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2020-08-17 40:12

第六回 ふたりで考える「結婚」とかいうやつ ゲスト:奥さん

戸籍を共にするパートナーをなんと呼ぶか問題/そもそも自分の妻を「奥さん」と呼ぶのがまちがってる/結婚とかいうやつについて/他人と暮らすということ/みんな自意識が大きすぎるのでは?/家族の話のむずかしさ/そもそもこの話わかんないや/友達いなくてもいい方法のひとつ/関係に名前をつけることへの違和感/体が弱いことの効能


言及される本など:岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か』(青土社)/冬野梅子「普通の人でいいのに!」(コミックDAYS)※本編中「普通でいいのに!」とタイトルを間違えています。ごめんなさい。/橋本嘉代『なぜいま家族のストーリーが求められるのか』(書肆侃侃房)

00:04
ポイエティーク
ポイエティーク
こんにちは、ポイエティークRADIOです。
本日のゲストは、この方です。奥さんです。
はい、というわけで、本日のゲストは奥さんです。
私は、柿内正午です。
まあちょっと、一回やりながらですけど。
こうやってやると、あらたまっちゃうね。
こうやってやると、あらたまっちゃうんだけど。
なんだろう、そう。
柿内正午です。奥さんです。っていうのが、毎回。
毎回というか、今回初めて聞いたけど、すごい違和感があるね。
奥さんって柿内正午に送ってどこやねんみたいな感じに取られないかどうか、すごい気が引いているんですけど。
その辺どう考えますか?
いや、別に説明すればいいんじゃないですか。
あとなんか、まず人気先読んでもいいんだけど、最近もなんかTwitter見てたら、
お嫁さんというのも奥さんというのもなんか違うなみたいな時、
他人様のパートナーのことを、それこそだから、戸籍上もある程度何かしらの関係にあるパートナーのことを何とお呼びすればいいかしらっていうのに対して、
自称の編集者の人だか言語学者の人だかが正解をお答えしますみたいな絵が出てて、
毎回そういうのが定期的に来るじゃない。
見るたびに奥さんのことを奥さんと呼んでいることに対してしょぼくれた気持ちになっている。
その記事の見出しだけ見て、何かしらの権威のある人が今の正しいものを教えますみたいな記事になってて、
それを見たときすげーバナー教室じゃんって。
バナー教室のアシュとしてそういう今が、相手様のパートナーのことをどうお呼びするか決めましょうみたいな話になってきてるな。
読んでないからまだ正直どういう話かわかんないけど、よく読んでないままに悪口言ってるけど、
そういうバナー教室感があるなと思うんですけど、とはいえやっぱり人の奥さん。
今の人の奥さんって言ってる時に奥さんって呼んでるんだけど、人の奥さんのことね。
人のパートナーのことを奥さんって言うことは確かにあんまり、
しないだろうなっていう気がしてて。
そもそもマナーっていうものがそういうものじゃん。
自分がどう思ってるかどうか関係なく共通のあるルールとして、
これを守っとけばめっちゃ怒られることはないっていう約束のことをマナーと呼んでいるので、
03:05
マナー教室であるというのは全然間違ってない。
確かに確かにそれはそうだよね。
マナー教室みたいな人が無駄な気遣いというか、
めんどくささをどんどん増やしていくみたいなのが多いから、
どうしても悪口になっちゃいがちだけど、奥さん問題に関してはむしろ、
そういうのが割と今はイケてるイケてないみたいな話で出てくることで
嫌なことする人が少なくなるのは良いことだよね。
奥さん呼びしているあなたはウーってなるわけですけど。
でも奥さんのことを奥さんって呼んでいるのは、
奥さんはもう固有名詞になっているから。
あだ名だからね。
そもそもマナー的な意味じゃなくて、文法的な意味で言っても、
自分のパートナーのことを奥さんって言うのはめちゃくちゃ間違ってる。
というか奥さんなんだろうね。
人のパートナーのことを読んでいた古き言葉として奥さんだよな。
奥さんって自分の奥さんのことを読んでいる時点で、
ある意味で、文法的な意味で頭が悪い。
何回もだからこんな話を聞く。
小さなお茶会という素敵な物語があって、
その中に出てくるプリン奥さんっていう、
プリンとモップーっていう二人の猫の夫婦の話で、
モップーっていう卒業をやっている男の人が、
男の猫だけ?
男の猫が自分のパートナーのことをプリン奥さんっていう風に読んでいて、
それがすごい好きっていう。
それがというかその漫画がすごい好きだなというのが、
引き続き結婚したようなもので。
だからそれはプリン奥さんっていうのができるかもしれない。
文法で書いてたりというか、
これだけ聞く人もいないです。
奥さんと読んでいる奥さんは奥さんに払うというか、
ただの奥さんに払うというか、
固有の名前としての奥さんって奥さんなのでよろしくっていうところが、
なんとなく毎回覚悟しなきゃいけないような気がする。
どうしてもなってくるなっていう。
そもそも私たちの中で奥さんといったときに想像される姿は、
人間ではない。
そうね、これ。
そうだね。
特に奥さんに呼びかけてない。
お嫁さんとかよりはまだ何かマシな感じがあるのかな?ないのかな?
06:17
当人同士が特に何の問題意識も感じてないから。
そうね。
あと、結構そもそも難しい。
何の問題意識?
奥まりさんっていう。
彼女の正しい名前とは何かっていう。
それを第三世界フェミニズムと呼ばれている、
いわゆる旧植民地の国々におけるフェミニズムの在り方っていうのを考えるときに、
ただフェミニズムというものだけ、
女性の権利というものだけを普遍的なものとして考えていこうとすると、
どうしたって白人主義女主義っぽいような、
白人女性のスタンダードっていうのを押し付けるような形になってしまう。
それこそ女性権利の割れみたいな問題とかっていうのは、
普通にアウトだろうみたいなこともあるんだけれども、
とはいえ、全権侵害みたいなものでは明らかにあるにせよ、
それと何かしら関係しているカルチャーっても必ずあるので、
それを無視した形で、
絶対に人権的に、白人女性的な人権意識としては100%NGだから、
絶対ダメですっていうふうに押し付ける。
その主張自体が正しいか正しくないかというよりは、
それを普遍的な価値だと思って押し付けていくと、
その境界でその場所にある、それこそイリーチというとこの土着、
バナギュラー的な価値に対して、
盲目になっちゃいけないっていう問題意識があって、
奥さん問題はそこにわざわざ大きくする必要はないんだけど、
なんとなく自分が奥さんっていうときに、
どれだけ奥さん呼ばわりに対するバッシングが風潮的に大きくなったとしても、
別に奥さんのことは奥さんと呼ぶだろうなって決まってて、
それはだからもはやこういう土着の文化というのがあるから、
小さなお茶会を履修した世界線での奥さんだからね。
だから特に世間的に言っていい言葉じゃないかもしれないけど、
でもその言葉とうちの奥さんとは違うんだよっていうところでも、
結構これ難しいとこかなと思って、
イケシャ社としてこの奥さんとして、
ある意味女性の方が奥じゃないけど、
社会訓練みたいなものを、
自分にその気がなかったからといって、
それを強化しないことにならないといって、
自分にその気はなかったんですって、
全くそれはお前の納得するしないとか、
今関係ねえからっていう文脈においては、
むしろ言っちゃいけないことだったりするから、
結構そこはむずいなと思ってても、
09:01
でもとはいえ外から、
あなたは自分のパートナーのことを奥さんと呼ぶんですか?
みたいなことをもし言われるとしたら、
なんかすごい嫌な気持ちになるだろうな。
どっちかっていうと日本語警察じゃないかな。
そっちかっていうとまずそっちなんだよね。
そもそもだからね。
そもそもまずその使い方間違ってるから。
女性に対する云々以前に、
お前の日本語間違ってるからっていう、
そこに入るところもある。
そっちは別にいいんだよね。
知性に欠けた奴だというか、
国語力のない奴だと思われること自体は、
どうでもいいというか、
そっちに対してはえへへって済む話。
ある意味えへへで済む話だなって思うけど。
新しい会社がいるかもしれないからね。
そこはむずいなみたいなところで。
だからね。
だからそのなんていうの。
どうしようかな。
繋がるかわかんないけど、
普通でいいのにっていう感じが、
もうそうなんだけど。
だからなんていうのかな。
既婚者であること自体が、
さっきまでの文脈とは別の意味でもそうだし、
さっきまでの文脈的な意味でもそうなんだけど、
既存の制度であったりとか、
既存の価値観みたいなものを土台にした上で、
もうちょっと特権的というか、
上上位レイヤーみたいな形に
収まっているというようなところの話ね。
別にそこはいいやって思っているんだけど、
難しさを感じるなって思うところではあるなと思っていて。
結婚は特に別に何の万能薬でもいいし、
結婚者自体は正直どうでもいいんだけど、
そもそもどうでもいいって言えちゃうのも割と、
そもそもそこの時点で恵まれたというか、
苦労のない環境にいるという証拠なんだけど、
結婚というものが最高なわけではなくて、
我々が各々に最高で、
各々に最高のチームワークを発揮しているからこそ、
我々は最高なだけであって、
たまたま最高な我々を元にしていって、
夫婦というユニットそのものを過度に一般化して、
夫婦というものは最高みたいにしてしまうのは、
違くないみたいな。
話と話の持ってき方のバランスがむずいなというか、
最近も結婚するものがよくわからないみたいな話をされて、
12:03
夫婦というものはよくわからない。
夫婦というものはよくわからないんですという時に、
結婚をだいたいしないといけないんです。
夫婦というものはよくわからないんですという時に、
めちゃくちゃ面倒くさい話がたくさん積み重なっていて、
まず婚姻制度というもの、
家を起点として人を管理していくような、
当地の技法としてのあり方に対する疑問があれば、
そもそも他人と暮らすということがわからないとか、
パーソナルな領域を共有する気ないみたいなところの問題とか、
多分全然違う話で、
制度の話はわりといろんな人がちゃんと、
理論だってというか、武器をたくさん準備してくれているから、
別にここで話すよりは、
みんなおのおのに勉強できる、
社会のいくらでなるよねというようなところで、
以上終了でいい気がする。
他人と一緒に暮らす、暮らさない、みたいなところで、
聞かれたときに、
ある他人と一緒に暮れそうみたいな、
決断をどうやったらできるんだろうみたいな話だったので、確かに。
多分起点としては制度自体に対する疑問というよりは、
単純にそういう他人というものと付き合い方の話で、
そっちの方がメインな気がしてて、
普通でいいのにのヒロ君をどう考えるか問題、
みたいなときに、だから奥さんは、
いやもうちょっとみんなを人間として見たらいかがかろう、
みたいなことを読んだときに言っていたけどね。
単純にみんな自意識が大きすぎるのではって話で、
終わらせちゃってもいいんだけど。
でもなんか多分、
奥さんとの話とかを日記とかに書いたりとか、
そういう感想をもらったりする人たちの感じを見ていると、
なんか割とそんなに普通のことじゃない、
どっちかというと普通でいいのに的な人間関係の方が目立つ。
多分そうだよ。
そうなのみたいかなと。
15:01
夫婦でパートナーがいるんです、めっちゃ仲いいんですって、
言う方がクールだよねっていう世代は、
多分本当にここら辺だけというか、
私たちより上の世代であんまりそういう感じの人見かけない。
家族、子供もいて、子供にいいお父さんだと思われている人やする、
パパはいるけどね。
パパは人はいるけど、
いいママだよっていう人にあんまり会ったことないし、
どっちかというと子供に感謝してるみたいな文脈の方が発言がしやすいらしい。
子供がいない大人2人が仲いいって大きな言う人をそこそんなに見かけないよねみたいな。
単純に子供どうするのって聞かれるのがうっとうしいから、
夫婦の話自体を予想したくないっていうのは一個あるのかなと思うけど、
子供全体の心の振り付けは今が強いみたいな。
多分自分たちがいるコミュニティによる地域性とかもすごい大きいけど、
それと同じだなと思うのが、私は実家はめっちゃ仲いいわけではないけど、
かなり平穏な家じゃないですか、私もあなたもね。
中高の時に、家の話をする時にとにかく両親の喧嘩とか、父親が帰ってこないみたいな話しかすることないのよ。
だから平穏な家の子は黙って聞いてるしかないし、また夫婦喧嘩がうるさいみたいなことを別に本当にそうだったかわからないけれども、
そういう形でしか家の話はしないもの。
だから大学時代も実家との圧力がある人の方がメジャーだったじゃない。
だから私たちみたいな実家とめっちゃ普通に仲いいみたいな子たちはさ、
大変私たちは恵まれているんだねみたいな感じで、とりあえず口をつぐむしかない。
発言しない人間というのは当然トラック感がないわけだから。
何の話してたんだっけ。
18:01
家族仲いいのは珍しい、あ、メジャーじゃないんじゃないかな。
最近はツイッターで旦那自慢するアカウントが人気だったりするけど、
人気なのって需要の割に供給感がないっていうのもあって、かつそれが嫌味じゃない。
普通に日常系として楽しめる。
ある程度ツイッター力の高い家族推しエピソードはね。
目立つのは普遍的じゃないからというか、珍しいから、ファンが付くというか。
実体として仲いい夫婦が少ないとは思わないけど、仲いいっていうのはそれぞれに
嫁、旦那の役割を重税に果たしていて、問題があって、
嫁、旦那の役割を重税に果たしていて、問題があって、
嫁、旦那の役割を重税に果たしていて、
全然支障なく日々が進んでいるという意味ではなくて、
私たちは夫婦であるといういせいに、
親友感もありつつ、お互いの保護者であり、
子供っちみたいなところもあり、
だから、うに城の共有依存関係にあるじゃないですか。
今言っているうに城というのは多分うち語なんだけど、
ステータスのチャートみたいな、五角形とか六角形とかで、
それぞれに焦点に何かしらの要素が書いてあって、チャートが書いてあるみたいなのがあると思うんですけど、
その多岐にわたったいろんな項目に対して全部尖っていたり、逆に極端に削れていたりすることによって、
そのチャートがすげえうに城になっている状態のことをうにと呼んでいます。
うにじゃなくてね、うにになっちゃう。
すべての方向に尖りすぎていったうに。
それを恥ずかしげもなく言わないよね、ずっと。
恥ずかしげもなく言わないっていうのが、たぶん僕らが子供の頃とかメジャーだったと思っていて、
明確にあるとすると、島田信介の時代だったじゃないですか、僕らの小学校の時代って。
これ結構重要なんですよ、島田信介はめちゃくちゃ嫁の悪口を言うというか、
嫁っていう言い方を普及している、西の言い方が東にまで来ちゃっているのは島田信介由来だし、
島田信介が結局小遣い全然くれないとか、平気で浮気はするけど後で占められるとかっていう話を聞きとして、
21:07
割とあるあるとして話している感じがあって、
あの頃の自分の身内に対してはそういう感じで怪異していくみたいなポーズの一つとして、
割と島田信介はデカかったんじゃないかっていう。
でも、なんていうんだろう、保護婦内での一つの伝理、公文。
あなたも飲み会に行きたくなかった時期に、奥さんが怖いんだって言っておきなよって言って、
割とそれなりの効力があったじゃないですか。
そう、めちゃくちゃ効力があった。
それはおじさんたちの公文に乗っかって、最適解として、
私のせいにしていいから行きたくないなら断んなよみたいな。
そうなんだよね。
本当的なコミュニティの中における他人というか他者というか、
都合よく偶像化したりとか、伎画化したりしやすいものとして、
自分の家族というものがあったみたいな時代だったんですね。
ちょっと奥底類を入れないというか、
でもそう考えると昔のテレビって男の人、お父さんのための娯楽だったんだね。
すごいそれ。
だから昼間は主婦のための情報とか、
でもそれも家事が楽になるとかで、
結局仕事のライフハックなわけじゃん。
だから本当に留院が下がるみたいな意味で味方発言をしてくれるコンテンツがあったか、
今もあんまりないのかなと思うけど。
それはすごい感じる。
何だっけ、この前買った、
なぜ家族のストーリーが求められるのかっていう本は、
それこそ芸能人の家族だったり結婚から、
何で今になって仲良しで言いやすく、
オピラに言えちゃうようになっているのかというのを分析している本だったけど、
もうちょっと忘れちゃったんだけど。
でも割と面白かったのは、
それこそ家族化自体はもともとずっとその頃から進んでいるけれども、
どん働きが増えてきて、
単純にどっちが稼いでどっちが守ってみたいなのが、
そもそも成立しなくなってくるし、
それこそ小泉純一郎の優先民営化以降、
ずっと偏住主義的な政策が、
要するに民間だったり、
指揮業にインフラも含めて全部よろしくみたいな中で、
家族に求められるものっていうのは割と福祉としてのものというか、
セーフティネットとして、
24:02
政府じゃなくて家族っていうのが最終地点だよみたいな、
と言いながらもその家族にはどんどん先細りしているみたいな中で、
寄りどころとしてもそうですし、
何にせよ小さな政府的な流れからすると、
家族っていうものに頑張っていただくしかないみたいな中で、
こういう福祉を見た人は、
だんだん大きくなっていったんじゃないかという気がしていて、
そういう本だったらいいなって思いますね。
そういう本だったらいいなっていう話だったけどね。
でも結局そういう本だったんじゃなかったかな。
そういう大きな話を期待していたら、
エビ堂のブログのワードチャートみたいなのがメインになっちゃって、
それはそれで面白かったんだけど、
そういう感じかって思ったっていう話をした。
でも結論としてはそれ変わらないと。
みんなと同じことを考えたら流行りとして。
だからそういう話をした。
なんて言ったっけ?
夫婦が仲良いって、
オペラに言うようになったなと思う働きが増えてくるんだよね。
だからそうでも言ってないとやってられないみたいな。
でも、分かんない。
結局でも、
なぜ家族のストーリーを求められるのかは、
結局子供の話になっちゃうよね。
エビ堂とかも。
要するに良きパパ、良きママみたいな形になっちゃって。
結局良きパパ、良きママみたいになると、
仙台のCMとか出れるし、
ブログの読者増えるし、
しかもそれが仕事に繋がっていく。
これまでは若いグラビアアイドルみたいな人たちっていうのは、
子供の頃だけしかキャリアがなかったけれども、
そこの後にチェンジアップして、
生タレントとしてやっていけるようになると、
そこでキャリアがどんどん増えていくんだっていうところで、
割とイメージ戦略として家族に使われているって話がメインで、
結局家族仲良いほうがいいみたいな空調が強くなってきてるって話になるんですね。
何で強くなってきてるんですか?
なんか、男性は家族を守り、
そして従えていなくてはいけない的な、
家父長性、内面化、メンタルが本当に理解ができないので、
分かりません。
そうなんだよね。
それも一般的なので分かんないです。
自分の家が全くそういう感じじゃなかったし、
27:04
そういうタイプの人が本当になって、
すごいなと思うのは、自分の父親は別にそうなんだけど、
私のおじさんは九州の元の住人兄弟の長男なんだけど、
東京出てきて、めっちゃ仲良いわけじゃないけど、
全然普通におばさんの言うことを聞くお父さんをしていて、
あの順のおばさんはすごいなと思う。
地域性とは言い訳じゃない。
出たらそれは個人の特性になってくる。
個人の特性というのは時代背景だったり、
影響を無視できない。
なるほどね。
何の話してたんだっけね。
あなたが相談された夫婦というよりは、
家族の話しかいけないんだって忘れてた。
そう思う。
私の友達も別に彼氏が欲しいわけでも、
旦那さんが欲しいわけでも、
失ってくれる人が欲しいわけでもなくて、
ただ気が向いた時にご飯行こうって言える人が欲しいだけなんだよ、
そもそもみたいな話をみんなしてて。
実際シェアハウスしてる子とかは、
マジでいらない。ずっとみんなで暮らそうって、
彼女になってたりするんだけど、
分からない気持ちは分かるんですよね。
分かる。
友達いないから。
友達いないから、
お互いにとって都合のいい感じの友達欲しいね。
とりあえず僕の場合は結婚してもいいかなというか、
結婚したほうがいいだろうと思った理由として、
お互いに友達いないから。
友達いない者たちが、
今後歳をとればとればこの友達を作っていくために
自分を開いていくのって、
結婚してもいいかなというか、
結婚したほうがいいだろうと思った理由として、
彼女を作っていくために自分を開いていくのって、
超大変だから、
人を最低限友達に作らなくていいっていう風にするためには、
一人気の合う友達と一緒に住んじゃうの最高じゃんっていうのは、
結構大きいなって。
30:00
いるから良しとする。
でも結局これまた難しくて、
また最初の福でいいのにって気になる。
昨日は友達って何なんだろうねみたいな話にもなるのかなと思って、
人と暮らすってどういうことなのみたいな。
友達って何?ってずっと分かんない。
小学校のほうからずっと分かんなくて、
友達いるの?って聞かれると分からないっていうのしか答えられない。
でも私も友達って言葉を使うことに対する抵抗がすごくて、
ずっと知り合いとか知人って言ってた。
考え始めると落ち込んじゃうから、
私は今何も考えずに友達って言おうと思ったけど、
向こうからしたら違うかもしれないみたいに考え始めると知り合い。
友達全く分かんないし、
恋人とかもよく分かんない。
付き合うとか付き合わないとかよく分かんないから、
そもそも奥さんとか付き合わないっていうことになって、
でもこれもまたよく分かんないというか、
はたから見たら付き合ってんじゃんみたいな状況だったかもしれないけども、
なんとなく自分たちとしては付き合ってないってことになってる。
でもそれは私としては明確に、
あ、そこ分かるんだ。
ずっと彼氏に彼氏ってことにしようってした途端に、
突然自分が震える権力が増えると思う人間が、
本当に嫌いっていう話を延々とし続けたから、
予防線として絶対告白してくんなよって。
だからフラットな関係っていうのを維持するためには、
そこでラベリングとして彼氏彼女とか見つけないといけない。
だから別に私とあなたは仲良しだね。
会うと楽しいし、別に食べることがなくても気まずくならないし、
めっちゃ楽。それ以上でもいいかでもないし、
なんで彼女、スケジュールを抑えられるのがものすごい嫌いだから私は、
なんで付き合ってることになった途端に、
次のデートの予定を決めるために、
鍵を開けるとか、いつ開いてるか聞かれなきゃいけない。
マジ無理っていう。
スケジュール制定権の一番優先順位に高いところに置かれちゃうみたいな。
しかもそれが当たり前の権利みたいな顔をしてくる。
だいたい今までの彼氏が別れた原因、
私の観音袋が切れるの、それきっかけがめっちゃ多いので。
なるほど。
分かった。これで言うと、
こんだけ人間関係に対してラベリングすることを棄視していた人間が、
今では奥さんというラベリングのあだ名みたいなのを
感受しているわけじゃない。
33:01
多分その質問してくれた人の意図って、
どっちかというと彼氏彼女みたいなものですらきついのに、
さらにその後に夫と妻みたいな新しいものができたら、
彼氏というだけでも相手のスケジュールを抑える権利みたいなのを
有している顔をしてきやがるのに、
夫みたいになった瞬間にスケジュールどころじゃねえ。
人生スパンでのいろいろしてきやがるんじゃねえのみたいな。
っていうのがもともとあるんだと思った。
だから彼氏彼女ですらきついのに、
夫と妻がえぐくないみたいな。
しかも二人の恐ろしさを感じる人にとって、
彼氏彼女は二人の問題じゃん。
夫ってなると社会規範、
自分がこうした方がいいよねっていう社会規範もあるし、
単純に親戚付き合いとかもあるし、
具体的に子供どうするんだろうみたいな話を
平然としてくるやつが出てくるっていうのはきついよね。
うちはお互いの理解がわりと、
もちろん個人として子供可愛いだろうなみたいなのがあるかもしれないけど、
それと別に、それと僕らの子供どうする問題とは別物みたいなところっていうか、
生きてりゃいいんじゃないみたいなスタンスの人しかいないからね。
だからそこでちゃんと個人として、
子供の子はずっと自分の子供のことを所有物として見るような親タイプではなかった。
ちゃんと他人として扱ってくれる人たちだった。
結構でっかいね。
まあ、母が体が強くなかったりして、
母方の親戚は基本的に、
他の登園とかも結構いろいろ抱えている感じなので、
生きてるだけで偉いし、
結婚もしたのねみたいな。
まさか結婚までっていうね。
めっちゃやってんじゃん。やって頑張ってんじゃん。
20歳まで生き延べただけで、あとは好きにしなさいみたいな。
それはあるのかもしれない。
望まれていることが最低限というか。
周りからの期待値というか、周りから望まれているもの、
求められているものがそんなに少なかったし、
もっと自分たちみたいで期待しているものが特になかったから。
36:03
だって、そもそも結婚願望があるとすれば、
30までに自分に飽きちゃうから、
30までには絶対自分は自分に興味がなくなっちゃうから、
働き続けるのも嫌になっちゃうから、
働き続けなきゃいけない理由が欲しいから結婚したいっていうのは、
もう大学時代から言っていたと思うんで。
30歳くらいですから、結婚なかったってこと?
なんで結婚していないの?
わからない。
選んなかった?
でもまた結婚の話になっちゃったけど、そうじゃない?
結局、自分たちにとって友達の延長線上であって、
彼氏彼女的なものの延長線にあるものがないっていうところが、
1個大きかったんじゃないですかっていうところなんじゃないかなって。
あと、とはいえ、結局タイミングですねとか、
成り行きっすよみたいなことしか言えないんだけど、
みんなそれ言うから、どこに行ったの?
で、実際嘘だったんですよ。
それはね、なんていうか、
割と頑張らないと言語化できないじゃん。
でもさ、聞いてくる人ってさ、
だいたいこう、もう、何でもいいから楽になりたいみたいな、
割とシンデレラ願望的な気持ちの淵でさ、聞いてくるじゃん。
だからそこまでの努力したくないなって思うと、
そういうことになるように思いますね。
そうかね。
だから、そうなんだ。
なんかすごい、わかったら教えて欲しいんですけど、
みたいなノリで聞いてくるけど、
その資料探すのめっちゃ時間かかるんだけどみたいな感じ。
しかもこの頃ってめっちゃ修羅場だから、
すごい書類とかめっちゃ探検してる。
どれが最新版のファイルかの用語とか。
みたいなことで、タイミングじゃないって聞いて。
要約すると結局そうなっちゃう。
あとまあ、なんだろう、私の場合はこうだけどってあって。
一般化できないからね。
そうそう。
相手が聞きたいのが、本当に私はこうだったって話だったらさ、
いいけどさ、だいたいこうじゃないじゃん。
そうなんだよね。
個人の体験っていうのからこう、
高度に抽象化した一般論というか、
解決策を育むみたいなものを導き出そうとすると、
タイミングっていうことしか分からない。
だからこの竹の刀に喋る、ぐだぐだ喋る分にはいいんだけど、
なんか愚痴に付き合うとか、
39:00
なんか話すことがないから聞かれてるなって思って、
そこまで頑張る気もないので、
頑張る気もないので、
なるんじゃないかなって。
だいたい、
いい感じに、
ちょうどいい感じに。
何の音がしてるんですか?
音が入ってる。
音が入ってるから確認するか、
このまま。
入ってなかったら、
入ってなかったらいいね。
適当に喋っちゃって、
じゃあちょっと5秒で。
40:12

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