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マズダギです。
中村です。
というわけで、空地的ジンブン学やっていくわけなんですけども、
何、学にこだわりでもある?
人文学じゃダメなの?
うん。
空地的ジンブン学です。
人文学じゃダメなの?東正平みたいなのか?
空地的ジンブン学やっていくわけなんですけども。
ひでぇ。
え、でもさ、空地的ジンブン学やっていくわけなんですけどもっていうところでさ、
うんうん。
そこで一番、なんかアクセント入りたいのって、人文学じゃない?
アクセント入りたい。
あれ、それでいいんじゃない?
え、なんじゃ?じゃあ普通に人文学じゃなくて、人文学って言えばいいんだ。
それじゃ人文学って言ってるうちに、なんか日頃のイントネーションおかしくなって、誰とも喋らなくなって、
友達いなくなって、一人でヌタヌタしてればいいんだ。
そう思ってるんでしょ?
今回はそれについて話していくわけなんですけども。
それって何?
それって何?
いやだからさ。
大丈夫かも。
ちゃんと説明してくんない?
それ説明しないで、なんか自分たちだけ分かってることで私の気持ちで喋るんでしょ?
大丈夫かな、これ。
ちゃんとさ、今からここから説明するからさ。
はいはい。
うん。
失礼よ。
ということで、今日はね、お母さん必行文について話していきたいんですけども。
はい。
お母さんヒス構文の起源
これはね、ラランドっていうお笑いコンビがですね、
小枝目ラジオっていうゲラで放送されているラジオのコーナーから、
さやのエピソードトークの体験談から来てるんですけど、
なんかお母さんにふと一言言ったときに、
お母さんが今の松崎よろしく、結構ヒステリックになって。
なんか俺が普段からヒステルみたいな感じでね。
背中周りからすぐヒステリックな奴だって言われて、話しかけられなくなって一人でヌタヌタしてればいいんだ。
お前ヌタヌタしてればいいんだよ。
お母さんってそうなんだよね。お母さん必行文って多分。
はいはい、私はさっそく家を出ればいいんだみたいなね。
まあそういうことで、そのお母さん必行文っていうのは、
まあだから、例えば、僕が自分のお母さんにね、自分の母親に言ったことです。
松崎ん家の麦茶美味しかったなって言ったら、
友達ん家ね。
うちの麦茶まずいってこと?
じゃあ松崎さん家のうちの子供になれば?
これですね。
これだね。
これがお母さん必行文だという。
外の子供の声がうるさくて勉強に集中できないな。
あんたの集中力がないからじゃない?
どうせお母さんの声もうるさいって思ってるでしょ。
トーマスにお母さんのこと邪魔って言いたかったんだよね。
っていうことですね。
はいはい。
まあこういうのが、サーヤが自分の母親がそういう気があると。
はいはい。
ということを話した結果、わりと数々の人から共感を得て、
お母さん必行文ってこうなって、
わりとあるある、お母さんあるあるについてなっている。
ちょっとブラックながら。
っていうブラックジョークとしてね。
なっているっていうことについて話していきたいんですけど。
いやー。
まず皆さんの母親こういうこと言いました?
なんか、なんていうんだろうな。
でもそれに近いことは全然あった気がする。
あるけど。
それはでも人間関係の中で普通にあり得ることな気がしなくない?
論点をすり替えたりさ、
こう被害者意識が強くなったりするっていうのはあった?
人間関係において普通にあることなのかもしれないけど、
親だから重く感じるのかもしれない。
母親だから。
いやでもなんかさ、
もうちょっとこっちが悪くて、なることはあるかもしれない。
そうだね。
この例のやつってさ、
こっち悪くなさすぎるじゃん。
なんか普通にこっちがなんかよくないことをして怒られて、
母親が最後そういう極端なことを言うはあるけど、
ここまで何気なく言ったことで極端になったこともある。
いやー、それはあるな。確かに俺もそうだわ。
俺も確かにお母さんがこういうふうに非正規になったことは何回かあったけど、
こっちが悪いじゃん、基本。
こっちが悪いから止められないんだよ。
だからこうなるっていう。
だからすげー申し訳ない気分になっちゃうっていう。
そうそう。
でもさ、これって本当に何も悪くないじゃん。
うん。
悪いのかそれとも。
いや、お母さんの金銭にいきなり触れちゃうっていう。
でもこれはさ、ラジオコーナーだから、
いきなり金銭に触れちゃうっていうのが面白いわけだから、
そういうのが集まってるっていうのはあるかもしれない。
そうだね。
いやでもね、たまに笑えないやつ混じってるんだよね。
あるね。
特に夫が妻に対して、
なんだ?
妻のヒスについて送ってるやつとか。
笑えないのよ。
笑えないね。
あれ一番笑えないの。
お前夫が悪いだろってパターンとか結構あるもんね。
そうそう。
あと夫がそもそも、
なんだ?
どこまで実体験なのか分かんないけどさ、
そうそう。
送ってると思うとなかなかね、
そうそう。
でもさ、ラランドでさ、
割と、
まあ、
2人とも結構親が厳しかったり、
結構過剰だったりするっていうところから、
お母さんヒス構文の一般化
割と親の話っていうのは、
特に西田とかね、
まあ難しいけど西田の親の話とかもしてて、
でも西田は覚えてないって言ってたのよ。
そういうこと。
で、さあやがそれが、
いや辛い記憶は全部消してんのかもしれないよねって話したっていう。
で、割と俺それあるなと思ってさ。
俺さ、幼少期の頃は結構母親がきつい人だったんだよね。
父親も怖かったし、母親もきつい人だったのよ。
これさ、20代ぐらい、18ぐらいまで分かんなかったんだけど、
親ってさ、俺が子供で生まれた瞬間から親ではないんだよね、別に。
普通に兄ちゃんと姉ちゃんなわけよ。
そっからさ、どんどんどんどん子供と一緒に親として成長してるわけ。
だから今話せるようになったのは、
普通に親も成長してるからなんだなっていうのを思うのよ。
お互いに慣れてきたっていうのもあるし。
で、俺子供の頃のこと結構忘れてると思う、嫌なこと。
でもこういうさ、
いわゆる最近よく言われるじゃないですか、
毒親、親ガチャとかっていう言葉ですよ。
そこまで話すと結構話が広がっちゃうから、
今回はお母さんヒス公文に絞りますけど。
こういうのは最近の社会問題かもしれないですね。
家族の共同体っていうものに対するなんかあるんですよね、嫌悪感っていうか。
家族あるあるであり。
家族あるあるなのか。
お母さんヒスが今まではどう扱われたのか。
いやでもさ、親族、家族っていう共同体が崩壊して各家族失火した後のあるあるなんじゃない?
そうだね。
割と俺らの親世代あるあるなのかもしれない。
今四五十代の人、五六十代の人たちのあるあるなのかもしれない。
そうだね。
俺それで思うのがさ、これさ、親父がヒスすることないじゃんっていう。
公文のテーマとしてさ。
お母さんヒス公文じゃんっていうのがあって。
俺それさ、なんか俺なりの答えがあるんだけど。
今ラランドとか俺らとかの親世代って五六十代が多いじゃない?
はい。
ってなった時にさ、その世代ってさ、友働き世代じゃないんだから。
で、そうなった時に母親が家庭に、今の言い方で言えば家庭に閉じ込められてるとか、
家のことをしている状況なんだよ。
でさ、全然男がまだ優位な時代だったし、
俺が稼いでやってんだからっていう時代でもあったわけじゃん。
そういう時に母親常に家族に対して老い目とか感じてるんじゃないかってのがあるのよ。
よく言うじゃない?
家事してても誰も感謝してくれないとか。
で、夫は帰ってこなかったりっていう問題が常に起きすぎてるわけじゃん。
で、子供は子供だからろくに話せる人たちじゃないし、
子供はわがまま言うし。
ってなった時にお母さんは常にこう、
家族に対してすごく自分が下にいる感覚になってたんじゃないかなっていう。
だからヒゲしちゃう。
だからヒゲしたり、被害者意識が強くなったり。
最初からね。
そう。
ヒスする前から。
そう。っていうのが前提になるからこういうヒス好分っていうのが生まれてたんじゃないかなと思って。
俺はこういう時それを言ってる母親はどこをやっていう風に言って片付けられないんじゃないかって思うんだよね。
これって普通に、まだ女性の立場が今ほどではなかった時代に、
今ほどではなかったっていうか、まだ刑事されていた時代に、
女性が今の時代の宝画としてあったんじゃないかなっていう。
感覚がなんとなくあんだよね。
俺がこういう時に被害者意識側に立つってのがあるかもしれないけど。
それはあるんじゃないかな。
親の立場と被害者意識
どう思う?
どう思う?
どう思う?
なんか、これってさ。
俺はね、小さい頃に母親くんはわりとヒステリーを起こす人だったってのがあるけど、
そういう箱にすげえ同情するんだよね、俺。
俺が悪かったなっていう被害者意識が強いのかもしれないけど。
お母さんに悪いことをしたっていう。
なんか、たぶんさ、西田とか沙耶とか上戸世代だとさ、
藤原さっき言ったようにお母さんがヒスるっていうのが一般的なんだろうけどさ、
うちわりと友肌だけだけど、どっちもヒスってたのよ。
だいたいうち親父がヒスるんだよ、なんか。
ちょっとおもろいな、親父がヒスって。
だから、お母さん、うち友肌だけだから、
休日は親父がわりと家のことするのが進んでするタイプだったから、
家のことするわけじゃん。
で、お母さんが感謝してくれないとヒスり始めるんだよ、親父は。
みたいな風になったけど、
だから友肌だけだとどっちもヒスるっていうね。
でもやっぱ、結局そういう家族に感謝されないとかさ、
家族に認められないみたいな部分がそういう風になってくんじゃない?
そうだね。
被害者意識でさ、じゃあお母さんが出てけばいいんだとかっていうようなのはさ、
家族に必要とされてないっていう感覚がどっかにあるんじゃないか?
例えばさっきの麦茶で言ったら、
あの人の家の子供になりなさいよって言うんだったら、
その子供が自分のやってることに感謝してくれないとかさ、
っていう部分がどっかしら常にコンプレックスとしてあって、
それが発露するんじゃないかっていう。
だからなんか、わりとコミュニケーションとしては正しい気もしなくもないけどね、
言いたいことを言うという意味では。
家族だからそういう部分が進まない。
そういう意味で毒弱とかではちょっと違うんじゃない?
別にある程度、ヒスがあってもまともに育ってくる場合も多い。
てか普通によくあることらしいじゃん。
だからなんか、そうだね。
だからでもそれって、笑うジョークに消化させるしかないのかな普通に。
でもあれはジョークに消化させる。
トラウマを消化させるってことであるよね。
そうだと思う。
だから悪いことではない。
とは思うけど。
じゃあどうすればいいんだって話がわからない。
どうすればいいかも。
いや、俺普通にこれ、人間関係においてヒスるのは普通のことだから、
そうって思うよ、わりと。
あとさ、俺さ、すげえ話変わっちゃうんだけどさ、
すげえ話変わっちゃうんだけどさ、
俺さ、これさ、ラランドの声溜めラジオ聞いてて一番面白いのがさ、
鞘屋がヒステリックの才能あることなんだよね。
あー、鞘屋の目な。
いい目してるよな。
鞘屋がまじで岡田さんヒス公募を言う人間なんだよな、結構。
俺あれが微妙に笑えないとこなんだよね。
同族嫌悪的な。
そう。
なるほどね。
そう、だから家族って中々ネタにしにくい部分なんだよ。
お母さんヒス公募の背景
鞘屋ってでも結構そういうこと言うよね。
毎回チラッと見たけど、祖父の葬式の話とか普通に笑い話したりするじゃん。
そういうタイプの人なんじゃない?普通に。
芸人だからそういう風に理屈してるのかもしれないけどね。
特にブラックジョークみたいな感じで言うタイプの人なんじゃないかって感じはするけど。
やっぱりでも、お母さんヒス公募の文脈におけるヒスっていうのはやっぱり、
家族がいないと成り立たない気もしなくもないよね。
でもあれさ、お母さんヒス公募ってさ、
俺の中ではやっぱりヒステリックを起こしてる人を笑うっていう部分があるんだよ。
ネットミームみたいに近いんだよね。
あれってその時のお母さんの気持ちに誰も寄り添ってないなって思うんだよ。
それが俺はいつも辛いんだよな。
だからさっき俺が言った、夫が妻に対して、妻と子供が出てきて、
それで夫がそれを投稿してみたいな状況だったら特に笑えないよな。
普通に家族っていうことである以上、互いの心情に対してある程度責任があるから。
なんかお母さんをのけ者にしてヒステリックって笑う部分が、
それこそがお母さんヒスを生んでるんじゃないかって思うんだよな。
そうだよね。笑ってないで原因考えろよっていう。
親と子供の関係における責任
それは普通に、ネタの投稿だったら、
例えばさ、あの子の家の麦茶が美味しかったって言った時に、
よかったね、どこ使ってるのかなって、
お母さんが言わなくさせてるのは間違いなく我々子供なわけだから。
そういう部分がずっと日常の問題に絶対些細に存在してるはずなんだよ。
そうだね。
でもそれはもはや社会の構造なのかもしれないけど。
そこに対して目を向けないでお母さんのヒステリックを笑うっていうのが、
すごい残酷に感じるんだよな、俺は。
子供にどうにかできる問題じゃないっていうのもあるしな。
まあね。
でもだから、親っていうのがさ、
俺がどこ親親ガチャとかって言われてるのがさ、
親が結構子供に対して長期的になきゃいけないっていう風潮があるよね、社会。
親って完璧に頼りにならないといけないっていうさ。
確かに子供はさ、今になって気づくことだけど、
俺が10歳までに父親母親があんまりまともじゃなかったなとかっていうのはさ、
今になって感じるよ。
今10歳ぐらいから文句言うようになってるし、
そういうところで家族で暗黙の了解みたいなのがだんだん積み上げていくもんだから、
あれだけど。
でもなんかそのどこ親親ガチャって言って一言で済ませられないこの不条理みたいなのが家族の中に存在してるんじゃないかなって思う。
お母さんヒス公募の問題点
例えば親ガチャなんて、子供を大学に行かせられないとかでしょ。
そういうことを親ガチャって言って済ませていくことに対してすごい嫌悪感があるんだよね。
どこ親親ガチャって済ませていく。
もちろん子供に対して虐待をするとか、精神的にいじめをするとか、性的虐待とか、
あるいはそれに準ずるようなことをするのはもちろん、
どこへ行けたしなくてもそれは犯罪だから。
それは最もしてはいけないことであるから、
それはどこをやってるんじゃないんじゃないか。
親ガチャの話になると結局今の信じる主義とかの話になってくるからな。
自分じゃどうしようもできないときに何に責任を転化するかっていう話じゃない。
親ガチャってそういうことだよね。
能力主義になってるからこそ今の親がっていう話じゃん。
だから難しい話ではあるよな。世の中の仕組み的にさ。
いやでも世の中の。
流行るのはわかるだよね普通に。
でも世の中の一般的な流れとしてはさ、
資本主義における自己責任論が生まれて、
能力主義が生まれて、
自己責任論が生まれて、
自己責任論が生まれたときに、
いやそもそも家庭環境生まれ文化資本の格差。
文化資本の格差って今すごい言われてるし。
で問題が起きてるんじゃないか。
ってなってそれが親ガチャってなって。
でもそれは親ではなくてそれは社会の構造が
政府が何とかするべきなんだっていう流れじゃない今は。
いやでもその親ガチャだって言いたがる人たちは
そういうことじゃん。
まあ自分のせいではないけど。
そうそう。
いやこの前だからそのさ、記事読んでびっくりしたんだけど。
記事読んでおおおおって思ったのが、
東大の人が、
自分がうまくいかないとかっていうのは、
環境のせいだと思うか自分の能力のせいだと思うか
っていうので、
多くの人が自分の能力のせいだと思うらしいんだよ。
っていうのを見て、
ああそういうそれがすごい批判されてた。
それは別に東大行ける家が立ったからでしょっていう
ので批判されてる分をすぐ見かけたんで
結構調べてみたんだけど。
で見かけてああなるほどなーって思ったんだよ。
特有の話に映ってますけど。
いやでも子供としてはもう冗談にして笑うしかないんじゃないの。
俺結構必然だと思うよこれは。
なんか冗談にして笑うことが正しいことだったら別に思わないけど。
まあそういう逃げ道は必要だよね。
結局そうやってやり過ごしていくしかないし。
まあでもその社会の構造によってさ、
そうなってる部分があるのわかるから普通に。
あとそれぞれの家族意識の問題でもある。
あと結局それが身に向かっていることが問題なんじゃないの。
身に向かっていることが問題なのか。
お母さんの必須っていう個人の感情があるあるネタ。
だから一種自己治癒みたいなことだった笑いが
言ってしまえばバツってしまったことで問題かしんじゃないの。
だから扱い方の問題なのかな普通に。
そう思うと。
お母さん必須公文というそれ自体における必須の扱い方が良くないって話なの。
ひとり歩きしてるよねその和法だけが文法だけが。
確かにそう思うと消化する的な意味ではあんまり良くないかもしれない。
消化できない。
いや消化してないんだよもう早く。
そうそう。
消化しないでビームとして肥大化していって
この創作が混じってっていうのは
なんかすごい消費っぽくて嫌な感じがするよね。
まあだからハガキにすることで
ラジオとして引っかかりがあって面白いっていうものになっていく。
面白いっていうものになっていくことによって
どんどんどんどんもともとの
沙耶がトラウマを笑うっていうところから
スタートしていたのが
どんどんどんどんビーム感になっていって
それ自体の問題だったりとか
ある種原因みたいなのが無視されていく状況っていうのはね。
そうだね。
そう考えるとよくある話だよな。
一番あるパターンだよな。
なんか
それこそ最近のネットの流れみたいなときになってきたよね。
うん。一緒だよね。
作為でやったのがビームでやって手に負えなくなっちゃって
作家の
よくある話だよ。
何?
お母さんヒス工房にオルタナティを提示する?
お母さんヒスになるしかないじゃんと思うんだよな。
俺はそれでもやっぱり母親に対して責任を感じるんだよな。
俺が過剰意識があるタイプの人間
家族意識があるタイプの人間ってのはあるけど
俺が幼かったが故に
親をヒスらせてしまったことは
俺が幼いからしょうがないって言い切れない部分が
俺の中にはあるんだよな。
子供の時に常に感じてたから。
お母さん、俺の母親も良くなかったと思うよ。
俺のお母さんそんなにヒスになったって言っておきたいけど。
俺の母親が例えばヒスだとして
俺が8歳くらいだとして
俺8歳ながらすげえ申し訳なさの感じだよね。
母親を包装してるのは俺なんだっていう。
母親が感情発露できる場って家族しかないじゃん。
例えば俺の母親は選挙主婦だったから。
そうなった時にそれすらも
抑え込んでしまうっていうのは
どうしても抵抗があったんだよね。子供の時は。
立場逆にしてみると分かりやすい。
自分のヒスった時のことを
母親をネタにして投稿してたらと思うと
だからあれだよな。やっぱり
長寿茶じゃなきゃいけないみたいなところに戻っていくんだよ話が。
それこそ本当に子供のことをネタにするって意味で
俺子育てのアカウントとかさ。
SNSよく見るけど。あれもなんか抵抗あるもん俺。
話は違うけどね。
子育て日記漫画とかSA漫画とか見ると
時折悲しくなる時もあるから。
ミームとしての問題って多分
お母さんヒス交分
捜索なんじゃない?普通に。
実体が実体を離れて消費されていく
ってことに対する嫌悪感もあるな。
そこが大きいんじゃない?
違和感のだいぶ側。
ヒスられた側の気持ちはどうしたらいいのよ
っていうことの一つの掛け口なわけじゃん。
それもあるからね実は。
いくら自分が悪いって言ってもヒスられた側の気持ちの整理がつかない
っていうのもあるじゃん。
そこで目を向けないっていうのもあるか。
それもあるんじゃない?
ヒスられた側だって嫌な気持ちになるわけでさ。
自分が悪いからって言って抑え込めるものでもないじゃん。
その時の嫌な感じって。
そういう一つの掛け口としてあったんだよな。
お笑いにするっていうこと。
でもそもそもやっぱ
家族っていう共同体のあるべき姿みたいなのが
どんどん社会化されていってるわけだし
割と共通の前提として
親がこうあるべきっていうのが強いじゃない?
子はこうあるべきっていうのもあるし
そういうところが新しい形で
全体として広まっていって
受教的価値観からの転換が起きてるわけで。
だから微妙な時期だよな。
お母さんにしつこむって
ある程度お母さんに何か言ってもいいっていう前提になってるじゃん。
親とに対して。
でもそうでもなくなってきてる時代じゃん。
曖昧な感じするよな。
釈然としない?
釈然としないわけじゃない。
俺が過剰だなっていうのがある。
俺が加害者になることが一番嫌いな人間っていうのがある。
俺が被害者になることはそんなに問題ではないんだよ。
俺の性格的にずっと。人生では。
だからあれだけど
人間としては
そういう意味で
母親だったら何してもいいのかって思っちゃう。
母親がひっついてることに対して。
俺が嫌だからってそれで母親をネタにして
外で笑い取って
じゃあ母親はその時どうしてるのって思っちゃう。
母親は子供がこうしてるってことを
誰に対してどういう風に笑いに消化してるんだろうって思っちゃう。
それは俺が笑いに消化できるように
母親にも何か逃げ道があって欲しいなって思うんだよ。
逃げ道がないからひっついてるわけですね。
だからこういう状況がより外で笑いにしてしまうことが
母親を追い詰めちゃうんじゃないかと思う。
傷つけられた顔はあいつのこと考えないからね。
傷つけられたと思ってる人は。
だからコミュニケーションの話でもあるからね。
でもあるっていうかコミュニケーションの話だよな。
細かいコミュニケーションの話で
特に家族っていうのは難しいでしょ。
大人と子供だし。
難しい。
難しいけど。
でも俺はね、難しいんだけどさ、
さっきさやがヒスコームのサインがあるみたいな話を
冗談マジで言ったんだけど
俺、父親と年々似てきてるってみんな言うじゃん。
俺も肝心だよね。
俺、すげえ自分の家族が欲しいんだけど
俺の父親と俺って多分
結婚して帰ってもらったら多分タイプ一緒なんだろうなと思うんだよね。
そういう意味で
同じことを繰り返す感があんだな。
上大の時はそれが嫌で絶対結婚したくなったんだけど。
今は何とかできるんじゃないかとは思うんだけど。
でも結局家族とか
お母さんヒスコームの起源と流行
お母さんヒスとかってやっぱり
お母さんヒスコームって江戸時代くらいあるのかな?
ヒスレビューになったのが最近かも。
戦後か。
戦後それに。
そうだね。
戦後か。
戦後か。
戦後か。
おばあちゃんヒスレビューになった戦後ってすごいな。
ワードとして。
変なワードじゃないか。
くっつかない2歩が近づいてるわ。
俺のおばあちゃん絶対ヒスってないと思う。
俺も今言おうとした。
おばあちゃんヒスってないけどね。
だから単開の世代とかではなくて
家族が
煮詰まってきた頃の話だよな。
煮詰まった結果
あれって俺思ったけどどれぐらい年齢層の人が
送ってんのかなと思って。
西田の市町村って
高校生から大学生くらいの感じするじゃん。
意外とリアルタイムじゃないのかなと思って。
今でもリアルタイムなんじゃないの?
3年前とかの話を送ってきた人じゃない?
それが目指せないと
あるあるになってしまうのかもしれないなと思うんだけど。
結構違うぜ。
中1年生の時に言われて
高1で投稿するってのは。
分かんない。それぞれの家族のコミュニケーション取り方によるけど
距離の詰め方によるけど。
あるある化されてどうなっていくかってことだよな。
普通に過剰に演出してるのが良くないわ。
筆行文のやつは。
筆行文であることを過剰に演出してるのが良くない気がする。
普通に
家族の中のコミュニケーションの問題であって
それぞれがそれぞれに演出するわけで
それはそれぞれに追い目があるわけじゃん。
家族間のコミュニケーションの問題
何の解決にもなってないからね。
身分として肥大化してるのが良くないっていう話になるんだけど。
全てがまた無意味化してるよ。
加速してるね。
加速主義かな、そしたら。
加速主義なの?
全てを見抜かしていくしかない。世の中の全てを。
逆に?
でも結局
見抜きされない実態があるだろ。
加速主義で最後にそれが残るんじゃないの。
難しい話だよ。
家族の話とか。
これポッドキャストのテーマでデリケートな話だよ。
母親っていう。
セクシーゾーン。
デリケートゾーンって何?
おじいちゃんすぎない?
キンプリって言ってセクシーサンキューって言ってたんだっけ?
どゆこと?
セクシーサンキューってキンプリだと思ってたんだよね。
ジャニーズの方がセクシーサンキューって言うの知ってた。
松崎がキンプリの話をした時にセクシーサンキューって言ったのよ。
ジャニーズ全部一緒だと思ってるから。
ジャニーズ?
大変なようなことがやってきたな。
触れられないものが多いな。
何の話すりゃいいんだよ。
言葉狩りだよ。
言葉狩りでもないか。
ジャニーズが悪いから。
実態になる犯罪だから。
あれは普通に犯罪ですから。
ヒスは犯罪じゃないからな。
ヒスは家族間のコミュニケーションだから。
犯罪にならなければ何でもいいのかっていうのとは違うけど。
いいよいいよ。
結局他者との。
どうなんだろうね。
犯罪じゃなかったら何でもしていいのかな。
一応世の中でそういうことになってますよ。
でも大抵のもの犯罪だぜ。
考えられる悪事って。
犯罪のことを悪事だと捉えてるから思いつくのが犯罪なんだよ。
悪いことが先に来て
犯罪が後に来るやつが悪いことできるんだよ。
悪いことイコール犯罪だと思ってる子は
10代でする悪さが
飲食喫煙なんだよ。
なんだけど10代で悪いことを
悪いことが先に来るやつは
普通に人をいじめたりするんだよ。
ダメだね。明るい話にならないな。
社会は暗い。
それでも生きていかなければならない。
ノートですか?
やめろ俺のノートの書き終わりがずっときつい話。
ノートだってお前のロイター版でしょ。
お前の人生のロイター版でしょ。
ロイター版ではないけど。
やめてくんない?
藤原隆寛のロイター版でしょ。
俺のノートは文章でしょ。
こうやって藤原が切実に書いてるのも見向かされてくるんだよな。
ほんとだよ。俺の友達にいてーよ。
友達とか松崎が友達にいていつも教科をもらってる話だよ。
藤原のノートっていつも
季節の話で過去を振り返って決意で終わるよなって
大億賞取ってる松崎にいてーよ。
ほんとだー。じゃねーよ。
みんな言ってるよ。
本気で書いてあってんこっちは。
藤原さん本気で見向かしてしまうってことは一緒だよね。
お母さん一生。
それも一緒だし、その前にエッセイはその書き方が基本です。
なるほどね。
ごめんね。
じゃあもう何も喋らなければいいな。
藤原さんもうやりません。
二人だけでやって、俺が一人で街にのたれ死んでもいいでしょ。
お前のたれ死ぬなって。
のたれ死んでもいいでしょ。
のたれ死んで外国人に内臓持ってかれて
人参売買されて
お前の子供たちに役に立っちゃえばいいんだ。
いいねー。
まさきってヒステリーの差があるよね。
松崎が今のたれ死ぬの対応してるのと一緒で
お母さんの外に出てってみたいなこととか
あなた他の家族になりなさいとかって
それぞれコンプレックスな話なんだよね。
松崎はのたれ死ぬことが人生の中に
常にある人なんだよ。
のたれ死にたいとか
のたれ死ぬかもしれないっていう感覚が
なり上がりそうなことだよね。
お母さんの場合、他の家より自分自身が落ちると思ってるとか
そういうね。
松崎は冗談で言ってるけど
松崎が本当にヒステリーって思っちゃう人がいるかもしれない。
これポッドキャスト用のペルソノ被ってるからね。
言いたくない。
言い過ぎだったよ。
これが一番冷める。
じゃあもう喋らなければいいんだ。
一番冷めるみたいなこと言ってて
フジヤが俺が返してるから
お母さんヒス興奮よりもっと原因があるヒスなんだよな。
まあいいか。話最初に戻っちゃったわ。
話ぐるぐるしてるよ。お疲れ様でした。