
なんか、
平成だから。
平成だから普通に平成っぽいんだよねあれ。
ああー。
俺が思う。そう。わかる?
どういうニュアンス?
生活と、なんだ、この世界っていうか自然っていうかのバランスの取り方みたいなのがさ、
90年代と2000年代ってさ、また変わってるじゃん。
うんうん。
その、普通の場所にもよるだろうけど。
うん。
そういうのがなんか似てんなと思った、ぷんぷんとか。
でもこの2000年代のさ、朝の犬王は背景フォトショーじゃないですか。
はいはい。
で、この東京ってものがこう描かれてて、
人物の絵もすごく作り込まれてて、
でやっぱぷんぷんだけが広子の絵で、
っていうところの描き方が、
やっぱりこの平成におけるこの生活の不安定さっていう感じがあります。
生活から隔別、骨折というか。
結局この隣人の、隣人あるいは自分に対して起きることなんだよね、ぷんぷんっていうのは。
でもそれはやっぱり令和には無さ、無いよね。
ああ、そうだね。
それやっぱり平成の時ってさ、もっとサラリーマンが何してるかわからなかったんじゃないかな。
満員電車の人たちが。
まあ今はわかんないけど、データベースが薄いし、
自分の世界だけじゃない、平成ってのを感じたし、
あと普通に2007年から2014年、
特にぷんぷんは終盤にかけて震災の話があるし、
あれで自分の小学生時代のことをすごく思い返しましたね。
どうですか松崎さん。
そういえば今ちょっと調べたけどさ、
ぷんぷんってあれ一応町じゃなかったね。
ああ、そうなんだね。
なるほどね。
ベッドカバーじゃなかった。
ベッドタウンではあるんだね。
そうだね、だからこの練馬とかとも確実されてるんだよね。
練馬からあいこちゃんが来るじゃないですか。
練馬が都会って認識だったもんな。
そう、都会っていうか練馬に対して確実感があるんだろうね。
だから多摩っぽいよ、やっぱりそういう意味で。
23区が東京で、その他が、
だから23区の東京に対してアイデンティティを持たない東京みたいな、
それこそ多摩地域とか、町田町も含まれるか。
それこそやっぱり普通に味噌工場とか、
家業が弁当屋だったりとか。
生活とのバランスが多摩っぽいよね。
あと終盤にかけて新宿に出たりとか、大船とか。
大船川実家じゃない?とかの話とかも、
そこに対する距離感みたいなのが独特だよね。
俺やっぱり東側の人間だからそういう感覚はないんだけど。
でも平成ってああいうことあったんじゃないかなって思う。
そうだね。どうなんだろうね。
勝手に平成だなと思ってさ、
やっぱり朝の家に寄ってソラニンが味噌缶じゃない?
それこそ味噌缶チャット文字とか、
平成の音楽とかとプンプンの雰囲気とかと合わせてさ、
2000年代だなと思ってたけどさ、
本当にああいう感じだったのかねって。
俺までまだ小さかったからね。
でもああいう感じだったかな。
でも子供の頃見てた風景と似てるもん。
そうだね。なんかあれだよな。
発展してきてはいるけどまだハイファイじゃないんだよね。
今に比べると。
21世紀に入ってからベッドタウンが作られて、
その後1個世代が切り替わって再開発が進んでるじゃない。
西も東も。
東京暮らしてる感じるんだけど。
その前じゃない。
だから俺さ、地元がさ、
俺が小学校中盤くらいかな。
震災前後くらいで再開発されて、
中高になってもっと開発されてマンションが建ったりしたんだけど、
その前の地元の空気がすっごい似てる。
だから経済成長期に建てられた地元の雰囲気ってこと?
経済成長期、バブル崩壊後くらいにさ、
だいたいベッドタウンっていうのがだんだん作られててさ、
そのマンションに住んだ若い夫婦の子供たちが
小学生とかになってる。
だから俺とか、俺より5歳として10歳くらい上までの世代。
そんな感じだったんじゃないかな。
俺が子供の頃のちょっと上の世代だったお姉ちゃんお姉ちゃんとかは、
ここまでじゃないし、こういう世界観だったんじゃないかなっていうのは。
あれだよな。
オラダメーシーのCMもさ、
その時のさ、仮面ライダーの主演の俳優がやってたくらいのさ、
広告とかが全体に今に比べて垢抜けてない感なんだよ。
デジタルにはなってきてるんだけど、
まだちょっと垢抜けてない感じとかさ。
単純にテレビが地デジの前だよね。
今見るとびっくりするぜ、2000年代後半のマクドナルドの。
昔のCM集とか。
今よりはね、もっとローファイなんで、全体的に。
そもそもね、画質とかも。
結局スマホとか全然、携帯シャメ撮る時代じゃなくて、
みんな対して出来もしないようなデジカメコンディシティとか、
ホームビデオとかで撮ってた時代ですよね。
花見とかもさ、今は再開発された公園とか、
テーマのところに桜が見えるように植えてあってさ、
バーとかで飲みながら見たりしてますけど、
そういう感じじゃないもんね。
まだ全然場所取りしてさ、っていう時代じゃない。
それこそ場所取りで思い出してたら、
このハチクロとかさ、
2000年代の少女漫画とかにあった雰囲気もあんだよね。
当時やっぱ流行ってたのとか2000年代の花壇とか。
ああいう時にあった雰囲気とか近いよね。若者の価値観とか。
じゃあみんな出していくそれぞれを。
議題じゃないけど。
ん?議題?
議題。
いや、なんとなく出ないから。
今だから。
時代性がたまにしゃべりすぎてる。
俺が思ったのは、戦後じゃないってことなんだよ。
最近やっぱ戦後文学とかも俺は読んでるわけよ。
それを授業でさ、
アレチの詩人の話とかになった。
そういうのもあってさ、
文学の観点で戦後以降の日本を外観しようみたいなのを
一つ自分の中で恐怖というか、
しないといけないなっていう。
やっぱ戦争ありきの国なわけじゃない?
そうですね。我々の今の価値観。
のはずなんだけどさ、
例えばさ、戦争に行ってた人とか戦争体験した人にとってのさ、
今の平和とさ、平和っていうかこの今の日常だよね。
文部の中で言えば平坦な日常だよね。
平坦な日常って、ウィリアム・ギブゾンの詩の中にあったやつでさ、
岡崎教皇がリバースエッジで引用してるからさ、
岡崎教皇のテーマ的に平坦な戦場。
そういう意味でさ、
なんだろうな、そういうのはあるんだよな。
戦争に対しての今の平坦さがあるわけじゃん、戦後死んだ人と一緒に。
つまりその死んでいった仲間たちに対する思いとかさ、
今の平坦さに対する一種こう、なんだろうな、
ダメだ、全然言葉出てこない。
違和感だった。
違和感もあるし、前提になってるじゃん。
例えばさ、どうしようもない午後にさ、
太ってゴロゴロしてる時もさ、
俺らと戦後、戦争経験した人って違うんだよね、意味が一体。
そうだね。
そういう意味で戦争体験みたいなところがないからこそ、
生まれてからずっとこういう状況なわけじゃん。
結局戦後の後だったよね。
戦後時代の後。
戦後の後にいるからこそさ、
今回我々は戦後の後の後ぐらいですね。
そういうさ、一種の今の状況に対するさ、
あり方さっていうのも違うけどさ、
その社会に対する現状認識がずれていくんだよね。
一様に断絶がないという感じ。
前提みたいなね。
ふんぞり通ってるじゃん、この平坦さの上に。
みたいなことを考えた時にさ、
じゃあ自分が本当に共感できるとか、
自分のための表現だなと思えるの何かなっていう時に、
俺はブンブンなんだよなっていうのを感じたんだ。
やっぱこう、めっちゃ俺は思うんだよね。
休みの日の午後にYouTube見てる時のこの
無責任さみたいな自分で。
なんか何の罪悪感もないけどさ、
なんか普通にすごい享受してるけどさ、
なんかもっとこう、このかけがえのなさを感じられないことに対する
なんかむずがえさっていうか、違和感とか。
その日常の薄さに対する。
そうだね。
もう完全にシステムが出来上がって、
我々のための社会が出来上がっていって、
独立して動いていって、
そこで我々も組み込まれていって、
そこで結局無になってるよね、我々は。
だからシステムが完成した後の歴史の終わりって
80年代90年代言ったけども、
歴史の終わりの後の人を描いてるなっていうのが
俺のブンブンだからいいなって思う。
2000年代とかにあっても、
だいたいそうだけどさ、
そういう中でもブンブンって一番解像度高い。
ブンブンは漫画として優れてる運動でも
ぷんぷんの思考
解像度が高くてびっくりした。
そうだね。
これ描くのきついよね。
きついと思う。
きついし、きついとこを乗り越えて描いてるよね。
明らかにすごく思ったことを描いてる時あるからな。
特にサッチャーとかは漫画っていうキャラクターだし、
でもやっぱりその家族とか友人とか
いろんな物事に対するのが
まさに平成の世代の人ではないかもしれないけど
2000年代か学生時代じゃないけど
でもすごく乗せてるよね。
なんだろうな、あの感じは。
だからさ、初恋の呪いの話だってよく言われるじゃん。
でも呪いじゃないんだよな。
初恋で自分を呪うことで平坦な日常を生きようとしてるわけじゃん。
そうだね。
その前提になってる。
清水くんとかそういうサブストーリーでね。
そこら辺とか。
U14さんもそうだよね。
何か自分で自分を呪うことで自分を縛らないと
自立できない、自分で立てないっていうところが
ぷんぷんってすげーなって思うんですよ。
でもそれこそ俺は思うのが
ぷんぷんとかU14さんもそうだけど
自分のこの朝ぬいり用の格とりあえずOSNぷんぷんに関しては
割と全然良心あるんだよね。
良心ある人間みんな気が弱い。
みんなが優しい。
視野が広いじゃない。
約束は守れなかったり
自分を裏切ったりすることに対する過酌っていうのが
その人がより良く生きるための縛りになってんだよ。
ぷんぷんは別に投げ捨てでもいいわけじゃない。
そこにこだわるっていうことが生きる意味になってくるっていうところが目的としての創作だよね。
そうだね。ぷんぷんは終盤でありますね。
ぷんぷんが悩んでることは空っぽなんだ。
空っぽは実際何も考えてないのと一緒っていう知的があるとしても
あそこあたりすごいですよね。
割と文革とかで出てもらえますけど
家族の関係性
主人公がいろいろ考えた後の主人公のことをやたら責めるやつがいるっていう。
これ何回読んでも面白いんだよな。
カニエさんとデートよ。
何巻くらいだっけ?
6巻7巻くらいか。
こういう構成になったぷんぷんがさ
カラオケのところでみんなで行ったときに馴染めなかったさ
カニエさんと2人で
カニエさんのお姉ちゃんがやってる展覧会見に行くじゃん。
いろいろカニエさんに好かれようと思って怒ったりとかさ
俺あそこのシーンマジで見てらんないよ。
キツイよね。
何がキツイってさ
うわーこういうの分かるってのもあるしさ
友達の話でもあるんだよね。
分かるね。あるある。
友達が付き合ってた彼女が欲しいぬいぐるみをゲームセンターで
1500円くらい使って取ったんだけど
別れた後に何も嬉しくなかったって言われたっていう話とかあって
うわーって思いながら
俺あそこ酔うのキツイんだけどさ
その後のさ、カニエさんに
引き止めるじゃん。
引き止めた後のいざこざで
ぷんぷんが、お父さんが、お母さんが
手術の日なのでここにいるってことだよね。
カニエさんに責められてさ
最終的にカニエさんにめっちゃ否定されるじゃん。
あそこの否定ぶりがさ
もうさ、ちょっと否定しすぎてさ
もう笑っちゃうんだよ。
そこ多分浅野が書いてて気持ち悪くなって書いてるよね。
あそこヤバいよね。
そういう時あるじゃん。
カニエさん自身も否定されてるんだよね。ぷんぷんに。
たぶんカニエさんは
姉のグループで行くってのもそうだし
家族っていう共同体が
自分の中ですごく強いんだよね。
だからこそ
否定されたってことですごく敏感になるんだよね。
ぷんぷんみたいな。怖いじゃん。
64話です。
結構最初の方だったね。
いや、147話だった。
ちょっと前。
ここね、否定しすぎだよね。
言われすぎ。
そことね、後半の
教習所の感じが
大秘っぽくていいよな。
教習所で川かぶって
そうそう。
同じこと基本やってるわけだけど
結局ぷんぷんは
自分を支える自己みたいな
確立できない
ところがあるじゃん。
結局
自分と違うことを
し続けるわけじゃん。
高校生になったら髪を上げて
ブランドのTシャツ着たいとかさ。
そこの限界さ
っていうのがあるよね。
ぷんぷんってずっと同型なわけじゃん。
他人に対して。
家族の
話でもあるね。
家族が
形外化してる話でもあるじゃん。
家族
っていうものが
盲目的に信じられない時代の話だって
いうのが
いいとこだよね。
結局さ、その
ぷんぷんパパはさ
最終的に子供
ぷんぷんと暮らそうって言って
断られて
結局
ぷんぷんパパは最後別れた後
今が一番幸せってなってて
ぷんぷんママはずっと息子と別れながら
ぷんぷんも母親のこと嫌いなままで
ぷんぷんママは
パパの振りして
手紙書いてたとかさ
あそこら辺のぐちゃつきがさ
人間じゃん。
特に我々の思う
人間じゃん。
そこで明らかにカニエさんとの対比があるんだよね。
そうだね。
家族っていうものがさ
信じられない
上でどう生きていくかって
いうことなんだよね。
そういう意味でベッドタウンの話なんだよね。
各家族の
地域っていう
共同体が薄いんだよね。
だって出てこないもんね。
おじいちゃんとおばあちゃんが。
断絶されてんだよ。
それこそ
両親とかがさ
家業がある家もあるけど
そこもやっぱ
潰れてたりとかさ
時代ってどんどん断絶されていく人たち。
ベッドカバー
ベッドタウンの空虚の感じ
すごい出てるよな。
ベッドタウンの中に
生活のため
日常としてあったものが
寄り所がなくなっていくみたいな。
それが各家族だったり
家族の話だったりするのかもしれない。
そういう意味で空き地があった時代なんだよね。
全部が
断絶じゃなかった時代。
そうだね。
もうちょい今ってね。
今は普通に
味噌工場が改定されるし
全部きれいにされてって
あるいは何かが建つじゃないですか。ベッドタウンって。
でも俺が小さい頃は
普通にまだ何にもなってない空き地とか
すげえあったし。
時代性みたいなところですっと入っていくところがあるわ。
家族がさ
結局
他人同士なんだっていうのはさ
割とさ
描いてないよ
描いてないよねってのも
価値観の変化と新時代の家族
違うけどさ
うちなんか特に弱いんだよな
そういう意味で。マジで各家族だった。
うちなんか
父生と母生が
そもそも存在しない家庭
なんだよ。
母親の方が働いて
一種なんか父親的な
ところがなくてさ
父親が割と
子供と
父親と子供っていうより友達みたいに接するような
タイプの親だったんです。
一種普通にただ一番話ができる人
みたいなスタンス
関係性だったよね。父親と。
母親は母親でさ
何度も転職
繰り返したり
それこそ
新自由主義以降の社会でさ
サバイブしてる人だったりしてさ
一種母生で
家の中にいるから
できるところがあって
父親的じゃなさすぎるからさ
家族の話みたいなところが
全くわからないんだよな正直
母生と父生の関係が
それは多分
結構前から失われたことあるもんね
90年代とかから
その失われたものをさ
表彰してるのが一種カニエさんなわけじゃん
そうだね
そこに対してぷんぷんは
両親に対して親っていうものが
盲目的にというか
絶対的に大事にするものじゃないと
するものだと思えてないわけじゃん
うん
そこでカニエさんの層が生まれる
あの時にめっちゃ
そういう主人公を立ててる
っていうのがぷんぷんの
優れてるというかすごいところだよな
いいところだよ
平成とかは
俺ら世代は特に思うと思うけど
21世紀になって生まれて
特に2010年代以降に生まれてきた価値観が
幼少期に流れてないんじゃない
我々も中古をかけて
徐々に考え方が変化してきてる世代じゃん
俺が子供の頃ってまだ全然
男女格差あったと思う
男の子はこう女の子はこうって概念が強かったと思う
どうなんだろうね今の小学生
今の小学生何のせいでもいいよ全然好き放題だよね
黒と赤だったね
俺は全然もう男の子だから黒
女の子は赤
でも色変わってたら変わり者っていう
なんかこうイメージだった
確かに今の小学生みたいなやつ
だいぶ違うかもな
今の親とか
今の親ってだいたい子供
30代中盤くらいでしょ
小学生の親って40代とか
人たちが働いてたら
抵抗あると思うよ
女の子だから黒
女の子だから赤にするの
聞いちゃうんじゃないかな
見ずりにした方がいいんじゃないとか
ような世代じゃん
我々は子供の時はそういう風に送ってないし
全然そうじゃない
っていうのが
全然ありますよね
そういうカトキのね
時代だよね
うちの親が裁縫教室みたいなの
一時期やってたんだけどさ
話聞いてるとさ
男の子結構半分くらいいるんだよね
小学生の時
その状況ありえなくなかったわりと
小学生の時ありえなかった
男の子はフットサルやってたよねサッカーと
本当にいなかったじゃん
俺小学生の時も
びっくりすごいいなかった
裁縫とか授業あるじゃん
女の子が代わりにやってくれてたって知ってる
そうでしょ
どうせできないでしょ
時代変わったなと思って
親も変わってた
だいぶやっぱり
俺の子供の頃から変わってるなと思った
でも家族が共同体でいくとさ
やっぱその
方言的な家庭っていうのに対する
抵抗感があってそこに抜けきれなかった
親父が
家族を何もやらなかった家なんだよ
で母親が
割と昔ながらの普通の家庭を
築いた人で
そこのなんかアベコベ感があって
俺と近いと親父に感覚が近いから
家族っていうのが何もできない
タイプの人間だったから
そういう意味でプンプンみたいなのありますよね
でも俺は結構中高裕福な
家庭の多い新学校に行かれてたんで
そういう意味では
法律上ではプンプン的だったけど
全然中高では古かった
古かったね
だから中高が古かった
中高は感覚が古かったと思う
お母さんが専業処分の家とかパートの家が多かった
俺小学生か
中学生の時にさ
隣の席の女子に
満足ないって聞いたら
ごめん持ってないごめんって言われて
ごめんね女子力低くって言って
言われた時に
この前思い出して
嫌な価値観だなって
ふと思った
女子力女子力言われてたね
中高は
年取って言わなくなったのかなと思ったけど
今も女子力って言わないね
世間が
テレビとかでも言わない
何かの横に女子つけるみたいな
流行りもあったじゃん
カーブ女子とかね
カーブ女子もあったし
男子もあったね
それってさ
俺らが中学生とか小学生ぐらいの時が
一番盛んだったよな
なんだっけ山登り好きなの
山ガール
山ガール
カーブ女子とか
山ガールとかって
それは過渡期の言葉なんだよね
男性社会に女性が参入していくっていう
男のものだっていうのが
進まって
女とかガールをつけるっていう
運動的でもあるんだよね
運動的なんだよねあれは
でも女子力って言葉はもう
使われないね
それこそ最近はさ
男向け女の子向け雑誌
女の子向け雑誌の
間違った教育ってのはよく言われんじゃん
ワンピースの批判もあるし
あとそれこそ
女性のね
子供小学生が見るような漫画雑誌とかの
特に小学生の
家族の呪いと共同体の崩壊
女性のやつって
ちょっとした性美容素とかもあるから
少女漫画って
そういうのに対するのとか
よく言われますからね
あそこら辺がまだテコテコじゃないですか
価値観が
そこをどうしようかっていうのもあるし
話されてきたよ
そうだよ
なんとなくわかる
これ
次話して話してちょっとしたんだけど
2000年代の漫画で
そんなに数読んでないんだけど
ぷんぷんと同じ世代で
林田急がめっちゃ好きなんだよ
林田急のドロヘドロの中で
めっちゃハグくけど
家族ってギャングが出てくるんだよ
その家族ってギャングがさ
結局さ
めちゃくちゃ違うハグなのよ
情突教が
お互いの
体を貪ったりとか
お互いが
お互いのために蒸気になって
蒸発しなければいけないみたいな
でもその状況において
別の他者が出てきて
そいつのためにしなくちゃいけない
みたいな
家庭が入り乱れてる
家庭じゃねえな
共同体だな
ぷんぷんの中では家族って書いてたけど
もうちょい共同体
自体が
ぐちゃっとしてるよな
2000年代って
平成ってこう
その雰囲気あんだよな
家族っていう共同体に対する
信じられなさって全然あるよね
そうそう
日本で一番売れてる
評価されてる監督って
これで博数だけど
普通にずっと家庭の話書いてるし
あれじゃん
ゼロ年代秘書の
二千年代の物語
共同体が崩壊した後に
人々は
新しい形での
家族的なものを
模索してるんだっていう
キサラズキャッツァイとか
そこら辺の
何だったっけな
忘れたわ
新しいサバイブしていくために
そういう
いわゆる決然的な家族じゃない家族
模索した時代が2000年代だった
ぷんぷんもそういう話
そもそもぷんぷんは
初恋の呪いというか
家族の呪いの話なんだよ
決縁っていうものも呪いなんだよ
やっぱ普通に
母親に似ているっていうのが
サッチャンがすごい強調されるし
そのあいこちゃんも
母親の問題ずっと抱えてるわけじゃん
アイドルとかがよく言う
お父さんみたいな人を結婚したい
みたいなやつ
あれすごいよ
それが無難な回答だからっていうのもあるけど
結局家族を大事にしている子が
イメージいい時代なんだよね
ステレオタイプのオタクの中では
だし
お父さんみたいな人を好きになる
がいいっていう
発言に対する何だろうな
違和感とかちょっとうわって思う感じって
何なんだろうと思う
あれは単純に
アイドルが
ジャニーズと付き合いたいんだよ
うまいだろっていう話じゃん
だけど
お父さんみたいな人と付き合いたいってなった時に
結局さ
あれ
アイドルのパターンは
お父さんとなくらいいでパターンで言うのよ
だから結局
家庭っていうものから自由になれてない
子供のままじゃんっていうのと
お父さんっていう
強権力から結局何かに任せてないかっていう
違和感があるじゃん
そういうのに対するえって感じはあるじゃん
そういうことなんだろうな
逆にでも
逆に
封建的な
家族の形がなくなったことによって
封建的な
家族において
お父さんみたいな人と結婚したいっていう
発言が自分から出てくるとは思わないんだよ
そうすることで
むしろ家族っていうものを
自分の中で
再現しようとしてるってこと
自分の不足を補おうとしてる
不足を補おうとしてるわけじゃない
だから家族に対して不足を補おうというよりも
そういう状況で自然に生まれたというか
え?それ
アイドルってお前の思って
ちょっと語弊があるけど
お前のアイドルって賢くない
え?それすごくないでも
むしろお父さんみたいな人を好きになることで
失われた家族っていうものを
仮初めの形で
復活させようとしてる
それだからお父さんじゃない
お父さんみたいじゃない
今なんかすごい
逆転の発想だなと思った
いやお父さんじゃないような人じゃん
それだったら
お父さんじゃないような
お父さんのことが好きってこと
自分のお父さんみたいな人じゃなくて
世の中にいるお父さんみたいな人ってこと?
そうそうそう
アイドルの人ってよりも
女性全般が言う
お父さんと結婚したいっていう言葉に対してね
そう話してたんだよ
いやでも結局さ
俺はさ
自分で暮らしてきて普通に
父親に対する違和感とかさ
10代の人はすげえ感じてたわけじゃん
大人になるとそういうの割り切って
接するようになるけど
だから普通にお父さんみたいな人と結婚したいって言われると
お前の家庭に圧力ないんか
ってなって
結局それって自我がないのと一緒になってくるじゃん
俺の中で家庭っていうのは
いずれ出ていくべき場所だっていう
意識が
無意識にあるから
お父さんみたいなっていうのが
幼児対抗的な気がしてくるのかもしれない
でもなんか今ってさ
割とアメリカとかはそうだけど
家庭が出ていく時代でもなくなってきたね逆に
アメリカとかさ
一人暮らしできないからさ
アメリカは全然ホーム
日本も結構若者多い気がするんだよね
周り見てると
子供部屋おじさんじゃないけど
子供児と
全然違う話だよね
多分そうだと思う
子供児は
子供児っていう言葉で
言うとさ
そうじゃなくて
普通に家庭の中に残り続ける人
っていう
普通に経済的な理由とかもあるけど
それが割と許容されてきてる時代でもあるじゃん
前より
でもやっぱ
出ていくもんだっていう感覚は
我々世代でもあるじゃん
共同体はないと思う
今カトピーやってる
ベッドタウンに住んでる人の
アイデンティティが自然な考えだと思う
出てくる
共同体が最初から
ないからこそ
共同体に対する
あれがある
なんだろうね
言葉出てこないね
何者でもないことに対する安心感とかが
あるんだよね
ベッドタウンを暮らしてると
うっすらとした嫌悪感もあるんじゃない
最初から
前も話してたけど
結局学校
社会
家庭全部に対して違法人だと
結局
普通に東京の
雑多な街で
誰も目も当てないような
アパートの一室で
プンプン的に
フリーターで暮らしたい
みたいな感覚あるもんね
何回か小説書いてるけど
普通に
東京からも離れたい
東京っていう社会から離れて
海に
見える街で
ひっそりと地元の
共同体っていうのがないような
地域で
何もかもない状態に暮らしたい
アイコちゃんも一緒
家庭に縛られてる
家族
アイコちゃんも
家庭に縛られてる
アイコちゃんは
プンプンと違うのは
最初から最後まで
家庭に縛られてるんだよ
そのプンプンは
空虚っていうのはあるけど
アイコちゃんずっと空虚じゃないのかもしれない
家庭と家族の対比
プンプンは一回
親父と住まないっていうのを選択してんじゃん
プンプンはもともと
お母さんが
お父さんがリストラされたときに
こんなことなら子供なんか生まなきゃよかった
最初から
いびつな形の家族だから
っていうのがある
でもプンプンは
最初親父が
逮捕される前
物語が始まる前までは
プンプンは家族を信じられてるんだよね
アイコちゃんはたぶん
子供の時点からダメなんだ
確かにそこは対照的だな
そこは全然話が違う
プンプンの家庭とアイコちゃんの家庭は
プンプンは
プンプンは最後アイコちゃんとの
すれ違いも
プンプンは結局
ずっとずっと最初の呪い
呪われていたい、破滅したままでいたい
っていう感覚がすごいあるから
でもアイコちゃんは
普通の日常が欲しかったんだよ
結局
アイコちゃんは
今がダメならどうせ破壊してよとは言ってるけど
そこまでは思ってない、本気じゃないじゃない
最終的には
アイコちゃんはずっと
破壊できないままだったじゃない
母親殺したけど
結局アイコちゃんは最後
逃避行でずっとさ
普通の暮らしがしたいみたいなことしか言わないじゃん
俺あそこがすごい良かったんだよ
うん
確かにな
あそこなんかめっちゃ対照的だなと思った
書き方が
アイコちゃんは現実から逃げたいんだけど
プンプンは現実をぶっ壊したいんじゃん
うん
将来の夢とかもそうだよな
アイドルになりたいと
科学者になってな
うん
プンプンはアイコちゃんを
アイコちゃんを取り巻く構造を
ぶち壊したりすることで
自分を救おうとしてるけど
うん
アイコちゃんはそれを別に望んでたわけじゃなかったんだよ
そうなんだよね
何かの弾みで
何かの弾みでそうなってしまって
アイコちゃんは
別に苦しんで最後に自殺するわけで
うん
アイコちゃんだって最終的にこの
母親とさ
喋ってる時にこう
最後まで抵抗できなかったじゃん
ごめんなさいってなっちゃうじゃんアイコちゃんは
そこまで弱らせられてる状況だから
抵抗できない
でもアイコちゃんはその衝動でさ
失うじゃん
割とその衝動で個人の生き方が
失われるみたいなことがすごいプンプン的じゃん
愛されることへの願望と家族の意味
うん
ゆういちおじさんの話はどこでしたっけ
ゆういちおじさんとかは特に
衝動で全ていろいろ失ったり見つけたりする人だから
うん
そこの
人間の肯定みたいなことも
批判もあるし
ゆういちおじさんはどっちかというと
衝動で何か壊せなかった人なんじゃない
何が
ゆういちおじさんの女子中学生の下りでさ
なんかプンプンと同じようなことするやつが
出てくんじゃんもう一人
それ見てた人じゃんゆういちって割と
ゆういちおじさんって
それが呪いになってんじゃん
そうなんだよね正解を選んでしまう
デタッチメントが正解だと思ってた
そうそうそうそう
それも対照的だよな
あいこちゃんの中でやっぱ大事なワードはさ
うん
プンプンは私のことが好きで
好きって聞いて
プンプンが好きって言われてそれなら私も好きってこと
うん
なんか自発的ではない
あーなんかそれめっちゃ町田校の告白やな
今思った
もうちょっと何も言わない
そこがあいこちゃんのキーなんだよ
って思ってたけど何なんだろう
こう
何だろうね
愛されることというか何なんだろう
そこがやっぱ
でもあいこちゃんずっと愛されてないからこそ
自分のことを見てくれる人を求めてる
自分を支えてくれる人を求めてる
うん
それこそやっぱ当時の女性像なのかもしれない
うん
でもやっぱあいこちゃんが家庭環境とか
あるわけじゃないし
うん
でもその好きとかってことに対する抵抗感がさ
あいこちゃんがないのかな
ないんだよ
それを信仰と捉えるのかさ
やっぱあいこちゃんはどうか求めてるんでしょ
そういう無償の愛的なのも
そうか
そしてそれが家庭から与えられないわけじゃん
でも家庭に縛られてるってことでこう
アンビバレンスが
うん
だからさ最終的にさ
ぷんぷんはさ
疑似家族みたいなもんでさ
こう
落ち着くわけじゃない
だからさやっぱそういう
家族
その
血縁的な家族じゃないところに行くっていうのが
一緒な物語の結末なわけじゃん
うん
人間関係と絆
なんだろうねその結
すごい言いたいことがうまく言えてないけど
でもそれこそ最後の部分で
すごく強調されてるじゃん
あのはるみ君との会話で
そのさっちゃんの子供が
自分のことを知恵だと思い込んでて
困ってるっていう話が出てくるじゃん
だから
ぷんぷんはもう糧は持たないんだよ
なんだけど確かな人間関係を築くんだよね
うん
自分の空虚さと破滅の生活の中で
うん
でも確かに生きていたからこそ生まれていた人間関係
ってのがあって
そこに安心していくんだよね
ぷんぷんは
あのギジ家族はあれだよね
お互いに傷つけてしまう
っていうことを受け入れた上に
成り立ってるってのが大事な
うん
だからやっぱ結局人は
一人じゃサバイブできないっていう
ことに対して
その盲目的に家庭を
信じるんじゃないっていうオルタナティブを
示してるっていうことなんだよね
だから
そのさ
俺が取ってる授業で
はい
戦後文学の授業なんですけど
このこと結局何回も話してるんですけど
結局我々が
より良くなる時代が終わって
経済成長が終わって
社会に対する信頼感も
家庭も失われて家庭に対する信頼感がなくなって
ってなった時に
14で今は
情報提供同体で生活してるじゃないですか
うん
そこで確かになってくるのが人との絆なんだ
っていう話だったんです
ミニマルな人間関係
結局社会が不安定になると
我々は世界経由だったりとか
あなたと僕っていう世界に
君と僕の世界に閉じこもっていく
そういう意味で昼が不確かになって
夜っていうものがすごく
テーマになってくる
ってなった時に結局
人生で気づいていく中で
人と
関わらないで生きていけないからこそ
その人との人間関係に
安心を見出している
なんだろうね
それが救いになっている
なんかプンプン読んで思ったのはやっぱり
2000年代以降の
世界が終わると言われた時期
結局の後の話やん
そういう意味でやっぱりなんか
世界が終わった後に生活が続いて
生きていくしかないっていう感じがすごい感じだよね
それがね町田幸の
告白にすごい似てるね話の中で
それこそたぶんプンプンは90年代末の雰囲気が
すげえあるよね
あれは
プンプンではペガサスと
東北の地震
っていう風になってるけど
でも90年代は
朝の猿王が当時若者だった時は
阪神発大震災があってオウムがあって
90年代末のロストラダムスの
戦いがあって
っていう感覚が技術的に移し変えられてる
あの感じね
だから町田幸の主人公はさ
骨格の主人公はさ
結局自殺しちゃうんだけどさ
それがその
高知の温度になって
狂乱となって
主人公は空に登っていったで終わるんだけど
そういう風に
歴史とか時代が
結局動いていくしかないみたいなところを
すごい感じるわ
そこが似てるんだよすごい
お休みプンプンもさ結局風に吹かれてさ
歩いていくのが一番楽みたいなことに思いつくわけじゃん
なんか
そういう風にサバイブするのが
なんか
そういう風に時代にコミュニケーションしないといけない
時期だったのかなと思う
今はどんなか分かんないけど
だからあの時代において答え出してるよな
何もかも自分で選べちゃう時代の話なんだよね
そうそうそうそう
だからさ俺はプンプンはさ
もうさほとんどさ
第7巻のさ
69話か
久しぶりに
ここで乳児おじさんが出てくるさ
プンプンと二人で散歩してさ
プンプンのタバコ渡してさ
言うところがあってさ
ここでプンプンって一種一つで一回終わってるなと思う
そうだね
ここのさ
君の命は動いているか
プンプン考えるんだ
そして悩め
それで自分の意思で選択するんだ
たとえ何も分からなかったとしても
分かろうと前に進んでいる限り
辛うじて自分は自分でいられるんだ
いらない景色も作り変えられるのは
自分だけなんだ
だからプンプン君が君でいる限り
この世界は君のものだ
確かにそこで一回終わってるかも
結局その後プンプンはそれまでに
ケリをつけていく話なんだよね
そうだね
だからその後プンプンは
自分を支えてきたものにケリをつけるために
愛子ちゃんを探す生活になるんだよね
だからそういう意味で
自分で何もかもを選べることのさ
一種
混乱さなんだよね
そこから対する苦悩をさ
プンプンは
自分は愛子ちゃんを呪いにすることができているし
ゆいちおじさんは
陶芸教室での
体験に対する罪悪感を
時代と共同体の問題
過程してきたわけじゃん
だからやっぱそこで
だから
自分で選べるってことが大変なんだ
やっぱ血縁に縛られてた方が
人間って考えなくて
よく言われる話だよね
選択が
混乱になるって
結局ゆいちおじさんも
ゆいちおじさんは陶芸教室の後に
みどりと一緒に陶芸教室に行って
ケリをつけるじゃない
本当は
自分がそう思ってそういう風に生きていただけで
実際とは帰りがあった
っていう
それが本当なのかもよく分からないんだけど
っていう話になって
みどりと結婚して
子供が生まれて
希望じゃないかって言ってゆいちの話が終わる
ぷんぷんもあいこちゃんと出会って
それまでのあいこちゃんと帰り
ぷんぷんは暴走してきて
あいこちゃんが死んで
最終的にこの家族
疑似家族っていうのが映すわけ
やっぱそこもさ
ゆいちおじさん希望じゃないかって
泣いてた時とさ
最後晴れ日に会って別れた時に泣いてるじゃん
あそこもあそこで蹴りがついてる
いろんなことの
やっぱり過ぎ去ったものに対しての旋風
旋風じゃないな
恐襲にしたい
風に吹かれて歩いていくしかない
っていう
ぷんぷんの名前忘れてんだよな
ぷんぷんの
人生が狂いだすのってはるみんが
いなくなったこと
はるみんが転校してあいこちゃん来たんだっけ
あいこちゃん来て
しばらくして
転校するからみそ工場に行ったんだよね
冒険あった後にか
そういう
話だよね
ぷんぷんが
ぷんぷんじゃいられなくなったのはやっぱ天の川で
星を捕まえに行ったところからでしょ
小学校2年生くらいの時に
友達を
嘘つきにしたくなかった
っていうだけで
平坦な日常っていうのは
自分で何もかも選べるから
何も選べない状況なんだ
自分で選び取ったことに対する
っていうのをさっちゃんがやってるわけじゃん
さっちゃんすごく資本主義的に
生きてるじゃん
自分で選び取って
結婚も
自己実現のために生きてて
結婚もなしにして
それで
漫画も
自己実現のためにやってて
それでいてさ
さっちゃんはさ
元旦那の子供を
妊娠したりとかするし
ぷんぷんと一緒にいることで
それを失ったりもするし
審査の時にさっちゃんの立場が
よく出てるじゃん
そういうところで
思い悩む
それは日本という共同体の話だから
それに対して
何もそうすることが正しいとは
覚えないっていう
感覚じゃん
あれも一種の考え方で
だからやっぱり
文章として優れてるような
それぞれの答えがちゃんとあるっていうのが
話の中で
うつ漫画っていう
やっぱぷんぷんっていうのは
ポストモダン以降の
共同体がない時代での
性をどう肯定するかっていう
話なんだよね
確かに
その通り
久々に読むと
あれだけどね
あいこちゃんが
ぷんぷんができた後も
ケレクラやってたとかあるじゃん
ああいう描写とかちょっと記号的すぎるなっていうのは
久々に読むと
90年代から2000年代
それはあるね
あいこちゃんも母親のやつ
一種アサルノイヨの
批判されがちなところ
悟ってる感じだら
そこだ
霊性主義的とか
一種大背的エモみたいな
そこら辺とか
あいこちゃんのお母さんあたりだけ
微妙に解像度が低いよな
あいこちゃんとかちょっと
あまり形式的すぎるんじゃないかな
あそこを形式的にしないと
ぷんぷんってあんまりなりたくないんじゃないかな
自己実現と選択の苦悩
漫画ってそういうもんじゃない?
そういうもんではあるんだけど
読むとそこは
文学じゃないから
そういう指摘が
なされるっていうことも
納得はする
ぷんぷんってさ
最初のほうは
逆漫画の描き方してんじゃん
シルエリズム
みたいな
感じじゃん
とか
結構
ナンセンス
ナンセンスの部分がすごい強いじゃない
最初校長と教頭が
隠れ戻すみたいなやつあるじゃん
あれって普通に荒井啓一のセンスだよね
日常とか
あと
先生のね
下らせて冗談言うとか
あれは一種ガチなんだよね
だから
ギャグなんだけどガチじゃん
松崎よく言うやつで
教室で先生が
先生がふざけた時に
俺笑えないんだよね
ふざけるっていう形でしか言えないことを
言ってる時があるじゃん
そういう時にそれを冗談として受け取って笑うのは
その雰囲気をめっちゃわかる
実はあそこの
根性とかわかんないけど
少なくとも先生の感じは
あれガチなんだよなって気がする
でもそれが全体にあるじゃん
ナンセンス
全部を丁寧に描くものでもないんだよね
それはぷんぷんがひろこの形
してるのでしょう
そうね
漫画ってそういうものじゃない
わりと抽象
絶賛というかさ
線がでかく
全体を丁寧に描くと
全員に良心があったらまた
それも間違いなんで
そこにやっぱ不条理があるんじゃないかな
ぷんぷんは
全員に良心があることが問題なんじゃない
一種
誰もが自分を傷つけてくるんだけど
誰もが自分に対して良心を持っているし
そこに対する
憎みきれないんじゃない
アンビバレンス
共同遺体というか社会において役割が
破綻したみたいな
時代である
本当はここで殴っちゃえばいいんだけどさ
それは
それをするにはみたいなところがある
そういうのにがんじがらみになっているというのがある
ぷんぷんはもっと
自分の感情に
任せられるのがもっと楽に生きれるのかもしれない
ぷんぷんは真面目なんですよ
ぷんぷんはすごく真面目だよ
ぷんぷんはちゃんと吐きすぎちゃうんだよ
で、身動きは止めなきゃ
普通に多分この
自意識が強い人だよね
人格形成の
中高の書き方とかもそういう書き方してるもんな
そういう風に人が育ってくる
中学高とか
本当にリアリティあるよね
ある意味キツかって読んでた
読んでたらキツい漫画では
中村くんなんか
今松屋くんの話題でこれまで話しましたけど
プンプンのテーマと物語の特徴
俺もさっき話した通り
基本的には
2000年代以降の
何もない時代に
出た答えとして
やっぱり普通に時代に任せて
生きていくしかないってことだと思うんだよね
それ踏まえて
今どうなかったかちょっと思っちゃうよね
ぷんぷん読むと
今風に任せて
生きていくには
自分で選択しなくちゃ
いけないなと思う
蹴りをつけるしかないんだよね
ぷんぷんは一生選択はしたんじゃない?
選択した上で
ってことか
それは俺の人格
まだ20歳だからさ
これから選択をしていく必要があるのかもしれないけどさ
それが時代性と
乖離してるのか
時代性と同じものなのか分かんないけど
選択とかどうしようもない
運命の流れみたいなのが
ぷんぷんにもあって
あいこちゃんに対して責任を取っていくっていう
話でもあるじゃない
ぷんぷんは
責任をはさせたわけじゃない
あいこちゃんに対して
ぷんぷんと大人になってく
っていう
話でもあるし
結構そういう目で見てて
いつかこういうことを感じちゃって
忘れてしまうのは
百談みたいなやつをよくモノロール
っていう
語り手がいる
さっちゃんらしいけど
ぷんぷんってさっちゃんが書くじゃん
だからあれさっちゃんが書いた漫画だ
っていう
見方もできる
あと最後なんかちょっとループ地味で終わるし
ループ地味で
あれはいくらでも
起こりうるってこと
だからそういう
何話したっけ
だから
あの話が
自分が選択した上で
そうした上でね
つまり答えを出したっていうところから
ぷんぷんはある意味いろんなことにさ
敏感でいるわけじゃん
プンプンの時代性と選択
敏感で痛いと思ってるわけじゃん
でも敏感で痛いって
いるってことがさ
例えば自分の
生きる上では正解じゃないのかもしれない
っていうのもひとつぷんぷんが出してる答えなんだよね
そういう大人になる前の
すごい
潔癖さとか
そういうとこを
受けていろんなことを受け入れていく
ということは
敗北じゃないんだってことを
ぷんぷんは言ってると思う
俺はまだね
敗北だと思っちゃってる節があるからさ
それこそ高校生あたりの
ぷんぷんとかのさ
久しぶりに読むとさ似たよなってなっちゃう
その作曲家のぷんぷんは書けてる
ってわけじゃん
ぷんぷん年上だからな
ぷんぷんいくつ
21か
ぷんぷんたしかあと2年でしょ
いや18だよ
じゃあ20歳かな
だからまあそろそろ
まだ達してないぐらいじゃん
俺ら
俺はそういう意味で
本当に
最終的にさ
40とか30
はるびくんが先生になってる頃はさ
何年かもっと後なんだよ
そこまでの
確かに流れも絶対あるわけだもん
時間の経過があるわけだもん
話終わってから
ぷんぷんっていきなり話突っ飛ばして
2年後になって始めるからさ
ぷんぷんは普通に
技術としてあれ省略がすごいよね
お母さんの眼線国からさ
次もお母さんの既読の時まで
飛ぶじゃん
あそことか普通に物語に進んでいく上でさ
テンポ感がやっぱいいよね
あそこのお母さんが
徐々に弱っていって
そこに対してぷんぷんとか書いてたら
ちょっとこう話として勝手に
だからこう短編の
連続だからね
そうだね一緒に
連作みたいな感じだね
ぷんぷんってさ週刊?
スピード感ある
やっぱり週刊連載だから
1話完結感が強いよね
1話当たり20ページくらいある
月刊の雰囲気しないなと
ぷんぷんってさこの
最終話の目前でさ
あいこちゃんが夢の中で
ぷんぷんが話してる話がある
そこでさでも世界は終わらないし
人類は滅亡しないから僕は先に進まなきゃ
ならないんだ
こと言うけどさ
ぷんぷんはもう少ししたら古くなるんだろうなと
こういう時思うんだよね
今って明日世界終わっても
おかしくない?
じゃない?もっとそう思わない?
この時より
これ俺どっちかというと世界が終わりそうな
時ってよりも世界が終わった後の
その後の生活
って感じなんだよ
ぷんぷんってどっちかというと
社会の安定に対する確実
なんじゃないかな
だから世界の終わりの終わりというか
世界システムが完成して歴史が終わった後で
この先に
何のイベントもないかもしれない世の中を
どう生きていくか
個人の不安定の集合体として
社会が回ってるって感覚じゃない?
そっからね
それを言うにはって感じだよね
それを言うにはさ
世界が崩壊するかもしれない
それって言うより
その先に今いるよね
2023年としては
やっぱりどっちかというと
まだ自分たちは
平穏というか平坦な
上に踏んどり返ってるけど
実はもうじりじり
終わりというのが迫ってきてる
のにまだそれにリアリティがない
っていうのが今の
リアルなんじゃないかな
プンプンと現代の世界
そもそも
価値観として普通に
隣国で戦争が起きてますし
その
日本のループの話もそうだし
そういう意味ではなんか問題が
一緒くたにされて増えてるな
なんかわかるかな
世界の問題が俺らの問題になってるなって
ちょっとおかしくない?
状況としてわかる?
おかしいというか不可思議じゃない?
なかなかポッドキャスト的に喋るのは難しいけど
普通にそれは安倍晋三以降なんじゃない?
その新米政権以降
多分
グローバリズムと一緒に加速してる
新米政権とともに
加速してるから
日本の問題も世界の問題になりやすい
政治的に
でもそれも含めてやっぱり
だしどんどん
政治の状況は別に良くはなってないし
経済状況も良くはなってないじゃない
でもうっすらとさ
生活に流れ込んできちゃう
流れ込んできちゃうけど
まだなんかぼんやりしてない
まあ
テレビの中の戦争よりも
もっと近いところに戦争ってあるはずなんだけどさ
それに対する
こう
敏感さもないよね
物価高とかでも感じますけど
うっすらペットボトルが
160円から180円上がってんだけど
それに対する反発心みたいな
薄い
危機感もない
危機感はないね確かに
ただ我々はどうしようもなく不条理を受け入れて
不条理が当たり前にある
不条理を不条理とすれば
捉えられてないかもしれない
だからそういう意味でプンプンのちょっと
半歩一歩先ではないかもしれないけど
半歩先くらいの
プンプンの後の答えを出さなきゃいけないかもしれない
でも
どうなんだろう
3.11が起きてさ
翌週か翌々週くらいなんだけど
もっと後かな
少なくともさ
すごいタイムリーなわけじゃない
これ単行本がさ
この
申請箱に入ってるのが11年出てるから
1年以内に書いてるのは確かに
でもさそれも
起こった上での平坦な
日常っていうのを最終的には書いてある
でもそういう意味ではどうなんだろう
やっぱ俺らにとってのウクライナとかが
ぼんやり光ってるってことまで書いてるのかな
いやー
状況違う気がするぜ
2011年と2023年だと
まあ別に
世界の歴史的に言うと2011年って
まだ全然テロリズムの時代
なんならこう
テロリズムが激化する前じゃない
そのマラソンに
マラソン大会で爆弾が置かれたのが
2014
で日本人の
ジャーナリストが殺されたのも2014年
そこまでやっぱ情報
SNS社会になったっていうのが
やっぱプンプンの後にある
そうだね
その差を生み出してるのがさ
新自由主義とか不協和殿の崩壊っていうよりさ
SNS的に
フィルターバブルなんだよきっと
それぞれがもっと
個人の見えてるものが違ってくるから
差がないのかもしれない
そう考えると
プンプンはそういう意味でSNS前だもんね
明らかに
個人がフィルターバブルに入る前だし
臨時にフィルターバブルがある
ってことすらわからない
共通の体験
プンプンとまでは行かないけどさ
もっと今より多分
もうちょっとみんなが共有できたんだよね
社会にまだ前提があったかもしれない
まだあったよね
亡くなりつつはあったけど
それ以上完全にはない
前提が崩壊していくっていう
前提があるよね
プンプンってちょっと思うのが
ベッドタウン文学っていうのかな
最後ないのかもしれない
ちょっと思うよね
フィルターによって
それって今あまり
形外化して
その先にあるなと思って
今の生活が
ベッドタウンについて書くべきことの先に
今の生活があるなと思って
今これ
ベッドタウンの話として
プンプン書けるのかなと思ったら
書けないと思うんだよね
今はやっぱプンプンは起こらない
今はプンプン的なことは
起こらないでしょ
でも俺さ
そのさ
中学校2年生ぐらいの時に
途中まで読んだのかな
の時はさ
きつかったんだよね
その時は全然俺の中にあり得たんだと思うんだよね
プンプン的なことが
実際俺の子供の頃の体験としても
小学生ぐらいのプンプンの話
が起きてたし
感覚としてあるじゃん
実際に
今の子供たちに
それぞれの愛子ちゃんがいるかって言うんだ
それはなんか
そうね分からないわ普通に
知らないじゃん
でも俺らの時代に愛子ちゃんがいたわけで
俺らの
俺らの下の世代
からのプンプンへの評価って
どうなんだろうな
どうなんだろうね
俺らと同じ世代かちょっと上ぐらいがやっぱり一番ボリュームそうな気がするよな
そういう意味でさ
おじさん書いてないんだよ
断絶してるもんね
断絶してるね
別に一番声がデカい若者の世代が
ただ一個をしてくだけでさ
全然なんか
もう下と断絶してるっていうのが最近すごい感じる
そうだね
現状認識も全然違うだろうし
まあ俺は多少の
擦り合わせを行ってるけども
大学入って2年年齢差があって
そっちで全然感覚違いますよ
単純に好きだったものと
世代が違うし意味も違うし
それこそ
例えば我々
次のガキチのテーマは
海賀くんの時代ですけど
海賀くんに対する価値観も違うと思うんですよ
一応世代論って
2校までは教養範囲って言うじゃん
3から違うって俺先輩に言われたことある
って考えた時にさ
今のまじ中学生とかさ
まじで何考えてるか分かんないよ
だって今の中学生って
今の中学生って
2010年代に生まれた子も中学生でしょ
なんかね
だって2010年に生まれた子は
13歳?14歳?
13歳か
そう考えたら
13とか
なんかね一回り下ぐらい
一回り下と一回り上って接しやすいんだよな
分かる?世代との
プンプンとアキチの距離
断絶があるって
思い込んでない時にすれ違いがあると
一番辛いよね
そういうことだと思う普通に
それは
父親が娘のファッションを理解できない
そう
でも父親と娘はさ
仲良くできるじゃない
互いが違うことを理解できてるから
でもやっぱこの姉妹とかで
理解し合えないことが一番辛いんじゃない
姉妹より
ファッション先生が違うってことが
一番兄弟の亀裂を生みやすい
それはやっぱ血縁っていうものが
一種吸い込まれてくる
やっぱさ結局
なんで親を大事にしないといけないのかってことを
ちゃんと考えることも大事なんだよ実は
そうだね
だからやっぱ
そういう父親が続いてるよなやっぱ
そのものが
今普通に平然としてあるものをさ
なんでそうなってんのか
ちゃんと疑うっていうのが一種価値観の再編成
が行われてるわけじゃん
そういう中でさ
いろんなことを根本から考えなきゃいけなくなるのって
やっぱ大変だよね
大変だよね
そういうことで
最初から崩壊してるわけなんだよ地面のものが
ほとんど
だからさ
ぷんぷん悩んでそして考えるんだっていうこと
だからこの
前提が崩壊した中で
一から言葉を探さないといけないという意味では
戦後アレチシ的な
ところがあるよね
我々はこの
時代によって価値観が崩壊していってるわけで
緩やかに
崩壊せず緩やかに変容していくわけで
だからこそこの
ぷんぷんが2000年代を描いた
平成の中期を
中期から後期にかけて
それをやり続けなければならないんじゃないかな
ぷんぷんが古くなっていくのと同様に
そうだね
アレチというより
アキチなんだけどね
っていうのを
俺がツイートしたけどさ
アレチはやっぱこうもっと責任があったんだよ
みんな
一瞬仲間たち死んでいった仲間たち
アレチになる前にやったものに対して
でもアキチのほうがもっと空虚ですから
俺それをあえてアキチって呼んでるけど
最近は
それこそ朝のユニオンの
ぷんぷんのエモい部分だけに
フォーカスして
一瞬そこで
自行為的に呼んでもいいわけじゃない
そういうこともできてしまう
っていう散漫さだよね
何か一つの
取り戻さなきゃいけないんだって
方向に向かっていけない時代でもある
快楽に流されやすい
だから
今我々は
アレチにいるというより
アキチにいるんじゃないかっていう
我々は
失われたものについて書くというより
これから立てられる
何かについて考え続けなきゃいけないし
荒れてないよね
荒れてないことが問題なんだよね
荒れてないこと
それこそ
俺がアキチっていうタイトルを考えた時もそうだけど
やっぱりこの
アキチで
線を引いてキックベースをするように
そこに
新しい秩序を我々が
常に立て続けるっていうのは
藤原の木からも離れて
意味を持ち出している
アキチというものが
これは単純にアキチで遊ぶみたいに
何もないところにフィクションをやるのが楽しいよねっていう意味で
つけてるから
ボリューム2の時は
でもいろんなものが
意図せずして
アキチと荒れ地という対比
そして荒れ地に対しての
アキチとしてのプンプンだよね
プンプンより先のアキチなんだよ
そうだね
っていう意味で
あとまだ
話したいことがあってさ
松崎博と俺って来てるけど
今松崎仲村と来て
俺話すんだけどさ
俺読んでて
差し迫るものでは
あったんだけど
プンプンとの距離感を感じたんだよね
松崎は中高ぐらいの
プンプンが一番来る
みたいなこと言ってたけど
俺って普通に
思春期を通り抜けた人間で
その後どうしていくかってことが
今のテーマで
そういうところで小説を書き続けてきた
わけなんだけど
プンプンに対しての距離感ってのはあんのよね
だから
優一さんの方が来るんだよね
俺もね
今は優一さんが来る
こうだったなって思った
そう
でやっぱその
結局さ
破滅願望とか
その自分
結局プンプンとかって破滅願望もあるけど
現在意識とかに近いじゃん
あれって
あれってたぶん現在意識なんだよ
別に
あれだからでしょ
プンプンが望まれない子供であるっていうのが一つある
っていうのが一つある
最初から自分がいちゃいけなかったのかもしんないっていうのが
プンプンの意識の根底である
っていうのと
普通に
俺はすごく重大なことを思ってたんだけど
そのプンプンは
あやこちゃんとのかごしま行く約束を
守れなかったっていうだけで
全てが変わってるわけじゃない
でも
あやこちゃんにとっては
それは大きな問題だったのかもしんないけど
それ以上にプンプンの中で大きな問題になってるじゃん
そういう意味で実態との変わりがあるわけ
だから約束を破ったこと以上に
約束を破ったことに対する罪悪感が強い
そういう意味で
それはもはや現在になってるわけ
プンプンの彼は
そういうことに対して
自分を
そういう風に現在意識にとられたら
ユイチョウさんもそうだし
プンプンもそうなんだけど
自分が良くない人間で
自分が間違ってるって思い続けることで
自分がより良くあれる
それこそユイチがプンプンに行ったことで
悩み続ける
それに対して答えを出し続ける
みたいなことが自分らしくあるってことなんだ
みたいなことを言うじゃん
でもそういう意味でユイチとプンプンに対しても
俺は距離があるんだよね
だからこの自分を否定し続けることの
自分らしさ
っていうのがプンプンなんだよ
でも俺はやっぱ
自己肯定の重要性
自分の人生の体験として
それじゃいられないっていう感覚がある
どっかで自分を
プンプンは最終的にそうなっていくけれども
自分の否定と
蹴りをつけて自分を肯定していく
受け入れて
納得してどうしていくかっていう
責任を引き受けていくことの大切さっていうのを
ユイチの中で特に感じるので
だから
今のどっちかというと
俺の生活のテーマは
その時点から引き受けていく問題がどうなのか
っていうことでもあるよね
だから
その
結局さ、生活が満たされていくことの
恐怖感っていうのがプンプン感じていくわけじゃん
俺も感じるやっぱ大学入ってから
普通にもう最近は高校卒業してから
2年間に戻りたいってこと思うことすごく多いし
社会に何も属してなくて
自分を責めるだけでよかった時期に戻りたいと思うから
そういう意味で
自分をどう
引き受けていくかっていう
自分が満たされていく
上で
どうしていくか
結局さ、たぶんさ
孤独でもがいている時期の方が
楽なんだよね、10代って
自分が孤独であることが
自分を救うことになるんだよ
10代って
なんだけど
一生懸命生きていたら
自分もだいたい迷惑かけたり
傷つけられたり
あるいは傷つけたりして生きていくじゃないですか
そこに対して恐怖心があるからこそ
孤独であることが救いになるわけじゃん
自意識の過剰だと
俺もそうだったし、今もそうなんだけど
責任取ってないってことだから
だからやっぱり
人に距離を縮められようとすると
距離を取る癖がやっぱ
俺にもあるから
自意識過剰で孤独であることがやっぱ
楽じゃない
人間って
結局寄ってくることに対して
寄るなりなんなりして
コミットしていくことで
恐怖から
戦わなきゃいけない
その
責任を負うってことはもちろんそうだし
あとそういう意味で
それこそが
今のテーマで
それも令和的なテーマなのかなと思う
ぷんぷんは
自殺したかったわけじゃない
破滅したかったわけじゃない
でも結局それって
自分を否定して
自分を否定するってことは自分の強い理想があるってことでもあって
その理想になれなかったのは
死ぬっていう考え方でもあるわけじゃん
でもそれってこう
なつめの心的な話で
理想との乖離で死ぬっていうのは
そのまあ
文学人っていうのはかなり理想との乖離で
死んでいったけども
今は死ぬこともなかなかできない時代で
生きていく上で
理想と乖離した自分を
どう引き受けていくかなんだなっていう
それこそが
何度も言うけども
神的な犯行なんだなっていうことなんだな
って思いますね
その言葉はそのまま不条理への犯行やな
今自分が存在していること
という不条理への犯行
でそこを自分が存在していること
っていうのにけりつけて責任を取っていく
ってことでもあるもん
だから誘致的な
この責任の引き取り方だよね
誘致は
そこに対するこの
そこに対する恐怖心とか
あるいは持ち前の
性分とかで不倫を繰り返したりするじゃん
でも最終的には
希望だって言って終わる
渋谷さんが言っている意味で
世界は君のものだっていうのはさ
自分の中の理想が
水平としても生き続けることの
方程度もあるわけじゃないですか
そうだね
その時々で
自分が何か試みることが
何かし続けることが
変わるとしても
そのしている中に救いがあるっていう
それは一種
解明的な話がある
救われるようする人の中しか
救いがない的な
のを一種逆転して
人生に対する肯定にもある
生きることに対する
でもそれも結構戦後的で
風立つ時とかもそうじゃん
風が立つ私は生きようと
試みなければならんっていう
試みることの中しか
ないんじゃないやっぱ
だって一種戦後はさ
変わり続けることと信じること
天皇が人になっちゃった時代なの
で今はさ
共同体がなくなった時代なの
救う人は自分
なのか何かを
信じることでしか生きていけない
ならさ
神何か例えば
アイドルを
裏切られたりするわけ
人だから
絶え間なく変わり続けること
だけを信じることでしか
人って何か信じ切ること
できないのかもしれない
だし共同体が落ちられたからこそ
自分は自分で救うしかないんですよ
だからこう
で救いがあると
信じるところから救いが始まるわけで
他人と理解し合えると
嘘でもいいから信じることで
他人と理解し合える瞬間が生まれるわけで
そこの拒絶とか
孤独して楽になるっていうのはなかなか難しい話なんだ
信じてる自分って言うのもさ
2年後とは
2年前とは違うわけじゃん
変わっていく様を信じてることでしか
自分を信じられないと思う
ミカエルエンディがさ
何だっけ
グーあれ書いたんだけど
あなたは永遠なるものと言われていますが
あなたの何が永遠なのですか
って言う
で弟子が師匠に問う
永遠性と変化のテーマ
師匠の答えが私が変わり続ける
が絶え間なく変わり続ける
そのことこそが永遠なんだって
そういうことも
なるかもしれないね
過ぎ去っていく時間に対する信頼みたいな
そこに起きる問題を引き受けていく
ってことになるかもしれないし
まあそのとこですか
そうだね
2年前の自分からしたら
今の自分ってさ
結構抱きすべきもんじゃない
だからこそ生きている限り
過去を裏切り続けてる感じがありますよ
その時の理想からしたらさ
俺らも理想から外れてるわけじゃないですか
でも変わることをやっぱそうやって
変わっていく様を受け入れるしかないんじゃないかなって
思うし
忘れられていくし
それはさ俺だって高校の時の俺から見たら
本当にぶん殴りたくなる人間だけど
その時その時で
ベストを尽くし続けるっていうことですもん
なってきたんで
生存もなんか風に流されるままに
生きてきた部分もあるけど
でもその場でその場でちゃんとこう
風に流されたりあるいは傾向したりして
必死に生きてきたわけで
そういう風な姿勢を保ち続けることで
自分に対する信頼感が生まれてくるのと思うんですけど
だからぷんぷんの話で言うとやっぱ
風に背中を押されてるってのがポイントやで
自分で歩かなくちゃいけないってのがあるから
その風が吹いてるだけで
人間動かないからっていうのがあるよな
選択肢で歩かないといけないっていう
それをやり続けなければいけないっていうのが
やっぱり
ぷんぷんの話で言ってるのかなと思って
常に生き続けることってことなんですかね
いかにね人間を
自殺から救うかというのがあるんだけど
ぷんぷんの結局
結局
そうですね
絶望に対する
ことなんですかね
まあ生への
肯定
俺さ朝の医によってさ
朝の医院のペンネームって
医によってあれ保健所だっけ
免許証
俺朝の医によって朝の医によって
朝の医によって
ちょっと弱いな
朝の医によって人じゃなくない
作品が
そこの
120
であるってことはないじゃないですか
俺もそうだった
俺はなんとなく中学生の時から
朝の医によって朝の医によって
勘違いしてた
でもそこにあった012を
もう仕方ないけど受け入れ
01:19:36

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